金 正 日

マスゲームをさらに発展させるために
マスゲーム創作家たちとの談話
−1987年4月11日−


 私はきょう、偉大な領袖金日成(キムイルソン)同志の誕生75周年を迎えての平壌(ピョンヤン)市青少年学生のマスゲーム『繁栄するチュチェの朝鮮』を観ました。

 マスゲーム『繁栄するチュチェの朝鮮』は、党と領袖の正しい指導のもとに発展する我が国の現実を大叙事詩的絵巻に盛り込んで見事に描き出しています。このマスゲームは、思想的内容もよく、構成編集も申し分ありません。今回、マスゲームの創作家と平壌市の青少年学生は、不順な天候のもとでも党と領袖への高い忠誠心をもってねばり強く取り組み、新しいマスゲームを立派に創作しました。

 私はきょう、マスゲーム創作家たちに会った機会に、マスゲームの発展で提起されるいくつかの問題について述べたいと思います。

 我が国のマスゲームは高い思想性と芸術性、スポーツ的テクニックが見事に結合した総合的で大衆的な運動形式です。

 マスゲームを発展させるのは、青少年学生を全面的に発達した共産主義的人間に育てるうえで重要な意義を有します。全面的に発達した共産主義的人間になるには、革命的な思想・意識と多方面にわたる知識、豊かな教養と壮健な体力をもたなければなりません。革命的な思想・意識と多方面にわたる知識、豊かな教養と壮健な体力は、共産主義的人間の基本的品格です。青少年学生にこのような共産主義的品格をそなえさせるうえで、マスゲームは重要な役割を果たします。特にマスゲームは、青少年学生に壮健な体力とともに強い組織性と規律性、集団主義精神をつちかわせます。青少年学生は自分一人の動作にミスがあればマスゲームに損傷をきたすことを自覚し、すべての思考と行動を集団に服従させるため懸命に努力するようになります。

 マスゲームは党員と勤労者をチュチェ思想で武装させ、我が党の路線と政策の正しさと生命力を示威する重要な手段です。マスゲームは単なる体操ではなく、チュチェ思想にもとづいて革命の各時期、各段階ごとに我が党が示した路線と政策、それを実行するための我が党と人民の闘争の歴史と業績を大叙事詩的絵巻で描く一つの芸術作品であるといえます。マスゲームはまた、その内容が体操と律動、音楽と美術が一つに結合した生き生きとした絵巻を通じて表現されるので、直観性とアピール性にも富んでいます。マスゲームを通じて党員と勤労者を我が党のチュチェ思想で武装させ、チュチェ思想を具現している我が党の路線と政策の正当性、その偉大な生命力を内外に広く示威することができます。

 マスゲームは、外国との友好関係の発展にも大いに寄与しています。いま我が国では外国人が訪朝すればマスゲームを多く見せており、我が国の専門家を外国に派遣してマスゲームを創作、普及しています。これを通じて我が国と外国との信頼をあつくし、支持声援しあいながら、友好のきずなをたえず強めています。

 我が党は、マスゲームが人々を革命的に教育し鍛え、国の対外的権威を高め、外国との友好・団結を強めるうえで大きな意義を有するため、その発展に一貫して深い関心を向けてきました。これまで党の正しい指導のもとに、マスゲームの創作では大きな成果が達成されました。人民賞受賞作の『チョンリマ朝鮮』『労働党の旗のもとに』『朝鮮の歌』『人民は領袖をうたいます』などの大記念碑的なマスゲームが数多く創作され、その過程で作品の思想・主題の内容と、基本表現手段であるグラウンドの体操チームとバックスタンド、音楽の発展に根本的な革新がもたらされました。現在、我が国の主体的なマスゲームは世界各国に普及されて大きな反響を呼んでいます。じつに、我が国はマスゲーム分野で世界の覇権を握っているといえます。マスゲーム分野で達成された誇らしい成果には、マスゲームの発展にあらゆる知恵と情熱をそそいできたマスゲーム部門の幹部と創作家の人知れぬ努力がひそんでいます。

 こんにち我々には、社会主義の完全な勝利のための歴史的偉業と日ましに高まる人民の文化情緒的要求に即応してマスゲームをさらに発展させるべき重大かつ栄誉ある課題が提起されています。マスゲーム部門の幹部と創作家は、党と革命にたいする重い責任を深く自覚し、我が国のマスゲームをさらに発展させるため大いに努力しなければなりません。

 マスゲームを発展させるには、なによりもその内容と形式を時代の要請と美感に合わせてたえず改善しなければなりません。

 マスゲームの内容と形式を時代の要請と美感に合わせてたえず改善していけば、我が国のマスゲームの思想・主題の内容を党的で革命的なものに発展させ、体操チーム、バックスタンド、音楽を有機的な統一のなかでたえず発展させ豊富にすることができます。

 マスゲームの思想・主題の内容は、その作品の思想的・芸術的価値を決める基本的要因です。思想・主題の内容が革命的であれば、マスゲームの思想性・芸術性はそれだけ高まり、認識的・教育的意義も大きくなります。ですから、我々のマスゲームは当然、党的で革命的な内容を盛るべきであり、それをたえず発展させ豊富なものにしなければなりません。

 我が国のマスゲームを革命と建設に寄与する党的で革命的なものにするには、党と領袖を立派に形象化しなければなりません。マスゲームも一つの作品であるため、ほかのすべての作品と同じく党と領袖を立派に形象化することが第一の要求となります。マスゲームで党と領袖を立派に形象化してこそ、作品の思想的筋金を入れ、思想性・芸術性を最上の水準で保障することができます。マスゲームの創作家は、マスゲームで金日成同志の偉大さと指導の賢明さ、不滅の革命業績、気高い共産主義的徳性を幅広くしかも深く形象化すべきです。これとともに、金日成同志の指導に忠実に従い、この地に世紀の変革をもたらしている我が党の偉大さと輝かしい業績をマスゲームに立派に盛り込まなければなりません。

 チュチェ思想とその具現である我が党の路線と政策は、マスゲームに盛り込むべき基本内容です。マスゲームでチュチェ思想とその具現である党の路線と政策を立派に形象化すれば、それは革命と建設に積極的に寄与する真のマスゲームになります。マスゲームの創作家は、チュチェ思想とそれを具現している党の路線と政策を歴史的に、全面的に深く研究し、それをマスゲームに盛り込まなければなりません。また、各時期に示される金日成同志の教示と党の方針も正しく反映すべきです。そうしてこそ、マスゲームの内容を時代の要請に即応して発展させ豊富にし、そのアピール性と戦闘性を強めることができます。

 マスゲームでは、党と領袖のまわりにかたく団結して奮闘している朝鮮人民の壮大な闘争ぶりも実感をこめて描き出すべきです。こんにち、朝鮮人民は党と領袖の指導のもとに社会主義の完全な勝利と祖国の自主的平和統一をめざして力強くたたかっています。マスゲームの創作家は党と領袖を仰ぎ、あくまで従おうとする朝鮮人民の革命的信念と意志、党の指導のもとに朝鮮人民が社会主義建設で達成した成果と、チュチェの革命偉業の完成をめざして力強くたたかっている不屈の闘争ぶりをマスゲームに立派に形象化しなければなりません。

 マスゲームでの基本は体操チームであり、体操チームはマスゲームの最も重要な表現手段です。このチームがさまざまな体操動作と隊形変化を立派にこなしてこそ、マスゲームがはつらつとして気迫にみちて、体操の特徴が十分に生かされます。

 これまでマスゲームでは、はつらつとして気迫にみちた体操動作と技巧の高い体操動作を多く創作して導入しました。マスゲーム『繁栄するチュチェの朝鮮』の鉄湯体操と輪体操が見事でした。女生徒が輪でさまざまな動作をする姿は運動的でありながらも芸術的です。

 しかし、まだ踊りと律動があまり多く、体操動作の多様さと技巧が欠けており、似通った動作の反復が少なくありません。マスゲーム『繁栄するチュチェの朝鮮』の転回動作は、板のうえでの動作と地面での動作が同じです。違いがあるといえば、一つは上級の生徒がやり、ほかの一つは子どもがやるという点だけです。

 体操動作が多様でなく、技巧が高くないのは、創作家がマスゲームを創作するたびに新奇を追って、従前の立派な体操動作を上手に生かせず、新しい体操動作を創作するため懸命に努力しないからです。

 体操チームでは舞踊化された動作ではなく、体操的な動作を多く創作して取り入れるべきです。特に、技巧の高い体操動作の創作に力を傾けるべきです。技巧の高い体操動作は青少年学生の背を伸ばし、均整のとれた身体の発達を促すように創作すべきです。

 技巧の高い体操動作を創作するとともに、それを遂行する青少年学生のスポーツ的技巧水準の向上に力を入れなければなりません。いくら技巧の高い体操動作を創作しても、出演者がマスターできなければ役に立ちません。まして、マスゲームに出演する青少年学生の交代がつづく状況のもとで、すべての青少年学生をいかなる体操動作でも立派に遂行できるように肉体的にしっかり準備させることが極めて重要です。我々は、実践を通じてその優越性と生命力が実証されたマスゲーム母体学校とマスゲーム・クラブを実質的に運営し、青少年学生のなかからどんなハイクラスの体操動作でも巧みにこなせる体操手を多く育てあげなければなりません。

 新しい体操動作を創作して導入するからといって、創作ずみのすぐれた体操動作を捨て去ってはなりません。第4回党大会(1961.9.11〜18)と第5回党大会(1970.11.2〜13)のときをはじめ、これまでに創作されたマスゲームにはすぐれた体操動作がたくさんありました。マスゲームの創作家は、これまでやっていた輪、棍棒、棒体操といったすぐれた体操動作をさらに発展させながら新しい体操動作をひきつづき創作すべきです。

 体操チームでは、小道具と器材もマスゲームで典型的に使われるスポーツ的なものをひきつづき利用する一方、新しいものを考案して利用すべきです。創作家はマスゲームを創作するたびに形式を更新してみるようにといわれると、スポーツ的な小道具と器材をつくって利用しようとせず、芸術的な小道具と器材ばかりつくって利用しようとしています。そのため、体操が生彩と迫力に欠け、芸術化されています。これから体操チームでは、スポーツ的な小道具と器材を多く考案して利用すべきです。

 体操チームでは、隊形構図と体操手法、体操動作の構成で反復性と類似性、図式性をなくすべきです。隊形構図と体操手法、体操動作の構成で反復性と類似性、図式性があると、マスゲームの場面がコントラストをなすことができず、形象化での効果をあげることもできません。こうなると結局、マスゲームの思想性・芸術性とスポーツ的技巧水準が落ちます。体操チームでは、隊形構図、体操手法、体操動作の構成における反復性と類似性、図式性を一掃して、各場面がコントラストをなすようにし、体操チームの形象化で最大限の効果があらわれるようにすべきです。

 体操チームの衣装も上手に選択すべきです。チームの衣装の形式と色あいは、朝鮮人民の民族的情緒と感情に合い、当該章と節の思想・主題の内容と、出演者の利用する小道具と器材の性格、かれらの年齢や性別によくマッチしなければなりません。体操チームの衣装はまた、体操動作を自由にできるよう便利かつ簡便で、弾力性があり、章別のコントラストが明確で、はなやかで明るくなければなりません。

 バックスタンドは、マスゲームの思想・主題の内容を直観的に生き生きとあらわす重要な表現手段の一つです。バックスタンドはいろいろな絵と文字、それに立体的でリズミカルな形象によって、体操チームや音楽では表現できなかったり、形象化しがたい思想と主題を説明したり補充したりします。バックスタンドは、マスゲームを一つの叙事詩的な作品にするうえで重要な役割を果たします。いまバックスタンドは、平面的なものから次第に立体的でリズミカルなものにまで発展しています。我々はこれに満足することなく、バックスタンドの表現手法をたえず改善しなければなりません。

 バックスタンドに金日成同志の肖像をより丁重に描き出すべきです。

 金日成同志を千年万年高くいただき、政治的、思想的に、生命を賭して守り、その絶対的な権威と威信を全面的に保障するのは、朝鮮人民の最大の念願であり、ゆるぎない意志です。この念願と意志を反映して、マスゲームではバックスタンドに金日成同志の肖像を描いています。バックスタンドに金日成同志の肖像を明るく丁重に描くようになったのは、マスゲーム発展で達成した特出した成果であり、バックスタンドの形象化で新たな境地を切り開くことになります。

 しかしながらまだ、マスゲームの創作家は、バックスタンドに金日成同志の肖像を党の意図どおり丁重に描いていません。マスゲームを観ると、金日成同志の業績を示すからといって、ほとんどすべての章と節に金日成同志の肖像をバックスタンドに描いています。そうするからといって、金日成同志の革命業績がより立派に形象化されるのではありません。マスゲームは金日成同志の革命活動史で一貫されているのですから、各章と各節に金日成同志の肖像をバックスタンドに描く必要はありません。

 いまバックスタンドに金日成同志の肖像を丁重に描ける条件と方法論が明確に立てられていない状況のもとで、金日成同志の肖像をたびたび描くと、かえって丁重さを欠くようになります。バックスタンドに金日成同志の肖像を描いて丁重さを保障するからといってバックスタンドを停止状態にしておくと、自由に動いて妙技をふるうこともできません。

 バックスタンドに金日成同志の肖像をたびたび描くのは、創作家がマスゲームの創作を安易にしようとする誤った態度をとっているためです。 いま舞台芸術部門でも背景に金日成同志の肖像を映し、万歳を叫べばすむかのように考える傾向があります。

 今後バックスタンドには、金日成同志の肖像をマスゲームの内容構成からして最も肝心な場面に2回程度描くことにすべきです。バックスタンドに金日成同志の肖像を丁重に描く研究を深め、科学的な方法論を立てなければなりません。

 バックスタンドの大型化、律動化、象徴化、立体化、科学化の水準をさらに高めるべきです。

 マスゲーム『繁栄するチュチェの朝鮮』を観ると、バックスタンドの絵と文字を大型化したのは結構ですが、律動的な面ではまだ不十分な点が少なくありません。技巧的に動くのは動物を描いた場面などいくつかの場面にすぎず、 ほかの場面はほとんど停止状態です。バックスタンドに描かれた動物の動きにしても単純なので、観覧者の目を引きません。

 マスゲームの創作家は、バックスタンドのすべての絵と文字を大型化、律動化する研究を深めて、それが各場面の特性にマッチして実際に動いているように生き生きと形象化すべきです。バックスタンドでは、従前の呼吸バックスタンドのようなよいものもひきつづき生かすべきです。

 これとともに、バックスタンドの象徴化水準を高めなければなりません。いまバックスタンドでは象徴手法を正しく適用できないため、なにを描いている絵なのか明白でないものもあります。マスゲーム『繁栄するチュチェの朝鮮』のバックスタンドでは、党中央委員会の庁舎に党旗がはためく絵で党を形象化していますが、党中央委員会の庁舎を知らない人はそれを見て、ただ多層住宅の屋上に党旗を掲げた絵だと思うでしょう。バックスタンドで党を形象化する場合は、象徴化して党マークを中心にすえ、その両側に「チュチェの血統をうけついだ党」という文字が現われるようにすべきです。そうすれば、いわんとする内容が明確になります。マスゲームの創作家はどういうものを象徴手法で形象化するかを深く研究して、バックスタンドの象徴化水準をさらに高めなければなりません。

 バックスタンドの立体化、科学化も実現すべきです。バックスタンドの図案に立体感を与え、新しい器材も考案して導入し、レーザー器材をはじめ、最新科学技術器材も利用すべきです。バックスタンドの科学化を実現するのは、未開拓分野にひとしいので、それにたいする研究を深める必要があります。

 バックスタンドをはなやかにすべきです。バックスタンドは美しい花やはなやかな色彩で技巧を駆使してこそ、効果をあげることができます。バックスタンドをはなやかにするには、図案彩色と色紙印刷を明るくはなやかにするとともに、発光色紙とはなやかな色布を効果的に利用しなければなりません。

 音楽は、体操チーム、バックスタンドとともにマスゲームの三大構成要素の一つです。音楽は、体操チームとバックスタンドで表現できない思想的・情操的感情を補い、マスゲームの形象化水準を高めます。マスゲームの音楽は、体操チームとバックスタンドのつりあいのとれた統一を保障する役割も果たします。音楽は体操チームとバックスタンドの律動と場面変化の契機をつくり、それが一つの流れのなかで芸術的な調和をなすようにします。そういう意味で、音楽はマスゲームの指揮者ともいえます。それゆえ、マスゲームでは音楽編成に深い関心を払わなければなりません。

 マスゲームの音楽は、その特性に合わせて編成すべきです。

 いまのマスゲームを観ると、音楽をマスゲームの特性に合わせて編成していない場合が少なくありません。マスゲーム『繁栄するチュチェの朝鮮』の祝賀章に歌『めでたし人民の祝日』を入れましたが、この歌はゆるやかでたるんだ感じがするので、この章のスタイルに合いません。祝賀章のような場面にはそういう歌ではなく、明るくはつらつとした歌を入れてこそ引き立つものです。第2章『母なる党をうたいます』でも音楽が場面とマッチしません。第2章の音楽は『ぼくの人生』のような徳性を主題にした歌を基本にして編成していますが、それではいけません。戦闘的な党を形象化するマスゲームの場面では、音楽もそれに合わせて気迫にみちた戦闘的なものを選択すべきです。第2章で我が党をうたう戦闘的な歌を何曲か選択して演奏していたなら、マスゲームでいわんとする思想が明確になったでしょう。マスゲームに徳性を主題にした音楽を用いることもできますが、そういう場合にはバックスタンドで歌詞を描き出し、楽団は曲だけ力強く演奏するのがよいでしょう。

 マスゲームの音楽を場面の特性に合わせて編成するには、創作家が作品の全般的思想ばかりでなく、各章、各節の内容と体操形象に精通し、それに適した音楽を選択しなければなりません。

 マスゲームの音楽は体操チームに服従すべきです。

 音楽が体操チームに服従すべきだというのは、音楽を体操チームが形象化するすべての動作に合わせて編成すべきだということです。これは、マスゲーム創作で先に音楽を選定し、それに合わせて体操動作を創作するのではなく、マスゲームの基本的要求と作品の流れに合わせて先に体操動作を創作したのち、音楽をそれに合わせるということです。バックスタンドや音楽は、あくまでも体操チームの形象化をいっそう際立たせるために必要なのです。音楽を体操チームに服従させれば、マスゲームの舞踊化、芸術化を避けることができます。マスゲームの創作家は音楽編成を機械的にではなく、作品の思想・主題の内容を生かす原則でしながらも、音楽を体操に服従させてマスゲームの特性が十分にあらわれるようにすべきです。これとともに、マスゲームの音楽を生気はつらつと、しかも荘重に演奏すべきです。

 マスゲームの音楽にはパンチャン(傍唱)を多く入れないことです。音楽にパンチャンを多く入れると、マスゲームが芸術化されてしまうので好ましくありません。

 昨年テレビでマスゲームを観たとき、パンチャンがあまり多いので、一度指摘しようと思っていたのですが、きょうマスゲーム『繁栄するチュチェの朝鮮』を観ると、たしかにパンチャンが多すぎます。このマスゲームでは、はじめからパンチャンがうたわれていますが、歌詞も明確に聞き取れません。マスゲームの音楽をいまのように、合唱をし女声独唱と男声独唱をかわるがわるやり、また合唱をするというように編成しては、マスゲーム音楽の特性が生かされず、マスゲームと芸術作品のけじめがつかなくなってしまいます。

 マスゲーム音楽の基本は吹奏楽です。マスゲーム音楽を吹奏楽で演奏すれば、さらに勇ましさを増し、あきもきません。人民軍の閲兵式のときに軍楽隊が2時間あまり吹奏楽で行進曲を演奏しますが、退屈せず聞くほど勇ましさを感じます。我が国ではじめてマスゲームをしたときは吹奏楽を多く使い、パンチャンは用いませんでした。これからマスゲームをするときには吹奏楽の演奏を基本とし、パンチャンはぜひ必要な場面に何曲か入れるのがよいでしょう。

 マスゲームの形象化水準を向上させるには、総演出編集を上手にしなければなりません。マスゲームの内容が革命的で、体操チーム、バックスタンド、音楽がいくら立派であっても総演出編集を上手にしなければ、効果をあげることができず、作品の質を保障することもできません。

 総演出編集は、マスゲームのどの部分に中心をおき、どの部分を生かすかを正しく見積もりそれにもとづいて各場面でのねらいどころの解明をめざすべきです。ここで最も重要なのは、マスゲームの各場面が明確なコントラストをなすようにすることです。

 マスゲーム『繁栄するチュチェの朝鮮』は総演出編集をこのような原則でおこなわなかったため、作品のねらいどころで効果を見ず、反復性と類似性を克服することができませんでした。このマスゲームで子供たちが第3章の終わりの部分にも第4章の最初の部分にも登場しますが、それは表現手法での反復です。各場面間のコントラストを考慮しなかったため、子供たちを第3章の終わりの部分に出演させてサンモ踊りを踊らせ、第4章の最初の部分でまた出演させたので、子供たちをかわいらしく見せ、金日成同志のふところで幸せに暮らしている朝鮮人民の姿を第4章を通じて高揚させようとした契機を逃してしまいました。サンモ踊りを子供に踊らせるからといって、上級の生徒たちのそれより引きつけられるわけではありません。子供たちのサンモ踊りの場面より、第4章で子供たちが駆け寄る場面のほうがもっと引きつけられるでしょう。

 総演出編集では、体操チームとバックスタンド、音楽の有機的な結合にも深い関心を向けなければなりせん。マスゲームが成功するかどうかは、三大構成要素である体操チームとバックスタンド、音楽をいかに効果的に結びつけるかにかかっています。マスゲームの三大構成要素が有機的に結合されず、それらがめいめいに動くようでは観衆の心をとらえることができず、かれらと呼吸を合わせることもできません。 総演出ではどの場面では体操チームの技巧を見せ、どの場面ではバックスタンドに視線が向けられるようにするかといった案をもち、それを実現できるように編集しなければなりません。例えば、バックスタンドがはなやかな場面のときにはそこに目が向けられるように体操チームでは妙技をふるわず、以前の動作を反復させたり、一般動作をさせるだけにし、体操チームの技巧を見せるときにはバックスタンドに目がいかないようにすることです。

 体操チームがあげる喊声もバックスタンドと一緒にあげさせることができます。マスゲーム『繁栄するチュチェの朝鮮』の第6章『祖国を統一し、三千里の山河をうたおう』で、体操チームの生徒とバックスタンドの生徒に同時に喊声をあげさせたのは非常によい試みだといえます。第4章『うたおう人民の楽園』でも子供たちが「やあ!」と歓声をあげて駆け寄るとき、バックスタンドの生徒にも一緒に歓声をあげさせていたならもっと大きな効果があがっていたはずです。

 体操チーム、バックスタンドと音楽を有機的に結びつけて、音楽が体操チームとバックスタンドを十分に際立たせるようにすることにも関心を向けるべきです。

 総演出編集では、音楽が各章で体操チームとバックスタンドを十分に際立たせるのみでなく、各章、各節を上手に連結して空間が生じないようにする問題も正しく解決すべきです。

 総演出編集ではマスゲームを通じて示したいものがなんであり、どの部分を生かせば人々の心理にかなうかをつぶさに検討して、それに適した具体的な演出案を立てるべきです。その過程がとりもなおさず創作過程だといえます。

 マスゲームを発展させるには、それを大衆化しなければなりません。

 スポーツの大衆化は、我が党が堅持している一貫した方針です。スポーツの一分野であるマスゲームも当然、大衆化してこそすみやかに発展させることができます。マスゲームを大衆化するのは、それ自体の要求でもあります。マスゲームは文字どおり集団的な体操なので、何人かの人が体操動作を上手にするからといってうまくいくものではありません。マスゲームの発展水準は、それに参加するすべての人の体操水準によって決まります。

 マスゲームの大衆化で重要なのは、高等中学校をはじめ、各級学校でマスゲゲームをさかんにすることです。

 学校でのマスゲームをさかんにするためには、それを担当して指導する教員を十分に準備させなければなりません。学校でマスゲームの重要性を教員に深く認識させるとともに、マスゲーム専門の創作機関では教員のためのマスゲーム講習を計画的に開催し、マスゲーム用の各種参考書を常時提供して、かれらの技術実務的資質をたえず高めなければなりません。

 学校でのマスゲームをさかんにするためには、輪、跳び縄、棍棒といったマスゲーム用具を十分にそなえなければなりせん。これらの体操用具さえあれば、学校では独自の計画に従ってマスゲームをいつでもおこなうことができます。

 社労青組織の役割を高めるのは、学校でのマスゲームをさかんにする重要な方途です。社労青組織は、すべての学校がそれぞれの実情に即して課外スポーツ活動要綱を作成して確実に実行するよう統制すべきです。また、マスゲーム競演大会を着実に催してすべての学校を積極的に参加させ、それを通じてマスゲームの水準をたえず高めていくようにすべきです。

 マスゲームを大衆化するには、市・郡の単位でさかんにおこなわなければなりません。市・郡で4.15(金日成主席の誕生日)をはじめ、重要な国家的祝日を契機にマスゲームをおこなえば、青少年学生と人民を教育するにもよく、祝日の雰囲気をもりあげるにも効果的です。かつて、北青(プクチョン)郡と安辺(アンビョン)郡、江西(カンソ)区域をはじめ、多くの市・郡で大衆的運動を起こして運動場をつくり、マスゲームをしたものですが、それは非常によいことです。今後このような立派な経験を一般化して、ほかの市・郡でもそれぞれの実情に即してマスゲームの内容と規模を正しく定め、マスゲームをさかんにすべきです。

 マスゲームを発展させるには、それに必要な物質的土台を築かなければなりません。

 マスゲームは体操チームとバックスタンド、音楽が結合して一つの作品をなす総合的な運動形式であるため、それを創作するには多くの資材と手段が必要です。資材と手段なしには思想性・芸術性の高いマスゲームを創作することができず、それを朝鮮人民の志向と要求に即応してたえず発展させることもできません。

 マスゲームのための物質的土台を築くには、体操用具と衣装、色紙などを生産して供給する基地をしっかり築くことが大切です。行政・経済機関では器具と衣装、色紙などを生産する工場を固定させ、そこに原料と資材を十分に提供して生産の正常化をはかるべきです。棍棒、輪、棒などの体操用具はいくつかの工場に専門的に生産させて各学校に供給することができます。

 マスゲーム用具を軽量化、現代化し、製作ずみの用具と衣装を効果的に利用する対策も必要です。マスゲームをおこなうたびに前回使用した体操用具と衣装を全部投げだし、新しいものだけ使うようではいけません。マスゲームの物質的土台は、既存の土台に新しいものを一つ一つ補充する方法で築くべきです。

 マスゲームのできる競技場を立派につくらなければなりません。立派な競技場があってこそ、バックスタンドまで構成してマスゲームをすることができます。各道・市・郡に競技場を立派にととのえれば、地方でも十分マスゲームができます。各道・市・郡ではそれぞれの実情に即してマスゲームのできる競技場を大衆的運動で建設すべきです。各道・市・郡が取り組めば、地元の資材でも立派な競技場を建設することができます。

 各道では競技場を設けるうえでモデルケースをつくり、その経験を一般化して、すべての市・郡に競技場を建設する運動を力強く展開すべきです。

 マスゲームを発展させるためには、マスゲーム創作団の機能と役割を高めなければなりません。

 マスゲーム創作団は、マスゲーム作品を創作して普及し、我が国のマスゲームを将来を見通して発展させる事業を責任をもって指導する専門機関です。マスゲーム創作団がその機能と役割を十分に果たせば、すぐれたマスゲーム作品をひきつづき創作し、我が国をマスゲームのモデル国としていっそう輝かすことができます。外国とのスポーツ交流をいっそう活発にし、朝鮮式のマスゲームを各国に普及するためにもマスゲーム創作団の機能と役割を高めなければなりません。

 マスゲーム創作団の機能と役割を高めるには、創作団の陣容をかため、その水準をたえず高めなければなりません。

 マスゲーム創作団の陣容を党と領袖に限りなく忠実で、技術実務的に有能な人たちでかためるべきです。

 マスゲームの質的水準は、創作家の資質によって決まります。創作家の資質が高ければ、すぐれたマスゲームを創作することができます。創作家は、発展する現実の要請に即応して自己の水準をたえず高めなければなりません。すべての創作家は、チュチェ思想とその具現である我が党の路線と政策を深く学習してそれを信念化し、その要求通りに思考し行動しなければなりません。これとともに専門部門の学習を地道にしてそれに精通し、マスゲームにかんする技量発表会を定期的に催して、高い創作的才能を身につけるべきです。

 マスゲーム創作団の機能と役割を高めるには、活動システムを確立し、必要な条件を十分に保障しなければなりません。

 なによりもまず、朝鮮体育指導委員会は、マスゲーム創作団がマスゲームを創作し普及する活動を統一的に掌握して指導するシステムを確立すべきです。マスゲーム創作団は、我が国のマスゲーム発展の展望計画をもって作品を計画的に創作し、当該機関との連係のもとに各学校に出かけて青少年学生のスポーツ的技巧水準を向上させる活動を日常的におこなうべきです。

 マスゲーム作品の審査システムも確立すべきです。

 マスゲーム作品の審査システムは、審査委員会を設け、台本の創作から部分別の創作と総演出編集案の作成にいたるまで作品の創作と創造の全過程を集団的かつ単一的な原則によって審査できるように確立しなければなりません。

 マスゲーム作品を審査するときは、集団主義の原則を堅持し、作品が政策上の要求と形象上の要求をともに正しく反映しているかを検討しなければなりません。つまり、マスゲームの思想・主題の内容が党の路線と政策、時代の要請にかなっているか、マスゲームの特性を生かす原則で高いスポーツ的技巧水準で形象化されているか、体操チーム、バックスタンド、音楽が有機的に結合し、新しい形式と方法でめあたらしく形象化されているか、マスゲーム作品が当該行事の性格に合わせて創作されているかなど各側面を集団的に十分検討すべきです。

 マスゲーム審査委員会は、マスゲーム部門の幹部と権威ある実務家で構成すべきです。

 マスゲーム作品にたいする大衆的な合評も十分におこなわなければなりません。これは、創作家とマスゲーム関係者全員に作品を見せて意見を聞き取る方法でおこなうことができます。

 マスゲーム創作団のメンバーがマスゲームにかんする資料を系統的に研究し、新しい作品を創作して普及するうえでの技術・実務上の問題を適切に解決して、かれらが創作活動を力強くおし進められるようにすべきです。

 さしあたり、マスゲーム『繁栄するチュチェの朝鮮』を早急に完成すべきです。マスゲーム『繁栄するチュチェの朝鮮』の基本的な欠点は舞踊化、芸術化されていることです。だからといって、体操チームの体操動作と音楽をいますぐ全面的に手直しするわけにはいきません。これから4.15までは何日も残っていないので、体操動作と音楽を全面的に手直しするとなると4.15行事が保障できません。

 マスゲーム『繁栄するチュチェの朝鮮』の構成編集と体操チームの体操動作はそのままにし、音楽のテンポを速める方法で手直しすべきです。叙情的な歌を生気はつらつとした歌にかえ、吹奏楽を主とすれば、体操チームの動作が早まり、マスゲームがひとしおはつらつとして気迫にみちたものになるでしょう。

 マスゲーム『繁栄するチュチェの朝鮮』の歌を検討し、かえるべきものはかえるべきです。祝賀章でうたわれる歌『めでたし人民の祝日』はゆるやかでたるんだ感じがするので、明るく力強い『金日成将軍の歌』にかえるべきです。このマスゲームを『金日成将軍の歌』ではじめ、『金日成主席の万年長寿をいのります』でしめくくれば、始めと終わりが具合よく統一されるでしょう。

 マスゲーム『繁栄するチュチェの朝鮮』のバックスタンドの文字と絵もつりあいがとれなかったり場面に合わないものはかえるのがよいでしょう。バックスタンドで第1章『金日成主席をうたいます』というタイトル文字が万景台(マンギョンデ)の生家の絵のうえに描かれていますが、そうせずに文字だけ大きく描き出すべきです。タイトル文字と万景台の生家を同時に描いては、タイトル文字が生かされません。

 来年度のマスゲーム作品の準備に力を入れるべきです。来年は、共和国創建40周年にあたる年ですから『共和国が歩んできた40年』という題でマスゲームを準備することができます。共和国創建40周年にちなんだマスゲームの創作では、創作家にたいする要求の度合をさらに高める考えです。みなさんは党の要求を正しく認識し、いまから準備に力を入れて、来年度にはより立派なマスゲームを創作して発表しなければなりません。

 マスゲーム部門の幹部と創作家にたいする党の信頼と期待は大なるものがあります。最近、マスゲーム創作団創立15周年を迎え、マスゲーム部門の幹部と創作家は金日成同志と記念撮影をする光栄に浴しました。マスゲーム部門のすべての幹部と創作家は、党の高い信頼と配慮を胸に深く刻み、我が国のマスゲームをさらに発展させるために奮闘しなければなりません。

出典:「金正日選集」9巻

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