金正日「演劇芸術について」−1 演劇革命 

1−1 演劇革命は、時代と芸術発展の要請


 演劇革命は、時代の要請に即応した新しい革命的演劇を創造するたたかいです。

 演劇革命を起こすのは、時代の要請と演劇の運命にかかわる重要な問題です。

 文学と芸術は時代の産物であり、時代の発展にともなってたえず変化、発展します。これは文学・芸術発展の合法則的過程です。かつて抑圧され、さげすまれていた人民大衆が世界と自己の運命の主人として登場した歴史の新時代は、かれらが自主的、創造的に世界を改造し、自己の運命を切り開き、民族解放、階級解放、人間解放の歴史的偉業を実現するのに積極的に寄与する新しい文学・芸術を求めます。しかし、我々が演劇革命を起こすときまで、演劇芸術は時代の要請と人民の志向におくれをとっていました。時代の要請と人民の志向に合わない演劇芸術は、必然的にそれを思いきって変革することを求めます。

 演劇は、長い歴史をもつ芸術ジャンルの一つです。人類文化の発展とともに発生した演劇は、多くの曲折を経ながらも、たえまない発展の道を歩んできました。こうした演劇が現代にいたってそれ以上発展せず、深刻な危機に直面することになりました。演劇芸術が現代にいたって深刻な危機に陥ったのは、映画の普及とテレビの出現とも関連していますが、それはあくまでも客観的な条件にすぎません。演劇芸術が現代にいたって沈滞するようになったのは、それ自体に原因があったのです。

 時代は発展しているのに、演劇芸術は依然として従来の古い枠から抜け出せませんでした。搾取社会の演劇は、そのほとんどが封建帝王の宮中生活や貴族の愛情秘話、もしくはブルジョアジーの奢侈で放蕩な生活を描いた作品でした。もちろん、かつての演劇のなかにも、人間生活の気高く美しいものを賛美し、社会悪と不義を告発し、生活の真理を解き明かすものがあるにはありました。しかし、そういった演劇作品もさまざまな社会的・歴史的制約と作家自身の世界観の制約のため、矛盾にみちた搾取社会の本質をするどくえぐりだし、人民の進むべき道を正しく示すことができませんでした。演劇芸術は、19世紀末期から20世紀初期にかけて商業劇場が興行しはじめ、金もうけに熱をあげるようになってから、ますます商品化され反動化しました。腐りきったブルジョア演劇芸術に反対して台頭したのが、労働者階級の演劇でした。

 従来の労働者階級の演劇は、その内容において革命的でした。従来の労働者階級の演劇は、搾取制度をくつがえし、社会主義・共産主義社会を建設する人民大衆の革命闘争と創造的生活を基本にして描き出しました。これは、演劇芸術を時代の要請と人民の志向に即応して発展させるうえで一大変革といえるものでした。

 しかし、従来の労働者階級の演劇もチュチェ時代の要請に照らしてみると、少なからぬ制約を内包していました。

 我々の時代の人民大衆は、演劇に世界の主人として登場した自主的な新しい人間の典型を創造し、自然と社会と人間を人間本来の要求にそって改造する自分たちの創造的生活を描くことを求めています。ところが、従来の労働者階級の演劇は、人民大衆を歴史の主人としてドラマの中心にすえはしたものの、自主性のためのかれらの誇らしい闘争と生活を描き出すことができず、自主的な人間の運命の問題に明確な解答を与えることができませんでした。そのうえ従来の労働者階級の演劇は、その形式において従来の演劇の古い粋から抜け出せませんでした。

 解放後の我が国の演劇芸術も思想的内容は革命的なものでしたが、演出と演技システム、舞台形式と形象化の方法においては古い枠を打破することができませんでした。したがって、当時の演劇は人民の情操と美感に合うはずがありませんでした。人民の情操と美感に合わない演劇は人民に愛されず、しだいに人民に敬遠されるものです。

 そうして、ひところ一部の人のあいだでは、演劇は陳腐で時代おくれになってしまったのだから必要なしとし、演劇団の存廃が論じられるまでになりました。演劇芸術が時代におくれをとっているからといって、演劇そのものを無視してはなりません。

 演劇は、長い歴史をもつ芸術ジャンルの一つであり、人々を思想的、情操的に教育する立派な手段です。演劇ほど人々の生活に近づき、人々に親しまれている芸術はありません。朝鮮人民は演劇を非常に好みます。人民が好む演劇は、奨励しさらに発展させるべきであって、なくしてはなりません。一部の人は、いまは映画やテレビが普及しているので、演劇を創造しても観客を集めるのはむずかしいと言っていますが、それは間違った考えです。演劇には、映画やテレビがとってかわることのできない固有な特性があります。いくら映画芸術が発展し、テレビが普及したとしても、それらは決して演劇にとってかわることはできません。演劇は、劇場で俳優とじかに感応しながら観るので、実際の生活を見るように実感がわくものです。しかし、テレビで放映される演劇は演劇の味がなく、その情操的感化力も劣ります。演劇は舞台芸術なのですから劇場で観てこそ、その味がわかり、面白みもあるのです。それで不朽の名作、革命演劇『城隍堂』を我々の方式で新たに再現して上演したあと、一部の幹部が早くテレビで放映して演劇革命の成果を広く宣伝すべきだと主張したとき、それを差し止めたのです。映画やテレビが人民に親しまれているからといって、演劇そのものを捨ててはなりません。我々は演劇革命を起こして沈滞状態にある演劇を救い、新時代の要請にそって発展させなければならなかったのです。

 演劇革命を起こすのは、文学・芸術革命を完成するための必須の要求でした。

 文学・芸術革命は、ある芸術部門や1・2の文学・芸術ジャンルを変革するだけで完成するものではありません。文学・芸術革命は、文学をはじめ映画、演劇、歌劇、音楽、舞踊、美術、サーカスなど文学・芸術のすべての部門であらゆる古いものを捨てさり、時代の要請と人民の志向にかなった新しいものを創造することによってのみ、成功裏に遂行されるのです。

 我が党は革命闘争と建設事業における文学・芸術の位置と役割を分析し、それにもとづいて大衆教育の最も強力な手段である映画芸術部門から革命を起こし、ついで古い粋が最も多く残っていた歌劇芸術部門で革命を起こすことにしました。そうして映画芸術部門と歌劇芸術部門では、1960年代末から1970年代初にかけて不朽の名作『血の海』と『ある自衛団員の運命』『花を売る乙女』を映画と歌劇にする過程を通じて、映画革命、歌劇革命を立派に遂行しました。我々は、映画革命と歌劇革命で得た成果と経験にもとづき、演劇芸術部門にも転換をもたらすことを決心し、1970年代の初めに演劇革命を起こす方針をうちだして本格的に進めました。

 演劇革命を強力に推進した結果、全般的な文学・芸術革命を完成するうえで画期的な転換がもたらされました。

 演劇革命を成功裏に遂行し、時代の要請と人民の志向にかなった演劇の立派な手本を創造することによって、人民の革命的教育に寄与したのは言うまでもなく、世界の演劇界にも大きな波紋を投じ、将来、北南間の文化交流や祖国の統一が実現すれば南朝鮮へ行って、従来の古い演劇しか観たことのない南朝鮮の人民に、我々の主体的で革命的な演劇を見せることができるようになりました。

出典:金正日選集 9巻

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