『音楽芸術論』−3 演  奏
 
1 演奏は創造の芸術である


 音楽芸術において演奏は、音楽作品を完成された芸術的形象として実現する基本手段である。演奏は、音楽作品の主題・思想の内容を豊かで多様な芸術的形象として具現し、音楽芸術の認識的・教育的機能と使命を果たすうえで重要な役割をする。

 音楽作品は、作曲と演奏の二つの段階を経て完成されるものであるから、作曲を上手にするとともに、演奏を巧みにおこなうことが重要である。名曲もそれをきらめくものにするためには、演奏がすばらしくなければならない。すぐれた音楽も演奏がまずいと、人々に深い感銘を与えることはできない。

 演奏は、楽譜に表記された音楽作品を実際の響きによって再現する芸術創造の一形態である。演奏は、音楽に特有な形象化の分野であり、音楽作品は演奏によって生きた形象となる。

 文学や美術では、創作家の構想が文章や画幅にもりこまれればそれで作品の創作過程は終わるが、音楽では、作曲家の創作上の構想が五線紙に記されても、作品の創作過程は完全に終わらない。作曲家によって創作された音楽作品は、演奏者による再現過程を経てはじめて生きた形象となる。もちろん、音楽でも楽譜が完成されれば、それで作曲家の創作活動は終了する。しかし、作品に反映された人間の内面世界と体験の情緒を聴覚器官によって感じとる音楽では、楽譜が完成した後も、それを実際の響きによって再現することが不可欠な問題として提起される。この要求を実現する形象化作業が、すなわち演奏である。音楽作品は、演奏による再現を前提として創作され、演奏は創作された作品を生きた形象にするのが、音楽の独特な創造方法であるといえる。

 演奏は、創造の芸術である。演奏は音楽作品を実際の響きによって再現するが、機械的に写し取るような単なる再現ではなく、演奏者の創造的個性の積極的な作用によって楽譜にもられている情緒的内容をさらに補充し、豊かにするところに、その特性がある。

 音楽作品を楽譜に表記されているとおり正確に再現することは、演奏の初歩的な要求である。だからといって、演奏では何の創造性も発揮できないというわけではない。演奏には、それに固有な形象化の領域があり、独創的な創造の世界がある。

 作品に反映された思想・感情は、演奏によってさらに豊かなものになる。人間生活の外的現象とは比べようもない豊かで繊細かつ複雑な心理現象を一つの楽譜にもりこむというのはむずかしいことである。作曲家は、人間の生活と内面世界を掘り下げ、そのなかから本質的で精髄といえる思想・感情を楽譜に反映する。しかし、これは作品にもられている思想・感情を表現するうえで形象化の可能性の限界を示すものではない。演奏を巧みにおこなえば、楽譜にあらわれていない感情の具体的かつ繊細な側面までよく生かし、音楽の感情の世界を著しく増幅する。ある音楽作品に幸せで誇りにみちた朝鮮人民の生活感情が反映されたとすれば、演奏ではそれをゆかしい情緒によってやさしくまろやかに表現したり、こみ上げる感情を熱く切々と表現したりして、いろいろと深みをもたせる。楽譜では表現しつくせない感情の微妙な側面を演奏によって音響的に繊細に生かせば生かすほど、作品の形象世界は、それだけ豊かでうるおいのあるものになる。音楽において演奏は、作曲家の形象上の意図をさらに具体化し、幅広く深化させる。

 作曲家の形象上の意図を離れた演奏者の形象創造というものはありえない。演奏者の音楽的形象化の過程は、作曲家の形象上の意図を深く生き生きと実現する過程である。音楽的形象で発揮される演奏者の創造性も、作曲家の形象上の意図をより立派に具現しようとすることから発する。

 楽譜には、音楽作品にたいする作曲家の形象上の意図が楽想記号によって提示される。しかし、楽譜に記された楽想記号は、音楽の形象化でおろそかにしてはならない基本的な要求を強調したものであって、決して、作曲家の形象上の意図が完全無欠に示されているわけではない。いくら楽想記号を多く付けたとしても、作曲家の意図する音楽的形象の要求をすべて楽譜に反映することはできない。楽想記号によっても示すことのできない作曲家の形象上の意図を具体化し深化させるのは、演奏の独創的な創造領域である。音楽のどの部分は幅をもたせ、どの箇所では速度を速めるといった要求が楽想記号によって示されているとすれば、形象化の幅をどれほど広げ、速度の変化をどの程度にするかということは、演奏によって解決すべきことである。一つの楽想記号を見ても作曲家の形象上の意図をつぶさに読み取り、独創的な演奏によって、それをさらに具体化し幅広く深化させてこそ、音楽的形象はいっそう感銘深いものになる。

 演奏は、それ固有の表現手段と手法によって独創的な音楽的形象を創造する。

 演奏は、さまざまな音色と音域をもつ声楽声部と楽器の豊かな表現力に依拠しており、強弱法、緩急法、句節法、発音法、色彩法などの表現手法をもっている。これは、独創的な演奏によって音楽的形象をたえず新しく多様に創造しうる十分な可能性をもたらしている。

 音楽は、歌をうたうときと器楽を奏するときの味がそれぞれ違う。同じ声楽であっても、女声か男声か、高音か低音か中音かによって演奏効果が異なり、また同じ器楽であっても、民族楽器か洋楽器か、弦楽器か木管楽器か金管楽器かによってそれぞれ演奏効果が異なる。

 音楽は、演奏手法をどう利用するかによっても性格が変わってくる。同じ曲でも演奏の強弱や緩急によって情緒が変わり、音楽的呼吸と発音、音色をどう生かすかによって感じが変わる。

 演奏に固有な表現手段と手法を効果的に生かして演奏を巧みにおこなえば、音楽的形象は独創的なものとなり、楽譜にもられた思想的・情緒的内容を形象的にさらに深化させて、音楽を感銘深いものにすることができる。

 演奏には、形象創造の3段階がある。

 演奏者が完成された一つの音楽的形象を創造するためには、作品を把握する段階と演奏に習熟する段階を経て、感情を生かして形象化を高める段階を経なければならない。歌手が歌を上手にうたいこなすには、まずその歌を十分に把握して覚えた後に、歌をなめらかにうたう問題を解決し、つぎに形象化を高めなければならない。把握と習熟、形象化の段階は、いずれも飛び越えたり順序を変えたりすることのできない演奏の順次的工程である。この順次的工程を踏むことなしには、創作された音楽作品を演奏によって完成された芸術的形象として舞台で実現する、困難かつ複雑な音楽創造活動をスムーズに進めることはできない。

 演奏者の音楽創造活動は、作品を把握することから始まる。

 作品を深く理解し把握することは、作品を演奏によって立派に実現するための先決条件である。演奏者は、作品を理解し把握したうえでのみ、作品の特性を生かして演奏を巧みにおこなうことができる。また、そうしてこそ音楽形象案を正しく立て、それにもとづいて演奏手段と手法を巧みに適用して、演奏で旋律と和声、リズム、構成から楽器編成にいたるまで、音楽作品の特性と要求を立派に生かすことができる。作品にたいする把握と研究なくしては、即興的な演奏によって形象化を主観的なものにする結果をまねくことになる。

 音楽作品にたいする理解と把握は、楽譜に1、2度目を通しただけでなされるものではない。演奏者は、音楽作品を作曲家の個性と結びつけて深く掘り下げて研究し、具体的に分析してこそ、楽譜に反映された思想的・情緒的内容と音楽形式の特性を正確に把握し、形象化することができる。

 演奏者の音楽創造活動は、演奏に習熟する過程を経て深化する。

 音楽作品を把握した後、演奏者は楽譜のとおりにそれを正確かつ巧みに演奏することに力点を置くべきである。音楽を正確かつ巧みに演奏する問題が解決されなければ、演奏者は音楽の形象化の世界に入ることができず、感情を十分に表現することもできない。

 音楽を楽譜に示されているとおり正確かつ巧みに演奏する問題は、不断の習熟過程を経て解決される。習熟しなくては、演奏で提起される形象上の要求を正しく具現することはできない。演奏者は、楽譜に示された演奏技術上の問題を完全に解決し、音楽がすっかり身につくまで習練に励まなければならない。そうしてこそ、つねに正確な音程と速度を保ち、些細なミスもなしに演奏でいつも高い形象化水準を保つことができる。

 演奏者の音楽創造活動は、感情を生かして形象を熟成させる過程を通じて完成される。音楽作品を十分に把握し、それを自由自在に演奏できるよう習熟すれば、演奏で感情をこめて音楽的形象を完成する作業だけが残る。こうなってはじめて、演奏者は音楽の世界に完全にひたり、音楽的形象を明確に生かして、感情をリアルに、豊かに表現することができる。洗練された演奏によって音楽的感情を情緒的に掘り下げて感銘深く表現したときに音楽的形象は完成され、演奏者の形象化作業は成功裏に終わる。

 名曲に名演、これは、音楽創造活動の基本目標である。名曲と名演は切り離して考えることはできない。曲がすばらしくてこそ演奏のしがいがあり、演奏を巧みにおこなってこそ曲が気品をそなえ、感銘深いものになる。





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