『音楽芸術論』−3 演  奏
 
6 指揮者は楽団の司令官である


 司令官がいてこそ軍隊が戦闘で勝利することができるように、楽団にも司令官がいてこそ演奏を立派におこなうことができる。音楽的形象の質は、指揮者がどのように演奏スタッフを導き、指揮するかによって大きく左右される。指揮者の統率力が弱く、指揮が下手だと、立派な音楽的形象を創造することができない。

 指揮者の基本的任務は、演奏スタッフにたいする組織・政治活動と音楽の形象上の指導を立派におこなうことである。

 指揮者は、音楽的形象を創造する芸術家である前に、演奏者の創造活動の全過程を直接担当する教育者、組織者でなければならない。

 演奏は、演奏者の集団的な知恵と努力の産物である。演奏をすぐれたものにするためには、それに参加するすべての演奏者が、一つの思想、意志でかたく団結し、誰もが主人としての立場に立って自分の責任と役割を果たさなければならない。

 演奏者の思想、意志の団結をなし遂げ、かれらの政治的自覚と創造的情熱を呼びおこして、与えられた演奏課題を最高の水準で立派に果たすためには、楽団の司令官である指揮者が、演奏者にたいする組織・政治活動にしっかり取り組まなければならない。指揮者がまず、政治活動、対人活動をおこなって演奏者の心を動かし、仕事の手配を綿密にして楽団を正しく導いてこそ、音楽的形象で成果をおさめることができる。

 指揮者は、音楽の形象上の指導に大きな力を注ぐべきである。

 形象上の指導は、音楽的形象を創造する指揮者の才能と能力が発揮される基本分野である。形象上の指導をしっかりおこなうところに、創作家も演奏者も肩代わりすることのできない、音楽的形象に責任を負う指揮者の役目があり、特出した役割がある。

 指揮者は、演奏者の演奏技術上の問題はもとより、動作や表情にいたるまで、形象上の指導を正しくおこなわなければならない。

 指揮者は、演奏者の演奏技術上の問題を解決することに第一義的な関心を払うべきである。

 音楽の形象化レベルは、演奏者の演奏技術と直接的につながっている。演奏者の演奏技術が高くてこそ、どんな音楽でも立派に形象化することができる。

 演奏技術は個々人の技量に関する問題であるが、演奏者の才能と努力だけでは演奏における技巧をすべて解決することはできない。音楽的形象で楽器の奏法と演奏者の創造的個性を統一させ、音楽の形象上の要求を提起し解決していくのは、指揮者の重要な形象上の課題である。指揮者が、実際の演奏で提起される演奏技術上の問題の解決に力を注ぎ、要求の度合を強めるだけ、演奏者の技量と音楽形象の水準は高まるものである。

 指揮者は、演奏者の動作と表情にも深い関心を払うべきである。

 音楽アンサンブルでは、演奏者の動作と表情も一致させる必要がある。いくら演奏がうまくても、動作と表情がまちまちであっては、アンサンブルがそろわないように感じられる。

 演奏者は自分の動作や表情を見ることができないので、その欠点は指揮者が是正すべきである。演奏者と向かい合って形象上の指導をする指揮者だけが、演奏における表情と動作を一致させることができる。

 こんにちの音楽は実際上、音楽作品を舞台で演奏するだけでなく、録音で聞かせることも少なくないので、指揮者は録音と編集にも関心を払う必要がある。

 昨今、世界的に現代的な音響手段が多く出現し、音楽的形象に広く利用されている。これは、舞台音響を立体化できる大きな可能性をもたらしている。音楽的形象に現代的な音楽手段を利用すれば、音響効果をいちだんと高め、音楽を立体的に鑑賞することができる。

 楽器の音色を十分に生かし、音楽に立体感をもたせるうえで重要なのは、音楽の録音と編集を高い水準でおこなうことである。

 音楽の録音と編集の水準は、録音技師や音楽編集者の能力にもよるが、それよりも指揮者がその要求の度合をどれほど高めるかに大きくかかっている。

 指揮者は、音楽の形象化作業全般に責任を負わなければならないだけに、マイクの利用、調音台や残響の調整など、音楽の録音と編集全般にも深い関心を払う必要がある。

 指揮者が形象上の指導を着実におこなうためには、音楽演奏の形象案を正しく立てなければならない。

 音楽形象案は、作曲家が創作した音楽作品を演奏によって実際の響きに再現するための総体的な設計である。演奏を感動的なものにするためには、演奏の形象案を正しく立てなければならない。

 音楽形象案には、音楽作品の演奏における形象上の要求がすべて具体的に反映されなければならない。音楽全般の形象上の対照と統一を保障し、感情づくりから速度と強弱、音量と音色の変化にいたるまで、演奏の具体的な形象上の要求が完全無欠に反映された音楽形象案であってこそ、演奏のための一つの完成された設計図になりえる。

 完成された音楽形象案は、総譜をそのまま写すといったたやすいやり方で得られるものではない。音楽形象案を立てるさい、指揮者は総譜に反映された音楽の世界に深く入り、それを実際の響きで試し、作曲家が見逃したりおろそかにしたものを補充し完成しながら、より大きな演奏効果をあげる方向で作品形象の具体的な作業をしなければならない。いうまでもなく、作品を形象的に補充し完成する指揮者の作業は、主観的なものであってはならず、作曲家の形象上の意図と一致し、作品の思想的・情緒的内容に服従しなければならない。

 音楽形象案を立てるとき、指揮者は、自分の構想と意図を集団討議にかけ、演奏者の意見をすなおに受け入れて、創作スタッフの集団的な見解が十分に反映されるようにすべきである。創作スタッフの統一された見解を反映した音楽形象案であってこそ、音楽を形象化する各段階で揺らぐことのない確固たるものになる。演奏者の創意的な意見を黙殺し、自分の主観的な意図だけを押しつける独断的な指揮体系と方法をもってしては、音楽的形象で演奏者の責任感と創造的情熱を呼びおこすことができず、音楽創造活動の成果は期待できない。

 指揮者が音楽形象案を立てるにあたって、演奏者の意見を受け入れることと音楽的形象で自分の見解を貫くことは別問題である。

 指揮者は、定見をもって音楽を形象化すべきである。指揮者が定見をもたずに動揺すれば、演奏スタッフも動揺し、音楽的形象がつかみどころのないものになる。

 指揮者は定見をもつべきだといって、演奏者の意見を容れず、はじめから自分の意図ばかり押しつけようとしてはならない。演奏者の意見を無視し、自分の意図を押しつけるのは指揮者の定見ではなく、独断であり専横である。しかし、指揮者がいったんタクトをとって形象化の段階に入れば、創作上の定見をもって要求の度合を強めるべきである。音楽形象案を練る段階では、演奏者の意見を十分に聞きとり、音楽形象案が確定したあとはすべての演奏者が指揮者に絶対服従するところに、従来の独断的な指揮体系と方法をうちこわした、我々式の指揮体系と方法の主な特徴がある。

 具体的な形象案ができあがったら、指揮者は、演奏者の練習を段階別に、系統的に指導すべきである。

 洗練された音楽アンサンブルは、段階別の系統的な練習を通じてのみ得られる。指揮者が芸術的に調和のとれた音楽的形象を創造するためには、各演奏者が楽譜をうまくこなすように個別練習を先行させるとともに、部分的なアンサンブルのためのパート別練習と全般的なアンサンブルのための集団練習を経て、音楽の形象化レベルを高めるためのリハーサルをしなければならない。指揮者が演奏者の練習を指導する過程は、とりもなおさず音楽作品を形象化する過程、洗練された音楽アンサンブルを創造する過程である。

 指揮者は、練習の段階別の目標と形象化の課題を明示し、それにたいする要求の度合を強めるべきである。音楽の形象化レベルは、指揮者が演奏者の練習にたいする要求の度合を強めるほど高まるものである。指揮者は、自分が示した目標と形象化の課題が練習の各段階で完全に達成されるまで、要求の度合をたえず高めるべきである。

 練習の過程であらわれる些細な欠点もそのつど是正するよう指導しなければ、形象化の段階に入ってもそれが克服されず、全般的なアンサンブルに大きな支障をきたすことになる。悪い癖を直すのは一からはじめるより何倍もむずかしいものである。指揮者は、練習の過程で欠点があれば、そのつど指摘し、それが是正されるまで反復練習させるべきである。

 指揮者の形象上の指導は、音楽作品が実際の舞台の響きとして実現される形象化の段階で実を結ぶことになる。形象化の段階で、指揮者は自分の才能と能力をすべて発揮して、指揮を立派におこなうべきである。

 感動的な音楽的形象を創造するための指揮者の努力がどれほどの効果をあらわすかは、形象化の段階で指揮をいかにするかにかかっている。

 指揮の基本は、速度を正確に定め、予拍と力点を明示することである。

 速度は、指揮者の生命である。指揮者は速度を正確に定め、それを一貫して保たなければならない。正確な速度が保たれなければ、音楽的感情を正しく生かすことができない。

 音楽的形象においては、感情の変化をもたらすために個々の音や部分的な箇所で、拍子や速度を多少早めたり緩めたりすることがある。しかし、音楽的形象の要求からして、いったん拍子や速度に変化をもたせてからも、すぐ元の速度にもどさなければならない。指揮の速度を早めすぎたり緩めすぎて、規則的な演奏テンポを保てないようにしてはならない。指揮者は基準速度を一貫して保ちながら、速度の部分的な変化を巧みに調節できるようでなければならない。

 正確な速度を保つためには、指揮で強弱をしっかりとらえていかなければならない。演奏テンポが不規則で早くなったり遅くなったりするのは、強弱をよく守らないことが主要な原因である。

 指揮では、そのつど予拍を与え、力点を示さなければならない。

 指揮者が予拍を与えれば、種々の楽器と声部の多様な響きが複雑に交錯するなかでも、演奏者は、自分が入っていく音楽的契機をいちはやく正確にとらえ、余裕をもって音楽を演奏することができる。予拍を与えなければ、演奏者が緊張して感情をこめることができず、拍子を合わせることもむずかしくなる。

 力点は、演奏をほどよくコントロールし、音楽的形象に迫力と活気を与える。指揮者が一貫した速度を保ちながら、必要な箇所で力点を示せば、音楽を生き生きとした感動的なものにすることができる。指揮者が力点を明示せず、速度を保つために拍子をとるだけでは、音楽を立派に形象化することはできない。力点がなければ、音楽的形象にしまりがなくなり、音楽の流れが単調で味わいのないものになる。

 予拍と力点を正確に示すためには、指揮で不必要な動作をなくし、いたずらに奇をてらうことのないようにすべきである。手を大きく振るからといって指揮が上手なのではない。手の振りは小さくても、正確な速度を保ちながら予拍を適時に与え、力点をはっきり示す人が指揮の上手な人である。こまごました動作が多く、手を振り回すばかりでは、演奏者は、どれが予拍で力点なのか区別がつかず、音楽を立派に演奏することができない。

 指揮で重要なのは、音楽的感情を十分に生かすことである。

 音楽は、感情がなければ形象もなくなる。感情もなしに味気なく演奏される音楽は、聞くに堪えないものである。音楽を形象化する指揮者は、楽想の要求に即して音楽的感情を生かすことにつねに主力を注ぐとともに、形象化の焦点をおくべきである。

 指揮者が手にするタクトは、音楽的感情を表現する基本的手段である。指揮者が一度手を上げ線を一つ描いても、タクトに音楽がつきまとい、感情がにじみでなければならない。それでこそ、演奏者を音楽の感情世界に深く引き込むことができる。

 指揮は、タクトをとった手や腕の動作だけでなされるものではない。指揮者は、タクトをとった手だけでなく、表情や目つき、動作などによっても音楽的感情を繊細に表現しなければならない。音楽的感情を全身で感じとり、表現できる指揮者だけが、感動的な音楽的形象によって聴衆の心をゆさぶることができる。

 演奏で音楽的感情を十分に生かすには、指揮を情熱的にしなければならない。指揮者がかぎりない情熱をこめて指揮しなければ、演奏者を深奥な感情の世界に導くことはできない。

 情熱は、作品を完全に自分のものにしてこそ生まれるものである。指揮者は、音楽作品の思想と内容だけでなく、形象上の要求を完全に把握するまで楽譜を深く研究すべきである。指揮者が音楽の形象上の要求を完全に把握し、それを思いどおり表現できるようになってこそ、演奏者の心と視線をも一つに集中させ、情熱にあふれて指揮を巧みにすることができる。

 芸術的ファンタジーは、情熱をさらに燃えあがらせる。指揮者は芸術的ファンタジーがあってこそ、音楽的形象で他人が試みなかった新しいものを大胆に切り開き、音楽作品に自分の創造的思索が加味されるという誇りをもって、より情熱的に指揮することができる。

 指揮者は、情熱と興奮をとり違えてはならない。情熱は感情を生かす重要な要因であるが、興奮は感情をとりこわす障害物である。指揮者が興奮すると満足な指揮ができない。指揮者が興奮に駆られると、音楽の重要な契機を逃してしまい、拍子と速度を正確に保てず、音楽的感情を正しく生かすことができない。

 指揮者が指揮をうまくおこなうためには、音楽についてよく知らなければならない。

 音楽的形象を創造する指導の芸術である指揮は、音楽に関する全面的かつ総合的な知識を必要とする。楽団の司令官である指揮者は、誰よりも音楽について深い知識があってこそ、演奏者の全般的な水準を高い境地に引き上げ、いかなる演奏課題が与えられてもとどこおりなく、そのつど立派になし遂げることができる。

 指揮者の資質を評価する重要な目安である鋭い耳と舞台度胸も、音楽についての広く深い知識から得られるのである。

 指揮者は、耳が鋭くなければならない。

 指揮者は耳が鋭くてこそ、音程を正確に聞き分けて間違った音をそのつど見つけだし、音色と音量の調和をはかることができる。指揮者の耳が鋭いということは、音をよく聞きとるということではない。それは、音感が鋭く、音の調和、不調和を聞き分ける音楽的な耳が鋭いということである。指揮者は、音楽の知識が豊富で、日常の会話を交わすように自分の思想・感情を音楽的に思いどおり表現できるようになってはじめて、複雑な音の結合のなかでもそれぞれの音を一つひとつ聞き分ける鋭い音楽的な耳がそなわるのである。

 指揮者は、舞台度胸がなければならない。

 舞台度胸のない指揮者は、楽団を統率することができず、管弦楽のような大規模の音楽を自信満々に指揮することができない。いかに、むずかしく複雑な音楽でも自信を持って演奏できるという舞台度胸は、音楽を多く聞き、多く知ることから生まれるのである。

 指揮者は、創作と演奏における諸問題に理論的にも実践的にも精通し、音楽全般についての該博な知識を身につけていなければならない。

 指揮者は、作曲家がつくった音楽作品を形象的に洗練して完成する創作家であると同時に、みずから舞台で作品を再現する演奏者である。指揮者は、編曲をしても作曲家に劣らず、ピアノもピアノ奏者に劣らず巧みに弾けるようでなければならない。それでこそ、音楽を繊細に深く形象化することができ、指揮者の発言力も強まるのである。編曲もできず、ピアノも下手な指揮者は指揮者の資格がない。

 指揮者が指揮を巧みにするためには、科学的な指揮技法を身につけなければならない。

 科学的な指揮技法を身につけた指揮者だけが、無言の指揮動作によって自分の形象上の意図をすべての人に容易に伝達し、タクトに合わせてすべての演奏者がひとしく動くようにすることができる。音楽の知識が深く、感情の豊かな指揮者であっても、科学的な指揮技法を習得しなければ音楽を立派に形象化することはできない。

 指揮者は、アンサンブルをうまく合わせ、音楽的感情をより繊細に表現するために、あらかじめ演奏者と形象上の約束をすることもできる。あらかじめ形象上の約束をして指揮をすれば、指揮者や演奏者が、音楽の形象化で心にゆとりが生まれ、細部にいたるまで音楽的形象をより立派なものにすることができる。しかし形象上の約束は、音楽を百回反復しても毎回同じ動作を遂行できるように、科学性の保障された指揮技法によってなされなければならない。科学的な指揮技法によって形象上の約束がなされなければ、演奏するたびに音楽が違ったものになってしまう。

 指揮技法は、運動の一般的な法則と普遍的な原理にもとづいてこそ、科学的なものになる。

 指揮は、運動の造形的効果によって音楽の形象的意味を表現する芸術である。指揮には運動の客観的法則性が作用し、多様な運動形態と造形美についての人間の感性的認識が反映される。したがって、人間の肉体的活動でもっとも一般的かつ普遍的な運動の法則と原理を認識し、それを造形的形象として具現することは、指揮技法を科学的なものにする重要な保証である。

 指揮技法を科学的なものにするためには、それぞれの肉体的部分の表現的機能を明確に区分する必要がある。肉体的部分の表現的機能が明確に区分されなければ、演奏者が指揮者の形象上の意図をとり違えるようになり、音楽的形象の具体的な要求をすべて指揮技法にもりこむことができない。指揮では、右手と左手の役割、表情と動作の表現的機能がそれぞれ異なったものでなければならない。

 指揮者の資質と能力によって演奏スタッフのレベルが評価され、音楽的形象創造の成果が左右される。指揮者は、楽団の司令官としての重大な任務をまっとうするために、誰よりも政治的、思想的に、技術実務的にしっかり準備すべきである。





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