『音楽芸術論』−3 演  奏
 
5 演奏者は創造のベテランにならなければならない


 音楽作品が人々からどのような評価を受けるかは、作品を創作した作曲家とともに、その作品を舞台で演ずる演奏者に大きくかかっている。名曲として広く世界に知られている音楽をみると、作曲家の名とともに演奏者の名も歴史に長くとどめられている。

 演奏者は、独自かつ自立的な音楽的形象の創造者である。演奏者は、作品の選択をはじめ、音楽的形象における諸問題を独自に、自立的に解決していかなければならない。

 演奏者は、音楽的形象の創造において作曲家や指揮者、または、他の助けを得ることもできるが、それが自分の独自性と自立性を抑制するものとなってはならず、自分の創造的役割をさらに高めるものとならなければならない。演奏者は、いくらむずかしい演奏課題が提起されても、それを独自に自立的に解決し、いつでも音楽的形象を立派に創造できる創造のベテランにならなければならない。

 演奏者が創造のベテランになるためには、チュチェの美学観を確立しなければならない。

 美学観の確立は、芸術の創造でつねに第一義的な問題となる。美学観が確立してこそ、現実と芸術の美的関係についての科学的認識にもとづいて生活の美を正しく感じとって判断し、人間の美的理想に合わせて美しい芸術的形象を創造することができる。美学観が確立していない人は、明確な目標と自信をもって芸術創造活動を力強く展開することができず、創造の過程で紆余曲折を経ることになる。一部の創作家、芸術家が、自分の主観的な欲求に反して、思想的、芸術的に低調で、情緒的にあいまいな作品をつくって創作生活に汚点を残すのも、主として美学観が確立していないことと関連している。

 演奏者が時代の要請と人民の志向に即して音楽的形象を立派に創造するためには、チュチェの美学観を確立しなければならない。チュチェの美学観が確立した演奏者のみが、自主的人間の美的理想にかなった立派な音楽的形象を創造して、人々の思想・情操教育に大いに寄与することができる。

 チュチェの美学観は、チュチェ思想が示した人間中心の哲学的原理にもとづいて、現実と人間、現実と芸術の美学的関係を解明した、もっとも科学的で独創的な美学思想である。人間中心のチュチェの美学は、現実世界に客観的に存在する美的対象を正しく認識し把握できるようにするだけでなく、文学・芸術の特性とそれに作用する法則も科学的に解明する。演奏者は、チュチェの美学的原理にもとづいて生活にたいする正確な評価をくだし、チュチェの美学観にもとづいて形象創造における諸問題を解決してこそ、音楽の感情世界を人間の美的理想に合わせて展開してみせることができる。

 チュチェの美学観を確立するためには、チュチェ思想とその具現である主体的文芸思想の学習を強化しなければならない。

 チュチェ思想は、主体的美学理論の哲学的基礎である。主体的美学理論の革命性と科学性は、人間を中心として人間と世界の関係を解明したチュチェ思想によって確固と保証されている。

 主体的文芸思想は、社会主義的・共産主義的音楽芸術建設のもっとも正しい指導指針である。主体的文芸思想は、社会主義的・共産主義的音楽芸術建設の総体的方向を明示しており、音楽芸術作品創作の根本原則と具体的な方途を全面的に明らかにしている。

 演奏者は、チュチェ思想とその具現である主体的文芸思想を深く体得して芸術創造活動の指針としてのみ、音楽的形象に自主的人間の崇高な美的指向を立派に具現することができる。

 チュチェの美学観の確立は、チュチェ型の人間の性格と生活を深く掘り下げる問題と密接につながっている。

 我々の文学・芸術が描くべき対象は、人間と生活一般ではなく、チュチェ型の新しい人間とその生活である。チュチェ型の人間は、品格においてもっとも美しく、生活への志向においてもっとも崇高な真の人間の典型である。演奏者が音楽を通じて作品に反映されたチュチェ型の人間の美しい精神世界を情緒的に深く展開してみせるには、その性格と生活をよく知らなければならない。

 人民に愛される名曲の思想的・美学的特性を深く研究することも、チュチェの美学観を確立し、美しい音楽的形象を感銘深く表現できるようにする重要な保証である。

 具体的な現象を見てこそ理解がいき、実践と結びついた知識であってこそ生きた知識になるように、音楽にたいするチュチェの美学的観点を確立する問題も、名曲の思想的・美学的特性を深く研究し、具体的に分析してこそ容易に解決され、音楽的形象において実際的な効果を発揮することができる。

 演奏者が創造のベテランになるためには、芸術的技量が高くなければならない。

 党の政治的信頼に技術をもってこたえるのは、創作家、芸術家の本分である。演奏者は高い芸術的技量を身につけてこそ、立派な音楽的形象を創造し、党の信頼と期待に忠実に報いることができる。

 演奏者は、条件や環境に拘束されることなく、つねに音楽を立派に演奏できるように準備されていなければならず、党が示した演奏基準をひきつづき維持しなければならない。コンディションがどうのこうのというのは、気まぐれの表現であり、古い演奏生活様式の名残である。芸術的技量の高い演奏者は、演奏で僥倖をあてこんだり、状況に左右されることなく、演奏の成果をつねに必然的なものとする。

 発展する現代の趨勢に従ってわが国の芸術の水準を引き上げるためにも、演奏者の芸術的技量をたえず高めなければならない。

 我々は、音楽でつねに新しいものを志向し、現代音楽の発展趨勢に追いつき追い越さなければならない。古典音楽の場合にしても、現代の趨勢をよく知らなければならない。

 現在、世界的に音楽芸術分野では、大編成の音楽とともに小編成の音楽形式が大いに奨励されている。音楽は編成が小さいほど、個々の演奏者の高い芸術的技量が求められる。芸術的技量の高い演奏者だけが小編成のアンサンブルにおける複雑かつ繊細な技巧をうまく解決し、現代音楽で新しく探求されている表現手段と手法を巧みに利用することができる。

 芸術的技量を高めるうえで重要なのは、演奏の基礎をかためることである。

 基礎がなくては、いかなる芸術も発展させることができない。演奏者は演奏の基礎がしっかりしていてこそ、音楽作品が提起する新しい多様な形象上の要求と、複雑でむずかしい技巧の問題を立派に解決することができる。

 演奏者は、自分独特の音色をもっていなければならない。

 演奏は音響によって形象を創造する芸術であるので、美しい音を出すことが基本である。美しく独特な音色で演奏してこそ、音楽を情緒豊かなものにすることができる。色つやと特徴のない音をもってしては、演奏でいくら妙技をふるっても音楽を印象深いものにすることはできない。音楽というものは、音色を聞いただけで、誰が歌をうたい、誰が演奏しているかがわかるようでなければならない。

 演奏の音色は、音楽的に加工され、芸術的に洗練されなければならない。

 演奏者が自分独特の音色をもつべきだというのは、単に声帯や楽器から響きでる自然な生の声や音のことを意味するのではない。独特な音色は声や楽器に固有な音色をぬきにしては考えられないが、先天的な声帯や楽器の一般的特性を生かすだけでは、深みのある斬新な音楽的形象を創造することはできない。生の音で聞く音楽は、情緒に欠け、形象につやが感じられない。音色は先天的な声帯や楽器の一般的な響きにもとづきながらも、それを音楽的に加工し、芸術的に洗練してこそ、うるおいのある音楽的形象を創造する強力な手段となる。

 音を加工するからといって、わざとらしさが感じられるようにしてはならない。ことさら加工した音は、生の音にも及ばない。音楽的に加工されていながらも、加工されたという感じがしないように自然に響く音だけが、音楽の豊かな情緒をリアルに表現することができる。

 演奏者は、正確な速度感と音感を身につけなければならない。

 演奏では、速度と音程を正確にとらえ、それを一貫して保つことが大切である。速度のとり方を誤ったり、速度にむらがあると、音楽の性格が変わり、感情が生かされない。演奏者は、作品に提示された速度を正確にとらえ、興奮状態の変化にかかわりなく一貫した速度が保てるようでなければならない。

 科学的な呼吸法と発音法も演奏者が習得すべき重要な演奏技術上の問題である。

 芸術的技量を高めるうえで重要なのはまた、発展する音楽芸術の現代的趨勢が提起する演奏技術上の問題を立派に解決することである。

 演奏者は、楽器を操りながら歌もうたえるようでなければならない。それでこそ、少人数でも音楽的形象化で大きな効果をあげ、歌と伴奏の芸術的調和も高い水準で実現することができる。生活と密着した戦闘的な大衆音楽を演ずるには、楽器を操りながら歌をうたう演奏形式がぴったりしている。歌手だからといって楽器があつかえず、演奏者だからといって歌をうたえないようでは、我々の演奏芸術を時代が求める相応の水準に引き上げることはできない。

 ピアノは、音楽の基礎といえる。ピアノは、音楽の形象上の意図を総合的に具現できる楽器であるから、音楽についてよく知るにはピアノが弾けなければならない。

 演奏者は、マイクの使い方をマスターすべきである。劇場の舞台ではマイクが多く使われているので、演奏者はマイクを効果的に利用することにも深い関心を払うべきである。マイクを上手に使えば、音を小さくしても音色を趣があって耳に心地よいものにすることができる。

 演奏者は、律動を解決しなければならない。そうしてこそ、体を自然に動かしながら音をらくに、よりのびやかに出すことができ、視覚的にも観客によい印象を与えることができる。

 演奏者の芸術的技量は、豊富な舞台経験と結びついたものでなければならない。

 演奏技術が高くても、舞台経験がなくては音楽を立派に演ずることができない。舞台経験のない演奏者は、舞台に出ると上がったり緊張したりして、自分の演奏技術を十分に発揮することができない。

 演奏者は、舞台経験に富んでいてこそ舞台度胸がつき、場所と状況にかかわりなく沈着に自分の洗練された演奏技術を遺憾なく発揮することができる。

 演奏者は舞台経験を積むために、いろいろな性格と形式の音楽作品を大いに演奏する必要がある。それでこそ、種々の演奏手法と技巧を適用しながら、演奏技術を実践を通じて確実なものにし、立派な音楽的形象を創造する妙法と秘訣を見いだすことができる。

 演奏者の芸術的技量は、該博な音楽知識によって裏打ちされなければならない。

 高い演奏技術とともに音楽芸術についての該博な知識をもつ演奏者であってこそ、どんな音楽でも立派にこなせる創造のベテランになりうる。音楽的素養があり、音楽芸術に精通した演奏者の創造する音楽的形象は、つねに独創的で深奥かつ感動的なものである。

 演奏者は、名曲に通じていなければならない。

 名曲もよく知らない人は、音楽専門家の資格がない。多くの名曲に精通し、いつでもうまく演奏できるようであってこそ、レベルの高い演奏者といえるのであり、どの舞台に出ても称賛をうけることができる。

 多くの名曲に精通していることは、演奏者の財産である。演奏者は、わが国の名曲と世界的に知られた外国の名曲に精通し、演奏生活の貴重な資産とすべきである。

 演奏者は、音楽作品の分析能力も養う必要がある。

 作品分析は、音楽作品にたいする認識と把握の出発点であり、音楽の思想的・情緒的内容を感銘深く表現するための重要な保証である。演奏者は、音楽作品の内容と形式はもとより、作品が創作された歴史的時期、それにともなうさまざまな流派の創作傾向、それぞれの創作家の個性的特質まで正確に分析、把握してこそ、独創的で感銘深い音楽的形象を創造することができる。作品の分析能力に欠ける演奏者は、音楽作品の特性を正しく理解することができず、音楽の形象世界を深く描き出すことができない。

 芸術的技量は、天性のものではない。芸術的技量は、たえまない練習によって高まるものである。演奏者は、不断の努力と探求、練習を積み重ね、高い芸術的技量をそなえた創造のベテランとして準備すべきである。





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