金正日「建築芸術論」−1 建築と社会 

3 チュチェ建築は、人民大衆中心の建築である


 チュチェ建築は、不滅のチュチェ思想を具現した人民大衆中心の建築である。チュチェ建築は、人民大衆が自然と社会の主人として登場し、自己の運命を自主的に、創造的に切り開いていく我々の時代、チュチェ時代を反映している最も革命的で人民的な建築である。

 社会・歴史の創造物である建築は、当該社会の支配的な思想を具現し、その社会に生きる人々の理念を反映する。建築は物質的材料によってなされるので、建築創造で技術工学を無視してはならないのはもちろんだが、より重要かつ第一義的な問題は、建築物に革命的な思想と理念が具現されるようにすることである。建築創造において、構造、施工、暖房、換気、音響、照明などの問題は技術工学上の問題であるが、思想と理念は建築の思想的・理論的土台に関する問題であると同時に、創作の目的と目標、創作の原則と基本的要求、創作方向を規定する根本問題であり、実践の基準に関する問題である。搾取社会の建築が反人民的であるのは、建築をなす構造体そのものが反人民的であるためでなく、建築が支配階級の反動的な思想と理念に根ざしているからである。結局、建築は純然たる技術工学上の問題に限られるのではなく、思想と理念に関する問題に帰着する。

 チュチェ建築は、建築にチュチェ思想を具現することをその使命としている。

 チュチェ思想は、チュチェ建築の礎である。

 チュチェ思想は、チュチェ建築創造の出発点、基準となり、指針となる。チュチェ思想で一貫している建築がすなわちチュチェ建築である。言いかえれば、チュチェ建築は、チュチェ思想が建築分野に具現された建築である。

 チュチェ建築では、常に人民大衆が中心にすえられる。そもそも建築は、人間によって発生し、その要求によって創造され、人間のために存在する。建築創作においては、常に人間が中心にすえられる。

 建築創作における人間の問題は、建築の階級的性格を判別する基準となる。建築創作で人間を中心にすえる場合にも、どのような人間を中心にすえるのか、勤労人民大衆なのか搾取階級なのかによって、社会主義的建築か、ブルジョア的建築かが区別されるのである。

 建築の運命を左右するのは、人間と社会である。建築と人間、建築と社会の相互関係を正しく解明しなければ、建築の階級的性格と本質、使命、創造の総体的方向を明らかにすることはできない。人間によって社会が成立し発展するため、常に社会の中心に人間がすえられる。こういう意味で、建築に関する問題は人間によって規定されるといえる。

 チュチェ建築では、建築の主人を人民大衆とみなす。社会主義・共産主義社会では、人民大衆が建築の創造者、享受者となる。人民大衆はその社会的地位と役割からして、建築を創造すべき義務をにない、享受する権利を有する。もちろん、いかなる社会においても建築の創造者は人民大衆である。しかし搾取社会では、建築創造が人民大衆にとつて栄誉ある義務となるのではなく、資本のくびきとなり、人民の物質・文化生活の保障手段ではなく、搾取と略奪の手段となる。したがって、搾取社会では人民大衆が建築の創造者にはなるが、享受者にはなれない。搾取社会において人民大衆は建築になんの利害もないため、建築創造そのものが苦役になり、雇用労働になり、したがって創意性と積極性を発揮しない。

 社会主義社会では、人民大衆が社会の主人、建築の主人として建築に直接的かつ死活的な利害をもつ。社会主義社会で人民大衆は主人としての役割を果たし、社会の物質的富をより多く創造し、裕福で文化的で幸せな生活を営むために建築創造に自発的に参加するのみでなく、あらゆる創造的積極性と革命的熱意を発揮し、自己の志向と要求を建築に立派に反映する。

 チュチェ建築、社会主義的建築がブルジョア的建築とは比べようもなくすぐれており、また旧社会では見られなかった驚異的な速さで発展するのは、まさに人民大衆が建築の享受者としての強い責任感をもって建築創造に積極的に参加するからである。人民大衆が建築創造に積極的に参加するのは、創造者としての任務であると同時に、享受者としての義務でもある。

 チュチェ建築は、建築にたいする人民大衆の要求と志向を完全無欠に実現するので、社会主義的・共産主義的建築のモデルとなる。

 人民大衆の志向と要求は、自主的で創造的な生活が存分に享受できる社会主義・共産主義社会を建設することである。人民大衆のこの志向と要求はチュチェ建築の理念であって、それはチュチェ建築の使命と目的、創造の総体的方向を規定する。

 チュチェ建築は、人民大衆の自主性の完全な実現をめざす歴史的偉業である全社会のチュチェ思想化偉業の遂行に寄与することを使命とする。我が党が全社会のチュチェ思想化を党の最高綱領として提起している現在、この崇高な偉業をぬきにした我々の時代の建築のいかなる使命もほかにありえない。チュチェ建築は、全社会のチュチェ思想化偉業の遂行に寄与することを最大の使命としてこそ、建築にたいする人民大衆の物質生活の要求と思想的・美学的要求を最高レベルで充足させ、かれらの自主的で創造的な生活を全面的に保障することに積極的に奉仕し、社会生活の各分野をチュチェ思想の要求どおり改造するうえで、その社会的機能と役割を果たすことができる。

 チュチェ建築は人民大衆自身が創造し、かれら自身が享受する建築であるため、人民大衆の志向と要求が常に絶対的な位置におかれる。

 我々が莫大な資金をかけて建設した清津(チョンジン)市の住宅地区を南清津(ナムチョンジン)に移したことや、解放後、鋼材が非常に不足していた困難な状況のもとでも、原鉄炉を跡形もなく爆破させたことなどは、それらのものが人民に不便を与え、人民の生命を脅かす要因であったからである。人民の志向と要求に背を向け、かれらの生活を不便なものにしたり、生産活動に支障をきたす建築は、人民大衆中心の建築、チュチェ建築ではない。

 チュチェ建築の特徴は、時代の要請と人民の志向と要求にかなった内容と形式の完璧な統一にある。

 人民大衆の志向と要求は建築の内容と形式を特徴づけ、内容と形式によって実現される。建築の内容と形式が人民の志向と要求に合うものであるときにのみ本物となる。

 建築の内容は質的要素の結合によってなり、形式は質的要素を一つにまとめて統一させる平面容積空間構成の造りと仕組み、形状と外形によって表現される。建築の内容は、その建築物の創造目的と使命、性格にかかわる問題であり、形式はそれをどんな構造と形態で実現するかという具体的な方法と表現手段と関連する問題である。建築様式の創造過程は、建築の内容を具現する過程であり、それはすなわち建築の形成過程であり建設過程である。

 チュチェ建築の内容は社会主義的なものであり、形式は民族的なものである。

 建築における社会主義的内容は、人民大衆の志向と要求に合致するものである。つまり、建築の質的属性である便利さ、こぎれいさ、美しさ、堅固さを人民大衆の志向と要求にふさわしく構成し解決したものが建築の社会主義的内容となる。

 便利さはチュチェ建築の内容の最も重要な構成要素であり、質的属性である。建築の第一の機能は実用性であり、その基本的徴表は便利さである。換言すれば、便利さは実用性を規定し、実用性は建築の機能を特徴づける。

 便利さの欠けた建築物は実用性が乏しく、実用性の乏しい建築物は見かけだおしにひとしい。実用性の乏しい建築物は、まさに資本主義社会で流行しているブルジョア形式主義の建築物である。人民大衆は、建築空間が生活と活動および休息に便利につくられ、衛生条件が十分にととのった建築物、自主的で創造的な生活を十分に保障できる建築物を求める。人民大衆のこのような要求を創作の根本目的として提起し、それを立派に実現した建築がチュチェ建築である。

 便利さにたいする人民大衆の要求は、チュチェ建築を人民大衆中心の建築にならしめる前提である。

 便利さは社会的・歴史的産物であり、したがってそれは社会的性格をおびる。社会が発達し人民の生活が豊かになるほど、便利さにたいする社会的要求、人民大衆の要求はさらに高まる。

 我が国で廃墟のなかから復興建設をはじめた戦後の時期には、穴ぐらのような住宅が人々の住まいとなっていたので、一間の住宅でも満足したものだが、生活が比べようもなく向上した現在ではバス、トイレ、応接間もあり、ガス化、セントラル・ヒーティング化の実現した三間、四間の住宅を求めている。生活が苦しかった戦後の時期には文化的な休息など考えることすらできなかったが、こんにちにいたっては、このすばらしい世で、どうすれば、さらに、はりあいのある楽しい暮らしが営めるかを考え、文化的な休息条件を求めている。我々がいま、戦後に建てた住宅を改造したりとりこわして新築し、年々膨大な建設をくりひろげて近代的な住宅、劇場、映画館、体育館、公園などの文化休養施設やレストラン、商店などのサービス施設を大々的に建設しているのは、高まる人民大衆の要求をより円滑に充足させるためである。

 便利さにたいする人民大衆の要求は、社会の発展とともに高まり、それを解決していく過程で便利さの内容はいっそう豊富になり、それによって建築の発展も遂げられる。日を追って高まる便利さにたいする人民大衆の要求は、建築分野にさらに高い創作目標を示し、建築発展の前提をつくり、建築の発展を促す。

 チュチェ建築は、建築にたいする人民大衆の要求を創作の目標とし、それを円滑に解決し、その過程で発展するため、人民大衆中心の建築となる。

 チュチェ建築はまた、主体的な美学思想を具現して、人民大衆の思想的・美学的要求を充足させる。

 建築は実用芸術であるため、便利さとともに美しさをぬきにして考えることはできない。美しさはチュチェ建築の重要な内容的構成要素の一つであり、質的属性である。便利さが建築の実用的機能を特徴づけるのにたいし、美しさは思想的・芸術的機能を特徴づける。

 建築における美しさは、自然と社会を改造する人々の創造的活動の過程でつくられる。自然と社会を改造し変革する過程で創造される建築物には、人々の生活上の要求と思想的・情緒的理想が具現されている。人々はみずから創造した建築空間で生活し活動しながら、そこに具現されている美的性質を知覚し、感じとる。

 主体的美学思想は、人民大衆の志向と要求を美しさの唯一の評価基準とする。

 人民大衆は、この世のすべての美しい物質的・文化的富の創造者であり、享受者である。美しいもののうちどんなものが最も美しいものであるかを見きわめられるのは人民大衆である。建築家や建設者がよいとし、美しいと評価するのはあくまでも主観である。建築の実用性のみでなく、思想性・芸術性についての人民大衆の評価が、最も公正かつ客観的な評価である。人民大衆がよいといい、美しいというものがよいものであり、美しいものである。美について最もよく知っているのは人民大衆であるため、かれらの志向する美しさこそ美しさのうちでも最も高尚な美しさとなる。

 チュチェ建築の示す人民大衆の志向に合致する美しさは、自主性の実現をめざすかれらの思想・感情と美的情緒、趣味を反映する。自主性の実現をめざす我々の時代の人間の高度の精神世界を示すところに、チュチェ建築の美しさが最も高尚な美しさとなる根拠がある。

 我々が革命の首都平壌を見てまわるたびに、平壌が世界でいちばん美しい都市だと感じるのは、建築物の多様な形態や芸術的な調和から受ける感じであるとばかりはいえない。形態美と造形美は、あくまでも建築の外的形式が描きだす美しさである。建築の形態美と調和美を美しさのすべてとみなすのは、建築美に関するブルジョア的な見解と観点である。建築芸術の真の美しさは、外的形式ではなく内容にある。

 我々は平壌市の壮大華麗な姿を通じて、金日成同志をいつまでも高く仰ぎ、この世の果てまで従おうという朝鮮人民の気高い忠誠心と高い思想・精神世界を感じ、金日成同志の賢明な指導のもとにあらゆる難関と障害を克服して成功裏に前進してきた人民の不屈の闘志と革命的気概を感じとることができる。我々は人民の喜びあふれる公園や遊園地、劇場、住宅を見るたびに、人民のために一生をささげている金日成同志のあたたかい愛情を胸熱く感じる。

 チュチェ建築の美しさは、自主性を生命とする人間の崇高な思想・感情と結びついた美しさであり、自主性を志向する人間の高い理想と結びついた美しさである。それゆえ、チュチェ建築の美しさは、美しさのうちでも最も気高く神々しい美しさとなるのである。

 チュチェ建築は、建築の形態美、造形美をも重視する。造形美は建築の形象化水準を評価する重要な尺度である。

 建築の造形美は建築内容の反映として形式の美しさであり、それは人間の意識に反映された美的イメージである。

 美的認識は、一般的に人間の世界観と階級的立場、文化知識水準、美的理想、民族的感情と情緒によって異なる。建築そのものの造形は人間の気高く美しい思想・感情を反映しなければならず、現代美感にも合致し、自民族の好みと情緒にも合うものでなければならない。

 建築における造形美の認識的特徴は、それが実用性との有機的な統一のもとに感じとられることにある。ある建築物の造形が見栄えのするものであっても、使用に不便で不安定な感じがするとすれば、決して美しさを感じとることはできない。

 チュチェ建築において人間の美的認識は、みずからの誠実な労働と創造的知恵の結果によって、自主的で創造的な生活にたいする志向と要求が実現されたところからくる喜びと楽しみが結びついたものである。これは、建築に体現された美的性質をさらに美しく、リアルなものとして感じとらせる。

 建築の造形美は人間の知覚に作用して情緒的な感情を呼び起こし、このような情緒的および感性的契機を通して人間を思想的・美学的に、文化的・情操的に教育する。建築創作において、造形芸術性の向上について強調する理由もここにある。

 建築の造形芸術性は、その認識的・教育的機能において重要な位置を占める。

 ブルジョア的建築の抽象的で変態的な造形美は、人民大衆の自主的な思想・意識を麻痺させ、世紀末的で退廃的なブルジョア思想で汚染させる。

 しかし、チュチェ建築の真実で生き生きとした造形美は、人民大衆の美的志向に完全に合致するものであって、かれらに社会主義制度の優越性、民族的誇りと自負を感じとらせ、党と領袖、祖国と人民にたいする忠実性で教育するのに寄与する。

 チュチェ建築は万年大計の堅固な建築として、人民大衆に安全な建築空間、生活空間をもたらす。

 チュチェ建築を万年大計のものとして創造するのは、党と領袖の賢明な指導のもとに造られたすぐれた建築創造物を子々孫々伝える崇高な事業である。

 堅固さは建築の物理的寿命を保証する実際的条件である。構造的に堅固でない建築物は万年大計にはならず、人民の生命と財産を恒常的に脅かし、社会的不安をかもし、さらには社会主義制度の優越性をそこねる。そのため、堅固さはチュチェ建築の重要な内容的構成要素となり、質的属性となる。

 建築は人間の生活のために創造された物質的生産物であり、人間とその生活のための物質的手段であるため、実用性と思想性・芸術性だけではその機能を円滑に果たすことができない。なぜなら、人間の活動と生活は、建築物によってつくられる建築空間でおこなわれるからである。

 チュチェ建築の社会主義的内容である便利さ、こぎれいさ、美しさ、堅固さは、人民大衆の自主的で創造的な生活の全面的な保障に寄与する。

 チュチェ建築の形式は民族的である。建築における民族的形式は、自民族に喜ばれ、自民族の好みに合う建築形式である。

 建築は一定の地域の住民が使用するために創造される。建築は自国の地域および気候の特徴と自民族の生活感情、好みに合わせて創造され、発展する。民族が形成された以後、民族性をぬきにした建築は存在しなかった。

 チュチェ建築が民族的形式をもたなければならないのは、革命と建設が民族国家を単位にして進められる事情と関連している。

 社会主義的内容と民族的形式は統一されている。建築家は、社会主義的内容と民族的形式の結合が、人民大衆に奉仕する人民大衆中心の建築、チュチェ建築創造の根本的原則であることを明確に認識し、それを建築に立派に具現すべきである。

金正日選集 11巻

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