金正日「演劇芸術について」−1 演劇革命 

1−4 抗日革命演劇は、朝鮮の演劇芸術の歴史的根源


 抗日革命闘争の時期に金日成同志がみずから創作した不朽の名作『城隍堂』を再び上演することから演劇革命をはじめたのは至当なことです。

 我々の演劇革命は本質において、抗日革命闘争期にきずかれた革命的演劇の伝統を継承して、チュチェ思想が立派に具現された共産主義的演劇芸術を建設する聖なる事業です。真の共産主義的演劇芸術、チュチェの演劇芸術の建設は、その根深い歴史的根源であり万年の礎である革命的演劇の伝統をぬきにしては考えられません。

 一般的に文学・芸術の革命伝統は、歴史の自主的な主体、革命の主体が形成され強化される過程できずかれ、発展するものです。革命の主体は新しい文学・芸術、社会主義・共産主義的文学・芸術を求めます。革命の主体の強化に寄与する文学・芸術を欲する人民大衆の要求は、領袖によってのみ立派に実現されます。

 社会主義・共産主義的文学・芸術の建設も、他のあらゆる革命事業と同様に、領袖によって指導されます。領袖は、社会主義・共産主義的文学・芸術建設の正しい道を示す革命的な文芸思想を創始し、労働者階級の文学・芸術を創造する活動を賢明に導きます。領袖は、その過程で社会主義・共産主義的文学・芸術建設に関する思想的・理論的基礎と方法論的基礎をきずき、貴い業績と豊富な経験を積みあげます。領袖によってきずかれる労働者階級の文学・芸術の革命的財宝が、ほかならぬ社会主義・共産主義的文学・芸術の革命伝統なのです。このことは、これまでの労働者階級の革命的文学・芸術発展の歴史が端的に示しています。

 マルクスは、歴史の対象であった労働者階級が歴史の主人として登場した時期に、人類文化発展の歴史を唯物史観にもとづいて分析して、封建的でブルジョア的な文学・芸術の反人民的で反写実主義的な本質を暴露、批判し、進歩的で人民的な写実主義的文学・芸術を擁護し、労働者階級の本性にかなった文学・芸術を創造するという思想を示しました。

 レーニンは、帝国主義から社会主義への歴史的転換期に世界の文学・芸術発展の歴史を考察して、過去のあらゆる進歩的文学・芸術を継承したうえで新しい社会主義的文学・芸術を建設するという思想を示し、その実現へと進歩的な作家、芸術家を導きました。

 このように、従来の労働者階級の革命的文学・芸術の伝統は、歴史的転換期に革命の領袖によってきずかれました。

 金日成同志は、歴史の主人として登場した人民大衆が自己の運命を自主的に創造的に切り開いていくチュチェ時代の要請と、我が国と世界の文学・芸術発展の歴史を科学的に分析し、それにもとづいて人民大衆の自主偉業の遂行に寄与する新しい形式の革命的文学・芸術が進むべき道を示す主体的文芸思想を創始し、抗日革命闘争の炎のなかで遊撃隊員と人民を革命闘争に奮い立たせる多くの革命的文学・芸術作品をみずから創作することによって、主体的文学・芸術の輝かしい革命伝統をきずきあげました。

 金日成同志は、既に初期革命活動の時期に、人々を階級的に目覚めさせ、革命闘争に立ち上がらせるうえで演劇芸術が果たす役割を重視し、不朽の名作『花を売る乙女』のような革命歌劇と『安重根(アンジュングン)、伊藤博文を射つ』『三人一党』『血噴万国会議』『城隍堂』『娘からの手紙』『地主と下男』『8月中秋』などの革命演劇をみずから創作し、抗日武装闘争の困難な日々にも『血の海』『ある自衛団員の運命』『慶祝大会』『父は勝った』『遺言を守って』『飢民嘆息』『張』などの革命演劇をみずから創作しました。金日成同志は、抗日革命闘争の全期間、遊撃隊員の創作活動をこまやかに指導し、革命的で戦闘的な演劇を多数創作、公演できるようにしました。

 抗日革命闘争の時期、遊撃隊には常設の劇場もなければ、専門の演劇団体や劇作家もいませんでした。しかし、抗日遊撃隊員は集団で演劇をつくり、行く先々で公演しました。かれらはテントで張り幕をつくり、切り出した丸木で仮舞台をつくり、みずからが演出家や俳優になって公演活動を活発にくりひろげたのです。

 金日成同志はいまでもときおり、撫松一帯での戦闘を終えて漫江で革命演劇『血の海』と『ある自衛団員の運命』『慶祝大会』などの演劇や音楽舞踊作品を公演したことや、六棵松戦闘のあと食糧を担いで抗日遊撃隊についてきた数百人の労働者のために、一週間にわたって演劇と歌劇の公演や扇動講演をしたことを感慨深く回想しています。

 抗日革命闘争の時期、革命的な文学・芸術活動は遊撃区と人民革命軍のあいだだけでなく、半遊撃区と敵の支配区域においても活発に進められ、穏城(オンソン)をはじめ、国内各地でも展開されました。

 革命的な演劇芸術活動は、抗日革命闘争の全期間にわたって活発に展開され、抗日遊撃隊員と人民を祖国の解放をめざすたたかいに奮起させるのに大きく寄与しました。

 抗日革命闘争の時期に創作された演劇は、主題・思想の内容に幅と深さがあるばかりか、その形式も非常に多様です。

 抗日革命演劇は、抗日革命歌謡とともに、我々の革命的文学・芸術の伝統の基本をなしています。

 いま人々のあいだでは、我々の文学・芸術の革命伝統において革命演劇が大きな比重を占めているので、それが基本をなすものと考えられているようです。もちろん、革命演劇が抗日革命文学・芸術において大きな比重を占めていることは事実ですが、量的な概念だけで基本か否かを決めることはできません。文学・芸術の革命伝統において、どの文学・芸術ジャンルが基本をなすかという問題は、あくまでも量的な概念ではなく、質的な概念の見地から考察しなければなりません。

 労働者階級の領袖によって革命の道がはじめて切り開かれた時期に、例え、1・2編の革命的な文学・芸術作品が創作されたとしても、それに領袖の革命思想が具現されており、社会主義・共産主義的文学・芸術が見習い、受け継ぐべきすぐれた思想的・芸術的特質を体現している作品であるなら、それは革命的文学・芸術の伝統をなす作品とみなすべきです。

 抗日革命文学・芸術がみなそうであるように、抗日革命演劇は金日成同志の主体的文芸思想を立派に具現しており、我々の文学・芸術が代を継いで継承すべき創作の原則と方途を全面的に体現しています。抗日革命演劇はジャンルからすれば演劇芸術ですが、それには劇作品の創作のみならず、あらゆるジャンルの文学・芸術作品の創作において守るべき原則と方途がすべて示されています。抗日革命演劇には、また、抗日革命闘争期に創作、普及されたあらゆるジャンルの文学・芸術作品のすぐれた思想的・芸術的特徴が集約されており、その輝かしい成果が集大成されています。特に不朽の名作、革命演劇は、抗日革命闘争期の文学・芸術を代表する記念碑的作品であり、革命的文学・芸術の伝統の核心をなしています。そういう意味で、抗日革命演劇は、我々の革命的文学・芸術の伝統の基本をなしているというのです。

 抗日革命演劇の特性を正しく理解するには、抗日革命文学・芸術の特性をよく知る必要があります。抗日革命演劇の特性は、すなわち抗日革命文学・芸術の特性であるといえます。

 抗日革命文学・芸術は、金日成同志の主体的文芸思想を確固たる指導指針とし、朝鮮革命の路線と方針を創作に立派に具現している主体的で革命的な文学・芸術です。

 主体的文芸思想は、人間本位の哲学的世界観にもとづく新たな文芸学説であり、文学・芸術の建設と創造におけるすべての問題を、人民大衆を基本とし、人民大衆に奉仕する原則で解決していく創作の根本原理を明らかにしています。

 抗日革命文学・芸術は、主体的文芸思想を指導指針とし、人民大衆を革命の主体としておし立て、自主性を実現し、政治的生命を輝かすための人民大衆のたたかいを深く描き出すことによって、人々をして世界の発展と人間の運命の開拓において主人の地位を守り、主人の役割を果たすように教え導きました。抗日革命文学・芸術は、朝鮮革命と朝鮮人民に奉仕することを基本的使命とし、抗日革命闘争の時期にたたかった共産主義者と人民大衆の典型を創造することによって、自主性の実現をめざす朝鮮人民の革命偉業の遂行に大いに寄与しました。まさに、ここに抗日革命文学・芸術の主体的性格があり、抗日革命文学・芸術が我が国の文学・芸術発展の新たな高い段階だとする根拠があるのです。

 抗日革命文学・芸術は、党性、労働者階級性の原則を擁護し、明白に具現している文学・芸術です。

 抗日革命闘争の最も厳しく困難な環境のもとで生まれた抗日革命文学・芸術は、当初から革命の利益、人民大衆の利益の擁護を創作の根本原則とし、人民大衆が金日成同志への限りない忠実性と祖国と人民への熱烈な愛、敵にたいする妥協なき闘争精神とプロレタリア国際主義の精神を高く発揮するよう力強く鼓舞しました。抗日革命文学・芸術においては、朝鮮革命の要求と利益に反するいかなる反革命的要素も絶対に容認せず、帝国主義や搾取階級との妥協を説くさ細な日和見主義的要素も許しませんでした。

 抗日革命文学・芸術は、人民性、大衆性を十分に具現している文学・芸術です。

 文学・芸術作品の人民性、大衆性は、その価値を決める重要な表徴の一つです。文学・芸術作品が有意義で切実な人間問題をとりあげたとしても、だれにも容易に理解され、親近感をいだかせる大衆的な芸術形式で解明されなければ意味がありません。文学・芸術作品は、深奥な思想を、だれもが容易に理解できる人民的で大衆的な芸術形式によって深く解き明かしてこそ、人々の心を打ち、真の価値をもつことができるのです。抗日革命演劇は言うに及ばず、革命歌劇や革命歌謡も素朴かつ簡潔で大衆的な芸術形式によって、自主的人間の運命開拓における根本問題に深奥な解答を与えています。

 抗日革命文学・芸術は、高い思想性と高尚な芸術性が立派に結合した文学・芸術です。

 抗日革命文学・芸術は、当時、朝鮮人民の運命開拓において死活的意義をもつ根本問題であった日本帝国主義を打倒して祖国を解放し、祖国の地に社会主義・共産主義社会を建設するという問題を提起し、その実現のために青春も生命も投げだしてたたかう革命家と人民の姿を通してそれを深く解き明かしています。

 抗日革命文学・芸術の高い思想性は、高尚な芸術性によって裏打ちされています。抗日革命文学・芸術は、民族的・階級的解放をめざす闘争の内容を朝鮮人民の情操と好みにマッチした民族的形式にもりこんで、リアルに生き生きと描き出しています。

 抗日革命闘争の炎のなかで創作された革命演劇や革命歌劇が大きな牽引力をもって観客をドラマの世界に引きこみ、その心を揺さぶるのは、リアルで生き生きとした形象によって生活の本質と闘争の真理を解き明かしているからです。

 抗日革命歌謡が創作されて半世紀が過ぎたこんにちにいたっても深い感動と親近感をいだかせるのは、その革命的な内容とともに、朝鮮人民が好む民族的旋律にもとづいているからです。抗日革命歌謡ほど民族的旋律の豊かな歌はないでしょう。抗日革命文学・芸術こそは、高い思想性が高尚で美しい芸術性によって裏打ちされている真の革命的文学・芸術です。

 抗日革命文学・芸術のいま一つの特性は、創作において戦闘性、機動性、集団性が保障されていることです。

 抗日革命文学・芸術は、居心地のよい書斎や机の上で創作されたのではありません。抗日遊撃隊員は困難な行軍や苛烈な戦闘の合間に歌詞や曲をつくり、宿営地のかがり火で台本を書き、演技の練習もしなければならなかったのです。抗日遊撃隊員にとって、文学・芸術の創作は文字通り一つの戦闘でした。かれらは想像を絶する困難な環境にありながらも、さかんな気迫と創作的情熱にみちて、いつも創作と公演を機動的におこないました。かれらは城市や村、木材所などに巣くつている敵を掃討して、その場で芸術公演をおこなったものです。

 抗日遊撃隊には文学・芸術作品を専門に創作する人がいなかったので、常に集団的に創作しました。抗日革命闘争の時期に創作された多くの文学・芸術作品には、遊撃隊員の衆知がこもっているのです。

 抗日革命闘争の時期に、遊撃隊員が文学・芸術作品を集団的に創作する過程で、戦闘的かつ革命的で共産主義的な創造方法と創作気風が確立されました。抗日革命闘争の時期に高く発揮された抗日遊撃隊式の創造方法と創作気風は、我々の文学・芸術が受け継ぐべき貴重な創作伝統です。抗日革命文学・芸術は、以前のどの時期に創造された文学・芸術にもなかった思想的・理論的財宝と創作実践的財宝を有する文学・芸術でした。

 抗日革命闘争の時期にもたらされた革命的文学・芸術の財宝には、主体的文芸思想と理論、主体的創造体系と創造方法、不朽の名作をはじめ、多くの革命的作品、貴い創作経験と業績が含まれています。抗日革命文学・芸術は、それまでの文学・芸術とは根本的に異なる新時代の文学・芸術がそなえるべきあらゆるすぐれた特質を有しているがゆえに、我々の文学・芸術の栄えある革命伝統になりえたのです。じつに、抗日革命闘争の時期に金日成同志によってきずかれた革命的文学・芸術の伝統は、真の共産主義的文学・芸術の歴史的根源であり、その命脈をつなぐ生命線です。

 抗日革命文学・芸術において重要な位置を占める抗日革命演劇は、我々の演劇芸術の伝統となります。革命的演劇の伝統は、真の共産主義的演劇芸術建設の新しい歴史を開いた起源であり、その発展をたえず促す源泉であり生命線です。革命的演劇芸術の伝統は、社会主義・共産主義的演劇芸術建設の全過程において、その勝利を確固と保障する万年の礎であり、代を継いで継承し輝かしていくべき限りなく貴い財宝です。したがって、我々は、革命的演劇の伝統をあくまで擁護し発展させる活動をひきつづき強力におし進めなければなりません。

 革命的演劇芸術の伝統を擁護し発展させるうえで、金日成同志によって創作された不朽の名作を文学・芸術のさまざまなジャンルに再現することが極めて重要です。

 不朽の名作を文学・芸術のさまざまなジャンルに再現するのは、革命的文学・芸術の伝統を擁護し発展させるうえで我が党が堅持する一貫した方針です。不朽の名作は、革命的演劇芸術の伝統の核心であり、社会主義・共産主義的文学・芸術の手本です。金日成同志の創作した文学・芸術作品が不朽の名作であるのは、人類の思想史において最も高く輝かしい位置を占める偉大なチュチェ思想と、社会主義・共産主義的文学・芸術建設の正しい道を示す主体的文芸思想が立派に具現されているからです。不朽の名作は、人間中心の哲学的世界観にもとづいて世界を見て描き、人民大衆を革命の主人としておし立て、かれらの運命の問題に深奥な解答を与えるチュチェの人間学の手本です。

 不朽の名作は、社会主義的内容と民族的形式が完璧に結合した文学・芸術作品の手本です。不朽の名作は人物の性格と生活を描くにしても、ほかならぬ朝鮮人の真の婆を描き、朝鮮の美しい山河とそこで暮らし、たたかう朝鮮人民の生活を描き出しました。

 思想的内容と芸術的形象において労働者階級の革命的文学・芸術の高い境地に達した不朽の名作は、文学・芸術の宝庫に特出した寄与をなした朝鮮人民の貴重な革命的財宝です。不朽の名作があるがゆえに、我々の文学・芸術の革命伝統があり、我々の革命的文学・芸術の伝統がかくも輝かしく誇らしいものになっているのです。じつに、金日成同志がみずから創作した不朽の名作を有していることは、朝鮮人民の光栄であり幸せです。我々は、不朽の名作を文学・芸術のさまざまなジャンルに再現する方法で文学・芸術革命を遂行する原則を堅持してきました。これまでの経験は、不朽の名作を文学・芸術のさまざまなジャンルに再現する作業に力を入れてこそ、革命的文学・芸術の伝統を立派に継承し発展させることも、文学・芸術革命を成功裏に遂行することもできることを示しています。

 演劇革命も古典的名作『城隍堂』を時代の要請に即応して再現することからはじめたので立派に遂行され、我々の演劇芸術がこんにちのような全盛期を迎えることができたのです。

 原作に忠実であることは、不朽の名作を再現するうえで守るべき根本原則です。不朽の名作の再現にあたって原作に不忠実で、スケールのみを大きくするのは、原作の古典的意義を無視するのと変わりありません。

 不朽の名作を『城隍堂』式演劇にしたものは、みな原作に忠実に再現されています。国立演劇団では、革命演劇『城隍堂』の再現を皮切りに、『血噴万国会議』『娘からの手紙』『三人一党』『慶祝大会』など、いずれも原作に忠実でありながらも思想を明白かつ簡潔に形象化しました。特に不朽の名作を演劇として再現するうえで、原作に忠実でありながらも思想的内容を掘り下げ、それぞれの作品のジャンルの特性を十分に生かしています。原作の種子(チョンジャ)に即して思想的内容を掘り下げながら、ジャンルの特性が生きるように創造し直すところに、不朽の名作を再現する創作家の正しい姿勢があるのです。

 不朽の名作を原作に忠実に再現するには、それに反映されている社会的・歴史的環境を深く研究するとともに、人物の衣装や小道具も十分に考証しなければなりません。

 我々は不朽の名作を『城隍堂』式演劇として上演するとき、それがいつどんな目的で創作され、それに反映されている社会的・歴史的環境はどのようなものであったか、人物の性格で見逃してはならないものはなにかといったことについて、各面から掘り下げて研究させました。不朽の名作『血の海』の映画化にとりかかったとき、創作家たちは原作に反映されている社会的・歴史的環境と主人公の性格を深く研究しなかったため、オモニ(母)の性格発展の過程を描くにあたって、原作の要求を十分に具現することができませんでした。それで原作に示されているように、オモニが息子と娘から教えられるばかりでなく、みずから革命の試練を乗り越えていく過程と、遊撃隊の工作員から革命的な影響を受ける過程を十分に描くようにしました。そして、オモニの性格を際立たせるために彼女が遊撃隊に入隊するというように描かれていたのを、原作どおりに人民を立ち上がらせて遊撃隊とともに武装蜂起を起こすというようにしました。こうして革命映画『血の海』は、原作の高い思想性・芸術性を遜色なく再現することができたのです。

 革命演劇『血噴万国会議』をつくるとき、最初は主人公李儁の性格を、あたかも共産主義的革命家でもあるかのように誇張していましたが、それは創作家、芸術家が当時の社会的・歴史的環境と人物の性格を深く研究しなかったことに起因します。

 不朽の名作を文学・芸術のさまざまなジャンルに再現するときには、人物の衣装や小道具を一つ選ぶにしても、当時の環境や生活風習に合っているかどうかを具体的に検討し、それにふさわしいものを選ぶべきです。そうしてこそ、不朽の名作の高い思想性・芸術性をいささかの遜色もなく生かし、その認識的・教育的価値を高めることができるのです。不朽の名作『ある自衛団員の運命』の映画化にあたって、主人公が山へ行くときにかつぐ背負い袋を一つ準備することまで細心の注意を払い、小道具の問題を正しく解決したことは、その好例といえます。

 不朽の名作を発掘、考証して文学・芸術のさまざまなジャンルに再現することは、金日成同志の革命活動史と不滅の業績を万代に伝える聖なる事業です。したがって、作家、芸術家は、不朽の名作を発掘、考証して、演劇や映画、小説など文学・芸術のさまざまなジャンルに再現する作業を責任をもっておこなうべきです。

 演劇芸術部門で五大革命演劇を創造する過程で積んだ豊富な経験は、今後、不朽の名作を舞台に再現するうえで貴重な資産となるでしょう。

 革命的演劇の伝統を擁護し、不朽の名作を万代に伝えるためには、再現ずみの革命演劇の公演をつづけなければなりません。

 不朽の名作を演劇や歌劇に再現し、数年後に公演を中断するなら、10年後、20年後に生まれ育つ新しい世代は、我が国にどんな不朽の名作があったのかさえわからなくなるでしょう。不朽の名作を文学・芸術のさまざまなジャンルに再現するのは、それを万代に伝えるのが目的なのですから、何年かで中断することなく、100年でも200年でもつづけて公演すべきです。そうすれば、いま10代の学生少年が10年後20代の青年になって名作を観るなら、10代のときとは違った視角から観ることになるでしょう。名作は観れば観るほど観たくなり、思索を深めさせるものです。

 文学・芸術部門では、『花を売る乙女』『血の海』『城隍堂』など不朽の名作を再現した映画と演劇、歌劇を代を継いで上映し公演することによって、金日成同志の不滅の業績を万代に輝かさなければなりません。

出典:金正日選集 9巻

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