金 正 日

宣伝活動家は政策的筋金を通して着実に活動すべきである
朝鮮労働党中央委員会宣伝部の責任幹部会議でおこなった演説
-1987年12月15日-


 宣伝部は我が党の思想活動を担当する重要な部署です。 党員と勤労者を真のチュチェ型の共産主義的革命家に育て、 かれらに革命闘争と建設事業で革命的熱意と創造的積極性を高く発揮させるためには、 宣伝部がその任務と役割を円滑に遂行しなければなりません。 それで私は機会あるたびに、 宣伝部の活動を現実発展の要請に即応してたえず改善、 強化することを強調してきました。 しかし、 いまなお宣伝部の活動では本質的な欠陥が是正されておらず、 部署の活動が党の意図どおり相応の水準で行われていません。

  宣伝部の活動家は思想活動にたずさわる活動家であるので、 だれよりも政治的に鋭く厳しくなくてはならず、 闘争力も強くなければなりません。 いま宣伝部の一部の活動家には、すべての問題を善意に解釈し、 闘争するのをいとう傾向がみられます。 宣伝部の活動家は活動に綿密に取り組み、 革命的におし進める気風にも欠けています。 宣伝部の活動家は政治的に鋭く、 党の思想活動を清新かつ着実に行うべきです。

  宣伝部の活動家は活動において筋金を通すべきです。

  我々のいう筋金とは政策的筋金のことです。 政策的筋金とは、 党の路線と方針に基づく確固たる定見と原則的な立場です。 活動において政策的筋金を通すというのは、 党の路線と方針を確固たる信念とし、 すべての活動をそれに即して設計し手配し、 党の路線と方針に合うことであれば、 だれがなんと言おうと動揺せず、 決まりがつくまで強くおし進めるということです。

  政策的筋金を通すのは、 我が党の思想活動の重要な要求です。 我が党の思想活動は、 革命と建設の唯一の指導思想であるチュチェ思想で全党と全社会を一色化する活動です。 我々は党の思想活動を強化して、 革命と建設のすべての分野でチュチェ思想を立派に具現し、党員と勤労者をチュチェ型の共産主義的革命家に育てなければなりません。 宣伝活動家が活動で政策的筋金を通さなければ、 党の思想活動は基本線から脱線し、 党内にチュチェ思想に反する不純な思想がまぎれこんで革命と建設に重大な結果を及ぼしかねません。

  現情勢は複雑をきわめています。 アメリカ帝国主義者と南朝鮮当局者の新たな戦争挑発策動のため、 我が国の情勢はいっそう厳しくなっており、 多くの国で修正主義、 改良主義がはびこって革命と建設に大きな弊害を及ぼしています。 こういう情勢のもとで、 チュチェ思想の旗を高くかかげていささかも動揺せず、 朝鮮革命の最終的勝利をめざしてあくまでたたかうためには、 宣伝活動家が政策的筋金を通して党の思想活動を力強く展開しなければなりません。 現段階で宣伝活動家が活動で革命的原則を守らず、 修正主義、 改良主義など悪い思想毒素と遊惰な風潮の浸透を許すならば、 重大な結果をまねくことになります。

  いま宣伝部の活動家の仕事ぶりをみると、 活動において政策的筋金を通していません。

  宣伝部は最近、 平壌で開催されたある国の展覧会と関連した仕事の手配を正しくしませんでした。 展覧会の開催と関連して提起される実務的な問題は当該部門にまかせるとしても、 政治的なことは宣伝部が責任をもって行うべきでしたが、 そうしませんでした。

  宣伝部の活動家が政策的筋金の欠けた活動をしているのは、 活動を受け売り式にし、 何事も決まりがつくまで根気よくおし通していないことにもあらわれています。 宣伝部の活動家は新しい党の方針がうちだされれば、 それを下達することにとどまり、 その実行についての掌握指導を正しくしないため、 党の方針を実行する活動が深化されていません。 私は『チュチェ思想教育における若干の問題について』で、 忠実性教育をはじめ、 あらゆる形態の思想教育をチュチェ思想の基本原理と結びつけて行うよう強調しました。 だとすれば、宣伝部の活動家は当然、 あらゆる形態の思想教育をチュチェ思想の基本原理と結びつけて行う具体的な対策を講じ、 必要な仕事の手配をすべきでした。 しかし、 宣伝部の活動家は一般事務を処理するように、 対策案と学習資料を作成して下達することにとどまりました。 おそらく宣伝部の活動家は、 党員と勤労者に対する教育体系が整然と確立されており、教育手段がすべて整っているので、 何事も手配さえすれば自然になるものと考えているのでしょう。

  宣伝部の活動家が政策的筋金の欠けた活動をしているのは、 劇映画の創造活動を正しく指導していないことにもあらわれています。

  最近の劇映画『西海の叙事詩』は、 人民軍将兵と勤労者が5年にわたる西海閘門建設の過程で発揮した英雄的闘争の内容を扱っていますが、 創作家は、 作品には肯定と否定がなければならず、 肯定と否定との葛藤のなかでのみ物語が展開されるという古い観念から、 我々の時代、 労働党時代にはありえない否定的人物を人為的に設定し、 かれらが西海閘門の建設に歯止めをかけるものとして描きだしています。 西海閘門の建設は、 世界でもまれにみる大建設でした。 西海閘門の建設を芸術的に描写するからといって、 肯定と否定を設定し、 その葛藤によって問題が解決されるかのように描いたのは誤りです。 創作家が芸術作品には必ず否定的人物があってこそ、 肯定的人物の性格が生かされるかのように考えるのは誤りであり、 そのような古い劇作術にこだわってはなりません。 この映画の素材で『明るい太陽の下で』のような映画をつくることもできますが、 叙事詩的な映画をそのようにつくってはなりません。 西海閘門という膨大な建設の内容を一編の劇映画にすべて盛り込むのも難しいことです。 『西海の叙事詩』のような映画を見るくらいなら、 むしろ西海閘門の建設状況を収録した記録映画を見る方がましでしょう。

  劇映画『誇り』も党の政策的要求どおりにつくられていません。 この映画は、勝利自動車総合工場の能力拡張工事の内容を扱っていますが、 革命的な思想と文化がどこから生まれるのかを正しく描きだせませんでした。 我々の時代の革命的な思想と文化は書物からではなく、 最も先進的な階級である労働者階級のなかから、 すなわち労働者階級の集団のなかから生まれるのです。 しかし劇映画『誇り』では、 我々の時代の革命的な思想と文化が個別的な労働者の家庭から生まれるかのように人為的に描いています。 この映画は、 労働者の家庭についても正しく描きだしていません。 年配の労働者が家庭で二言めには「おれが」、「おれが」といって自分をおしたてていますが、 労働者の家庭をそのように家父長的な家庭に描きだしてはなりません。 この映画で特に重大なのは、 我が党の自力更生のスローガンをゆがめていることです。 現代は科学と技術の時代です。 時代の要請に即応して先進科学技術を積極的に導入し、 国の経済を速やかに発展させるのは、 我が党の重要な方針です。 ところが、 創作家が意識的にそうしたのか、 知らずにそうしたのか、 それとも偶然そうなったのかはわかりませんが、 この映画は自力更生をうたって先進科学技術を無視し、 素手で近代的な工場を建設するという描き方をしています。

  いま創作家が社会主義大建設をテーマにした作品と軍事テーマの作品を創作するのをみると、 政策的な筋金が入っておらず、 主体的な美学観が確立されていないのがわかります。 文学・芸術部門では主体的文芸思想研究会を開き、 劇映画『西海の叙事詩』、『誇り』のような作品を製作したことを批判的に総括すべきです。

  映画芸術部門で外国と合作して劇映画を製作するのをみても根本原則を正しく守っておらず、 一部の映画は興味本位につくられています。 映画を興味本位につくるのは、 我々の方式ではありません。

  政策的筋金を通すうえで重要なのは、 党的、 階級的原則を厳守することです。 党的、 階級的原則を守るのは、 政策的筋金を通すうえで基本をなします。 党的、 階級的原則を抜きにしては、 政策的筋金を通す問題について考えることはできません。 活動において政策的筋金を通す問題は本質上、 党的、 階級的原則を守る問題であるといえます。 宣伝活動家は自分の領袖、 自分の党の思想以外には、いかなる思想も認めないという確固たる立場と観点にたつべきです。 宣伝活動家が活動で党的、 階級的原則を守るかいなかは結局、 自分の領袖、 自分の党の思想を固守するか否かという問題に帰結するといえます。 宣伝活動家はいかなる環境のもとでも、 我が党のチュチェ思想のとおりに思考し行動する確固たる立場と観点にたつべきです。 宣伝活動家はすべての問題を実務的に判断して処理するのでなく、政策的に判断して処理し、 活動の設計と手配、 推進において党の政策的要求を立派に具現しなければなりません。 これと同時に、 党的、 階級的原則に反する問題に対しては譲歩せず、 仮借なくたたかうべきです。 党的、 階級的線から脱線するのを見てもたたかわない人は、 宣伝活動家の資格がありません。

  政策的筋金を通すうえで重要なのは、 責任幹部が線を明確に引き、 決まりがつくまで活動をおし進めることです。 部署や課がいったんはじめたことを決まりがつくまでおし進めるか否かは、 責任幹部に大きくかかっています。 部署の責任幹部は客観的立場で指示を下すという仕事の仕方をせず、 政策的要求に即応して綿密に作戦を練って手配し、 その実行過程で問題が提起されれば、 確固たる定見をもって明白に線を引き、 障害と難関がたちふさがっても動揺したりためらったりせず、 決断力をもっておし進めるべきです。 責任幹部は、 下部の活動家に対する要求の度合いを強め、 かれらがいつも活動において政策的筋金を通すようにすべきです。

  宣伝活動家が活動において政策的筋金を通すためには、 党の政策を信念化し、 幅広い知識と洗練された組織的手腕を体得しなければなりません。

  宣伝活動家は、 なによりも党の政策を信念化すべきです。 党の政策に精通しそれを信念化してこそ、 確固たる定見をもって活動を精力的におし進めることができます。 これまで一部の宣伝活動家が定見もなく、 右往左往して活動を大胆に展開できなかったのは、 党の政策を信念化していなかったからです。 宣伝活動家は、各時期に示される金日成同志の教示と党の方針で武装し、 特に担当部門の党政策を深く学習して、 それを血とし肉としなければなりません。

  宣伝活動家は豊かな知識と洗練された組織的手腕を体得し、 担当部門の活動に精通すべきです。 宣伝部の活動は、 理論宣伝、 講演宣伝と出版報道、 文学・芸術部門の活動など、いずれを問わず活動家が深い専門知識を身につけて指導することを求めています。 それゆえ、 私は宣伝活動家が篤学家、 情熱家になり、 政治・理論水準と実務的資質の向上に努めることを一再ならず強調してきました。 宣伝部の活動家は、大学卒の学歴や少々の教員経歴に満足してはなりません。 現実はたえず発展し、 党の思想活動はひきつづき深化しています。 発展する現実に即応して党の思想活動を力強く展開するには、 宣伝活動家が博識で能力がなければなりません。 博識で能力があってこそ定見が生まれ、 大胆さも生まれます。 宣伝活動家は熱心に学習し、 実践的経験を積んで豊かな知識と洗練された組織的手腕を体得し、 自分の部署、 課の活動と所轄機関の活動を深く研究して、常にそれに精通していなければなりません。

  活動において政策的筋金を通すためには、 集団的知恵を大いに発揮しなければなりません。

  一人や二人の知恵と力に頼るより、 多くの人の知恵と力を合わせれば、 活動において政策的筋金を通すことができます。 一人や二人では、 ときには提起される問題の分析、 評価を誤ったり、 問題解決の方途を満足に探しだせないこともありますが、 集団的知恵を発揮すれば、 提起される問題を正しく分析、 評価し、 問題解決の方途を正しく探しだすことができます。 新作映画の合評も、 宣伝部の副部長たちが集団的に行えば、 担当副部長が幾人かの活動家を同席させてするよりはうまくいくはずです。 今後、 宣伝部で映画試写会をするときは、 副部長たちを全員参加させるのがよいでしょう。

  宣伝部の副部長たちが新しく創作された文学・芸術作品を見て政策的要求に合っているかどうかを見分けるには、 私が文学・芸術作品を見て指摘した内容を知っていなければなりません。 何年度だったか、 私が歌詞『金日成同志のもとによろこびをもって帰ろう』を見て、 政策的要求に合わない自然主義的なものだったので批判したことがあります。 その歌詞では、 三大革命グループが金日成同志のふところを離れて帰ってくるというように描かれているので、 平壌にいれば金日成同志のふところで生きることになり、 地方へ行けば金日成同志のふところを離れて生きることになるかのようになっていました。 また三大革命グループがだれかとたたかって勝利して帰ってくるというように描かれているので、 あたかも我々の社会に敵対的矛盾があり、 それを解決するためにはたたかわなければならず、そのたたかいで勝者と敗者があるかのようになっていました。 一言でいって、 歌詞『金日成同志のもとによろこびをもって帰ろう』は、 我が党が示した三大革命グループ運動の思想と、 我が国の社会主義制度の本性と優越性をはなはだしくゆがめた作品です。 この歌詞のほかにも、 私が指摘した文学・芸術作品はたくさんあります。 宣伝部の副部長たちがそういう内容をすべて知っていれば、 政治的覚醒を促し、 文学・芸術作品の分析、 評価能力を高めるのにもよいでしょう。

  これから宣伝部では、 責任幹部がいつも集まって、 部署に提起される問題の解決方途を集団的に討議して探し出す気風を確立すべきです。

  次に、 宣伝活動家は形式主義を一掃し、 思想活動を清新に、 着実に行うべきです。

  宣伝活動家は人々の思想を改造し、 かれらを真の共産主義的革命家に育てる党の政治教育者です。 経済幹部が仕事を形式的にすれば生産と建設に支障を与えますが、 宣伝活動家が活動を形式的にすれば、 人々を駄目にしてしまい、 ひいては革命と建設を台無しにしかねません。 党の思想活動において形式主義は、最大の禁物であるという理由はまさにここにあるのです。

  宣伝部の活動家の活動では、 いまなお形式主義が完全に克服されていません。 宣伝部の少なからぬ活動家は現実を深く研究せず、 党の思想活動をおざなりにしています。 部署で講演宣伝活動を改善しようとしても、 責任幹部が直接下部に出向き、 大衆講演もして実態を調べるべきですが、 それをせず事務室に閉じこもっています。 宣伝部の活動家は、既にたてられた計画にしたがって講演テキストを作成して下達すればそれですむかのように考え、 下部に出向いての講演活動の実態調査を怠っています。 そのため、 多くの場合、 講演活動が現実に即応して行われていません。 宣伝部の活動家は、 現実に合わない型にはまった講演テキストをつくって下達することで、 任務をはたしたかのように考えてはなりません。 講演テキストは下部の実情を具体的に調べたうえで作成し、 それを下達した後には現実のなかに入って、 それが党員と勤労者の水準に見合ったものか、 かれらが講演で扱った問題を十分に理解しているのかなどを確かめなければなりません。

  宣伝部の活動家は、 組織指導部から提供される資料も十分に利用していません。 私は、宣伝部の活動家が大衆のレベルと心理状態に合わせて思想活動を積極的に展開できるように、組織指導部が掌握した資料を宣伝部に系統的に提供する措置を講じました。 宣伝部の活動家は組織指導部から資料が提供されれば、 それを具体的に研究し、 積極的な宣伝・扇動活動を展開すべきですが、 一度目を通すにとどまっています。

  宣伝部の活動家のあいだには、活動を紳士風に、体裁づくりにする傾向も少なからずあらわれています。 宣伝部の活動家は、 2.8文化会館や人民文化宮殿などに人を多く集め、研究討論会や講習、 講演などをすれば活動がスムーズにいくかのように考えています。 宣伝部の活動家は、 芸術部門の指導も体裁をつくろうようなやり方でしています。 宣伝部の責任幹部と芸術部門を担当する課の活動家は、 劇場に行って芸術作品を見ているとはいいますが、 作品についての意見は一言も述べず、 ただ座っていて帰ってくるとのことです。宣伝部の責任幹部や芸術部門を担当する課の活動家であれば当然、 劇場に行って芸術作品の創作状況を調べ、 作家、 芸術家に要求の度合を強めて形象化水準を高めるようにすべきですが、 そうしていません。 宣伝部の活動家は、 任務は満足に果たせなくても、 党中央の部署のメンバーだという自尊心をもって、 所轄機関に出向いては紳士風に体裁ぶり、 もったいぶっているようです。 宣伝部の活動家がこんなふうでは、 部署の活動上の権威を保つこともできません。 仕事を着実にせず、 紳士風に、 体裁づくりにするのが、 いま宣伝部の活動家のあいだにあらわれている主な欠陥です。

  宣伝部の活動家が本務に力を入れず、 または他の部署の仕事までひきうけて動きまわるのも、 仕事を着実にしていない一つの表現だといえます。

  宣伝活動家が形式主義を一掃し、 仕事を着実にするためには、 宣伝活動の主人であるという高い自覚をもって創造的に活動しなければなりません。 自分の活動に対する主人としての自覚なしには、 形式主義を克服することができません。 形式主義はあくまでも活動に対する主人としての態度の欠如に起因するのですから、 活動家に主人という高い自覚と主人としての態度が確固としていてこそ克服することができます。 宣伝活動家は事務員根性を一掃し、 いつも主人としての態度でうけもった仕事を責任をもって遂行すべきです。宣伝活動家の活動の成果は、 行事の回数や講演テキストと学習資料の作成、 下達件数ではなく、 実際に人々の思想がどれほど改造されたか、 かれらが社会主義建設にどれほど高い革命的熱意をもって参加しているかにみいだすべきです。 宣伝活動家は人々のあいだに思想的にたち遅れた行為があらわれたり、 活動で革新をおこさずもたついている傾向があらわれるときには、 みずから責任を感じ、 自分の活動を検討して教訓を酌み取らなければなりません。

  宣伝活動家は紋切り型の枠にこだわらず、 活動を創造的に展開すべきです。 もちろん、党の思想活動はあくまでも唯一管理制の原則で行うべきですが、 その形式と方法は具体的な条件と環境に適した創造的なものであるべきです。 現実はきわめて複雑で、 たえず変化し発展するので、 宣伝活動家はすべての問題を創造的立場で、 革新的眼識をもって見るべきであり、 現実的条件に合い、 大衆の胸をうつ清新かつ独特な宣伝・扇動形式と方法を探求しなければなりません。

  宣伝活動家が形式主義を一掃し、 活動を着実に進めるためには、 抗日遊撃隊式に進めるべきです。

  抗日遊撃隊では政治幹部が背のうを背負って大衆のなかに入り、 戦闘の環境と状況に応じて宣伝活動を革命的に、 戦闘的に行いました。 当時はいまのように放送もなく、 出版物も多く出せませんでしたが、 宣伝活動を格式と枠にこだわらず実質的に進めたので、 それが遊撃隊員の革命的熱意と戦闘士気を高めるのに大きく作用しました。

  宣伝活動家は抗日遊撃隊式活動方法の要求どおり、 背のうを背負って下部に出向き、 大衆のなかに深く入るべきです。 宣伝活動家は常に下部に出向いて大衆とともに過ごしながら、 かれらの水準と心理状態、 当該単位の実態を具体的に調べ、 それに応じて思想活動を展開しなければなりません。 思想活動は事務室ではなく、 党員と勤労者が住み、 働く工場と協同農場へ行って行うべきです。

  宣伝活動家が抗日遊撃隊式に活動するには、 具体的な方法論がなければなりません。 宣伝活動家が背のうを背負って下部に出向くからといって、 思想活動が自然にうまくいくわけではありません。 人々の意識水準と準備の程度がまちまちであり、 かれらのうけもっている革命任務もそれぞれ異なる状況のもとで、 宣伝活動家はそれに適した正しい方法論があってこそ、 活動で成果をおさめることができます。

  宣伝活動家は党の路線と方針を深く研究し、 それに基づいて問題解決の正しい方途を探求すべきです。 所轄機関をはじめ、 下部の実情もよく知っていなければなりません。 党の意図をよく知っているとしても、 当該単位の具体的実情を知らなければ、 問題解決の正しい方法論を確立することができません。 方法論は多くの人の意見を総合して定めるべきです。 宣伝活動家は、提起される問題を主観的な意思と欲求によって即興的に処理せず、 集団的に討議して正しい方法論を確立し、 慎重に処理するのを習性化すべきです。

  形式主義は、功名・栄達主義やなまけもの根性などの古い思想に根をおいているので、 自然になくなるものではなく、 長期間にわたる根気よく厳しい思想闘争によってのみ成功裏に克服することができます。 宣伝活動家に形式主義の本質と弊害を深く認識させ、 かれらが形式主義との思想闘争を積極的に展開するようにしなければなりません。 これと同時に、活動家は党生活総括をはじめ、各契機に形式主義のささいな要素に対しても適時に批判し、 是正していくべきです。

  次に、部署の活動体系を確立すべきです。

  なによりも、 下部を掌握する体系を確立すべきです。

  下部をしっかり掌握するのは、 党の内部活動体系の確立で提起される重要な要求であり、下部党組織の活動を着実に指導するための先決条件です。 しかし、 いま宣伝部には下部を掌握する体系が確立されていません。

  宣伝部には指導課がいくつもありますが、 下部をしっかり掌握できないので、 下部党組織に欠陥があらわれても、それがすぐわからないありさまです。 宣伝部が下部党組織での思想活動の進行状況をしっかり掌握できないのは、 部署の責任幹部が地方党組織を指導する課をはじめ、 各指導課の活動に関心を払っていないのが大きな原因です。 私は久しい前に、宣伝部の活動では指導課の活動が基本であることを強調しました。 しかし、宣伝部は、指導課をその職能に即して正しく活動させることに力を入れず、 副次的な活動にこだわっています。

  宣伝部は所轄機関の活動もしっかり掌握していません。 いま一部の課は、 所轄機関の文芸総中央委員会とその傘下の各同盟との活動をすることになっていますが、 同盟の大会で規約を改正させるくらいのことをして日常的に掌握しておらず、 特に同盟員の思想教育など重要な活動にさほど関心を払っていません。 そのため文芸総中央委員会などでは、 同盟員の思想教育を軽視し、 行政実務活動にのみ没頭しています。

  宣伝部が下部をしっかり掌握するためには、 指導課、 特に地方党組織を指導する課の役割を高めなければなりません。 部署は、 地方党組織を指導する課の活動に第一義的な関心を払って日常的に調査、 掌握し、 誤った問題をそのつど是正させ、 課の活動家が下部の掌握で高い責任感を発揮するようにすべきです。 部署の責任幹部は、 地方党組織を指導する課の活動家がすべての問題に高い政治的眼識をもって鋭く対し、 下部党組織にあらわれるささいな偏向をもそのつど掌握し是正させるよう要求の度合を強めるべきです。 こうして地方党組織でのすべての思想活動が、 地方党組織を指導する課を通じて掌握されるようにすべきです。

  所轄機関を担当している課の役割も高めるべきです。

  当該課は、 文芸総中央委員会とその傘下の各同盟に対する指導を統一的にうけもつことにすべきです。 歴史的経験は、 修正主義が作家、 芸術家に真っ先に浸透することを示しています。 それゆえ、 作家、 芸術家の思想教育に特別な力を入れるべきです。 文芸総中央委員会とその傘下の各同盟は、 活動を深く研究せずおおざっぱにする古い殻をうちこわし、作家、 芸術家の思想教育団体としての使命を正しく遂行しなければなりません。

  部署同士、 課同士の提携作戦と共同作戦を綿密にすべきです。

  部署と課の任務はそれぞれ異なりますが、 互いに密接につながっています。 革命と建設を成功裏に遂行するためには、 すべての部署、 課が提携作戦と共同作戦を綿密にしなければなりません。

  宣伝部は、組織指導部との提携作戦に深い関心を払うべきです。 組織部は党員の党生活に対する指導機能と党組織に対する指導機能をもっているので、 宣伝部が組織部と提携作戦をしなければ、 党の思想活動を正しく行うことができません。 特に、 党員の党生活指導において、 組織部と宣伝部が提携作戦を綿密にすることがきわめて重要です。 党生活は、 組織生活と思想生活の二つの側面からなっています。 党員の党組織生活に対する指導機能を果たす組織部と、 党思想生活に対する指導機能を果たす宣伝部が提携作戦をするのは、 党生活指導の必須の要求です。 金日成同志が教えているように、 組織部と宣伝部の関係は医師と薬剤師の関係と同じです。 病気を治すためには医師が正しい診断を下し、 薬剤師が正確に投薬しなければならないのと同様に、 党員の党生活指導を正しくするためには、 組織部が党員の党生活状況を正確に評価し、 それに基づいて宣伝部は教育活動を正しくしなければなりません。 宣伝部は重要な問題が提起されれば、 組織部と提携作戦をして解決する気風を確立すべきです。

  宣伝部は他の部署との共同作戦も正しく行うべきです。 そのためには、 宣伝部の活動家が自分の部署に対して正しい認識をもたなければなりません。 宣伝部は特殊な部署ではなく、 他の部署と同じ党委員会内の一つの部署です。 いま宣伝部の一部の活動家は、あたかも自分の部署が特殊であるかのように思い、 もったいぶっていますが、 そういうことでは他の部署との共同作戦を正しくすることができません。 宣伝部の活動家はもったいぶったり垣をつくったりせず、 他の部署の活動家を尊重し、 かれらとの関係で虚心かつ謙虚でなければなりません。

  部署内の課同士の共同作戦も正しく行うべきです。 課同士の共同作戦は、 指導課と指導課同士でもできるし、 指導課と内部課同士でもできます。

  宣伝部は活動を手配した後は、 その実行状況をきちんと総括する秩序を確立すべきです。それでこそ、 経験と教訓を正しくくみとり、 活動家の責任感と役割を高めることができます。

  次に、 部署の責任幹部の責任感と役割をさらに高めるべきです。

  部署の活動の成果いかんは、 責任幹部の責任感と役割に大きくかかっています。 部署の責任幹部が責任感と役割を高めてこそ、 部署の活動で政策的筋金を通し、 党の意図どおり部署の活動を着実に進めることができます。 いま一部の責任幹部は空論に明け暮れて活動に身を入れず、 仕事を無責任にしています。 部署の責任幹部は活動意欲をもって仕事を探してする気風を確立し、 何事であれ着実にしなければなりません。

  部署の責任幹部が責任感と役割を高めるためには、 正しい党組織観念をもち、 党生活に誠実に参加しなければなりません。

  正しい党組織観念をもち、 党生活に誠実に参加してこそ、 自分の活動と生活にあらわれる欠陥をそのつど克服することができます。 党風を確立するにしても、 活動家が正しい党組織観念をもち、 党生活に誠実に参加しなければなりません。 最近、 幹部と党員のあいだに党風を確立することが特に強調されていますが、 正しい党組織観念をもって党生活に誠実に参加しなくては、 党風を確立することができません。 党風は、 幹部と党員が正しい党組織観念をもち、 党生活に誠実に参加するとき確立されるのです。 そういう意味で、 党風すなわち党組織に対する観念であり、 党組織に対する観念すなわち党風であるといえます。

  活動家は、 党生活を形式的に、 要領主義的にすれば、 それが活動にそのまま反映されることを肝に銘じ、 党生活に着実に参加すべきです。

  党生活総括の水準を高めるべきです。 活動家は、党の方針を尺度にして自分の活動をいつも冷静に検討し、 あらわれた欠陥を党生活総括のとき率直に自己批判しなければなりません。 党生活総括は、 内容があって率直なものであるべきです。 活動家は、 自分の活動と生活にあらわれた小さな欠陥も、 ありうることと思って隠さず、 ためらうことなくさらけだし、 自己批判して是正しなければなりません。

  党生活総括は強い批判の雰囲気のなかで行うべきです。 活動家は党生活総括のとき、批判を曖昧にせず、 鋭く、 厳しくすべきです。 同志の欠陥を見てもそのつど批判せず、 あれこれと考え、 優柔不断な態度をとっては同志を駄目にしかねません。

  部署の活動家の党生活を強化するためには、 初級党委員会の役割を高めなければなりません。 部署の初級党委員会は、 活動家の党生活に対する掌握と指導を強化して、 すべての活動家を党生活に誠実に参加させるべきです。

  部署の年間活動総括を実質的に行うべきです。 部署の年間活動総括では、 政策的筋金を入れず活動を形式的にしたこと、 活動体系が確立されず活動を無責任にしたことなどことし、 部署の活動家のあいだにあらわれた欠陥を全面的に批判し、 部署の活動を根本的に革新する対策を討議すべきです。

  宣伝部は来年初から計画を具体的にたて、 活動を力強くおし進めるべきです。

  来年、 宣伝部には、なすべきことがたくさんあります。 来年は共和国創建40周年にあたる意義深い年です。 来年、 組織指導部は党組織の戦闘的機能と役割を高めることに力を入れ、宣伝部は共和国創建40周年祝賀行事を立派に取り仕切ることに力をそそぐべきです。

  宣伝部は来年の初頭から、 共和国創建40周年を勝利者の大祝典として輝かすための政治活動を力強く展開すべきです。 共和国創建40周年を迎え、 党と大衆の統一団結をいっそう強化し、 経済建設で新たな高揚がおこるよう宣伝・扇動攻勢を強化しなければなりません。さしあたり、 共和国創建40周年にさいしての党中央委員会のアピールに富んだスローガンをつくり、 9.9節(共和国創建記念日) まで200日間戦闘を展開する案を具体的にたてるべきです。 必要であれば、 全党員に党中央委員会の手紙を送ることもできます。

  すべての宣伝活動家は政策的筋金を通して着実に活動し、 党の思想活動に革命的転換をもたらさなければなりません。

出典:「金正日選集」9巻

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