「舞踊芸術論」−2 舞踊創作
 
4 踊りのリズムは性格が明確でなければならない


 舞踊において踊りのリズムは、芸術的リズムのもっとも明確な表現形態である。芸術的リズムを基本的表現手段とする舞踊では、踊りのリズムを性格の明確なものにしなければならない。それでこそ、生活をリズミカルに描きだすことができる。

 舞踊における生活は、音楽や舞台美術によっても描きだされる。

 舞踊において音楽と舞台美術は、重要な表現手段であり、必須の構成部分をなしている。しかし、舞踊における音楽と舞台美術は、あくまでも舞踊形象を生かすのに寄与する補助手段である。踊りのリズムをぬきにして、華麗な衣装や小道具、セットなどの舞台美術に依拠しては、満足な舞踊作品をつくることができない。

 舞踊では、踊りのリズムを基本にしてストーリーをつづり、生活を描きださなければならない。舞踊は、音楽に乗って流れる踊りのリズムを基本にしてストーリーをつづってこそ、人間の思想・感情と生活を生き生きとしたリズムによって自然に描きだすことができる。舞踊では踊りのリズムがすぐれたものであるほど、形象がリアルなものになり、観客のより大きな情緒的感興を呼び起こすことができる。

 踊りのリズムは、意味が明白でなければならない。

 舞踊における踊りのリズムは、意味が明白であってこそ、人間の思想・感情と生活を正確に表現することができる。意味の明白でない踊りのリズムは、いかに美しくはでやかなものであっても、生活の内容を見せることができない。生活の内容を見せられない踊りのリズムは、舞踊形象に寄与することができない。舞踊形象に寄与できない踊りのリズムは何の価値もない。踊りのリズムは、どんな生活の内容を見せるかという意味が明白であってこそ、舞踊の表現手段としての価値をもち、舞踊形象に寄与することができる。

 踊りのリズムは意味が明白であってこそ、踊りの性格も生かすことができる。

 踊りの性格は、踊りを構成するそれぞれの踊りのリズムの個性的な特徴によって具体的に表現される。踊りのリズムが個性的なものであれば、踊りの性格も明白になり、舞踊作品の性格も明らかになる。

 舞踊作品における踊りのリズムの個性は、人物の性格と生活にもとづいており、それを反映する。したがって、踊りが反映している生活の内容と情緒が変われば、それに応じて踊りのリズムの個性も違ってくる。これは、踊りのリズムの個性がとりもなおさず、生活の内容によって規定され、生活の内容が明白であれば、それだけ踊りのリズムの個性的な特徴もきわだつことを示している。

 そのため、振り付け師は、踊りのリズムを意味の明白なものにし、作品に反映された生活の内容を正確に表現することによって、舞踊の性格をはっきりさせなければならない。

 踊りのリズムを意味の明白なものにするには、それを生活の動作にもとづいてつくらなければならない。

 踊りのリズムをはじめ舞踊言語は、人間の日常生活での行動と動作が下地となっている。踊りのリズムを生活の動作にもとづいてつくってこそ、生活を表現するのにもっとも的確なものにし、踊りの性格をはっきりとあらわすことができる。

 踊りのリズムの下地となる生活の動作は、人間の多様な生活のなかに求めるべきである。人間の生活は多様であり、それにともなう動作もまた多様である。しかし、人間の多様な生活がすべて舞踊の素材にはなりえないように、多様な生活の動作がみな踊りのリズムの素材になるわけではない。踊りのリズムの素材としては、人間の多様な生活の動作のなかから当の舞踊作品の性格に合う特徴のある動作を選び出すべきである。作品の性格に合う新しい特徴のある生活の動作を探しだすところに意味深い踊りのリズムをつくりだす秘訣があり、振り付け師の創作的識見がある。

 朝鮮人民が働き暮らす現実の多様な生活のなかには、踊りのリズムの素材をはじめ、舞踊芸術作品の素材がたくさんある。振り付け師は、そうした現実のなかに入って、かれらの生活を幅広く深く研究しなければならない。その過程で振り付け師は、生活の具体的な断面を掘りさげるべきである。そして、人間の生活に見られる多様な動作のなかから踊りのリズムとなる特徴のある動作を見つけ出さなければならない。振り付け師があつい情熱とあくなき探求心をもって生活のディテールを深く掘りさげるなら、人間の自主的で創造的な生活の過程であらわれる新しい特徴のある動作を見つけて、性格の明白な踊りのリズムをつくりだすことができる。生活の動作にもとづいてつくられた性格の明白な踊りのリズムは、人民の生活と思想・感情をリアルに繊細に表現することができる。

 踊りのリズムは、美しいものにすべきである。

 舞踊は、踊りのリズムが美しいものであってこそ、芸術的にすぐれた作品になり、観客に美しい律動を見せることができる。

 芸術は、美しいものでなければならない。美は、芸術の本性である。

 芸術は、人間の自主的で創造的な生活の過程で発現する美しいものへの志向と要求を反映して生まれ、発展する。芸術は美しいものであってこそ、生活を美しく創造して享受しようとする人間の志向と要求を正しく反映し、その実現をめざすたたかいを鼓舞することができる。舞踊芸術も、生活を美しく創造して享受しようとする人間の崇高な思想・感情を美しいリズムによって生き生きと描きだすべきである。そのためには、踊りのリズムが美しいものでなければならない。

 踊りのリズムを美しいものにするには、人間の生活のなかから探しだした動作を芸術的にほどよくととのえなければならない。

 現実のなかから探しだした生活の動作に深い意味がこめられているとしても、そのままでは舞踊形象の手段とはなりえない。芸術的にととのえられていない生硬な生活の動作は芸術的リズムになりえず、したがって、舞踊言語としての機能を果たすことができない。現実のなかから探しだした生活の動作は、律動的に、造形的に十分ととのえる必要がある。

 律動性と造形性は、踊りのリズムの基本的属性である。踊りのリズムは、律動的に、造形的に美しいものでなければならない。そうであってこそ、踊りのリズムは、芸術的な美をあらわすことになる。

 踊りのリズムは芸術的な美をそなえてこそ、形象的言語としての機能を十分に果たし、生活を美しく描くことができる。

 踊りのリズムの芸術的な美は、踊りの内容と一致しなければならない。内容をぬきにして、動作の模様とリズムだけを美しくするのは、形式主義の表現である。踊りのリズムは、調和のとれた律動美と造形美によって踊りの内容を鮮明にしなければならない。そのような踊りのリズムが、美しい踊りのリズムなのである。振り付け師は、踊りの内容がはっきりとあらわれるように、踊りのリズムを律動的に、造形的に美しいものにすべきである。

 踊りのリズムは、民族的情緒が豊かなものにすべきである。

 踊りのリズムを民族的情緒の豊かなものにするのは、舞踊創作において守るべき重要な原則の一つである。わが国の舞踊は、朝鮮人民の生活を反映し、朝鮮革命に寄与する芸術とならなければならない。わが国の舞踊を革命に寄与する芸術として創造し発展させるには、民族的情緒を正しく具現しなければならない。民族的情緒を正しく具現してこそ、わが国の舞踊が人民の思想・感情と生活をリアルに描き、かれらの美感にかなったものになる。舞踊の民族的情緒は、踊りのリズムに集中的にあらわれる。舞踊で民族的情緒を正しく具現するためには、まず、踊りのリズムから民族的情緒の濃いものにしなければならない。

 踊りのリズムを民族的情緒の濃いものにするには、踊りのリズムと動作に朝鮮舞踊の固有な味が出るようにしなければならない。

 朝鮮舞踊は、腕の動きを基本とし、律動が優雅でしなやかなのが特徴である。朝鮮舞踊のこのような特徴を無視しては、踊りのリズムに民族的情緒をもたせることができない。

 朝鮮舞踊では、手の動作も用いることができる。しかし、朝鮮舞踊では、手の動作を基本としてはならない。舞踊では、腕の動作と手の動作は区分される。朝鮮舞踊は、腕の動作が基本であって、手の動作が基本ではない。朝鮮舞踊の踊りのリズムでは、腕全体をしなやかに動かすことを基本とし、手の動作は必要なときにだけ用いるべきである。

 踊りのリズムの民族的情緒は、テンポにもあらわれる。朝鮮舞踊の情緒は、踊りのテンポとも深くつながっている。朝鮮舞踊のテンポは、さほど速くもなければ遅くもない。朝鮮舞踊は、テンポがほどよいので情緒的な流れをなし、すべての動きと律動はしなやかでありながらも力強いものがある。舞踊は、テンポが速すぎると自然に流れが激しくなり、動きが多くなるので、優雅で叙情的な味がなくなってしまい、これとは反対にテンポが遅すぎると重苦しく間延びがする。舞踊のテンポは踊りの情緒と関係があるので、踊りのリズムをつくるにあたっては、流れのテンポを朝鮮舞踊の特性に合ったものにしなければならない。特に、男性舞踊の動作で民族的情緒を十分に生かすべきである。男性舞踊は、女性舞踊と違って男性的な性格を帯びなければならないので、足を踏み鳴らすなど迫力のある活発な動作をすることができる。だからといって、跳躍や回転などの動作を西洋式にすべきではない。そういった動作を取り入れると、朝鮮舞踊の固有な味がなくなってしまう。男性舞踊でも、迫力のある活発な動作は朝鮮舞踊に固有な情緒を十分に生かしてつくるべきである。男性舞踊でこんにちの生活を反映した新しい踊りのリズムをつくるにしても、西洋舞踊の動作を模倣するのでなく、朝鮮舞踊のリズムにもとづき、我々の時代の要求と朝鮮人民の美感に合わせて朝鮮式のものにすべきである。そうしてこそ、舞踊で民族的特性とともに現代性も正しく具現することができる。

 技巧を見せる踊りのリズムをうまくつくるべきである。

 舞踊では、技巧を見せる踊りのリズムをうまくつくることがきわめて重要である。技巧を見せる踊りのリズムは、作品の思想性・芸術性を高める。

 舞踊で技巧を見せる踊りのリズムは、主にクライマックスに展開される。

 舞踊作品の形象化では、クライマックスが重要な位置を占める。

 クライマックスは、ストーリーのある作品やドラマ性の強い作品はもとより、ストーリーやドラマ性のない作品にも必要である。クライマックスで高度の技巧を見せれば、展開してきたストーリーが強調され、リズミカルな形象はいっそうはなやかなものになる。

 クライマックスでのテクニックは、展開してきた踊りのリズムを中途で打ち切ったり、うやむやに終わらせないで持続し、それを技術的に立派に発展させて見せるべきである。そうすれば、踊りのリズムと作品の性格が生かされ、観客にもよい印象を与えることができる。

 クライマックスで見せるテクニックを作品ごとに新たに創造するというのは容易でない。そのため、長いあいだ舞踊を発展させる過程でととのえられ、定着した既成のテクニックを利用することになる。既成のテクニックを利用する場合、型どおりに利用してはならない。既成のテクニックを型どおりに利用すると、くりひろげてきた踊りのリズムが生かされず、作品の性格があいまいになる。舞踊のクライマックスは、観客の耳目がいちばん集中する場面なので、そこで型どおりのテクニックを見せては、観客によい印象を与えることができない。クライマックスに既成のテクニックを利用する場合は、型どおりにではなく、作品の内容と性格に合うように調和させて利用すべきである。振り付け師は、作品の内容と性格に合わせて既成のテクニックを正しく利用するとともに、新しいテクニックを探求して、クライマックスを特色のある踊りのリズムで立派に描きだすべきである。

 踊りのリズムは、音楽に合わせてつくるべきである。

 踊りのリズムを音楽に合わせてつくるのは、舞踊作品の思想性・芸術性を高める方途の一つである。踊りのリズムを音楽に合わせてつくってこそ、踊りと音楽が形象上の統一をなし、思想性・芸術性のすぐれた舞踊作品を創作することができる。

 舞踊では、音楽と踊りが同じ生活にもとづいており、一つの形象化に寄与する。ところが、舞踊での音楽と踊りは、それぞれ独自の形象体系をもってくりひろげられる。独自の形象体系をもつ音楽と踊りが、同じ生活を立派に描きだすには、形象上の統一が保たれなければならない。音楽と踊りの形象上の統一は、踊りのリズムを音楽に合わせてつくってこそもたらされる。

 踊りのリズムは、音楽の性格に合わせてつくるべきである。

 踊りのリズムは、音楽の旋律と拍子に乗ってつくられる。音楽は、踊りのリズムに旋律と拍子をつけてくれる。同時に、音楽の旋律と拍子は、踊りのリズムの性格を規定する。同じ踊りのリズムであっても音楽の旋律と拍子が変われば、その性格も変わる。また、踊りのリズムの性格が変われば、舞踊作品の性格も変わる。結局、音楽は、踊りのリズムの性格だけでなく、ひいては作品の性格を規定するうえでも大きな作用を及ぼす。舞踊音楽の性格が舞踊作品の性格を規定するので、名曲にもとづけばすぐれた舞踊を創作することができる。

 しかし、舞踊音楽の性格がひとりでに踊りのリズムに具現され、踊りのリズムの性格を規定するわけではない。舞踊音楽の性格は、振り付け師がそれを正しく把握し、それに合わせて踊りのリズムをつくってこそ、踊りのリズムに具現される。音楽の性格は、思想的内容と情緒的ニュアンスによって表現される。振り付け師は、作曲家が個性的に創作した舞踊音楽の思想的内容と情緒的ニュアンスを正しく把握し、それに合わせて踊りのリズムをつくるべきである。

 踊りのリズムは、舞踊音楽の流れに合わせてつくるべきである。

 踊りのリズムは、音楽に乗って流れながら踊りを形づくる。踊りのリズムが音楽に乗って自然に流れながら踊りを形づくるには、それが音楽の流れによく合わなければならない。

 踊りのリズムは、音楽の旋律の流れに合ったものでなければならない。そうなってこそ、踊りと音楽の情緒的な統一がもたらされ、リアルな形象が創造される。生活から探しだしたリズムは音楽で旋律となり、音楽の旋律は舞踊の踊りのリズムとなる。そのため、踊りのリズムは、音楽の旋律と一致させなければならない。そうすれば、踊りのリズムが自然に音楽に乗って流れながら情緒的な統一をなしていく。

 踊りのリズムは、舞踊音楽の拍子の流れにもよく合ったものでなければならない。舞踊音楽での拍子は、踊りのリズムの律動を生かす。踊りのリズムは舞踊音楽の拍子の流れに合ったものであってこそ、踊りと音楽の律動性を十分に生かし、より美しい律動的な形象を創造することができる。振り付け師は、舞踊音楽のリズムと拍子を十分に把握し、踊りのリズムをそれに合わせて、踊りのリズムの流れと拍子の流れが自然に一つに調和するようにしなければならない。

 踊りのリズムを巧みに組み合わせるべきである。

 生活のなかから探しだした一つひとつの踊りのリズムは、踊りの構成の要求に即してほどよく配列し、結合しなければならない。

 この作業をおろそかにすると、新しい特色のある踊りのリズムをつくりだしても意味がなくなってしまう。個々の踊りのリズムは、有機的に結合し連結されてはじめて、一つの律動体系をそなえた踊りとなり、その表現機能を果たすことになる。

 踊りのリズムは、舞踊ルールに従って組み合わせるべきである。他の芸術様式と同様に、舞踊芸術にもそれに固有な形象言語とともに、その創造において規範となるルールがある。舞踊ルールを守るのは、舞踊作品の踊りの構成をはじめ、形象創造の全般において重要であるが、舞踊言語の基本要素である踊りのリズムを組み合わせるうえでより重要である。

 踊りのリズムを組み合わせるのは、言葉や文にたとえるならば単語を結合して文章をつくることだと言える。話をしたり文章を書いたりするときに文法を守らなければ文章が支離滅裂になり、意味がよく通じないのと同様に、踊りのリズムも規範に反して組み合わせると踊りの流れが不自然になり、内容も明白に表現することができなくなる。舞踊では、踊りのリズムが舞踊ルールにしたがって組み合わされてこそ、踊りがととのい、内容も明白になる。

 踊りのリズムを舞踊ルールに従って組み合わせるうえで重要なのは、主要リズムを規範に従って設定し、組み合わせていくことである。舞踊作品における踊りのリズム構成は、一定の意味と律動の形態をそなえた主要リズムを基本にして成り立っている。踊りのリズムを組み合わせるうえで主要リズムの選定を誤ると、踊りの内容表現とリズムの性格が違ったものになる。そのため、主要リズムを正しく設定し組み合わせることは、踊りのリズム構成の重要なルール上の要求となる。舞踊作品の内容と踊りの構成に応じて主要リズムの設定は一つにしてもよいし、複数にしてもよい。しかし、主要リズムは、必ず踊りの内容とリズムの特徴をもっとも明白にあらわせるものにしなければならない。

 舞踊『リンゴの豊作』は、主要リズムを舞踊ルールの要求に即して正しく設定し、組み合わせている。この舞踊では、作品の主題的・思想的内容に即して現実のなかから探しだしてリズム化したリンゴをもぎとる動作、枝をかき分ける動作、もぎとったリンゴをかごに入れる動作などを主要リズムとし、それらを反復、もしくは変化発展させながら、踊りを巧みに織りなしている。また、主要リズムを正しく設定して踊りのリズムをくりひろげているので、踊りのリズムと形象の一貫性が保たれ、わが党の賢明な指導のもとに国のいたるところにつくられた青春果樹園で毎年リンゴの豊作を迎える農村の乙女たちの喜びと楽しい労働生活が生き生きとリアルに描きだされている。

 踊りのリズムを舞踊ルールに従って組み合わせるうえで重要なのはまた、踊りの節をうまく組み合わせることである。踊りの節は、踊りのリズム構成の基本単位である。舞踊では、芸術的形象のための踊りのリズムはもとより、実技訓練を目的とする基礎動作も踊りの節を基本単位として組み合わされる。舞踊のあらゆる踊りのリズムは、踊りの節を基本単位として構成されるので、踊りの節をうまく組み合わせてこそ、踊りのリズム進行と形象がルール上ととのったものになる。踊りの節は、相対的な完結性をもつ小さな踊りのリズム構成であるため、始めと結びを明白なものにしなければならない。一つの踊りの節は大体、音楽の8拍子の長さであり、一定の構図をもっている。踊りの節は、音楽の流れと構図の変化に応じて組み合わせるべきである。踊りの節が舞踊ルールに従ってうまく組み合わされた舞踊では、踊りの進行の形象上の段落も明白になり、作品の思想的・情緒的内容もより明白に表現される。





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