金 正 日

         朝鮮労働党は栄えある「トゥ・ドゥ」の伝統を
継承したチュチェ型の革命的党である
−1982年10月17日−


 きょう、10月17日は偉大な領袖金日成同志によって打倒帝国主義同盟が結成された56周年に当たる日である。

 「トゥ・ドゥ」(打倒帝国主義同盟)の結成により、朝鮮人民の革命闘争は、新たな発展段階に入り、栄えある我が党が根をおろしはじめた。

 打倒帝国主義同盟から根をおろしはじめて以来、半世紀有余の栄えある闘争の道程を歩んできた我が党は、その過程で世紀に輝く偉大な業績をつみあげ、鉄のように統一、団結し、豊かな経験をもった強力な革命的党に成長した。

 我が党は、人民を導いて民族の独立を達成し、民主主義革命と社会主義革命を遂行し、壮大な建設事業を進めて国の面目を一新し、世人を驚嘆させる「社会主義模範の国」を建設した。我が党は、アメリカ帝国主義の武力侵攻に抗する困難な闘争で人民を勝利に導き、祖国と革命を誇らしく守りぬいた。

 我が党は、祖国と人民、時代と歴史の前につみあげた不滅の業績によって、全朝鮮人民の絶大な支持と信頼を受けている。

 こんにち、我が党は全党に唯一思想体系が確立した洗練された革命の参謀部として、いつにもまして組織的、思想的に強化され、自己の偉業の正しさと勝利の確信にみちて全社会のチュチェ思想化偉業を成功裏に導いている。




 我が党は、長い歴史をもつ栄えある党であり、自己の新しい発展の道を切り開いた革命的党である。

 労働者階級の党は革命の参謀部であり、すべての勝利の組織者である。党の指導なしには、労働者階級と人民大衆の革命闘争において勝利を期待することはできない。初期共産主義運動で曲折をへた朝鮮革命は、あらゆる試練に耐えて革命を勝利に導く戦闘的な党を切実に求めた。朝鮮革命のこの切実な要求は、金日成同志が革命の陣頭に立つことによって立派に解決された。

 日本帝国主義支配の最も暗たんとした時期、朝鮮革命の陣頭に立った金日成同志は、新しい革命の道を切り開くため、正しい闘争綱領をもち、大衆に依拠して反日民族解放闘争を展開する革命の前衛組織の結成を構想し、1926年に打倒帝国主義同盟を結成した。

 「トゥ・ドゥ」の結成は、朝鮮共産主義運動と朝鮮革命の新たな出発を告げる歴史的な宣言であった。このときから朝鮮共産主義運動と民族解放運動は事大主義、教条主義に毒された古い世代と決別し、自主性の原則にもとづいて前進する新しい時代を迎えるようになった。「トゥ・ドゥ」の結成は、我が国での従来の党と区別される新しい型の党、チュチェ型の革命的党の創立をめざすたたかいの起点となった。「トゥ・ドゥ」の綱領は我が党の綱領の基礎となり、「トゥ・ドゥ」のうちだした自主性の原則は我が党の建設と活動の原則となり、「トゥ・ドゥ」が育成しはじめた新しい世代の共産主義者は我が党創立の根幹となった。これは、我が党がほかならぬ「トゥ・ドゥ」を根元にして成長したことを意味する。

 「トゥ・ドゥ」からはじまった革命的党創立をめざす闘争は、金日成同志の朝鮮共産主義青年同盟結成によって新たな前進を遂げた。朝鮮共産主義青年同盟は、単なる青年組織ではなかった。それは、我が国の共産主義運動に新しい世代が登場した当時の状況のもとで、朝鮮革命の前途を開く使命をおびて広範な反日大衆団体を統一的に指導する革命的前衛組織であった。

 金日成同志が1920年代後半期に打倒帝国主義同盟と朝鮮共産主義青年同盟を結成し、朝鮮革命を指導することによって、初期共産主義運動の欠陥は克服され、新しい世代の共産主義者が数多く成長し、我が国で革命的党の創立問題が日程にのぼるようになった。

 金日成同志は、1930年に開かれた卡倫会議で朝鮮革命の主体的な路線をうちだし、革命的党創立の独創的な道を示した。

 卡倫会議で示された党創立方針でなによりも重要なのは、自主的に党を創立することであった。

 自主性を堅持することは、共産主義運動本来の要求である。共産主義運動は、個々の国で人民大衆の自主性を実現する闘争であり、その担当者、主人はその国の共産主義者と人民自身である。各国における労働者階級の党創立も、あくまでその国の共産主義者が主人となり、自分の力でなすべきことである。

 自主的に党を創立する方針は、新たな発展段階にはいった国際共産主義運動の要求にも合致するものであった。労働者階級と人民大衆の革命闘争が世界的規模で幅広く多様に展開されるにつれ、各国の革命はその国の共産主義者が責任をもって自主的におこなわなければ正しく前進させることができなくなった。これは、各国における党創立の活動も、その国の共産主義者が責任をもって自主的におこなうことを求めた。

 卡倫会議で示された党創立方針で重要なのはまた、基礎党組織を先に結成し、それを拡大強化する方法で党を創立し、党創立の準備活動を反日闘争と密接に結びつけて進めることであった。

 従来は、分散して活動する共産主義グループを結集するか、社会民主主義政党から革命派が分離して、労働者階級の革命的党を創立するのが一般的現象であった。しかし、我が国の状況ではそのような道を歩むことができなかった。当時、我が国で共産主義者と自称していた者の大部分は他人に頼り、派閥争いに明け暮れて党を破壊した分派・事大主義者であった。既に解散させられた党を「再建」したり、分派・事大主義に毒された既成の世代に頼っては、絶対に革命的党の創立は不可能であった。

 革命的党を創立するためには、従来の党やセクト主義、事大主義に毒された既成の世代と決別し、清新な新しい世代の共産主義者を育成し、共産主義隊伍の思想、意志の統一を実現して大衆との結びつきを強めなければならなかった。まず、基礎党組織から結成し、それをたえず拡大強化してこそ、組織・思想生活と実践闘争のなかで労働者、農民出身の新しい世代の共産主義者を早く育成するとともに、共産主義隊伍の思想、意志および行動の統一と純潔を保ち、党の大衆的基盤をかためることが可能であった。また、党創立の準備活動を日本帝国主義との闘争と密接に結びつけて進めてこそ、たたかいのなかで鍛えられ点検された共産主義中核を立派に育成し、党を闘争力の強い戦闘的部隊につくりあげていくことが可能であった。

 卡倫会議で示された党創立方針は、このように国際共産主義運動と我が国の現実的要求を反映した正しい方針であった。

 金日成同志によって示された党創立方針にもとづき、卡倫会議以後、党組織の建設が活発に進められた。

 金日成同志は1930年7月初旬、卡倫で新しい世代の青年共産主義者で最初の党組織を結成した。これはチュチェ思想を指導思想とする最初の党組織であり、我が党の起源となる栄えある党組織であった。

 金日成同志は、最初の党組織を母体として各地に党組織を拡大していった。

 金日成同志のエネルギッシュな指導と活動によって、1930年10月初旬、穏城(オンソン)一帯の革命組織の中核メンバーによって党組織が結成され、短期間に武装隊伍と豆満(トゥマン)江沿岸の東満州一帯、北部国境一帯に数多くの基礎党組織が結成された。

 基礎党組織を拡大する一方、それにたいする統一的指導を保障する党組織指導体系を確立する活動が積極的におし進められた。こうして、県党委員会から村落の党細胞にいたる党組織指導体系が確立され、反日人民遊撃隊内には連隊に党委員会、中隊に党細胞、小隊に党分組が組織されて活動した。

 特に1934年3月、反日人民遊撃隊が朝鮮人民革命軍に改編されるにともない、朝鮮人民革命軍党委員会を組織し、部隊内の各級党組織はもちろん、地方党組織まで掌握、指導する画期的な措置が講じられた。

 朝鮮人民革命軍党委員会の結成は、朝鮮共産主義運動と我が党の建設において重要な意義をもつ出来事であった。朝鮮人民革命軍党委員会の結成によって、各級党組織にたいする統一的な組織指導体系が確立され、より組織化された主体的革命力量に依拠して抗日武装闘争と党組織の建設がさらに活発に進められるようになった。

 金日成同志は、1930年代前半期の成果にもとづき、後半期には党組織を国内に広く拡大し、反日の旗のもとに全民族の団結をなし遂げ、党組織全般にたいする整然たる統一的指導体系を確立し、朝鮮革命全般にたいする党の指導を確固と実現する構想を立て、この課題を立派に解決した。ここで、1936年2月、南湖頭で開かれた朝鮮人民革命軍軍事・政治幹部会議は重要な歴史的意義をもつものであった。

 金日成同志は南湖頭会議で、1930年代前半期の党組織建設活動を総括し、この活動を全国的範囲にわたって力強く展開し、機が熟せば適時に党の創立を宣言できるよう組織的・思想的基礎を強固にきずく方針を示した。

 金日成同志は南湖頭会議の方針に従って、朝鮮人民革命軍部隊内の各級党組織をかためる一方、国内と満州一帯の朝鮮人居住地域に党組織を拡大させ、その指導を強化するため、国内党工作委員会と長白県党委員会、東満州党工作委員会を設けた。その結果、満州の広範な地域と朝鮮の北部国境一帯に党組織が急速に拡大し、党組織指導体系が整然と確立された。

 全国的範囲にわたって党組織が拡大され、朝鮮人民革命軍党委員会から地方党組織にいたるまで、統一的な党組織指導体系が確立された結果、すべての党組織と我が国革命運動全般にたいする金日成同志の唯一的指導が確固と保障されるようになった。

 1936年5月、祖国光復会の創建は労働者、農民をはじめ、各階層の人民大衆を金日成同志のまわりにかたく結集させ、党の大衆的基盤を強化するうえで歴史的な意義をもつ出来事であった。祖国光復会は、党の指導が裏打ちされた反日民族統一戦線組織であった。党組織と共産主義者は広範な人民大衆を祖国光復会に結集させ、朝鮮革命の主体的な路線と方針を実現するたたかいに決起させた。祖国光復会が創建され急速に拡大された結果、より多くの共産主義者が育成され、党の大衆的基盤がいっそう強化され、人民各階層にたいする党の指導を実現するうえで新たな前進がもたらされた。

 このように抗日革命闘争の時期、朝鮮人民革命軍隊伍と国内外の広範な地域に我が党の組織が設けられ、それが朝鮮革命の司令部と組織的に連結されて、朝鮮革命全般にたいする領袖の指導、党の指導が成功裏に実現した。

 革命運動にたいする党の指導で最も重要なのは、各時期の新しい情勢を科学的に分析し、正しい路線と政策、戦略・戦術をうちだして闘争の前途を明らかにすることである。

 党の路線と政策、戦略・戦術は領袖によって提示され、党会議で討議、決定される。金日成同志は不滅のチュチェ思想を創始し、それを具現して党および共青幹部会議と軍事・政治幹部会議で各時期における朝鮮革命遂行の正確な路線と戦略・戦術を提示した。これは、チュチェ思想にもとづいた革命隊伍の思想、意志および行動の統一を保ち、朝鮮の共産主義者と人民があれほど困難な状況のもとでも、常に明確な指針をもってたたかえるようにする決定的な保障となった。事実、当時の条件で党および共青幹部会議と軍事・政治幹部会議は、党の組織的意思を反映する会議であり、党の指導を実現する重要な方途であった。

 革命運動にたいする党の指導で重要なのはまた、大衆との血のかよった結びつきを強め、かれらを領袖の示した路線と方針の貫徹に組織、動員することである。

 当時、朝鮮革命において主流をなしたのは武装闘争であり、党の指導における基本は武装闘争を勝利に導くことであった。朝鮮人民革命軍内に設けられた党組織は、党員と遊撃隊員を領袖のまわりに団結させ、かれらに領袖の示した革命路線と戦略的・戦術的方針を解説し浸透させ、それを貫徹するよう保障した。また国内外の各地域に設けられた党組織は、広範な大衆のなかに深く根をおろし、労働者、農民、青年学生をはじめ、各階層の人民を反日闘争へと組織、動員する教育者、組織者の役割を立派に果たした。

 朝鮮の共産主義者と人民は、このように自己の党組織をもち、その指導のもとにたたかったがゆえに、比類なく困難な状況においても反日民族解放闘争をたえまない高揚へと導き、その最終的勝利を早めていくことができた。

 金日成同志は、抗日革命闘争期にみずからきずいた党建設の成果と経験を踏まえて、解放後いち早く各地方に党組織をつくり、1945年10月10日に北朝鮮共産党中央組織委員会を創設した。これは金日成同志の指導のもとに、長期間にわたって進められてきた党創立の偉業を完成した歴史的な出来事であった。我が党は、チュチェ思想を指導思想とする労働者階級の新しい型の革命的党として、全世界に輝かしい光を放つようになり、朝鮮人民は、党の指導のもとに新しい社会の建設を確信をもっておし進めうるようになった。

 解放後、我が党は、政権党としてその発展の新しい道を歩んできた。

 政権党としての我が党の建設史は、党隊列を拡大し、組織的、思想的に強化する過程であった。ここでまず提起された問題は、党を速やかに大衆的政党に発展させることであった。党を大衆的政党に発展させ、広範な勤労大衆のなかに深く根をおろしてこそ、各階層の人民大衆を動員し、政治、経済、文化など各分野の活動を指導し、新しい祖国の建設を力強くおし進めることが可能であった。

 金日成同志は、新しい情勢と党発展の合法則的要求を深く洞察し、我が党を大衆的政党に建設する独創的な組織路線を示し、共産党をほかの勤労者党と合同して勤労大衆の統一的な党を結成した。

 共産党を大衆的政党に発展させることは、新しい時代的条件に合致する我が党と革命発展のさし迫った要求であった。人民大衆が歴史の主人として登場した新しい時代的条件においては、労働者階級だけでなく農民、勤労インテリが広く革命に参加するようになる。権力を握った労働者階級の党は、労働者とともに農民、勤労インテリを幅広く団結させ、かれらにたいする統一的指導を保障してこそ、革命と建設を成功裏に遂行することができる。ことに過去、植民地半封建社会であった我が国においては、労働者階級とともに農民と勤労インテリを革命と建設に積極的に参加させることが極めて重要な戦略的問題として提起された。解放後、共産党が組織的、思想的に強化され革命が発展するにつれて、広範な勤労大衆を一つの政治勢力として結集し、その力を動員することのできる統一的な大衆的政党に党を発展させることが機の熟した課題として提起された。我が党は適時にほかの勤労者党と合同して、労働者階級とともに農民、勤労インテリの先進分子を党に多く受け入れることによって、勤労大衆の統一を確固と保障し、大衆との結びつきを強化し、各階層の大衆を組織、動員して革命と建設を勝利のうちにおし進めることができた。

 我が党を大衆的政党に建設するうえで提起された重要な課題は、党隊列の急速な量的成長に質的強化を追いつかせることであった。

 1948年3月に開かれた第2回党大会は、党の質的強化を大衆的党建設における中心問題としてうちだし、党細胞の強化、党の思想活動の改善、党の組織的・思想的統一の保障など、党の質的強化の課題を全面的に提示した。第2回党大会で示された党の質的強化の方針を貫徹するたたかいを通じて党の組織活動と思想活動が改善され、党細胞が全般的に生気はつらつとした戦闘的組織に強化され、党員と幹部の水準がいちだんと高まった。結果、党隊列が質的にかためられ、党の統一、団結が強化され、党組織の戦闘力と党の指導的機能が高まった。

 1950年代はチュチェ型の党としての我が党の発展において、画期的意義をもつ歴史的時期であった。

 アメリカ帝国主義の武力侵攻に反対する祖国解放戦争は、我が党にとって厳しい試練であった。戦争で勝利するためには、なによりも党を組織的、思想的に強化し、全人民を党のまわりにかたく結集しなければならなかった。

 金日成同志は、苛烈な戦争のさなかにあっても党中央委員会第3回、第4回、第5回総会を招集し、党建設と党活動にあらわれた偏向と欠陥を適時に是正し、党を組織的、思想的に強化するよう導いた。党中央委員会第3回総会を通じて、一時的後退期の無規律な現象が克服されて党内に革命的規律が確立され、党中央委員会第4回総会を通じて、党組織活動にあらわれた極左的偏向が克服され、党隊列が拡大強化された。特に、我が党は、党中央委員会第5回総会を通じて党員の党性を鍛え、セクト主義に反対し党の統一、団結を強化し、党の思想活動において主体性を確立するたたかいへとすべての党組織と党員を立ち上がらせることによって、党を組織的、思想的に強化するうえで新たな前進をもたらした。

 このように、我が党は、適時に党を強化する措置を講じたため、あらゆる試練を克服して祖国解放戦争の勝利を確固と保障することができた。

 戦後、我が党は、主体性を確立し、統一、団結を強化するうえで画期的な転換をもたらした。

 我々は祖国解放戦争で勝利し、戦後短期間に人民経済復興事業を完成したが、実状はまだ困難であった。そのうえ、党内に残っていた分派分子が修正主義に同調し党に挑戦した。当時の情勢は、チュチェの旗を高くかかげて党を組織的、思想的に強化することを切実に求めた。

 金日成同志は1956年4月に第3回党大会を招集し、党建設分野でセクト主義に反対して党の統一、団結を固守し、党の組織活動と思想活動を改善するための綱領的課題を提示し、党中央委員会1956年8月総会で党に挑戦した反党反革命分派分子を暴露、粉砕するたたかいを賢明に導いた。金日成同志にかぎりなく忠実な抗日革命闘士をはじめ、全党員と勤労者は、反党反革命分派分子の策動に断固とした反撃を加え、党と領袖をしっかりと守った。我が党の強化、発展における第3回党大会と党中央委員会1956年8月総会の歴史的意義は、セクト主義、修正主義などあらゆる反党的、反革命的思想要素に反対し、チュチェの旗、党の統一、団結の旗を高くかかげたことにある。第3回党大会と党中央委員会1956年8月総会を契機に、我が党の活動では主体性がさらに強く確立され、党の統一、団結がいちだんと強化された。このように我が党は、適時にセクト主義、修正主義に反対して主体性を確立し、党の統一、団結を固守したがゆえに、内外の情勢が複雑であった時期にも動揺することなく、革命の旗を高くかかげて党を組織的、思想的にいっそう強化することができた。

 我が党は、1960年代に新たな高い発展段階に入った。

 社会主義基礎建設の課題が完遂されて先進的な社会主義制度が全一的に確立され、強固な自立的民族経済の土台がきずかれた結果、党活動の社会的・経済的条件は根本的に変わった。また、反党分派分子とその思想的毒素に反対するねばり強い闘争を通じて、長いあいだ大きな弊害を及ぼしてきた分派を一掃し、朝鮮共産主義運動の統一を実現する歴史的偉業が達成された。これは、我が党がその発展において新たな段階に入ったことを意味する。

 金日成同志は、このような歴史的時期に開かれた第4回党大会で、党を組織的、思想的にひきつづき強化し、その指導的役割を高めるための綱領的課題を示し、特に修正主義、セクト主義、地方主義、家族主義に反対し、党の思想、意志の統一を守ることによって、すべての党員と党組織が党中央委員会とともに考えともに行動し、いかなる困難な状況のもとでも党中央委員会と運命をともにして最後までたたかうように強調した。第4回党大会が党建設分野に示した課題を貫く闘争をつうじて党の統一、団結はさらに強化され、党の指導的役割がいっそう高まり、党の活動方法と作風を改善し、大衆を教育改造して党のまわりに結集する活動に画期的な前進がもたらされた。特に、1967年5月に開かれた党中央委員会第4期第15回総会を契機に、党の唯一思想体系を確立する活動では決定的な転換がもたらされた。

 1970年代は、我が党の発展において新たな偉大な転換が起こった時期であった。

 1970年11月に開かれた第5回党大会は、全党に唯一思想体系を確立し、それにもとづいて党隊列の統一と団結を強化することを党活動の総体的課題として規定し、党活動の基本である対人活動を立派におこなうための綱領的課題を示した。我々は第5回党大会が示した党活動の総体的課題を貫くことによって、我が党をたえず強化し、我々の革命偉業を代を継いで完成する強固な組織的・思想的基礎をきずきあげた。

 党の偉業は代を継いで引き継がれ、党はその使命を果たすまで革命的性格をゆるぎなく守り通さなければならない。労働者階級の党が自己の革命的性格を代を継いで固守し、その気高い使命をまっとうするためには、党を強化する活動、党の組織的・思想的基礎をかためる活動を見通しをもっておこなわなければならない。

 我が党は、党と革命発展の前途を見通して、全社会をチュチェ思想化する戦略的方針をうちだし、その先決条件として全党のチュチェ思想化を早めるために積極的にたたかってきた。

 全党のチュチェ思想化は、党の唯一思想体系を確立する活動の新たな高い段階である。我が党は、党と指導者にたいする限りない忠実さを党員の最も大切な品性として規定し、すべての活動を党の唯一思想体系の確立に服従させておこない、党内に唯一思想、チュチェ思想がみなぎるようにし、それにもとづいて党隊列の思想、意志の統一を強化した。我が党は特に、革命の根幹力量をかためることに深い関心を払った。党は、党と領袖にたいする忠実さを基本的表徴とし、老・中・青をとりあわせる原則で幹部陣容をかため、幹部と党員のなかで組織観念を高め、党生活を正規化、規範化して、かれらの党性鍛練を強化した。党の示した幹部革命方針と幹部と党員の政治・実務水準の向上をめざす全党の幹部化方針を貫く闘争を通じて、我々の幹部陣容と党隊列は強化され、チュチェの革命偉業を最後まで完成しうる根幹力量がしっかりとととのえられた。

 我が党は、党の唯一思想体系を確立する活動を深化させ、幹部陣容と党隊列を強化する活動を新しい革命的活動体系の確立と密接に結びつけて進めた。我々は、党内に金日成同志の教えと党の方針が下部末端にまで適時に浸透され、すべての党組織と党員が中央集権的規律のもとに一心同体となって動き、党の路線と方針を無条件、擁護、貫徹する整然とした活動体系を確立することによって、党活動に新たな転換をもたらした。

 1970年代に党建設と党活動で達成した成果は、我が党がより高い目標を立ててたたかいうる強固な基礎となる。1980年代の初に開かれた第6回党大会は、全社会のチュチェ思想化をめざす新たな雄大な闘争綱領をうちだして、全党の唯一思想体系の確立を党建設の基本路線としてひきつづき堅持し、党隊列と革命隊伍をさらにかため、革命伝統を立派に継承、発展させ、革命と建設にたいする党の指導を強化するという党建設分野の戦闘的課題を示した。これは我が党が、全社会のチュチェ思想化を前面に提起し実現していく偉大な党として新たな高い発展段階に入っていることを意味する。

 我が党は、チュチェの旗を高くかかげて栄えある闘争の道程を歩み、その過程でさらに鍛えられ洗練された。

 我が党は、革命闘争と建設事業を指導する全過程で、常にすべての勝利の鍵を党の強化に求め、なによりもまず党を組織的、思想的に強化して内外の敵の策動を粉砕し、革命隊伍をさらに強固にし、おり重なる難関と試練を克服して革命と建設を輝かしい勝利の道に導いた。

 「トゥ・ドゥ」の旗のもとに革命の前途を切り開いた朝鮮共産主義運動は、こんにち全社会のチュチェ思想化を前面に提起し、革命の最終的勝利をめざして力強くたたかっていく極めて高い段階に到達している。この偉大な闘争の組織者、指導者である我が党は、思想性と組織性において、大衆との結びつきにおいて、かつてない不敗の戦闘隊伍として成長し強化された。こんにち我が党内には、党を永久にチュチェ型の革命的党として発展させる強固な組織的・思想的基礎がきずかれ、チュチェの革命偉業を立派に継承、発展させる指導体制が確立された。これは、金日成同志によって切り開かれた革命偉業を代を継いで最後まで完成しうる確固たる裏付けがととのえられたことを意味する。




 「トゥ・ドゥ」に源を発して、独創的な道を歩んできた我が党は、労働者階級の新しい型の革命的党である。

 我が党はチュチェ思想を指導的指針とし、朝鮮人民の利益と国の現実にそくして自主的に、創造的に革命活動を展開するチュチェ型の革命的党である。チュチェ思想を確固たる指導的指針とし、党建設と党活動の各分野で主体性を確立することによって、我が党は不敗の革命的党に発展した。

 もともと労働者階級の党が主体性を確立するのは、党自体の性格と使命からくる根本的要求である。労働者階級の党は、あらゆる支配と従属に反対し、人民大衆の自主性を実現するためにたたかう政治的指導機関であるため、当然主体性を確立すべきである。党が主体性を欠き他人の笛に踊るならば、結局、党も革命もすべて台無しにしてしまう。自分の信念にもとづいて自主的に活動する党のみが、自己の指導思想によって統一、団結した強力な党となり、自国人民大衆の支持と信頼をかちとり、かれらの尽きない力を引き出して革命と建設を力強くおし進めることができる。

 労働者階級の党が主体性を確立するうえで重要なのは、事大主義、教条主義を克服することである。とりわけ事大主義、教条主義が蔓延して共産主義運動に極めて大きな弊害をもたらした我が国において、主体性を確立するのは党と革命の運命にかかわる死活の問題となっていた。朝鮮の共産主義者は、反日民族解放闘争期にも、また解放後の民主主義革命と社会主義革命および社会主義建設の時期にも一貫して事大主義と教条主義に反対し、主体性を確立するためのたゆみない闘争によって、党を強化し革命闘争を前進させてきた。

 抗日革命闘争の時期に、事大主義者は他人の承認を受けて党を創立し、他人の力を借りて独立の達成をはかろうとしたため、我が国共産主義運動に大きな害悪を及ぼした。解放後、事大主義、教条主義の害悪は、祖国解放戦争の時期に甚だしくあらわれ、社会主義革命と社会主義建設の本格的な進捗にともなって、それは我慢のならないものとなった。

 つとに抗日革命闘争当時から事大主義、教条主義に反対してたたかってきた金日成同志は、革命と建設が進むにつれて主体性をさらに強く確立するよう正しく導いた。我が党は、主体性の確立にかんする党の革命的方針に従って、人びとの頭に残っている事大主義、教条主義を根こそぎにするための思想闘争を力強くくりひろげるとともに、かれらを偉大なチュチェ思想とその具現である党の路線と政策で武装させ、すべての問題を主体的立場から考察し判断し、自力で解決するようにした。主体性確立の闘争を通じて党員と勤労者の思想生活には新たな転換が起こり、チュチェ思想にもとづく党の統一、団結がさらに強化され、革命と建設では不断の高揚が起きた。

 こんにち、我が党は、全党をチュチェ思想化しようというスローガンをかかげて、党建設と党活動で主体性を確立する闘争をさらに深めており、この過程を通じてチュチェ型の革命的党としての風格を完全にととのえている。

 我が党は、全党に唯一思想体系の確立した不敗の革命的党である。

 党の唯一思想体系を確立するのは、我が党建設の基本路線である。党内に思想と指導の唯一性を期することは、労働者階級の党本来の要求である。これは、党の唯一思想体系を確立する活動を通じて実現される。党の唯一思想体系が確立されてこそ、全党が領袖の思想で武装し、領袖の思想、意志に従って、ともに呼吸をし、ともに動く生きた有機体となりうるのである。

 党の唯一思想体系の確立において重要なのは、全党を領袖の思想で武装させることである。

 領袖は、全党の組織的意思の体現者であり、領袖の思想はすなわち党の指導思想である。党の思想的唯一性は、もっぱら領袖の思想にもとづいてのみ実現される。

 我が党は、唯一思想教育を党の思想活動の基本としてうちだし、それを強くおし進めた結果、全党が一つの思想で支配され、すべての党員が領袖の革命思想、チュチェ思想で武装し、その要求どおりに思考し行動するようになった。

 党の唯一思想体系の確立において重要なのはまた、領袖の唯一的指導を徹底して実現することである。

 領袖とは党の最高指導者のことであり、党の指導はとりもなおさず領袖による指導である。我が党は金日成同志の唯一的指導のもとに、すべての党組織と党員が一体となって動き、党政策を絶対性、無条件性の原則に立って擁護し貫徹する整然とした体系を確立した。

 我が党は党内に唯一思想体系を確立することによって、党の威力をかつてなく強化し、いかなる難関や試練をも克服して革命と建設を一路勝利に導くことができた。

 革命の進展とともに、党の唯一思想体系を確立する活動を強化するのは、党と革命発展の合法則的要求である。我が党が創立され強化発展してきた全路程は、党の唯一思想体系確立の活動がたえず深化してきた過程である。我が党は1970年代に、全社会のチュチェ思想化が前面に出された革命発展の要求にそくして党の唯一思想体系確立の原則を新たに提起し、この活動をさらに深めた。こんにち我が党は、全党が金日成同志のまわりにかたく団結し、党と領袖の意図に従って思考し、行動する忠誠の隊伍に強化された。これは、党建設のための朝鮮共産主義者の長期にわたる闘争でおさめた、最も貴い獲得物である。

 我が党はチュチェ思想にもとづき、最も強固な統一、団結を実現した威力ある党である。

 党隊列の統一、団結は、革命的党の力の源泉である。統一し団結した党は不敗であり、労働者階級の党建設において党隊列の統一と団結より貴重なものはない。

 党の統一、団結は、闘争をつうじて実現される。反党的潮流との闘争は本質において党内における階級闘争の反映である。反党的潮流と異質的要素との断固とした容赦ない闘争をおこなわずには、党隊列の統一と純潔を保つことはできない。我が党は、セクト主義をはじめ、あらゆる異質的要素と反党的潮流を克服する闘争を通じて、隊列の統一、団結をたえず強化してきた。

 我が党の統一、団結のための第一の闘争対象は、セクト主義であった。抗日革命闘争期に金日成同志の指導した革命隊列内ではセクト主義が克服され、全隊伍が金日成同志のまわりにかたく結集していた。金日成同志を中心とする革命隊列の確固たる統一、団結は、祖国と人民の運命を切り開くための血のにじむ闘争過程できずかれた朝鮮共産主義運動の貴い伝統である。ところが、裏切者や市井の輩になりさがった分派分子が解放後の混乱に乗じて、共産主義隊列内に潜入し、党の統一、団結を破壊するため悪らつに策動した。かれらはその分派的野望を遂げるため、甚だしくは帝国主義者との結託をもはばからなかった。

 セクト主義を容認しては、労働者階級の党の思想、意志の統一を達成することも、党が一つの統一体として存在することも不可能である。我が党は統一をめざす闘争で、まず歴史的につたわるセクト主義との闘争に力を集中し、党内から反党分派分子を一掃し、朝鮮共産主義運動の偉大な統一をなし遂げた。

 党の統一、団結をめざす闘争は、歴史的に尾をひくセクト主義の克服をもって終わったわけではない。我が党はこのような分派の汚物を一掃した後にも、反党修正主義分子との闘争をつづけ、統一をめざす党の歴史的闘争を新たな高い段階に発展させた。

 我が党の統一、団結の偉大さと不敗性は、金日成同志を中心とし、党と領袖にたいする全党員の限りない忠誠にもとづく統一、団結にある。党の統一、団結の中心は、領袖である。党の統一、団結の強固さは、領袖のまわりに全党員がどのように結集するかにある。我が党の統一、団結は、決してある種の義務感からなされたものではない。それは、党と領袖への全党員のかぎりない尊敬と絶対的な信頼にもとづいている。それは党と領袖を政治的、思想的に生命を賭して擁護し、党と領袖のためには生命をも惜しまずにたたかう確固たる革命的信念と信義にもとづいた統一、団結である。

 我が党の統一、団結の偉大さと不敗性は、思想、意志の統一、団結にある。党の統一、団結で重要なのは、思想、意志の団結を遂げることである。一つの思想にもとづく思想、意志の統一であってこそ強固な統一であり、実務的な団結では強固な統一が遂げられない。一つの思想とは、ほかならぬ党の創立者である領袖の革命思想である。領袖の革命思想は党の統一、団結の基礎であり、労働者階級の党の統一、団結は領袖の革命思想にもとづく思想、意志の統一、団結である。我が党は、チュチェ思想を世界観とするチュチェ型の共産主義者の思想、意志の統一体である。

 金日成同志を中心とし、チュチェ思想にもとづく偉大な統一、団結があるがゆえに、我が党は強力なのである。

 我が党は、組織性と規律性の強い鉄の党である。

 革命的組織性と規律性は、労働者階級の最高組織であり階級闘争の武器、革命と建設の武器である党の生命である。党内に鉄のような組織性と規律性が保たれてこそ、労働者階級の党は真に革命的で戦闘的な党となり、いかなる難関や試練をものりこえて、革命闘争を勝利に導くことができる。歴史の教訓が示しているように、自由主義と無規律が支配すると、党は破滅の運命をまぬがれえない。

 我が党は、なにものによっても切りくずすことのできない強い組織性と規律性によって、さらに威力ある百戦百勝の不敗の党となった。我が党の組織性と規律性が最も強固で威力あるものとなるのは、それが党と領袖にたいする党員のかぎりない忠誠心と高度の政治的自覚にもとづいているためである。

 党の組織性と規律性は、全党に革命的な党生活体系を確立し、党員の党生活を正規化、規範化するときにいっそう強化される。現実は、党生活を正規化、規範化し、党内生活の規範と秩序を厳守することが、党員を革命化して、かれらの組織性と規律性を高め、党を強い戦闘力をもつ革命的党に発展させる有力な方途であることを実証している。党生活の正規化、規範化を通じて党員の党組織観念が高まり、誰もが党組織にしっかり依拠して活動し生活する気風が確立されたのは、党建設でおさめた貴い成果である。

 我が党は、人民大衆と血のつながりをもつ不敗の党である。

 党は労働者階級をはじめ、人民大衆の利益を擁護してたたかい、人民大衆を組織・動員して革命を遂行する。したがって、労働者階級の党建設において広範な大衆と血のかよった結びつきを保ち、大衆のあいだに深く根をおろすことは、特に重要な意義をもつ。大衆のあいだに深く根をおろし、大衆の支持と信頼をうけ、大衆をたくみに組織、動員する党であってこそ必勝不敗の威力を発揮し、革命の参謀部、人民大衆の政治的指導者としての使命をまっとうすることができる。

 大衆との結びつきは、政権党でも重要な問題として提起される。党が権力を握ったからといって、大衆との結びつきの問題がおのずと解決されるものではない。政権党の場合も、大衆からかけはなれ、大衆の支持と信頼がなければ無力なものとなるばかりか、その存在さえも危険にさらされる。

 金日成同志は、革命の道を踏みだした当初から大衆との関係を革命組織の運命にかかわる根本問題としてとらえ、こんにちにいたる長い期間、常に人民大衆のなかに入ってかれらと苦楽をともにし、人民大衆を信じ、大衆の力と知恵を引き出して革命と建設をおし進めることを鉄則としてきた。

 我が党は幹部と党員が党性、労働者階級性、人民性を高めて人民に忠実につかえ、すべての活動で大衆路線を貫くようにして、党と大衆との結びつきをたえず強めてきた。我が党は大衆との活動で階級的原則を固守し、党の階級陣地をかためる一方、広範な大衆を教育して大胆に包容し、党のまわりに結集した。

 こんにち、我が党は、大衆との血のかよったつながりを結び、各階層大衆の絶大な支持と信頼をかちえており、朝鮮人民は党に自己の運命のすべてをゆだね、党の示す道にそっていささかの動揺もなくたたかっている。このように、大衆と混然一体となった我が党は必勝不敗であり、いかなる力も我が党と大衆との血のつながりを破壊することはできない。

 我が党は、対人活動体系を整然と確立し、全党に革命的な活動方法と人民的活動作風をうち立てた。

 人民大衆の利益のためにたたかう労働者階級の政治組織である党のすべての活動は、対人活動をつうじて実現される。党は人びとに自発的に動くように働きかけて、社会と自然を改造し、革命と建設を進める。

 金日成同志の示した対人活動を党活動の基本にするという思想は、チュチェ思想を党建設分野に具現して党活動の根本原則をうちだした偉大な思想である。党は対人活動を基本としてとらえることによって、党活動の行政化、技術実務化を防いで政治的組織としての党の性格を固守し、その戦闘的機能と役割を正しく遂行することができる。

 我が党は、政権党にありうる党活動の行政実務化の偏向に反対し、対人活動を基本とする方針を貫徹した。

 革命的活動方法と人民的活動作風の確立は、労働者階級の党建設における深刻かつ重要な問題である。

 特に、党が政権を撮ると、権力をもって命令したり指示する官僚化の傾向に陥る恐れがある。官僚主義は多くの場合、革命の試練をへずに順境で育った幹部のあいだにあらわれやすい。

 元来、官僚主義は搾取社会で支配階級が実施する専制的な統治方法であって、労働者階級の党の本性とは根本的に相容れないものである。幹部が革命的活動方法と人民的活動作風を身につけず、官僚主義に染まれば、いかに党の路線と政策が正しくてもそれは貫徹されず、党と大衆を遊離させ、大衆の革命的熱意と創造的積極性を弱める重大な結果をまねく。

 我が党は権力を握った当初から、党活動の方法と作風の改善を党建設の根本問題の一つとして、常にこれに大きな関心を払った。

 党活動の方法と作風の改善において、我が党が堅持している基本方針は、抗日遊撃隊式活動方法を全党に確立することである。金日成同志が苦難にみちた抗日革命闘争期に創造した抗日遊撃隊式活動方法は、真の共産主義的活動方法である。この活動方法を継承し発展させるのは、官僚主義や権力の乱用など旧社会からのいっさいの反人民的活動方法と作風を一掃し、社会主義・共産主義社会に適した革命的活動方法と人民的活動作風を確立する道である。

 我が党の伝統的な抗日遊撃隊式活動方法は、偉大なチョンサンリ(青山里)精神、チョンサンリ方法を通じて社会主義建設の新しい歴史的条件に即して具現され発展した。チョンサンリ方法は一言でいって大衆の力に依拠する活動方法であり、大衆のなかに入ってかれらと苦楽をともにし、大衆の自覚的熱意と創意性を引き出して提起された課題を遂行する革命的な活動方法である。チョンサンリ精神、チョンサンリ方法を貫徹する過程で、党活動は人にたいする活動にかわり、党活動方法と作風に根本的な改善がもたらされた。

 党活動方法と作風を改善するたたかいは、幹部のあいだに残っている古い思想を克服する闘争であるだけに、長期にわたってたゆみなく、忍耐強くおこなわなければならない。我が党が革命発展の新しい要請にそくして、活動方法と作風を改善する問題を党活動の中心課題の一つとして提起し、全党が強力な闘争を展開した結果、抗日遊撃隊式活動方法が党活動全般に具現され、党活動気風が一新した。全党に革命的気迫がみなぎり、すべての活動が生気にみちて進められており、党と大衆との結びつきは不敗のものに強化された。

 我が党を大衆と混然一体となって進む革命的党に、大衆のあいだに深く根をおろし、大衆の絶大な支持を受ける戦闘的党に強化したのは、チュチェ型の革命的党建設で達成された最も貴い成果の一つである。

 実に、我が党はチュチェ思想を指導的指針として建設され活動する党、全党に唯一思想体系が確立され、チュチェ思想にもとづいて鉄の統一、団結をなし遂げた党、人民大衆との血のかよったつながりを保ち、かれらの役割を高めてチュチェ革命偉業の完成をめざしてたたかう党、栄えあるチュチェ型の革命的党である。

 我が党をチュチェ型の革命的党にいっそう発展させるのは、あらゆる難関を克服し、チュチェの革命偉業を完成するための決定的保障である。




 こんにち、我が党には、全社会のチュチェ思想化をおし進め、祖国統一の偉業を実現すべき重大な革命任務が出されている。我々は、革命の前途にどのような難関が横たわろうとも必ず祖国を統一し、代を継いでチュチェの革命偉業をあくまで完成しなければならない。そのためには、党をたえず強化し、その指導的役割を高めなければならない。

 党は、革命と建設の武器であり、社会主義・共産主義社会の指導的力量である。党を強化し、その指導的機能と役割を高めなければ、革命と建設を成功裏におし進めることも、また、社会主義・共産主義社会を正しく運営することもできない。社会主義・共産主義社会は、決して無政府的なものではなく、高度に組織化された社会である。このような社会を動かすためには、強力な組織力をもつ党のような指導的力量の政治的指導が必要である。正しい政治的指導がなければ、人民大衆の思想と行動の統一性を保つことも、人びとの活動を社会共同の利益にそくして組織し指揮することもできない。

 共産主義が建設されたあとにも、社会生活の各分野から古いものを一掃し、新しいものを創造する闘争はつづけられ、これをつうじて社会がたえず発展するのである。党のような指導的力量の指導がなければ、人びとを教育して社会関係を改善し、自然を征服するための活動を正しく進めることも、社会のたえまのない発展を保障することもできない。

 地球上に資本主義と帝国主義が残っているかぎり、一国または一部の地域で共産主義が実現したとしても、外部の敵の侵略の危険と、それと結託した内部の敵の反抗をまぬがれることはできない。党のような指導的力量の指導によってのみ、人民大衆の利益を侵害する敵対分子の策動を粉砕し、人びとの自主的かつ創造的な生活が十分に保障されるのである。

 我々は、社会主義・共産主義偉業の遂行における党の地位と役割に照らし、将来の展望をもって党を建設しなければならない。これは、全党をチュチェ思想化する活動をつうじてのみ実現される。全党をチュチェ思想化すれば、自然と社会と人間をチュチェ思想の要求どおりに改造する活動を立派に遂行し、共産主義社会、全社会がチュチェ思想化された社会を成功裏に建設し指導することができる。

 党のチュチェ思想化は、チュチェ思想を指導思想にして創立された我が党が最初から堅持してきた党建設の一貫した方針であり、我が党の建設の歴史は、とりもなおさず党をチュチェ思想化してきた過程である。全党のチュチェ思想化は、党のチュチェ思想化をめざす我が党の歴史的闘争の継続であり、その高い段階である。

 全党のチュチェ思想化は、本質において我が党を永久に金日成同志の党として発展させることを意味する。

 我が党を金日成同志の党に発展させるということは、金日成同志を永久に我が党の首位に仰ぎ、金日成同志の示した思想と路線を堅持し、代を継いで貫徹していくことを意味する。

 敬愛する金日成同志は、朝鮮民族が数千年の歴史上はじめていただいた偉大な領袖であり、我が党と人民の教師であり慈父である。

 金日成同志を永久にいただくことは、朝鮮共産主義者の崇高な義務であり、確固たる革命的信念である。

 朝鮮共産主義者は、金日成同志の指導のもとに前進すれば、いかなる難関をものりこえて必ず勝利するということを革命的信念としている。これは、朝鮮人民が金日成同志の導きのもとに、革命の道を切り開いて以来、半世紀有余の苦難にみちた闘争の道を歩む実際の体験をつうじて深く体得したものである。

 朝鮮の共産主義者は、朝鮮革命の起源が開かれた当初から金日成同志を陣頭に仰いでこそ、革命の険しい道を切り開くことができるという確信をもち、あらゆる試練をのりこえて闘争と勝利の道を歩み、金日成同志に運命のすべてをゆだね、瞬間を生きても領袖にたいする忠誠の一念をもって生き、たたかってきた。

 金日成同志を忠誠心をもっていただく朝鮮共産主義者と人民の革命的信念は、確固不動のものであり永久不変のものである。

 我々は、抗日革命闘士たちが金日成同志を心から仰ぎ慕ったように、すべての党員と勤労者、次代が代を継いで金日成同志を慕い、党と領袖のさし示す道であれば険しい山、泥沼であっても、その道のみを進む絶対的な忠実性を身につけるようにすべきである。

 我が党は金日成同志によって創立され育成された党であり、朝鮮共産主義者は金日成同志の愛情に育まれた革命戦士である。自分を育てた領袖をかわることなく心から慕うのは、共産主義者の当然の信義である。

 我々は今後も永久に我が党を、金日成同志を領袖に、教師に仰ぐ革命的党に、金日成同志の思想、意志どおりに全党がともに呼吸をし、行動する戦闘的な党にたえず強化していくべきである。

 これが、党建設で常に堅持すべき根本問題である。

 なによりもまず、全党に唯一思想体系を確立する活動をたえず深めていかなければならない。

 党の唯一思想体系を確立する活動は、党が存在し活動する全過程において恒久的にとらえていくべきものである。

 こんにち我が党は、新しい発展段階に入っている。朝鮮革命は長期性と困難さをおび、革命隊列内では世代の交替がおこなわれている。朝鮮革命の内外の情勢は、緊張かつ複雑を極めている。現実は、党の唯一思想体系の確立をいっそう重要な問題として提起している。

 全党の唯一思想体系を確立するうえでの基本は、すべての党員と勤労者を党と領袖に忠誠をつくす熱烈な革命戦士に育てることである。

 党建設と党活動におけるすべての問題は、党と領袖にたいする忠実さの問題に帰着するというのが我々の信条である。こんにち我が党は、党員と勤労者が党と領袖に忠誠をつくすようにするうえで、抗日革命闘争期の青年共産主義者、抗日遊撃隊員の忠実さを手本にしている。かれらは、朝鮮人民が日本帝国主義の暴圧に苦しんでいた最も暗たんたる時期に、ひたすら金日成同志の指導に従えば、祖国と民族の運命が切り開かれ、革命の勝利がおさめられるという革命的信念をもって忠誠をつくした。党組織は、抗日革命闘士のように、すべての幹部と党員が忠誠ひとすじに党と領袖を心から仰ぎ、従うことを党活動の中心にすえなければならない。

 我々は、チュチェの伝統をあくまで守りとおし、それを汚れなく継承すべきである。

 我が党のチュチェの伝統は、金日成同志の思想、理論と革命業績、闘争経験であり、金日成的活動方法である。これは、長期にわたる類例のない深刻な多面の闘争過程できずかれたものであるため、最も豊富かつ貴いものであり、我が党の強化、発展と朝鮮革命の勝利を裏付ける不朽の生命力をもつ。我が党はチュチェの伝統を受けついだがゆえに、最も強固な組織的・思想的基盤のうえに強化、発展し、試練と困難のおり重なる険しい道をのりこえて勝利のうちに前進することができた。我が党の前途も、この偉大な伝統をどのように固守し継承するかにかかっている。

 我々はこんにちの世代ばかりでなく、次代も、金日成同志の思想と理論を党の恒久的な指導思想、指導理論として堅持し、金日成同志がきずきあげた革命業績と闘争経験、革命的活動方法と人民的活動作風を固守し、チュチェの革命偉業を立派に継承し完遂するようにしなければならない。

 党の統一、団結と純潔を守り、たえず強めるのは、党と革命の運命にかかわる重大な問題である。我々は、我が党の偉大な統一と団結を代を継いで守りぬき、さらに強化しなければならない。

 金日成同志の賢明を指導のもとに、我が党は長期にわたるたたかいをつうじて、共産主義運動史上、最も強固で生命力のある統一と団結をなし遂げた。我々は、これにたいして当然の誇りと自負をもつことができる。

 しかし我々は、党の統一、団結をめざすたたかいでおさめたこれまでの成果に決して満足するわけにはいかない。朝鮮革命はまだ完遂されておらず、我々はひきつづき困難なたたかいをおこなわなければならない。帝国主義が存在し、日和見主義が残っており、階級闘争がつづくかぎり、我々は党の統一と団結のためのたたかいをたえず強化しなければならない。

 党組織は、すべての幹部と党員に我が党の反分派闘争の経験について十分に教え、かれらが常に鋭い党的・階級的眼識をもって、セクト主義、家族主義、地方主義など、党の統一、団結の妨げとなるいっさいの不健全な要素に反対して断固とたたかうようにすべきである。我々は、チュチェ思想にもとづいて領袖のまわりに一致団結した我が党と革命隊伍の統一と団結を代を継いで固守し、全党員が党中央の指導のもとに一糸乱れることなく動く、鉄の規律を強化しなければならない。

 全党員をチュチェ型の共産主義革命家に徹底的に鍛えるべきである。

 党員は、朝鮮でチュチェの革命偉業、社会主義・共産主義偉業を責任をもって完成すべき前衛闘士である。党員をチュチェ型の共産主義革命家として立派に鍛えるためには、かれらの党生活を強化しなければならない。

 党員の党生活を強化することは、こんにち、党隊列内で世代の交替がおこなわれている状況下で、いっそう重要な問題となっている。年月の経過とともに党の隊列が党的洗練の不十分な新しい世代によってたえず捕われている状況下で、党生活を強化しなければ、代を継いで党をしっかりと引き継いでいくことはできない。

 党組織は、全党に確立された新しい党生活体系を実質的に運営して、党員の党生活水準を高め、すべての幹部と党員の党性をたえず鍛えていくべきである。

 党活動の方法と作風を改善するたたかいをひきつづき強化して、全党に金日成的活動方法を確立すべきである。

 金日成同志によって創立され育まれた我が党内には、その思想以外の思想がありえないように、金日成的活動方法以外の活動方法と作風はありえない。しかし、党内にまだ残っている古い活動方法と作風が党活動に弊害をまねいている。

 党が古い活動方法と作風をなくさなければ、しだいに人民大衆の支持と信頼を失うようになり、かれらから遊離し、ついにはいろいろな困難に直面する恐れがある。党活動の方法と作風を正すことが、党と革命の命運にかかわる重大な問題であることを銘記し、古い活動方法と作風を一掃しなければならない。

 活動方法と作風を改善するためには、活動家が革命的大衆観点を確立し人民的品性を身につけるべきである。党活動家は、労働者階級と人民大衆の利益の徹底した擁護者であり、大衆に忠実に奉仕する人民の忠僕である。党活動家は、下部の活動家と大衆を革命同志として心から愛し、大衆と苦楽をともにし、黙々と大衆のためにつくさなければならない。

 党活動の方法と作風を改善するためには、チュチェの党活動の理論と方法論を習得すべきである。チュチェの党活動の理論と方法論は、すべてを人間を中心に考え、人間のために奉仕させるチュチェ思想の要求を具現した独創的な党活動理論、党活動方法論である。これらを深く体得してこそ、対人活動を正しくおこない、大衆を教育改造し、奮起させる問題をすべて巧みに解決することができる。

 労働者階級の党が官僚化、行政化を克服しなければ、革命を指導する資格を失うことを銘記し、古い活動方法を一掃するためにひきつづきねばり強くたたかって、我が党を常に労働者階級と人民大衆にかぎりなく忠実な母なる党に、大衆と一丸となり、その先頭に立って革命と建設を力強くおし進める大衆の旗手になるようにすべきである。

 これまで党建設で達成された成果は、我が党と朝鮮革命の輝かしい未来を確固と保証している。

 こんにち、我が党の前には広い展望が開かれており、我々の革命闘争はいっそう張り合いのあるものとなっている。我々は勝利におごることなく、新しい勝利をめざして力強くたたかっていかなければならない。闘争によって革命の進路を開拓するのは、我が党の伝統的な革命的気風である。

 我々は、白頭(ペクトゥ)の霊峰で始まった革命の道にそって不屈のたたかいをつづけていくことによって、チュチェの革命偉業、社会主義・共産主義偉業を立派に完成しなければならない。

 偉大な金日成同志の賢明な指導のもとに、チュチェの革命偉業の完成をめざしてたたかう我が党と人民の前には常に勝利と栄光があるのみである。
出典:冊子「党の指導的役割を高めるために」


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