金正日「建築芸術論」−1 建築と社会 

1 建築は社会・歴史の創造物である


 建築は、人間の生活と活動に必要な精神的・物質的条件を保障する手段である。

 建築は人間の生活と切り離すことのできない関係にある。人間は住みよい住宅があってむつまじい家庭生活を営み、工場があって機械を製作し、織物を織り、劇場や映画館、公園や遊園地があって文化的な生活を享受することができる。

 建築は、人間の創造的労働によってもたらされた創造物のなかで、人間生活と最も密接な関係にある。建築物がなくては、初歩的な物質生活条件を保障することも、生活を維持することもできない。

 人間があるために建築があり、建築があるために人間の生活がいっそううるおうのである。建築が人間の生活と密接に結びついているため、人類は古くから建築物を人間生活の三大必須要素の一つとして規定し、その創造と発展に大きな関心を払ってきた。

 建築は社会・歴史の産物である。

 建築は社会の発生とともに発生し、社会の発展とともに発展してきた。

 建築は人間の生活上の要求と志向を反映し、人間の物質・精神生活をみたすことを重要な使命とする。人間の自主意識と創造的能力が極めて微弱であった原始共同体社会では、不利な自然現象と猛獣の襲来から自身を守り、神と祖先につかえることが物質的・精神的要求となっていた。原始共同体社会では、このような社会的要請を反映して、竪穴住居やドルメン、メンヒルが「創造」されたのである。社会が発展し、人間の自主意識と創造的能力が向上するにつれて、原始人はしだいに生活空間を自分の要求に即して目的意識的にととのえようと努め、建築創造において一定の美的要求を提起し、それを実現するために努力した。こうして建築に芸術性がそえられるようになった。建築創造の過程は人間の物質的富の創造過程と芸術的創作活動の過程であるため、厳密な意味では建築の発生は建築物に芸術性がそえられたときからであるといえる。

 人類社会が原始共同体社会から奴隷制社会へ、奴隷制社会から封建社会へ、封建社会から資本主義社会へと発展するにつれ、人間の自主意識と創造的能力は向上し、物質生活の要求が多様になり、それに応じて建築も発展するようになった。生産力と生産関係、科学技術と文化の発展は、建築の発展をさらに促した。工場をはじめ、社会の物質的富を生産するさまざまな生産用建築物が建設、拡張され、多様な生活上の要求を充足させるための各種の公共建築物が建設され、村落と都市がしだいに大規模に発展するようになった。木造建築から鉄筋コンクリート建築へ、平屋建築から多層建築へ、単純な類型や構造から複雑な類型や構造への建築の発展は、生産力と科学技術、文化の発展と切り離しては考えられない。しかし生産力と科学技術、文化の発展も人民大衆によってなされるのである。建築発展の決定的要因は、社会発展の基本原動力である人民大衆である。

 建築は、人民大衆の創造的知恵と労働力、芸術的活動によって創造される。そのため、建築にはその時期の人間の物質的要求と生活習慣、感情、情緒、美的趣味などの人間生活が総合的に反映される。

 社会的関係のなかで発生、発展する建築は、当代社会の支配的な思想と社会関係を反映し、それによって一貫されている。

 搾取社会では、搾取階級の反動的な思想・意識が社会の支配的な思想となり、それは建築の健全な発展を妨げる。封建的な経済的土台の崩壊と産業資本主義の経済的土台の確立、建築の商品化によって、建築の発展史には反動的なブルジョア建築思想が発生し、建築分野にさまざまな建築風潮と流派があらわれるようになった。資本主義社会の反動的な支配階級の思想と社会関係によって、封建社会の産物である宮殿、寺院、城郭のごとき非生産建築は押しやられ、利潤追求を目的とする大規模の生産用建築と市場、銀行、デパートといった各種商業建築が大々的に建設されるようになった。

 資本主義社会では、勤労人民大衆の創造的労働によって物質的土台と科学技術は発達したが、社会の支配思想と政治的・道徳的理念はさらに反動化し、それによって支配される建築芸術はいっそう反人民的で退廃的なものに転落した。

 資本主義社会は建築の健全な発展を抑制する作用を及ぼした。人民大衆が政治的、経済的に従属させられている社会では、社会の経済的土台が発達してもその社会の支配思想はそれに相応した先進思想に発展するのでなく、さらに反動化し、人民大衆はその反動思想と文化に束縛される。資本主義社会では建築創造の物質的手段がすべてごく少数の財閥の手中にあり、建築はかれらの享楽と利潤追求に全的に奉仕しており、建築家と建設者は、ただ生きるために金銭の奴隷になって仕方なく働くので、人民大衆のための建築など考えることすらできない。

 人民大衆が自然と社会の主人となった社会主義社会では、労働者階級の革命思想が建築創造の指導指針となり、建築に立派に反映される。

 我々の時代の労働者階級の最も偉大な革命思想はチュチェ思想である。チュチェ思想は、人間があらゆるものの主人であり、すべてを決定するという哲学的原理にもとづく人間中心の思想である。社会主義的建築は、チュチェ思想を指導指針として創造され発展する。社会主義社会では人民大衆の利益の見地から建築にのぞみ、人民大衆の活動を基本にして建築の発展にのぞむ観念と立場にもとづいて建築創造が進められる。チュチェ思想を思想的・理論的基礎にして発生、発展し、チュチェ時代の要請を反映している社会主義的・共産主義的建築は、勤労人民大衆に奉仕する最も革命的な建築である。

 建築は階級性をおびる。建築の階級性は、それがどの階級の利益を反映し、どの階級に奉仕するかによって規定される。階級社会では階級性を離れた超階級的な建築はありえず、また存在したこともない。

 搾取社会では搾取階級が社会を支配し人民大衆を抑圧し、豪奢な生活を営む社会的地位と特典を国家権力によって保障されるため、建築も搾取階級に奉仕する。封建時代の建築物は、当代の支配階級であった封建地主などの搾取階級の生活方式を反映しており、資本主義社会の建築物は、資本家の反人民的で退廃的な物質的・精神的生活を反映していた。

 資本主義社会での産業の工業化と機械化は、中世に限られた範囲内で存在していた労働対象にたいする人間の美的関係を完全に死滅させ、農民のあいだに残っていた建築の人民的要素をも破滅させた。人民的で先進的な建築の発展は甚だしく抑制され、搾取階級の要求と感情、趣味にかなった退廃的で反動的なブルジョア的建築が羽振りをきかせるようになった。独占資本主義時代にいたって経済的土台と科学技術はさらに発展したが、建築の思想性・芸術性はかえっていっそう反動化、退廃化した。

 建築と社会発展との矛盾を克服し、真の人民の建築を創造するためには、搾取社会を根本的にくつがえさなければならない。そういう意味で、建築史は社会・歴史の一部分であり、勤労人民大衆は建築史の主体であると同時に建築発展の原動力であるといえる。

 人民大衆は建築史発展の主体ではあるが、搾取社会では主人としてのしかるべき地位を占めることができず、主人としての役割を果たすこともできない。勤労人民大衆が建築芸術の主人としての地位を占め、主人としての役割を果たすためには、国家権力と生産手段を掌握し、自己の要求と志向にかなった建築を創造できる社会主義制度を樹立しなければならない。

 社会主義社会において建築創造は人民大衆自らの事業となり、かれらの創意と底知れない力によって建築が創造され、急速に発展する。これは、社会主義的建築の発展過程が自然と社会における勤労人民大衆の地位を強め、その役割を最大限に強める過程であることを示している。

 搾取社会では人民大衆が自己の建築をもつことができず、またもてるわけもない。もちろん、搾取社会でもすべての建築物が人民大衆の創造的労働と知恵、技術によって創造されるのは事実であるが、全的に人民大衆の要求と志向に即して創造されるのではない。搾取社会では人民大衆が建築物を所有することも、享有することもできない。

 建築物の創造には莫大な物質的富と資金を要するので、搾取社会では個々の建築家が心から人民のための建築を創造しようとしてもそれは不可能である。かりに、人民のための建築創造に必要な物質的富と資金があるとしても、搾取階級はそれが建築の創造に利用されるのを放置しない。搾取社会で創造される建築の先進的で人民的な性格は、人民大衆がその生活上の要求に即して巧緻な建築術と限られた資材で建てた素朴な住宅や、かれらの創造的労働と知恵、技術の反映によってなされる先進的で人民的な要素くらいにしか見いだすことができない。搾取社会の建築に先進的で人民的な性格が反映される理由はまさにここにある。

 搾取社会は徹頭徹尾、反人民的な社会であるため、その反映である建築も反人民的な性格をおびる。

 こんにち、資本主義社会のブルジョア建築家は、「ヒューマニスティツクな建築」「ヒューマン建築」を唱えているが、それは人民大衆を欺き、ブルジョア的建築の反動性と反人民的な本性をおおいかくすための詭弁にすぎない。

 社会主義革命の勝利と社会主義制度の樹立は、人類の建築発展において真の人民的建築の新時代を開いた。

 本来の意味からして社会主義は人民大衆中心の社会である。人民大衆があらゆるものの主人であり、すべてが人民大衆に奉仕する社会主義社会において、建築は人民大衆の要求と志向を具現する。

 社会主義的建築は、人民大衆への労働条件、生活条件、休息条件の十分な保障を基本的使命とする。

 建築創造における労働者階級性と人民性の具現は、社会主義的建築の階級的性格とその本質を規定する基本的徴表である。

 奴隷制社会から資本主義社会にいたるすべての搾取社会は、それ相応の反動的で反人民的な建築を生んだが、人民大衆が歴史の自主的な主体となっている社会主義社会は、最も革命的で人民的な建築の創造を可能にした。これは、社会・歴史の創造物としての建築発展の必然的帰結である。

 建築は国の様相を総合的に、直観的に表現する。建築を見ればその国の政治、経済、文化の発展状況を知ることができる。

 社会・政治制度は、国の建築創造方向とその階級的性格を規定し、建築はその社会の階級的本質を表現する。

 搾取社会で搾取階級が都心部や景勝地に権力機関の建物を建て、歓楽街を設け、豪邸を建て、ビルディング街を建設するのは、権勢と威厳を誇り、人民大衆を威圧しておびえさせ、自分たちに従順に従わせるためである。搾取社会の都市建設方式は、反動的で反人民的な政治制度の産物である。

 社会主義社会は搾取社会とは違って、都心部や景勝地に劇場、映画館、デパート、住宅を配置し、公園をつくって、都心部がにぎわい、人民の喜びと幸せがみちあふれるようにする。我々がこれまで高品位の金鉱が大量に埋蔵されている妙香(ミョヒャン)山を開発せず休養地として整備したのは、金の価値を知らないからでもなければ、他の国に比べて暮らしが豊かであるからでもなく、人民により幸せな生活条件と文化的な休養条件を保障するためであった。このような措置は、社会主義制度の本性に完全に合致するもので、社会主義制度の優越性を如実に示すものである。

 国の経済的威力と科学技術および文化の発展は、建築創造の成果を保証し、建築を通じて示される。

 経済と科学技術、文化は建築規模の膨大さ、その質と経済性、芸術性を規定する。威力ある経済は建築創造を大がかりに推進できる前提となり、高度の科学技術は建築創造における工業化、現代化、科学化、合理化を実現し、近代的で経済的な建築を創造できるようにする。文化の発展は人間の思想・意識を高め、美的感情を豊かにし、建築にたいする高度の美的要求を提起し、新しい建築の創造を可能にする。

 朝鮮の建築史は、建築の発展において経済と文化の発展が果たす役割の重要性をいっそう明らかに証明している。

 こんにち、世界的に我が国のように建設が盛んな国はなく、建築が速やかに発展している国もない。我が国では毎年、一つの対象に数千、数万トンの鋼材を要する大規模の建築物にしても数多く建設している。我々は、朝鮮式に建築を創造して人民の世紀的願望と理想を立派に実現しつつある。我々はこれまで、チュチェ思想の旗を高くかかげて経済建設と文化建設を力強く推進し、社会主義の自立的民族経済の強固な土台を築き、科学と技術、文化を主体的立場で発展させたため、膨大な建設をおこない、チュチェ建築の大花園を開くことができたのである。比べようもない規模で進められる建設、世界的境地に達したチュチェ建築は、我が国の社会主義の自立的民族経済の威力と主体的な民族文化発展の全容を誇示している。

 建築は国の政治、経済、文化の全容を直観的に、総合的に示すので、どの時代、どの社会においても例外なく建築創造に大きな意義を与え、力を注ぐのである。

 人類が創造した建築物は、物質的生産物であると同時に精神的生産物でもある。人間の精神的活動なしに創造される建築はなく、物質的材料を使わずになされる建築もない。建築創造は人間の精神的活動からはじまり、肉体的活動と物質的材料によって完成される。

 精神的活動は建築創造の前提であり、肉体的活動と物質的材料はその保証である。

 建築は、人間の創造的労働によってもたらされた社会の物質的および精神文化的財産である。

 建築は社会の物質的および精神文化的財産として、物質的・実用的役割と認識的・教育的役割を果たす。建築は概して実用芸術ともいわれる。

 実用性と思想性・芸術性は、建築の本質的属性である。

 実用性は人間の物質的要求にかかわる属性であり、思想性・芸術性は人間の思想的・美学的要求にかかわる属性である。

 思想性・芸術性がともなうところに、科学技術としての建築が他の科学技術と区別される特徴があり、反対に、実用性がともなうところに、芸術としての建築が他の芸術と区別される特徴がある。

 実用性と思想性・芸術性は、建築の本質的属性であり、相互に有機的に統一されている。

 実用性と思想性・芸術性とのつながりを正しく理解できないと、建築創作においてブルジョア的誤りを犯すことになる。建築は人間の物質生活条件をととのえ、生活上の実用性を保障することが重要な使命だからといって、それを絶対化し、芸術性・思想性を無視すると、機能主義的誤謬を犯すことになる。機能主義は、家屋を純然たる住むための機械、利潤追求の手段とみなすブルジョア的建築思想の潮流である。これとは反対に、芸術的側面のみを強調し生活上の実用性を軽視すれば、芸術至上主義的誤謬を犯すことになる。芸術至上主義は建築の実用性を無視し、人目をひくコマーシャルじみた建築をつくるブルジョア形式主義の建築潮流である。機能主義と芸術至上主義はともに社会主義的建築の発展を妨げ、ブルジョア的建築の反動化、退廃化過程を促す。

 思想性・芸術性と実用性を有機的な統一のなかで関連づけて解決してこそ、建築はその使命と役割を円滑に果たし、社会の発展に積極的に奉仕することができる。

 建築は、物質的・実用的機能と思想的・芸術的機能によって、社会の発展に能動的かつ積極的な作用を及ぼす。

 社会主義的建築は高度の実用性、気高く美しい思想性・芸術性によって、人々に社会主義制度の優越性と不敗の威力を認識させ、民族的誇りと自負を与え、かれらを党と領袖にかぎりなく忠実で社会主義祖国を熱烈に愛するよう教育することによって、共産主義の思想的要塞の占領に寄与すると同時に、拡大再生産の急テンポを保障し、人民の物質・文化生活をたえず向上させることによって、共産主義の物質的要塞の占領にも寄与する。

 建築は実用芸術であり、一般芸術と区別される一連の特徴をもっている。

 建築芸術では、一般芸術と違って点、線、面、空間、立体などの物質的表現手段が利用され、思想性・芸術性のみでなく、実用性、堅固性、経済性が統一的に考慮される。建築芸術の現実反映の特徴は、一般芸術のように人間の具体的な内面世界と人間性格の反映を対象とするのではなく、物質的および精神的生活の要求を充足させるための生活活動空間とその形態を創造し、それに盛られる思想的・美学的および芸術的要素の役割と科学技術的成果を通じて、人々にたいする認識的・教育的機能を果たすところにある。

 建築芸術は現実生活の反映において一般芸術と異なる特性をもつばかりでなく、質の評価においても一定の特性をもつ。建築芸術は、その質が視覚によって評価される一般造形芸術とは違って、一定の期間を経過し、実践的経験を通じて総合的に評価される。建築物と村落、都市の建築の質は、視覚だけでは評価できず、生活活動空間で一定の期間、生活してみなければ総合的に評価することはできない。

 これまで、多くの人は建築芸術を視覚的に感じる「造形芸術」「空間芸術」と考えるのみで、時間的に内容を把握する「時間芸術」とはみなさなかった。建築の造形芸術的側面を評価しながら実用的側面を軽視するのは形式主義的で芸術至上主義的な観点である。我々は、建築創造物や建築形成設計の評価において、外形の造形芸術性だけでなく、平面計画、構造解決、経済性を統一的に見るべきである。

 建築創造は自然との関係においても、一般芸術と区別される一連の特性をもっている。建築創造は自然の姿を改造し、人間の生活に及ぼす影響を克服する事業であり、広い範囲で自然を変革する事業である。

 建築の創造過程はまた、絵画や彫刻とは異なる特性をもっている。絵画や彫刻は画家、彫刻家が作品を直接構想して描いたり制作したりするので、気に入らなければやりなおせるが、建築物の場合は事情が違う。建築物は建築家が構想し設計すれば、建設者が多くの物質的手段を動員して現物として実現し、いったん実現されれば代を継いで人々に利用される。

 建築家は建築物を一つ設計するにしても、それが万年大計として末永く保存されるよう、良質のものにすることに第一の関心を払う。

 建築物は各種科学技術の力と構造、暖房、換気、上下水道、電気、建築設備部門の専門家と建設者の集団的知恵によって完成される。そのため、建築芸術は一般芸術とは違ってさまざまな制約がある。建築創造においては芸術的側面とともに実用的側面、経済的側面を科学技術的に見積もったうえで統一的に解決しなければならず、建材、施工、各種の技術設備条件、経営段階で提起される諸条件を考慮し、時代の要請と経済発展水準など国の発展を総合的に見積もらなければならない。

 建築家、建設者は、チュチェ建築の本質と特性、そして革命と建設におけるその地位と役割を深く認識し、建築創造を党の要求する方向で力強く推進しなければならない。

出典:金正日選集 11巻

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