金 正 日

映画創作における若干の問題
−脚本家と演出家におこなった演説− 
1971年2月12日 

 私は今日、映画創作における若干の問題について述べたいと思います。

 シナリオの創作を映画の制作に確固と先行させるべきです。

 私はここ数年間、映画の創作を指導する過程で、名作をつくるためにはシナリオの問題から先に解決しなければならないという結論を得ました。シナリオは,小説や戯曲とは異なる固有な特性を持つ芸術作品であり、映画の思想的基礎をなしています。したがって、シナリオを映画の制作に先行させなくてはすぐれた映画をつくることができません。

 創作家の決意どおり、1973年になって多くの映画をつくるためには、来年の4月15日までに60本のシナリオを書かなければなりません。そうしてこそ、来年の4月からシナリオを切らすことなく映画の制作を軌道に乗せることができます。シナリオができあがれば、金日成同志の誕生60周年を記念して制作することにした革命映画も、創作団を組織して推し進める計画です。

 映画の制作は簡単なことではありませんが、かといって、難しく考えることもありません。シナリオさえよければ映画はいくらでもつくれます。

 脚本家は、これから創作戦闘を力強く繰り広げて、年内に一人が2本のシナリオを書くべきです。ここに集まった脚本家がそれぞれ2本のシナリオを書くとしても16本になります。脚本家は今年どうあっても、シナリオの創作課題を各自が決意したとおり必ず遂行しなければなりません。

 “雉を捕ってこそ鷹”ということわざどおり、作家は作品をたくさん書くべきです。脚本家の要求する問題は党が一切保障することにします。個室がほしいというなら個室を与え、創作室にベッドを入れてほしいというならベッドを入れましょう。

 小説家にも十分な創作条件を保障して、金日成同志の誕生60周年記念作品が立派に創作できるようにする考えです。金日成同志が教えているように、もともとすぐれた小説を先に書き、それをもとにしてシナリオを書くのが順当です。

 党は、金日成同志の誕生60周年記念作品の創作を保障するために、脚本家と小説家に社会主義的競争を繰り広げるよう呼びかけるものです。

 金日成同志の誕生60周年記念作品の創作で、脚本家は小説家に先んずるべきです。

 今年書くシナリオは映画になるよう、内容のあるものを書くべきです。これまでシナリオ創作社の作家が書いた作品はそれほど質の高いものではありませんでした。筆力のある作家が書いたシナリオも一度でパスしたものはまれです。

 だからといって、一部の脚本家のように、作品が映画化されなければ雑誌にでも載せようと、あきらめてはいけません。シナリオを書くのは『シナリオ』誌に載せるためではなく、映画をつくるのが目的です。ですから、脚本家は自分の作品を映画化しようという心がまえで書くべきです。シナリオの質が低くて映画にならないなら、そういう作品は『シナリオ』誌にも載せることができません。脚本家は、自分の書いたシナリオが映画化されようとされまいと作品をおざなりに書く傾向を厳しく戒めるべきです。

 すぐれたシナリオを書くためには、「種子」を正しくとらえることが重要です。

 我々の文学・芸術における「種子」は、偉大なチュチェ思想を哲学的基礎とする人間学の根本問題にかかわる重要な問題であり、作品の核をなします。作品には必ず、作家が独創的に発見してまいた「種子」がなくてはならず、そこから美しく清新な形象の花が咲かなければなりません。

 作家は「種子」を正しくとらえてこそ、自分の思想的・美学的意図を明確に伝達し、作品の哲学的深みを保障することができます。しっかりした「種子」をとらえず、小細工を弄して物語を最もらしく組み立てたのでは、立派な作品にはなりません。

 速度戦を繰り広げて充実した作品を早く創作するためにも、「種子」を正しくとらえなければなりません。

 作家の間で、作品の「種子」を正しくとらえず、功名心にかられてがむしゃらにペンを走らせる傾向があらわれないようにすべきです。

 作品の「種子」は、党政策の要求に即応して選択すべきです。

 いま一部の脚本家は、現実の生活を描こうとはしているものの、問題を党政策の見地から考察できないため、多くの場合、党の要求に反した描き方をしています。

 シナリオ『虹の立つ村』も政策的な線で問題を正しく考察できず、部分的で非本質的な現象にこだわったため、結果的には生活をゆがめてしまいました。この作品は、祖国解放戦争(朝鮮戦争)の一時的後退の時期、「治安隊」に強制入隊させられた人と親族関係のある人物の悩みを描いていますが、親族が「治安隊」に加担したからといって悩む人はそれほどいません。そのような人がいるとしても、それは社会的に提起される典型的な問題ではありません。

 シナリオ『虹の立つ村』を価値ある作品にするには、農民を革命化するたたかいのなかから「種子」を選択し、問題を解いていくべきでした。

 作家は「種子」をとらえる時、必ずその作品が人々に及ぼす政治的影響について熟考すべきです。

 作品の「種子」はまた、創作家の新たな意図と探求の感じられる、独創的で清新な味わいのあるものをとらえなければなりません。

 シナリオ『乙女理髪師』は作品の「種子」がすぐれています。

 この作品は、職業の貴賎の問題をとりあげ家庭の革命化の過程を示すことによって、わが国の社会主義制度下で働く公共サービス部門の勤労者に、職業に対する栄誉感と誇りを抱かせようとしました。

 シナリオ『乙女理髪師』も作家が最初に書いた時は、ありきたりの方法で新しい世代の職場進出の問題が題材になっていました。もとのシナリオは主人公が学生少年宮殿で伽?(カヤ)琴を弾く場面から始まるのですが、あきれるほどのものでした。作家は、最初はすばらしい職業とはどんなものであるかという思想的なかなめを新しく提起し、正しくとらえることができませんでした。

 作家は今年、斬新で生き生きとした味わいのある新しく独創的な問題を「種子」に選択してシナリオを書くべきです。

 すぐれたシナリオを書くためにはまた、映画のドラマチズムに対する正しい理解と認識を持たなければなりません。

 金日成同志は、創作家が作品のドラマチズムにあまり神経を使うと、生活をリアルに描き出すことができないと教えています。映画のドラマは生活のなかから見出すべきです。多様な生活のなかで具体的に結ばれる人間の相互関係は平凡なもののように見えても、そこにドラマがあるのです。

 一部の創作家は、劇映画『虹の立つ村』は平凡な農村の普通の生活を題材にしたのでドラマチズムがないと論難しました。彼らはおそらく、このたび劇映画『ある看護婦の物語』を見ての金日成同志の教えから深刻な教訓をくみ取ったことでしょう。

 劇映画『ある看護婦の物語』は、平凡な看護婦の闘争物語を描いた映画ですが、ドラマチズムの強烈な映画です。

 金日成同志は、わが国の映画のなかで、『ある看護婦の物語』が最もすぐれていると評価し、党員と勤労者の党性鍛練に役立つ最高の作品だと述べました。

 金日成同志が述べているように、『ある看護婦の物語』は党員と勤労者の教育に非常によい映画です。各シーンがすぐれているという点もありますが、映画では党員はどういう人であり、どういう生き方をすべきかという問題を提起し、それを芸術的に非常に立派に形象化しています。

 創作家は生活のなかでドラマを追求しようとして、大きな事件ばかりをとりあげようとしてもいけません。大事件があればこそ強烈なドラマチズムが生まれすぐれた映画になるのではありません。不朽の名作『血の海』と『ある自衛団員の運命』を原作どおり映画化した劇映画『血の海』と『ある自衛団員の運命』には、大きな事件はありませんが、強烈なドラマチズムと深奥な思想がもられています。

 創作家はドラマチズムとは何か、どこにドラマチズムがあるのかと空論ばかりせず、人民の多様かつ豊富な生活をいろいろな角度からしっかり見つめ、立派に形象化すべきです。

 創作家は大事件をわざわざ仕組んだり、型にはまった古い公式とドラマツルギーで作品を創作しようとしてはなりません。シナリオには生活をリアルに反映させるべきです。

 趙玉姫(チョオクヒ)英雄をモデルにした劇映画は生活がなく、黒い煙ばかり立ちこめるといったものになっていますが、戦争物だからといってそのような映画のつくり方をしてはなりません。いくら戦争物であっても、戦闘状況のなかで結ばれる主人公と登場人物の相互関係と彼らの精神世界を描くべきです。

 シナリオ創作でフィクションを用いるからといって、生活を誇張すべきではありません。生活描写の誇張は死にひとしいものです。

 すぐれたシナリオを書くためには、作家が金日成同志の主体的文芸思想で武装しなければなりません。

 創作家と芸術家は金日成同志の主体的文芸思想と教えを学習していますが、その真髄を深く把握していません。作家は、金日成同志の教えを深く研究し、それを尺度にして作品を創作すべきです。

 映画撮影所では今後、週間スケジュールに金曜日を金日成同志の主体的文芸思想を研究する学習と会議の日に定め、金日成同志の教えと主体的文芸思想の学習をさらに強化すべきです。そうしてこそ、創作家と芸術家が、金日成同志の主体的文芸思想を作品に正しく具現することができます。

 作家、芸術家には、新作の映画も先に見せるべきです。映画をつくる人が映画を先に見られないようではいけません。映画創作団が活動している撮影現場や4.15文学創作団をはじめ、作家がいる創作基地に映写機を持っていき、金日成同志の教えを伝達してから映画を上映すべきです。

 作家は他人の文章もたくさん読まなければなりません。

 金日成同志は、本を多く読むよう日ごろから強調し、実践的模範をもって我々を教育しています。金日成同志は、小説を読むべきだといって、最近は夜10時から11時までの間に長編小説『生い茂るヒマワリ』を読んでいます。金日成同志は、幹部に小説を鑑賞させるため、放送番組に小説の朗読を組み入れるようにと指示しました。

 シナリオを書いたり映画をつくる創作家は、誰よりも多くの小説を読まなければなりません。作家は仕事が忙しくて小説をそれほど読めないと言っていますが、それは話になりません。金日成同志が傾けている情熱と労苦に比べれば、作家のそれは万分の一にも及びません。

 作家は『アンナ・カレーニナ』『復活』『ハムレット』などの外国の小説や戯曲作品も読むべきですが、基本はわが国の小説を多く読むことです。わが国の小説を多く読んでこそ、民族的自負が生まれます。脚本家が求める本であれば、なんでも提供しましょう。

 映画創作で重要なのは次に、演出台本を立派につくることです。

 シナリオを読む時は作品によどみがないようですが、いざそれをもって映画をつくるとなるとスムーズにいかない場合が少なくありません。それは、シナリオが他人の手によって映画化されるからです。

 2年前、シナリオ『ボクシング選手』で映画をつくろうとしましたが、演出台本の作業が順調にいかなくて実現しませんでした。

 演出台本作業はシナリオを映画的に再現する創作活動なので、演出家はシナリオを受け取って画面の配分をするのでなく、映画的に加工し直さなければなりません。

 演出台本を立派につくるためには、演出家の独断を避けなければなりません。シナリオ『炭田の主人』を映画にする時、その作品の作家が創作上の個性に固執するからと、演出家が彼との共同作業を満足にしなかったのは大きな間違いでした。作家が創作上の個性に固執するからといって共同作業をせずに演出家が独断専行してはなりません。作家が創作上の個性に固執するとしても、演出家は自分なりの主張を通しながら共同作業をして映画を立派につくるべきです。

 演出家はまた、俳優の演技指導に力を入れなければなりません。

 演出家は官僚主義者よばわりされることがあっても、自分の演出意図が実現するまで俳優を掌握して要求の度合を強めるべきです。しかし、一部の演出家は俳優に演技を上手にしてほしいと頼むような演技指導をしているので、一部の俳優は演出家を見くだし、指示に従おうとしません。

 演出家が俳優の演技指導を正しくおこなうには定見がなければなりません。演出家に自分なりの定見がなくては、映画創作を正しくおこなうことができません。演出家は、作品のあら筋ができあがれば、自分の形象意図どおりに生活ディテールを組み入れ、創作活動を強く推し進めるべきです。

 演出家の芸術的技量を高めなければなりません。

 俳優が演出家を見くだすのは、俳優の演技指導が十分にできないことと少なからず関係しています。

 金日成同志の誕生57周年を祝賀する映画人の舞台公演を準備する時、風刺劇『補充兵』の演出を担当した演出家は、芸術的技量が低くて演出を全うすることができませんでした。他人の作品を見れば自分にもできそうですが、技量が足りないとできません。

 今後、俳優の木曜技量発表会の時には、演出家も小品を一つずつ準備して技量を発表し、俳優の実技訓練の指導にも当たるようにすべきです。

 演出家が映画創作上の欠点を知りながら、それを見過ごすことのないようにすべきです。

 一部の演出家は、映画がたまたまパスでもしようものなら、それを幸いにまじめに創作せず、手ぬきのままで済まそうとしていますが、これは創作家の良心に背く行為です。

 創作家が映画に欠点のあるのを知りながら、それを金日成同志に差し出すのは忠誠心のないあらわれです。演出家は常に主人としての立場に立ち、よりすぐれた映画をつくるため誠意をもって創作活動に当たるべきです。

 演出家は、俳優の衣装を一つ選ぶにしても慎重を期すべきです。劇映画『きらめく星』では、俳優の衣装の選択を誤りました。この映画では、人民軍の軍官にはみすぼらしい軍服を着せ、敵の将校には高級毛織の軍服を着せていますが、これでは人々に敵に対する幻想を抱かせ、敵を過大評価させる結果をまねきます。祖国解放戦争当時のアメリカ帝国主義侵略軍の軍服はそれほどのものではありませんでした。

 演出家は衣装に限らず、小道具や装置もすべて考証し、美術的形象全般を時代の性格にかなったものにすべきです。

 演出家は、映画制作における自分の任務の重要さを明確に認識し、形式主義と要領主義を決定的に一掃すべきです。

 俳優の問題を解決しなければなりません。

 いま俳優が問題にされています。若手の俳優は2回までは地顔で出演できますが、それからはどうしようもないありさまです。若手の俳優の間で革新が起きなければ、もう2年ほど経つと俳優が底をつくことになります。

 いま映画創作で劇映画撮影所と2.8劇映画撮影所の俳優を交換し合って出演させているのはよいことです。2.8劇映画撮影所が『36号の報告』『きらめく星』などの名画をつくることができたのは、金日成同志の教えどおり劇映画撮影所の有能な俳優を出演させたからです。『36号の報告』と『きらめく星』はよくできた作品です。

 『36号の報告』で郡守役を務めた俳優はすぐれた演技を見せました。彼は貫禄のある俳優です。劇映画撮影所がこのような俳優を賛助出演させてやれば、2.8劇映画撮影所でも名画をつくることができます。今年も両撮影所の俳優を取り合わせて映画をつくるべきです。しかし、この方法も1年もすれば効果がなくなるでしょう。

 俳優の問題を解決するためには新人俳優を採用し、将来を見通して養成しなければなりません。そうしてこそ有能な俳優を育て上げ、映画の画面にも新鮮味を出すことができます。私の考えでは、今年、100人余りの新人俳優を採用して養成するのがよいと思います。

 幹部の活動方法を改善すべきです。

 映画創作の成果は、それを手配し実行する幹部が作家、芸術家をどのように映画創作に奮い立たせるかにかかっています。

 創作家に個人の意見をむやみに押しつけるべきではありません。

 いま一部の幹部は、行政的方法で天下り式に創作家を指導しています。劇映画撮影所のある幹部にいたっては、創作家に、シナリオに登場しない人物を勝手に入れるようにといっているそうです。幹部がこのように指導しては創作家が受け付けません。幹部が創作家に不当な意見を強要するならば、彼らの創造的思考力を麻痺させ、創作活動に重大な結果をもたらすようになります。

 幹部は創作家と一心同体となって真剣に協議し、常にまず長所を見つけて生かし、欠陥を是正できるように建設的な意見を出すべきです。

 文章を書くことは決してやさしいことではありません。文章を書く人が一番苦労をしています。創作家は一つの作品を書くために、あらゆる力と知恵をしぼっています。彼らの文章はすべて、それなりの妥当性と論理性を持っています。したがって、文章を書く人の意見を尊重し、彼らにむやみに自分の意見を強要してはなりません。例え、修正の方向が正しいものであっても、それを押しつけるのではなく、説得し啓発して作家にヒントを与え、創作的なファンタジーを呼び起こすべきです。

 金日成同志は映画の完成フィルムを見る時でも、これを抜いてあれを入れよ、というようには決して言いません。このたび劇映画『2人の作業班長と2人の兵士』を見た時にも、映画で12歳の女生徒がなんであんなに悩むのか、あの程度なら結婚してもよいのではないか、人民軍への贈物としてキツネの毛皮を準備する場面の設定はどうだろうか、主人公の最後のせりふはあれでよいのだろうか、と話しました。

 幹部は金日成同志の指導方法を見習い、創作家との活動に立派に具現すべきです。

 作品審査室の審査員は、党政策の見地から問題を考察しながらも、作品の思想性と芸術性を高める生きた指導をおこなうべきです。

 映画撮影所の初級党委員会の活動家も創作家のなかに深く入り、彼らとともに働き生活し、党政策の要求に即応して映画をつくるよう十分な援助を与えるべきです。

 作家、芸術家の政治・思想生活をさらに強めなければなりません。

 ここ数年間、映画芸術部門には画期的な前進がありましたが、作家、芸術家の政治・思想生活にはまだ革命的な転換がもたらされていません。

 いま少なからぬ作家、芸術家は、革命にすべてをささげるという革命的自覚が足りず、安逸な生活をしています。

 映画人のなかには、撮影所内の商店に何があるのないのとふれまわっている人がいるかと思うと、一部の女優ははでな生活ばかり求めています。活動と生活をこのようにする芸術家は、革命の時代の映画人とは言えません。

 我々は、革命の時代、闘争の時代に生きています。我々の革命偉業は終わっておらず、社会主義の完全な勝利を達成するためには革命を続けなければなりません。我々は祖国を統一しなければならず、世界革命も遂行しなければなりません。

 我々の革命任務を成功裏に遂行するためには、困難があっても国防力の強化に力を注がなければなりません。それゆえ、我々はいま国防建設に莫大な資金を振り向けて大きな力を入れています。もし、国防建設に投資する資金の一部を経済建設に振り向けるならば、社会主義経済建設をさらに促進し、人民生活をより豊かにすることができるでしょう。しかし、アメリカ帝国主義者の侵略策動がさらに露骨化している状況のもとではそうすることはできません。

 朝鮮人民が二度と帝国主義者の奴隷にならず、苦い過去の生活を繰り返すことのないようにするためには、困苦欠乏に耐えて国防力の強化に力を注がなければなりません。

 作家、芸術家は、決して安逸な生活におぼれてはならず、生活に困難があってもそれを克服し、活動と生活を革命的におこなうべきです。

 作家、芸術家は、革命勝利の揺るぎない信念を持って生活すべきです。金日成同志は、インテリが試練の時期に動揺しないよう革命的に教育すべきだと、常に強調しています。インテリには、軟弱さと動揺があります。作家、芸術家は、試練の時期に温室育ちの草花のようにしおれてはならず、革命が厳しくなるほど動揺することなく革命勝利の確信を持つべきです。このたび、金日成同志の配慮によって人民軍軍事総合競技を収録した記録映画を見たのでわかると思いますが、わが国は政治的、経済的のみならず、軍事的にもしっかりと準備ができています。

 我々は戦争が起きても恐れることは何一つありません。アメリカ帝国主義侵略者が無謀な戦争を引き起こすならば、彼らを一撃のもとに撃滅し、必ずや祖国統一の歴史的偉業を達成するでしょう。

 現在、南朝鮮の革命勢力も成長し強化されています。

 南朝鮮の革命組織は、愛国的人民の間に自己の勢力を不断に拡大しています。南朝鮮の革命家はいかなる困難な環境のもとでも動揺することなく、金日成同志以外は誰も認めないという揺るぎない信念を持って勇敢にたたかっています。革命家はこのようにかたい信念と強靭な意志を持たなければなりません。

 作家、芸術家は勝利に対する不動の信念を持ち、金日成同志の大いなる信頼と配慮に創作の成果をもって報いるべきです。

 これとともに、金日成同志の指導下で革命をおこなう限りない誇りと自負を一層胸に深く抱くべきです。

 敬愛する金日成同志は、朝鮮人民のみならず、世界の革命的人民から敬慕されている偉大な領袖です。現在、世界の各地域には「金日成同志著作研究グループ」「金日成同志チュチェ思想研究グループ」が組織されて活動しています。

 こんにち、世界の革命的人民が金日成同志の偉大なチュチェ思想を学ぶのは時代の趨勢となっています。世界の革命的人民が偉大なチュチェ思想を学ぶのは、何をもってしても阻むことのできない歴史発展の合法則性です。

 このたび、国家重唱団のメンバーは外国訪問の過程を通じて、金日成同志の国際的権威と威信がどれほど高く、金日成同志がいかに偉大であるかを心から感じたはずです。彼らが外国であれほど熱烈に歓迎され手厚く接待されたのは、金日成同志を仰いでいるからです。

 今後、我々は外国との文化交流をさらに広範に進める計画です。

 今年、映画創作で成果をあげれば、脚本家と映画俳優も外国に多く派遣すべきです。彼らも外国に行ってみれば、金日成同志によってもたらされたわが国社会主義制度の優位性と、金日成同志の指導下に革命をおこなう民族的誇りと自負を一層あつく感じることができるでしょう。

 作家、芸術家は、偉大な領袖金日成同志の指導下に革命をおこなう大きな誇りと自負を胸に抱き、党と領袖に限りなく忠実な革命戦士になるべきです。

 作家、芸術家が党と領袖に限りなく忠実な革命戦士になるためには、政治・思想生活に一層まじめに参加しなければなりません。

 いまでは、我々が文学・芸術部門を発展させる基礎を築き上げたので、作家、芸術家の政治・思想生活に対する綿密な指導に力を入れることができます。

 金日成同志は、文学・芸術部門に強固な基礎を築く問題を15年前に提起しましたが、こんにちに至ってはじめて解決されたと述べました。作家、芸術家の政治・思想生活を強化しなければ、これからまた、我々の隊伍内に反党的な異分子があらわれないともかぎりません。

 政治・思想生活の指導にはさまざまな方法がありますが、最も適切な方法は思想闘争を強化することです。

 作家、芸術家の間で、働くことをきらい逸楽をむさぼるなど、非労働者階級的な傾向と強い思想闘争を繰り広げ、隊伍内に健全な雰囲気をつくり出すべきです。

 反党反革命分子は容赦なく叩くべきですが、動揺分子に対しては、あくまでも批判を加えて救い出すという原則を守るべきです。

 今日の会議では、2.8劇映画撮影所の人たちの発言内容が立派でした。他の人たちは発言の準備が不十分でした。2.8劇映画撮影所の俳優団のメンバーと脚本家は感想文も立派に書きました。

 明日の会議では発言を制限せず、創作家と芸術家の提起する意見をすべて聞いてみるべきです。明日の会議では、脚本家も仕事のうえで難問があれば残らず提起すべきです。

 昨年度の活動総括を立派におこなえば、今年は必ず効果があらわれるでしょう。創作家は、創作的熱情と気迫を持って映画創作活動を本格的に推し進めるべきです。

 私は、創作家が金日成同志の文芸思想研究会を立派にしめくくり、映画創作でより大きな成果をおさめることによって、党の期待にこたえてくれるものと確信します。


<注釈> −速度戦 文学・芸術創作における速度戦とは、作家・芸術家の政治的自覚と創造的熱意を最大限に引き出し、最短期間内に思想的、芸術的にすぐれた作品を成功裏に創作して、党の思想活動の要求をそのつど正しく実現していく革命的な創作原則であり、創作戦闘の基本形式である。速度戦は、最短期間内に量と質において最上の成果をおさめることを要求する。

 −「治安隊」 祖国解放戦争の時期(1950.6〜1953.7)、アメリカ帝国主義と南朝鮮かいらい一味が一時占領した共和国北半部地域に組織した反動走狗団体。

 −趙玉姫 共和国英雄。1923年黄海南道碧城郡の貧農の家庭に生まれる。碧城郡女性同盟委員長として活躍。祖国解放戦争の戦略的一時後退の時期、被占領地域で遊撃闘争を展開し、敵に痛烈な打撃を与えた。偵察任務を遂行中、逮捕されたが、革命の節操を守って壮烈な最期を遂げた。1951年3月7日、共和国英雄称号が授与された。
出典:『金正日選集』2巻 


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