金 正 日

作家は博識であってこそすぐれた作品が書ける
−シナリオライターにおこなった演説− 
1970年1月16日 

 シナリオ創作社には多くのライターがいます。シナリオ創作社のライターが年に1編の作品を書くとしても、90余編がつくられることになります。ところが、シナリオライターが相応の役割を果たしていないので、作品はわずかしかつくられていません。シナリオ創作社のライターのなかには、3年の間1編も書けなかった人が少なくありません。3年間なら、独学をしてでも1編ぐらいは書けるはずなのに、職業ライターが3年間、1編の作品も書けないというのは論外です。甚だしくは、6、7年の間1編をも書いていないライターもいますが、そういう人は遊んで暮らしたも同然です。数年もの間1編のシナリオも書けなかったライターのなかに党員がいるなら、そういう人は党員の資格がありません。

 現在シナリオ創作社のライターのなかに作品の書けない人が多いので、限られたライターが1年間に数編も書かなくてはならず、そのために苦労しています。シナリオ創作社のライター全員が年に1編ずつ書くならば、一人で2、3編ずつ書かなくてもすむはずです。シナリオを多く書いた人は、熱心に仕事をしたものとして評価すべきです。

 いまシナリオがあまり創作されていないばかりか、できた作品にしても、思想的・芸術的水準は極めて低いものです。ストーリーもかんばしくなく、設定された葛藤にも深みがありません。

 シナリオの思想的・芸術的水準が低すぎるため、原作どおり映画化されるものはほとんどありません。構成がしっかりしていると言われるシナリオさえも、映画化に際しては大幅に改作しなければならないケースがあります。ライターのなかには、人物の性格さえ満足に典型化できない人もいます。

 金日成同志は、映画では物語の叙事詩的な展開を避けるべきだと教えていますが、シナリオ創作社はシナリオを叙事詩さながらに書いています。そのような作品にはこれといったものがありません。

 シナリオ創作社のライターのなかには、作品を書くよりも、互いに創作論をたたかわせ、空論にふける人が少なくありません。

 シナリオライターが集団の力を合わせてすぐれた作品を書くようにとシナリオ創作社を設けたのに、作品の創作方法はかつての「解放作家」のそれと変わるところがありません。現在、ライターは審査グループと映画撮影所を相手に作品を仕上げています。

 シナリオが多く書けない原因はいろいろありますが、根本はライターの政治的自覚が欠けているところにあります。作品は、創作家が党と革命に寄与するという高い政治的自覚を持って書くべきであって、強制的に書かせることはできません。創作活動は自覚を抜きにしてはできません。

 ライターが作品を書けないのは、水準が低いこととも少なからず関係しています。ライターがすぐれた作品を書くためには、党の政策に明るく、また博識でなければなりません。ところが、ライターはそういうレベルにいたっていません。

 ライターが作品を書けない原因を正しく分析して、シナリオをより多く書く対策を立てる必要があります。

 これまではシナリオについて批評するのみで、創作そのものには関心を払いませんでした。今後はシナリオ創作に力を入れるべきです。

 何よりも、ライターが金日成同志の教えを深く学習すべきです。

 創作家が金日成同志の偉大な革命思想で武装していないためにすぐれた作品が書けなかったというのは全く正しい指摘です。ライターは金日成同志の偉大な革命思想で武装しないことには、満足な作品が書けません。

 今後、シナリオ創作社の初級党委員会は、ライターが金日成同志の教えを着実に学習するように指導すべきです。この学習は、初級党委員会が掌握しておこなうべきです。初級党委員会は、党員の任務分担の遂行状況のみを統制するのではなく、ライターが金日成同志の教えを深く学習するよう綿密に手配すべきです。

 ライターは、熱心に勉強して視野を広げるべきです。

 人間は自分の知識の程度に応じて、みずからのレベルに応じて見聞し、感じとり受け入れるものです。ライターは博識であってこそ、すぐれた作品が書けます。

 ライターが視野を広げるためには熱心に勉強しなければなりません。古典小説を多く読み、映画を数多く見る必要があります。書物と映画は、シナリオライターのこのうえない糧と言えます。ライターは、社会主義諸国の映画や『世界文学選集』にすべて目を通すべきです。

 金日成同志は、創作家は『世界文学選集』をすべて読むべきだと何回も教えており、昨年は小説『鴨緑江上』と『少年漂泊者』を読むようにと述べました。ライターはこれらの作品をすべて読むべきです。これからライターの間で『世界文学選集』をはじめ、書物を多く読む運動を繰り広げるべきです。『壊滅』『母』『鉄の流れ』『趙子竜伝』といった外国の小説も読むべきです。

 創作家に映画を多く見せなければなりません。

 劇映画『ふるさと』をはじめ、わが国の映画をすべて見せるべきです。ライターが映画を見るというのは学習です。

 金日成同志が見て指摘のあった映画をライターに見せて、研究会を開くべきです。研究会では、映画の構成と葛藤の設定とその解決の方法など、創作実践の過程で得たすぐれた経験について討論すべきです。ライターは、映画の観覧を金日成同志の文芸思想を研究し、体得する学習とみなすべきであって、絶対に興味本位に見てはなりません。

 今後は、映画がつくられれば、最初にシナリオライターに見せるべきです。

 ライターには、外国映画も多く見せるべきです。ライターは外国映画を参考として見る必要があります。外国映画は実務的側面で参考になります。

 シナリオ創作社のライターには、党が許した外国映画を全部見せるべきです。当分の間、彼らには外国映画を多く見せるのがよいでしょう。

 ライターは外国映画を見る時、無批判的にではなく、金日成同志の教えと党の方針を尺度にして批判的に見るべきです。そうしてこそ、外国映画に対する幻想が生まれず、修正主義に毒されることもありません。ライターは、常に主体的立場にしっかりと立って外国の作品を見、評価すべきです。

 ライターに映画を週に2回ぐらい見せるべきです。映画の鑑賞は、映画人同盟が責任をもって手配すべきです。映画人同盟は毎月、映画試写計画を立てて映画普及社に渡すべきです。シナリオ創作社に映写機を提供することにします。映写機を提供しても、いますぐ映写室を設けるのは困難です。シナリオ創作社のライターが記録映画撮影所の映写室を利用するとなると、出入りの手続きが問題となるでしょうから、映画普及社の映写室の利用を考えるべきです。

 中央で催される各種の大会にライターを参加させるべきです。中央でおこなわれる大会にライターを 1、2名ぐらいは参加させることができるでしょう。

 ライターを生産現場に派遣して現実を体験させるべきです。

 現実を知らず、机に座って作品をつくり出そうとしてはいけません。生活を体験せずに、始めから最後まで無理につくり出してはまともな作品になりません。シナリオ『明日が見える』もライターが机に座ってつくり出した作品なので、「種子」が明確でありません。『明日が見える』のシナリオはできたものの、「種子」が明確でないために映画として仕上げるのにかなり骨がおれました。人間の思索や情熱には限りがあるものですから、すぐれた作品を創作するためには現実を体験しなければなりません。

 シナリオ創作社では現職のライターを2組に分け、その1組は1、2年間、他の1組は半年の間労働現場に派遣し、生活をまじめに体験させるべきです。作品の書けないライターは一旦除籍して、1年間ぐらい現場で働きながら作品を書くようにするのがよさそうです。

 ライターは、労働現場に出て着実に生活体験を積むべきです。今は現実体験に出てはいるものの、実際には現実を体験するのでなく、見学してくるにすぎません。甚だしくは、一部のライターは漫才も満足に書けないのに、工場、企業所に出向いて着実に現実を体験するのではなく、芸術サークルの作品を書いているとのことです。下半期にライターを現場に派遣する問題は改めて討議しましょう。

 ライターは、絶えず自己修養を重ねて文化的素養を高め、気高い道徳品性も身につけるべきです。ライター自身が気高い品性を身につけてこそ、気高い品性の人物を作品に描くことができます。ライターは生活も質素にすべきです。

 新人ライターを育てる問題を研究する必要があります。

 彼らに文章の書き方を、将棋の手ほどきをするように教えることはできず、作品を書いてやる方法で教えるわけにもいきません。文章を代筆しては、かえって新人の発展に妨げとなります。新人の文章を代筆するのは、彼らに文章の書き方を教えたり助けたりすることにはなりません。ですから古参のライターが直接手を下して、新人の作品を代筆してはいけません。新人の文章に対して意見を述べることはできます。創作経験の豊かなライターが新人を個別的に担当して彼らの作品に意見を出すこともできるし、水準が同じくらいの新人同士が作品を取り交わして添削し合うこともできます。新人が互いに作品を取り交わすことにするなら、意見を出し、加筆もしてやれるでしょう。しかしながら、作品を代筆する方法では新人を育てることができません。

 新人シナリオライターを育てるためには、創作課題を与えて文章を多く書かせなければなりません。新人は文章の出来はどうあれ、自分の力で書くことに慣れなければなりません。新人は、文章を多く書きもしないですぐれた作品をつくろうと考えてはなりません。

 新人は、作品を書く時大胆さが必要です。文章は大胆に書くべきであって、萎縮してはうまく書けません。新人は作品をたくさん書いた人にまじって文章を書くと萎縮しやすいので、独りで書くべきです。文章を書いたあとで添削するのは問題でありません。

 ライターは絶対に他人に文章を書いてやってはならず、また新人は他人が書いてくれたものを受け入れてはなりません。

 作品が書けなくて遊んで暮らしている人に対しては、相応の対策を立てる必要があります。一部のライターは一編の作品も出さないで、すでに査定された自己の等級に相当する高い国家的恩恵にあずかろうとしていますが、それではいけません。作品の書けないライターには物質的な刺激を与え、勤労動員にも参加させるべきです。

 技量が未熟で文筆能力に欠けている人に対しては根本的な対策を立てるべきです。作品の書けない人は自分自身も苦しいはずです。一部の人は別の職種に移してほしいと言っています。文筆活動に向かないと思う人たちに対しては、本人の要求どおり他の部門に移すべきです。4月15日以後、作品の書けない人たちに会って具体的な実情を知り、対策を立てる考えです。

 シナリオ創作社の人たちの生活でこれといって問題になることはありませんが、一部の人の間に時おり無秩序な行動が見られます。映画撮影所内でライターがみだりに編集室に出入りしているのが散見します。今後は、シナリオ創作社のライターにそのようなことがないようにすべきです。

 一部のライターは仕上げの段階に入ってから作品の手直しを求めていますが、ライターは仕上げ工程には関与すべきではありません。

 シナリオ創作社の機構と活動体系については別途に討議し、提起された問題をすぐ解決することにします。

 ライターが撮影所に駐在するほうが作品を書くのに有利ではないかという問題をはじめ、シナリオ創作と関連して提起される諸問題は全般的に改めて検討して見ることにします。

 作品の創作に加われない割付け係の問題と、ライターの等級や待遇の問題は4月15日以後に討議することにします。

 シナリオ雑誌を発刊すべきです。シナリオ雑誌には、映画化されたシナリオの3分の2ほどを載せることにすればよいでしょう。

 今年度の創作課題を成功裏に遂行しなければなりません。

 そのためには、何よりもシナリオを確保しなければなりません。これからシナリオ創作社では、すべてをシナリオ創作に集中すべきです。そうして、4月15日までに今年制作する映画のシナリオをつくり、第5回党大会までには来年度に制作する作品を確保することです。

 第5回党大会に贈る記念作品の創作にも力量を集中すべきです。

 第5回党大会の記念作品としては、社会主義的愛国主義思想を反映した現実テーマの作品をつくるべきです。現在制作中の『青山原の朝』や『降仙のポプラ』のような、社会主義的愛国主義思想を反映した現実テーマの作品を立派につくるべきです。

 金日成同志は、革命伝統テーマの映画制作はやや少なめにするようにと、述べています。今年の創作計画を見ると、革命伝統をテーマにした映画が多すぎます。すでに書き上げた革命伝統テーマのシナリオはさらに練り上げて、来年に映画化するのがよいでしょう。

 映画があまり長くならないようにすべきです。

 金日成同志は、映画におおげさな事件を描かないようにと述べ、わが国の映画は長い感じがすると指摘しています。映画は1時間半ぐらいのものが適当です。映画を3、4時間もかけて見るというのは容易ではありません。今年度につくる映画は8〜9巻にすべきでしょう。

 創作課題を成功裏に遂行できるかどうかは、金日成同志の教えと党の方針を無条件に受け止めて貫徹するシナリオライターの政治的自覚の高さにかかっています。ライターは党と領袖への高い忠誠心を抱き、今年度の映画創作に必要なシナリオを確実に書き上げるべきです。

 今年度のシナリオ確保状況は、4月15日以後にもう一度創作家の会合を開いて総括することにしましょう。

 作品の審査を正しくおこなわなければなりません。

 審査グループは、作品に党の政策が正しく反映されているかどうかに基本をおいて作品を検討し、審査すべきです。作品を審査する際、ドラマチズムについてのみ論議するようではいけません。ドラマチズムについて論議するにしても、党の政策を尺度にして分析し評価すべきです。

 党政策を基準にして作品を審査するためには、審査グループのメンバーが金日成同志の教えと党の方針をライターよりも詳しく知っていなければなりません。ところが、いま審査グループのメンバーは、金日成同志の教えと党の方針をライターより詳しく知っていません。

 審査グループのメンバーは金日成同志の教えと党の方針を深く知らないため、シナリオ『虹の立つ村』の審査にあたって異口同音にすぐれた作品だと評価しました。審査グループのメンバーはこの誤りから深刻な教訓をくみ取るべきです。

 今後、審査グループのメンバーは金日成同志の教えと党の方針をはじめ、党の文芸思想を深く学習し、党政策を基準にして作品審査を慎重におこなわなければなりません。

 審査グループは、作品審査の過程で、作品を完成させるべく助言を与えるべきです。作品を審査して、ただ出来が悪いと評価するのみであったり、作品を返却してやらないようなことがあってはなりません。

 これまでに審査グループが棄却した作品を全部提出してください。別のグループを組織してそれらの作品を再検討して見る考えです。

 映画撮影所は、審査グループがパスさせた作品に対して異論をはさんではいけません。審査グループがパスさせた作品に対して、映画撮影所が是非を論ずるようなことがないか調べて見る必要があります。

 大衆の間で創作されるシナリオも審査の対象とすべきです。

 シナリオを書いてシナリオ創作社に送っても見てくれないといって、党中央委員会に苦情を申し立てる人が少なくありません。なかにはシナリオを書いて直接、党中央委員会に送ってくる人もいます。

 映画人同盟に評論家をおく必要があります。有能な人でかためれば、映画評論を正しくおこなうことができるはずです。

 児童映画撮影所でアニメや紙型映画をたくさんつくって少年たちに見せて、年少のころから文章を書くようにしつける必要があります。


<注釈> −「解放作家」 以前、文学創作の「特殊性」にかこつけて組織の統制から外れ、創作活動を無規律に、勝手気ままにおこなった作家をいう。

 −種子(チョンジャ)  作品の核であり、作家の語ろうとする基本問題を内包し、形象の諸要素が根をおろす下地をそなえている生活の思想的な要をいう。
出典:『金正日選集』2巻 


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