「舞踊芸術論」−3 舞踊形象
 
1 舞踊手は舞踊形象の当事者である


 舞踊作品は、振り付け師によって創作される。振り付け師によって創作された舞踊作品は、それで完成するのではない。振り付け師によって創作された舞踊作品は、舞台で演じられてこそ完成し、日の目を見るのである。

 舞踊作品は、舞台でいろいろな芸術的手段によって総合的に形象化される。

 舞踊作品の舞台での形象化で基本をなすのは、踊りの演技である。

 舞台での踊りは、舞踊手が演ずる。舞踊手は、舞台で踊りを演ずる当事者である。舞台における舞踊形象は、舞踊手がすることであって、他の人が代行することはできない。振り付け師は、舞踊手の舞踊形象を導くことはできても、舞踊手に代わって踊りをおどることはできない。舞踊形象は舞踊手によってなされるので、振り付け師の創作した舞踊作品が舞台でどのように実現するかは、一にも二にも舞踊手の役割にかかっている。振り付け師がいかに立派な舞踊作品をつくりあげたとしても、舞踊手の舞台での舞踊形象がまずければ、すぐれた作品として完成されない。振り付け師によって創作された舞踊作品は、舞踊手によって芸術的リズムとして立派に形象化されるときにのみ、思想的、芸術的に完成される。舞踊作品が、思想的、芸術的にすぐれたものであるかどうかは、舞台における舞踊手の舞踊形象によって評価される。振り付け師が上手に振り付けをしたとしても、舞踊手の踊りがまずくて作品の性格を生かせなかったり、小さなミスをしても、舞踊作品は立派に形象化されず、その結果、相応の評価を受けることができなくなる。

 これは、舞踊作品の運命が、舞台での舞踊手の舞踊形象いかんにかかっていることを示している。

 舞踊手は、振り付け師が創作した舞踊作品の要求どおりに舞台での舞踊形象をおこなうべきであるが、機械的にしてはならない。舞踊手は、舞台で作品中の人物の性格と生活にもとづいて踊りを演じながらも、自分の個性を生かして清新な技を演じるべきである。

 舞踊手は、リズム形象の自立的かつ能動的な創造者である。舞踊手は、みずからが体験した思想・感情と個性的な律動によって、作品に示された形象上の要求に立脚して舞踊形象をより鮮明で豊かなものにしなければならない。舞踊手は、舞台で自分の個性を生かして、特色のある舞踊形象を創造すべきである。

 舞踊手が舞踊形象の成功を期するためには、政治的思想的に、芸術的かつ肉体的に準備ができていなければならない。

 舞踊手は、舞踊形象を通じて観客に生活の本質を認識させ、かれらの思想・情操教育に寄与する。舞踊手が観客の思想・情操教育に寄与する立派な舞踊形象を創造するためには、政治的思想的に、芸術的かつ肉体的にしっかり準備しなければならない。

 舞踊手は何よりもまず、政治的、思想的に準備しなければならない。

 舞踊手の政治的・思想的準備は、思想的、芸術的にすぐれた舞踊形象を創造するための重要な条件の一つである。舞踊手が、政治的、思想的に準備されてこそ、人民の志向と要求に即して、作品に反映された人物の崇高な思想・感情と生活を芸術的リズムによって立派に形象化することができる。舞踊作品の主題的・思想的内容は、台本と振り付け構成案に具体的に示される。しかし、それを芸術的リズムによってどのように描きだすかは、舞踊手の政治的・思想的水準に大きく左右される。舞踊手は、目的意識的な創作活動を通じて、作品に反映された人物の性格と生活を芸術的リズムによって描きだす。舞踊手の目的意識的な創作活動は、その思想・意識水準によって規定される。すなわち、舞踊手が舞踊形象をどのようにするかは、その政治的・思想的水準によって決まる。

 舞踊手は、つねに自分の政治的・思想的水準で作品を研究し、舞踊形象を創造する。舞踊手の政治的・思想的水準が高ければ高いほど、自主性の実現をめざしてたたかう人民大衆の美しく崇高な精神世界と生活を生き生きとした芸術的リズムによってリアルに描きだすことができる。

 舞踊手の政治的・思想的水準の向上で重要なのは、金日成同志の創始したチュチェ思想で武装することである。チュチェ思想は、わが党の唯一の指導思想であり、革命と建設の確固不動の指針である。チュチェ思想は、人民大衆が自己の運命を自主的に、創造的に切り開いていく我々の時代の要求と人民大衆の志向をもっとも正しく反映している。舞踊手は、金日成同志によって創始されたわが党のチュチェ思想を原理的に深く研究して自分の血とし肉とし、活動と生活の指針としなければならない。

 舞踊手は、チュチェ思想を原理的に深く体得するとともに、チュチェ思想が具現されたわが党の路線と政策で武装しなければならない。特に、わが党の文芸政策で武装すべきである。わが党の文芸政策には、舞踊芸術をはじめ、社会主義文学・芸術の発展で提起されるあらゆる理論的・実践的問題が明らかにされている。舞踊手は、わが党の文芸政策を深く研究して主体的文芸思想と理論で武装し、それを芸術創作活動に具現しなければならない。

 舞踊手は、芸術的にも準備されなければならない。

 舞踊手の芸術的準備で基本となるのは、技量の向上である。舞踊手の技量は、当人が演ずる舞踊作品の芸術性を規定する。舞踊手が高い技量を身につけないことには、人間の思想・感情と生活を芸術的リズムによって立派に描きだすことができない。

 舞踊手は、どんな踊りでもこなせる多方面的な技量を身につけなければならない。そうしてこそ、日ましに発展する朝鮮人民の多様な生活を多彩な芸術的リズムによって立派に描きだすことができる。こんにちわが国では、党と領袖の賢明な指導のもとに革命と建設が強力に推進されるにつれて、人民の生活も多様に発展し、人民の文化的・情操的要求も高まっている。舞踊芸術部門では、発展する現実と高まる人民の文化的・情操的要求に即して、多様なテーマと形式の舞踊作品を創作すべきである。多様なテーマと形式の舞踊作品は、それにふさわしい踊りのリズムと技巧を要求する。多様な踊りのリズムと技巧は、舞踊手によってこなされるべきである。したがって、舞踊手は、多様な踊りのリズムと技巧をこなせる多方面的な技量を身につけなければならない。

 舞踊手が多方面的な技量を身につけるには、情熱を燃やして技量訓練に取り組まなければならない。舞踊手にとって燃えるような情熱は、技量向上の先決条件であり、重要な品性の一つである。

 情熱のない人は、舞踊手としての品性をそなえることができず、高い技量を身につけることができない。舞踊手は、燃えるような情熱をもって、技量を高めるための学習と訓練を根気よくつづけるべきである。そうしなければ、技量を高めることができないばかりか、身につけている技量さえも維持できなくなる。そうなると、舞踊手としての役割を果たすことができない。舞踊手は、技量向上の目標を高く定め、忍耐強く訓練を積むべきである。舞踊訓練は、精神的、肉体的に大きな負担を強いる。舞踊手は、この負担を克服し、技量を高めるために訓練に励むべきである。舞踊手が訓練に励んで汗を多く流せば、それだけ技量を高めることができる。

 舞踊手は、基礎動作の訓練に時間をかけるべきである。舞踊訓練においては、基礎動作の訓練が基本である。

 舞踊手は、基礎動作の訓練を重ねてこそ、強固な基礎のうえで技量を系統的に高め、柔軟な身体と強い体力をそなえることができる。

 舞踊手は、基礎動作の訓練を集団的にも個別的にもおこない、練習室をはじめ、どこでもすべきである。

 舞踊手は、肉体的にしっかり準備されなければならない。

 舞踊手が、いくら政治的、思想的に準備し、高い技量を身につけていても、肉体的に準備されなければ、満足な芸術創作活動をすることはできない。

 舞踊手は、造形的に美しく洗練された容姿と、柔軟で鍛えられた体力をそなえなければならない。

 舞踊手は、容姿が美しく洗練されていなければならない。舞踊手の美しく洗練された容姿は、舞踊芸術の美的情緒とアンサンブルを保つうえで重要な作用を及ぼす。複数の舞踊手がある人物の思想・感情と生活を統一的に形象化する場合には、その容姿がみな美しく一致していなければならない。そうあってこそ、踊りが視覚的な統一を保ち、形象の調和をなすことができる。

 舞踊手の容姿で重要なのは、顔だちと体つきである。舞踊手は、顔だちと体つきが美しくなければならない。

 芸術作品は人びとに人間生活の美しい世界を見せることが重要な目的なので、それを描く舞踊手の顔だちと体つきが美しくなければならない。舞踊手の顔だちと体つきが美しければ、観客を美しい芸術の世界により深く誘いこみ、情操的、美学的に教育するのに寄与することができる。芸術作品のなかでも、舞踊作品は他の芸術作品よりも美しい形象世界を視覚的により立派に見せる必要がある。視覚的にきらびやかな形象を展開してみせるのは、舞踊芸術の特徴である。その特徴は、舞踊手の顔だちと体つきが美しければいちだんと生きてくる。顔だちと体つきの美しい舞踊手が踊りをおどれば、その動作がいっそうはなやかに見える。

 舞踊手は、背が高くなければならない。背の高い舞踊手が踊りをおどってこそ、律動の造形的なシルエットがより鮮明になり、すっきりとして見栄えがする。跳躍の動作が少なく、柔和なうえに優雅で叙情的な朝鮮舞踊は、背の高い舞踊手がおどってこそ、その固有な特徴を十分に生かすことができる。舞踊手は背が高くなくてはならないからといって、運動選手のように高すぎてはいけない。舞踊手の背は、踊りをおどるのに適当な高さであるべきである。

 舞踊手は、体力を鍛えるべきである。容姿が美しくても体力が弱ければ、舞踊作品を立派に形象化することができない。舞踊手は、たゆまぬ訓練を通じて体力を鍛えるべきである。舞踊手が自分の容姿を頼んで体力を鍛えなければ、技量を高めることができないばかりか、スタイルが洗練されず、美しい容姿も生彩を放つことができなくなる。舞踊手のスタイルは、手をかけるほど洗練される。舞踊手は、目的意識的なたゆまぬ訓練を通じてスタイルを洗練させ、体力を鍛練して、どんな踊りでも立派におどりこなせるように肉体的な準備をととのえるべきである。





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