「舞踊芸術論」−1 生活と舞踊
 
2 舞踊は、人間の自主的で創造的な生活のなかで発生、発展する


 芸術は人間の自主的で創造的な生活のなかで発生、発展する。人間の自主的で創造的な生活をぬきにしては、芸術の発生、発展について考えることはできない。芸術は、人間が世界をみずからの意思と要求にそって、目的意識的に改造していく過程で体験する思想・感情と生活を形象的に反映するようになった結果、社会的意識の一形態として発生した。

 人間は自主的要求と創造的能力が高まるにつれて、それに相応して文化生活の領域を広げながら、新しい芸術様式を切り開き発展させてきた。芸術様式のなかには、人類史の初期に発生、発展してきたものもあれば、歴史発展の一定の段階で発生、発展してきたものもある。

 舞踊は、最も起源の古い芸術様式の一つである。舞踊は、人類が発生し、自然を変革し社会を改造しはじめた時期に生まれた。

 人類社会の初期の原始時代の人々は、自然を一歩一歩征服していく労働生活の過程で体の動きによるリズムを感じるようになり、そのリズムに手足と呼吸を合わせれば疲れをとり、いっそう楽しく働けることを知った。一方、人々は、労働過程での成果によって自分の力と尊厳を自覚し、生活の誇りと喜びも感じるようになった。かれらは、厳しい自然とたたかう苦難の生活過程で体験する思想・感情と情緒を単純なリズムによって表現した。これが初期の舞踊の発生である。

 発生初期の舞踊は素朴なものであった。それは、舞踊というよりも、断片的な身ぶりや行動に言葉と音声をともなった生活の一部分であった。このような舞踊は、そのほとんどが生活の目的を達成するための手段として利用された。

 人々はしだいに自然の束縛から抜けだすにつれて、生活をいっそう楽しむようになり、生活を楽しむための手段の一つとして踊りをおどるようになった。そのころの舞踊は、既に労働の過程と自然現象を単に再現したり模倣したものではなく、人間の美的要求と情緒を具現して芸術的にととのえたものであった。言うまでもなく、そのころの舞踊は、はじめから完成されたものではなかった。舞踊は、その長い発展の過程で、古い動作がなくなり、新しい動作がたえず補われて豊富になり、磨きがかかってしだいに完成された。

 舞踊は、人間の労働生活の過程で生まれ、生活を楽しむ手段として利用されたため、どの芸術様式よりも人間の生活と深いつながりをもって発展した。

 人間は、一定の地域を単位として生活しながら文化を創造し、発展させてきた。したがって、かつて人類が創造した文化には地域的な特性が反映され、地方ごとの具体的な生活風習も反映されるようになった。舞踊は、かつて人々の生活と切り離すことのできない重要な文化的手段であったので、それには地方の固有な生活と風習が鮮明に反映された。一定の地域を単位として、その地方の人民の労働生活と独特な生活風習を反映して発展してきた舞踊が民俗舞踊である。

 歴史発展の一定の段階にいたって、人間は、社会的集団の強固な形態である民族を形成し、民族国家を単位として生活し、文化も民族別に発展させてきた。人間が民族国家を単位として生活しながら民族別に発展させてきた文化には、おのずと民族の独特な生活と性格がそのまま反映され、民族文化を形成することになった。人間は舞踊も、民族を単位として生活する過程で発展させてきた。人間が民族を単位として生活する過程で発展させてきた舞踊がすなわち民族舞踊である。民族舞踊には、その民族に固有な生活と情緒が反映されている。

 朝鮮舞踊には、朝鮮人民の民族的情緒と感情が反映されている。昔から朝鮮人民は踊りと歌を好んだ。朝鮮人民が好んだ踊りと歌には、人民の勤勉な労働生活と美しい風習が生き生きと反映されている。

 朝鮮人民は遠い昔から毎年、大小さまざまな民俗行事を催すとき、多くの人がひとところに集まって踊りを楽しんだ。民俗行事があるときには、村の老若男女が総出で、主に豊年の喜びと歓喜、翌年の豊作を祈願して踊りをおどって楽しんだ。

 長い歳月にわたって人々が踊りをおどって生活を楽しむ過程で、人並みはずれて踊りの上手な人が出てくるようになった。かつては、踊りの上手な人を踊り屋と呼んだ。我が国には、各地方や村ごとにそのような踊り屋がいた。民俗的な祭日をはじめ、村にめでたいことがあると、人々は踊り屋を押し立てて踊りの輪をつくり、一団となっておどった。ところが多くの場合、踊り屋がその場を独占し、ほかの人たちはそれを見て楽しんだ。そんなとき、踊り屋は自分が楽しむだけでなく、ほかの人たちを楽しませるために踊りをおどった。こうして、踊りを専門にする人と踊りを見物する人が生まれるようになった。こうした分化過程を経るうちに、踊りを生業または半生業とする人が生まれた。

 踊りを専業とする職業的な踊り屋が生まれ、踊りにさまざまな伴奏手段と美術手段が結合し、それがより多くの人に見せるためのものに発展して、舞踊芸術という独自の芸術分野が切り開かれた。

 我が国で舞踊が独自の芸術分野として発展しはじめたのは遠い昔のことである。朝鮮人民は昔から、自分の創造的な生活を美しく優雅なリズムにもりこんだ民族舞踊を立派に創造し発展させてきた。ところが、搾取社会にいたって支配階級が舞踊芸術をかれらの統治と享楽の手段として利用したため、舞踊芸術の発展は甚だしく抑制された。

 中世にいたって、我が国では寺党牌という民間芸術団体が組織され、広く活動した。寺党牌には、踊りや歌を専業とする人たちが網羅されていた。当時、そのような人たちは寺党と呼ばれていた。かれらは、村々をめぐり歩き、庭を舞台としておどったり、うたったりした。かれらの踊りは一定の作品形式をそなえてはいなかったが、その場の遊びにふさわしい即興的でうまみのある踊りをおどった。寺党の踊りには、民族的な興趣と特色のあるリズムが少なくなかった。封建時代に支配階級は寺党をさげすんだが、人民はそれを好んだ。それゆえ当時、寺党牌の芸術活動は農村をはじめ全国各地でさかんにくりひろげられ、近世まで存続していた。

 社会が発展し、人々の文化・情操生活の要求が高まり、芸術形式が発展するにともなって、舞踊も鑑賞を目的とする芸術舞踊に発展した。こうして舞踊は、誰でも日常的に楽しんでおどれる大衆舞踊と、劇場の舞台で専門の芸術家によって創作、公演される芸術舞踊に分かれるようになった。

 芸術舞踊は、大陸別、国別、民族別に異なった時期に形成され発展してきたのであり、その形式と形態のうちには各国間の芸術交流を通じて互いに摂取され一般化されて世界に広まったものもある。現今の芸術舞踊には、民族舞踊とバレー、現代舞踊があり、それらが結合したり派生して生まれたさまざまな舞踊形式がある。

 文化生活にたいする人々の要求がさらに高まるにつれて、豊かな文化・情操生活と精神的・肉体的鍛練を目的とする多様な形式の体育舞踊が新たに発展した。

 元来、舞踊は人間の体の動きにもとづいたものなので、それは昔から生活を楽しむ手段としてだけでなく、身体を鍛え、武術を錬磨する手段として広く利用されてきた。我が国では、高句麗時代に人民と武士のあいだで身体を鍛え、武術を錬磨するための踊りがさかんになり、剣の舞や槍の舞など武器を手にした軍事舞踊が広く普及した。

 体育舞踊には、体操舞踊と水中舞踊、水上舞踊がある。体操舞踊は、体育的要素と舞踊的要素が結合した舞踊である。体育舞踊は、育ちゆく新しい世代のみならず、勤労者の文化・情操生活にも大きく寄与する。

 こんにち我が国では、育ちゆく新しい世代を知・徳・体をそなえた全面的に発達した人間に育てあげるという党の教育方針にもとづき、青少年学生のあいだで体操舞踊が広く奨励されている。体操舞踊は、その高い思想性と造形美によって人民に愛されている。水中舞踊と水上舞踊も急速な発展を遂げており、人民の文化・情操生活を豊かなものにしている。我が国では、人民の自主的で創造的な生活の要求に即して舞踊芸術を多様に発展させている。

 舞踊芸術は、階級社会以前は階級的性格をおびることなしに発展してきた。しかし、階級社会にいたって、舞踊芸術も他の芸術と同様に階級的性格をおびるようになった。それは、階級社会では舞踊芸術に支配階級の思想・感情と生活も反映され、抑圧され搾取される勤労人民の思想・感情と生活も反映されたからである。

 搾取社会において舞踊は、少数の搾取階級の享楽の道具として利用されたため、人民の生活感情と情緒に合った真の芸術に発展しなかった。階級社会において支配階級は、舞踊芸術にかれらの低俗な思想・感情と退廃的な生活をもりこみ、それを豪奢で放埒な生活の道具として利用した。

 封建社会で舞踊は、支配階級の酒宴の余興に利用された。封建社会の支配階級の思想・感情と生活を反映した代表的な舞踊は宮廷舞踊である。

 宮廷舞踊は、国と民族によってさまざまな形式で発生し、発展してきた。それは、宮廷生活が国と民族によって異なっていたことに起因する。

 ヨーロッパ諸国の宮廷舞踊は、おおかた舞踏会舞踊の形式で発展した。舞踏会舞踊は、主に人民のあいだで創作され発展した民俗舞踊を、封建貴族がかれらの好みと情緒に合わせて構成を変え、動作を加工した舞踊であった。ヨーロッパ諸国の宮廷でおこなわれた舞踏会舞踊の形式は、国と民族によって多少の違いはあるものの、大同小異であった。

 東方諸国の宮廷舞踊は、ヨーロッパ諸国の宮廷舞踊とは発展の仕方が異なっていた。東方諸国の宮廷舞踊は、王や封建貴族がおどる踊りとしてではなく、かれらの鑑賞の対称として発展した。我が国においても封建時代に宮廷舞踊が発展した。宮廷舞踊は封建貴族の思想・感情と生活に合わせてつくられたものであるため、内容においては反人民的性格をおびていた。しかし、踊りの動作をはじめ、形式には民族的情調が反映されていた。宮廷舞踊が形式において民族的情調をおびるようになったのは、人民のあいだで創作された民俗舞踊を下地にし、人民のなかから生まれた芸術の才人によってつくられたからである。

 封建社会の支配階級は宗教の教理を人々に伝播するため、宗教儀式に舞踊を取り入れた。我が国においても封建時代には宗教舞踊が少なくなかった。封建社会の宗教舞踊は支配階級の思想・感情と生活を反映したものであり、あくまでも宗教的色彩が濃厚である。しかし、宗教舞踊も宮廷舞踊と同様に民俗舞踊を下地にして、人民のなかから生まれた芸術の才人によってつくられたものであるため、踊りの動作をはじめ、舞踊の形式は民族的情調をおびざるをえない。

 資本主義社会にいたって舞踊は、ブルジョアジーの思想・感情と生活を反映するようになり、資本主義的舞踊は反人民的なものであった。資本主義的舞踊は、人民の健全な思想・意識と生活をむしばみ、人々を腐敗堕落した生活へとあおり立てる。資本主義的舞踊は、ブルジョアジーの怠惰で退廃的な生活を奇形的なリズムにもりこむ。

 資本主義社会においてブルジョアジーの思想・感情と生活を反映している舞踊は、既に高尚な芸術としての自己の存在を終えて久しい。資本主義社会の酒宴や遊興の場に氾濫している遊興舞踊は、ブルジョアジーの怠惰で変態的な思想・感情と生活を反映した舞踊であり、人民の気高い思想・感情を麻痺させ、自主性を抑制する最も反動的で反人民的な舞踊である。

 搾取社会において人民は、搾取と抑圧、支配と従属に反対し、自主性の実現をめざす創造的闘争をたえず展開し、それを舞踊芸術にそのまま反映した。搾取社会においても人民によって創造された舞踊は、かれらの自主的で創造的な生活を民族的舞踊形式に豊かに反映した。人民の自主的で創造的な生活を反映した舞踊は、進歩的で人民的な舞踊である。進歩的で人民的な舞踊には、あらゆる支配と従属に反対し、自主性の実現をめざす人民の思想・感情と志向が反映されており、多様で美しい生活がもりこまれている。

 我が国の民俗舞踊をみても、それには、かつて新しい生活を志向した人民の思想・感情と情緒、地方色をおびた多様で美しい生活がもりこまれている。民俗舞踊『トンドルラリ』は咸鏡道地方の東海沿岸の人々が好んだ踊りである。咸鏡道地方の人々は祝祭日や、喜ばしいことや楽しいことがあるたびに民謡『トンドルラリ』をうたい、それに合わせて『トンドルラリ』の踊りをおどったものである。民俗舞踊『トンドルラリ』は、『ドントルナル(明ける日)』とも呼ばれたが、それは搾取と抑圧のない自主的な新しい生活を望む人民の志向と念願を反映している。

 こんにち、我々の社会主義的舞踊芸術は、朝鮮人民の思想・感情と自主的で創造的な生活を反映している。こんにち、朝鮮人民は、チュチェ思想の旗を高くかかげ、社会主義の完全な勝利と祖国の自主的統一を実現するために力強くたたかっている。社会主義の完全な勝利と祖国の自主的統一を実現するのは、自主権を実現するための朝鮮人民の当面の闘争課題である。

 自主性の実現をめざす人民の闘争を正しく描くのは、チュチェ芸術の本来の要求である。チュチェの舞踊芸術は、その本来の要求に即して、自主性の実現をめざす我々の時代の人民の生活を立派に描きださなければならない。





inserted by FC2 system