金正日「演劇芸術について」−1 演劇革命 

1−3 『城隍堂』式演劇は、新しい形式の演劇


 『城隍堂』式演劇は、主体的文芸思想にもとづいて成功裏に遂行された演劇革命の貴い結実です。

 『城隍堂』式演劇の創造は、社会主義・共産主義的演劇芸術の発展に歴史的な転換をもたらした誇らしい成果です。『城隍堂』式演劇は、社会主義・共産主義的演劇芸術をどの方向にいかに発展させるべきかを実践的に示す手本です。

 『城隍堂』式演劇は、チュチェ思想の要求どおり人民大衆を前面におし立て、人民大衆に奉仕する共産主義的人間学の要求を十分に具現しています。

 他の芸術と同じく、演劇の社会的性格と価値を評価する基本的な尺度は人民大衆にたいする態度です。人民大衆をどの地位におき、その自主的要求と志向をいかに反映し、かれらに生きる道をどれほど正しく示し、かれらの好みと情操にかなった形式をととのえるかどうかによって、演劇の社会的性格と価値が決まるのです。劇場の舞台に労働者階級の演劇が登場する前にも、人民大衆の生活と志向を反映した進歩的な演劇は存在しましたが、そのような演劇は歴史的・階級的制約のため、人民大衆の地位と役割を正しく描き出すことができませんでした。そういった演劇では、人民大衆を描く場合も、かれらをたんなる歴史の対象として、搾取と抑圧にさいなまれる受難者として形象化したにすぎません。しかし、労働者階級の革命的進出とともに出現した社会主義的演劇は、労働者階級の世界観にもとづき、これまで歴史の対象として、受難者として扱われてきた人民大衆を歴史の主人として、有力な存在としておし立て、その革命的志向と要求を反映し、かれらを革命闘争に立ち上がらせるのに大きく寄与しました。これは疑う余地もなく、労働者階級の演劇芸術の発展において社会主義的演劇がおさめた重要な成果でした。

 演劇を真に時代の要請にそったものにするには、革命と建設における人民大衆の主人としての地位と決定的な役割を相応の高さで描き出さなければなりません。同時に演劇は、社会的・歴史的運動が人民大衆の自主的で創造的な運動であり、革命と建設において人民大衆の自主的な思想・意識が決定的な役割を果たすという真理をはっきりと示さなければなりません。まさに『城隍堂』式演劇は、この偉大な真理を芸術的に深く解明しています。

 革命演劇『城隍堂』は風刺劇ですが、従来の風刺劇とは違って否定的人物とともに肯定的人物を登場させ、かれら相互間のたたかいのなかで肯定的人物が古い思想の束縛から抜けだし、この世で最も強力で尊厳ある存在に、自己の運命の主人は自分自身であり、自己の運命を切り開く力も自分自身にあるという真理を体得した自主的な人間に成長する姿を示すことに焦点がおかれています。

 革命演劇『城隍堂』の革新的成果は、「神様」や「鬼神」、仏といったある種の神霊的存在が世界の主人、支配者であるのではなく、自主的な思想・意識をもった人民大衆が世界の真の主人であり、唯一の支配者であるというチュチェの真理を芸術的に深く解明したところにあります。

 『城隍堂』式演劇が人民大衆をおし立てているからといって、すべての演劇が必ずしも労働者、農民を主人公に設定すべきだというのではありません。演劇で人民大衆をおし立てるというのは、革命と建設における人民大衆の主人としての地位と決定的な役割を解明するということを意味します。つまり労働者、農民を形象化の中心にすえなくても、世界における人民大衆の地位と役割が解明されればそれでよいのです。

 革命演劇『血噴万国会議』の主人公李儁(リジュン)は両班(リャンパン)出身の官吏です。しかし演劇は、史実を通じて外部勢力への依存は亡国の道であり、ただ自国人民の力を信じ、それに依拠してのみ、日本帝国主義者に奪われた祖国を取りもどすことができるという真理を明らかにしています。

 人民大衆の自主的な思想・意識が革命と建設において決定的な役割を果たすという真理を明らかにしたところに、『城隍堂』式演劇の革新的意義があるのです。

 『城隍堂』式演劇は、形式においてもチュチェ思想の要求を具現した真の人民的な演劇です。

 演劇が人民大衆に真に奉仕するには、その形式も人民大衆の要求にかなったものにしなければなりません。まさに『城隍堂』式演劇は、我々の時代の人民の志向と要求にそって形式上の問題を立派に解決しました。『城隍堂』式演劇の形式は、真の生活的な形式だといえます。生活は演劇に内容をもたらし、内容はそれに合った形式を求めます。真の演劇の特徴は、内容と形式の完璧な統一にあります。生活の要求に合わない演劇の形式は、いくら魅力があっても好ましいものとはいえません。生活の要求にかなった芸術形式であってこそ、すぐれたものだといえるのです。人々が『城隍堂』式演劇を観るとき、現実の生活を見るようにリアルに感じるのも、その形式が生活の要求にかなっているからです。生活をリアルに描く形式がほかならぬ『城隍堂』式演劇の形式なのです。

 『城隍堂』式演劇形式の特徴は、その構成に明白にあらわれています。

 『城隍堂』式演劇は、紋切り型の構成の枠に生活の内容をはめこむのではなく、生活の内容に応じて場面を設定し、総体的な構成を組み立てるべきであるとして、新しい多場面構成形式を取り入れました。多場面構成形式は、ドラマの進展にともない人物の性格と生活の論理に即して、一つの場面のなかでも時間と場所を随時変えて、画幅を多様で幅広いものにし、生活の流れも中断することなくそのまま再現できるようにします。多場面構成形式は、生活をごく自然に描き出しながらも、それを簡潔に集約して調和のとれた統一をもたらし、限られた時間と場所でさまざまな生活を見せることができます。

 『城隍堂』式演劇形式の特徴は、舞台美術にもあらわれています。

 『城隍堂』式演劇の舞台美術は、新しい流れ式の立体舞台美術です。

 流れ式の立体舞台美術は、ドラマの進展にともなって装置と背景をたえず変えて生活をリアルに生き生きと、幅広く掘りさげて描き出すことができます。実際に革命演劇『城隍堂』の舞台美術は、暗雲を押し分けて太陽がまばゆい光を放ち、題名が昇ってくる序場にはじまり、立石(ソンドル)村の全景とトウモロコシ畑がある村はずれ、福順(ボクスン)の家と地主の家の庭、村道と区長の家の庭、水車小屋と城隍堂にいたるまで、各場面をたえまない流れのなかで、あたかも映画の画面のように見せており、次々と流れていく装置と背景の多様な変化を通じて、生活をいろいろと描き出しています。『城隍堂』式演劇を観て、現実の生活に接しているような真実みを感じるのは、舞台美術のこうした役割とも関連しています。流れ式の立体舞台美術は、人物が暮らしている社会的・歴史的条件と自然地理的条件、時代の雰囲気や民族的な生活風習を描き出すと同時に、人物の内面世界も表出し、かれの成長の過程も造形的に裏打ちします。

 流れ式の立体舞台美術は、演劇の感情の線をたえず一貫させながら観客をドラマの世界に深く引きこみ、かれらの情操的感興を高めます。『城隍堂』式演劇では、暗転や幕下ろしをせずに各場面を流れ式に転換させてストーリーを次々と展開していくので、感情の線を持続的につないでいくことができ、観客の情操的感興をひきつづき高めていくことができます。

 音楽を取り入れたのも『城隍堂』式演劇形式の重要な特徴です。

 『城隍堂』式演劇で、音楽は切り離すことのできない必須の構成要素です。『城隍堂』式演劇では、長きにわたって形成されてきた朝鮮人民の民族的特性と我々の時代の新たな要請に即して音楽を取り入れており、それが思想的内容を際立たせ、芸術的形象を生かすのに積極的に利用されています。

 『城隍堂』式演劇では、音楽がせりふとともに重要な表現手段の一つとなっています。音楽は人物の多様な思想・感情をあらわし、ドラマの進行を促し、俳優の演技を自然なものにし、場面を情緒的に転換させるのに大きな働きをします。『城隍堂』式演劇は、音楽を取り入れることによって情緒豊かなものとなり、感化力がさらに強まり、舞台総合芸術としての面貌もいっそうととのうようになりました。

 『城隍堂』式演劇では、形式をなす各要素の形象的可能性を最大限に利用して劇的な描写を生かしています。

 新しい多場面構成形式と流れ式の立体舞台美術、特色のある音楽は、いずれも主人公をはじめ、人物の性格創造にくりこまれて一つの調和をなし、全一的な『城隍堂』式演劇の形式をなしています。この形式は、人間をリアルに描き、その生活を生き生きと見せ、我々の時代に生きる人民の美感にかなった新しく独創的な形式だといえます。

 この世に演劇というものがあらわれてから長い歳月が流れましたが、『城隍堂』式演劇のように時代と生活が切り離しがたく密着し、人民大衆の要求が見事に反映された演劇は過去にはありませんでした。『城隍堂』式演劇は新しい時代、新しい生活の要求にふさわしく内容と形式において新しい面貌をととのえた新しい形式の演劇です。

 『城隍堂』式演劇は、朝鮮人民の思想・文化生活と社会主義・共産主義的文学・芸術の建設に大きな影響を及ぼしています。『城隍堂』式演劇は、いま人民のあいだで大きな共感を呼んでおり、社会主義・共産主義的文学・芸術の建設を力強く促しています。

 『城隍堂』式演劇は、新しい時代の要請と朝鮮人民の志向にかなった高い思想性・芸術性ゆえに、社会の全構成員をチュチェ型の共産主義的革命家に育て、社会をチュチェ思想の要求どおり改造するうえで強力な思想的武器となっています。

 『城隍堂』式演劇は我々の時代の人民に、人間は世界と自己の運命の主人であり、世界の改造と自己の運命の開拓において決定的な役割を果たすというチュチェの観点を植えつけ、自主的に、創造的に生活し、働き、たたかう真の生き方を教えています。こうして『城隍堂』式演劇は、人々があらゆる古い思想の束縛から抜けだして、革命と建設の主人であるという高い自覚をもち、主人としての責任と役割をまっとうするよう教育するのに寄与しています。『城隍堂』式演劇は、人々に真の生き方を教える生活の教科書、かれらを新しい社会、新しい生活の創造に立ち上がらせる闘争の武器となっています。

 『城隍堂』式演劇の出現は、社会主義・共産主義的文学・芸術の建設をめざすたたかいにおいて、『血の海』式歌劇とともに新たな里程標となっています。社会主義・共産主義的文学・芸術建設の過程は、文学・芸術そのものをチュチェ思想の要求どおり労働者階級の姿に変えていく過程です。チュチェ思想の旗のもとに我々が遂行している文学・芸術革命は、ほかならぬ社会主義・共産主義的文学・芸術を建設する事業です。『城隍堂』式演劇は、映画革命にはじまった我々の文学・芸術革命を新たな高い段階に発展させるうえで画期的な意義をもっています。

 『城隍堂』式演劇はその内容と形式において、我々の時代の文学・芸術がそなえるべき真の姿を明らかにしています。『城隍堂』式演劇は、社会主義・共産主義的文学・芸術の性格と使命、それにもとづく内容と形式の本質的な特性を明らかにしています。こうして我々の時代の作家、芸術家は実践的手本をもって、社会主義・共産主義的文学・芸術の建設を成功裏に進められるようになりました。『城隍堂』式演劇が、社会主義・共産主義的文学・芸術の発展に寄与した歴史的な功績は、まさにここにあるのです。

出典:金正日選集 9巻

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