『音楽芸術論』−2 作  曲
 
3 楽器編成の基本は
民族楽器と洋楽器を組み合わせることである


 音楽は、美しい芸術である。

 音楽が美しい芸術であるというのは、美しいメロディーと美しく調和した和音をもっているからだけではない。音楽の美しさは、メロディーや和音だけでなく、音色のハーモニーにもある。音楽は、独特な音色をもっているさまざまな楽器の響きがよく調和するとき、実に美しく聞こえるものである。

 音楽の創作において、必要な音色の楽器を選び、楽器の音色をいろいろと組み合わせて新しい音色を生みだし、音色の調和をはかるのは、楽器編成が果たすべき課題である。音楽の創作で成果をおさめるためには、楽器編成を適切におこなう必要がある。

 楽器編成は、音楽創作の重要な手段の一つである。

 音楽には、多様なアンサンブル形式がある。こんにち、舞台で演じられる専門的な音楽で、純然たるメロディーだけのものはほとんどない。音楽では、メロディーがもっとも重要な表現手段ではあっても、独唱や独奏の伴奏をはじめ、多種多様な器楽アンサンブルの形式なくしては、その芸術性をより十分に生かすことができない。管弦楽、重奏、軽音楽といった器楽アンサンブル形式の音楽をうまく演奏するためには、楽器編成を適切におこなわなければならない。

 楽器編成は、音楽の民族的情調を生かすうえで大きな役割を果たす。

 音楽の民族的情調は、メロディーや拍子といったものにのみあらわれるのではない。個々の民族は、遠い昔から楽器をつくって使いながら、自分の感情と好みに合わせてそれを発展させてきた。その過程で、形態だけでなく、材質や音色においても自民族の感情と好みにいちばんよく合うものを選択し、それを長い歳月にわたって改良し完成して、保存してきた。朝鮮人民は、昔から外国の楽器には見られない独特な音色と形をもつ楽器をつくって演奏し、それをたえず発展させてきた。民族楽器の音色をよく生かして音楽の民族的情調を鮮明にするためには、楽器編成を適切におこなう必要がある。

 朝鮮音楽の種々のアンサンブル形式で民族楽器と洋楽器を組み合わせるのは、主体的な楽器編成の重要な原則である。

 民族楽器と洋楽器を組み合わせることは、朝鮮の民族楽器の役割をさらに高めて民族音楽を現代的に発展させ、洋楽器を民族音楽の発展に服従させるための必須の要求である。

 朝鮮の民族楽器は、朝鮮人民が長い歳月にわたって自己の民族音楽を創造する過程で形成された朝鮮人の好みと情緒に合う音色をもっており、朝鮮民族の英知と才能のこもった立派な伝統をもっている。しかし我々は、日本帝国主義の民族文化抹殺政策のため、近代的な技術文明の恩恵をこうむることなく、封建時代の楽器をそのまま受け継いだ。封建時代に使われた民族楽器は、こんにち、我々の時代の美感からすると少なからぬ制約性がある。もちろん、15〜16世紀に全盛をきわめた膨大な規模の管弦楽団がわが国に存在したということは、朝鮮民族の誇りである。しかし、それは封建支配層が、人民大衆を抑圧、統治するための道具であり、かれらの虚飾虚礼にかなうように規模が膨大であっただけで、人民大衆の音楽生活とかけ離れていたため世俗化されず、楽器も科学性にもとづいて近代的な趨勢に従って、改良、発達したものではなかった。このような封建宮廷の管弦楽が、我々の時代の人民の美感に合うはずはない。したがって、旧社会から受け継いだ楽器を時代的美感に合わせて改良するとともに、洋楽器と組み合わせて楽器編成を新たに発展させなければならない。

 ヨーロッパで生まれた洋楽器は、近代的な産業革命と技術文明の助けで封建的後進性を克服し、科学的土台の上で近代的に発達し、広く伝播して地域的限界を超えた世界的な楽器となった。わが国でも早くから洋楽器が入ってきて広まった。わが国で広く一般化された洋楽器を、いまになって排する必要はない。我々は、洋楽器を排するのでなく、朝鮮の民族音楽の発展に服従させるべきである。しかし、洋楽器は、ヨーロッパで出現、発達したので、朝鮮民族の情緒と感情に合わない面が少なくない。洋楽器を朝鮮の民族音楽の発展に服従させるためには、洋楽器でも朝鮮音楽を演奏できるようにし、民族楽器と組み合わせて朝鮮式の音色を出すようにし、朝鮮楽器の優越性をより十分に生かすようにしなければならない。

 民族楽器と洋楽器を組み合わせるには、まず民族楽器を現代的に改良しなければならない。

 封建社会から受け継いだ在来の民族楽器をもってしては、民族楽器と洋楽器を正しく組み合わせることはできない。我々のいう民族楽器と洋楽器の混合編成は、西洋管弦楽に在来の民族楽器を興味本位に入れるのではなく、民族楽器を基本にしてその優越性を発揮させ、管弦楽をはじめ、民族的なアンサンブル形式を主体的にさらに発展させるための組み合わせである。混合編成を実現するには、民族楽器が洋楽器と同等のレベルに達するか、それより高いレベルに発達し、完成されなければならない。民族楽器を現代的に改良することは、民族楽器と洋楽器の混合編成を実現するための重要な前提条件である。

 我々は民族音楽発展の要求から、長期間の準備と試験段階を経て、1960年代の末に楽器の改良に本格的に取り組み、短時日で基本的に完成した。

 我々は民族楽器の改良において、民族楽器に固有な音色を保存し、その形態と模様、材質などを現代科学技術の要求に即して改めたり、新たに導入したりして、音色をいっそう澄んだものにし、音量も高めた。楽器の性能と音律体系においても、現代的奏法を取り入れられるように科学化しながらも、伽琴をギター化するといった洋楽器化の偏向を厳しく戒め、弄弦(ロンヒョン=朝鮮の民族弦楽器演奏技法の一つ)をはじめ、民族楽器固有の特性を生かすようにした。こんにち、朝鮮の民族楽器は、民族的特性が鮮明なうえに、世界に誇るに足る現代楽器としての姿をそなえている。とくに、遠い昔に使われた楽器を探しだして改造し、あらゆる点で遜色のない現代的な玉流琴(オンリュグム)を新たにつくりあげたような成果は、わが国の民族楽器の発展において大きな意義をもつ。朝鮮の民族楽器を立派に改良したことは、民族楽器と洋楽器の混合編成を実現するうえで重要な保障を取り付けたことになる。

 民族楽器と洋楽器の混合編成を実現するうえで重要なのは、民族楽器を基本とし、その役割を大いに高めることである。

 民族的なものを基本とし、その役割を高めることは、社会主義的民族音楽の主体性を生かすための原則的な要求である。民族楽器を基本とし、その役割を高めてこそ、音楽を真に人民的で民族的なものにすることができる。

 民族楽器のなかで短簫(タンソ)やチョテ(横笛)のような竹管楽器は、音色が清らかでさびがあって、いかなる楽器もその音を真似ることができない、独特なすぐれた楽器である。伽琴や洋琴(ヤングム)、玉流琴といった弦楽器も独特な演奏法をもつ、世界に誇りうる民族楽器である。奚琴(ヘグム)属楽器も、音が非常に穏やかで、朝鮮人民の感情によく合うものである。混合楽器の編成では、民族楽器を基本にして、その優越性と特性を十分に生かして、重奏、合奏、管弦楽などで民族的なアンサンブル形式の特色がよくあらわれるようにすべきである。

 民族楽器と洋楽器の混合編成を実現するためには、その科学性を保障することが大切である。混合楽器の編成は、民族楽器と洋楽器を取り混ぜればすむというものではない。我々が民族楽器と洋楽器を組み合わせる目的は、それぞれの楽器の音色を調和させて、民族的な味がありながらも、現代的美感にかなったまったく新しい音色を得ることにある。そのためには、民族楽器と洋楽器の組み合わせにあたって、楽器の音色と音量を科学的にバランスよく調和させる必要がある。

 混合楽器の編成で民族楽器を基本にするからといって、民族楽器の数的比率を高めようとばかりしてはならない。混合楽器の編成においては、民族楽器の独特な音色を生かし、音量の均衡を保つことに重点をおくべきである。

 民族楽器と洋楽器の混合編成は、それぞれのアンサンブル形式の特性に合わせておこなうべきである。

 管弦楽は、アンサンブル形式のうちでもっとも規模の大きい形式であり、民族楽器と洋楽器間で弦楽器群、木管楽器群、金管楽器群がそれぞれ調和をなすとともに、全体的な響きのバランスが保たれなければならない、きわめて複雑かつ困難な創作分野である。

 混合編成には、民族管弦楽と西洋管弦楽が全面的に組み合わされた全面混合編成と、部分的に組み合わされた部分混合編成がある。混合編成管弦楽では、全面混合と部分混合において、民族楽器の音色がよく生かされ、それにもとづいて民族的で現代的な新しい音を見いだせるように、混合バランスを適切に保たなければならない。

 弦楽器の組み合わせでは、奚琴属楽器とバイオリン属楽器の比率を1対1にし、第3の音が得られるようにすべきである。こうした原則で組み合わせた我々の管弦楽の弦楽器は、奚琴の音でもなくバイオリンの音でもない、非常に美しく優雅な音を響かせている。このような音は、世界のいかなる楽器も出すことのできない非常に独特なものである。

 木管楽器の組み合わせでは、民族木管楽器と西洋木管楽器の音をバランスよく組み合わせ、新しい特異な音を得ると同時に、西洋木管楽器を乱用しないようにし、美しく優雅な朝鮮の竹管楽器の音を十分に生かすことが大切である。

 金管楽器では、西洋の金管楽器を真似て民族金管楽器なるものを作って組み合わせる必要はない。金管楽器は、洋楽器をそのまま使えばよい。金属音を出す金管楽器を使いすぎると、民族楽器の優雅で穏やかな音をかき消してしまう。金管楽器の音はむやみやたらに使わず、慎重に使う必要がある。

 伽琴や洋琴、玉流琴といった民族楽器を使う場合は、西洋のハープは使う必要がない。打楽器では、長鼓やケングァリ(鉦に類するもの)をはじめ、民族楽器の効果を十分に生かして使うべきである。我々は混合編成管弦楽におけるこれまでの成果をかため、朝鮮式の民族的な混合編成管弦楽をさらに発展させるべきである。

 器楽重奏でも混合楽器の編成を適切におこなう必要がある。

 器楽重奏は小編成のアンサンブル形式であるから、全面的な混合編成は不可能であり、民族器楽重奏にバイオリン属楽器を組み合わせたり、西洋器楽重奏に竹管楽器を組み合わせる部分的な組み合わせによってこざっぱりしたものにすべきである。

 軽音楽でも民族楽器と洋楽器を組み合わせるのがよい。

 軽音楽ではサキソホンのような楽器も必要であるが、そのような楽器だけで朝鮮人民の民族的感情を生かすことはむずかしい。民族竹管楽器をはじめ、民族楽器を組み合わせて軽音楽を編成すれば、美しく優雅な音で興趣と味わいを高め、軽音楽の効果を増すことができる。

 現代音楽の世界的趨勢に即して軽音楽に電子楽器や打楽器一式などを用いる場合も、民族的情調をよく生かすべきである。電子楽器音楽も民族的な味が出るように朝鮮式に演奏すれば、青年が外国の退廃的な音楽に耳を傾けず、朝鮮音楽を好むようになるだろう。

 交響楽や重奏などでは、なるべく電子楽器は使わないようにし、使うにしてもごく部分的に使うべきである。交響楽団や重奏団が電子楽器を使うと、古典音楽のアンサンブル形式としての特性を失い、あれでもなくこれでもない、どっちつかずのものになってしまう。

 楽器編成では、あくまでも民族楽器と洋楽器の組み合わせを基本とし、なるべく民族楽器または洋楽器だけの編成は避けることである。しかし、必要に応じてアンサンブル形式に組み合わせを用いず、民族楽器か洋楽器だけで編成することもできる。

 楽器の編成にも決まった形というものはありえず、それは、時代によって変わるものである。作曲家は、種々のアンサンブル形式で民族楽器を基本とし、その特性を生かしながら民族楽器と洋楽器を組み合わせる原則で、朝鮮式の民族的な音楽アンサンブル形式を新たに開拓し、たえず発展させていくべきである。





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