金 正 日

党活動家は人をよく理解しなければならない
 −朝鮮労働党中央委員会宣伝扇動部の活動家への談話−
1970年10月29日 

 この間批判を受けた朝鮮劇映画撮影所の女優たちが過ちを悔い、再出発をしているのはいいことです。最近、彼女らの生活に問題点がないからといって気を緩めてはならず、根気よく教育しなければなりません。人の積年の欠点は、1、2回の批判で完全に直すのは離しいものです。彼女らの欠点も長年にわたって凝り固まったものなので、1回の批判で完全に直ったと考えてはいけません。

 文学・芸術革命を遂行する過程で芸術家たちの思想意識水準が一段と高まり、政治的・道徳的品性において革命的転換が起きています。こうした現実は、芸術家たちの党生活の指導をいっそう深化させることを求めています。ところが今、党活動家は発展する現実の要求に即して党活動を追いつかせることができずにいます。

 今一部の活動家は、芸術家たちの活動と生活に欠点があらわれると、その性格や軽重を見極めもせずに頭から批判していますが、これは党生活の指導を深化させるのではなく弱めることになります。こんなことをすると、人々は自分の欠点を心から悔い、それを直そうと決心せずに、危険が迫ると亀が頭を甲羅の中に隠すように欠点を隠すようになり、本心がわからなくなります。

 党活動家にとって最も重要なことは人をよく理解することです。党活動は対人活動です。対人活動は、人々を教育改造して党と領袖のまわりにかたく結集させ、彼らが主人としての自覚を持って革命課題を自発的に遂行するようにしむけるための組織・政治活動です。医者が正確な診断を下してこそ患者の治療を正しくおこなうことができるように、党活動家は人をよく理解してこそ正しく教育することができるのです。党活動家は、人々が何を求め何を考えているのかを知らなければ、複雑な社会現象を正しく見極めることができず、活動で主観主義を犯し、官僚的に振る舞って党と大衆を切り離し、革命と建設に重大な弊害をもたらしかねません。党活動家は、すべての活動に先立って人をよく理解するために努力を尽くさなければなりません。人を理解するということは、その本心を知るということです。

 今一部の党活動家は、人を把握するようにと言われると、家族関係や社会・政治生活の経歴、党会議や学習会の参加回数、討論の内容などを調べてはその人を完全に把握したかのように考えていますが、そんなやり方では人々の本心を知ることはできません。本心というのは胸に秘められているものなので、それを知るには人の心の中に深く入っていかなければなりません。

 人を把握するうえで最も重要な問題は、人々の活動と生活における行為をそのまま見るにとどまらず、それを細部にわたって深く分析することです。それは、人々の生活は極めて複雑で、思想や性格も百人百様だからです。

 ふろしきの中に入っているものが赤いものか黒いものかを知るには広げてみなければならないように、人の思想を知るにはその行為を細部にわたって深く分析してみなければなりません。果物一つをとってみても、トマトやイチゴなどは表面も中身も赤いですが、リンゴなどは表面は赤く中身は白いです。この世の事物はこのように妙なものなのです。こうしたことは人々の生活にもいくらでも見られます。

 今、みなさんが所轄機関のある幹部に欠点があることを知らなかったのも、結局、彼が裏表のある人だからです。彼は人前ではいつも耳ざわりのいいことばかり言い、裏では党の唯一思想体系に反することを言いました。私は以前から彼が誠実に仕事をしないので確かめる必要があると考えていたのですが、みなさんがかばうので捨ておいたのです。党活動家は、過ちを犯した人は阿諛追従しかねないことを見越し、それに乗ってはなりません。

 私がいつも言っていることですが、我々の隊伍内に人前では涙を流して誓いを立てながらも、裏では邪念を抱いている者もありうるし、熱意のない者が積極分子を、党性に欠けた者が誰よりも党性の強い人を、偏狭で思慮の浅い者が大らかで雅量に富む人を自任することもあり得ます。かと思うと、それと正反対の場合もあります。

 いつか金日成同志は降仙の労働者たちが一番「不平」を鳴らしていると述べましたが、ここで言う「不平」とは、幹部たちの間違った活動態度を公然と批判することを意味します。金日成同志は、降仙の労働者たちがよく「不平」を鳴らすのは、彼らの革命的熱意がそれだけ高いことを意味すると述べました。なんと意味深い言葉ではありませんか。今一部の幹部は、与えられた計画課題を遂行できなくても、国が資材を供給してくれないのだから、我々としてもどうしようもないと言って腕をこまねいています。しかし、降仙の人たちはそうではありません。チョンリマ(千里馬)の故郷で働く労働者として引き続き革新を起こさなければならないのに、責任ある地位にある幹部たちはなぜ腕をこまねいているのかと詰め寄っています。党活動家は、問題をこのように深く分析せずに、彼らの「不平」を本当の不平とみなしてはなりません。

 人々の活動と生活における行為を細部にわたって分析するうえで重要なのは、日常生活や同志たちとの関係において道義にかなった行動をとるのか、信義を守ろうとするのかといったことをよく見極めることです。日常生活や同志たちとの関係において道義にかなった行動をとるのか、信義を守ろうとするのかといったことは、人々を評価し、その忠誠心を正しく診断するための重要な尺度だと言えます。日常生活において同志相互間、隣人間で人間としての道義も信義も守ろうとしない人には、党と領袖への忠誠心はあり得ません。そんな人には革命や同志という言葉を使う権利もありません。

 我々は、党と領袖への忠誠心と人間の道義、革命家の信義に関する問題を別個のものとみなしてはなりません。党と領袖に忠実な人は、常に人間の道義を守る人であり、信義に厚い人です。党と領袖の恩恵にこたえることはみずからの当然の道義であると考える徳義心を抜きにした忠誠心など考えられません。

 人々の活動と生活における行為を細部にわたって分析するうえで今一つの重要な問題は、その人が真の活動家なのか怠慢分子なのかを正しく見分けることです。怠慢分子の生活を掘り下げて見ると、仕事をこなすために頭を使うのではなく、いわゆる処世術ばかり研究しているので人の気分に合わせて話し、行動するのが上手ですが、いつも仕事に打ち込んでいる人はそれができません。なのに、党活動家がその場を巧みにつくろう人の耳ざわりのよい言葉に乗せられて、その人を忠実な人だとみなして大いに押し立てる反面、与えられた革命課題を誠実に遂行する人を、生活上さ細な欠陥があらわれたからといって、その功労も認めずに批判するなら、怠慢分子が増えるだけで、結局は革命と建設に重大な影響を及ぼすことになるでしょう。

 こんにち、我々に切実に必要な人は怠慢分子ではなく、仕事をこなす人です。我々が評価し大いに押し立てるべき人も、与えられた革命課題を立派に遂行する人です。人の思想、忠誠心は革命課題を遂行する過程を見てもわかりますが、その結果を見ればもっとよくわかります。努力の成果が前より多い時は忠誠心も高いものとみなし、反対に創造物の質が落ちたり量が減った時には党生活にも必ず問題があるとみなすべきです。

 今ある活動家は、人を評価するにあたって、革命課題の遂行においては後れを取っているが熱意と忠誠心にかけては一番だと言ったり、才能があって仕事はこなすが思想が間違っていると言っていますが、これは道理に合いません。人はいくら才能があっても、情熱が伴わなければ絶対に立派なことをなし遂げることはできず、才能が足りなくても情熱があれば、なかった才能も生まれるということは、生活が示している真理です。

 革命課題を立派に遂行できなければ、いかなる忠誠心についても語ることができず、党の唯一思想体系が確立しているとみなすこともできません。人々を感動させる演技をより多く、より立派に創造する俳優がほかならぬ党に忠実な俳優であり、人々を党の政策の貫徹へと力強く立ち上がらせる記事をより多く書き上げる人が真に革命的な作家、記者であり、価値のある発明と技術革新によって国の科学技術の発展に寄与する科学者、技術者が党の唯一思想体系が確立した科学者、技術者なのです。我々は、人々をこのように評価しています。一言で言って、人を評価するうえで基本は、出身階級や経歴ではなく現行であり、現行において基本は言葉ではなく実際の行動であり、実際の行動において基本は、与えられた革命課題をいかに遂行するかということです。まさにこれが、人を評価するうえでわが党が堅持している原則の一つです。すべての党活動家は創造物に秘められている忠誠心を見極め、人々を正しく評価できるようでなければなりません。

 人々の活動と生活における行為を細部にわたって分析するうえで、偏見や幻想を持ってはならず、党の原則にもとづいてみて判断しなければなりません。幻想は非科学的なものであり、幻想にふけると現実を正しく見ることができません。したがって、活動家が人々に対して幻想を抱くと仕事で過ちを犯しかねません。活動家と党員は、人に対して幻想を抱いてはならず、常に党の原則にもとづいて問題を見て判断しなければなりません。また、偏見を持って人々に対してはなりません。偏見というものは、一時的な気分や安価な人情から生まれるものです。偏見にとらわれると、あらわれた現象を正しくみることができません。私は常に偏見にとらわれることを警戒しています。

 活動家が提起された問題を偏見を持たずに、党の原則にもとづいて正しく見るためには、感情にとらわれてはならず、感情を調整しなければなりません。そうしてこそ、正常な状態で事の正否を弁別することができ、あらわれた現象を公正に評価し対応することができるのです。党活動家が自分の感情を調整できなければ気分本位に走るようになり、気分本位に走ると分別がつかなくなって事の正否を弁別することができなくなり、しまいには事の真偽を見誤る重大な誤りを犯すことになります。好きな人には醜いところがなく、憎い人にはよいところがないという言葉もあるように、偏見を持って人々に対したのでは、あらわれた現象を正しく見ることができません。

 もちろん、完璧な人間はいませんから、感情が害されたら冷淡になることもあるでしょう。また、ある人に感情を害されてその人を悪く思いはじめたら、なかなかよく思えない場合もあるでしょう。よく第一印象が大事だと言いますが、これも結局はこのような人間心理の特性のことを言っているのでしょう。しかし、党活動家は、いくら気分が悪くても必要な時には笑みを浮かべなければならず、しかりたいときも我慢して悠然と振る舞わなければなりません。党活動家は、いかなる場合も偏見を持って人々に対してはならず、常に原則から外れないようにしなければなりません。

 新しいものを創造しようとすれば古くて保守的なものとのたたかいが伴うものですが、古いものとのたたかいは容易ではありません。古いものとたたかうには、人々を十分に把握して評価しなければなりません。今日、私が特に強調したいことは、党活動家は人々を把握し評価する際、表面にあらわれる現象だけ見るのでなく、心の内を深く見通す必要があるということです。党活動家はあらゆる事象を深く分析する能力がなければなりません。

 党活動家が人を把握するには、人々の心の内を哲学的な深さで見通す能力と資質をそなえなければなりません。人々の心の内を哲学的な深さで見通すというのは決して容易なことではありません。わが国には、10丈の水の深さは測れても1丈の人の心は測れないということわざがありますが、これはそれだけ人の心の内を知るのは難しいということです。しかし、党活動家は、いくら難しくても必ずそれを読み取らなければなりません。党活動家は、10丈の水の深さは測れても1丈の人の心は測れないということわざを認めるのではなく、10丈の水の深さは知らなくても1丈の人の心は知っていなければならないという、我々の方式のことわざを認めるべきです。そのためには、党活動家が人の心の内を読み取る能力をそなえなければなりません。それは、党活動家にそのような能力と資質があるかどうかによって、人々の政治的運命の問題が左右されるからです。

 党活動家は、鋭い政治的眼識を持たなければなりません。人々の間で起こるあらゆる現象に鋭い政治的眼識を持って対応するのは、党活動家が身につけるべき重要な品性です。党活動家は、大衆を党の路線と政策の貫徹に立ち上がらせる政治活動家です。政治活動家は、周囲で起こるあらゆる問題を革命的観点から鋭く見、正しく判断できる、党員としての眼識を持たなければなりません。党活動家の政治的眼識が狭く、鋭くなければ、実務にかまけて事の正否が弁別できず、革命的原則、階級的原則を守ることができなくなります。特に、党の組織部門担当の活動家が政治的に鋭くなければ、党内に裏切り者、異分子があらわれても、すぐに摘発することができず、彼らの口車に乗せられて革命家の節操を守ることができません。

 党活動家は、あらゆる問題を党の立場、労働者階級の立場に立って考察する習性を身につけなければなりません。党活動家は、わが党の唯一思想に反するあらゆる現象と妥協することなくたたかうとともに、あらゆること、特に、人々の生活を金日成同志の教えと党の政策を基準として深く分析、判断できなければなりません。そのためには、わが党の革命思想で武装して革命的世界観を確立し、大衆の中に深く入って彼らから学ばなければなりません。

 党活動家は、人々の心の動きを見てとる能力がなければなりません。人の行動はその心の動きに大きくかかっています。人の行動がその心の動きに大きくかかっているからといって、その表現形態や方法がすべて同じわけではありません。同じ心理的変化によって起こった行動でも、その表現形態や方法が相異なることもあり、正反対の場合もあり得ます。党活動家が人々の心の動きを見てとる能力をそなえていてこそ、人々の生活の表面にあらわれているものと中に隠れているものを正確に見分けることができるのです。言葉の中に言葉があるということわざもありますが、人々の言葉の中には他の意味が含まれている場合が少なくありません。芸術界で多く使われる独白というものも、このような生活の道理にもとづくものです。

 劇映画『ある支隊長の物語』で、関東軍の少将が秘密アジトの薬局にあらわれたときの場面もそうした実例の一つです。関東軍の少将は自分が勝ったという快感のあまり、遊撃隊の女性工作員に「泣くことはない」と作り笑いをし、あたかも工作員に同情するかのように振る舞います。創作家は彼にそのように振る舞わせて、その狡猾さをいっそう際立たせたのです。関東軍の少将が「泣くことはない」と言ったのは本当に泣くことはないという意味ではなく、もうお前の負けだから「泣け」という意味です。こういったものを言葉の中の言葉といい、独白というのです。まさに、こうした人の心理の妙を誰よりも深く研究しなければならないのが党活動家なのです。

 我々は時おり、母親が言うことを聞かない子どもにいっそのこと死んでしまえと言ってふくらはぎを打つのを見かけますが、それは本当に死んでしまえと言っているのでしょうか。そう考える人はまずいないでしょう。子どもが全然言うことを聞かないので、もどかしさのあまり、どうかまっとうに暮らしてくれと言いたいのを、わざとそのような言い方をしているのだと、分別のある人なら誰でもわかるでしょう。ところが今、一部の党活動家はこうした人の心理の妙を見極めず、誰かが口げんかをして腹立ちまざれに曲がったことを言うと、それが本心から出た言葉かどうか見極めもせずに、言葉じりをとらえてやたらに批判しています。党活動をこのようにおこなったのでは人々が萎縮してしまいます。人々の言葉一つを正しく聞き分けることがこのように重大な問題であるので、党活動家は一日も早く政治・実務水準を高めて、事象を哲学的に深く分析、判断できる能力を養わなければなりません。

 党活動家が人の複雑な内面世界を正しく見極めるためには、科学的で論理的な思考方式を身につけなければなりません。科学的で論理的な思考方式を身につけてこそ、「言葉の中にある言葉」を正しく聞き分けることができるだけでなく、複雑で多様な生活と人間関係のなかに埋もれてよく見えない人々の心の内をはっきり見通すことができるのです。

 私は昨年の春、ある作家と長時間にわたって話し合うなかで、このことを痛感しました。私は彼に彼の仕事を指導しているある幹部の欠陥について指摘し、このことを知っていたのかと聞きました。知っていたと彼が言うので、それならその幹部の振る舞いが間違っていると感じたのか感じなかったのか、とまた聞きました。すると、彼は返答に窮し、正直言って感じなかったと言うのでした。彼の意識水準で、それが間違った振る舞いであることを感じなかったというのは話になりません。彼がその幹部の行動が間違っていることを知らなかったのなら、それは彼に対して幻想を抱いていたからです。はっきりあらわれた欠陥であるにもかかわらず、それが欠陥と感じられないのが個人に対する幻想なのです。これとは異なり、欠陥を知っていながら黙過したのなら、それは阿諛や家族主義の温床とみなすべきでしょう。

 党活動家は、気高い人間性と母親のような理解力を持たなければなりません。母親は、まだ話せない赤ん坊の息遣いを聞いただけで、どこが悪いのかすぐわかります。党活動家が同志と人民への温かい愛情をもって常に細やかに気を配るならば、例え、知識が乏しく実務水準が多少低くても、人々の心の内を深く見通すことができます。

 党活動家は、こうした党の要求を肝に銘じて芸術家との活動を正しくおこない、彼らの限りない創造力を大いに引き出し、劇映画の制作に革新がもたらされるようにしなければなりません。
                                               
出典:『金正日選集』(増補版)3巻 


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