「舞踊芸術論」−2 舞踊創作
 
3 舞踊音楽はすぐれたものでなければならない


 舞踊音楽をどのようなものにするかは、舞踊作品の思想性・芸術性を保つうえできわめて重要である。元来、舞踊は、音楽と結びついた芸術であり、音楽がすぐれたものであってこそ、それにもとづいて、思想的、芸術的に立派なものにすることができる。

 舞踊は、音楽にもとづいて創作され、形象化される。それは、音楽にもとづいて踊りのリズムがつくられ、踊りができあがるからである。

 踊りのリズムは、音楽にもとづいて生まれる。音楽は、踊りのリズムに律動と情緒をもたせる。音楽がもたらす律動と情緒によって、踊りのリズムが生まれる。律動と情緒が、豊かな音楽は情緒的な美しい踊りのリズムをつくりだす。情緒的で美しい踊りのリズムをつくるには、律動と情緒が豊かなすぐれた音楽がなければならない。

 音楽がすぐれたものであってこそ、踊りも立派に形象化することができる。

 踊りは音楽に乗ってこそ形象化され、舞台にくりひろげられる。

 踊りは、舞踊手が形象化して舞台にくりひろげる。舞踊手が踊りをおどるには、音楽に乗らなければならない。舞踊手は音楽に乗ってこそ、音楽の律動と情緒に合わせておどることができる。舞踊手が踊りを上手におどるかどうかは技量にもかかわるが、舞踊音楽がどんなものであるかということとも大いにかかわりがある。舞踊音楽が律動と情緒が豊かで興趣をもりあげるものであれば、舞踊手はおのずと音楽の世界に誘われ、踊りを楽しく、自然におどることができる。舞踊手が音楽の世界にひたって踊りを楽しく自然におどれば、それだけ舞踊作品は思想性・芸術性のすぐれたものになる。

 音楽がすぐれたものであってこそ、観客も舞踊の世界に深く引きこまれるようになる。

 舞踊の思想的・芸術的水準は、観客が舞踊作品の世界に深く引きこまれるかどうかによって評価される。舞踊作品の世界に観客を深く引きこむには、かれらの大きな情緒的感興をそそらなければならない。舞踊の情緒的感興は、踊りの美しい律動によってそそられる。舞踊の情緒的感興は、踊りと音楽の統一的な形象化によっていっそうもりあげることができる。音楽は、人間の心を動かす情緒的な力が大きい。人びとは、日常生活でリズム感のある軽快な音楽を耳にすると、われ知らずそれに合わせて足や手の指で軽く拍子をとるものである。舞踊でも音楽が興趣をわきあがらせれば、観客が興をそそられ、舞台の舞踊手といっしょに踊りをおどっているような心持ちになる。舞踊における音楽は、振り付け師と舞踊手、観客を舞踊の世界へと導く重要な役割を果たす。したがって、舞踊作品の創作にあたっては、すぐれた音楽をつくることに力を入れるべきである。

 舞踊音楽は、振り付け構成案がつくられたあと、踊りのリズムに先立って創作しなければならない。

 舞踊音楽を踊りのリズムに先立って創作するのは、舞踊作品の創作において堅持すべき原則の一つである。舞踊音楽を踊りのリズムに先立って創作してこそ、作品の思想的・主題的要求にかなったものになり、形象化の独自性と一貫性を保障することができる。舞踊音楽は、振り付け構成案に示された方向にそって、種子が明らかにした思想・主題の内容をもりこんでいながらも、音楽としての固有な体裁をなすように、形象化の独自性と一貫性を保障しなければならない。

 踊りのリズムを先につくり、それに合わせて舞踊音楽をつくると、それは満足できるものにならない。踊りのリズムに合わせてつくられた舞踊音楽は、いきおい形象化の一貫性と独自性を保障できなくなる。そのような音楽は、音楽としての価値がないばかりか、舞踊作品の思想性・芸術性を高める何の助けにもならない。したがって、舞踊音楽は、踊りのリズムをつくる前に創作しなければならない。

 舞踊音楽は、興趣が感じられるようにつくるべきである。舞踊音楽に興趣があってこそ、踊りのリズムが自然に生まれ、舞踊手がスムーズにおどりこなし、観客も興に乗るものである。

 舞踊音楽に興趣を添えるには、旋律を舞踊形象の要求にかなったものにしなければならない。

 旋律は、音楽の思想的・情緒的内容を表現する基本的手段である。

 舞踊音楽の旋律は、舞踊作品の思想的・情緒的内容をあらわさなければならない。そうするには、音楽としての自己の固有な性格を生かさなければならない。舞踊音楽の旋律は、音楽としての自己の固有な性格を生かしながらも、踊りの性格に合ったものでなければならない。舞踊音楽の旋律は、人物の思想・感情と情緒的に一致し、踊りの形象化の世界をはっきりと浮き彫りにする。

 踊りの性格は、種子によって規定され、舞踊台本と振り付け構成案によって示される。作曲家は、振り付け構成案に示された踊りの性格を把握し、振り付け師の意図と要求に即して舞踊音楽の旋律をつくらなければならない。

 舞踊音楽を興趣のあるものにするには、拍子を十分に生かさなければならない。

 音楽のリズムをつくる基本的要素は拍子である。拍子がリズムをつくるので、踊りは拍子に乗ってこそリズムが生かされる。踊りは、拍子に合わせておどる。舞踊伴奏音楽が発展していなかった時分は、主に打楽器の拍子に合わせて踊りをおどったものである。

 当時は、踊り手がみずから長鼓や太鼓をたたきながら、その拍子に合わせておどったりした。舞踊伴奏において拍子を生かすことは、昔もいまも重要な問題である。音楽の拍子が十分に生かされてこそ、それに合わせて踊りを楽しくおどることができる。

 舞踊音楽の拍子では、民族的な拍子を十分に生かすべきである。

 そうすれば、民族色の濃い踊りのリズムをつくりだし、舞踊形象化においても民族的特性を十分に生かすことができる。舞踊の民族的な拍子は、民族の思想・感情と情緒を鮮明に表現する手段の一つである。踊りが民族的な拍子に乗れば、民族的な情緒と興趣がわきあがる。朝鮮の拍子は、種類が多様かつ豊富である。朝鮮人民は、早くから拍子を利用して、自分の思想・感情と好みに合う民族舞踊を発展させてきた。民俗舞踊である農楽舞は、長いあいだ朝鮮人民が広くおどってきた。農楽舞には、特色のある多様な朝鮮の拍子に乗って流れる軽快な音楽と踊りのリズムがある。農楽舞の変化に富む拍子は、朝鮮の拍子が多様かつ豊富であることをよく示している。わが国の舞踊音楽は、多様で豊富な朝鮮の拍子を十分に生かしてつくるべきである。

 舞踊音楽は、踊りの構成の要求に即してつくるべきである。これは、踊りと音楽の統一をはかる方途の一つである。舞踊における踊りと音楽は、同じ生活の内容を描きださなければならないので、構成上の統一をはからなければならない。

 踊りと音楽の構成上の統一をはかるうえで重要なのは、始めと終わりの処理を形象的に統一させることである。舞踊の芸術的効果は、始めと終わりをどう処理するかによって大きく左右される。

 舞踊の始めと終わりが観客によい印象を与えるようにするには、踊りと音楽を形象的によく統一しなければならない。舞踊の始めと終わりの形象的統一は、踊りと音楽の構成において巧みになされなければならない。

 踊りと音楽の構成上の統一をはかるうえで重要なのはまた、舞踊のクライマックスを音楽的にうまく処理することである。舞踊におけるクライマックスは、芸術的効果をねらう重要な場面である。

 クライマックスの芸術的効果は、踊りの構成を密にし、舞踊手の技巧を高めるとともに、それにふさわしい音楽をバックアップしてこそ、十分にあらわれる。舞踊音楽の創作にあたっては、踊りのクライマックスを把握し、クライマックスの芸術的効果を十分に発揮させる方向で音楽形象をそれに一致させるべきである。

 既成の名曲を舞踊音楽として大いに利用すべきである。

 既成の名曲を利用するのは、すぐれた舞踊音楽を解決する重要な方途の一つである。既成の名曲を利用すれば、舞踊音楽を名曲にする問題を立派に解決することができる。舞踊作品を名作にするには、舞踊音楽が名曲でなければならない。踊りは音楽にもとづいて創作され形象化されるので、名曲を利用してこそすぐれた舞踊をつくることができる。すぐれた歌詞があってこそ名曲が生まれ、名曲があってこそすぐれた舞踊が生まれるのである。既成の名曲を利用すれば、舞踊音楽を踊りのリズムに先立って創作する問題も成功裏に解決することができる。また、既成の名曲を利用すれば、振り付け師が舞踊作品にたいする明確な芸術的表象をもち、基本的な踊りのリズムをたやすく見つけることができる。

 既成の名曲を舞踊音楽にした舞踊作品は、人民がすぐに理解し共感する。観客が『忠誠ひとすじに』と『三色舞』を観てすぐに理解し共感を覚えるのは、人民に愛され広くうたわれている既成の名曲をもとにして舞踊音楽をつくったからである。

 近年、わが党の正しい文芸方針にもとづいて多様な主題とスタイルの名曲が多数創作されて、人民に広くうたわれている。そのなかには、舞踊音楽として使える名曲が少なくない。人民に愛唱されている名曲を利用すれば、思想的、芸術的にすぐれた舞踊作品をいくらでも創作することができる。

 既成の名曲を舞踊音楽として用いる場合は、それを上手に編曲しなければならない。既成の名曲を大衆舞踊曲として用いるときは編曲しなくてもすむが、芸術舞踊にオリジナルを使うのはむずかしい。芸術舞踊は一定の形象体系をもっているので、踊りを構成し、踊りのリズムを織りなせるように既成の名曲を舞踊音楽に編曲する必要がある。既成の名曲を舞踊音楽に編曲するのも一種の創作である。既成の名曲を舞踊音楽に編曲するのも、新しい舞踊音楽の創作に劣らず創作的な探求を必要とする。既成の名曲を手にしたからといって、舞踊音楽がひとりでにつくられるわけではない。作曲家が創作的情熱を燃やしてたえず探求してこそ、既成の名曲をもとにしてすぐれた舞踊音楽をつくることができる。

 作曲家がすぐれた舞踊音楽をつくるには、舞踊の知識が必要である。作曲家に舞踊の知識がなければ、舞踊音楽を舞踊の形象体系に即して創作することはできない。作曲家は、学習をはじめ、いろいろな方法で舞踊にかんする理論と創作実技を習得すべきである。

 作曲家は舞踊音楽の創作にあたって、振り付け師と緊密に協議すべきである。舞踊作品の創作活動は、振り付け構成案の作成から舞台形象の創造にいたるまで、振り付け師の創作意図と決断によって進められる。したがって、作曲家が作品の形象上の要求に即して舞踊音楽をつくるためには、振り付け師の創作意図と決断を知る必要がある。作曲家が振り付け師の創作意図と決断を知れば、舞台に展開される舞踊形象を思い描きながら、作品の形象上の要求に即して特色のある舞踊音楽を立派に創作することができる。作曲家は、振り付け師との緊密な協議のもとに作品の形象上の要求にかなった舞踊音楽を創作することによって、舞踊作品を思想的、芸術的に立派に完成させるのに大いに寄与すべきである。





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