金正日「演劇芸術について」−3 演劇の舞台形象

3−2 演技は、性格創造の芸術


 演劇は、生きた人間像を創造する芸術です。

 演劇で生きた人間の性格を創造する直接の担当者は俳優です。作家は俳優に人間像を文章で示し、演出家は俳優の創造活動をリードします。だれも俳優にかわって舞台で生きた人間像を直接創造することはできません。戯曲に描かれた人間像は、俳優によって舞台ではっきりと生かされるのです。俳優は、戯曲に描かれた人物に生きた魂を与え、実際に生かして行動させます。演劇で人間像を生かすか否かは、俳優にかかっています。

 俳優の基本的任務は、真の人間像を創造することです。

 人間をリアルに描くことは、リアリズム文学・芸術の根本的要求です。言うまでもなく、リアリズムは自然と社会もリアルに描くことを求めます。人間とともに自然と社会をリアルに描いてこそ、形象全般がリアルなものになります。人間をリアルに描くためにも、自然と社会をリアルに描かなければなりません。自然が人間の労働の対象であり社会生活の物質的源泉であるなら、社会は人間が生き、働き、たたかう生活の場です。自然と社会は、人間の生存と性格形成に大きな影響を及ぼします。これは、自然と社会をリアルに描いてこそ人間もリアルに描くことができることを示しています。しかし、自然と社会をリアルに描くのは、人間をリアルに描くための前提にすぎません。人間はあらゆるものの主人であるのですから、文学・芸術においては当然、自然と社会を描くことが人間をリアルに描くことに従属しなければなりません。

 人間をリアルに描いてこそ、かれによって引き起こされる事件と状況、葛藤とストーリーもリアルなものになります。真の人間像のみが、人々に生活の真理を教え、かれらの胸をうつことができます。人間をリアルに描写するのはリアリズム文学・芸術の生命であり、まさにここにリアリズム文学・芸術の力があるのです。

 俳優は人物の性格の核心を正しくとらえ、それを具体的かつ非反復的な個性として十分に生かさなければなりません。

 性格の核心を正しくとらえるのは、人物をリアルに描く先決条件の一つです。

 人物の性格にはさまざまな特性がありますが、それには核心があるものです。人物のさまざまな性格的特性で主なものは思想と感情、意志であり、そのうちでも最も本質的な意義をもつのは思想です。思想は人間のあらゆる思考と行動の基礎であり、それを規制します。思想によって思考と行動が調整、統制され、その質と方向が決まるのです。人格も思想によって決まります。思想は、性格の核心であり基本的表徴です。

 俳優は、人物の性格の核心を見いだし、常にそれにてらして語り行動してこそ、全一的な生きた人間を描き出すことができます。俳優が人物の性格の核心を見逃したり、正しく把握できないまま演技をすると、人物像が場面ごとに異なったものになり、かれがどんな人であるのかわからなくなってしまいます。したがって、俳優は一貫して性格の核心をとらえ、それを際立たせることにすべてを集中させなければなりません。

 人物の性格の核心を正しくとらえるには、かれの要求と利害関係をよく知らなければなりません。思想は、人間の要求と利害関係を反映します。人間の要求と利害関係は、さまざまな社会的関係を結び、生活する過程で生じます。その要求と利害関係は、人間が自分の社会的地位を改善し、生活環境を変えようとする志向を反映したものです。人間はあらゆるものを自分の要求と利害関係にもとづいて考察し、評価します。人間の要求と利害関係のうちで最も本質的な側面を反映する思想が、その性格の核心をなします。戯曲に登場する人物の場合も同じです。

 俳優は、戯曲を全面的に分析したうえで、人物の性格が集中的にあらわれる活動と生活にたいする態度と思考方式、活動方式、他の人物との社会的関係などを深く追求して、人物の性格の核心を正しくとらえなければなりません。

 俳優は、人物の性格を真摯に探求する過程を経て、かれの思想を受け入れ自分のものとし、それに合わせて思考し行動しなければなりません。

 俳優は、人物の具体的かつ非反復的な個性を通じてかれの性格の核心を描き出すべきです。

 人は、だれしも自分の顔をもっているように、自分の性格をもっています。一般的に性格とは、個々の人に固有な思想的・精神的特徴とその個性的表現のことです。その性格的特徴が、それぞれの人をほかならぬその人たらしめる、最も基本的かつ強固な質的規定性となるのです。活動過程での難関を切り抜ける人の性格を引き比べてみると、ある人は覇気と情熱にあふれて歌をうたい、扇動もしながらたくましく楽天的に行動しますが、ある人は他人の目を気にせず、ただ黙々と辛抱強く行動します。難関を乗り越えるという意味では同じですが、その活動方式は異なります。活動方式の違いは、性格上の違いを示すものです。生活においてと同様に、舞台においても人物は他人とは違ったマスク、はっきりした個性をもつ生きた人間として描き出さなければなりません。

 俳優が舞台に登場する人物の性格を具体的かつ非反復的なものとして描き出すには、かれに固有な個性的特徴を正しくとらえ、それを自分のものとしなければならず、人物の内面世界をことこまかに体験し、それに合うように演技をしなければなりません。俳優は演技の過程で、人物が考え、話し、行動するように考え、話し、行動して、かれの個性的な特徴を具体的に生かさなければなりません。

 演技で人物の個性的な側面を生かすことが大切だからといって、それにのみ偏してはなりません。人物の性格で個性的な側面だけを一面的に強調するなら、かれは時代と社会的関係とは無縁な純然たる個人的な存在になりかねません。

 性格は各人に固有なものですが、もって生まれたものではありません。性格は、人間の社会的実践活動とその過程で結ばれる社会的関係を通じて形成され、社会的・歴史的条件によって制約されるので、個性的な特徴をおびながらも時代と社会制度、階級と民族の共通的な特徴をもつようになります。各人の性格には固有な個性的な特徴だけがあるのではなく、各人が暮らしている時代と社会制度の特徴も反映されており、各人が属している階級と民族の一般的な特徴も体現されています。

 そのため、人物の性格の典型化の要求が提起されるのです。人物の性格の一般的な特徴は、個性的な特徴を通じてあらわれるべきです。人物が生活の過程で、かれが暮らしている時代と社会、かれが属している階級と民族の本質的な特徴がはっきりあらわれれば、その人物は典型化されたといえます。

 人物は典型化されてこそ、リアルで生き生きとしたものになり、時代と階級の代表者になれるのです。だからといって、人物の性格で個性的な特徴を無視し、一般的な特徴だけを強調するなら、その形象は概念化され抽象化されて、真実味を失うことになります。

 俳優は、人物の性格をたえず発展する過程として描き出さなければなりません。人間の性格は固定不変のものではなく、たえず変化し発展します。人間の性格は時代と社会制度が変わり、生活が変わるにつれて変化し発展するものです。

 平凡な人が革命家に成長する過程をみても、はじめは搾取社会と搾取階級の本質を認識し、それにもとづいてしだいに搾取社会と搾取階級を憎む思想をもち、その階級的憎悪の念がつのって革命に参加しなければならないという思想的決意をいだくことになります。こうした過程を経て、かれはついに階級の敵との闘争に参加し、その過程で革命の戦略と戦術を学び、豊富な経験を積み、革命家の気高い精神的・道徳的品格を身につけるようになるのです。

 革命演劇『城隍堂』における朴氏とその娘の福順、そして万春の成長過程は、生活とともにかれらの性格がどのように発展するかをよく示しています。

 俳優は、ドラマの展開にともない、人物がどのような生活の過程を経てどのように成長し、その過程でかれの精神的・道徳的品格にはいかなる変化がもたらされるかといったことを掘りさげて分析し、それに合わせて演技しなければなりません。人物の性格は、並々ならぬ生活の過程で形成され、変化し発展するので、俳優はかれの成長過程を具体的に特色づけて描出しなければなりません。特に、人物の精神的・道徳的品格に起きた新しい変化を鮮明にあらわしてこそ、性格の発展を印象深く示すことができます。俳優は人物の精神的な成長に応じて、歳月の流れにともなってかれの外貌に生じる変化も見せなければなりません。そうしてこそ、俳優は外見と内容との調和がとれたリアルで生き生きとした人物像を創造することができるのです。

 人物をリアルに形象化するには、生活の要求も正しく解決しなければなりません。

 舞台芸術のうちで、演劇は最も生活的な芸術だといえます。舞台では、実際に現実で見るような生活の画幅が展開されます。ですから、俳優は舞台で「演技」をするのではなく、現実でのようにリアルに行動しなければなりません。俳優は舞台を現実とみなしてこそ、人物をリアルに形象化することができるのです。

 生活の要求を実現するうえで大切なのは、性格と状況、環境の統一を維持することです。人間は、自然と社会から遊離して生活することはできません。自然環境や社会的条件は、人間の生活と活動に影響を及ぼすものです。舞台に登場する人物も、常に環境の影響を受けるようになります。人物と環境は切り離しがたい統一のなかにあります。性格と状況、環境の統一を維持してのみ、人物を生活の要求に即してリアルに描き出すことができるのです。要は、人物の性格と状況、環境の統一をどのような原則によって、どのように維持するかということです。舞台に展開される状況と環境は、あくまでも人物の性格を生かすのに従属してこそ意味をもつようになります。

 俳優は、環境に適応しながらも、それを人物の性格を生かすのに目的意識的に利用しなければなりません。俳優は環境を、人物の内面世界を掘りさげて見せ、かれの心理的動きを繊細にあらわすのに能動的に活用すべきです。俳優は所与の状況のもとで、その人物にのみ可能な一つのせりふ、一つの行動、一つの表情を見いださなければなりません。性格と状況、環境にふさわしいせりふと行動、表情はただ一つしかありません。

 人物をリアルに形象化するうえでのすべての要求をスムーズに解決するためには、俳優が演劇の特性に即して演技を巧みにしなければなりません。映画とは違って、演劇では俳優が舞台に出て演技をすれば、即座に結果があらわれます。観客は、俳優の演技とその結果をその場で同時に見ることになるので、演劇では映画でのようにマジックを使うことができません。演劇俳優は公演の全過程において、実際に自分が受け持った人物になりきらなければなりません。ですから、演劇俳優は、すぐれた演技術を身につけなければならないのです。

 映画俳優は、ほとんどの場合、現実的な生活条件のもとで演技をしますが、演劇俳優は、装置のある制限された舞台で演技をすることになります。俳優が人物を見事に演じる才能をもっていても、舞台の条件にかなった演技ができなければ、その形象を生かすことができません。舞台をぬきにした演劇というものがありえないように、舞台の条件からはずれた俳優の演技というものもありえません。したがって、演劇俳優は、舞台装置や大道具を模造品ではなく、実物とみなして扱わなければなりません。

 演劇では舞台と観客のあいだに一定の距離があり、映画でのようにそれを思いどおりに調節できないので、俳優が演技で主なるものを強調するために、表情や動作を線が太くて大きなものにすべきです。したがって、演劇俳優は演技で芸術的な強調の手法に頼ることになります。だからといって、俳優が演技を誇張してはなりません。俳優の演技における芸術的な強調は、あくまでも人物像をリアルに生かすためのものでなければなりません。

 演劇俳優は、人物のせりふをじょうずに使いこなさなければなりません。

 演劇でのせりふは俳優にとって基本的表現手段です。俳優がせりふをいかに駆使するかによって、人物像のリアリティーと生々しさ、演劇の芸術性が左右されます。事実、演劇の成否は、俳優がせりふをいかに駆使するかにかかっているといっても過言ではありません。

 俳優がせりふをうまく使いこなすというのは、人物のせりふをその性格と状況にふさわしくリアルなものにするということです。

 人物のせりふをリアルなものにするためには、それを芸術的につくり直さなければなりません。例え、作家が名せりふを書いたとしても、俳優のせりふづかいに真実味がなければ効を奏しません。元来、話術は、言葉の真意を正確に、感動深く伝える芸術です。俳優は話術にたいする立場を正し、一つひとつのせりふをリアルなものにすべきです。

 俳優は、人物の性格と状況にふさわしくせりふを使いこなさなければなりません。同じ言葉であっても性格と状況に応じていろいろな意味で使われるので、性格と状況にふさわしくせりふを使いこなすのは、演劇のリアリティーを保障するうえで極めて重要です。

 俳優が性格と状況にふさわしくせりふを使いこなすには、人物の内面世界と生活を深く把握してリアルに体験し、人物の独特な言葉づかいを生かさなければなりません。俳優は、人物がどんな性格の持ち主なのか、かれの生の目的と志向はなにか、かれはいまどのような状況におかれており、その状況をつくりだした事件はなにか、それにたいする人物の態度はどんなものなのかといったことを具体的に検討し、それを十分に体験すべきです。その体験が深まれば深まるほど、俳優はその状況にあって人物が語らざるをえない心情を察するようになり、それにもとづいて状況にかなったせりふを使いこなすことができます。

 俳優は、朝鮮語のすぐれた特性をよく知り、それを十分に生かす方向でせりふを使いこなすべきです。これは、人物像のリアリティーとともに、演劇の人民性と民族的特性を生かす重要な条件の一つです。俳優は朝鮮語のすぐれた特性を十分に生かしてこそ、人民に文化語の手本を示し、社会主義的愛国主義教育と共産主義的道徳教育にも大いに寄与することができます。俳優は、せりふをうまく使いこなして人民の言語生活と文化生活に寄与するとともに、社会の健全な生活気風の確立にも寄与しなければなりません。

 せりふづかいを通じて人間の性格の創造と人民の教育に寄与する俳優は、真に言語のエキスパートとならなければなりません。

 人々の共感を呼び起こし、長く記憶に残るリアルな人間像は、俳優の努力によって創造されます。俳優が人間の性格の真の創造者になれるかどうかは、もっぱら自分の努力いかんにかかっています。懸命に努力し探求する俳優のみが、人間の性格の真の創造者になりうるのです。

出典:金正日選集 9巻

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