『音楽芸術論』−2 作  曲
 
2 有節歌謡は人民音楽の基本的形式である


 音楽は、思想・感情を表現するうえでそれに固有な形式をもっている。

 概して、音楽は感情・情緒の芸術といわれる。音楽では、人間の感情・情緒がその微妙な動きにいたるまで、きわめて繊細に表現される。

 音楽の感情・情緒とその微妙かつ繊細な表現性は、一定の時間の流れのなかであらわれ発揮される。そのため、音楽は時間的芸術ともいわれるのである。

 音楽で人間の感情・情緒とその微妙な動きを繊細に表現するには、時間的過程としての一定の形式が必要である。音楽をどのような形式にするかは、感情・情緒を表現し、その感化力を高めるうえで重要な意義をもつ。

 声楽の形式にしても、レチタティーボ、アリアなど、さまざまな形式がある。ところが、レチタティーボの形式は、音楽がせりふに従って言葉の抑揚を真似るので、そのもの独自の構造がなく、感情・情緒の表現が不自然であり、アリアの形式は覚えづらくうたいにくい煩雑で長い形式をとるので、人民に好まれない。

 人民音楽における歌の基本的形式は、有節歌謡である。

 音楽の見地からいうと、有節歌謡とは、形象的に完結したメロディーが繰り返されながら、歌詞の内容の変化、発展に従って形象が展開されていく音楽形式のことである。有節歌謡の形式は、構造が簡潔でありながら多様な叙述的機能をもっているので、人間のどんな思想・感情でも幅広く、深く反映することができる。

 有節歌謡は、人民によって発生、発展してきた人民的な音楽形式である。有節歌謡形式は、その発生自体が人民大衆の労働生活と密接に結びついているだけでなく、集団的な歌唱形式に基礎をおいている。有節歌謡形式は、人民大衆の創造物である民謡を通じて伝えられて発展し完成され、進歩的で人民的な音楽家たちによって保存され豊富になり、構造的に完成された。

 歴史的に人民に楽しまれ愛された歌謡形式は、そのほとんどが有節歌謡の形式をとっており、こんにちにいたっても大衆歌謡は大部分が有節歌謡形式になっている。

 我々の時代にいたって、有節歌謡形式の地位と役割はさらに高まっている。我々の時代は、人民大衆が世界の主人として登場した歴史の新時代である。こんにち、わが国の人民大衆は、歴史の自主的な主体として社会の真の主人となり、自主的人間の真の生を誉れ高く輝かしている。我々の時代の要請を反映した音楽芸術は当然、人民的でポピュラーな有節歌謡形式が基本とならなければならない。

 支配階級の音楽文化は、有節歌謡形式を軽んじ、度外視した。搾取社会では、有節歌謡形式の歌謡音楽が低級な音楽とみなされ、歴史に名を残した作曲家たちも、有節歌謡形式の歌謡創作を非常に軽視した。

 かつて、抑えられていた人民的な有節歌謡形式は、こんにち発展の新時代を迎えている。我々は、時代の要請と人民の志向に即して音楽を発展させるため、有節歌謡形式を大いに奨励すべきである。

 有節歌謡形式を生かし発展させるためには、歌謡創作で有節歌謡形式の特性を生かしながら、それをいっそう多様で豊かなものにしなければならない。

 有節歌謡形式の重要な特性の一つは、メロディーの反復性である。有節歌謡形式では、メロディーが特色のある個性的なものでなければならない。そうあってこそ、繰り返されるメロディーがあきあきせず、ひきつづき新味を感じさせて印象深いものになる。

 有節歌謡で反復されるメロディーが情緒の深い思索的で情熱的なものであれば、旋律的形象は反復するほどに人々を深奥な音楽の世界に引き込み、深い感動を与えることができる。

 有節歌謡におけるメロディーの反復性は、歌詞もそれに合ったものであることを求める。いくつかの節からなる有節歌謡の歌詞は、各節が反復される一つの同じメロディーと結びつく。したがって、有節歌謡の歌詞の各節は一つの同じ音律に合うものでなければならない。不朽の名作『血の海』を革命歌劇に脚色したときに、歌謡『女性も力を合わせれば』をつくった経験は教訓的である。あのとき、作詞者が第1節は「ハギの小枝は折れましょう 年へた大樹は折れませぬ」と4・3体にし、第2節は「河原の砂は蹴ちらせても 山のいわおはゆるぎません」と4・4体にしたので、第2節の歌詞がメロディーと合わず、レチタティーボのようにつかえがちにならざるをえなかった。第2節を第1節の歌詞のように「河原の砂は散らせても 山のいわおはゆるぎません」と4・3体に直させたところ、歌詞が詩的になっただけでなく、メロディーとよく合い、メロディーがなめらかに流れるようになった。有節歌謡形式におけるメロディーの反復的特性は、歌詞とメロディーでともに生かさなければならない。

 有節歌謡形式の歌で、すべての歌を一つの枠にはめこんではならない。有節歌謡形式での歌詞を定型詩のようにするというのは、すべての歌を同じ体にするというのではなく、一つの歌の各節を同じ体にし、反復される一つのメロディーとよく結びつくようにするということである。有節歌謡形式で歌詞が一つの体の枠に縛られると、メロディーの構造が多様なものになりえない。有節歌謡における曲の構造は1部分、2部分、3部分の形式をとることもあれば、また、それがさまざまな変種を生み、種々の独特な形式をとることもある。ところが、歌詞を同じ体の一つの枠にはめるならば、曲の構造形式を多様に利用することができなくなる。

 有節歌謡形式の歌のメロディーをつくるとき、歌詞の構造に盲目的に従ってもならない。曲が歌詞に機械的に従うならば、そこには、いかなる新しい形象も期待することができない。有節歌謡の歌詞の一つの体に照応する音楽構造は一つしかありえないと考えるのは誤りである。有節歌謡のメロディーは、歌詞の抑揚と構造に盲目的に依存する補助的で二次的な手段ではなく、独自の形象を創造する自立的な手段である。作曲家は、つねに歌詞の韻律を創造的な目で見て、それに合致しながらも独特で多様なメロディーが創造できるようでなければならない。

 有節歌謡は、もともと人民の創造的な生活のなかから生まれ、発展し、完成されてきた、きわめて能動的で創造的な音楽形式である。有節歌謡形式は、1、2の固定した格式にとらわれない。人民大衆の創造物である有節歌謡形式の民謡のなかには、1、2節の短い歌もあれば、いくつかの節からなる長い歌もあり、人物の相互感応の形式で多くの節をおもしろく織りなしていく歌もある。

 民謡には、草取りをしながら、やりとりしながらうたうゆったりとした節の長い歌もあれば、短い節をたえまなく反復する労働歌謡や輪舞歌謡のようなものもある。有節歌謡形式の歌は、人民のあいだで創造されたときから、構造と形式が多種多様をきわめていた。創作家は有節歌謡の反復的な構造形式を用いるとき、人民音楽のすぐれた特性を生かし、生新な構造形式を大いに創造すべきである。

 有節歌謡形式は、構造が簡潔であるのが特徴である。

 有節歌謡形式は、歌詞と曲でやりとりする対句的な構造をなしているので、簡潔にして豊富な内容をもりこめる長所がある。有節歌謡形式のもつ前段とリフレインの対句的な特性は、集団的な歌唱生活の過程で人民大衆の才能によって形成された人民的な要素である。有節歌謡形式の対句的な特性は、簡潔な構造の有節歌謡的な反復によって、多くの内容をもりこみながらも、思想・主題および音楽的形象の統一をはかるうえで大きな効果を発揮する。これは、長い歳月にわたる人民の豊かな音楽創造活動の過程で、実践によって証明されている。朝鮮民謡には、複数の人物が問い答えもすれば、先唱者が生活の種々相を巧みに織りなしたり、それぞれの叙情をもの悲しげにうたいあげると、ほかの人や群衆がそれを受けて興をもりあげ、肯定し、応答するといったように、歌を種々の方法でやりとりする、さまざまな形式と構造がある。有節歌謡のこうした対句的な形式と構造は、革命歌謡と現代の歌謡音楽に広く利用されている。

 有節歌謡形式の簡潔な対句的特性は、有節歌謡の反復的特性とともに、『血の海』式歌劇の創造にあたって、人物間の感応、舞台上の歌とパンチャン(傍唱)間の感応などに大いに利用され、その表現的優越性を遺憾なく発揮した。『血の海』式歌劇における経験は、有節歌謡的な歌の使用で叙情的叙述と叙事的叙述、劇的叙述をさまざまに利用しながら、それを有節歌謡形式の対句的構造形式とうまく結びつけることにより、豊富な内容を多様な生き生きとした形象で簡潔に表現できる道を開いた。こうした人民的なすぐれた有節歌謡形式の特性を巧みに、いろいろと利用すれば、有節歌謡のすぐれた特性をより十分に生かし、発展させることができる。

 有節歌謡形式を生かし発展させるためには、歌謡創作で有節歌謡形式を十分に生かし発展させるだけでなく、それを拡大発展させ、それにもとづく新しい構造形式をより多く探しださなければならない。

 朝鮮音楽を多様かつ豊かに発展させるには、有節歌謡形式だけでは不可能である。いうまでもなく、大衆的な歌謡音楽は、大衆性、通俗性のために有節歌謡形式を基本とすべきである。しかし、場合によっては、歌謡音楽にも有節歌謡形式でない比較的大きい形式を用いることができる。かつての朝鮮歌謡の名曲のなかには、有節歌謡より大きい形式の歌もある。

 歌謡の名曲を合唱曲や器楽曲に編曲する場合は、有節歌謡形式より複雑で大きい形式にならざるをえない。この場合も、音楽で有節歌謡の人民的本性と特性を生かし、具現することを原則としなければならない。

 合唱と管弦楽曲『同志愛の歌』は、人民的な有節歌謡のすぐれた特性を生かして音楽的形象をいちだんと高め、有節歌謡形式をさらに発展させた、我々の時代の記念碑的な音楽作品である。この作品は、有節歌謡形式の人民性、通俗性、簡潔性をそのまま生かし、その反復性と、前段とリフレインの構造的特性を効果的に利用し、それに管弦楽と大合唱の壮大な響きを一貫した形象的構想で組み合わせることによって、我々の時代の主体的な合唱と管弦楽曲の形式を新たに開拓した。我々はこれからも、人民的な有節歌謡形式をさらに拡大し発展させた合唱や、管弦楽曲『同志愛の歌』のような朝鮮式の新しい形式を大いに創造すべきである。

 合唱や室内楽、軽音楽、交響楽といった大きい音楽作品を創作する場合も、有節歌謡形式をそのまま取り入れるか、その特性にもとづいて、有節歌謡形式の人民的な本性と優越性を十分に具現すべきである。

 独奏曲、重奏曲、管弦楽曲といった器楽曲には、統一的で独創的な主題がなければならない。朝鮮の器楽曲は大部分が名曲と民謡を主題としているので、その主題は有節歌謡の形式になる場合が多い。器楽作品の主題は一つの場合もあれば、二つまたはそれ以上あることもある。器楽作品では、一つの主題が提示されると、中間部からそれを変えたり、ほかの主題を用いて形象を対照させてから、また、最初の形象を反復して形象的に統一することになる。こうするのが、一つの主題にもとづく3部分形式である。二つの主題にもとづく3部分形式では、二つの主題が提示部で対照され、中間部でそれが発展したり、より複雑な対照をなし、再現部で二つの主題が種々の方法で統一される。

 音楽作品の創作において、対照と統一の原則は、重要な音楽文法の一つである。音楽創作分野では、音楽文法の要求を守りながら、器楽音楽の形式をたえず新しく多様に創造すべきである。

 有節歌謡の形式をとっている名曲と民謡を主題にしてつくられた器楽音楽形式では、主題に有節歌謡の優越性と特性がよく生かされるようにしなければならない。

 主題が有節歌謡の形式をとっていない場合でも、朝鮮音楽では有節歌謡の叙述的特性を十分に生かさなければならない。有節歌謡の重要な叙述的特性の一つは、メロディーが平易でうたいやすく、構造が素朴で聞きとりやすいことである。

 有節歌謡の旋律的・構造的特性を十分に生かし具現することは、大きい形式の音楽を創作するうえで守るべき原則的要求の一つである。音楽形式で有節歌謡の人民的本性、構造的特性と優越性を全面的に発揮させるのが、すなわち従来の音楽形式と根本的に区別される朝鮮音楽の独創性である。

 従来の音楽形式を用いる場合でも、朝鮮式音楽の独創性を十分に生かさなければならない。朝鮮音楽を発展させるために西洋の古典音楽の既存形式を用いることもできる。外国の既成音楽の形式を取り入れる場合も、それを朝鮮式の独創的なものにしなければならない。『血の海』式歌劇が、歌と音楽を基本手段にして生活を劇的に見せる音楽劇であるという点では、既存の歌劇形式を用いたといえる。しかし、『血の海』式歌劇は、有節歌謡とパンチャンにもとづき、まったく新しい創作原則と方途によって創造されたので、従来の歌劇と根本的に区別される新しいタイプの歌劇になった。ヨーロッパの古典音楽の既存形式であっても朝鮮音楽に服従させて、朝鮮人の感情に合わせて独創的に用いれば朝鮮式の音楽になる。

 作曲家は器楽音楽をつくるにしても、既存の形式と方法の古い枠を思いきってうちこわし、有節歌謡形式の人民的で通俗的な要素を生かして、朝鮮式の新しい器楽音楽形式をたえず創造すべきである。

 朝鮮人民は、昔から民謡をはじめ、小さい形式のすぐれた歌を多くつくってうたっただけでなく、大きい形式の音楽も少なからず創造してきた。朝鮮人民が好んだ大きい音楽作品もすべて探しだして保存し、その形式のなかで我々の時代にそぐわない古い要素は捨て、人民的なすぐれた要素はこんにちの時代的美感に合わせてさらに発展させ、主体的な朝鮮音楽の発展に大いに利用すべきである。

 我々の音楽芸術では、人民音楽の基本的形式である有節歌謡の形式をとっている歌を中心とし、複雑で大きい形式の音楽も有節歌謡形式の人民的な特性を十分に生かして、すべての音楽を人民の真の享有物にしなければならない。





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