金 正 日

政治的・道徳的刺激と物質的刺激に対する正しい理解のために
朝鮮労働党中央委員会科学教育部の活動家への談話 
−1967年6月13日− 

 社会科学者の間で、従前の理論と外国の経験に対する教条主義的な観点と態度を一掃し、主体性を確立することがきわめて重要です。

 金日成同志が資本主義から社会主義への過渡期とプロレタリアート独裁の問題を独創的に解明して以来、従前の理論に対する社会科学者の態度と思考方式に新たな転換がもたらされているとのことですが、それは非常によいことです。しかし、人々の思想観点と思考方式は一朝一夕に改まるものではありません。社会科学者の間には、いまだに事大主義、教条主義が少なからず残っています。したがって、社会科学部門で事大主義、教条主義を一掃し、主体性を確立するたたかいを絶えず深化させる必要があります。いままで絶対的なものとみなされてきた既存理論や外国の経験も、主体的立場で全面的に再検討しなければなりません。主体性を確立するたたかいを力強く展開せずには、社会科学者を金日成同志の革命思想と理論で武装させることができず、社会科学をわが国の革命と建設に正しく奉仕させることができません。

 社会科学者をわが党の革命思想で武装させ、科学研究活動において主体性を確立することは、こんにち、国際共産主義運動内に左右の日和見主義があらわれ、社会主義建設に大きな弊害を及ぼしている状況のもとで、いっそう切実な問題となっています。いま、国際的に資本主義から社会主義への過渡期の問題と労働に対する政治的・道徳的刺激と物質的刺激の問題、経済発展の速度と均衡の問題をはじめ、社会主義・共産主義建設で重要な意義をもつ問題について多くの論争がなされており、そこで、いろいろな偏向があらわれています。わが国の社会科学者の間でも、そのような問題が少なからず論議されています。それで、わたしは今日、学者の間で論議されているいくつかの問題についてみなさんと意見を交わしたいと思います。

 まず、社会主義社会における政治的・道徳的刺激と物質的刺激の相互関係について述べましょう。

 いま、労働に対する政治的・道徳的刺激と物質的刺激の問題について論争されている内容をまとめてみると、およそ2つに大別することができます。1つは、労働に対する物質的刺激の重要性を過大評価し、政治的・道徳的刺激の役割を過小評価するものであり、他の1つは物質的刺激の意義を軽視し、政治的・道徳的刺激のみを一面的に強調するものです。こうした見解は、理論的にみても実践的見地からしても、いずれも不当であり、有害なものです。

 政治的・道徳的刺激と物質的刺激の問題も過渡期の問題と同じように、わが党のチュチェ思想にもとづいて解かなければ正しい解答が得られません。

 政治的・道徳的刺激と物質的刺激を結合する問題は、社会主義制度が樹立された後、社会主義社会で新たに提起される問題です。したがって、この問題に対する正しい認識をもつためには、社会主義社会がどのような社会であるかということから正しく理解しなければなりません。

 社会主義社会は、古い搾取社会を否定して生まれた社会であり、資本主義社会とは質的に区別される新しい社会です。資本主義社会は、個人主義にもとづく社会であり、階級的対立と闘争が社会関係の基本をなしている社会です。それとは異なり、社会主義社会は集団主義にもとづいており、勤労者の同志的団結と協力が社会関係の基本をなしています。勤労人民大衆が国家主権と生産手段の主人となり、人々が社会的境遇と目的と利害関係の共通性によって思想、意志の団結をなし、同志的に協力するところに社会主義の本質的特徴があり、また、それが社会主義社会の発展を促す重要な要因となっています。

 社会主義社会は、このような共産主義的性格とともに過渡的性格ももっています。社会主義社会の過渡的性格は、搾取社会が残した思想、技術、文化の後進性と関係しています。社会主義制度が樹立された後にも、古い思想と文化の遺物が残っており、共産主義的分配を実現できるほどに生産力の発展水準が高くなく、労働者階級と農民の階級的差、勤労者の労働条件と物質・文化生活における差などいろいろな差が残っています。こうしたことのために、社会主義社会は共産主義の高い段階と区別されるのです。共産主義的性格と過渡的性格をともに有していることが、以前の資本主義社会とも区別され、将来到来する共産主義社会とも区別される社会主義社会の特徴なのです。社会主義社会を考察する際、共産主義的性格だけを見て過渡的性格を見ないのも誤りであり、過渡的性格だけを見て共産主義的性格を見ないのも誤りです。

 社会主義社会の共産主義的性格と過渡的性格は、勤労者の労働生活に反映され、人々に労働の結果に対する政治的・道徳的関心とともに物質的関心ももたせます。労働に対する政治的・道徳的関心を高めるための政治的・道徳的刺激が社会主義社会の共産主義的性格と関係しているとすれば、物質的関心を高めるための物質的刺激は過渡的性格と関係しています。

 労働に対する物質的刺激のみを強調するのは、社会主義社会の共産主義的性格を軽視し、過渡的性格を基本とみなす見解にもとづいています。物質的刺激を基本とみなす人たちは、社会主義制度が樹立された後にも、人々の頭に搾取社会から受け継いだ古い思想の影響が多く残っているため、物質的に刺激するのが勤労者の生産意欲を高め、経済を速やかに発展させる最も効果的な方法であるとして、物質的刺激の体系を経済管理全般に取り入れることを要求しています。甚だしくは、彼らは、社会主義社会でも収益性を高めるためには利潤、報奨金、価格などの経済的テコを経済管理の基本手段とみなすべきであり、企業が価格を自由に定め、利潤の多い製品を自由に生産できるようにすべきだと主張しています。これは、社会主義経済を資本主義経済に逆戻りさせようとする反社会主義的で修正主義的な理論です。もし、そのような修正主義理論どおりに社会主義経済を管理、運営するならば、社会主義経済と資本主義経済の差異が次第になくなり、社会主義経済は資本主義的なものに変質するようになるでしょう。結局は、人々の間にカネしか知らない利己主義が助長され、しまいには社会主義社会全般を浸食し瓦解させる危険な状態にまで至るようになるでしょう。

 他方、政治的・道徳的刺激のみを主張する人たちは、社会主義社会の過渡的性格を無視し、共産主義的性格のみを強調しています。彼らは、社会主義社会ではすべての勤労者が社会と集団のために、祖国と人民のために高い政治的熱意をもって自発的に働くのであるから、労働の結果に伴う物質的評価は不必要であり、したがって、分配においても平均主義を実施すべきだと主張しています。まだ、人々が国家的な専業や共同労働を自分自身の仕事のように思わず、能力に応じて働き、必要に応じて分配できるほど生産力が発展していない社会主義社会の状況で平均分配を実施すべきだと主張するのは、結局、社会の発展段階を飛び越えて一気に共産主義を実現しようとする極左的な理論です。社会主義社会の状況で平均分配の実施は不可能であるということは、ソ連でソビエト政権が樹立された初期にコミューンの経験によってすでに実証されています。社会主義を建設する国は当然、コミューンの経験から教訓をくみ取るべきです。もし、社会主義社会の現実と歴史的経験を度外視し、労働の結果を考慮せず平均主義的な分配をするならば、勤労者の生産意欲を落とし、労働をきらい、少し働いても多くの分配を受けようとする傾向が助長されて社会主義建設に大きな支障を与えるようになるでしょう。

 政治的・道徳的刺激と物質的刺激の相互関係において、どちらが基本で、何がどこに服従すべきかと問題を提起するならば、政治的・道徳的刺激が基本であり、それに物質的刺激が裏打ちされなければならないと言うべきでしょう。社会主義社会が共産主義的性格と過渡的性格をともにもっている社会だからといって、社会主義社会におけるその位置と役割が同じであるわけではありません。社会主義社会の本質的特徴は、あくまでも、その共産主義的性格にあります。社会主義・共産主義建設の過程は、社会主義社会の共産主義的性格が絶えず強まり、反面、過渡的性格が徐々に克服されていく過程です。それゆえ、社会主義・共産主義建設が進捗するほど、社会主義社会の共産主義的性格を反映した政治的・道徳的刺激の役割はさらに大きくなり、過渡的性格を反映した物質的刺激の役割は次第に弱まっていきます。

 政治的・道徳的刺激を基本とし、それに物質的刺激を適切に結合させるのは、人民大衆の革命的熱意と生産意欲を高めて社会主義建設を力強く促進させる最も正しい道です。勤労人民大衆が祖国と人民のために、自分自身の幸せのために自発的熱意と創意を発揮して働くのは社会主義制度の本質的優位性であり、それは政治的・道徳的刺激を強めることによってのみ高く発揮されるのです。政治的・道徳的刺激を優先させ、すべての勤労者が主人としての立場と態度で労働にまじめに参加するようになってこそ、生産も経済管理も円滑にいき、万事がうまく運びます。

 勤労者に対する政治的・道徳的刺激で何よりも重要なのは、政治活動を強化することです。勤労者の間で政治活動を正しくおこなって、彼ら自身が働く目的と意義を明確に認識するようにしてこそ、主人としての自覚をもって革命的熱意を発揮し、与えられた革命課題を責任をもって遂行することができます。

 党員と勤労者を政治的、思想的に自覚させ、その革命的熱意を呼び起こす時、いかに偉大な力が発揮されるがということは、わが国における社会主義建設の経験が十分に示しています。戦後復興建設のあの困難な時期に、朝鮮人民が困苦欠乏にたえて廃墟の上に工場と農村を新しく建設したことや、降仙の労働者が刻苦奮闘した結果、年間6万トンしか生産できないという分塊圧延機で12万トンの鋼材を生産する奇跡を生んだのは、みな何らかの報酬や代償を望んでしたことではありません。我々が社会主義建設の最も困難な時期に、世人を驚嘆させるチョンリマの大高揚を起こした重要な秘訣は、まさに政治活動を正しくおこなって人民大衆の革命的熱意を高く発揮させたことにあります。政治活動を強化して勤労者が自発的に働くようにするのでなく、カネのために働かせては、大衆の間で創意が生まれるはずはなく、集団的英雄主義が発揮されるはずもありません。

 賃金を引き上げ、報奨金を与えるという方法で生産の絶え間ない成長をもたらすことができると思うのは大きな誤りです。社会主義社会でカネをもって人々を動かそうとするのは、社会の主人である労働者階級と人民大衆に対する冒涜です。こんにち、労働者階級が社会主義建設で高度の創造力を発揮して革新を起こしているのは、決して、カネを余計に稼ぐためではありません。一時わが国でも、修正主義に毒された一部の経済幹部が価値法則を利用するといって黄海製鉄所に出向き、「仮貨幣」をつくって労働者の労働の結果を毎日カネで評価するといったようなことをしたことがあります。その時、黄海製鉄所の労働者は、我々はカネを目当てに働いているのではなく、祖国と人民のために働いているのだ、価値法則も「カラス法則」もみなやめてとっとと帰れと言いました。人々をカネで縛りつけて働かせるのは資本主義的方法であり、そういうやり方では決して社会主義・共産主義は建設できません。

 我々は政治活動を強化して、すべての勤労者を集団主義精神で武装させるべきです。そうして、勤労者が集団の利益のなかに自分自身の利益もあるということを正しく悟り、社会と集団のためにすべてをささげてたたかうようにすべきです。

 勤労者を労働愛好の精神で教育することが重要です。勤労者が生産の主人になったからといって、おのずと労働に対する共産主義的態度がそなわるわけではありません。我々は労働愛好の教育を強化して、すべての人が労働を最も神聖で栄誉あるものとみなし、祖国と人民のために、社会と集団のために自己の力と知恵をすべてささげて働くことを崇高な義務と思うようにすべきです。

 勤労者の革命的熱意を高めるには、労働に対する政治的・道徳的評価を正しくおこなう必要があります。わが国の勤労者は、自己の知恵と労働によって党と革命に寄与することをこのうえない誇りとし張り合いとみなし、労働の結果に対して物質的評価より、政治的評価を受けるのをよしとします。我々は勤労者の勤労の成果を政治的に高く評価し、革新者を社会的に大いに押し立てることによって、すべての勤労者が高い熱意と自負を抱いて社会主義建設で偉勲を立てるようにしなければなりません。

 労働に対する政治的・道徳的刺激は、必ず物質的刺激によって裏付けられるべきです。社会主義制度が樹立された後にも長い間労働の格差が存在し、人々の頭に古い思想の影響が残っているので、労働に対する物質的刺激が必要です。我々が反対するのは物質的刺激そのものではなく、政治活動はおこなわず物質的刺激を前面に押し出して、人々の利己主義を助長することです。

 社会主義社会での物質的刺激は、資本主義社会での物質的刺激とは根本的に異なります。搾取と抑圧が支配する資本主義社会での労働に対する物質的刺激は、労働者の自主性を踏みにじり、彼らに対する搾取を強化する手段となります。しかし、社会主義社会での物質的刺激は、労働の結果に対する物質的評価を通じて、勤労者に主人としての自覚をもたせ、熱意と創意を発揮して働くように促す役割を果たします。我々は骨の折れる部門に従事する労働者に、他の部門の労働者より高い物質的待遇を与えていますが、それは単に労働に対する物質的刺激を与えるためではありません。骨の折れる部門の労働者に他の部門の労働者より高い待遇をするのは、資本主義社会でのようにただ人々に物質的刺激を与える目的からではなく、彼らが他の部門の従事者より肉体的にも精神的にもより多くのエネルギーを消耗するので、それを補い、自分の仕事にいっそう励めるようにするためです。

 労働に対する物質的刺激を正しく実現するためには、社会主義的分配の原則を貫徹しなければなりません。労働の量と質によって、仕事を多くした人には多く分配し、少しした人には少し分配するのは、人々の生産意欲を刺激すると同時に、労働をきらう古い思想に対する重要な統制手段となります。もし、社会主義的分配の原則を守らず平均主義を実施し、重労働をする人と軽労働をする人、仕事を多くした人と少しした人、技術・技能水準の高い人と低い人に同じ報酬を与えるならば、人々は生産を増やし、技術・技能水準を高めるために努力しなくなり、怠けて無為徒食しようとする傾向が助長されるでしょう。それゆえ、ノルマと賃金の査定を正しくおこない、報奨金など追加的な報酬の支払い形態を十分に利用して、社会主義的分配の原則が正しく貫徹されるようにすべきです。

 次に、経済発展の速度と均衡の問題について簡単に述べましょう。

 いま一部の社会主義国の経済学者のなかには、経済発展においては速度より均衡が重要だといって、均衡に合わせて速度を調整すべきだと主張する人たちがいます。

 経済発展の速度と均衡との相互関係において、我々が第一義的に重視し基本とみなすべき側面は速度です。もちろん、経済発展の速度は均衡を前提とし、正しい均衡にもとづいてのみ、経済を速い速度で発展させることができます。しかし、社会主義経済で均衡を保つのは、それ自体が目的なのではなく、経済発展の速い速度を保障するためです。経済の均衡は、経済発展の速度を保障する手段であって、速度に服従しなければなりません。それゆえ、人民経済計画を作成する時には必ず速度を中心に据え、速度を保障する原則で均衡を保たなければなりません。言いかえれば、党の政策的要求に即応して経済発展速度を定め、それが保障できるよう予備と可能性を積極的に引き出し、人民経済部門間、生産諸要素間の均衡を保たなければなりません。

 いま一部の人は、経済が発展しその規模が大きくなれば、生産成長の予備が少なくなるので生産を引き続き速い速度で発展させることができないと言い、人民経済計画を低目に作成することを要請しています。これは、社会主義制度の優位性を見ようとしない修正主義的理論であり、社会主義経済建設で後ずさりしようとする、きわめて有害な投降主義的傾向です。社会主義社会では、国家の統一的指導のもとに労働力と原料、資材が合理的に利用され、生産と分配、蓄積と消費が計画的に実現されるため、経済が発展するにつれて生産成長の予備と可能性はさらに大きくなります。特に、社会主義社会には、生産力を速い速度で発展させうる大きな政治的・思想的要因があります。速度より均衡を重要視する人たちは、社会主義経済発展の主な要因を原料と資材、生産道具などの物質的条件に求めていますが、それは誤りです。社会主義社会で経済発展の速い速度を規定する決定的要因は客観的条件ではなく、主体的要因です。社会主義経済は、党の正しい指導と国家と社会の主人となった勤労人民大衆の高い革命的熱意と創造的積極性によって絶えず発展します。それゆえ、経済の管理運営において、設備や原料、資材よりも先に人間を見るべきであり、人民経済の速い発展を保障するためには、物質的条件より生産者大衆の党と領袖に対する厚い忠誠心と、彼らの革命的熱意を先にはからなければなりません。    わが国で5カ年計画を4年間で超過完遂し、5カ年計画が完遂された以後も経済が引き続き速い速度で発展している事実は、党と国家が正しい路線と政策を示し、その貫徹へと大衆を力強く立ち上がらせ、経済組織活動を綿密におおこなって予備と潜在力を積極的にくみ上げるならば、経済を絶え間なく速い速度で発展させることができるということを実証しています。

 速度と均衡の相互関係において速度の重要性を強調するのは、均衡を軽視したり、その役割を無視してもよいということを意味するのではありません。経済発展の速い速度は、計画的に設定され維持される積極的な均衡によって保障されます。計画的に均衡的に発展するのは社会主義経済の重要な特徴であり、優位性です。いま一部の人は、社会主義社会で均衡が保たれるのは一時的な現象であり、したがって、経済は波形に、鞍形に発展するのだと言っています。言いかえれば、社会主義経済は一時的な均衡と恒常的な不均衡によって、一時は成長し、一時は退歩する形で発展するというのです。これはきわめて誤った理論です。もし、社会主義経済で均衡が保たれるのは一時的な現象であり、均衡が絶えず崩れるのが一般的な現象であるとするなら、社会主義経済と資本主義経済の質的な違いがなくなるでしょう。生産手段の私的所有にもとづいている資本主義社会では、資本家がより多くの利潤を得ようと激しい競争を繰り広げるので均衡が絶えず崩れ、経済的混乱と無政府状態が支配するようになります。しかし、生産手段が社会的所有となり、国家が国の経済を統一的に管理運営する社会主義社会では、原則的に経済の不均衡が生じ得ません。党と国家が絶えず変化する現実の要求をそのつど正確にとらえ、正しい対策を講ずるなら、常に均衡を保ちながら経済を速い速度で発展させることができます。

 わが国では人民経済が非常に速い速度で絶えず発展していますが、これはほかならぬ計画の一元化、細部化方針によって速い速度を保障できる正確かつ積極的な均衡が裏打ちされているからです。反面、一部の社会主義国では経済が停滞したり、引き続き速い速度で発展できず波動性を帯びていますが、それは決して社会主義経済の本質的特性と関係している欠陥ではありません。こんにち、外国で論議されている経済発展の速度と均衡に関する誤った理論は、いずれも社会主義の優位性を損ね、社会主義経済の発展に障害と混乱をまねくきわめて有害なものです。それは結局、経済建設における失策と欠陥を合理化するための奇弁にすぎません。

 社会科学部門の活動家は、国際的に横行している日和見主義的理論を正しく識別して徹底的に排撃し、わが党の経済建設理論を断固として擁護し貫徹しなければなりません。

出典:『金正日選集』増補版2


<注釈>「計画の一元化、細部化方針」=計画の一元化は、社会主義国家の統一的指導のもとに計画化の唯一性を確固と保障する計画化システムである。一元化計画システムは、国家計画機関と各級経済機関、企業所の計画部署からなる単一の計画システムであり、中央集権的指導と地方の創意性、プロレタリアート独裁と大衆路線を正しく結びつけた計画化システムである。

 計画化の細部化は、国家機関が直接、全般的な経済発展と個々の工場、企業所の経営活動を密接に結びつけ、計画を具体化して、すべての計画指標を細部にいたるまでかみあわせる科学的な計画化方法である。

 計画の一元化と細部化は、相互に密接につながっており、統一されている。また、人民経済の計画化の科学性を確固と保障する重要な裏付けである。


<参考>「資本主義から社会主義への過渡期とプロレタリアート独裁の問題」

 金日成の著作『資本主義から社会主義への過渡期とプロレタリアート独裁の問題について』を参照。


<参考> 談話の学習のために

 朝鮮労働党第4期第15回総会(1967年5月4〜8日)開催の時期、金日成主席の革命思想を擁護するための金正日総書記の主な活動は、社会科学部門の幹部たちに主席の革命思想の本質を解説し、彼らの立場と姿勢をただすことにおかれた。そのころの総書記は、社会科学者たちと頻繁に会い、そうした活動を絶えず繰りひろげていった。

 1967年6月13日、総書記は世界的にも論議され実践上多くの偏向をきたしていた社会主義下における政治・道徳的刺激と物質的刺激の相互関係にかんする問題と、人民経済発展速度と均衡の問題を明確にしようと、数人の社会科学者と意見をかわした。この時期は、ブルジョア分子や修正主義分子の反党行為を摘発した党中央委員会第4期15回総会の直後にあたり、総書記は各方面で多忙を極めていた。しかし、内外でさまざまな論議がくり返されていたこの問題を解明するために、全面的に研究し、学者たちと会っていた。

 社会科学者たちを迎えた総書記は、まず過渡期問題についての学界の反響から尋ねた。それは、金日成主席が過渡期の問題を解明した労作「資本主義から社会主義への過渡期とプロレタリア独裁について」を発表した直後であった。学者たちは誰もがその労作を深く研究していたし、その思想と理論の正しさを論証する著述を活発に発表していた。

 金正日総書記は、学界における反響に満足を示したのち、社会主義下での政治・道徳的刺激と物質的刺激の相互関係、速度と均衡の問題について話した。

 総書記はまず、社会主義下での政治・道徳的刺激と物質的刺激の相互関係について論じていった。社会主義経済管理におけるこの二つの刺激問題は、経済発展と生産成長の基本要因をとらえるうえで重要であった。この問題における右翼日和見的主張は、労働生産能率をたかめるうえで勤労者の思想・意識が果たす決定的役割を無視し、物質的関心を一面的に強調した。左翼日和見的主張は、これと相反した見解を呈していた。この両者の見解は、社会主義社会の本質的優越性をみず、その過渡的性格を無視したところから生じたものである。

 総書記はこの問題を正しく解明するためには、社会主義社会について正しい理解をもたねばならないとしながら、次のように述べた。

 「社会主義社会は古い搾取社会を否定して生まれた社会であり、資本主義社会とは質的に区別される新しい社会です」
 「社会主義社会は、… 過度的性格ももっています」

 過渡的社会としての社会主義社会の根本的特徴を明確にした総書記は、物質的刺激のみを主張する理論の誤りを次のように指摘した。

 「労働に対する物質的刺激のみを強調するのは、社会主義社会の共産主義的性格を軽視し、過渡的性格を基本とみなす見解にもとづいています」
 物質的刺激のみを主張する理論の右翼日和見的本質と誤謬を明らかにした総書記は、政治・道徳的刺激を軽視し、物質的刺激体系のみを経済管理全般に導入した場合の弊害を、具体的な実例をあげながら指摘した。つづいて総書記は、物質的刺激を軽視し政治・道徳的刺激のみを主張する理論についても、社会主義社会の過渡的性格を無視し、社会発展段階を飛びこえ、一挙に共産主義を建設しようとする左翼日和見的理論であると批判した。

 この二つの傾向は、いずれも革命と建設を阻害し、実践上深刻な害毒をもたらしているとしながら、総書記は政治・道徳的刺激と物質的刺激にかんする党の方針と金日成主席の思想について次のように述べた。

 「政治的・道徳的刺激と物質的刺激の相互関係において、どちらが基本で、何がどこに服従すべきかと問題を提起するならば、政治的・道徳的刺激が基本であり、それに物質的刺激が裏打ちされなければならないと言うべきでしょう」
 「政治的・道徳的刺激を基本とし、それに物質的刺激を適切に結合させるのは、人民大衆の革命的熱意と生産意欲を高めて社会主義建設を力強く促進させる最も正しい道です」

 真理とは、わかってみればまさに単純で明解なものである。この問題が社会科学者たちにとって難解なものに考えられたのは、総書記が指摘したとおり、社会主義社会の共産主義的性格と過渡的性格に対する彼らの認識が正確なものでなかったところに起因していた。

 速度と均衡問題にかんする総書記の解答もまさに明解であった。

 「経済発展の速度と均衡との相互関係において、我々が第一義的に重視し基本とみなすべき側面は速度です。もちろん、経済発展の速度は均衡を前提とし、正しい均衡にもとづいてのみ、経済を速い速度で発展させることができます。しかし、社会主義経済で均衡を保つのは、それ自体が目的なのではなく、経済発展の速い速度を保障するためです。経済の均衡は、経済発展の速度を保障する手段であって、速度に服従しなければなりません。それゆえ、人民経済計画を作成する時には必ず速度を中心に据え、速度を保障する原則で均衡を保たなければなりません。言いかえれば、党の政策的要求に即応して経済発展速度を定め、それが保障できるよう予備と可能性を積極的に引き出し、人民経済部門間、生産諸要素間の均衡を保たなければなりません」

 総書記は速度と均衡にかんする党の立場を明らかにした後、速度よりも均衡が重要だとした見解の誤りを指摘した。

 当時、右翼日和見的傾向にあった人たちは、社会主義経済のたかい速度による発展の合法則性を否定し、均衡絶対論を唱えた。それは、速度を均衡に服従させ、均衡を保つために速度を落とすという主張であった。それにより彼らは、均衡を速度の手段として理解するのではなく、均衡維持それ自体に主目的をおく方向へすすんだ。それは、人民経済の最も弱い部門を基準にして均衡を設定しようとしたところにあらわれていた。

 金正日総書記は、この見解の誤りを次のように論証した。

 「 …… 速度より均衡を重要視する人たちは、社会主義経済発展の主な要因を原料と資材、生産道具などの物質的条件に求めていますが、それは誤りです。社会主義社会で経済発展の速い速度を規定する決定的要因は客観的条件ではなく、主体的要因です。社会主義経済は、党の正しい指導と国家と社会の主人となった勤労人民大衆の高い革命的熱意と創造的積極性によって絶えず発展します。それゆえ、経済の管理運営において、設備や原料、資材よりも先に人間を見るべきであり、人民経済の速い発展を保障するためには、物質的条件より生産者大衆の党と領袖に対するあつい忠誠心と、彼らの革命的熱意を先にはからなければなりません」

 総書記の言葉は、革命と建設は人間が基本であり人々の思想・意識が決定的役割を果たすというチュチェ思想の原理にもとづき、社会主義経済発展速度にかんするチュチェ理論、すなわち、客観的要因に比した主体的要因の優越性を明哲に論証したものであった。

 その一方で総書記は、社会主義経済の計画的、均衡的発展法則の原理から、社会主義下で均衡が得られるのは一時的な現象だとし、均衡が破られるのは社会主義経済の特徴だとする荒唐無稽な主張を批判した。

 この問題についても総書記は、驚異的な経済発展速度が、正確かつ積極的な均衡によって確固と保たれている朝鮮の現実を示しながら説得力をもって実証したのであった。

 以上のように、金正日総書記が解明した過渡期にかんする理論、速度と均衡にかんする理論、政治・道徳的刺激と物質的刺激にかんする理論は、金日成主席の思想と理論を固守したものであった。そして、それらは、社会主義・共産主義建設に提起される最も切迫した問題について完璧な解答になったといえる。

 反論する余地のない整然とした論理と、真理を論証し展開していく総書記の言葉を傾聴しながら、社会科学者たちは、いまさらのようにひとつの事実を悟ったのである。それは、朝鮮革命を守る思想・理論の堅固な城壁が構築されたという厳然たる事実であった。

 総書記の思想・理論は、左右の日和見主義理論に打撃を与え難攻不落の要塞としてそびえ立っている。
出典:『偉大な指導者 金正日』上巻



ページのトップ


inserted by FC2 system