金正日「演劇芸術について」−1 演劇革命 

1−2 朝鮮式の新しい演劇を創造する闘争


 朝鮮式の新しい演劇の創造をめざす演劇革命の過程は、決して平坦なものではありませんでした。演劇革命は内容と形式、創造システムと方法の各領域で古いものを一掃し、新しいものを創造する闘争だったので、その過程では最初から困難かつ複雑な問題が多々提起されました。演劇革命は、我々がはじめて試みたことなので、他人の援助を得ることも、既存の文芸理論を参考にすることもできませんでした。我々はもっぱら主体的立場にしっかり立ち、演劇革命におけるすべての問題を独自の信念と判断にもとづいて、我々の方式で一つひとつ解決していかなければなりませんでした。

 演劇芸術部門の作家、芸術家は、党の指導があるかぎり不可能なことはないという必勝の信念をいだいて立ちはだかる難関を乗り越え、いささかも動揺することなく演劇革命を強力におし進め、時代の要請と人民の志向にかなった五大革命演劇を創造しました。

 我が国の演劇革命は、演劇芸術部門でブルジョア思想、封建思想、修正主義、事大主義、教条主義などあらゆる反動的で異質的な思想を一掃し、主体性を確立する闘争のなかで遂行されました。

 我々が演劇革命に着手した当初は、演劇芸術部門にブルジョア思想、封建思想、修正主義、事大主義、教条主義などの思想が少なからず残っていました。演劇芸術部門の一部の作家、芸術家は、演劇にたいする古い思考方式と方法に固執していたため、党性、労働者階級性、人民性が十分に具現され、政策的筋金の通った演劇作品をさほどつくりだすことができませんでした。演劇芸術部門では、特にヨーロッパの演劇にたいする事大主義が濃厚でした。少なからぬ演劇芸術家が、演劇といえば当然、ヨーロッパ式につくらなければならないものと思いこみ、外国の演劇をあがめていました。

 ブルジョア思想、封建思想、修正主義、事大主義、教条主義などの思想は、作家、芸術家の演劇にたいする観点と立場のみならず、創作と生活の面にもさまざまにあらわれていました。かつて、国立演劇団には分派的行動をする人がいるかと思うと、自分の演技が奇形化の様相を呈しているのも知らず、演技においては自分の右に出る者がいないかのように考えて、高慢になっている人もいました。また一部の作家、芸術家のあいだには、先輩だの後輩だのといって徒弟関係をつくって欠陥をかばいあい、おだてるといった無原則な行為もあらわれました。演劇芸術部門の作家、芸術家のあいだに残っているブルジョア思想、封建思想、修正主義、事大主義、教条主義などの古い思想を一掃せずには、すぐれた演劇をつくりだすことができませんでした。

 演劇革命の直接の担い手は演劇芸術部門の作家、芸術家であり、演劇革命を成功裏に遂行する力もほかならぬかれら自身にあります。他のすべての革命闘争と同じように、演劇革命もその直接の担い手である演劇芸術部門の作家、芸術家が主人としての態度と創造的立場を持し、かれら自身が演劇革命の必然性を正しく認識し、高い革命的熱意と創造的積極性を発揮するときにのみ、成功裏に遂行されるのです。

 我々は、演劇芸術部門の作家、芸術家のあいだに残っている古い思想を一掃し、演劇創造において主体性を確立するたたかいを、党の唯一思想体系を確立し、かれらを革命化、労働者階級化するたたかいと密接に結びつけて進めました。演劇芸術部門の作家、芸術家のあいだに党の唯一思想体系をうち立てるうえで基本となるのは、金日成同志のチュチェ思想と主体的文芸理論で武装させることです。チュチェ思想は、革命と建設の最も正確な指導思想であり、我々のすべての活動で堅持すべき確固不動の指針です。党の主体的文芸思想と理論は、社会主義・共産主義的文学・芸術の建設と創造の正しい道を示す灯台であり、すべての創作実践上の問題に全面的な解答を与える正しい思想と理論です。我々は、我が党のチュチェ思想と文芸方針で作家、芸術家を武装させることを第一の課題として力強くおし進めました。1972年11月初の国立演劇団の作家、芸術家の会議は、演劇芸術部門の作家、芸術家のあいだに党の唯一思想体系をうち立て、かれらが党の文芸方針を確固たる信念とし、無条件実行するようにさせるうえで重要な意義をもちました。

 作家、芸術家を我が党のチュチェ思想と主体的文芸理論で武装させることは、地道な教育とともに、新しい革命演劇の創造をめざす実践闘争のなかでのみ成功裏に遂行することができました。

 我々は演劇革命を準備するにあたって、金日成同志の主体的文芸思想とその具現である党の文芸方針、特には映画革命、歌劇革命の過程で新たに示した党の独創的な文芸理論と演劇革命方針で作家、芸術家を武装させ、それを創作実践に立派に具現するようにさせました。同時に、創作の過程を作家、芸術家の革命化、労働者階級化の過程にするという党の方針を実行する活動をさらに力強くおし進めました。

 こうした過程で、演劇芸術部門の作家、芸術家のあいだに党の唯一思想体系が確立され、古い思想の影響が基本的に克服され、革命化、労働者階級化の過程がいっそう促進され、創作と生活のすべての分野で主体性が確立されました。

 時代の要請と人民の志向にかなった五大革命演劇は、作家、芸術家のあいだに残っているブルジョア思想、封建思想、修正主義、事大主義、教条主義などいっさいの古い思想を一掃し、かれらのあいだに党の唯一思想体系をうち立て、演劇創作において主体性を確立する過程で得た貴い結実です。

 この経験は、他のすべての活動と同じように演劇革命も、作家、芸術家が古い思想を一掃してチュチェの美学観で武装し、みずからを革命化、労働者階級化してこそ成功裏に遂行できることを示しています。

 演劇革命は演劇創造においていっさいの古い枠をうちこわし、新しい革命演劇を創造するたたかいでした。

 演劇での古い枠は根が深く、範囲も広いものでした。演劇は歴史が長いだけに、古い枠も長い歳月にわたって凝り固まり、その影響は戯曲や演出、舞台美術など演劇芸術のすべての分野に及んでいました。

 演劇革命に着手したとき、我が国の演劇にも古い枠はさまざまな形であらわれていました。少なからぬ劇作家は、戯曲の創作に人間学的要求を具現するよりも、ある種の劇的な事件に魅力を感じて事件劇をつくったり、葛藤がなくても十分描き出せる社会主義の現実を扱った作品にまで人為的に葛藤を設定して、ドラマのためのドラマをつくっていました。戯曲そのものがこういったありさまなので、演劇が朝鮮人民の革命闘争と建設事業で切実に解答が待たれている有意義な問題をとりあげることができず、人間生活の深層を描き出せなかったばかりか、人々に生活の真理を悟らせる認識的・教育的役割も十分に果たすことができませんでした。

 我々は、戯曲の古い枠をうちこわすことから演劇革命をはじめました。

 戯曲から古い枠をうちこわすため、抗日革命闘争の時期、金日成同志がみずから創作した不朽の名作、革命演劇を我々の時代の要請に即応して再現することにしました。

 不朽の名作はチュチェの人間学の真の手本です。革命演劇『城隍堂』は一見、迷信の打破がテーマの作品のように思えますが、たんに迷信を信じてはならないという思想のみを強調しているのではありません。これは、人間の運命は、「神様」や「神霊」によって左右されるのではなく、人間自身によって切り開かれ、決まるものであり、したがって、この世に信じるべきものは自分自身の力以外にはないという、自主的人間の運命の問題を強調しているのです。革命演劇『娘からの手紙』にしても、たんに学ばなくてはならないという思想のみを強調しているのでなく、だれであれ無知ならば自主的な人間としての尊厳を守ることができず、世界の主人としての創造的役割を果たすこともできないという思想を強く訴えているのです。

 不朽の名作、革命演劇は、せりふの使い方においてもチュチェの人間学的要求を十分に具現しています。演劇革命を起こす前に創作された演劇のせりふをみると、人々が日常的に使う言葉よりも、人為的につくりだした舞台言葉のほうが多く使われていました。それで、人々が日常的に使う言葉のように、生活的でありながらも哲学的な深みがあり、芸術的に洗練されたせりふが駆使されている不朽の名作を上演して、作家がその模範を見習うようにしたのです。

 我々は不朽の名作を再現する方法で、我が国の戯曲を従来の事件本位の文学から人間本位の文学、チュチェの人間学の要求を具現した真の文学にかえました。演劇革命でおさめた大きな成果の一つは、まさにここにあるといえます。

 演劇革命を遂行する過程は、演出と演技の面で古い枠をうちこわし、朝鮮式の新しい演出体系と演技体系を確立する過程でした。

 演劇革命に着手した当初、一部の演出家は、演出第一主義を標榜して集団内に家父長的な徒弟関係をつくりあげ、独断と専横をほしいままにしていた古いしきたりを一掃していませんでした。演出家が演出第一主義の古い観念から脱却していなかったので、集団内に健全な創作気風と気高い共産主義的創造倫理がうち立てられないばかりか、演出においても真の人間学の要求が具現されるはずがありませんでした。

 我々は演劇芸術部門で、創作団の司令官としての演出家の役割を高めました。特に、家父長的で官僚主義的な演出体系をうちこわし、芸術創造と思想教育をともに掌握していく朝鮮式の新しい演出体系の確立に深い関心をはらいました。こうした過程で、演劇創造における演出家の地位と役割は以前と根本的にかわり、演出分野で朝鮮式の新たな形象化の原則と表現方法がつくりだされました。

 俳優の演技で古い枠をうちこわし、朝鮮式の新たな俳優演技体系を確立するのも同じでした。演劇では俳優の位置が極めて重要であるため、我々は映画芸術と同じく演劇芸術を俳優の芸術として位置づけ、俳優は演劇の顔であるとしたのです。しかし、演劇革命をはじめたときにしても、俳優の演技体系と方法には古い粋が多分に残っていました。俳優の演技を見ると、格式ばっていて誇張が甚だしく、矯飾と奇形的なものが少なくありませんでした。一言でいって、俳優の演技が新派じみていました。既成の枠組みに性格と生活をはめこみ、演技を誇張したり奇形化する形式主義的で自然主義的な新派演技は、結局、演技において生活をねじまげ、人間を奇形化する結果を招きました。こうした古い枠をうちこわさずには、演劇の運命にかかわる問題を解決することができませんでした。我々は図式と誇張、矯飾と奇形化を助長する形式主義的で自然主義的な古い演技体系を根本的に革新することに火を点じ、思想戦を強力に展開しました。

 同時に、俳優が舞台で実際の人物が活動するがごとく演技をする方針を示し、それを実行させ、「有機的自然の潜在意識的な創造」を云々し、俳優の思想・意識にもとづく意識的な演技の創造を否認する誤った理論に打撃を加え、既に『映画芸術論』で示した、人物像の創造において決定的な役割を果たすのは俳優の世界観であるという理論が十分具現されるようにしました。演劇芸術部門ではこのような過程で、俳優の演技が現実に実際の人物が息づき活動しているかのように自然で生き生きとし、リアルなものとなり、俳優の世界観にもとづく朝鮮式の新たな演技体系が確立されました。

 我々は演劇革命にあたって、従来の古い舞台美術の枠をうちこわし、舞台を流れ式の立体舞台に切りかえ、音楽を取り入れて人物の内面世界をいっそう生かし、ドラマの進展を力強く促すようにしました。

 演劇革命を通じて、戯曲と演出、演技、美術、音楽など演劇創造のすべての領域で長いあいだ受け継がれてきた古い創造システムと方法をためらうことなくうちこわし、チュチェ時代の要請に即応した朝鮮式の新しい創造システムと方法がうち立てられ、我が国の演劇芸術は面目を一新しました。

 困難かつ複雑な演劇革命を短期間に成功裏に遂行することができたのは、新しい演劇理論と切り離して考えることはできません。

 我々は、既に映画革命、歌劇革命の過程で新たに示した文芸理論を演劇革命に具現して、演劇の創造で提起される切実な理論的・実践的問題を解決していく過程で、従来の演劇理論とは全く異なる朝鮮式の新しい演劇理論を得ることができました。

 金日成同志の主体的文芸思想にもとづいて新たに示した党の演劇創造に関する理論は、不朽の名作『城隍堂』をはじめ、五大革命演劇をこんにちの現実に即して再現する過程で立派に具現されました。

 革命演劇『城隍堂』は、我が党が示した革命的演劇創造に関する主体的文芸理論と方針が立派に具現された最初の作品だといえます。我々は、不朽の名作『城隍堂』を再現して上演することにより、かつての演劇とは全く異なる朝鮮式の新しい演劇をもつことになり、長い来歴をもつ従来の古い演劇に終止符を打ち、演劇の新時代を迎えました。このときから、我が国の演劇は、時代の要請と人民の志向にかなった芸術として発展することになり、我々の時代の労働者階級の演劇芸術を新たな高い段階に発展させるうえで転換がもたらされました。これについて、我々は当然、大きな誇りと自負をいだくべきです。

 演劇芸術部門の作家、芸術家は、演劇革命で達成した成果を強固にし、『城隍堂』式演劇に具現された朝鮮式の創造理論を固守し、さらに輝かしていくべきです。

出典:金正日選集 9巻

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