金正日「演劇芸術について」−3 演劇の舞台形象

3−4 演劇音楽は、劇形象の重要な手段


 演劇に音楽を取り入れたのは、演劇革命における重要な成果の一つです。

 演劇に音楽を組み合わせる問題は長いあいだ論議されてきましたが、なかなか解決されませんでした。この問題は、金日成同志によって創始された主体的文芸思想を演劇芸術部門に具現する過程ではじめて解決されました。主体的文芸思想は、演劇創造におけるすべての問題を人間を中心にして考察し、人間に奉仕させる原則で解決することを求めます。時代と人民大衆が演劇に音楽を組み合わせることを求めるなら、いかなる既存公式や既成の形式にもこだわることなく音楽を取り入れるべきであるというのが、我々の方式の演劇にたいする主体的見解であり、根本的立場です。演劇が時代の美感にマッチしていながら、多様で豊富な形象の世界を見せるには、必ず演劇に音楽を組み合わせなければなりません。音楽は、他の芸術によっては表現できない人間の微妙な思想・感情や心理状態の変化をあらわす強力な手段です。これまでの経験は、音楽を演劇の特性にマッチさせて生かしさえすれば、大きな効果をあらわすことを示しています。

 演劇が総合芸術としての面貌を完全にととのえ、その威力をあますところなく発揮するためには、音楽を取り入れなければなりません。映画では主人公がみずから歌をうたわない場合でも、その感情の世界を歌によってあらわしもすれば、せりふや行動の場面にも音楽を流してその内容を情緒的にいっそう印象深く生かし、人々をドラマの世界に深くひたらせます。それなのに、同じ総合芸術である演劇に音楽を組み合わせてはならないという法はありません。我々は、主体的文芸思想にもとづき演劇に音楽を取り入れることによって、総合芸術としての演劇の面貌をいちだんとととのえ、その機能を著しく高めました。その結果、『城隍堂』式演劇において音楽は必須の表現要素となり、高い思想性・芸術性と情緒的感興を保障する劇形象の強力な手段となりました。

 『城隍堂』式演劇における音楽は、主人公の性格と主題・思想を情緒的にいちだんと際立たせます。

 演劇における主人公の性格は、主にせりふと行動によって形象化されます。しかし、人間の感情世界、内面世界は、せりふや行動を通じて表現されるものよりはるかに深く、豊かで繊細なものです。せりふと行動だけでは、人間の豊かな内面世界を十分に見せることができません。人物の内面世界をあらわすうえで、音楽は重要な役割を果たします。音楽は、せりふや行動では表現しきれない人物の豊かな内面世界を情緒的に、感動深く描き出します。

 演劇で音楽が人物の性格をいかに情緒的に、深く繊細に際立たせるかということは、革命演劇『城隍堂』の一場の最初の場面でうたわれる『トルセの歌』と、一場の最後の場面の管弦楽とパンチャン(傍唱)による歌『あわれな母と娘は、涙して祈る』を聞くだけでもよくわかります。この演劇では、さげすまれていた下男暮らしの若者が夜学で学んで開眼したという内容の歌詞以外には、トルセの生い立ちについて語るせりふが一つもありません。しかし、観客はこの歌を聞いただけで、主人公のトルセがどうして地主や区長、みこ、伝道女、僧侶たちをこらしめ、破滅させることができたのかを直感するようになります。『トルセの歌』は、その後もドラマの主要な場面で別の歌詞でうたわれ、知恵があり、勇敢で人情に厚く、道理をわきまえる主人公の性格と多感な内面世界を深く描き出しています。

 『城隍堂』式演劇における音楽は、作品のスタイルを情緒的に特徴づける重要な手段です。演劇に音楽を取り入れれば、スタイルをさらに生かすことができます。音楽は、印象深いメロディーと多様なハーモニーによって生活の持ち味を情緒的に生き生きとあらわすので、作品のスタイルを特徴づけるうえで大きな助けになります。事実、不朽の名作、革命演劇『城隍堂』を舞台に移す過程で音楽を取り入れたことは、スタイルの問題を解決するうえで大きな助けとなりました。『トルセの歌』にしても、それは一場でアイロニーを交えた嘲笑的なメロディーでうたわれ、はじめから革命演劇『城隍堂』は風刺劇であることを感じさせ、一場の最後の場面で響く管弦楽とパンチャンは、この演劇がたんなる風刺劇ではなく、朴氏とその娘福順のように搾取され、さげすまれる人民の不幸な生活と明日への志向を正劇的、情緒的に描き出す演劇であることを感じさせます。このように、演劇の前部に嘲笑的なニュアンスの歌と叙情的なニュアンスの歌を流すことによって、『城隍堂』が風刺的なものと正劇的なものが結合した独特なスタイルの演劇であることを特徴づけています。それとは異なり、革命演劇『血噴万国会議』では、前部で歌『朝鮮よ、答えておくれ』を悲しく厳かなメロディーで流すことによって、この演劇が奪われた国権を取りもどすために一身をなげうつことを決意した主人公李儁の運命を描き出す悲劇的スタイルをとっていることを暗示しています。

 『城隍堂』式演劇における音楽は、多様なメロディーでドラマの情緒的雰囲気をもりあげ、俳優の演技を自然なものにします。

 劇作品で情緒的雰囲気をうまくかもしだすことは、人物の性格を際立たせ、主題・思想を深め、観客の芸術的感興をそそってドラマの世界にひたらせるうえで重要な意義をもちます。

 劇作品で情緒と感興をかもしだすには、せりふと行動をうまくこなすとともに、ドラマの重要なモメントに音楽を流すのが効果的です。ドラマの重要なシチュエーションに、人物の個性を際立たせ、ドラマの状況にもかなった特色のある音楽を流せば、せりふや行動の基底に流れているかれの豊かな思想・感情と微妙な心理状態の変化を描き出すことができ、いっそう大きな情緒と感興を呼び起こすことができます。

 演劇の音楽は、俳優の演技を少なからず助けます。俳優が演技を巧みにするためには感情移入の状態にならなければなりませんが、そうするには人物の思想・感情を心から受け入れ、それを自分のものとして消化すべきです。音楽は、俳優が人物の思想・感情を体験するのを助け、かれをたやすく感情移入の状態にならしめます。したがって、俳優は音楽の流れに乗って自然で真に迫った演技をすることができます。

 しかし、音楽を性格発展の論理に即して適切に組み合わせず、行動の空間やドラマの流れの空間に入れるべきだとして、なんらの生活的な前提や蓄積もなしに入れると、ドラマの雰囲気がこわれ、俳優の感情移入がむずかしくなります。演劇では、管弦楽でドラマの状況を十分にもりあげて、俳優が自然に感情移入の状態になったあと、劇的モメントに合わせてパンチャンをうたわせるべきです。そうしてこそ、音楽が俳優の演技ととけあって演技を真に迫ったものにし、音楽と演技が情緒的に調和した一つの形象をなして観客をドラマの世界にひたらせることができます。

 『城隍堂』式演劇における音楽は、ドラマの流れを情緒的に持続させ、ドラマの発展を促し、観客を終始感興にひたらせて、ドラマの世界に引きこみます。

 観客の情緒と感興を持続させながらドラマの世界に引きこむのは、演劇形象創造の基本的要求の一つです。演劇で観客をドラマの世界に深く引きこむためには、劇的な情緒と感興を持続させなければなりません。ところが、以前は演劇を公演するにあたって、場が終わるたびに暗転して装置をかえるのに騒がしい音を立てるので、観客の情緒と感興をとぎらせたものです。

 劇的な感興を持続させるには、舞台転換を手早くすませるとともに、場の変わり目に生じる空間を劇的な情緒でつながなければなりません。現代科学技術を取り入れれば、場面の変わり目に空間が生じないように舞台転換を手早くすませるのは可能ですが、情緒と感興を持続させるのはむずかしいでしょう。場面の変わり目の空間を情緒と感興で持続させるには、場面の内容と舞台転換の特性に応じて、管弦楽かパンチャンからなる連結音楽を適切に流さなければなりません。連結音楽は、観客に次の場面で起こる事件と人物の運命にたいする期待をいだかせ、新しい劇的モメントを生み出す作用を及ぼして、ドラマの発展を強く促します。

 演劇に音楽を取り入れるのは、人間とその生活を劇的方式のみでなく、叙情的・叙事的方式でも描写できるようにするうえで重要な意義をもちます。演劇で人間とその生活を描く基本方式は劇的方式です。演劇では作家がいわんとする思想や主張も人物のせりふを通じてのみ明らかになり、人物が口にできない深い事情も、主にかれの独白や他の人物の傍白を通じて観客に伝えられます。演劇に音楽を取り入れれば、人物が語れない深い事情や作家が訴えたい主張なども、パンチャン形式を通じて自由に表現することができます。演劇の音楽は、人間とその生活を叙情的・叙事的方式で反映しうる広い道を開いてくれます。

 演劇で音楽がいかにすぐれた表現手段であるとしても、演劇の特性に即して適切に用いなければ効果をあげることができません。演劇では、音楽を歌劇や映画でのように用いてはなりません。歌劇や映画には、それに固有な特性と形象化の法則があり、また演劇には演劇に固有な特性と形象化の法則があります。演劇における音楽は、それに固有な特性と形象化の法則に即して用いてこそ、効果をあげることができます。

 演劇で音楽を用いるときには、演劇の長所を生かし、制約を克服する方向で用いるべきです。演劇革命の初期に、ある人は演劇にコーラスやオーケストラまで引き入れようとし、またある人はかつて外国でおこなわれていたやり方を真似、既存の曲をいくつか録音したものを演劇に用いて雰囲気をもりあげようとしました。演劇にコーラスやオーケストラを引き入れ、音楽によって大きな効果をあげようとするのなら、いっそのこと演劇といわず歌劇というべきでしょう。録音したいくつかの既存の曲を流せば、演劇のいくつかの場面で雰囲気をある程度もりあげることはできるでしょうが、主題・思想を深化させ、人物の性格を際立たせ、ドラマを強く促していくのにはさほど助けになりません。

 演劇で音楽を、演劇の長所を生かし、制約を克服する方向で用いるためには、演劇のジャンル上の特性にかなった新しい音楽の世界を開拓し、演劇の形象化の法則に合致する新しい劇音楽構成法を創造しなければなりません。

 演劇では、パンチャンを演劇の特性に即して、うまく生かして用いることが重要です。

 パンチャンは、演劇の特性に適合する声楽形式です。演劇音楽の基本形式はパンチャンであるべきです。

 演劇にパンチャンを取り入れるからといって、歌劇と同様に用いてはなりません。歌劇は歌のなかにドラマがあり、ドラマのなかに歌がある芸術です。したがって、歌劇ではパンチャンを独唱や小パンチャン、中パンチャン、大パンチャンといった多様な形式をうまく生かして用いるほど、音楽が生き、ドラマが生きてきます。しかし、演劇は歌劇と違ってせりふと行動のなかにドラマがあり、ドラマのなかにせりふと行動がある芸術です。ですから、演劇の特性を無視してどんなパンチャン形式でもかまわず取り入れるなら、せりふや行動の妨げとなり、ドラマが生かされません。せりふと行動によってドラマを持続させるには、パンチャンを主にソロ・パンチャンで短くうたわせるべきです。せりふのない行動だけの重要な劇的モメントで、ドラマのスタイルと場面の内容にふさわしいソロ・パンチャンを一節ほど短くうたわせれば、人物の行動もいっそう引き立ち、ドラマの流れも情緒的につながります。

 演劇ではソロ・パンチャンだけでなく、時によっては小パンチャンや大パンチャンのような音楽形式も用いることができます。その場合、演劇の特性が無視されないように音楽形式を十分に検討して用いるべきです。

 パンチャンがすぐれた表現方法だからといって、そればかり反復せず、管弦楽も巧みに組み合わせて用いるべきです。管弦楽は、演劇の情緒的雰囲気をもりあげるうえで重要な役割を果たす立派な表現手段です。ドラマの流れに生じる空間や場面転換で管弦楽を用いれば、情緒と感興を持続させることができ、観客を深い感興にひたらせてドラマの世界に引きこむことができます。これとは反対に、人物の対立と闘争が先鋭化し、主人公の思想・感情が高まったときに管弦楽を用いれば、かれの内面世界を深く描き出し、ドラマを強くおし進めることができます。

 作曲家は、演劇の歌をじょうずにつくるべきです。演劇ではせりふが基本だとして歌をないがしろにするなら、演劇に音楽を取り入れたかいがなくなります。演劇の歌はドラマを生かすのに寄与するだけでなく、だれにも愛唱されるすぐれた歌であるべきです。今後、社会主義の現実を反映した演劇をたくさん創作するためにも、演劇の歌を民族的旋律を基調にして、現代的美感にふさわしくじょうずにつくらなければなりません。音楽的にも洗練され、演劇の特性にもマッチした歌がすぐれた演劇音楽です。

 こんにち演劇芸術部門には、演劇革命の成果と経験を強固なものにし、それにもとづいて思想性・芸術性の高い『城隍堂』式演劇をより多く創作することによって、全社会のチュチェ思想化偉業の遂行に寄与すべき重大かつ栄誉ある課題が提起されています。

 演劇芸術部門では、抗日革命闘争の時期に創作、公演された不朽の名作、五大革命演劇を舞台に立派に再現したのですから、今後は党と領袖の革命業績をもりこんだ作品、朝鮮民族第一主義と社会主義制度の優越性をテーマにした作品、労働者階級を描いた作品の創作に力を入れるべきです。

 演劇芸術部門では、勤労者の教育に寄与した以前のすぐれた作品を『城隍堂』式演劇につくり直してもよいと思います。

 演劇芸術部門では、すぐれた演劇をたくさん創作して、国内公演はもとより対外公演も大いにおこない、労働党時代に創造された『城隍堂』式演劇の優越性を内外に広く宣伝すべきです。

 文学・芸術部門の活動家は、今後もひきつづきチュチェ思想の旗を高くかかげ、朝鮮式の革命的演劇の創作でたえまない高揚を起こすべきです。

出典:金正日選集 9巻

ページのトップ



inserted by FC2 system