金正日「建築芸術論」−3 建築と形成

1 建築は総合芸術である


 建築は芸術である。

 建築は、造形芸術的な形象と実用的な立体空間を通して人間生活を反映し、思想性・芸術性を表現する。

 建築は、人間の自主的で創造的で意識的な活動によって創造される。人間は自分自身のために、自己の自主的で創造的な生活のために建築を創造し、発展させる。建築は人間の自主的で創造的な活動の産物であるため、それには人間の思想・感情と美的指向が反映され、思想性・芸術性が付与される。人間の思想・感情と志向、美的感情は、建築に思想性・芸術性を付与し、それを特徴づけ、規定する。

 自分の時代を輝かし、後世に末永く伝えようとするのは、人民の気高い思想・感情であり、志向である。人民のこのような美しく気高い思想・感情と志向によって、時代の誇りと称される大記念碑が創造され、それが造形芸術的に最上の水準で形象化され、都市と農村は現代的に、壮大かつ美しく整備される。調和性と統一性、多様性と均衡性、安全性など建築創造の造形芸術性はすべて、人間の美的理念の産物である。人間に思想・感情と美的指向がなければ、建築創造で造形的感じをあらわす問題と、建築的な多様性、統一性、立体性をもたらす問題、都市と村落を壮大かつ美しく、現代的に整備する問題などは提起されもせず、単に肉体的な生活条件と生産条件を保障することが要求のすべてとなるはずである。

 思想性・芸術性の欠如した建築は、人間の思想的・美学的要求と志向が無視された建築であり、人間の精神的産物ではなく、物質的産物にすぎない。思想性・芸術性の欠如した建築は、認識的・教育的機能を遂行できないのはもちろん、物質的・実用的機能を円滑に遂行することもできない。肉体的生活をすべてとする人間を自主的な社会的存在とみなせないように、思想性・芸術性の欠如した建築は芸術ではない。そのような建築は原始社会の「竪穴住居」にひとしい。建築創造において物質性・実用性とともに思想性・芸術性を重視するのは、実用芸術としての建築本来の要求である。

 建築の思想性・芸術性は、その造形性と直観性によって表現される。建築芸術は、人間の思想的・美学的感情と志向、客観的現実を造形芸術的形象を通じて反映する。これは、建築芸術がほかの芸術と区別される本質的特性である。直観性は当該の対象を見てそれにもられている思想的・美学的内容を直接感じとらせ、造形性は思想的・美学的内容を連想の方法で感受させる。直観性と造形性は、建築の思想性・芸術性を感受させる基本的手段である。

 建築は感覚的な生々しさと絵画的な直観性、情緒的な感動性と非反復的な個性によって、人間の思想・感情と理想を造形芸術的に、直観的に表現する。垂直的な建築形態は上昇的な感じを与え、上昇的な造形芸術的形象は、革命のために屈することなくたたかおうとする人民大衆のゆるぎない信念と鉄の意志を象徴的に表現する。水平的な建築形態は、前進的な造形芸術的形象によって、革命の途上に立ちはだかるあらゆる障害と難関を勇敢に乗り越えて力強く前進する人民の不屈の気概を表現する。

 我が国固有の民族建築様式である、舞い上がるかのような優雅な朝鮮式の屋根の造形的形象は、たえず発展し、向上しようとする朝鮮人民の楽天的な生活感情と英知に富む気概を象徴的に、見事に表現している。

 同一の建築形態、または相異なる建築形態の調和のとれた結合は、造形芸術的な形象と象徴的な表現をいっそう豊かにする。垂直的な建築形態の集合は上昇的な表現をさらに強調し、垂直的な建築形態と水平的な建築形態の調和のとれた結合は、より力強い気概を感受させる。象徴的な表現によって、建築芸術に時代の精神と要請、人間の思想・感情と美的指向が反映され、思想性・芸術性が付与される。建築が、人間の思想的・美学的要求を充足させ、思想的・文化的教育に寄与する理由はまさにここにある。

 思想性・芸術性は芸術としての建築の本質的属性の一つであり、建築芸術の真価を規定する根本条件であり、重要な徴表である。

 建築形成において、労働者階級の領袖の功績をたたえる大記念碑を構成の中心とし、構成要素と構成単位のすべてをこれに服従させて解決することは、領袖を永遠に戴こうという人民の気高い思想・感情と美的指向の反映であり、このような造形芸術的形象は人々をして領袖を熱烈に慕わせ、かぎりない忠誠心をいだかせる。

 革命の首都、平壌市に建立されたチュチェ思想塔と凱旋門は、労働党時代の誇り高い大記念碑的建造物であり、不滅の革命事績記念碑である。チュチェ思想塔は、敬愛する金日成同志の創始したチュチェ思想の偉大さと不滅の生命力を高らかにたたえており、凱旋門は金日成同志が20星霜、血の海、火の海をつきぬけて強盗日本帝国主義者を打倒し、祖国解放の聖業をなし遂げた不滅の革命業績を高くたたえている。チュチェ思想塔と凱旋門は、それらにもられている思想的内容の深奥さと豊かさのみでなく、立派な造形芸術性のため、朝鮮人民をチュチェの革命偉業の完成へと力強く導いており、世界の革命的人民をかぎりなく感動させている。チュチェ建築は、朝鮮人民の思想・感情と美的指向を立派にもりこんでいるため、最も革命的な建築となる。

 建築は、総合芸術である。

 建築は、彫刻、壁画、装飾、工芸など各部門の芸術の総合からなる。もちろん、ここで主導的役割を果たすのは建築であり、それ以外のものは建築と有機的に結びついて、建築の思想性・芸術性と実用性を高める補助的役割を果たす。

 彫刻と壁画は、建築の思想的・芸術的内容を豊かにし、建築的形象を高める役割を果たす。彫刻と壁画は芸術としての建築の本質的特性を明確に生かし、建築は彫刻と壁画の造形芸術的効果を高める。建築と彫刻、建築と壁画は、思想的・芸術的内容を補充し合い、形象を制約する関係にある。

 建築と彫刻、絵画は、姉妹芸術である。

 彫刻と壁画は建築芸術の思想性・芸術性を高め、その性格と使命をより明確に表現し、建築芸術に時代の精神を反映する。彫刻と壁画は、形態、色彩、明暗などの表現手段によって、視覚的具体性をもち、現実を直観的に示す固有な特性をもつ。彫刻と壁画は、建築に当代の社会的・階級的関係、人民大衆の思想的・美学的感情と志向をより幅広く、深くもりこめるようにする。その時代の人間の思想的・精神的特質と当代の社会相を幅広く深く反映し、建築を後世に伝えるうえで彫刻と壁画は、じつに重要な役割を果たす。

 彫刻と壁画は、現実を直観的に描き、反映する。建築に彫刻と壁画があってこそ時代感がにじみでる。

 万景台学生少年宮殿の前方中心軸上の彫刻群像『幸福の花馬車』と両翼上段の壁画は、金日成同志がほどこした無料教育の恩恵のもとで思う存分学び、無邪気に遊ぶ我が国の子供たちの幸せな姿を立派に形象化することによって、かれらをいだき育て、国の「王様」とする金日成同志の慈愛深いふところを深く、生き生きと描きだしており、宮殿の思想・主題である偉大なふところを造形芸術的にさらに浮き立たせている。そうして、建物の労働者階級的で人民的な性格と、子供が学ぶ宮殿としての使命を明確に表現し、その思想性・芸術性を高めている。千里馬通りの平壌体育館周辺の空間に配された各スポーツ場面を形象化した彫像や舞踊彫刻群像『降仙の夕焼け』、万寿台芸術劇場正面の壁画と噴水公園の舞踊群像は、党の賢明な指導のもとに、我が国の文学・芸術分野で達成された誇らしい成果を集約的に描きだしており、建築空間と建築物の性格と使命をより明白にしている。建物の構造構成体系と造形性だけでは、その思想的内容を掘り下げて示すことも、性格と使命を明確に表現することもできない。

 彫刻と壁画は、建築芸術の性格と使命、その思想性・芸術性を表現し、強調する最も強力な手段である。

 照明、装飾、色彩も建築芸術と切り離して考えることはできない。これらは、建築芸術の重要な構成要素であり、建築をより便利に、見栄えよく美しく創造しようとする人間の生活上の要求と思想的・美学的要求や志向から発生し、発展した。照明、装飾、色彩は、建築の思想性・芸術性の表現手段となり、その質的向上の前提となる。

 建築芸術は、彫刻、壁画、照明、装飾と密接な関係にあり、それを重要構成要素としているため、総合芸術となる。

 建築芸術は、建築家、彫刻家、美術家、デザイナー、照明専門家の集団的力によって創造される。そういう意味で、建築芸術を集団芸術ともいう。

 建築は造形芸術的な表現性によって、彫刻や壁画がなくても時代の精神と当代の人間の思想的・精神的特質と美的感情を表現する。もちろん、これは文学・芸術をはじめ、ほかの一般芸術のように具体的で直接的な生々しい描写でなく、象徴的な表現である。建築の表現する思想的・芸術的内容は、推理と吟味、連想の方法によってのみ理解し、把握することができる。ここで決定的意義をもつのは、人間の思想・意識水準と美的水準であり、建築言語にたいする正しい理解である。建築の表現する思想的・芸術的内容はあくまでも象徴的なものであり、その表現手段は点、線、面、立体、空間といった建築言語である。人間の準備程度によって建築の表現する思想的・芸術的内容は違ったものに理解される。しかし、これは理解程度の差異を意味するものであって、本質的に別なものに理解したことを意味するのではない。建築は、時代の精神と当代の人間の思想的・精神的特質、美的感情を象徴的に表現するが、それが時代の基本的潮流を表現し反映するため、決して別なものとしては理解されない。

 かつて建築をさして「こわばった音楽」という人もいれば「音のない音楽」という人もいたが、これはかれらの思想・意識水準と美的水準、建築にたいする理解がその程度でしかなかったことを意味する。前者の見解は建築の時空的特徴を理解していないこととかかわりがあり、後者の見解は建築の表現性と象徴性を幅広く、深く理解していないこととかかわりがある。

 建築には音楽的な形象だけでなく、絵画的な形象や彫刻的な形象もあり、詩的な形象もある。

 万寿台の金日成同志の銅像を中心に、平壌市内の膨大な空間をうずめつくしている現代的な多層、高層、超高層の建物は、金日成同志を仰いで歓呼する全朝鮮人民の感動的なスペクタクルを思わせ、金日成同志を唯一中心とする朝鮮人民の一心団結した姿を感じとらせる。これは、いかなる美術家、彫刻家、音楽家も形象化することのできない荘厳かつ壮大な絵画的、彫刻的な構図であり、詩的、音楽的な形象である。平壌市中心部の中心軸上に位置している人民大学習堂の正面は、あたたかい春の日、青々とした芝生で親鶏が羽の下にひよこをいだいている幸せそうな姿を描いた美術作品を思わせ、万寿台噴水公園側の側面は、チュチェの革命の旗、社会主義の旗を高くかかげて、いかなる波風にも微動だにせず共産主義をめざして疾風のごとく前進する朝鮮人民の革命的気概を描いた彫刻的構図を思わせる。

 建築芸術の象徴的な表現性は、一種類の芸術とは比べようもなく幅広く深奥なものである。こういう意味でも、建築は総合芸術といえる。

 建築の思想性・芸術性は、当代の支配的な思想と建築家の思想、理念、創作的理想の統一からなり、人間の社会的・階級的立場と環境の反映として、徹底して階級性をおびる。建築の階級的性格は、建築にもられている思想性によって規定される。建築において思想性が除去されれば、その階級的性格があいまいになり、思想的・教育的機能を失うことになる。建築の思想性を高めるためには、内容的構成要素の調和のとれた統一を実現しなければならない。建築の思想性は、人が実際の建築空間で生活する過程で、感覚器官を通して総合的に感じとられる知覚と感興によってはじめて認識される。内容的構成要素を適確に統一させた建築創造物であってこそ、人々に便利で住みよい条件をもたらし、構造の堅固性と耐久性にたいする信頼感と美的感情をいだかせ、建築物にもりこまれた人民にたいする党と領袖の愛情を認識させることができる。

 建築は、それ自体の造形芸術的な表現性によってさまざまな芸術的形象を創造し、感受させる。建築における造形芸術的形象は、建築的な形態と各種の建築形成手段と調和手法によって創造される。建築形成手段と建築調和手法は、造形芸術的形象創造の基本的手段である。

 建築様式に造形芸術性をいかに表現するかによって、その建築物の芸術性の程度が評価される。造形芸術性は孤立的にではなく、思想的内容、生活機能、構造技術とともに総合的に表現される。

 建築が芸術であるからといって、一面的に造形芸術性のみを重視する傾向を厳に警戒しなければならない。建築創造において造形芸術性に偏れば、芸術至上主義的誤りを犯すことになる。建築は芸術ではあるが、あくまでも実用芸術であるため、その創造においては造形芸術的表現と生活機能および構造的表現を統一的にとらえていくべきである。これは、建築が実用芸術としての認識的・教育的機能と実用的機能を正しく遂行できるようにする根本的保証である。

 建築の造形芸術性は、建築の内容的構成要素を形式に正確に反映させる。建築の造形芸術性において基本となるのは美的性格である。美的性格は社会的・歴史的反映であって、人間の創造的労働の過程で形成され、客観的に存在する社会的性格であり、人間の意識に反映された美的イメージである。

 チュチェ建築の造形芸術性は、人間に高い美的情緒をいだかせる。

 建築家は、チュチェ建築の創作理論と形成理論にもとづいて人民大衆の要求と現代的美感に合う、新しく独創的で特色のある建築様式を探究すべきであり、国の経済的土台の強化と科学技術の発展、人民の生活水準の向上にともなう、かれらの生活上の要求と美的要求にそって建築の造形芸術性を革新しなければならない。

 建築形成においては、象徴的な表現性を正しく生かすことが、特に重要な問題として提起される。

 象徴的な表現性は、建築に活力を与える源である。活力のある建築であってこそ、その社会的使命と役割を果たすことができる。象徴的な表現性を正しく生かした建築は、深い印象と情緒を感じさせ、活力を与えるが、そうでない建築は無味乾燥で堅苦しい感じを与え、生活に活力を与えることができない。建築創造において象徴的表現性を正しく生かすことは、建築創造の全過程でゆるがせにしてはならないポイントである。

 建築形成において象徴的な表現性を正しく生かすためには、建築の内容的構成要素を統一的に反映しなければならない。建築の内容的構成要素のうち、どの一つも無視したり、絶対化してはならない。

 建築家は建築物の内容的構成要素を重視しながらも、活力を与える表現性を対象の性格と特性に即して、順序よく総合的に生かしていかなければならない。劇場の場合なら劇場らしい外形をととのえ、内容的構成要素が総合的にあらわれるようにし、外形を見ただけでも劇場というイメージがすぐ感じられるようにし、体育館の場合なら体育館としての特性が感じられるようにしなければならない。

 象徴的な表現性を正しく生かすためには、新しい建築言語を探究し、それを巧みに適用しなければならない。視覚的に感じとられる表現性を生かして建築形態が活力をおびるようにするうえで、建築言語は極めて重要な役割を果たす。

 現実に深く入って、人民の本質的で典型的な生活上の要求を正確に把握し、表現することに努力を傾けるべきである。

 建築形成における象徴的表現手法は、建築家が意図するある建築形態の思想的内容をほかの事物形態の造形的特性と比較してあらわす表現法である。建築形成における象徴的手法は、形成要素の組み合わせによってつくりだされる造形的特性と、人間の日常生活を通じて頭にこびりついた事物の造形的特性と象徴的対象のイメージにもとづく。

 建築形成において象徴的手法を建築物の使命と基本的要求に即して手際よく適用してこそ、建築の思想性・芸術性を高めることができる。象徴的手法が建築形態の思想性・芸術性を表現する強力な方法であるからといって、それを目的指向性もなくみだりに適用してはならない。そうすれば、かえって粗雑さと散漫さをもたらし、思想性・芸術性を低下させる結果をまねくことになる。

 建築の思想的・芸術的内容を象徴的に明確に表現するためには、さまざまな手法を効果的に適用しなければならない。

 建築物の思想性は、造形芸術性と統一されてこそ明確にあらわれる。建築物の思想性を正しく表現するためには、それを浮き立たせる造形芸術性が裏打ちされなければならない。造形芸術性は、壮大性、荘厳性、厳格性、軽快性、瀟酒性、優雅性、華麗性、運動性など各種の造形的美感をあらわすが、これは建築物の思想的内容をきわだたせる方向で解決しなければならない。

 建築形成の象徴的手法を適用するうえで重要なことは、象徴的手法によって選定された建築形態が、固有な造形的要求に忠実に服従するようにすることである。建築家が建築物の思想的内容を新しい特色のある建築形態で表現するからといって、その主観的欲望によって建築に固有な造形的要求を無視し、建築形態をある種の彫刻品のようにつくってはならない。複雑で幻想的な建築形態は、生活機能的な不合理と構造解決の無理、施工の複雑さ、資金と資材、労力の浪費をまねく。建築家は主観的欲望にとらわれてとてつもない象徴的形態に執着すれば、ブルジョア形式主義的な「表現派建築」になりさがることを肝に銘じ、建築創作における原則的問題にしっかり足をすえて象徴的手法を正しく適用しなければならない。

 象徴的手法を用いるときには、選定された建築の形態をバランスよく組み合わせなければならない。象徴的手法によって選定された形態がアンバランスなものになって突出したり、ぎこちなく組み合わされれば、奇形的な建築形態が生まれることになる。こうなれば、むしろ建築物の思想的・芸術的価値を低下させる結果をまねく。新しい象徴的な形状を着想することにも力を注ぐべきであるが、その形状をバランスよく組み合わせることにいっそう力を入れなければならない。

 象徴的手法を用いるときには、直喩的表現対象を建築学的に十分に消化させなければならない。事物形態の具体性を保障するからといって、原形の形状を具体的にあらわしすぎると、建築物としての特性が生かされないばかりでなく、建築形態が気品のない低俗なものになってしまう。

 直喩的手法を適用するために事物形態を選定するときには、趣味本位にではなく、人々に好感と強い印象を与える意味のある形態を選ぶべきである。その場合、その形態は必ず、新しい建設材料と構造技術によって合理的に解決できるように、簡潔でありながらも格好よく建築化しなければならない。

 建築家は、象徴的手法を建築物の特性に即して巧みに適用して、思想的・芸術的質を高めなければならない。

 建築形成において彫刻と壁画を大いに利用することは、特に重要な意義をもつ。装飾彫刻や壁画は、建築に人間と人間生活をより生々しく具体的に反映する重要な手段である。装飾彫刻と壁画を建築創造に大いに利用すれば、建築に時代感を深く、リアルに表現することができる。建築物の性格に合い、時代に合う装飾彫刻と壁画は、建築の思想性・芸術性を高めるうえで大きな役割を果たす。

 建築形成において彫刻と壁画を効果的に利用するためには、建築と彫刻、建築と壁画の相互関係を正しく解決しなければならない。建築と彫刻および壁画は互いに補足し制約する関係にあるため、その相互関係を正しく解決できなければ創作での成功は望めない。建築と彫刻および壁画の相互関係の問題を解決するうえで基本となるのは、彫刻と壁画の主題・思想を的確に選び、その規模を適切に定めることである。都市の内部空間や建築物の周辺空間、構内空間に建てる彫刻は、主題・思想がその建築空間の性格と使命に即して選択されなければならず、その規模も建築物とその周辺空間の大きさにふさわしく設定されなければならない。壁画の場合も同じことが言える。彫刻や壁画の主題・思想がその建築物と建築空間の性格と使命に合わなければ、人々の理解に混乱をまねき、笑いものになる。建築創造においては、装飾彫刻と壁画が建物の性格に合ったものであってこそ、建築の思想性・芸術性をきわだたせながら彫刻と壁画、建築を同時に生かし、建築と彫刻、建築と壁画を十分に調和させることができる。彫刻や壁画がいくら上手にできたとしても、それが建物の性格に合わなければ建築装飾美術としては用をなさず、無意味なものとなる。

 彫刻と壁画の規模もやはり、建築空間の規模より大きかったり小さかったりすると、互いに威圧されたり威圧する関係が生じて、矮小化されたり誇張され、調和が崩れる結果をまねく。そうなれば、彫刻を建てる意味がなく、かえって建てないほうがましになる。

 建築創造において彫刻と壁画を利用する場合、その本質的特性を正しく生かすことが大切である。彫刻と壁画は、いずれも造形芸術の一ジャンルとして独自性をもち、ほかの芸術と区別される本質的特性をもっている。

 彫刻と壁画の独自性と本質的特性を無視し、建築の造形芸術的効果を生かすからといって、彫刻をその本質的特性に反して形象化したり、壁画をあいまいに形象化するならば、彫刻と壁画そのものの特性を生かせないことはいうまでもなく、建築の思想的・芸術的質を低下させることになる。

 彫刻と壁画は建築に服従しなければならないとする考えは、彫刻、壁画の本質的特性と独自性、その相互関係にたいする理解不足から生まれたものである。彫刻と壁画は建築に服従するのでなく、その構成要素とならなければならず、それは自己の独自性を生かして明確かつ鮮明に形象化され、鮮やかで明るい色彩で描かれなければならない。そうしてこそ、建築の思想性・芸術性を高め、その性格と使命をより明確に表現することができる。

 建築に装飾彫刻と壁画を適用すべきだといって、対象を考慮せず、みだりに用いてはならない。装飾彫刻と壁画の不必要なところにそれを用いるならば、建築物の気品をそこない、彫刻や壁画もぎこちないものとなる。装飾彫刻と壁画はむやみに用いてはならず、是非必要とされるところに用いてこそ価値があり、意味あるものとなる。

 建築が総合芸術としての姿と気品を完璧にそなえるためには、彫刻、壁画、装飾、照明、色彩などを広く利用し、建築家、彫刻家、美術家、デザイナー、照明専門家のあいだの創造的協力を強化しなければならない。建築家は、彫刻と壁画が自分の意図に合うかどうかを検討し、彫刻家、美術家と一つひとつ合意しながら、自分の創作意図を正確に貫いていくべきである。

出典:金正日選集 11巻


(注)「瀟酒」 読み=しょうしゃ。意味=美麗な様、人目を引く美しさを表す単語のひとつ。用例:瀟酒な服装、瀟酒な洋館など。すっきりしているさまや飾り気がなく、さっぱりした様子のこと。

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