「舞踊芸術論」−2 舞踊創作
 
1 舞踊台本がなければならない


 思想的、芸術的にすぐれた舞踊作品を創作するためには舞踊台本がなければならない。

 舞踊台本は、舞踊作品の基本的内容を文学的に叙述したものである。舞踊台本には、舞踊作品の種子(チョンジャ)と主題・思想、人物の性格と相互関係、生活の細部とストーリーなどが示される。舞踊台本の内容にもとづいて振り付けけ構成案が作成され、舞踊音楽と踊りのリズム、舞台美術がつくられる。舞踊台本は、舞踊作品創作の思想的・芸術的基礎である。

 舞踊台本がなければ、思想的、芸術的にすぐれた舞踊作品を創作することはできない。

 舞踊台本は、種子を正しくとらえ、それにもとづいて書かなければならない。

 種子は、作品に反映される生活の思想的核心であり、作品の思想的・芸術的価値を保障する核である。種子によって作品の性格と思想的・芸術的質が左右される。

 種子を正しく選択することは作品創作の始点であり、どんな種子を選択するかは作品の運命を左右するキーポイントである。種子を正しくとらえてこそ、主題と思想が明確で芸術的にすぐれた作品を短期間に立派に創作することができる。

 舞踊作品の種子は、党政策の要求にそってとらえなければならない。これは、種子の選択において堅持すべき重要な原則の一つである。舞踊作品の種子を党政策の要求にそってとらえてこそ、人民の思想的・情操的教育に寄与するすぐれた作品を創作することができる。

 舞踊作品の種子は、芸術的リズムによって描きだせるものをとらえなければならない。芸術的リズムは、舞踊作品の基本的表現手段である。舞踊作品は、芸術的リズムによって人間の思想・感情と生活を描きだす。それゆえ、舞踊作品の種子は、必ず芸術的リズムによって描きだせるものでなければならない。いくら党政策の要求にかない、社会的意義があっても、芸術的リズムによって描きだせないものは舞踊作品の種子にならない。

 舞踊作品の種子は、新しく特色のあるものでなければならない。

 新しく特色のある種子は、作品の個性的特徴を生かす根本条件である。新しく特色のある種子を選択してこそ、有意義な問題を提起し、印象深く興味を引く形象を創造することができる。つねに、新しく非反復的な生活を探求し描きだすのは、芸術の本来の要求であり、芸術作品の創作において堅持すべき原則である。新しく特色のある種子をとらえることは、小品を基本にして発展させる我々の舞踊芸術作品の創作においていっそう重要な問題として提起される。舞踊小品の創作において個性的特徴を生かすのは、単なる芸術的形式や技巧にかんする問題ではなく、作品の思想性・芸術性を保障する原則的問題である。小品をはじめ、すべての舞踊作品は、新しく特色のある種子をとらえ、それにもとづいて、斬新で個性的な形象を創造しなければならない。

 作品の種子は、生活のなかに求めるべきである。作品の種子は、芸術的に形象化しうる生活の核心であるため、生活のなかに求めるべきであって、生活を離れては求めることができない。舞踊創作家が、舞踊作品の種子を生活のなかに求めず、自分勝手に考えだすならば、そのような種子は有意義な社会的問題を提起することができず、芸術形象において類似性と図式化をまぬがれない。

 生活は、多様なものである。多様な生活には、芸術的リズムによって描きだせる作品の種子がいくらでもある。

 舞踊作品の種子は、創造的な労働生活のなかに見出すべきである。

 創造的な労働生活は、社会生活において重要な位置を占めている。

 創造的な労働生活のなかには、舞踊によって描きだせる生活が多々ある。創作家は、創造的な労働生活を深く探求し、そのなかから芸術的リズムによって立派に描きだせる舞踊作品の種子を選択しなければならない。

 舞踊創作家は、人民の多様な文化・情操生活からも舞踊作品の種子を探しだすべきである。

 こんにち朝鮮人民は、わが党の正しい文化施策によって多様な文化・情操生活を享受している。人民の文化・情操生活は、生活の向上にともなってますます多彩なものになっている。人民が享受している文化・情操生活には、かれらの気高い思想・感情と文化・情操が反映されている。したがって、人民の文化・情操生活を深く探求し、そこからすぐれた舞踊作品の種子を選び出すべきである。

 朝鮮人民の文化・情操生活において音楽は、重要な位置を占めている。朝鮮人民は、党と領袖の賢明な指導のもとに享受している張り合いのある政治・思想生活と労働生活、文化生活を音楽にもりこんでいる。こんにち、朝鮮人民が愛する音楽には、党と領袖を欽慕する頌歌をはじめ、気高い思想・感情と生活を反映した名曲が多い。名曲にもりこまれた生活から種子をとらえれば、人民に愛されるすぐれた舞踊作品をつくることができる。これまで名曲から種子をとらえてつくった舞踊作品は、そのほとんどが人民に愛されている。

 舞踊創作家は、美術作品からも舞踊作品の種子を選択することができる。美術作品には、時代相と人民の多様な生活が反映される。

 わが国の美術家と美術愛好家が創作した多くの美術作品には、労働党時代に開花している朝鮮人民の多様な生活がよく反映されている。舞踊創作家は、すぐれた美術作品を鑑賞し、そこから舞踊作品の種子をとらえるべきである。

 舞踊創作家は、新しい生活分野にも関心を払う必要がある。革命と建設の進捗と人民生活のたえまない向上にともなって、新しい生活分野がひきつづき生まれている。新しい生活分野から種子をとらえれば、特色のある舞踊作品を創作することができる。創作家は、つぎつぎと生まれる新しい生活分野に関心を向け、そこに有意義な生活を見出して舞踊作品の種子をとらえるべきである。

 舞踊台本では、人物を明白に設定し、その思想・感情をリアルに描かなければならない。

 舞踊台本には、描こうとする人物が明白に設定されなければならない。言葉を使わず芸術的リズムによって人間の思想・感情と生活を描きだす舞踊は、人物の設定において他の芸術様式と区別される特徴がある。映画や演劇などでは、生活形式どおりの具体的な人物が設定されるが、舞踊では具体的な人物だけが設定されるのではない。舞踊では具体的な人物のみでなく、一人の人物にとって代わる数人の同一人物が設定されることもあれば、象徴的な人物や自然現象を擬人化した精が設定されることもある。また、一つの作品にさまざまな形式の人物が同時に設定される場合もある。舞踊は、人物を多様な形式で設定することができるがゆえに、芸術的リズムによっても人間の生活感情を幅広く掘りさげて描くことができ、他の芸術様式では描写の困難な対象を生き生きと描きだすこともできる。舞踊芸術のこのような特性と形象的可能性を正しく生かすには、作品の人物を正しく設定しなければならない。舞踊『雪が降る』が、思想性・芸術性の高いすぐれた作品になりえたのも、人物を正しく設定したからである。舞踊で人物の設定を誤ったり、設定された人物が明白でなければ、形象化があいまいになり、ひいては作品の内容までゆがめることになる。

 舞踊作品に登場する人物は、台本で設定される。舞踊台本では、作品の内容に合わせて人物を正しく設定し、それがどんな人物であるかを明示しなければならない。すなわち、それが独自の個性をもつ具体的な人物なのか、さもなければ象徴的な人物なのか、象徴的な人物なら何を象徴しているのか、精ならなんの精なのかといったことを明らかにする必要がある。

 人物が明白に設定されたら、その精神世界をリアルに描かなければならない。人物を正しく設定したとしても、その精神世界を十分に描けなければ用をなさない。他の芸術作品と同様、舞踊作品においても人物を正しく描かなければならない。芸術作品における基本的描出対象は人物である。人物のなかでも、とりわけ主人公を立派に描く必要がある。舞踊では、主人公が設定されることもあるし、設定されないこともある。主人公が設定されている舞踊では当然、主人公を立派に描かなければならない。主人公の形象化は、作品の種子を実現し、思想性・芸術性を保障するうえで決定的な役割を果たす。

 舞踊台本では、人物の相互関係を正しく結び、思想・感情をリアルに描かなければならない。

 舞踊台本では、ストーリーを簡潔なものにすべきである。

 ストーリーを簡潔なものにすることは、芸術的リズムによって生活を描きだす舞踊芸術の特性からくる重要な要求である。舞踊は、ストーリーが簡単明瞭であってこそ、踊りでその内容を理解させることができる。舞踊作品は、その規模と形式によって反映する生活が多様であり、ストーリーを仕組む方法も異なるものである。

 舞踊作品には、舞踊劇もあれば舞踊組曲もあり、舞踊小品もある。

 舞踊劇はスケールが大きく、生活をドラマチックに仕組むので、登場人物が多く、事件とストーリーが比較的複雑である。舞踊組曲は、舞踊劇のようにドラマチックな事件やストーリーはないが、スケールの大きい形式の舞踊作品であり、さまざまな生活の内容をもりこむことができる。スケールの小さい形式の舞踊小品も、作品によって生活を叙事的に描いてみせることもできれば、人間の内面世界を叙情的に描きだすこともできる。舞踊作品は、スケールの大小、描写方法のいかんを問わず、ストーリーが簡潔なものでなければならない。登場人物と事件が多く、ストーリーが複雑であると、踊りによってそれを描くのがむずかしいばかりでなく、踊りがストーリーの裏にかくれて生彩がなくなる。そうなると舞踊作品は見ごたえがなくなり、芸術的価値を失うようになる。

 舞踊台本のストーリーは、小品であるほど簡潔なものでなければならない。舞踊小品は、文字どおりスケールの小さい形式の舞踊作品なので、人間の生活と思想・感情を短時間に集約的に描けるように、ストーリーを簡単明瞭なものにしなければならない。そうしてこそ、作品の主題・思想の内容を明らかにし、踊りも生かすことができる。

 舞踊小品は、簡単な小話を通じて意味のある生活を幅広く描きだすべきである。舞踊『祖国のツツジ』は、朝鮮人民革命軍の女子隊員が祖国の地を踏むという生活モメントでの一つのストーリーを通じて、彼女らの崇高な祖国愛と革命的楽天主義を描いており、舞踊『箕の踊り』は、月夜に水車小屋でついた米を箕でふるい分ける村の乙女たちの生活の一断面を通じて、抗日革命闘争の時期に金日成同志を民族の太陽として高く仰ぎ、祖国解放の日を早めるために朝鮮人民革命軍を誠心誠意援護する人民の熱い心と生活を描きだしている。これらの舞踊は断片的な生活のあるモメントの簡単なストーリーを題材にしているが、思想的内容を深奥かつ幅広く描きだしている。舞踊小品は、時代の本質を内包している典型的な生活の一断面を題材にしてストーリーを簡潔に仕組み、意味深く、気品のあるものに仕立てあげるべきである。

 舞踊台本では、基本的な踊りの場面を示し、それにともなう音楽と舞台美術を強調すべきである。

 舞踊台本は、舞踊形象を前提として書かれるものなので、基本的な踊りの場面が示されていなければならない。人物の生活とストーリーを展開する過程で踊りが出る重要なモメントと基本的な踊りの場面が示されていてこそ、それにもとづいて舞踊を創作することができる。

 音楽と舞台美術は、舞踊形象の重要な手段である。台本では、ストーリーが展開されるにつれて変化する音楽と舞台美術を明示しなければならない。特に、パンチャン(傍唱)がある場合は、歌詞を洗練させ、踊りの小道具があるときにはそれを強調しなければならない。

 舞踊台本の叙述も舞踊の特性にかなったものでなければならない。演劇台本は、せりふを基本にして書かれ、歌劇台本は歌詞を基本にして書かれる。しかし、舞踊台本は、演劇台本や歌劇台本のように、せりふや歌詞を基本にして書くことはできない。舞踊台本でもパンチャンがある場合は歌詞を書き、俳優の演技の助けとなるように多少のせりふを書くことはできるが、それが基本にはなりえない。舞踊では、人物の思想・感情と生活を芸術的リズムによって描きだすのであるから、台本は人物の生活感情の世界をリズムで描きだせる表象のものにしなければならない。

 舞踊台本も文学の一種であるから、作家が書くべきである。特に、舞踊劇や舞踊組曲のようにスケールの大きい形式の舞踊作品の台本は、作家が書いてこそ文学的なものにすることができる。

 だからといって、舞踊台本は必ずしも作家しか書けないというものではない。舞踊台本は、振り付け師も書けるし、振り付け師と作家が共同で書くこともできる。小品のようなスケールの小さい形式の舞踊作品の台本は、振り付け師でも書ける。誰が書こうとも舞踊台本は、舞踊芸術の特性にかない、文学的に完成されたものでなければならない。





inserted by FC2 system