『音楽芸術論』−4 音楽の後進育成
 
2 ぬきんでた才能をもつ音楽家の後進は、
系統的に、科学的に育成すべきである


 ぬきんでた芸術的技量をもつ音楽家の後進は、すぐれた音楽的素質と才能の芽を正しく見いだし、科学的かつ系統的な教育をほどこしてこそ立派に育てることができる。

 対象者を正しく選抜することは、世界的なソリストを育てるための先決条件である。すぐれた音楽的素質と才能は、誰もがひとしく備えているわけではない。人の顔形や性格、趣味などが異なるように、音楽的才能と素質のほども人によってそれぞれ異なるものである。ぬきんでた技量のソリストになるためには、音楽的素質と才能がなければならず、肉体的にも一定の条件がそなわっていなければならない。

 才能の芽を見いだすのは、推薦制によってではなく、中央で選抜する原則でおこなうべきであり、誰でも試験が受けられるようにしなければならない。対象者の選抜を学校や機関が推薦した者に限定すると、広範な勤労者と青少年のあいだで育っている芽を見落とすおそれがある。そのうえ、大衆の音楽文化水準が日に日に高まり、音楽的素質と才能をもつ新しい世代が急増しているため、対象者選抜の範囲を限定してはならない。

 対象者の選抜には、経験を積んだ有能な専門家を多く参加させるべきである。後進をじかに育成する専攻部門の教員や専門家を選抜に参加させれば、対象者の音楽的才能と素質のほどを正しく見きわめ、実力と将来性のある新しい芽を選りすぐることができる。

 青少年学生の音楽コンクールを定期的に開くのは、広範な大衆のなかから音楽的素質と才能をそなえた学生・生徒を探しだす重要な方法の一つである。中央と地方で、それぞれの実情に応じて青少年学生の音楽コンクールを開けば、音楽芸術を大衆的に発展させるのにも好都合であり、対象者の選抜も実質的におこなうことができる。

 音楽家の後進育成で重要なのは、すぐれた素質と才能の芽が実を結ぶように、科学的かつ系統的に育てることである。

 いくら人並みはずれた素質をもっていても、それを正しく育てなければ実を結ぶことができない。

 わが党は音楽家の後進育成において、すぐれた素質と才能をもつ人にたいする秀才教育を強化するよう強調してきた。我々のいう音楽の秀才は、帝国主義者やブルジョア御用学者の唱える「秀才論」とは根本的に異なる。かれらが唱える「秀才論」は、人々を最初から「秀才」と「鈍才」に分け、それを絶対化している。かれらの「秀才論」は、反動的なブルジョア「人種論」と「宿命論」にもとづいており、人民大衆にたいする支配を合理化するための搾取階級の反人民的な思想であり、人々の思想・意識と知能発達における教育の決定的役割をゆがめる非科学的な理論である。いま、帝国主義と現代修正主義者は、音楽の思想性と階級性、民族的特性を否定して「純粋音楽」を主張し、創作実技と演奏技巧さえ高ければ音楽の「秀才」と称している。しかし我々は、政治に無関心で、社会発展の一般的原理にもうとい奇形的な人間、極度の個人主義に毒され、人間の理性と良心のかけらまで捨て、自分の名誉と安楽のみを追求するような人は、いくら技巧がすぐれていても音楽の「秀才」とは認めない。我々は、ブルジョア的な「秀才論」を断固排撃し、すぐれた音楽的素質と才能をもつ新しい世代にたいする教育をさらに強化し、かれらを党と領袖のために、社会主義祖国と人民のために献身するチュチェ型の音楽の秀才に育てなければならない。

 世界的なソリストを育てるためには、早期教育を強化する必要がある。

 音楽の素質は幼年期からあらわれるので、それを早く見いだし育んでこそ音楽的才能を伸ばすことができる。幼稚園と人民学校の時期は、音楽の知識と技術を受け入れる知的・肉体的条件がそなわり、早く成長する時期である。音楽にたいする鋭い感受性と、複雑で繊細な技術動作を習得しうる肉体的柔軟性をもつ幼年期から専門教育をほどこし、音楽の基礎を築かせるべきである。

 音楽の早期教育を正しくおこなうには、子どもの知能と実践能力発展の合法則性に即して教育の内容と方法を正しく適用しなければならない。

 音楽の早期教育は、子どもに音楽の基礎を与える専門教育の第一段階である。

 音楽の早期教育ではまず、子どもの音楽的な素質と才能、身体の条件などを総合的に十分検討したうえで、専攻の楽器を正しく選定してやるべきである。子どもの音楽的な素質と体質に見合った専攻楽器を選定してこそ、演奏技量がスムーズに向上する。音楽の早期教育では、正しい音感とリズム感をつちかうレッスンを組み合わせて音楽の基礎固めに重点をおくとともに、技術発展の順序と体系を厳守すべきである。

 幼いときに得た知識は、脳裏に刻まれて長いあいだ残るだけでなく、知能と技術、実践的能力発展の基礎となる。朝鮮のことわざに、三つ子の癖は八十までいくというのがあるが、これは幼いときについた癖はそれほど直しにくいということである。せっかちになって技量上達の順序を守らなかったり、体系もなしにあれこれ教えたのでは悪い癖がつき、かえって技量上達の妨げとなる。

 早期教育の段階では、一つを教えるにしても子どもの将来のことまで考えて正しく教え習熟させるとともに、それが高度の芸術的技量を身につける基礎となるように科学的に教育すべきである。また、子どもに多方面にわたる知識を与え、繊細な感情と音楽的情緒をつちかうことにも深い関心を払うべきである。音楽早期班の子どもたちには、たびたび音楽の鑑賞や音楽公演の観覧をさせ、姉妹芸術も多く見せる一方、教育内容と子どもの知能発達の程度に応じて直観教育、実物教育、現実教育を多様に適用すべきである。それでこそ、幼いときからいかに困難で複雑な技術的課題でも巧みにこなし、作品の思想的・情緒的内容を洗練された音楽的形象によって豊かに深く表現できる立派な音楽家に育つのである。

 専攻の基礎技術練習で強固な意志と持久力を養うのは、音楽家にとって幼いときから必ず生活化、習性化すべき重要な要求である。音楽的技量は、強い創造的熱意とたゆまぬ反復練習によってのみ蓄積され、磨きあげられるのである。すでに、ハイレベルの芸術的技量を習得したソリストも基礎訓練に励んでこそ、その水準を保ち、さらに高めることができる。早期教育の段階から子どもたちにうまずたゆまず技量訓練をおこなう習慣をつけ、一日も欠かさず練習することを生活化、習性化させるべきである。

 高い芸術的技量をそなえたソリストの育成は、音楽の特性に即しておこなうべきである。

 音楽は、人間の生活と思想・感情の情緒的反映であり、それは、固有な表現力をもつ音楽言語によって表現される。高い芸術的技量をそなえた音楽家の後進を音楽芸術の特性に即して育成するということは、音楽の内容表現の特殊性と音楽的形象創造の特性にかなった教育形態と方法にもとづくべきであるということである。固有な言語と文法によって表現される音楽的情緒は、きわめて繊細かつ具体的で、普遍性をもちながらも、演奏者の個性がはっきりあらわれるのが特徴である。

 人間のさまざまな思想・感情と情緒を巧みに表現できる高い芸術的技量と個性をもつ音楽家の後進育成は、きわめて困難かつ複雑で、創造的な活動であるため、授業の形態と方法もそれに応じて適用すべきである。

 音楽の専攻実技で個別指導制を強化するのは、高い芸術的技量と個性をもつソリストを育成するための必須の要求である。

 音楽の専門実技訓練は、音楽的素質の程度と上達水準が異なり、個性もそれぞれ異なる人を対象とするため、一般的な講義や集団的な教授法だけでは、ソリストの後進育成の目的を満足に実現することはできない。新しい芽をすぐれた芸術的技量と強烈な個性をもつソリストに育てるためには、専攻実技教育を徹底した個別指導の方法でおこなわなければならない。音楽実技教育で個別指導制を強化することは、わが党の一貫した方針である。

 個々の学生を相手に教授するからといって、個別指導の目的がおのずと達成されるわけではない。学生をすぐれた芸術的技量と独創的な音楽的形象の創造者に育てるためには、教授内容と各人のレベルに応じて種々の教授法を正しく適用し、教授における図式主義と模倣を一掃しなければならない。同じ学年だからといって同一の教材曲を一律に扱ったり、同じ教材曲だからといって学生のレベルや個性を考慮せず、同一の方法で教えては技量を高めることができず、各人の特技を生かすこともできない。教員が個別指導で「わたしのするとおりにしろ」と押しつけたり、参考として聞かせる外国の作品や演奏の真似をさせる傾向を一掃すべきである。

 個別指導制を強化するためには、各人の長所と短所をよく知り、全面的に深く把握したうえで適切な教材曲を選択し、それを早く正確に習得させる教授法を適用しなければならない。

 専攻実技指導では、より生き生きとした具体的なイメージを与える表現方法と音楽の表現手段、演奏手法に作用を及ぼす科学的な道理を原理的に認識させる論理的な方法を正しく組み合わせる必要がある。音楽は、聴覚器官を通じて感じとる芸術であり、歌手と演奏者の発声器官や指など人体の各部位の意識的な運動によって創造される芸術である。専攻実技訓練で、歌手と演奏者に、自分の出す音を識別し、自分の体質に合わせて美しくソフトな声を出し、いかに困難で複雑な技巧も巧みにこなす調整能力をそなえさせてこそ、かれらを高い芸術的技量をもったソリストに育てることができる。学生に教授内容を正しく理解させるには、人体の生理的構造や運動原理を教え、模範歌唱や模範演奏もしてみせ、テープレコーダーやビデオテープレコーダーなど現代的な技術設備も取り入れ、口の形や表情、腕の動きなどを自分で直せるように鏡なども利用する必要がある。

 音楽芸術の特性に即して芸術的技量のすぐれたソリストの後進を育成するためには、専攻実技教育と創造実践活動を密接に結びつけなければならない。

 音楽の専攻実技訓練の基本は個別指導制であるが、講義だけでは高い芸術的技量と広い知識をもつ音楽家の後進を育成することができない。実技訓練とともに実習を強化してこそ、講義で学んだ知識を確かなものにするだけでなく、実習過程を通じて現実体験をし、音楽実践で新しい知識を得るようになり、舞台度胸をつけることもできる。

 実習を強化するためには、独唱や独奏、アンサンブル、歌劇創作など、さまざまな形態の実習を合理的に組み合わせ、それぞれの実習がより高い水準で実質的におこなわれるようにしなければならない。そのためには、実習の目的と内容を正しく定め、その準備と条件も十分にととのえると同時に、実習の過程でわが党の独創的な創作・創造システムと準則を教え、舞台道徳も遵守するよう要求の度合を強めなければならない。

 舞台度胸を養う重要な方法は、新人に場数を踏ませて舞台に慣れさせることである。技量発表会にもたびたび参加させ、生産扇動をはじめ、舞台公演に計画的に出演させて観衆と息が通うようにしてこそ、舞台に慣れて舞台度胸がつき、芸術的技量を高めることができる。

 すぐれた才能と芸術的技量をそなえたソリストをより立派に育てるためには、音楽部門の教育機関の機能と役割を高めなければならない。

 政治的、思想的に鍛えられ、芸術的技量の高い有能な音楽家は、系統的な専門教育を通じてのみ立派に育成される。

 音楽家の後進は、系統的な専門教育を受けてこそ、思想的・芸術的基礎が強固で、多方面にわたる深い知識をそなえたチュチェ音楽芸術の担い手になれる。

 芸術家の思想・意識と芸術的技量は、創作と創造の実践活動を通じてもある程度向上する。しかし、系統的な専門教育を受けていない芸術家は、進歩が遅く、発展水準においても制約を受けるものである。

 人々は、系統的な専門教育を通じてのみ人類が生み出した思想と文化を広く習得し、自然と社会にたいする正しい見解をもつようになり、自然と社会を改造するための科学と技術を学んでこそ、社会の主人としての責任と役割を果たす資質と品性を十分にそなえるようになる。音楽家も系統的な音楽教育を受けてこそ、金日成同志の主体的な文芸思想と党の独創的な文芸理論を深く体得し、人類が築きあげた音楽文化と世界の音楽芸術の発展趨勢に精通し、音楽芸術の創造における理論的・実践的問題を独自に解決する強固な基礎と創造的能力をそなえるようになる。

 現在、わが国では、就学前教育、正規教育、働きながら学ぶ芸術家の再教育システムなど、音楽家の後進育成のための音楽教育システムが整然と確立されている。

 金日成同志が困難な平和的建設の時期に平壌音楽大学を創設することによって、わが国には歴史上はじめて音楽教育の殿堂が築かれた。

 音楽・舞踊大学は、芸術教育の最高学府であり、チュチェ芸術の発展を担う芸術家の後進を育成する原種場である。わが国の舞台芸術の発展は、音楽・舞踊大学が芸術家の後進をいかに育てるかに大きくかかっている。音楽・舞踊大学では、わが国の舞台芸術をより高い段階に発展させるうえで重要な役割を果たす創作家、芸術家と、世界的な覇権を握ることのできる卓抜な芸術的才能と技量をもつソリストを多数育成すべきである。

 わが党の賢明な指導のもとに平壌市と各道に設立された芸術学院は、有能な芸術家と芸能教員を育てるための芸術家後進養成基地である。芸術学院では、物質的・技術的土台をさらにかため、教育事業をたえず改善して地方の芸術家と芸能教員のレベルをいっそう高め、増大する音楽家の需要を自力でみたすべきである。

 音楽教育機関と各級学校は、既存の音楽教育システムをさらに完備し、その優越性を十分に発揮させて、自己の使命と任務をより立派に果たし、発展する現実の要求に即して音楽芸術教育の内容と方法を改善し、その質をたえず高めるべきである。

 教育の質は、教員の資質によって左右される。教育内容がいくら立派に構成され、教育条件が十分にととのっても、教育の直接の担当者である教員の資質が劣っていては、学生をすぐれた才能と芸術的技量をそなえた音楽家に育てることはできない。高い政治的見識と多方面にわたる豊かな知識をもち、専攻部門に精通し、教育実務的資質を兼備した教員であってこそ、チュチェの革命観が確立し、すぐれた音楽的才能をそなえた革命的な音楽家を育てることができる。

 教員の資質を高めるためには、かれらのあいだで革命的学習気風を確立し、学習を日常化、習性化しなければならない。教員は、革命的学習気風を確立してこそ芸術実務的資質をたえず高めることができ、学生を学業に励ませるためにも好ましい影響を与えることができる。

 教員の資質を高め、音楽の教授内容を党政策化、科学化、現代化するためには、かれらのあいだで科学研究活動を強化する必要がある。音楽部門の学校の教員と研究士は、科学研究活動に精励し、音楽教育と創作・演奏実践上の科学的・理論的問題を深く解明した価値ある論文や参考書を執筆するとともに、水準の高い朝鮮式の教材曲と教則本をより多くつくるべきである。そうしてこそ、学生により広く深い知識を与えることができ、音楽教育で科学化、現代化を実現し、主体性を確立することができる。

 音楽部門の教育機関と科学研究機関で音楽に関する科学研究活動を強化するのは、後進をより立派に育成し、チュチェ音楽をさらに高い段階へと発展させる重要な方途である。

 いま、わが国の音楽科学研究活動は、創作・演奏の実践に比べて立ち後れており、音楽の理論と評論活動も活発に展開されていない。

 我々が歌劇革命を起こして世界の歌劇史上、一大変革ともいうべき『血の海』式歌劇を創造してもう20年になり、革命的で人民的なさまざまなジャンルと形式の音楽創作で独創的な境地を開いた成果と経験も数多い。音楽分野では、チュチェの音楽建設におけるわが党の業績と経験を理論的に深く展開し、創作と演奏での成果を一般化した音楽理論書をより多く出版すべきである。音楽創作と演奏実践でおさめた成果と経験を広く宣伝し、それをさらに高い段階に引き上げるうえで先導的役割を果たす評論活動もいっそう活発に展開すべきである。

 民族音楽の遺産を発掘、保存し、歴史主義と現代性の原則に立って正しく評価し、後進が、朝鮮音楽の歴史をよく知り、新しい時代の要請に即して批判的に継承し発展させるようにすることに力を傾けるべきである。我々は、音楽理論家、評論家の後進をより多く育成し、音楽科学研究機関を物質的にしっかりととのえ、主体的音楽学の発展に新たな転換をもたらさなければならない。

 朝鮮音楽発展の現実的要求に即して音楽出版活動を改善して出版物の種類を増やし、その質をいちだんと高めて、後進の育成とチュチェの音楽芸術の発展に大いに寄与するようにしなければならない。

 芸術教育事業は、党と革命に忠実で有能な創作家、芸術家の後進を育成するはりあいのある誇らしい事業である。音楽芸術部門教育機関の教員と活動家は、自分に課された栄誉ある神聖な義務を深く自覚し、党と領袖、社会と人民に大いに寄与する有能な音楽家をより多く、より立派に育成するために知恵を絞り、努力をつくすべきである。

 立派な音楽を創造することは、決してなまやさしいことではない。

 音楽の主人は、人間であり、音楽の創造者も人間である。音楽は、人間の思想と感情の反映であるとともに、思索と探求、努力と情熱の産物である。美しく高尚で、深奥かつ強烈なのが真の音楽の特徴である。

 チュチェ音楽を創造する音楽家は、チュチェ思想で武装し、チュチェ思想が具現された生活を身をもって体験してのみ、人民大衆の思想と感情に合う美しく高尚な音楽を創造することができる。

 真の音楽を創造するための深い思索と探求は、人民のためにつくそうとする音楽家の高い奉仕精神にもとづいてこそ正しいものとなり、音楽家としての豊かな資質がそなわっていてこそ実を結ぶものである。これに音楽家の血のにじむような努力と情熱がプラスされたとき、その音楽は、まさに力強いものとなる。

 音楽家はつねに、人民にたいして、芸術にたいして誠実でなければならない。

 党の指導に忠実であり、芸術をもって人民に奉仕しようという立場と姿勢が明確で、実践を通じて領袖、党、人民のために献身する音楽家であってこそ、歴史に残る立派な音楽作品を創作することができる。党の指導のもとに歌謡革命、歌劇革命、管弦楽革命などの音楽革命を起こして、チュチェ音楽の全盛期をもたらした意義深い日々が、これを如実に物語っている。

 金日成同志の主体的な文芸思想と、チュチェ音楽の建設における党の業績を固守することは、朝鮮音楽をさらに発展させるための根本問題である。

 金日成同志によって主体的な文芸思想が創始され、朝鮮音楽の根がつくられ、党によって継承され、全面的に開花した朝鮮音楽の革命的な伝統をあくまで擁護し、立派に継承し発展させてこそ、朝鮮音楽の革命的で人民的な性格を守り、朝鮮音楽を社会主義的・共産主義的音楽芸術に発展させることができる。

 音楽芸術部門の活動家と音楽家は、党のふところで育ち、なに不自由なく芸術創造活動をおこなっている大きな誇りと自負をいだき、いかに、はげしい嵐や甘い誘惑にも動揺することのない党の音楽家、革命的音楽家の本分を守り、革命的な音楽作品をより多く創作すべきである。





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