『音楽芸術論』−3 演  奏
 
3 演奏では個性的特性を生かすべきである


 音楽的形象は、新しく独創的なものでなければならない。新しく独創的な音楽的形象は、主体的な音楽芸術本来の要求であり、作品の認識的・教育的機能を高める重要な条件である。音楽的形象は、新しく独創的なものであってこそ、多様で豊かな人間の思想・感情と生活の情緒をリアルに生き生きと表現し、聞きごたえのあるものになる。新しく独創的な音楽的形象を創造するためには、それぞれの音楽作品に固有な特性に即して演奏で情緒的トーンを十分に生かさなければならない。

 音楽作品は、それぞれ固有な特性をもっている。音楽が反映すべき人間の思想・感情と生活の情緒は、きわめて多様かつ豊富である。これは、音楽作品の内容となり、その形式を定める。音楽作品には作曲家の創造的個性が反映されるので、それぞれの音楽作品は、主題・思想の内容と表現形式において固有な特性をもつことになる。

 音楽作品の特性は、その情緒的トーンに明白にあらわれる。演奏者は、音楽の情緒的トーンを正しく生かしてこそ、作品の性格に合った独特な音楽的形象を立派に創造することができる。演奏では、音楽の情緒を正しく理解し、音楽の思想・感情をそのまま生かすことが基本となる。

 音楽の情緒的トーンを演奏に正しく生かすためには、作品の主題と思想的・情緒的内容を深く把握する必要がある。

 演奏者は、作品の主題と思想的・情緒的内容を深く把握してこそ、作品固有の情緒的トーンを正しくとらえ、それを十分に生かして音楽を特色のある斬新なものにすることができる。

 音楽作品においても基本は内容である。音楽の情緒的トーンは、あくまでも作品の内容にもとづくべきであり、それをより十分に生かすためのものでなければならない。内容に合わない情緒的トーンは、音楽の性格をあいまいなものにし、形象のリアリティーを破壊する。

 音楽作品が創作された歴史的背景についてもよく知らなければ、音楽の情緒的トーンを正しく生かして演奏することができない。

 人民の記憶に長く鮮やかに残っている音楽をみると、その作品が創作された当時の社会的環境と意義深い歴史的背景がうかがわれる。歌謡『勝利の5月』には、解放後、朝鮮の労働者階級がはじめて迎える意義深い祝日の広場を威風堂々と行進しながら、初の労働者、農民の国家をうち立て、さげすまれ抑圧されていた勤労人民大衆に真の幸福をもたらしてくれた金日成同志にこのうえない感謝をささげ、歓呼の声をあげたあの日の感激がこもっている。当時の社会的環境と歴史的背景をよく知ってこの歌をうたえば、作品の性格が情緒的にいっそう鮮明になり、音楽的形象がいちだんと感動的なものになる。

 演奏者は、具体的な旋律の表現上の特性も繊細に生かすべきである。

 音楽の旋律は、思想的・情緒的内容を表現する基本手段であるため、演奏においても第一義的な課題は旋律をうまくこなすことである。

 すべての旋律は、音調とリズム、調と和声、拍子と速度において、それぞれ違った特性をもっている。旋律を展開する方式や旋律の流れも作品ごとに異なる。演奏者が作品の性格に合う音楽的形象を独創的に創造するためには、旋律の具体的な表現上の特性を十分に生かさなければならない。

 革命歌謡『総動員歌』や『女性解放歌』は、革命的な内容をもりこんだ歌であるが旋律の表現形式においては違いがある。これらの歌をその性格に合わせて形象化するためには、『総動員歌』は速く演奏し、『女性解放歌』は普通の速度でゆとりをもたせて演奏する必要がある。そうしてこそ、『総動員歌』の進取的で戦闘的な味と『女性解放歌』の素朴で内にこもった情緒がリアルに感じられる。旋律の表現上の特性を考慮せず、性格の異なる歌を一律に形象化すると、音楽の相がゆがめられる。

 新しく独創的な音楽的形象を創造するためには、演奏で音楽のジャンルと演奏形式の特性を十分に生かす必要がある。

 すべての音楽作品には、それぞれジャンル上の特性があり、一定の演奏形式がある。叙情歌謡と行進歌謡の特性は異なり、独唱、重唱、パンチャンの特性もそれぞれ異なる。演奏は、音楽のジャンルと演奏形式の特性に即しておこなうべきである。

 歌には専門家的な技巧が求められるものもあるが、大衆がすぐうたえるようにポピュラーなものにすべきものもある。『社会主義の楽園』は、歌手の高度の技巧が裏打ちされてこそ相応の味が出るが、『畑へ行こう』は平たく面白くうたってこそ聞くに堪える。

 独唱や独奏での技巧と、アンサンブル形式での技巧は違ったものでなければならない。

 独唱や独奏では、各人の技巧を繊細に生かすべきである。独唱や独奏の成否は、基調旋律を受け持つソリストの技巧にかかっている。

 独唱や独奏では、伴奏を巧みにおこなうことが重要である。しかし、ソリストの技巧が低いと、いくら伴奏を巧みにおこなっても音楽が生かされない。

 独唱や独奏では、ソリストが自分の技巧を余すところなく発揮しなければならず、伴奏は、それをさらに生かすのに服従しなければならない。伴奏を生かすために、ソリストが伴奏についていくようにしてはならない。歌唱では、歌手が伴奏についていくのでなく、伴奏が歌手についていかなければならない。それでこそ、ソリストが伴奏に縛られることなく、高い技巧を発揮して、音楽を立派に形象化することができる。

 アンサンブルづくりで演奏者の個々の技巧は、全般的なアンサンブルに服従しなければならない。アンサンブル形式の音楽を奏するときには、声部の個々の演奏技巧を絶対化してはならない。

 アンサンブルづくりの魅力は、芸術的調和の美である。

 アンサンブルには、技術的なアンサンブルと舞台的なアンサンブルがある。アンサンブル形式の音楽は、演奏によって聴覚的に感じ取られる技術的アンサンブルと、視覚的に映る舞台的アンサンブルをともに保障してこそ、芸術的な調和の統一を完全無欠に実現することができる。

 技術的アンサンブルは、音響の統一、音楽的響きの調和を実現するためのものであり、音楽アンサンブル形象の基本をなす。音楽的響きは、音色と音量が形象的に統一されるときに調和のとれたものになる。音色と音量は、音楽の情緒を表現する主要手段であり、その調和と統一は技術的アンサンブルによってもたらされる。

 アンサンブル形式の音楽で技術的アンサンブルを重視するからといって、舞台的アンサンブルを軽視してはならない。舞台的アンサンブルは、演奏者の表情と動作を一致させるためのものであり、舞台公演では舞台的アンサンブルを整合させることが非常に重要である。歌手の口の開け方にしてもアンサンブルがそろわなければならない。みなが口を大きく開いているのに、1、2名が小さく開くとしたら、見た目が悪く、響きもよくない。

 管弦楽を演奏するとき、弦楽器奏者の弓の使い方も一様でなければならない。同じ旋律やリズムを演奏するのに、あるものは上向きに弾き、あるものは下向きに弾いては舞台が散漫になり、音も統一されず、音楽の情緒がよく生かされもしない。

 音楽的形象において、技術的アンサンブルと舞台的アンサンブルは不可分の関係にある。演奏では、演奏技術上の問題が完全に解決され、音楽的響きがよく調和してこそ、表情と動作を一致させる問題が容易に解決され、表情と動作が統一されて舞台が一体となってこそ、音楽的響きが調和のとれたものになる。技術的アンサンブルが解決されなくては舞台的アンサンブルもよく合わず、舞台的アンサンブルを合わせなくては技術的なアンサンブルが満足にととのわない。

 音楽的形象が聴覚的にも視覚的にも全一的に調和し統一されなければならない音楽アンサンブルでは、全般的なアンサンブルに合った演奏技巧のみが必要なのであり、アンサンブルにそぐわない個々の演奏技巧は許されない。音楽アンサンブルでめいめいの奏者の技量は全般的なアンサンブルに服従し、かれらの芸術的ファンタジーと技巧は一つの音楽的形象によって統一されなければならない。

 音楽的形象でハイレベルのアンサンブルを保つためには、奏法を一つの基準に従って統一しなければならない。奏法が統一されなくては、調和のとれた響きが得られず、表情と動作を一致させることもむずかしい。奏法が統一されてこそ、音色が統一され、音楽の性格が明確になる。

 声楽アンサンブルでは、発声法と唱法が統一されなければならない。発声法と唱法がまちまちだと音色が合わないことは言うまでもなく、作品の形象上の要求どおり歌をうたうこともむずかしい。声を出しても同じように出し、息やトリルを用いても同じように用いてこそ、アンサンブルの調和がとれ、洗練された声楽的形象が創造される。

 器楽アンサンブルでは、楽器の奏法を統一させるべきである。そうしてこそ、器楽アンサンブルの高い形象化水準を保つことができる。楽器の奏法が統一されていなければ、響きがそれぞれ突出し、音色も濁ってしまう。

 各楽器の固有な特性を生かすためにも、楽器の奏法を一つに統一させなければならない。器楽アンサンブルは決して、楽器の特性を排除した各楽器の入りまじった響きを得るためのものではない。器楽アンサンブルは、各楽器の特性を生かすことを前提としている。

 奏法は、楽器固有の特性を反映している。器楽アンサンブルでは、各楽器の奏法が統一されてこそ、それぞれの特性が明確に生かされ、はっきり区別される楽器の響きが調和をなして、アンサンブルの効果もさらに高まる。

 演奏者の思想、意志の団結は、音楽的形象でハイレベルのアンサンブルを実現するための重要な要求である。

 アンサンブルづくりは、単なる技術実務的な問題ではない。音楽アンサンブルにおける洗練された調和は、演奏者の高度の技巧とともに、かれらの思想、意志の団結によってもたらされる。演奏者は、思想、意志のうえで団結してこそ、みずからの創作上の個性と芸術的才能を、一つの音楽的形象創造の共通の目的に応じて全般的なアンサンブルに服従させることができる。

 演奏で各奏者の個性を十分に生かすことは、音楽的形象を新しく独創的に創造するための重要な問題の一つである。

 演奏者には、それぞれ個性がある。人間はすべて個性的な存在であるため、演奏者の音楽の趣味や好みもさまざまであり、表現手段と手法を用いる腕も異なる。演奏者の個性的特性を十分に生かすときに、音楽的形象は特色のある生新なものとなる。新しい音楽作品も演奏者の個性と結びつかなければ精彩がない。

 音楽的形象に演奏者の個性的特性を生かすためには、曲を適切に選択しなければならない。

 曲を適切に選択することは、名演を実現するための先決条件である。演奏者は、曲を適切に選択してこそ、個性的特性を生かして高度の演奏技術を余すところなく発揮し、新しく特色のある音楽的形象を創造することができる。

 曲は、演奏者の肉体的条件と演奏技術上の特性にかなったものを選択すべきである。

 演奏者のなかには、速くて敏活な曲をうまくこなす人もあれば、ゆるやかなしみじみとした曲が得意な人もある。これは、演奏者固有の心理的性格のあらわれであり、肉体的条件と演奏技術上の特性の反映である。

 演奏者の生来の肉体的条件は、それぞれ異なる。歌手の声帯や弦楽器奏者の手、管楽器奏者の唇、舌などの条件もそれぞれ違う。

 演奏者の演奏技術上の特性もそれぞれ異なる。独唱歌手とオペラ歌手の演奏技術上の特性は異なり、民声歌手と洋声歌手のそれも異なる。

 演奏者の肉体的条件と演奏技術上の特性はそれぞれ異なるので、それを考慮せずに曲を選択しては演奏を巧みにおこなうことができない。

 歌手なら自分の声帯や息などを考慮に入れて曲を選択する必要がある。

 音楽的形象に演奏者の個性的特性を生かすためには、表現方法を独創的に適用しなければならない。

 音楽の表現方法には、図式と枠はありえない。生活が多様であり、作品の性格もそれぞれ異なるので、音楽的形象を一定の図式と枠にはめて表現させる必要はない。

 音楽的形象において図式と枠は禁物である。音楽的形象における図式と枠は、反復と類型を生む。反復と類型は芸術としての死を意味する。

 音楽のジャンルと形式に応じて、音楽表現方法には一般的な原理が作用する。幅広く華麗な味を出す管弦楽と、しっとりと落ち着いた味を出すべき器楽重奏の表現方法は同一でない。歌劇で劇的な感情を込めてうたうべき詠唱と、軽く明るい声で歌うべきパンチャンの表現方法も異なる。これは、表現方法における一般的な特性であり、個々の作品の形象上の要求に応じた具体的な処方ではない。音楽の表現方法は、音楽のジャンルと形式の一般的特性にかない、しかも、個々の作品の具体的な特性と演奏者の個性を生かして独創的に、非反復的に適用されなければならない。

 演奏者は一つの表現手法を用いるにしても、まだ誰も手がけていない新しい手法を用い、従来の手法であっても新味が感じられるように用いることができなくてはならない。いくらすばらしい手法であっても乱用するとかえって形象の気品を落とし、人の真似をする演奏者は自分の個性を発揮することができない。

 演奏者の創造的個性は、固定不変のものであってはならない。

 革命の時代と文学・芸術発展の要求に即して、芸術家の創造的個性もたえず新しく切り開かれ、豊かなものになるべきである。昨日の新しいものが今日も新しいものではありえないのと同様に、ひとところにとどまっている個性は、新しい形象をたえず創造することができない。独創性を発揮できない創造的個性は決して真の創造的個性ではありえず、たえず発展しない個性はいつまでも日の目を見ることができない。演奏者は、みずからの創造的個性をたえず新しい側面から発展させ、豊かにし、完成させていくべきである。創造的個性を固定不変なものとみなすと、ついには、みずからがつくった枠に縛られて創造性を失うことになる。

 演奏者の個性は、神聖不可侵のものではなく、絶対的なものでもない。

 芸術家の個性を否定することは、芸術創造そのものを否定するにひとしいが、芸術家の個性だからといって、なにもかも尊重し、支持してはならない。

 個性的特性を生かすことと自由主義は、別個の問題である。個性的特性を生かすということは、決して、ある種の個人的な趣味を鼓吹したり、芸術創作活動で「自由」を許すということではない。

 我々のすべての芸術創作活動は、あくまでも党の指導のもとに進められるべきであり、朝鮮の芸術家はみな党の方針と要求どおりに芸術活動を展開すべきである。演奏者は、音楽的形象で個性のみを主張し、絶対化するのではなく、党の方針と要求に自分の個性を照らして、些細な自由主義的要素もあらわれないようにすべきである。

 演奏生活の誇りは、いかに多くの作品を演奏したかにあるのではなく、どれほど新しく独創的な音楽的形象を創造したかにある。演奏者は、作品の特性と個性の明確な音楽的形象を立派に創造して、演奏者としての誉れある生涯を輝かすべきである。





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