金 正 日

社会主義建設の歴史的教訓と我が党の総路線
朝鮮労働党中央委員会の責任幹部との談話
-1992年1月3日-


1 社会主義建設の歴史的教訓

 こんにち、社会主義偉業を確固と守り、成功裏に前進させるのは、人類の運命にかかわる極めて重大な問題となっています。

 近年、一部の国で社会主義が挫折して資本主義が復活し、最近になってはソ連が解体してその存在を終えました。こうした事態に対し、帝国主義者と反動派はあたかも資本主義が「勝利」し、社会主義が「終末」を告げたかのように喧伝しています。これは、事態の真相を正しく把握していない一部の人のあいだに思想的混乱を引き起こしており、世界革命の発展に深刻な悪影響を及ぼしています。こんにちの事態から教訓を酌み取り、新たな基礎のうえに立って社会主義運動を再建し、社会主義偉業を高揚へと導くことは差し迫った歴史的課題となっています。

 社会主義偉業は人民大衆の自主性を実現する正当な偉業であり、人類が社会主義へ進むのは阻むことのできない歴史発展の法則であります。社会主義の発展過程に紆余曲折はあっても、歴史発展の方向が変わるものではありません。一部の国で社会主義が挫折した事実をもって、歴史の流れが変わったかのように喧伝し社会主義の理念が誤りであり、社会主義革命をおこなったこと自体が過ちだというのは、帝国主義者と社会主義背信者らの反動的詭弁です。

 人民大衆は長いあいだ搾取と抑圧のない自主的な新しい社会を願望し、その実現をめざして困難なたたかいを展開してきました。その過程で社会主義、共産主義学説であるマルクス主義が発生し、それを指針にしてたたかった結果、十月社会主義革命が勝利しました。その後、社会主義は世界的範囲に拡大し、社会主義諸国では歴史的に短い期間に、資本主義のもとでは数百年かかっても達成できない大きな社会的、経済的発展をとげました。このような歴史発展の過程は、社会主義理念が正当であり、社会主義が資本主義とは比べようもない大きな優位性をもっていることを示しました。

 それでは、社会主義の道を進んでいた一部の国でこんにちにいたって社会主義が挫折し、資本主義が復活している現象をどう見るべきでしょうか。

 社会主義への道は新しく開拓しなければならない前人未踏の道であり、帝国主義とのするどい対立と闘争のなかで前進しなければならない厳しい革命の道です。したがって、社会主義の前進途上には難関と試練がないはずはなく、予想外の事態が発生することもあります。一部の国での社会主義の挫折と資本主義の復活は、歴史発展の主流から見るとき、部分的で一時的な現象にすぎません。しかし、我々はこれを決して偶然な現象とみなすことはできず、また、これがたんなる外的要因によるものであるとばかりみなすこともできません。

 金日成同志が常々、指摘しているように、ことが失敗したとき、その欠陥の原因は客観に求めるべきでなく、主体に求めるべきです。そうするのが革命家の態度であり、欠陥を是正する正しい方途です。こうした観点と立場で社会主義が挫折した原因を正しく解明し、そこから教訓を酌み取ってこそ、社会主義偉業を固守し前進させることができます。

 社会主義を建設していた一部の国で社会主義が挫折した根本的な原因は、一言でいって、社会主義の本質を歴史の主体である人民大衆を中心にして理解しなかったため、社会主義建設における主体の強化と主体の役割の向上問題を基本としてとらえられなかったところにあります。

 社会主義社会は人民大衆が主人となった社会であり、一つに統一団結した人民大衆の創造力によって発展する社会です。人民大衆が主人としての高い自覚と能力をもって同志的に団結してたたかうところに、あらゆる搾取社会と区別される社会主義社会の本質があり、社会主義社会の発展を促す原動力があります。したがって、人間改造を優先させ、人民大衆を共産主義的に教育して党のまわりにかたく団結させ、革命の主体を強化し、大衆の革命的熱意と創造力を最大限に発揮させて主体の役割を高めるのは、社会主義建設を成功裏に推進する根本的方途となります。社会主義建設を推進するためには、これ以外にはいかなる妙策もありえません。しかし、一部の国の人たちはこの真理を正しく理解できませんでした。

 社会主義制度の樹立後、社会主義建設をいかなる原理に基づき、どのような方法で推進するかという問題は、社会主義建設を指導する党にとって新たに解決すべき歴史的課題として提起されました。この問題は、従来の共産主義理論の歴史的制約性をいかに克服するかという問題とも関連する重要な問題でした。

 マルクス主義は、労働者階級が歴史の舞台に登場し、資本に反対する闘争を展開していた時期に出現した革命学説として、搾取階級と搾取制度を一掃し、人民大衆の階級的解放を実現するうえで不滅の貢献をしました。しかし、時代は変化し歴史は発展するため、マルクス主義も歴史的制約性をもたざるをえません。マルクス主義は一言でいって、唯物史観に基づいて労働者階級の階級的解放の条件を示した学説だといえます。マルクス主義は社会発展の過程を自然史的過程とみなし、解放の条件を示した学説だといえます。マルクス主義は社会発展の過程を自然史的過程とみなし、生産力の発展にともなって生産関係が発展し、生産関係の総体である経済制度が当該社会の土台をなし、その土台のうえに上部構造が成立するという理論を提示しました。これに基づきマルクス主義は物質的富の生産様式が社会の性格と社会の発展水準を決める決定的要因であり、社会の発展過程は階級闘争によって生産力と生産関係の矛盾が解決され、古い生産様式が新しい生産様式にかわる過程であると見ました。マルクス主義はこのような原理からして、社会主義的生産様式が確立されれば、資本主義から社会主義へ移行する社会革命は終わるものとみなし、共産主義の高い段階と低い段階の違いは生産力の発展水準の違いに帰着するから、社会主義制度が樹立したあと経済建設を進めて生産力を発展させさえすれば、人類の理想社会である共産主義を実現できるとみなしたのです。結局、マルクス主義は、社会主義制度の樹立後、革命を続けて社会主義、共産主義社会をいかに建設すべきかという問題については正しい解答を与えることができなかったのです。歴史的に見るとき、マルクス主義は社会主義偉業の先行段階の要求を反映した思想、理論であって、社会主義・共産主義建設の具体的方途の提示を当面の課題として提起せず、当時としてはまだそれができる社会的条件も、実践的経験もありませんでした。

 社会主義制度の樹立後、社会主義・共産主義を成功裏に建設するためには、社会主義建設を指導する党が当然、社会主義の新たな発展段階の要求に即応して共産主義理論を発展させ、それに基づいて正しい路線と政策を樹立すべきでした。しかし、これまで社会主義を建設してきた一部の国の党は、この歴史的課題を正しく解決できませんでした。そのため、マルクス主義を指導指針とする社会主義建設を唱えて従来の理論の歴史的制約性を見ず、それを教条主義的に適用したかと思えば、他の一方ではマルクス主義の革命的真髄を否定し、修正主義的な政策を実施する道に走りました。

 従来の理論に対する教条主義的理解から脱却できなかった人たちは、社会主義社会の本質と優位性が社会主義思想をもった人民大衆によってではなく、社会主義政権と社会主義的所有関係によって決まるとみなし、社会主義建設の推進力も生産力と生産関係の適応という経済的要因に求めました。もちろん、社会主義政権が樹立され、生産手段に対する社会主義的所有関係が確立されれば、人民大衆に主人の地位と役割を保障し、生産力を急速に発展させるうる社会的・政治的条件と経済的条件がととのいます。これは資本主義に対する社会主義の大きな優位性です。しかし、こうした政治的・経済的条件そのものが社会主義社会の発展を促す決定的要因になるわけではありません。生産力発展の問題にしても、生産力の発展において主動的で能動的な役割を果たすのは生産の直接的担当者である勤労人民大衆であり、かれらの自発的熱意と創造的能力を高めることなしには、例え、社会主義的生産関係者を樹立したとしても、生産力をたえまなく急テンポで発展させることはできないのです。

 社会主義思想をもった人間と社会主義政権、社会主義経済制度は密接に結びついており、ここで基本となるのは社会主義思想をもった人間です。社会主義制度が樹立される歴史的過程を見ても、搾取と抑圧に反対するたたかいの過程でまず社会主義思想が生まれ、この思想をもった人たちが革命的な党を組織し、党が人民大衆を意識化、組織化して社会主義政権を打ち立て、そのあとで社会主義政権に依拠して社会主義経済制度を樹立するのです。社会主義経済制度は社会主義政権をぬきにしては、維持することも、この本性に即して管理することもできず、また社会主義政権は社会主義思想をもった人間をぬきにしては、維持することも、その本性に即して自己の機能を遂行することもできません。このように見れば、社会主義社会の発展とその運命を決める決定的要因は、あくまでも社会主義思想で武装した人民大衆であることが明らかになります。ところが一部の国では国家主権と生産手段を掌握して経済建設さえ進めれば社会主義が建設できると考え、人々の思想・意識水準と文化水準をすみやかに高め、人民大衆を革命と建設の主体にしっかり準備させる人間改造事業に第一義的な力をそそぎませんでした。その結果、社会主義社会の主人である人民大衆が主人としての役割を果たせなくなり、結局は経済建設も順調にいかず、社会のすべての分野が停滞状態に陥るようになったのです。

 かれらはまた、社会主義社会本来の要求に適応した人民的な政治方式の確立に相応の注目を払うことができなかったため、 人民の統一団結を弱め、大衆の創意を高く発揮できなくしました。社会主義社会で人民大衆が政治の真の主人となり、国家と社会の管理に主人らしく参加するか否かは、社会主義制度の強化発展と社会主義建設の成果を左右する最も重要な問題です。しかし、一部の国では社会主義政権は樹立したものの、実際には旧社会の政治方式をそのまま踏襲したので、国家と社会の管理活動がその主人である人民大衆から離れて特定な人たちの活動になりました。そのため、官僚主義が増長して人々の創意を抑制し、党と国家に対する大衆の信頼を失墜させ、人民大衆の統一団結を破壊する重大な結果をもたらしたのです。

 結局、それらの国では社会主義が自己発展の強力な推進力を失い、強固な社会的・政治的基盤をもつことができなくなりました。強固な主体が存在しない社会主義は、その優位性と威力を発揮することができず、前進途上における挑戦と試練に打ち勝つことができません。歴史的事実は、強力な軍事力と膨大な経済的潜在力をもつ大国であっても、社会主義建設において主体を強化し、その役割を高めなければ、帝国主義者と反動派の反社会主義攻勢に耐えられず崩壊するしかないことを示しています。それらの国が帝国主義者と反動派の反社会主義攻勢に屈し、社会主義の挫折を招いたのは、まさに社会主義建設において主体を強化し、その役割を高めなかったためにもたらされた必然的結果と見るべきです。

 一部の国で社会主義が挫折した原因はまた、社会主義と資本主義の質的な差異をみず、一貫して社会主義の根本原則を堅持しなかったところにあります。

 社会主義偉業を最後までなし遂げるためには、革命と建設において終始一貫、社会主義の原則を堅持しなければなりません。人民大衆の自主的要求と利益をあくまで擁護し具現するのは、社会主義建設において一貫して堅持すべき根本原則です。社会主義社会は、人間による人間の搾取と抑圧を一掃し、ともに自主的に生きようとする人民大衆本来の要求を具現した社会であり、社会主義・共産主義建設の過程はとりもなおさず人民大衆の自主性を完全に実現していく過程です。したがって労働者階級の党は、社会主義建設を指導するうえで、人民大衆の自主的要求と利益を断固として擁護し、革命と建設におけるすべての問題を徹底的に人民大衆の根本的利益に即して解決していかなければなりません。

 人民大衆の自主的要求と根本的利益に即して社会主義を建設するためには、労働者階級の党を組織的、思想的に強化し、革命と建設に対する党の指導を確固と保障し、社会主義政権の機能と役割をたえず高めるとともに、社会主義的所有を固守し発展させ、帝国主義と断固たたかわなければなりません。これは、いささかも譲歩することのできない革命的原則です。社会主義を建設する過程で一時的に過ちを犯すことはありえますが、人民大衆の運命に責任をもつ労働者階級の党は、いかなる状況においても社会主義の根本原則を絶対に放棄してはなりません。社会主義・共産主義建設の過程では革命闘争の環境と条件が変わるので、それに合わせて路線と政策を創造的に発展させなければなりませんが、いかなる場合にも、こうした革命的原則、労働者階級的線から離脱してはなりません。革命闘争の環境と条件は変わりえても、社会主義の根本理念と要求が変わるものではありません。社会主義か資本主義かという闘争において、革命的原則を放棄することはとりもなおさず投降と変節を意味します。

 かつて社会主義を建設していた一部の国の人たちは、社会主義に対する信念が弱く、労働者階級的立場が確固たるものでなかったため、社会主義建設の過程での一時的な難関を前にして動揺し、帝国主義者の圧力に屈して、しだいに革命的原則を譲歩し放棄するようになりました。これらの国では、労働者階級の党を強化する活動をおろそかにし、党の指導的役割と社会主義国家の統一的な指導機能を弱めた反面、資本主義的な所有関係と経済管理方法を導入し、帝国主義とたたかうのではなく、無原則に妥協する道にはしりました。こうした修正主義政策の結果として社会が次第に変質し、社会主義の「改革」、「改編」と称して「多元主義」を導入した結果、社会主義の変質過程はいっそう促進されました。

 社会主義社会では、「多元主義」は容認されません。「多元主義」が標榜する思想における「自由化」、政治における「複数政党制」、所有における「多様化」は、個人主義と自由主義に基づく、生存競争の支配する資本主義社会の政治方式です。社会主義は集団主義に基づく社会であり、人民大衆の統一を生命とする社会であるので、社会主義と「多元主義」は両立しません。社会主義社会に「多元主義」が導入されると、個人主義と自由主義が助長されて社会共通の利益が侵され、人民大衆の統一と団結が破壊され、社会的無秩序と混乱が生じるようになります。社会主義社会で思想の自由化と政治における複数政党制を容認することは、結局、社会主義社会の基盤崩壊と人民政権の転覆をはかる反革命的策動に道を開くことになります。思想分野の闘争は政治闘争の前奏であり、それは政権闘争に発展するものです。歴史的経験は、思想が自由化されて反社会主義的思想潮流が流布し、「複数政党制民衆主義」が容認されて反社会主義政党の活動が許されると、階級の敵と反動派が頭をもたげて反社会主義策動を行い、労働者階級の党を政権の座から引きずり落とすようになることをはっきりと示しています。現代修正主義が資本主義に対する幻想にとらわれて社会主義の原則を完全に放棄し、資本主義的な政治方式と経済制度を全面的に導入する道に進んだ結果、社会主義は挫折し、資本主義が復活するようになりました。社会主義の原則からの1歩の譲歩と後退は、10歩、100歩の譲歩と後退をまねき、結局、労働者階級の党そのものが破滅せざるを得ない重大な結果をもたらすことになりました。

 一部の国で社会主義が挫折したのはまた、社会主義国の党同士の関係において、自主性に基づく国際的連帯を強めなかったことにも起因しています。

 自主性に基づいて団結し協力し、国際的連帯を強めながら自主性を堅持するのは、社会主義国の党同士の関係において守るべき基本原則です。自主性は国家と民族の生命です。社会主義・共産主義は国家と民族を単位として建設され、個々の国の革命はその国の党と人民が責任をもって進めることになります。自国の実情に即した路線と政策を立て、それを自主的に貫徹するのは、なんぴとも侵すことのできない各国の党の神聖な権利です。個々の国の党が自主性を守ることは、決して他国の党と国際的連帯を強める問題と矛盾するものではありません。社会主義偉業は個々の国の人民の民族的偉業であると同時に、国際的偉業であります。各国の共産党、労働者党は自己の自主性を守る権利を有すると同時に、他国の党の自主性を尊重し、社会主義偉業の勝利のために同志的に団結して協力すべき義務をになっています。

 国際共産主義運動内には大きい国の党と小さい国の党があり、歴史の長い党とそうでない党もあります。大きい国の党は小さい国の党よりも大きな力をもっており、したがって共同の偉業の遂行により大きく寄与できることを否定するものではありません。大きい国の党であるほど、国際共産主義運動を固守し発展させるうえでより大きな責任を自覚すべきであり、兄弟党に私心のない援助を与え、共同偉業の遂行においてより大きな役割を果たすのは当然なことです。だからといって、大きい国の党が大国主義に走ってはなりません。党の関係においては、地位の高い党と低い党、指導する党と指導される党というのはありえません。国際共産主義運動で国際的な中央があり、各国の党がその支部として活動した時期は久しい前にすぎ去りました。社会主義国の党は当然、完全な平等と自主性の原則に基づいて同志的に協力すべきなのですが、これまで一部の社会主義国の党は、コミンテルンが存在していた時期の古い関係の遺習から脱することができず、国際共産主義運動の発展に大きな弊害を及ぼしました。ある国の党は国際共産主義運動の「中央」を自称し、他国の党にああしろこうしろと指示し、自己の誤った路線に従わなければ圧力を加え、内部問題に干渉するといった行動をあえてしました。その結果、社会主義諸国の思想的統一と同志的協力関係は著しく弱まり、団結した力で帝国主義に立ち向かうことができなくなりました。一部の国の党は、主体性をなくして大国主義的な圧力に屈伏し、他人の指揮棒に従って動いたので、大国が修正主義に走れば一緒に修正主義に走り、また、他人が「改革」や「改編」をすれば、それをそのまま受け入れるようになりました。その結果、ソ連と東欧諸国で社会主義が将棋倒しに挫折する重大な事態が起こるようになりました。金日成同志は早くから、人が事大主義に陥れば愚か者になり、民族が事大主義に陥れば国が滅び、党が事大主義に陥れば革命と建設を台無しにしてしまう、と教えています。事大主義に走って社会主義を台無しにした一部の国の現実は、金日成同志のこの教えがいかに正当なものであるかを実証しています。

 歴史的経験は、社会主義に対する確信と正しい指導思想をもって革命の主体をたえず強化し、いかなる環境のもとでも社会主義の原則を固守し、自主的に基づく同志的団結と協力を強めていくとき、社会主義偉業は勝利の道を前進するが、そうしないときには紆余曲折と挫折を免れないということを示しています。これは人類が社会主義へ進む過程で得た深刻な教訓です。


2 社会主義・共産主義建設に対する我が党の総路線の正当性

 偉大な領袖金日成同志は歴史上はじめて、チュチェ思想に基づいて人民政権に三大革命をプラスすれば共産主義になるという卓越した思想を示しました。人民政権を強化し、その機能と役割をたえず高め、思想、技術、文化の三大革命を徹底的に遂行するのは、金日成同志が打ち出した社会主義・共産主義建設の総路線です。金日成同志は社会主義・共産主義社会の全容とその実現の合法則的路程を独創的に示し、それに基づいて社会主義・共産主義建設の革命的原則と科学的な方途を明示して、共産主義理論を新たに発展させ、それが我が国で現実として具現されるよう賢明に導いてきました。これは、人民大衆の自主偉業の遂行に寄与した金日成同志の偉大な歴史的貢献となります。

 金日成同志が打ち出した総路線は、チュチェ思想を具現して社会主義偉業を完成し、人民大衆の自主性を完全に実現する道を明らかにした。最も科学的で革命的な路線です。

 社会主義・共産主義建設に対する我が党の総路線は、人間中心の社会・歴史原理に根ざしています。

 社会とは一言といって、人間が集まった集団です。人間が社会的財貨をもち、社会的関係で結ばれて生活する集団がすなわち社会なのです。社会の主人はほかならぬ人間であり、人間は自主性、創造性、意識性をもち、自己の運命を自主的に、創造的に開拓していく社会的存在です。人間の自主性、創造性、意識性の発展水準によって社会の発展水準が決まり、人間の自主的な思想、意識と創造的能力の向上にともなって社会的財貨が増大し、それによって社会関係も発展します。それゆえ、社会は物質的条件を基本にしてではなく、人間を中心にして考察すべきであり、社会の発展過程は自然史的過程としてではなく、社会的運動の主体である人民大衆の自主的で創造的な活動の過程として考察すべきです。

 こうした見地からすれば、共産主義社会とは、すべての人があらゆる束縛から最終的にぬけだして自然と社会と自然自身の完全な主人となる社会であるといえます。共産主義社会では、社会の全構成員が人間の社会的本性に合う自主的な思想、意識と創造的能力を前面に備えて完成した社会的人間となり、生産力は社会生活の各分野で人間の自主的で創造的な活動を物質的に十分に保障できる高い水準に到達することになるでしょう。これによって社会関係は、全社会が一つの社会的政治的生命体をなし、個人と集団の自主性がともに実現される完全な集団主義的社会関係となるでしょう。一言でいって、共産主義社会は人民大衆の自主性が完全に実現される社会です。社会主義社会は共産主義社会の低い段階です。

 社会主義・共産主義を建設するためには、社会主義革命が勝利し、社会主義制度が樹立されたのちにも革命を続けなければなりません。

 社会主義・共産主義建設において共産主義社会の実現が最終的目標だとすれば、社会主義制度の樹立はその出発点となります。社会主義制度が樹立されたというのは、社会主義政権が樹立され、社会主義的生産関係が確立して、人民大衆が主人となった新しい社会の骨組みができあがったことを意味します。社会主義制度の樹立は、人類社会発展の見地からすれば大きな歴史的変革となりますが、社会主義・共産主義の路程からすればその第一歩に過ぎません。社会主義制度の樹立によって生まれたばかりの社会主義社会は、共産主義性格を帯びた新しい社会であると同時に、古い社会の遺物を多分にもっている過渡的な社会です。したがって社会主義制度が樹立されたのち、社会主義・共産主義を成功裏に建設するためには、社会主義社会の共産主義的性格を発展させ、その過渡的性格を克服していく原則で人間と自然と社会を共産主義的に改造するたたかいを力強く展開しなければなりません。

 社会主義を建設するためには、人間改造事業を促進して、人々を国家と社会の主人としての責任と役割をまっとうできる共産主義的人間につくりあげ、自然改造事業を力強く推し進めて、社会主義的生活を物質的に裏打ちできる強固な土台を築かなければなりません、これとともに、すべての社会関係を社会主義社会の要求に即応して改造し、社会主義的な国家、社会制度を完成しなければなりません。こうして社会主義的な主体が確立し、社会主義の物質的、技術的土台が強固に築かれたとき、そして社会生活全般を社会主義的方式で管理運営していけるようになったとき、初めて社会主義は自己の完全な姿を備えることになるといえます。

 社会主義制度が樹立されたのち、第一義的に解決すべき根本問題は、人々の思想、意識と創造的能力を高めて、人民大衆が国家と社会の主人としての責任と役割を果たせるようにすることです。社会主義制度の樹立によって国家と社会の主人となった人民大衆が主人としての責任と役割を果たすためには、主人の地位と役割に相応した高い思想・意識と創造的能力を身に付けなければなりません。社会主義制度の樹立後、人民大衆が備えるべき思想的・精神的風格と資質は、それ以前の時期と質的に変わったものでなければなりません。古い搾取制度をくつがえし、社会主義制度を樹立するためにたたかうときは、搾取と抑圧に反対する強い階級意識と闘争精神をもつことが重要でしたが、社会主義建設をめざすたたかいにおいては国家と社会の利益を個人の利益より重んじ、そのために献身的にたたかう集団主義思想をもつことが最も重要な問題となります。また、古い搾取制度の転覆では反動的支配階級の反革命暴力を打ち破るための闘争力をもつことが重要でしたが、社会主義を建設するためには自然と社会関係と人間自身を共産主義的に改造する能力をもつことが切実な要求となります。社会主義制度が樹立されたのち、人々が集団主義思想をもたず、個人所有を集団的所有より重んじ、共同労働に熱意を示さなかったり、国家と社会の主人としての高い創造的能力を備えず、国家管理と経済管理が正しくできなくなれば、社会主義社会は事実上、主人のいない社会となり、そういう状態では社会主義がその優位性を発揮することも、また発展することもできません。

 人民大衆に社会主義社会が要求する高い思想、意識と創造的能力を身につけさせるためには、思想革命と文化革命を力強く押し進めなければなりません。思想革命と文化革命を通じて、人々を古い思想と文化的後進性から解放し、共産主義思想と高い文化水準を持った共産主義的人間につくりあげる人間改造事業がおこなわれます。

 思想革命は、人々を自主的な思想、意識で武装させ、社会主義・共産主義社会の主体をつくり上げる事業であり、人間改造事業の基本をなします。人間改造は本質において思想改造です。我が党は文化一般から思想を分離し、思想、意識がすべてを決定するという思想論を示しました。思想、意識がすべてを決定するというのは、人間の行動を決める決定的要因が思想、意識であるという意味です。

 人々の思想、意識はおのずと改造されるものではありません。思想、意識を単なる現実世界の反映とみなし、社会制度が変わり物質的条件が変われば人々の思想、意識もそれにともなって変わるものと考えるのは誤りです。客観的条件の変化は人々の思想、意識の発展に一定の作用をしますが、社会主義制度が樹立され、物質的富が増えるからといって、人々がひとりでに共産主義的思想をもつようになるわけではありません。搾取と抑圧がなくなり、物質生活が豊かになるほど、それに合わせて思想教育をさらに深めなければなりません。そうしなければ、かえって人々の革命性が弱まり、安易に暮らそうとする安逸な思想傾向がしだいに増長するようになります。人々の頭の中から利己主義をはじめ、あらゆる古い思想を根こそぎにし、人々を共産主義的な革命思想で武装させることができるかどうかによって、社会主義建設の成果と社会主義の運命が左右されます。物質万能の原理が作用する資本主義社会ではカネが生命であるとすれば、人民大衆が主人となっている社会主義社会では、思想が生命であるといえます。人民大衆が社会主義思想で武装し、それに基づいて一つに団結すれば社会主義は勝利し、人民大衆が思想的に病めば社会主義は滅びます。資本主義社会に対する社会主義社会の優位性はまさに思想の優位性であり、社会主義の威力はとりもなおさず、思想の威力です。それゆえ、思想革命をおろそかにするのは、社会主義建設において生命線を見落とすことになります。

 我が党は、社会主義建設のたたかいで思想革命を最も重要な課題とし、思想革命を確固と優先させる原則を一貫して堅持しており、革命と建設が前進するにともなって思想革命をたえず深化発展させています。

 思想革命を遂行するうえでの基本は、すべての人を我が党の革命思想、チュチェ思想で武装させ、それに基づいて全社会の思想的統一を確固と実現することです。

 社会の全構成員を一つの革命思想で武装させ、それに基づく思想的統一を実現するのは、社会主義社会本来の要求であり、社会主義を成功裏に建設するための最も重要な問題です。人々の階級的立場がまちまちであり、利害関係が対立している資本主義社会では、人々の思想を一つにすることは不可能であり、社会の思想的・政治的統一について考えることはできません。資本家階級はかえって勤労者の思想的自覚と統一団結を妨げるため、意識的に雑多な反動思想を流布します。しかし、社会主義社会ではすべての人が社会主義・共産主義を志向する共通の目的と利害関係をもっているため、社会の全構成員を共産主義的革命思想で武装させ、それに基づいて全社会の統一団結を実現することができ、またそうするときにのみ革命の強固な主体をきずき、主体の役割をたえず高めることができます。

 革命の主体はほかならぬ領袖、党、大衆の統一体であります。我が党は思想革命の遂行において、人々を革命的領袖観と組織観、大衆観で武装させ、全人民を党と領袖のまわりに結集し、運命をともにする一つの社会的政治的生命体につくりあげることに中心をおいています。

 革命的領袖観、組織観、大衆観にかんする思想は、革命の自主的主体に対する科学的解明に基づいている独創的な思想です。

 領袖は社会的政治的生命体の中心であり、人民大衆の意思を体現した最高頭脳です。領袖と大衆との関係は、革命思想と同志愛で結合された社会的政治的生命体内での血縁的関係です。生命体と頭脳を切り離して考えられないように、人民大衆を抜きにした領袖、領袖をぬきにした人民大衆について考えることはできません。

 朝鮮人民の栄えある闘争史は、卓越した領袖の賢明な指導があり、人民大衆が領袖の指導に忠実であれば、革命偉業は必勝不敗であることを実証しています。日本帝国主義支配の暗たんたる時期、朝鮮人民は解放闘争に立ち上がりましたが、最初のうちは真の人民の領袖を迎えることができなかったため、むだな血を流さなければなりませんでした。朝鮮人民は偉大な領袖金日成同志を団結の中心、指導の中心に仰ぐようになってはじめて、組織的な武装闘争を展開し、日本帝国主義を打倒して祖国の解放をなし遂げ、 最も困難かつ複雑な朝鮮革命をこんにちにいたるまで成功裏に前進させることができました。金日成同志は不滅のチュチェ思想を創始し、朝鮮人民に自主的人民の真の精神を植えつけ、永生の社会的政治的生命を与えるとともに、全人民を一つの革命的大家庭に結集して百戦百勝の英雄的人民に育てあげました。それゆえに、朝鮮人民は金日成同志を革命の偉大な領袖としておしいただいているばかりでなく、自己の生命の恩人として、慈父として限りなく敬慕し、金日成同志に忠誠と孝心を尽くしているのです。金日成同志の賢明な指導と金日成同志に対する人民の絶対的な忠実性を抜きにしては、朝鮮革命の誇りにみちた道程と輝かしい勝利について考えることはできません。国際共産主義運動の歴史的経験は、卓越した領袖の指導をうけるとき、人民大衆の革命偉業はいかに困難で複雑な状況のもとでも成功裏に前進するが、そうでない場合は紆余曲折を免れず、まして偶然分子、革命の背信者が党の指導的地位をしめたときは、長期にわたり血をもってかちとった革命の獲得物を敵に奪われ、革命を台無しにしてしまうことを示しています。

 党は社会的政治的生命体の中枢組織です。人民大衆は党の指導のもとでのみ、生命の中心である領袖と組織的・思想的に結びついて社会的政治的生命をもち、革命の自主的主体をなすことができます。それゆえ、すべての人が領袖を中心とする社会、政治組織を自己の政治的生命の母体とみなし、組織の一員として革命偉業の勝利をめざして組織的にたたかうよう教育することが重要です。

 革命の主人はあくまでも人民大衆です。領袖はほかならぬ人民大衆の最高頭脳であり、党は人民大衆の中核部隊です。人民大衆を革命の主人とみなす革命的大衆観で武装してこそ、人民大衆の利益のためにすべてをささげてたたかう人民の真の奉仕者になり、いかに困難な問題も大衆に依拠して自力で解決していく、革命と建設の頼もしい担い手になれます。活動家は革命的大衆観で武装しなければ、人民大衆を無視し、権勢と官僚主義を振るうようになり、大衆の創造力を引きだそうとせず、他人に頼ろうとする外部勢力依存思想と困難に屈する敗北主義に陥るようになります。

 人々が社会的政治的生命体の一員として 革命にあくまで忠実であるためには、正しい領袖観、組織観、大衆観を身に付けなければなりません。革命的領袖観、組織観、大衆観は、チュチェ型の共産主義的革命家の基本的表徴です。それゆえ思想革命ではすべての人を党と領袖にかぎりなく忠実で、人民大衆に献身的に奉仕するよう教育することに基本をおくべきです。

 思想革命を強化して人民大衆を革命的に教育し、革命の主体をしっかりきずいておけば、いかなる状況にあっても社会主義建設を成功裏に推し進め、社会主義偉業をかたく守ることができます。我が国では、党の正しい指導のもとに思想革命が成功裏に推し進められたため、全人民がチュチェ思想で武装し、党と領袖のまわりにかたく結集し、革命と建設の主人としての責任と役割を忠実に遂行しています。朝鮮人民は革命を進める人民としての高い誇りと自負をいだいて、社会主義を建設する誇りにみちたたたかいにすべての力と知恵を尽くしており、かれらのあいだでは、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という集団主義的原則で互いに助け導きあいながら、革命的に働き生活する共産主義的気風が高く発揚されています。こんにち人民のあいだでは、陰ひなたなく、ひたすら社会と集団のために、党と革命のために黙々と一生をささげて献身的にたたかう隠れた英雄と隠れた功労者の隊列が日を追って増えており、かれらに見習う運動が社会的に力強く展開されています。これは、朝鮮人民の思想的・精神的風格がいかに高い境地に達しているかを如実に物語っています。領袖、党、大衆が生死と運命をともにする一つの社会的政治的生命体として結びつき、全社会が一つの革命的大家庭をなしているのは、我々が誇りとするわが社会の真正な姿です。全人民が党と領袖のまわりに鉄のごとく団結し、自信と楽観にみちてたたかい生活しているところに、我が国の社会主義の強固さと不敗性の源があり、いかなる波風と試練にも打ち勝ち、チュチェの革命の偉業を最後までなし遂げることのできる確固たる保障があります。

 文化革命は、人々を古い文化の束縛から解放し、人民大衆に奉仕する社会主義文化を創造して、すべての人が社会主義的な文化生活を享受できるようにする事業です。搾取社会では人民大衆が文化的に早く発展できる十分な条件と可能性がととのえられないので、全般的文化水準が低い状態にあります。そして、少数の特権層が勤労者大衆を搾取し従属させ、退廃的な享楽をむさぼるのに奉仕するブルジョア反動文化は、麻薬のように人々の精神をむしばみ、健全な文化生活を妨げる極めて有害な作用をします。人々の生活と慣習に長いあいだ深く染み込んで伝わってきた古い文化の残りかすを一掃して社会主義的な新しい文化を確立する活動は、資本主義と社会主義との原則的なたたかいです。社会主義制度が樹立されたのち、文化分野での革命を続けなければ、人民大衆を文化的後進性と非人間的な古い文化の束縛から解放して高い創造的能力の所有者に、真の社会主義的文化生活の享受者にすることができません。社会主義文化を発展させることは、帝国主義者の思想・文化の浸透を成功裏にくいとめる重要な条件となります。帝国主義者は他国に対する侵略と支配を実現するうえで、まず反動的ブルジョア文化を浸透させ、その国の民族文化を抹殺し、人民の民族自主意識と革命精神を麻痺させる戦略を追求しています。社会主義文化を立派に開花発展させ、人民が社会主義的文化生活を思う存分営めるようにして、社会主義文化が資本主義文化を圧倒してこそ、人々は腐りきったブルジョア文化に幻惑されなくなり、帝国主義者の思想・文化の浸透がつうじなくなります。

 文化革命遂行における重要な戦略的目標は全社会のインテリ化です。人間改造の見地からすれば、社会主義・共産主義を建設する過程は社会の全構成員を革命化、労働者階級化する過程であると同時にインテリ化する過程です。革命化、労働者階級化が人々の思想、意識水準における差をなくす活動であるなら、全社会のインテリ化は社会の全構成員を高い知識水準と文化的素養を身につけた共産主義的人間に変えて文化水準における差をなくす活動であるといえます。社会主義制度が樹立されて階級的対立関係が一掃された後は、すべての人を革命化、労働者階級化するとともに、インテリ化する方向に進むべきです。社会主義制度の樹立によって、インテリは労働者階級と同様、国家と社会の主人となり、社会主義的勤労者として労働者階級と同一の社会的・階級的基盤をもつようになります。しかし、インテリと労働者階級は、労働生活における特性からして互いに区別される特徴をもっています。もともと、無産者として搾取と抑圧に反対する闘争を通じて革命の指導階級に成長してきた労働者階級は、強い革命性と組織性をもっていますが、インテリに比べて文化、技術水準が低く、インテリは労働者階級より文化、技術水準が高い反面、革命性と組織性が弱いのです。労働者階級とインテリのこのような差は、社会主義建設が進捗して全社会が革命化、労働者階級化され、インテリ化されることによって最終的になくなります。共産主義的人間改造事業は結局、人々を自主的な思想、意識と高い創造的能力を備えた、全面的に発達した人間に変える事業であり、社会の全構成員を労働者階級化されたインテリに、インテリ化された労働者階級にする事業です。

 文化革命で優先的に力を入れるべき重要な問題は、教育事業を発展させることです。教育事業は社会主義・共産主義建設の成否と民族の将来を左右する根本問題の一つです。そのため我が党は常に教育事業を重視し、それに大きな力をそそいできました。我々は解放後、人民に教育の権利を与え、文盲を退治し、次代のための学校を建てることから新しい祖国の建設をはじめ、生死を決する厳しい祖国解放戦争の砲火のなかでも教育事業を中断しませんでした。我々は戦禍を取り除き、社会主義革命と社会主義建設を推し進める困難な状況のもとでも、全般的無料義務教育制を系統的に実施し、学校教育と社会教育を結び付け、働きながら学ぶ教育制度を発展させて、新しい世代と勤労者がみな国家の恩恵によって教育を受けられるようにしました。我々は祖国と民族の将来のために万難を排して努力した結果、勤労者の文化水準を全般的に高等中学校修了程度に引き上げ、それに基づいて現在は全社会をインテリ化する高い目標をかかげ、その実現をめざしてたたかっています。

 我が党は教育事業で革命的原則を一貫して堅持しています。社会主義教育は人々にたんなる知識や技術のみを習得させる実務的事業ではありません。社会主義教育の使命と任務は、人々を党と革命のために、祖国と人民のために身をささげてたたかう革命人材に育て上げることによって、共産主義偉業の遂行に寄与することです。我が党は、教育事業で主体性を確立し、党性、労働者階級性、人民性を具現し、教育と革命実践を結びつけることを社会主義教育の重要な原則とし、それを貫徹してきました。我が党の正しい教育政策によって、我が国では新しい世代が思想的に堅実で、実用的な知識と実践能力を兼備したチュチェ型の共産主義的人間に育成されています。社会の全構成員が幼いときから老いるまで一生のあいだ勉学し、教育を通じて高い思想、意識と創造的能力を兼備した新しい型の共産主義的人間に育成されている我が国を、世界の人々が「教育の国」と高く評価しているのは決して根拠のないことではありません。

 人民に社会主義的文化生活を十分に保障するためには、人民大衆の自主的志向と思想感情、情操にかなった革命的で人民的な新しい文化を創造しなければなりません。そうした社会主義的文化を創造し発展させてこそ、あらゆる非文化的で立ち後れた生活慣習を一掃して社会主義的な生活方式を全面的に確立し、人民が健全で気高い精神と道徳をもって自信と楽観にみちてたたかい、生活できるようにすることができます。

 我が党の正しい社会主義文化建設路線が貫徹された結果、こんにち我が国では、人民大衆の自主的志向と革命的要求を反映した主体的文化・芸術が勤労者に大いに親しまれ、さん然と開花発展しており、社会のすべての文化的財貨がもっぱら人民の文化水準の向上と多様な文化情操的要求の充足に寄与しています。我が国では文学と芸術、保健医療、スポーツなど、すべての文化活動が大衆化、日常化され、全人民が文化の創造者、享受者として、社会主義文化の発展のために自己の知恵と才能を見事に開花させており、豊かで多様な文化・情操生活を思う存分たのしんでいます。我が国には資本主義社会のように人々を堕落させ、精神的・肉体的障害者にする不倫背徳と社会悪がありません。こんにち朝鮮人民のあいだでは、互いに尊重し協力し、喜びも悲しみもともに分かち合う気高い社会主義道徳が一般化しており、健全な社会主義的生活様式が全社会を確固と支配しています。じつに、こんにち我が国では、家庭と職場のどこでも革命的楽観がみなぎっており、我々の主体的文化・芸術は人民のあいだで民族的誇りと自負を高め、思想・精神生活を健全にし、かれらを革命闘争と創造的労働に立ち上がらせる強力な手段となっています。

 自然を改造して社会主義の物質的、技術的土台を強固に築くことは、社会主義制度の樹立後、人間改造事業とともに社会主義建設の前面に提起される重要な課題です。社会主義制度を樹立したあと、生産力を速やかに発展させて社会主義制度に相応した物質的、技術的土台を築かなければ、社会主義は基礎の弱い建物のようにその存在を長く維持することができず、人民に自主的で創造的な物質生活と労働生活を保障することもできません。

 技術革命は、自然を改造して社会主義・共産主義社会の要求に即応した物質的、技術的土台を築く根本的な方途です。思想革命と文化革命が人間を改造して共産主義社会主体をととのえる事業であるなら、技術革命は自然を改造して共産主義社会の物質的条件をつくる事業です。資本主義社会では技術改造が少数資本家のあくなき物欲をみたすための手段となりますが、社会主義社会における技術革命は、勤労者に平等で豊かな労働生活と物質生活の条件を保障することによって、搾取と抑圧から解放された勤労者を自然の束縛からも解放し、人民大衆の自主性を完全に実現するための重要な革命課題となります。

 社会主義社会における技術革命は、技術を発展させて勤労者を骨のおれる労働から解放し、人民の自主的要求に即した社会主義の自立的民族経済を建設し発展させることに寄与しなければなりません。現代技術に基づいて独り立ちできる自立的経済を建設してこそ、人民に自主的で創造的な労働生活と物質生活を確実に保障し、思想における主体、政治における自主、国防における自衛を実現して、国の独立を強固にすることができます。したがって、技術革命はかならず主体的立場にしっかりと立って人民経済の主体化、現代化、科学化を円滑に実現する原則に基づいて遂行し、自国の具体的な実情に即して、そして自国人民の創造的エネルギーに依拠して遂行しなければなりません。

 技術革命を遂行するうえで、自分の力を信じようとせず、資本主義国の発達した技術に幻想をいだくのは極めて有害なことです。科学と技術の発展で資本主義が社会主義よりまさっているかのように考えるのは、根本的に誤った見解です。どの社会でも科学と技術を発展させる担い手は勤労人民大衆です。科学と技術を発展させるうえで、個人主義に基づき人々の利害関係が対立している資本主義社会に比べ、すべての勤労者が国家の主人として科学技術の発展に切実な利害関係をもち、技術の発展を国家が統一的に掌握して社会主義経済法則に即して計画的に推し進める社会主義社会がはるかにまさっていることは疑う余地もありません。技術革命に対する正しい観点をもって主体的立場にしっかりと立ち、自国の経済的潜在力を最大限に活用し、人民大衆の革命的熱意と創造的知恵を十分に発揮させるならば、経済と技術をすみやかに発展させることができます。

 社会主義制度の樹立後、技術革命を力強く推し進め、経済的自立を確固と実現できるよう重工業と軽工業、農業など人民経済の各部門を現代技術で装備しなければなりません。近代的な重工業を創設し、それに基づく人民経済全般の 技術改造を実現してこそ、勤労者を骨の折れる労働から解放し、社会主義社会の要求に応じて生産力をすみやかに発展させることができます。我が党は社会主義制度の樹立後、技術革命を促進して社会主義的工業化を実現することを社会主義経済建設の当面の中心課題として打ち出し、その遂行へと勤労者大衆を力強く動員することによって、歴史的に極めて短い期間に人民経済の植民地的跛行性と技術的後進性を克服し、社会主義的工業化の歴史的課題を立派に実現しました。

 金日成同志は、社会主義的工業化実現後の技術革命の重要課題として、重労働と軽労働の差、農業労働と工業労働の差をなくし、女性を家事の重い負担から解放するという三大技術革命の課題を打ち出し、その実現に向けてのたたかいを賢明に指導してきました。我が党の三大技術革命路線は、勤労者を骨の折れる労働から解放し、すべての勤労者に自主的で平等な労働生活を保障する社会主義的技術革命の原則を最も立派に具現しています。

 我が党の指導のもとに技術革命が成功裏に推し進められた結果、社会主義の物質的・技術的土台がいっそう強化されたばかりか、勤労者の労働生活と物質生活においても大きな転換がもたらされました。我が国では高熱労働と有害労働がなくなり、骨のおれる労働は著しく減少し、勤労者には安全な労働条件と十分な休息が保障されています。こうして、勤労者の創造的労働生活は日増しに楽しくはりあいのあるものとなっています。技術が発達し社会主義経済建設が成功裏に推し進められるにつれて、人民の物質生活も系統的に向上しています。こんにち、我が国では、すべての勤労者が能力と素質にふさわしい職業を保障されており、まだ裕福とはいえないまでも、食・衣・住の心配をすることなく幸福に暮らしています。我が国にはきわだった金持ちも貧乏人もいなければ、失業者や浮浪者もいません。我々は現代技術で装備された強力な自立的民族経済を建設した結果、決心さえすればどんなことでも自分の力でできるようになり、世界的な経済変動にも大きな影響をうけずに人民経済を安全に発展させています。貧富の差が甚だしく、人々が明日を予測できない不安のなかで生活している資本主義社会とは異なり、強固な自立的経済の土台に依拠し、すべての勤労者が等しく働き、何の心配もなく格差のない暮らしをしている我が国の現実は、我が党が経済建設と技術革命の遂行において社会主義的原則を確実に具現していることがいかに正しいかを実証しています。

 人民政権を強化し、その機能と役割を高めることは、社会主義社会を正しく管理運営し、社会主義、共産主義建設を成功裏に推し進める決定的な保障となります。

 人民政権は社会主義社会の主人である人民大衆の自主権を代表し、社会主義社会の生活全般を統一的に管理する指揮権です。人民政権によって人民大衆の自主性が保障され、創造的活動が統一的に進められ、社会主義建設が推進されるのです。したがって、社会主義建設の進捗にともなって人民政権をいっそう強化し、その機能と役割をたえず高めなければなりません。人民政権がその機能と役割を円滑に果たしてこそ、思想、技術、文化の三大革命を力強く推し進めて人間改造と自然改造を成功裏に行い、政治、経済、文化の各分野にわたって社会関係を社会主義的に改造し、発展、完成させていくことができます。我が党が思想、技術、文化の三大革命の遂行とともに人民政権の強化とその機能と役割の向上を社会主義建設の総路線の重要な内容として打ち出している理由はここにあります。

 社会主義社会をどのように管理運営すべきかという問題は、社会主義制度の樹立後、新たに提起される重要な問題です。社会主義社会は人民大衆が国家と社会の主人となっている社会であるので、社会の管理も人民大衆自身が主人となる新しい社会主義的方式で行わなければなりません。人民大衆が国家政権と生産手段の主人になったとしても、管理における主人として社会を社会主義の本性に即して管理しなければ、主人の地位と役割を満足に保障できず、社会主義制度の優位性を大いに発揮させることも、社会主義建設を成功裏に推し進めることもできません。

 旧社会の遺物である官僚主義的統治方法を一掃し、社会主義社会の本性にふさわしい社会主義的管理方式を確立することは、社会主義政権の樹立に劣らぬ困難かつ複雑な事業です。国家政権を階級的支配を実現する独裁の武器と規定した従来の理論では、搾取階級の政権と社会主義政権の本質的相違を主に階級的性格における差とみなし、無階級社会が実現して階級的支配が不要になれば、社会主義国家は凋落するものとみました。このような見解は、社会主義・共産主義建設の実践とは合致しません。階級的支配の手段としての旧国家は社会主義革命によって破壊され、新たに樹立された社会主義政権は、社会の主人となった人民大衆の自主的で創造的な活動と、社会のすべてがの分野を統一的に管理する使命をおびた新しい国家・政治組織です。社会主義国家の統一的指揮機能は、社会主義・共産主義建設が進捗するにつれていっそう強化されるべきであり、このような機能は共産主義社会に移行した後も必要です。したがって、社会主義政権は決して凋落することがなく、政権問題は社会主義革命の段階だけでなく、社会主義・共産主義建設の全歴史的期間においても、依然として最も重要な問題となります。

 偉大な領袖金日成同志は、我が国における社会主義制度樹立後の変化した新しい環境の要求に応じて、人民政権の活動体系と方法の改善を重要な課題として打ち出し、チョンサンリ(青山里)精神、チョンサンリ方法とそれを具現したテアン(大安)の事業体系を創始して、社会主義社会本来の要求に見合った社会管理体系と方法を確立する歴史的課題を立派に解決しました。

 テアンの事業体系は、党の唯一的指導と革命的大衆路線を結合させ、人民大衆に国家と社会の主人としての責任と役割をまっとうさせる事業体系であり、社会主義国家活動の根本原理を具現しています。テアンの事業体系は社会主義経済の指導管理体系としてだけでなく、社会主義社会全般を管理運営する政治方式としての普遍的な意義をもっています。テアンの事業体系を創始し、それを、社会の各分野に具現したことは、社会主義政権の樹立と、生産手段に対する社会主義的所有関係の確立に劣らぬ、社会改造分野での大革命だといえます。

 社会主義的管理体系と方法を確立するうえで最も重要なのは、党の指導のもとに社会に対する国家の統一的な指導を実現することです。

 党は社会主義社会の主体である人民大衆の中核部隊であり、社会主義・共産主義建設を導く指導的政治組織であります。党は、人民大衆の意思を集大成した路線と政策を提示して政権の活動方向を示し、政権機関が人民大衆の利益と要求に即応して活動するよう政策的指導を行います。党の指導を抜きにしては、社会主義政権が人民の政権としての使命と役割を果たすことはできません。社会主義政権は党の路線と政策の実行者であり、社会全体に対する党の指導は、最も包括的な政治組織である国家政権を通じてのみ、しっかりと保障され実現されるのです。

 人民政権に対する党の指導は政策的指導でなければならず、人民政権の活動は党の路線と政策を貫徹するものでなければなりません。金日成同志が教えているように、党と行政との関係は、舟に例えれば舵取りとこぎ手の関係と同じです。舵を正しくとり、櫓を上手にこげば舟がまっすぐに速く進むように、党が政策的指導を正しく行い、政権が党の指導のもとに自己の役割を円滑に果たせば、社会を人民大衆の意思と要求どおりに偏向を犯すことなく管理運営していけます。

 社会主義国では労働者階級の党が政権党であるので、党組織の活動において、ややもすれば行政活動を代行し、国家機関の創意性を弱めるおそれがあります。したがって政権機関の活動の指導にあたっては、行政化の傾向が生じないよう警戒する必要があります。同時に、党の「行政化」に反対し、国家政権の「独自性」と「自立性」を高めるという口実で、政権に対する党の指導を拒んだり弱めようとする傾向も断固排除しなければなりません。人民政権に対する党の指導がなければ社会主義政権はブルジョア政権に変質し、党が政権に対する指導を放棄すれば、人民大衆の運命に責任をもつ前衛部隊としての存在を終えるようになります。

 党の指導のもとに社会に対する統一的指導を保障するのは、社会主義国家の基本的な機能です。

 社会主義社会は、すべての社会生活が個人主義に基づく資本主義社会とは異なり、全人民が共通の目的と利害関係をもち、ともにたたかう集団主義社会です。国家の統一的な指導がなければ、社会共通の利益に基づいた人民大衆の集団と協力を正しく実現することができず、社会主義・共産主義建設をめざす人民大衆の闘争を合目的的に導くことができません。したがって、人民政権は、政治、経済、文化など社会生活のすべての分野を統一的に指導し管理しなければなりません。

 人民経済を国家の統一的指導のもとに、計画的に管理運営するのは社会主義経済発展の合法則的要求です。生産手段が人民の所有になっている社会主義社会においては、人民の代表者である国家が当然、経済を統一的に管理運営しなければなりません。社会主義社会においては国家の統一的な指導のもとでのみ、国内の経済的潜在力を最大限に動員し、人民大衆の自主的要求と利益に即して経済を急速に発展させることができます。経済に対する国家の統一的な指導と企業所の創意性を対立させたり、経済規模が大きくなった条件のもとでは経済の計画的な管理運営が不可能だとして、国家の統一的指導を否定するのは根本的に間違っています。問題は、経済に対する国家の統一的指導を、どのような原則に立って、いかなる方法で実現するかにあります。これまで一部の国が社会主義経済を統一的に指導するうえで誤りがあったとすれば、それは経済発展の客観的法則と具体的な実情を無視して行政的な天下り式の方法で管理し、統一性のみを強調して、個々の部門と単位の創意性を発揮させることをおろそかにしたことだといえます。したがって、経済に対する国家の統一的指導そのものに反対するのでなく、社会主義的要求に即応してその方法を改善しなければなりません。個々の企業所の独自性と当面の経済的利益を前面におしたて、国家の指導と統制を拒むならば、結局は社会主義経済制度を破壊し、資本主義的市場経済を復活させる結果をまねきます。経済規模が大きくなれば、計画指標が膨大になるので経済を計画的に管理運営できないとするのは、経済が発展すれば人間が経済の付属物になるという主張と同じく、途方もないものです。経済の発展に即応して国家が経済管理活動家と勤労者のレベルを引き上げ、経済管理を科学化するならば、社会主義経済を計画的に管理運営し、その優位性を強く発揮させることができます。

 社会主義的管理体系と方法を正しく確立するためには、党活動と国家活動で革命的な大衆路線をつらぬかなければなりません。

 社会主義社会では政権の主人も人民大衆であり、政治の担い手も人民大衆であります。人民大衆が国家と社会の主人としての地位をしめ、主人としての責任と役割を果たせるようにする革命的大衆路線は、党と国家活動の最高原則です。社会主義的民主主義を満足に保障する問題も官僚主義をなくして人民大衆の創意性を最大限に発揮させる問題も、革命的大衆路線をいかにつらぬくかにかかっています。人民政権のすべての活動は、まさに革命的大衆路線から出発すべきであり、人民政権の活動体系と方法は、人民大衆にしっかり依拠し、人民大衆に奉仕するものでなければなりません。人民政権機関の活動家は、常に人民大衆の要求と利益に即して活動すべきであり、人民のなかに深くはいってかれらと苦楽をともにし、大衆を党政策の貫徹へと力強くふるいたたせなければなりません。

 人民に奉仕する人民政権の活動で、旧社会の統治方式である官僚主義は絶対に許されてはなりません。人民政権機関の活動で、人民大衆の意思と要求に反することをやたらに押し付ける官僚主義が許されるならば、人民大衆の自主性と創意性を抑制し、党と政権を人民大衆から遊離させ、結局は社会主義制度の優位性を十分に発揮させることができなくなります。

 社会主義社会で官僚主義が生じるのは、活動家に古い思想が残っており、社会管理分野で古い統治体系と方法の残りかすが完全に克服されていないためです。官僚主義を克服するためには、古い思想と古い管理方式の残りかすを根こそぎにし、大衆路線を具現したチョンサンリ精神、チョンサンリ方法とテアンの事業体系の要求を確実につらぬかなければなりません。

 階級闘争が続く過渡的な社会である社会主義社会では、国家が反社会主義的要素に対する独裁の機能も果たさなければなりません。

 社会主義・共産主義建設は敵対分子、帝国主義者との深刻な闘争をともないます。帝国主義者の反社会主義的策動が続き、内部にかれらと内通する不純分子がいる状況下で、社会主義政権は常に革命の武器として、反革命的・反社会主義的要素が増長しないようにし、帝国主義者と内部の反動派が革命と建設を妨害し、社会主義制度を破壊しようとする策動をいち早く粉砕しなければなりません。過度的社会である社会主義社会において政権の独裁機能を弱めれば、人民に民主的自由と権利を保障できなくなり、革命の獲得物も固守できず、社会主義制度そのものを危険に陥れることになります。人民政権を強化し、その機能と役割を高めるところに、社会主義偉業を固守し完成しうる確固たる保障があります。

 人民政権を強化し、その機能と役割をたえず高め、思想、技術、文化の三大革命を確実に遂行するという我が党の総路線は、我が国の社会主義建設に立派に具現されており、その正当さと生命力は実践を通じて実証されています。

 朝鮮人民は社会主義建設において我が党の総路線を一貫して堅持し、徹底的につらぬくことにより、最も困難かつ複雑な状況のもとでも、革命と建設の各分野で偉大な勝利をおさめ、この地に人民大衆中心の朝鮮式社会主義を立派に建設しました。全人民が党と領袖のまわりに一心団結して革命の強力な主体をなし、社会主義が自主、自立、自衛の強固な基礎のうえで発展し、人民の自主的で創造的な社会主義的生活が全面的に開花しているのは、我が国の社会主義の大きな優位性です。朝鮮人民は実際の生活を通じて、社会主義だけがあらゆる形の支配と従属、社会的不平等をなくし、人民に真の自由と平等、幸せなはりあいのある生活を保障できるのであり、したがって社会主義への道こそが人民大衆の自主的な理想を実現する道であることを信念として体得しました。

 朝鮮人民は自分自身が選択し、自力で切り開いた社会主義偉業の正当さとその前途に対して確固不動の自信をいだいており、党の指導のもとに社会主義の道をあくまで前進する革命的な決意にみちています。朝鮮人民は、これからいかに複雑な情勢が生じても、またいかなる試練にぶつかろうとも、一歩たりとも退いたり、ためらったりすることなく、チュチェ思想を具現した我が党の総路線を最後まで貫徹して、社会主義・共産主義偉業を立派に完成するでしょう。

出典:朝鮮・平壌 外国文出版社 1993

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