金 正 日

全社会に文化・情操生活気風を確立するために
朝鮮労働党中央委員会の責任幹部との談話
−1989年1月5日−


 文化・情操生活は人びとに、高い文化的素養をつちかわせ、愉快で美しく立派な暮らしをさせる社会生活の一分野です。文化・情操生活は、世界と自己の運命の主人としていかなる従属や束縛もなく自由で幸せに生きようとする自主的人間の真の生活です。自主性、創造性、意識性は人間の本質的特性であり、それがために人間は、世界と自己の運命の主人として自主的で創造的な生活を営むのです。自主性、創造性、意識性をもった社会的存在である人間は、ただ衣食住に事欠かないことで満足するのでなく、生活を美しく高尚で文化的に営むことを求めます。人間のこの要求を満たさせるのが、ほかならぬ文化・情操生活です。

 文化・情操生活をするのは共産主義者の重要な生活気風です。共産主義者は勤労人民大衆をあらゆる搾取と抑圧から解放し、かれらに自主的で創造的な生活をもたらすために、すべてをつくしてたたかう真の革命家です。共産主義者の生は闘争にはじまり、闘争に終わります。かれらは、生きがいも喜びも人民大衆の自主性を実現する闘争に求め、感じ、その闘争のなかで一生を輝かしていきます。しかし、これは共産主義者が生活も情緒もなく、ただ闘争しか知らない人間であることを意味するのではありません。共産主義者は、この世で最も美しく豊かな感情と情緒を体現している情操豊かな人間です。高い文化的素養、豊かな情緒、気高い道徳は、革命性、党性、労働者階級性、人民性とともに共産主義者の重要な品格をなしています。共産主義者にとって闘争と生活は、一つに結びついています。闘争のなかに生活があり、生活のなかに闘争があるのが共産主義者の生です。そのため、共産主義者はいかなる逆境にあっても悲観したり動揺したりせず、常に確信をもって楽天的に生き、たたかうのです。

 社会主義社会はあらゆる搾取と抑圧がなく、勤労人民大衆が国家と社会の主人となって自主的で創造的な生活を営む社会です。社会主義社会において人民大衆は、社会のすべての物質的および精神的・文化的富の創造者であるのみでなく、その享受者です。社会主義社会では、党と国家が勤労人民大衆の物質・文化生活の向上を活動の最高原則とし、人民により豊かで文化的な生活をもたらすためにたたかっています。偉大なチュチェ思想を具現している我が国の社会主義制度は、人民大衆があらゆるものの主人であり、社会のすべてのものが人民大衆に奉仕する最もすぐれた社会制度です。我が国では、党と国家のすべての施策が勤労人民の利益のために実施され、社会のすべての財貨が勤労人民の福祉増進に向けられています。一言でいって、我々の社会は人民の利益を第一とし、あらゆるものを人民の利益に服従させる人民大衆中心の社会です。全社全に文化・情操生活気風を確立し、それをさらに開花させるのは、まさしく人民大衆に奉仕する社会主義社会本来の要求です。

 資本主義社会では、勤労人民大衆に真の文化・情操生活が保障されえません。資本主義社会は資本家をはじめ、極少数の特権階級が勤労人民大衆の自主性を踏みにじり、かれらを抑圧し搾取する反動的な社会です。資本主義社会は極端な個人主義にもとづき、詐欺とペテン、破倫・背徳、デカダンな文化がはびこる腐りきった社会であり、弱肉強食の法則が支配する社会です。資本主義社会では、搾取階級はその食欲な利益のために殺人、強盗などあらゆる非人間的・非文化的行為をためらうことなく働き、そこに快楽を覚えています。資本主義社会の勤労人民大衆は搾取と抑圧の対象であり、人間としての初歩的な生活上の要求も保障されていません。このように、人民大衆の自主性がことごとく踏みにじられ、極少数の搾取階級が我がもの顔にふるまう反動的な資本主義社会では、勤労者の真の文化・情操生活について考えることすらできません。

 文化・情操生活は、広範な人民大衆が主人となった社会主義社会でのみ開花し、その要求は、社会の発展にともなってたえず高まります。我々は、社会主義社会の本性と社会発展の要求に即して全社会に文化・情操生活気風を確立し、すべての勤労者がうるおいのある生活を営めるようにすべきです。

 ことし、我が国では、全世界の進歩的人民の深い関心と大きな期待のなかで、第13回世界青年学生祭典が開催されます。アジアで初めての世界青年学生祭典が、我が国で開催されるのは朝鮮人民の大きな誇りであり慶事です。今回の祭典は「反帝連帯、平和と友好のために!」というスローガンのもとに、世界5大陸の青年学生が一堂に会しておこなう大祭典です。それだけに、祭典には世界各国から思想と体制、政見と信教、言語と風習が異なり、文化的素養と情緒の異なる青年学生が多く参加することになります。かれらのなかには、資本主義諸国の青年学生と、我が国とは敵対関係にある国の青年学生もいます。社会的に文化・情操生活気風を確立しなければ、かれらが朝鮮人民は情緒がなく味気ない生活をしているというでしょう。第13回世界青年学生祭典を通じて、領袖、党、大衆が一つの社会的・政治的生命体として一心団結して強力な革命の主体をなし、革命的信義と同志愛にあふれる我々の社会の真の姿と、あらゆる搾取と抑圧から脱し、社会の主人として自主的で創造的な生活を思う存分享受している朝鮮人民の幸せではりあいのある生活ぶり、勤勉で英知ある朝鮮人民の気高い思想的・精神的風格を示すためにも、全社会に文化・情操生活気風を確立しなければなりません。我々は第13回世界青年学生祭典をひかえ、すべての勤労者がいっそううるおいのある生活を楽しめるようにして、全社会に革命的で楽天的な生活気風がみちあふれるようにすべきです。

 党と領袖の賢明な指導のもとに、こんにち我が国には勤労者が文化・情操生活を心ゆくまで享受できるあらゆる条件がととのっています。我が国には、いたるところに劇場、映画館、体育館、野営所、休養所、静養所、公園、遊園地、遊技場などあらゆる文化施設が設けられています。特に近年、人民の文化・情操生活条件はいっそう立派にととのえられました。平壌市(ピョンヤン)をみても東平壌(トンピョンヤン)大劇場と青年(チョンニョン)劇場、綾羅島(ルンラド)競技場と半角島(ヤンガクド)サッカー競技場、光復(クァンボク)通りのサーカス劇場と学生少年宮殿、青春(チョンチュン)通りの各競技館をはじめ、世界トップクラスの文化・スポーツ施設が数多く建設されました。我が国のように文化・情操生活条件が立派にととのっている国はおそらく世界でもまれでしょう。

 しかし、いま社会的に、日常的な文化・情操生活気風が確立されていません。祝日などはそれでも少しはましですが、普通の日は人びとの生活が味気なく堅苦しい感じがします。そのため、全般的に人びとの教養が低く情緒が足りないように見えます。一部の人は休日にも家で昼寝をしたり、寄り集まっては雑談などで時間を費やしています。活動家たちが対外活動を状況に合わせて巧みにできず堅苦しくするのも、これまで文化・情操生活になじんでいなかったことと少なからず関連しています。

 人びとが文化・情操生活になじんでいないのは、我が国が正常な資本主義の発展段階を経ず、かつて貧しい暮らしをしたときの古い生活習性と封建的な道徳因習が残っていることとも関係があるようです。

 我々は全社会に文化・情操生活気風を確立し、すべての勤労者が社会主義的生活様式の要求に即応してうるおいのある生活を営むようにしなければなりません。

 全社会に文化・情操生活気風を確立するうえで大切なのは、人びとが楽天的で情操豊かな生活を営むようにすることです。

 人びとの豊かな情緒は、楽天的で情操豊かな生活に根ざしています。楽天的で情操豊かな生活をしてこそ、人間としての真の生を享受し、一生を貴くはりあいのあるものにすることができます。楽天的で情操豊かな生活を営めない人は、人間としての真の生きがいと幸せを味わうことができず、そういう人には人情味も、革命同志への熱愛もありえません。

 人びとの生活を楽天的で情操豊かなものにするには、大衆文化活動を活発に展開しなければなりません。

 大衆文化活動は、人びとの文化的素養を高め、かれらを情操的に教育する活動です。社会的に大衆文化活動を活発に展開すれば、集団の和をいっそうはかり、人びとの旺盛な気迫と情熱をかきたて、かれらが課された革命任務をより立派に遂行することができます。

 我々は、大衆文化活動が人びとの文化的素養を高め、かれらを情操的に教育する重要な活動であることを明確に認識し、社会的に大衆文化活動を活発に展開すべきです。

 大衆文化活動で重要なのは、芸術サークル活動と歌謡普及活動を日常化することです。そうすれば、社会にいつも革命的な楽観と情熱がみちあふれるようにすることができます。芸術サークル活動と歌謡普及活動は、勤労者が職場での休憩時間にもできるので、手配を綿密にすれば、いくらでも日常化することができます。今後機関、企業所、協同農場では、それぞれの特性と実情に即して芸術サークル活動と歌謡普及活動をいろいろな形式と方法でおこなうべきです。芸術サークル公演は、独唱・二重唱、重唱と漫才、寸劇、シュプレヒコールなどを大衆の心理に合わせてよく準備してするのを基本とすべきです。芸術サークル活動は専門化したり、大作主義的にしてはいけません。芸術サークル公演では楽器も、ハーモニカ・ギター、アコーデオンといった大衆楽器を利用すべきです。

 勤労者のあいだで歌謡コンクールをさかんに催すべきです。最近テレビ放送では勤労者の歌謡コンクールを各部類に分けて催していますが、視聴者のあいだですこぶる人気を博しています。勤労者の歌謡コンクールをいろいろな形式と方法で催し、より多くの人がこれに参加できるようにすべきです。

 勤労者と青少年学生のあいだで大衆舞踊をさかんにすべきです。いまは大衆舞踊を大きな行事があるときにするくらいにとどまっていますが、それではいけません。これから大衆舞踊を記念日や休日にもおこない、勤務中の休み時間にもおこなって、大衆舞踊が人びとのあいだで日常化されるようにすべきです。

 家庭娯楽会といったものもさかんに催すべきです。ある幹部の家庭ではたびたび娯楽合を催し、父親から息子、娘、孫にいたるまでみんなが歌をうたい、楽器を演奏して楽しんでいるとのことです。生活をこのようにすれば、常に家庭をむつまじく朗らかにし、新しい世代を文化的・情操的に育てることができます。

 詩、小説、映画、歌劇、演劇などの文学・芸術作品は人びとに生活の真理を体得させ、革命的世界観を確立するのに大きな作用を及ぼします。勤労者のあいだに革命的学習気風を確立し、小説、詩などの文学作品もたくさん読み、映画、歌劇、演劇も鑑賞するようにしなければなりません。最近、金日成同志は、長編小説『輝かしい朝』と『廃墟のなかから』『鉄の信念』を読んで高く評価しました。すべての党員と勤労者はこれらの小説を読み、その主人公のように生き、働くべきです。

 弁論会、読書発表会、詩の朗唱会などもさかんに催すべきです。

 以前は、勤労者と青少年学生のあいだで弁論会や読書発表会、詩の朗唱会がさかんに催されたものです。当時は能弁な大学生が多く、ある学生などは筆答試験の成績は悪くても、口答試験ではよどみなく答えて高い点数を取ったりしました。ところが、いま勤労者と青少年学生のあいだで弁論会や読書発表会、詩の朗唱会などをあまり催さないので、かれらが口べたでなにかの問いにも満足に答えられず、自分の意思も正確に表現できないありさまです。大学生のなかには、外国人が話しかけてくると、質問にまともに答えられそうもないので逃げ出してしまう人もいるとのことです。一部の人は訥弁なので、座談会や対談などのときにもあらかじめ準備した原稿を読みくだしています。先ごろテレビでの座談会と対談を見ましたが、二言三言で自分の意思を十分に発表できることも用意した原稿を読みくだすので、わざとらしさが感じられ不自然で聞くにたえません。

 幹部の演説や講義にしても同じです。一部の幹部は会議で演説をしたり討論をするとき、要点だけ簡単にメモして自然に話せばよいものを、原稿を用意して読みくだしています。講習などで講義をするときも要点だけ書き取らせ、内容を自分の口でわかりやすく説明するのではなく、筆記伝達式にやっています。

 勤労者と青少年学生のあいだで弁論会や読書発表会、詩の朗唱会などをさかんに催して話術と胆力を養わせ、かれらがいかなる場所でも自分の意思を原稿なしで自由自在にわかりやすく話せるようにすべきです。

 弁論会や読書発表会などをするときは原稿を用意して読みくだすようなことをさせず、できるだけ自分の口でわかりやすく説明するようにさせるべきです。放送の夕べ、座談会、対談などでも、原稿なしに自分の口で自由自在に意思を発表させるべきです。会合で原稿なしに自分の口で意思を発表させれば失言することもありますが、だからといってそれを問題視してはいけません。

 行事や会議などに参加して演説を聞きながら、感動的なところでは柏手を送ったり、自分の気持ちが表現できるようでなくてはなりません。一部の幹部は、行事や会議に参加した人が感動的なところで柏手を送ったり、自分の気持ちを表現したりすると、でしゃばりな人だと非難したりしますが、それは情緒に欠けた表現です。

 勤労者のあいだで参観、見学をさかんにすべきです。そうすれば、かれらは生き生きとした実物を通じてさまざまな知識を習得し、文化的素養と豊かな情操を身につけることもできます。機関、企業所と協同農場では革命戦跡地の踏査、名勝の探勝、平壌見学などを活動計画に繰り込み、定期的に実行すべきです。勤労者の参観、見学に不都合がないように、必要な条件も十分に保障すべきです。

 スポーツ競技をさかんにするのは、スポーツを大衆化、日常化して、人びとの体力を鍛え、スポーツを発展させ、社会に文化・情操生活気風を確立するうえで重要な意義を有します。これからはスポーツ競技を道別、団体別にも催し、機関、企業所別にも、また職場別、作業班別にもさかんに催すべきです。教育機関では学校別、クラス別のスポーツ競技も定期的に催すべきです。スポーツ競技は国家的な祝日を契機に催してもよく、休日を利用して催すのもよいでしょう。

 人びとの生活を楽天的で情操豊かなものにするには、祝日や休日、退勤後の生活をいろいろと朗らかにしなければなりません。そうすれば、家庭と社会にむつまじくなごやかな雰囲気をつくりだし、休息を十分にとり、健康な体で課された革命任務を立派に遂行することができます。祝日や休日、退勤後の生活をいろいろと朗らかにするのは、子女を高尚な文化的素養と豊かな情操を身につけた立派な人間に育てるためにも必要です。

 勤労者が祝日や休日には家族連れで公園や遊園地、動物園などへ行って見物をし、ピクニックもしながら楽しく休息できるようにすべきです。退勤後に家族を連れて公園やプロムナードを散策するのも悪くありません。

 勤労者が休日や退勤後に河川や湖で釣りもできるようにすべきです。そうすれば、かれらに文化的な休息をとらせるのにもよく、自然の風致を引き立てるのにもよいでしょう。きょう、平壌市内をひと巡りしてみたのですが、普通江(ポトンガン)で釣りをしている人がたくさんいたので、普通江の風致がひときわ美しく見えました。

 民俗遊戯を奨励すべきです。人民のあいだに昔から伝えられてきた民俗遊戯を奨励すれば、人びとの民族的自負と誇りを高めるとともに、朝鮮民族のすぐれた民族文化遺産を発展させていくのにも有益です。勤労者のあいだで祝日や休日に、相撲、ブランコ、弓術、ユッ遊びといった民俗遊戯をさかんにすべきです。子供たちにも弓術、凧あげ、そり乗り、縄跳び、隠れん坊などの民俗遊戯をさかんにさせるべきです。子供たちが民俗遊戯をさかんにすれば、昔から伝えられてきた朝鮮民族固有の民俗遊戯をひきつづき生かしていくことができ、そうしなければ、後日それがすべてなくなってしまうおそれがあります。

 祝日や休日に、トランプや将棋などの娯楽もさかんにさせるべきです。いま一部の人は、トランプは娯楽でないかのように考え、それをやめさせているとのことですが、そんな必要はありません。勤務時間に作業場や事務室でトランプや将棋をしてはいけませんが、祝日や休日にするのは悪いことではありません。

 人びとに楽天的で情操豊かな文化・情操生活をさせるには、それに必要な手段を十分に具備しなければなりません。勤労者にギターやハーモニカをはじめ、各種の楽器と釣り道具も生産して販売し、ブランコ、板跳び、綱引きなどに必要な板や綱も提供し、学生・生徒にスケートやそり、各種の遊び道具、色紙と凧ひもなども多く生産して販売しなければなりません。勤労者に楽天的で情操豊かな文化・情操生活ができるように、劇場と映画館、公園と遊園地、プロムナードをはじめ、文化施設もさらに充実させるべきです。

 全社会に文化・情操生活気風を確立するうえで重要なのはまた、人びとに生活を文化的、衛生的に営ませることです。

 服装と身づくろいは、人びとの思想・精神状態と文化生活水準の反映です。健全な思想・意識と高い文化的素養、気高い共産主義的道徳品性を身につけた人は、いつも服装や身づくろいをきちんとしています。

 人びとが服装をきちんとするようにすべきです。“衣が羽”という言葉のとおり、服装をきちんとすれば、人の風格も高まります。人びとが服装をきちんとすれば、町と村がより美しくなり、国の対外的権威も高まります。

 ところが、いま人びとの服装の問題が満足に解決されていません。

 女性の衣装が問題です。女性はよい生地を使いながら朝鮮服を満足に仕立てられないありさまです。チマ・チョゴリは昔から朝鮮の女性が好んでまとった固有な民族衣装の一つです。昔、女性はチョゴリに長いチマをはき、いろいろな色合いのきれいなゴム靴をはいたものです。いまは女性がチマを短くして着るので、民族衣装の固有な特性が生かされていません。チマを短くすると、見た目にもよくありません。祖国の女性たちがチマを短くしているので、日本では長いチマを着ていた在日同胞の女性も、祖国を訪問するときは短いチマを着るとのことです。被服工場や洋服店で生地を節約するためにチマを短くしているのかも知れませんが、そうして節約できる生地は知れたものです。女性が短いチマを着るのはヨーロッパ式です。ヨーロッパ諸国の女性はスカートを短くしています。我が国では1960年代から女性が短いチマを着るようになったのですが、その影響がいまなお残っているようです。いま女性が洋装するのを見ても現代的美感に合った多様なものではありません。もちろん、ここ数年のあいだに、女性の洋装にかなりの進歩が見られます。しかし、まだ女性の服装はあか抜けがせず、多様さが欠けて制服を着ているような感じがします。

 男子の服装にいたってはなおさらです。男子のなかには、アイロンもかけていないしわだらけの洋服やワイシャツを着ている人がいるかと思えば、果ては作業着で市内を歩く人もいます。男子服の型もはなはだ単調です。

 人びとが時代の美感と民族的特性に合わせて衣服を上手につくれないのを見ると、被服部門の従事者が衣服の研究に力を入れていないようです。愛国者になるには、自民族の歴史と文化をもっと熱心に研究し、人びとの衣装にも固有な民族性を生かさなければなりません。我々は服装の開明をはかって、チュチェの祖国に生きる朝鮮人民の美しく高尚な風格を示すべきです。

 衣装は現代的美感に合わせて多様なものにしながらも、朝鮮民族の固有な特性を十分に生かすべきです。

 女性が民族的なものを生かし、いろいろな色合いで調和のとれた朝鮮服を着るようにすべきです。また、洋服も現代的美感が出るように上手に仕立てて着るようにすべきです。対外活動に従事する女性の場合は、もっと服装に気をつけなければなりません。彼女たちは宴会をはじめ、各種の行事に外国人と同席するので、服装をきちんとしなければ国の恥をさらすことになります。

 男子もいろいろな型の衣類を仕立てて着るようにすべきです。男子の場合は洋服、ジャンパー、セーター、シャツなどを軽く着こなすのが見栄えがします。男子に、背広にワイシャツを着てネクタイを締めるよう一律に押しつける必要はありません。社会主義的生活様式と現代的美感に合わせていろいろなスタイルの衣類を着るようにすべきです。

 服装の開明をはかるには、勤労者にたいする社会・文化啓蒙活動に力を入れなければなりません。いま、勤労者が服装にかまわないのは、これまでかれらにたいする社会・文化啓蒙活動をおろそかにしたことと少なからぬ関係があります。女性たちがよい生地をもって朝鮮服を満足に仕立てられないのも、朝鮮服の作り方をよく知らないからでしょう。

 今回、第13回世界青年学生祭典を準備しながら、勤労者のあいだで懸賞募集をしてすぐれた衣服デザインと各種の考案品が多く出品されましたが、その経験を生かして衣服サンプルの展示会や懸賞募集といったものも広く催すべきです。

 ピケを立てて服装にかまわないで外出する人に注意を促す必要があります。

 服装の開明をはかるには、人それぞれの要求に応じていつでもその体型と好みに合った服がつくれるように、随所に洋服店を設けなければなりません。都市には、注文を受けて朝鮮服を仕立てる専門店がなくてはなりません。朝鮮服の仕立てには手間がかかるので、都市にそのような専門店があれば、多くの女性が朝鮮服を着ることができます。朝鮮服専門店を別個に設ければ、それを仕立てる人の技術水準も向上するでしょう。

 人びとが朝鮮人の好みと体質に合わせて端正でありながらも質素な髪ごしらえをするようにすべきです。調髪の仕方次第で人の品格が上がりもすれば落ちもします。人びとに髪をきちんとさせるには、理髪店と美容院でいろいろなヘアスタイルの図を用意し、客の要求に応じて調髪してやらなければなりません。

 靴はきれいなものをはくようにすべきです。いくら立派な服を着用しても、粗末な靴をはいては見すぼらしいものです。いま女性のなかには、冬に外套を着、ブーツをはいている人が少なくありませんが、背の低い女性がそんな格好をしているのは見苦しいものです。靴は服装とスタイルに似合ったものをはき、いつもきれいに手入れすべきです。

 人びとが服装と身づくろいをきちんとするのをあげつらうようなことがあってはなりません。かつて、一部の女子大学生がきれいな服を着、ヘアクリームをぬり、香水をつけるのを見て男の大学生がとがめたので批判したことがありますが、そんなことをとがめる人は教養不足で非常識な人です。

 家庭は社会の細胞であり、人びとの末端生活単位です。家庭生活を文化的かつ衛生的できちょうめんに営んでこそ、人びとがいつも清潔な環境のなかで暮らす習性をつちかい、全社会に健全な文化・情操生活気風を確立することができます。すべての家庭で家の内外を質素ながらもきちんとととのえるべきです。各家庭では金魚を飼ったり盆栽を育てたりして、家庭にうるおいのある生活環境をつくるべきです。

 家庭生活では料理に気を配ることも大切です。同じ食べ物でもそれをどう料理するかによって味が異なります。各家庭ではパン、麺類、野菜料理をはじめ、各種の食べ物を好みに合わせていろいろつくるべきです。

 家庭生活を文化的かつ衛生的できちょうめんに営むうえで、家庭の主婦である女性の役割が極めて重要です。一部の女性は生活文化水準が低いため、住まいのしつらえに気を遣わず、だらしない生活をしています。女性のなかには、娘のころは自分の家や寮をきちんとととのえて生活していたのに、結婚をし子持ちになるとだらしない生活をしている人もいます。女性は主婦としての責任をもって、家庭生活をきちょうめんにきちんと営まなければなりません。

 女性が家庭の主婦としての役割を果たすには、文化・情操水準を高めなければなりません。女性に住まいのしつらえ方、子供のしつけ、衣類や料理の作り方など家庭生活に必要な常識をいろいろな形式と方法で教え、彼女らの文化・情操水準を高めるべきです。

 町と村、職場は人びとの集団生活の拠点です。町と村、職場をきれいにしてこそ、全国に文化的で衛生的な生活環境をととのえ、人びとが常に朗らかで文化的に生活し、働けるようになります。町道と村道を舗装すべきところは舗装して日ごろからよく管理し、村に緑地や花壇もつくり、遊戯施設などもたくさん設けるべきです。これとともに、自分の作業場と機械設備もきれいに管理し、文化的にととのえるべきです。

 全社会に文化・情操生活気風を確立するうえでまた重要なのは、人びとが文化・道徳生活になじみ、公衆道徳を自覚的に守るようにすることです。そうすれば、社会に気高く健全な生活気風が確立されます。

 いま、勤労者の文化・道徳生活では改めるべき事がらが少なくありません。正月などに、隣同士が訪ねあってお祝いのあいさつを交わすこともなく、誕生日を祝うようなこともなくなっています。一部の人は、我が子の誕生祝いはしながらも、恩師の誕生祝いなどは考えず、学校を卒業した後には母校を訪ねようともしません。幹部のなかには、あたかも自分が出世して幹部になったかのように考え、恩師などは眼中にない人も少なくありません。以前は新春を迎えて親類や友人、恩師に年賀状をさかんに送ったものですが、いまはそういうことも少なくなっています。一部の人は用紙も不足しており、よく会う人なのに年賀状など送る必要があるのか、といって送らないとのことです。そんな人は生活も知らず、人間としての初歩的な礼儀道徳もわきまえない人です。

 いま外国留学や実習を終えて帰国した人たちが、恩師や友人に年賀状、名刺などを送ることもなくなっているありさまです。縁故関係の外国人に年賀状や祝賀状、名刺などを送るのは悪いことではありません。外国人に年賀状や祝賀状、名刺などを送ることを主体性、民族性の欠如したあらわれとみなしてはなりません。

 我が国には絵葉書のようなものを審査するところもなく、年賀状や祝賀状、名刺、葉書などをつくるところもなく、それをつくるのに必要な用紙を要求する人もいません。

 私は学生時代に、知人に年賀状をたくさん送りました。外国では新年や記念日に親類、友人や恩師に年賀状や祝賀状、名刺などを送るのが社会生活における慣例の一つとなっています。

 葉書などは祝日に限らず、誕生日や結婚式のときにも送ることができます。これからは年賀状、祝日を祝う葉書、誕生祝いの葉書、結婚祝いの葉書など、いろいろな葉書をたくさんつくって販売すべきです。外国人に送る年賀状や祝賀状、名刺などもいろいろな形式でたくさんつくるべきです。年賀状や祝賀状、名刺、葉書をいろいろな形式で多種多様につくるには図案の懸賞募集や展示会も催し、外国で発行する年賀状や祝賀状、名刺、葉書の図案も取り寄せて参考にする必要があります。

 誕生日や祝日に記念品として送れる各種の玩具類と陶製品もたくさんつくって販売すべきです。子供にプレゼントする玩具類や陶製品は子供の好みに合わせていろいろなものをつくり、それに「誕生日をお祝いします」または「お祝いします」という文字を記せばよいでしょう。子供にプレゼントする玩具類や陶製品はだんだらチョゴリをまとった人形や子犬のようなものにするのもよいと思います。

 万寿台(マンスデ)創作社と道美術創作社では、子供へのプレゼント用として、いろいろな上質の陶磁器をたくさんつくるべきです。万寿台創作社には専門家と必要な手段がそろっているので、子供の好みに合う各種の記念品を上手につくることができるでしょう。

 年賀状や祝賀状、葉書、記念品などは一般の商店よりも専門店を設けて別個に販売するほうがよいでしょう。そうすれば、それらのうち自分に必要なものをその商店にいって自由に選んで買うことができます。そうせずに一般の商店で販売すると、面倒で思いどおりに買うことができません。平壌市に年賀状や祝賀状、葉書、記念品の専門店を設ければ、会議のためにやってきた地方の幹部もそれを見て帰り、そのような商店を設けるようになるでしょう。

 日記帳や手帳、びんせんなどもたくさんつくって販売すべきです。これは人びとの文化・情操生活に効果的に利用できるようにいろいろな形式で実用的につくるべきです。日記帳や手帳、びんせんなどには用紙もそれほど要らないので、手配さえ綿密にすればたくさんつくって販売することができます。

 文化・道徳生活では、克服すべき旧社会の因習がいろいろとくすぶっています。

 男女関係の面でも古い道徳観念がかなり残っています。男子のなかには、女性が自分の前を横切ると、縁起が悪いといって不愉快に思う人がいます。一部の人は、青年男女が連れだって散歩したり会ったりするのを道徳生活が健全でないと非難しています。こうした考えはすべて、封建社会が残した古い道徳因習です。

 我々は文化・道徳生活の分野に残っている古い道徳因習を全般的に調べて、改めるべきことはすべて改め、社会主義的生活様式に即した健全で気高い文化・道徳生活を営むべきです。

 公衆道徳は人びとが社会共同生活で守るべき行動規範です。すべての人が公衆道徳を自覚的に守れば、社会共同生活が社会本来の要求に即して維持され強固なものとなり、社会に健全な文化・情操生活気風を確立することができます。公衆道徳をいかに守るかによって、人びとの品格と文化水準も評価されます。

 いま人びとのあいだには、公衆道徳に反する行為が少なからずあらわれています。一部の人は横断歩道の標識がない道を渡り、バスに先に乗ろうと順番を待たずに走りだすバスにすがりついています。公園や遊園地で昼寝をしたり、ごみをやたらに投げ捨て、劇場や映画館、商店、食堂の利用秩序を乱し、道でものを食べたり、荷物を頭にのせたり担いだりしている人もいます。これらの行為はまだ人びとが開けていないことを示しています。

 すべての人が社会と集団の一員であることを肝に銘じ、公衆道徳を自覚的に守るようにすべきです。特に、平壌市をはじめ、各都市の住民が交通秩序と遊園地・公園、劇場、映画館など公共施設の利用秩序を自覚的に守るようにすべきです。

 公衆道徳を守らせるには、教育とともに大衆的な統制を強めなければなりません。いくら立ち後れた人でも、大衆が説諭して統制すれば、公衆道徳を守らざるをえなくなります。公衆道徳を守らない人にたいしては、大衆の前であばき批判も加えるべきです。

 全社会に文化・情操生活気風を確立するためには、幹部がこれにたいする正しい認識をもち、模範を示さなければなりません。

 いま社会的に文化・情操生活気風が確立されていないのは、幹部が文化・情操生活にたいする正しい認識をもたず、それに関心を向けないことに少なからず起因しています。一部の幹部は、勤労者の文化・情操生活を革命性のない表現、修正主義的要素と思い込んで非難しています。かつて、我が党は社会・文化生活分野にあらわれた修正主義的で退廃的なブルジョア生活様式に反対して強くたたかいましたが、それを朝鮮人民の気高い文化・情操生活に反対することととりちがえてはなりません。朝鮮人民の気高い文化・情操生活は、かつて社会・文化生活分野にあらわれた修正主義的で退廃的なブルジョア生活様式とは緑もゆかりもありません。朝鮮人民の文化・情操生活は、人びとの自主的で創造的な活動に必要な健全な精神をもたせ、勤労者にこんにちの生の喜びと明日の希望、勝利の確信をいだかせる真実で気高い生活ですが、修正主義的で退廃的なブルジョア生活様式は、人びとの健全な思想・意識を麻痺させ、極端な利己主義をあおり、奢侈と放蕩三昧の生活を助長して、人びとを精神的・肉体的障害者にする、堕落し腐りきった生活様式です。修正主義的で退廃的なブルジョア生活様式が我々の内部に浸透することにたいしては厳しく警戒し、容赦ない闘争を展開すべきですが、勤労者が健全な文化・情操生活をすることは大いに奨励すべきです。

 一部の幹部は、勤労者のあいだで芸術サークル活動やスポーツ活動をさかんにせよというと、生産でいそがしいというのにどの時間にそんなことをするというのかといって快く思っていませんが、それは極めて偏狭で間違った考え方です。かつて抗日遊撃隊員は火の海、血の海をかいくぐっていかなければならない、あの厳しい日々にも歌をうたい、踊りをおどり、スポーツを楽しんで、隊伍がいつも革命的楽観にみちあふれるようにし、祖国解放戦争の時期に人民軍の勇士たちは燃える高地でも手製の楽器で火線音楽会を開き、敵を戦慄させたものです。廃墟のなかで困窮欠乏にたえ、素手で破壊された都市と街、工場を建てなければならなかった戦後復興建設の困難な日々にも、建設場では太鼓の音と歌声がたえませんでした。いまの生産課題がいくら緊迫しても、抗日革命闘争期や祖国解放戦争期、戦後復興建設期とはくらべものになりません。我々は生産課題が緊迫するほど、勤労者を文化・情操生活になじませ、かれらが常に悲観を知らず、楽観と確信にあふれて生活し、働くようにすべきです。

 すべての幹部は、文化・情操生活気風の確立がたんなる実務上の問題ではなく、人民の確信と勇気をかきたて、かれらを革命課題の遂行に立ち上がらせ、社会主義祖国をさらに輝かす重要な政治的問題であることを正しく認識し、勤労者の文化・情操生活に常に深い関心を向けなければなりません。

 全社会に文化・情操生活気風を確立するためには、幹部が先頭に立たなければなりません。すべての活動と同じく、文化・情操生活においても幹部が先頭に立てば、下部の人が自然にその模範を見習い、全社会に文化・情操生活気風を確立するのによい影響を与えることができます。年輩の一部の幹部は、文化・情操生活は若い人のすることだと思い、それによく参加しようとしない傾向がありますが、それは間違いです。文化・情操生活は年に関係ありません。年が多いほど文化・情操生活にいっそう熱心に参加してこそ、青春の気迫をもって仕事を精力的におし進めることができます。いま年輩の幹部のなかにも生活を文化的、情操的にする人がたくさんいます。そういう人は、自分が文化・情操生活で模範となるばかりでなく、下部の人たちにもそのように生活するよう要求しています。

 幹部が文化・情操生活で模範となるには、高い文化水準をもち、情緒豊かな人間になるため意識的に努力しなければなりません。

 全社会に文化・情操生活気風を確立するためには、文化・情操教育を強化しなければなりません。全社会に文化・情操生活気風を確立する問題は、宣伝活動だけでは解決されません。いま人びとが文化・情操生活を満足にしていないのは、かれらの文化・情操水準が低いからです。人びとの文化・情操水準を高める教育はせず、文化・情操生活をせよと強調するだけでは問題が解決されません。

 文化・情操教育は家庭教育、学校教育、社会教育を密接に結びつけて系統的におこなうべきです。

 人びとは、両親と兄弟など近しい骨肉と一つの家庭で生活する過程で、家風の影響を多分に受けるため、文化・情操教育においても家庭教育は重要な位置を占めます。人間は幼いころ、親もとで育つ過程でその言動をかがみとし、それを大人になってからも忘れないものです。幹部は子供に幼いころから礼儀作法、服装や身づくろい、家や村のととのえ方など、文化・情操生活にかかわる問題を正しく教え、実践的な模範を示すべきです。

 我が国では全般的11年制義務教育が実施されているので、育ちゆく新しい世代は、だれもが義務的に幼稚園と人民学校(小学校)、高等中学校を経て大学にも進学し、社会にも進出しています。人びとは、文化・情操生活の一般的な基礎を人民学校と高等中学校の時期に基本的にきずかなければなりません。教育機関では、生徒が人民学校と高等中学校の時期に文化・情操生活を正しくするよう、かれらに文化・情操教育をほどこさなければなりません。教育機関が課外生活の手配と指導に力を入れるのも文化・情操教育で大切なことです。教育機関では生徒を学校に引き止めて頭から統制ばかりしようとせず、かれらが課外時間に各種のサークル活動をさかんにし、身なりをきちんとし、家庭と学校を衛生的、文化的にととのえ、礼儀作法と公衆道徳を守るようにすべきです。

 人びとは文化・情操教育を家庭と学校だけでなく、社会生活の過程を通じても受けます。社会・文化機関の責任感と役割を強め、各種の文化・スポーツ施設と宣伝教育手段を効果的に利用して、勤労者の文化・情操水準を高めなければなりません。放送と出版物、特にテレビ放送を通じて朝鮮人民の固有な民族衣装である朝鮮服といろいろな形の服装についても宣伝し、どのようなスタイルにはどんな靴をはけば見栄えがするかということも紹介し、朝鮮料理をはじめ、いろいろな料理の作り方も紹介すべきです。文化・情操生活と関連した講演、解説談話もさかんにおこなうべきです。

 文化・情操教育はキャンペーン式にではなく、日常的におこなわなければなりません。文化・情操教育をキャンペーン式にすれば、一定のあいだは生活を文化的、情操的にするふりをして、すぐやめてしまいます。文化・情操教育を日常的におこなってこそ、文化・情操生活が習性化されます。

 全社会に文化・情操生活気風を確立するためには、党組織と勤労者団体組織がこれを重視して積極的におし進めなければなりません。

 党組織と勤労者団体組織は当該単位で文化・情操生活を日常化し、これに広範な大衆が積極的に参加するようにして、党員と勤労者が金日成同志の指導のもとに、この世で最もすぐれた社会主義制度で生き、革命を進める誇りと自負を胸深く秘め、祖国の隆盛のためにすべてをつくしてたたかうようにすべきです。

 党組織と勤労者団体組織は、勤労者が文化・情操生活を正しくおこなうよう、いろいろな形式と方法で思想教育を強化する一方、文化・情操生活をするのを非難したり統制し、必要な条件を保障しないなど、文化・情操生活気風の確立を妨げるあらゆる誤った傾向とたたかうべきです。

 みなさんは全社会に文化・情操生活気風を確立するという党の意図を明確に認識し、組織・政治活動を活発にし、人民の文化・情操生活に新たな転換をもたらすべきです。

出典:金正日選集 9巻

(注)ファッション用語。ピケとは、たて、よこ二重組織で、接結点により表面にたての方向に畝があるか、または波状の浮いた柄をあらわしたものをいう。

 種類も多く、綿、絹、レーヨン、ポリエステルなどがある。非常に細い畝になっているものはピンウエールピケ(ピンのような細いたて方向の畝をもったピケ)、畝の広いものをワイドウエールピケという。

 柄状のものを紋ピケという。ピケには、たて畝とよこ畝のものがあり、ピケボイルのようにたて糸を数本ごとに1本抜き縞状のたて筋をあらわした、空羽(あきは)ピケという手法もある。
ページのトップ


inserted by FC2 system