「舞踊芸術論」−1 生活と舞踊
 
5 民族舞踊の形式を生かすべきである


 民族舞踊の形式を生かすのは、社会主義的舞踊芸術の発展において堅持すべき重要な原則である。

 芸術に反映される内容は、それに適した芸術形式を求め、時代の発展とともに新たに提起される多様な生活は、それを反映する新しい芸術形式を求める。芸術の形式は、内容をあらわし、人々に内容を伝える役割を果たす。芸術において内容をどのようにあらわし、伝えるかということは、どのような形式にもりこむかにかかっている。芸術はその内容に適した形式にもりこんでこそ、芸術的に立派に表現し、人々に最も効果的に伝えることができる。内容がいかに立派なものであっても、それに適した形式にもりこまれなければ、芸術的に立派に表現することも、人々に正しく伝えることもできない。内容を芸術的に立派に表現し、正しく伝えることができない芸術は、人々の思想的・情緒的感興を呼ぶことはできない。思想的、情緒的な感興をそそらない芸術は人々に愛されない。人民に愛されない芸術は、真の芸術ではない。芸術が人民に愛され支持される真の芸術になるためには、人民の多様な生活を、それに最も適した形式にもりこまなければならない。

 芸術において内容を正しくあらわし伝える形式は、民族的形式である。

 民族的形式は、内容を芸術的に立派にあらわし、人々に最も効果的に伝える。それは、民族的形式に民族的特性が反映されるからである。人々は民族国家を単位として生活することにより、固有の民族的特性をもつことになる。民族的特性は、主に思想・感情と情緒、慣習と趣味にあらわれる。人々は、民族的な思想・感情と情緒、慣習と趣味にあったものをすぐに理解し取り入れる。人々の思想・感情と生活を反映する芸術は、その内容を民族的形式にもりこんでこそ、人々の民族的な思想・感情と情緒にいっそうよくあったものになる。

 民族的な思想・感情と情緒の豊かな芸術作品は人民に愛されるので、長い歳月が流れても消え去らず、綿々として伝えられる。我が国の芸術発展史をみても、朝鮮人民の思想・感情と情緒が十分に反映された芸術作品は、創作されて久しいにもかかわらず、こんにちまでそのまま伝えられている。したがって、人民に愛される芸術を発展させるためには、芸術創作において民族的形式を十分に生かさなければならない。

 民族的形式を生かすことは、すべての芸術において重要であるが、舞踊芸術においてとりわけ重要な問題となる。それは、舞踊芸術に民族的特性が最も鮮明に反映されることに起因している。舞踊芸術が民族的特性を最も鮮明に反映するのは、人民の民族的な生活情緒と風習を最も集中的に、直観的に見せるからである。

 舞踊芸術の民族的特性は、さまざまな表現手段を通じてあらわれる。舞踊音楽では民族的なリズムとメロディーによって民族的特性をあらわし、舞台美術では衣装によってそれをあらわす。服装は、民族の生活風習をよくあらわしている。舞踊芸術における衣装は、民族的風習を芸術的にいっそうきわだたせる。舞踊は、衣装を通じて民族的特性をさらに濃厚にあらわす。

 舞踊では音楽や舞台美術にも民族的特性があらわれるが、最も顕著にあらわれるのは踊りである。舞踊に民族的特性が最も顕著にあらわれるのは、人々の民族的性格が生活の過程と行動によくあらわれるからである。労働生活をはじめ、日常生活での人々のさまざまな動作やふるまいには、民族によって異なる特徴がある。そのような民族的特徴は体の動きからなる踊りにそのまま反映されて、踊りが民族的特性を顕著にあらわすようになる。

 踊りの民族的特性は、その動作によって具体的に表現される。踊りは、その動作によって東洋舞踊と西洋舞踊に区別される。東洋舞踊は腕をはじめ上半身の動作が多く、西洋舞踊は足をはじめ、下半身の動作が多いのが特徴である。朝鮮舞踊にも腕をはじめ上半身の動作が多い。朝鮮舞踊は腕の動作を基本としながら、それが足の動作と自然に結合して、からだ全体が調和のとれた動きをなす。腕の動作を基本としながら、足の動作が適切に結合して、からだ全体が調和のとれた動きをなすところに朝鮮舞踊の独特な味がある。朝鮮舞踊には、過激な動作より柔軟な動作の方が多い。朝鮮舞踊の動作は、動きの度合いがほどよいうえに、力強く、しなやかである。

 朝鮮舞踊の特徴は、調和のとれた洗練された踊りのリズムによくあらわれている。踊りのリズムは、音楽の旋律と調子に乗って踊りを形づくる、いろいろな動きのリズミカルな流れである。踊りにおいて、一つまたはそれ以上の動きが一定の形で結合したのが踊りの動作であるとするなら、踊りのリズムは踊りの動作をなす動きが調和して結合する過程でつくりだされるリズムである。踊りの動作と踊りのリズムは、いずれもリズムの表現であり、相異なるものではない。リズムが明確で豊かな踊りの動作が、すなわち踊りのリズムである。朝鮮舞踊はリズムが豊かなので、踊りの動作のほとんどが踊りのリズムをなしている。

 踊りのリズムには、朝鮮人民の民族的な感情と情緒がそのまま反映されている。したがって、我々は舞踊芸術を発展させるうえで踊りのリズムを十分に生かさなければならない。

 舞踊で踊りのリズムを生かすのは、民族舞踊の形式を生かす基本的方途である。踊りのリズムを生かしてこそ、舞踊を朝鮮人民の思想・感情と情緒にあわせてつくり、舞踊芸術を主体的に発展させることができる。

 踊りのリズムを生かすためには、朝鮮人民が長年にわたっておどってきた踊りから、多様な踊りのリズムを探し出さなければならない。朝鮮人民は、数千年にわたる生活の過程で燦然たる固有の民族文化を発展させ、舞踊芸術も広く発展させてきた。我々の祖先が創造し発展させた舞踊のなかには、労働生活を反映したものもあれば、戦闘生活を反映したものもあり、人間関係や風俗を反映したものもある。我々の祖先が創造し発展させた舞踊には多様な生活が反映されているので、それを描いた踊りのリズムも多様である。我々は、祖先が創造した舞踊のなかから多様な踊りのリズムを探し出して舞踊芸術を発展させていかなければならない。

 祖先が創造した舞踊のなかで基本となるのは民俗舞踊である。民俗舞踊は、人民のあいだで多様な生活とうるわしい風俗を反映してつくられ、おどり、伝えられてきた舞踊である。朝鮮人民は長年同じ領土で同じ血筋を引き、燦然たる民族文化を発展させてきた単一民族であるが、地方ごとに特色のある民俗舞踊を創造してきた。民俗舞踊には、それぞれの地方の特色ある美しい踊りのリズムが集中している。我が国の民俗舞踊の踊りのリズムは簡単明瞭であり、おぼえやすい。それで、我が国の民俗舞踊は誰でもすぐ習っておどることができる。

 民俗舞踊にもりこまれている踊りのリズムを探し出すには、民俗舞踊を広く発掘しなけれはならない。これまで舞踊芸術部門では、文化遺産を継承、発展させる我が党の文芸方針に従い、民俗舞踊の発掘をひろくすすめた結果、それを少なからず掘り起こし、こんにちの朝鮮人民の美感にあわせて改作して、舞台に乗せたり、踊りのリズムを生かして使ったりした。しかし、民俗舞踊は、発掘されたものよりも発掘されていないものの方が多い。かつて我々の祖先は地方ごとに特色のある民俗舞踊を数多く創造したが、こんにちまで伝えられているものは多くない。それは主に、人民的な芸術をさげすんだ封建支配層の反人民的な策動と、日本帝国主義者の民族文化抹殺策動に起因している。舞踊芸術部門では、史料をはじめ、種々の文献・資料を体系的に研究し、まだ埋もれている各地方の民俗舞踊を多く発掘しなければならない。そうして、我が国の舞踊遺産を豊かにし、民俗舞踊にもりこまれている特色ある踊りのリズムを生かすべきである。

 宮廷舞踊と宗教舞踊からも踊りのリズムを探し出すべきである。宮廷舞踊は宮廷での王族をはじめ封建支配層のための踊りであり、宗教舞踊は仏教が盛んであった時期の主として寺院での踊りであった。宮廷舞踊と宗教舞踊は、いずれも封建支配層の思想・感情に生活を反映したものである。しかし、それらの舞踊形式には、民族的な特性がある程度反映されている。したがって、宮廷舞踊と宗教舞踊からも民族的特性のある踊りのリズムを探し出して生かすべきである。

 祖先が創造した舞踊のなかから踊りのリズムを探し出して用いる場合は、そのままではなく、現代的な美感にあわせて手直しすべきである。かつて、祖先が創造した踊りのリズムは、当時の人々の思想・感情と情緒にあわせてつくられたものである。人々の思想・感情と情緒は、時代の発展と生活の変化にともなって変わるものである。こんにち、社会主義を建設している朝鮮人民の思想・感情と情緒は、決して過去の朝鮮人民のそれと同一のものではない。それゆえ、過去の人民の美感にあわせてつくられた踊りのリズムが、そのままこんにちの朝鮮人民の美感に合致するはずがない。したがって、かつて祖先が創造した踊りのリズムをそのまま用いるのではなく、現代的な美感にあわせて手直しして用いなければならない。

 以前の踊りのリズムを時代的美感にあわせて手直して用いるからといって、現代化しすぎてはならない。そんなことをすると民族的特性を生かすことができなくなる。踊りのリズムの民族的特性を生かさなければ、民族舞踊の性格を生かすことができない。昔の踊りのリズムを探し出して手直して用いる場合は、本来の性格を生かしながら、我々の時代の人々の美感にあわせて巧みに手直ししなければならない。

 こんにちの朝鮮人民の思想・感情と生活をもりこんだ新しい踊りのリズムもつくりだすべきである。いま我が国では、党と領袖の賢明な指導のもとに、思想、技術、文化の3大革命が力強く展開され、人民の生活には新たな変化が起きている。人民の労働生活をみても、技術革命が成功裏に遂行された結果、工業部門はもとより農業部門においても手労働が機械労働にとって代わられている。農村では、以前手労働だった苗取りや田植えが、いまは機械化されている。

 日増しに発展する朝鮮人の多様な生活は、それにふさわしい新しい踊りのリズムを求めている。新しい生活は新しい踊りのリズムによって描くべきであって、過去の生活を反映した踊りのリズムをもってしては正しく描きだすことはできない。田植えをする農民の姿を描く場合、苗を手で植える姿をあらわした踊りのリズムによっては、機械で田植えをする姿を描きだすのは無理である。機械で田植えをする姿を描くためには、当然それにふさわしい新しい踊りのリズムをつくりださなければならない。機械で田植えをする姿を新しい踊りのリズムによって描きだしてこそ、機械で田植えをし農作を営む農民の思想・感情と情緒を正しく反映することができる。新しい踊りのリズムは、新しい生活を反映しながらも民族的特性のきわだったものでなければならない。

 舞踊芸術部門では、民族的特性が鮮明な新しい踊りのリズムを多くつくりだし、日ごとに発展する朝鮮人民の多様な生活を立派に描きだすことによって、我が国の舞踊芸術を主体的立場に立っていっそう豊かにし、人民の文化・情操生活により積極的な寄与をなすべきである。





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