「舞踊芸術論」−3 舞踊形象
 
2 舞踊手は踊りが上手でなければならない


 舞踊は、舞踊手の踊りによって形象化される。舞踊手が踊りをおどるというのは、作品に反映された生活感情を芸術的リズムによって形象化することを意味する。舞踊は舞踊手の踊りによって形象化されるので、舞踊形象をどのようなものにするかは、舞踊手が踊りをどのようにおどるかにかかっている。舞踊手の踊りが上手であれば、美しくはなやかな律動的形象によって観客を魅惑することができる。舞踊手の踊りがまずければ、創作家がいくら思想的・芸術的にすぐれた舞踊作品を創作したとしても、舞台に美しくはなやかな律動的形象をくりひろげることはできない。美しく、はなやかな場面をくりひろげられるように舞踊を形象化するには、舞踊手の踊りが上手でなければならない。

 舞踊手は、作品の性格に合わせておどるべきである。

 舞踊作品は、それぞれ固有な性格をもっている。舞踊作品は、それぞれの固有な性格によって区別される。

 舞踊作品の性格は、種子によって規定づけられる。芸術作品は、種子によって主題・思想が決まる。舞踊作品も種子によっていわんとする思想的・芸術的内容が示され、表現形式が定められる。舞踊作品の性格は、種子によって規定づけられるが、具体的には思想的・芸術的内容とその表現形式、手法によって規定づけられる。

 舞踊作品の性格は、いわんとする思想的・芸術的内容の情緒的ニュアンスと、それを表現する踊りの動作と構図の個性的特徴によって規定づけられるのである。

 舞踊作品に反映される生活の内容は多様であり、その情緒的ニュアンスも多様である。芸術的リズムを基本的表現手段とする舞踊芸術において、生活の内容とその情緒的ニュアンスは舞踊手の踊りの動作によって形象化され、あらわれる。そのため、舞踊手は、作品の性格を知り、それに合わせておどらなければならない。

 そうしてこそ、相異なる性格の舞踊作品の固有な特性を生かし、観客の芸術的感興をそそることができる。

 舞踊作品の性格は、描かれる人物の性格に具現されている。舞踊芸術は、他の芸術と同様に、人間の思想・感情と生活を反映するので、舞踊作品には自己の固有な性格をもつ人物が形象化されることになる。舞踊作品に形象化される人物の性格はさまざまである。舞踊作品に形象化される人物のなかには、革命的で戦闘的な性格の人物もいれば、気高く英雄的な性格の人物もおり、快活で楽天的な性格の人物もいれば、悲喜劇的な性格の人物もいる。

 舞踊手は、踊りをさまざまな人物の性格に合わせておどるべきである。舞踊手は、それぞれの人物の性格に合わせて、気迫にみちて活発におどりもすれば、興趣がわくようにもおどり、悲壮感をこめてもおどるべきである。そうすることによって、舞踊手は、舞踊作品の性格を明確に表現しなければならない。

 人物の性格は、思想・感情にあらわれる。舞踊手は、おどるとき、その人物の思想・感情を踊りの動作によって表現しなければならない。舞踊の基本的表現手段は芸術的リズムであり、芸術的リズムは踊りの動作によって表現されるので、人物の思想・感情は踊りの動作によって表現しなければならない。舞踊では、人物の思想・感情を踊りの動作で表現してこそ、舞踊芸術の特性を生かし、人びとを舞踊の世界へと誘い入れることができる。

 舞踊手は、人物の思想・感情を顔の表情で表現することもできる。

 舞踊手の表情は、人物の思想・感情を繊細に、直接的に表現するうえで重要な役割を果たす。だからといって、人物の思想・感情を踊りの動作で表現せず、表情だけで表現しようとしてはならない。舞踊手は、人物の思想・感情を主に踊りの動作で表現し、表情では踊りの動作の芸術的形象を補い、きわだたせるべきである。

 舞踊手が作品の性格に合わせて踊りをおどるには、作品の性格を十分に研究する必要がある。舞踊手が作品の性格を十分に研究し、それを深く把握するのは、作品の性格に合わせて踊りをおどるための重要な裏付けである。振り付け師によって創作された舞踊作品には、舞踊手が描きだすべき人物の性格と、それを表現する踊りの動作と音楽が具体的に示されている。舞踊手は、作品を深く研究し、作品の性格を正しく把握してこそ、それにふさわしく踊りをおどることができる。そうしないで、振り付け師や舞踊指導員の要求を機械的に受け入れては、作品の性格にふさわしい踊りをおどることはできない。舞踊手が作品の性格を生かさず、踊りのための踊りをおどっては、観客の心をとらえることはできない。

 舞踊手は、人物の思想・感情を深く把握し、それを自分の思想・感情として受けとめるべきである。舞踊手は、人物の思想・感情を自分の思想・感情として受けとめ、その感情の世界に深く入ってこそ、それを踊りによって生き生きとリアルに形象化することができる。舞踊手は、具体的な人物の場合は言うまでもなく、象徴的な人物や自然現象を擬人化して描く場合にも、描こうとする人物の思想・感情を把握し、それを自分のものとして受け入れなければならない。舞踊作品において自然現象を擬人化して描くのは、単に自然を見せるためではなく、人間の思想・感情を描きだすためである。自然現象を擬人化して描く舞踊手も、描きだされる人物の思想・感情をよく知っておどるべきである。

 舞踊手が人物の思想・感情を正しく把握するには、人物の生活を深く研究する必要がある。人間の思想・感情は、具体的な生活で形成され、あらわれる。生活から遊離しては、人物の思想・感情を把握することはできず、それを芸術的リズムによって描きだすこともできない。舞踊手は、人物の生活を深く研究する過程で人物の思想・感情を把握し、それを芸術的リズムによって立派に描きだすべきである。

 舞踊手は、作品の性格を研究しながら、伴奏音楽についても深く把握すべきである。踊りは、音楽にもとづいて創作され、音楽の旋律と拍子にのって形象化される。音楽にもとづいて創作され形象化される踊りは、音楽をぬきにしてその性格について考えることはできない。舞踊作品では、同じ踊りであっても音楽が変われば踊りの情緒と性格が変わり、拍子が変われば踊りのリズムも変わってくる。そのため、舞踊手が伴奏音楽を把握することなしには、踊りの性格と情緒に合わせておどるのはむずかしい。舞踊手は作品の性格を研究するとき、伴奏音楽についても深く研究し、音楽の情緒に合わせて踊りをおどるべきである。

 舞踊手は、踊りをおどるとき、その動作が正確でなければならない。

 舞踊手が踊りをおどる過程は、踊りの動作をこなす過程である。

 舞踊手が踊りの動作をどのようにするかによって、舞踊形象の成果が左右される。舞踊手が踊りの動作を正確にすれば、作品に反映された内容を明白に表現することができる。

 舞踊手が踊りを演ずるうえで大切なのは、人物の思想・感情をはじめ、作品に反映された内容を明白に示すことである。舞踊手は、作品に反映された内容を踊りの動作によって見せなければならない。舞踊手が踊りを演じながら、作品に反映された内容を明白に表現できるかどうかは、踊りの動作をどれほど正確にするかにかかっている。舞踊手が踊りの動作を正確にしてこそ、踊りの芸術性がしっかりと裏打ちされる。踊りの芸術性を裏打ちするにはいろいろな要素があるが、とりわけ重要なのは踊りの動作を正確にすることである。舞踊手の動作が正確であってこそ踊りの技巧を見せることができる。舞踊手が跳躍して回転する場合、跳躍した状態での姿勢と回転の中心が正確なものでなければ、その動作の芸術的特技を見せることはできない。舞踊手は、舞踊形象において踊りの動作を正確にすることの意義を正しく認識し、振り付け師の創作上の構想と意図にもとづいて一つひとつの動作を正確におこなうべきである。踊りの動作を中途半端にしたり、テンポの速いところでの繊細な動作やこまやかな動作などをおろそかにせず、正確にしなければならない。踊りの動作は、あたかも白紙に文字を書いたように、鮮明かつ明白でなければならない。

 舞踊手は、踊りの動作をきれいにしなければならない。踊りの動作をきれいにするのは、踊りをきれいにおどることになる。舞踊手の動作がきれいであってこそ、視覚的に美しい舞踊芸術の特性を十分に生かすことができる。

 踊りの動作は、どのような内容を描くかによってその情緒的性格が異なる。踊りの動作には描きだす内容の性格によって、きびきびしたものや柔軟なものをはじめ、さまざまな性格のものがある。

 踊りの動作の性格はまちまちであるが、すべての踊りの動作をきれいにすべきである。舞踊手は、音楽の拍子に合わせておどりながら、律動をなす個々の踊りの動作をきれいにして踊りを美しく演ずるべきである。

 舞踊手はおどるとき、自分の個性的な律動を生かすべきである。

 舞踊手はそれぞれの芸術的技巧と体質が異なるため、それに応じて踊りをおどるうえで各自の個性的な律動をもつことになる。

 舞踊手はおのおの個性的な律動をもっているので、同じ舞踊であってもその演じ方がそれぞれ違ったものになる。同じ舞踊作品でありながら舞踊手によってその演じ方が異なるのは、舞踊手の技量の差にもよるが、主として個性的な律動の差に起因する。舞踊手が踊りを演じる過程は、作品に示された踊りに固有な性格的特徴を自分の個性的な律動によって演じる過程である。したがって、舞踊手は、おどるとき、自分の個性的な律動を生かして、作品の性格的特徴をより十分に生かさなければならない。

 舞踊手はおどるとき自分の個性的な律動を生かすからといって、それを強調しすぎて作品の性格的特徴を自分の個性的な律動に合わせてはならない。舞踊手は、自分の個性的な律動を作品の性格的特徴を生かすのに服従させなければならない。舞踊手は、自分の個性的な律動を生かしながら、作品の性格的特徴に合わせておどるべきである。

 舞踊手は、踊りを民族的情緒豊かにおどるべきである。そうしてこそ、作品を朝鮮人民の生活感情と美感に合ったものにすることができる。

 舞踊手が舞踊形象で民族的情緒を生かすには、朝鮮舞踊の特長をよく知り、それを具現しなければならない。

 朝鮮舞踊は、叙情的におどるのが特徴である。朝鮮舞踊は、安定したテンポと穏やかな流れをもち、根気よく波打つような脚の屈伸とともに、振り放ったり包みこむさまざまな腕の動きによって空間に優雅な放物線を描いていく。朝鮮舞踊は、律動にすこぶる繊細で柔和な味がある。大小の動作がほどよく取り合わさり、一つの腕の動作にしても律動が肩から指先まで流れ、造形的な体のこなしと動きの経路も主に曲線をなす。肩の上に腕を上げて担う動作にしても、真っすぐに立てずに半円形をつくる。朝鮮舞踊は、上半身と下半身の動きがよく調和され、無理な動作やねじ曲がった動作がなく、瞬間的に停止した形態のときも持続する律動の呼吸によって動いているような感じを与える。舞踊手は、朝鮮舞踊の特長を知り、それを十分に生かして舞踊形象に民族的情緒がほんのりと漂うようにすべきである。

 舞踊手は、作品の性格に応じて感情を内に秘めておどることもできれば、情熱を発散させておどることもできる。舞踊手は、おどるときに情熱を発散させるからといって、大声を張り上げてはならない。舞踊手が、舞台で情熱的におどることと大声を張り上げることとは別問題である。舞台でおどりながら大声を張り上げるのは、朝鮮舞踊に似つかわしくないばかりか、朝鮮人民の民族的情緒と好みにも合わない。舞踊手は、舞台で情熱的におどりながらも、朝鮮舞踊の特性を生かして民族的情緒があふれるようにすべきである。

 舞踊手は、十八番の動作においても朝鮮舞踊に固有な特性を十分に生かすべきである。十八番の動作は、男性舞踊で多く演じられる。

 男性舞踊は、舞踊手が特出した自分の技を発揮する十八番の動作があってこそ、その特性が生かされ、見ごたえもあるものである。

 男性舞踊における十八番の動作は、朝鮮舞踊に固有な特性を生かしてこそ高度の技を発揮することができ、見る感じもよい。男性舞踊での十八番は、主に回転や高く飛び上がる動作によって披露される。西洋舞踊では、回転の動作は舞台の床に手をついてぐるぐる回るやり方で、高く飛び上がる動作は両脚を横に開くやり方でなされる。そのようなやり方の回転や跳躍の動作は、朝鮮人の美感に合わない。

 舞踊手は、朝鮮人の体質と美感に合った朝鮮の民族舞踊の動作をもって十八番の動作をすべきである。朝鮮の民族舞踊には、高度の技を見せる十八番の動作がたくさんある。農楽舞にしても燕風台(ヨンプンデ=剣舞の一種)や、むしろ巻きのようなすぐれたテクニックが少なくない。燕風台やむしろ巻きのような技術動作は、高い技巧と才能を見せてくれる。舞踊手は、朝鮮舞踊に固有なテクニックを生かし、十八番の動作を朝鮮人民の美感に合わせて我々の方式で発展させるべきである。

 踊りの特徴は、固定不変のものではない。踊りの特徴は、時代の要求と人民の美感に応じて発展する。我々の時代の要請と人民の美感に合わせて踊りを発展させながらも、朝鮮舞踊の持ち味を生かしていくべきである。

 舞踊手は、踊りの動作一つにしても民族的情緒があふれるようにし、朝鮮人民が好み、かれらの生活に力を与える真の舞踊形象を創造しなければならない。





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