金 正 日 |
従来の労働者階級の革命思想史を正確に分析、総括するために |
社会科学者への談話 |
−1966年5月20日、6月17日、9月30日− |
今日みなさんを呼んだのは、従来の労働者階級の革命思想史を全面的に分析、総括する作業をおこなうためです。 |
出典:朝鮮民主主義人民共和国サイト「ネナラ」 |
<研究資料>金正日総書記の「社会科学者への談話」がなされた 主要な背景について、その要約を記します。 |
金日成主席は、次のように述べています。 「抗日革命闘争の時期、朝鮮革命の任務と我が国の社会・階級関係を科学的に分析したうえで、労働者階級の指導する労農同盟にもとづき、広範な人民大衆の統一戦線に依拠する人民政権を樹立するという主体的な政権建設路線」をうちだし、朝鮮労働党は「革命発展の要請に即応して人民政権を強化し、その機能と役割をたえず高めました。こうして、人民民主主義独裁政権として出現した人民政権は、反帝反封建民主主義革命を遂行して社会主義へ移行する過渡期にいたりプロレタリアートの独裁政権に強化発展しました」 「労働者階級の指導する反帝反封建民主主義革命が社会主義革命へ移行するのは、革命発展の合法則的過程であります。 戦後の我が国の情勢は、社会主義革命を積極的におし進めることを求めていました。我が党は新たな情勢の要請からして、1955年4月テーゼで社会主義革命を本格的におし進める路線をうちだしました」 主席は、朝鮮労働党は「社会主義制度が樹立したのち、思想、技術、文化の三大革命を社会主義社会で遂行すべき革命の基本内容に、共産主義を建設するまで遂行すべき継続革命の課題として規定し、思想革命、技術革命、文化革命を力強くくりひろげました」と述べています。 金日成主席は、1955年4月1日、朝鮮労働党中央委員会総会でおこなった報告で次のように述べています。 「我々がマルクス・レーニン主義を学習し、ほかの国の党の闘争経験を研究するのは、けっして、たんに知識を得るためのものではありません。我々は、我が国の革命の問題、我が国の政治的・経済的諸問題を正確に分析し、闘争で行動の指針とするために、マルクス主義の理論、観点、方法を学び、兄弟党の革命闘争の経験を研究するのであります。 ところが、少なからぬ党員は、ほかの国の党の闘争経験を批判的にくみ取るのでなく、それをうのみにし、ほかの国のものをそのまま真似ることはできても、それを我が国の実情にあわせて適用することはできません。そのため、かれらの知識は実際の活動に役立たず、ほかの国のものを我が国の現実に機械的に適用して、教条主義的な誤りをおかしています」 主席の「朝鮮労働党中央委員会総会でおこなった報告」は、また、「米帝国主義者は1962年に「カリブ海の危機」(キューバ危機)を引き起こした後、社会主義諸国と第3世界諸国に対する侵略策動を強行し、特に、朝鮮半島の情勢を極度に緊張させた。一方、国際共産主義運動に台顕した日和見主義者は帝国主義と妥協して、社会主義諸国の統一団結を破壊し、世界革命の発展に重大な難関をつくりだしていた。/一方、党内にあらわれた反党修正主義分子は、党の路線の実行を妨げていた」ことなど情勢の詳細が述べられています。 このような厳しい内外情勢のもとで、朝鮮労働党には、党を組織的、思想的にいっそう強化し、その指導的役割を高めて軍令と建設を強力に推進すべき課題が提起されていました。 金正日総書記は、1961年7月22日、朝鮮労働党に入党し、1964年6月19日から党中央委員会で活動を開始しました。歴史的な時期に金正日総書記が党中央委員会で活動を開始したのはきわめて意義深いことでした。 総書記は1964年5月30日、党中央委員会組織指導部の幹部との談話でつぎのように述べています。 「わが党の事業と活動における基本は、全党に金日成同志の思想体系を確立することです。全党に金日成同志の思想体系を確立することは、わが党が存在し活動する全過程にわたって恒久的に堅持すべき活動です。したがって、党のすべての事業と活動は、金日成同志の思想体系を確立し、金日成同志により忠実に従い、金日成同志の教えをあくまで実行することに集中されなければなりません」 金正日総書記は、党活動において基本を正しく設定するためにはまず第一に、党中央委員会の各部署と活動家が党活動の基本を正しく設定することが重要であると強調しました。 そして、党中央委員会の活動家が金日成主席に忠実に従う確固たる姿勢を持し、金日成主席の教えの実行に中心をおいて活動し、下部の単位の指導にあたっては必ず、金日成主席の教えを実行する明確な指導要綱をもって活動するようにしました。また、全党に金日成主席の教えを伝達する整然とした体系を確立し、その実行対策をたてて総括することを制度化しました。 金正日総書記は、この時期にチュチェ思想を現代の指導理念として輝かすべく精力的な理論活動を展開します。1966年5月から1969年7月までの3年余のあいだ、マルクス・レーニン主義の古典にたいする全面的な分析に取り組み、労働者階級の革命思想史を総括する活動は、上記の理論活動の一つと言えます。 総書記は、マルクス・レーニン主義の全面的な分析の時期を回顧して、次のように述べています。 「わたしは金日成総合大学時代にも金日成同志の著作を全面的に学習する一方、マルクス、エンゲルス、レーニンの主要著作を研究分析した。大学卒業後、党中央委員会に入ってからも金日成同志の革命思想を金日成主義として定義づけるため、1966年5月から1969年7月までの3年余りのあいだ、マルクス・エンゲルス、レーニンの主要著作を全面的に研究分析し、再評価した」 総書記が労働者階級の思想史を研究分析するために選定したマルクス、エンゲルス、レーニンの主要著作は、『資本論』『共産党宣言』『聖家族』『自然弁証法』『反デューリング論』『唯物論と経験批判論』『一歩前進、二歩後退』『国家と革命』『哲学ノート』など31冊に及んだ、と『金正日伝』(第1巻227ページ)は記載しています。 これらのほかに、チュチェ思想研究者の「ノート 研究資料」は、『ユダヤ人問題によせて』『ヘーゲル法哲学批判序説』『ドイツ・イデオロギー』『哲学の貧困』『共産主義の原理』『経済学批判』『ゴータ綱領批判』『フォイエルバッハに関するテーゼ』『共産主義における左翼小児病』を記しています。 1969年7月1日、総書記は、3年以上にわたって進めてきたマルクス・レーニン主義の研究分析、総括作業をしめくくりました。 マルクス・エンゲルスとレーニンの主な談話・著述は次のように言われます。 <マルクス・エンゲルス>−『デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差異』(1840年)/『ヘーゲル国法論批判』(1842年)/『ヘーゲル法哲学批判序説』(1843年)/『ユダヤ人問題によせて』(1843年)/『経済学・哲学草稿』(1844年)/『聖家族』(1844年、エンゲルスとの共著)/『ドイツ・イデオロギー』(1845年、エンゲルスとの共著)/『フォイエルバッハに関するテーゼ』(1845年)/『哲学の貧困』(1847年)/『共産党宣言』(1848年、エンゲルスとの共著)/『賃金労働と資本』(1849年)/『フランスにおける階級闘争』(1850年)/『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』(1852年)/『経済学批判要綱』(1858年)/『経済学批判』(1859年)/『フォークト君よ』(1860年)/『剰余価値理論』(1863年)/『価値、価格と利益』(1865年)/『資本論』(1巻1867年、2巻1885年、3巻1894年。2巻と3巻はマルクスの遺稿をエンゲルス が編纂・出版)/『フランスにおける内乱』(1871年)/『ゴータ綱領批判』(1875年)/『労働者へのアンケート』(1880年)/『ザスーリチへの手紙』(1881年) <レーニン>−『ロシアにおける資本主義の発展』(1899年)/『なにをなすべきか?』(1902年)/『一歩前進、二歩後退』(1904年)/『民主主義革命における社会民主党の二つの戦術』 (1905年)/「1905-1907年の第一次ロシア革命における社会民主党の農業綱領」(1908年)/『唯物論と経験批判論』(1909年)/『哲学ノート』(1913年)/「マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分」(1913年)/「民族自決権について」(1914年)/『社会主義と戦争』(1915年)/『帝国主義論』 (1916年)/「四月テーゼ」(1917年)/『国家と革命』(1917年)/『ソビエト権力の当面の任務』(1918年)/『プロレタリア革命と背教者カウツキー』(1918年)/『共産主義における左翼小児病』(1920年)/『食糧税について』(1921年) <参考文献>『金正日略伝』 1998年 朝鮮・外国文出版社 『朝鮮労働党建設の歴史的経験』 1986年 朝鮮・外国文出版社 『金日成著作集』9巻・15巻 『金正日総書記革命活動史』 2015年 朝鮮・外国文出版社 『金正日伝』 2004年 東京・白峰社 |
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