金 正 日

党活動を徹底した対人活動に変えよう
朝鮮労働党中央委員会組織指導部の活動家との談話 
−1965年1月8日− 


 金日成同志は、最近おこなわれた党中央委員会第4期第10回総会で、幹部の活動方法と作風を改善するよう再び強調しました。

 幹部の活動方法と作風を改善することは、こんにち、わが党を強化し、社会主義建設をおし進めるうえで提起される切実な要求です。党の路線と政策は、すべて幹部によって大衆に伝達され実行されるので、活動の成果は幹部がどのような活動方法と作風で活動するかに大きくかかっています。幹部が正しい活動方法と作風を身につけなければ、大衆を教育して党のまわりに結集する活動も、党員と勤労者を革命課題の遂行へ奮い立たせる活動も正しくおこなうことができません。

 金日成同志は、常に党の活動方法と作風の改善に深い関心を払い、みずから江西郡と青山里に出向いて15日間も滞在しながら、偉大なチョンサンリ(青山里)精神、チョンサンリ方法を創始しました。幹部が、常に現地に行って実情を詳しく調べ、下部の活動家を積極的に助け、すべての活動に対人活動を先行させるのは、金日成同志が創始したチョンサンリ方法の基本的要求です。チョンサンリ方法を一般化する運動を通じて、幹部の活動方法と作風は、大いに改善され、大衆との活動には新たな転換がもたらされています。

 しかし、まだ、党活動家がみなチョンサンリ精神、チョンサンリ方法の要求どおり活動しているとは言えません。幹部のあいだでは、官僚主義、形式主義などのこりかたまった古い活動方法と活動作風が完全になくなっていません。一部の党活動家は、大衆の意見に耳を傾けず、現実に合わないことをむやみに押しつけ、号令したり、とがめたてたりすることで活動にかえています。そうかと思うと、事務室に居座って四六時中会議を開き、決定書や指令書などを作成して下達し、雑多な統計を受け取るといった文書いじりで時間をすごしています。平安南道のある郡党の幹部は、下部の党組織に「階級意識向上の統計」「自力更生についての統計」「労働にたいする共産主義的態度の統計」を提出せよと押しつけたそうですが、これを見ただけでも、いま文書いじりがいかに甚だしく、党活動が行政実務化されているかを十分知ることができます。人びとの思想・精神状態の統計を出せというのは、話にならないたわ言です。党活動家が、このように活動を官僚主義的におこない、党活動を行政実務化しては、下部の実情を正確につかむことができず、党の路線と政策を正しく貫徹することができません。

 党中央委員会の活動家のあいだでまず、党の活動方法を改善する一大旋風をまきおこす必要があります。川上清くして川下清しという言葉のとおり、党中央委員会の活動家がまず革命的な活動方法と作風を身につけてこそ、下部の活動家もその模範に見習うようになります。特に、党中央委員会組織指導部は、幹部と党員の党生活を指導する部署であるため、組織部の活動家は活動方法と作風を改善するうえで誰よりも先頭に立つべきです。
 党の活動方法と作風を正すためには、すべての活動家が金日成同志の活動方法を見習い、党活動を徹底した対人活動に変えなければなりません。

 金日成同志は、常に人民のなかに深く入ってかれらと苦楽をともにし、人民の力と知恵に依拠してすべての問題を解決しています。金日成同志は絶え間ない現地指導の過程で、労働者、農民をはじめ、各階層の人たちと対話を交わし、工場は正常に稼働しているのか、作物の出来はどうなのか、人民の生活状態はどうかといった問題を具体的に調べ、大衆の要求を党政策に具現しています。すべての党活動家が、金日成同志みずからが示した大衆との活動方法をそのとおり見習うならば、党内に古い活動方法と作風はありえないでしょう。

 対人活動は、日常的に着実におこなうべきです。

 対人活動は、党活動家の本務です。党活動家にとって対人活動ほど重要な活動はありません。日ごろから対人活動を着実におこなってこそ、幹部と党員のあいだにあらわれる欠陥をそのつど知り、正しい教育対策を立てることができます。

 いま組織指導部の中央機関指導課や地方指導課の活動家の仕事ぶりを見ると、所管機関でなにか問題が提起されると、集中点検をおこない、欠陥のある幹部を処罰するのが、あたかも下部にたいする指導であるかのように考えていますが、これは間違った考えです。もちろん、下部の指導においては集中点検をおこない、必要によっては処罰も加えるべきです。しかし、それは党活動のすべてではなく、まして、党の指導の基本的方法とはなりません。

 集中点検も徹底した対人活動にすべきです。集中点検をおこなう目的は、あくまでも下級の党組織と幹部の活動状況を調べ、あらわれた欠陥をそのつど指摘し是正させるところにあります。人びとをさとして仕事に熱意を出すように助ける方法ではなく、隠密検察官式に欠陥を探りだして暴露したり、人びとをむやみに処罰する方法で集中点検をするなら、あらわれた欠陥を是正させることができないばかりか、人びとが活動で積極性と創意性を発揮せず、党に心を許さないようになります。もともと、集中点検という言葉そのものが、わが党の革命的活動方法に合わない表現です。わが党の下部指導は点検でなく、下部を助け人びとを教育する指導、援助であるべきです。

 いま一部の党活動家は、忙しいといって人によく会おうとせず、甚だしくは、人が訪ねてきても快く思わず、うるさがっているとのことですが、そういう人は党活動家の資格がありません。人に会って教育する活動は、誰かが過ちを犯したり仕事に不手際があったときだけすることだと思ってはいけません。党活動家は、人びとと日常的に会って欠陥をさとし、仕事をより立派にするよう励まし、かれらが過ちを犯すことのないようにすべきです。

 党活動家は、対人活動において慎重かつ老練でなければなりません。

 対人活動で提起される問題は、そのほとんどが政治的生命にかかわる問題です。それゆえ、党活動家は、常に人びとの問題を熟慮し、正しく処理しなければなりません。人びとの政治的生命にかかわる問題を政策的線に立って慎重に扱わず、実務的に扱ったり、提起された問題をよく確かめもせず即断的に処理するなら、人びとにいわれのない被害をこうむらせ、党にたいする大衆の信頼を弱めるようになります。

 党活動家は、活動で党の原則を守りながらも偏狭であってはならず、人びとの問題を一面的に極端に評価することがあってはいけません。特に、人びとが少々失策をやらかし、過ちを犯したからといって、有無を言わせず批判の舞台に立たせたり、むやみに処罰して政治的生命に傷をつけるようなことをしてはいけません。

 わたしは最近、一部の活動家が、某病院の党組織から提起されたある外科医の党生活問題を処理するのを見て、対人活動をいかに形式的におこない、問題を軽率に処理しているかということを感じました。報告によると、党生活年限が長く、これまで患者の治療でも責任感の強かったその医師が、一度医療事故を起こして批判されて以来、仕事に熱意を示さず、口数も少なくなって憂うつにすごしており、それが批判にたいする不満のあらわれらしいので、かれを批判の舞台に立たせて思想闘争をすることにしたということでした。わたしはそういう文書を見て、これまでまじめに働き、党生活の年限も1、2年でない人が一度批判されたからといって憂うつになり、組織生活に変化が起きたというのが理解できませんでした。それで、かれのことをもう一度具体的に調べてみるよう指示しました。ある活動家がかれと直接会って何回か話を交わす過程で、かれが憂うつになったのは批判にたいする不満のためではなく、祖国解放戦争当時、敵の爆撃で死亡したものと思っていた親戚の一人が反動団体に加わって越南したといううわさを聞き、そのことで悩んでいるためであることがわかりました。その後、党組織が関係機関との連係のもとに確認したところ、そのうわさは根も葉もないデマであることが判明しました。もし、その医師を病院党組織の話だけ聞いて批判の舞台に立たせていたなら、批判の教育的目的を果たせなかったはずであり、かれは依然として心にかげりをもってすごさなければならなかったでしょう。これは決してその医師一人に限った問題だとは.いえません。我々はこの事実一つからしても、人にかんする問題は必ずよく確かめて慎重に処理しなければならないという教訓を引き出すことができます。

 対人活動で大切なのは、人の心の内を知ることです。人の心の内を知らなくては人を理解したといえず、人を理解しなくては人を動かすことができません。

 人の本心を知るというのは決して容易なことではありません。それでことわざにも、十丈の水の深さは測れても一寸の人の心は測れない、というのがあるのです。人の心の内を知るのがいかに難しいとしても、党活動家は必ず人の心の内を知らなければなりません。十丈の水の深さは測れなくても、一寸の人の心は知らなければならないのが、まさに党活動家なのです。

 活動家は、人びとのうわべだけ見るのでなく、内心を知るべきであり、そのためには、文書にこだわるのではなく、人びとのなかに入って、かれらの活動と生活状況を全面的に確かめなければなりません。

 人の心を知るには、かれらを信頼し、大きな度量をもって接するべきです。人が心の扉を開かないからといって、無理に心の扉を開こうと、取っ手を引っ張ってはいけません。心の扉は、本人みずからが開くようにすべきです。人に苦しんでいることがあれば、ともに苦しみ、かれらの胸にわだかまっていることがあれば、それを自分のことのよう思ってあくまで解決してやるために背負って立つべきです。そうしてこそ、人びとを感動させ、心の扉を開かせることができます。人びとを信頼し積極的に助けてやれば、必ず報いがあるものです。党活動家は、熱い同志愛をもって対人活動を正しくおこない、幹部と党員、大衆が進んで党組織を訪ねてきて、活動と生活で提起されるすべての問題をためらうことなくうちあげて相談できるようにすべきです。

 人びとの運命にたいしてあくまで責任をもつのは、党活動家のそなえるべき重要な品性です。

 わが党は人民の運命にたいして全的に責任をもっている母なる党であり、わが党活動家は母なる党の党活動家です。母なる党の党活動家というこの貴い称号には、人びとに母の心で接し、かれらの政治的生命をあくまで責任をもって見守らなければならないという深い意味が含まれています。母としての気持ちで人びとの運命を、あくまで責任をもって見守る活動家であってこそ、大衆に愛され尊敬される真の党活動家となることができます。党活動家は母なる党の党活動家らしく、人民にたいするわが党の熱い愛をそのままいだき、幹部と党員と勤労者を心から愛しいたわり、その政治的生命をあくまで責任をもって見守るべきです。

 いま党活動家のなかには、いっしょに仕事をしていた人が少々過ちを犯したからといって敬遠視したり、処罰を受けて配転されたからといって無関心な態度をとる傾向がありますが、それではいけません。過ちを犯し他所へ行った人は、その親戚や友人がたとえ忘れるようなことがあるとしても、党組織は絶対に忘れてはなりません。幹部の一人一人はみな、金日成同志が手塩にかけた貴い革命同志です。党活動家がこのような革命同志をあくまで責任をもって助けるのは、とりもなおさず党と領袖に忠誠をつくすことになります。いっしょに仕事をした人をあくまで積極的に助けるのは、革命家同士の道義でもあります。

 われわれは、人びとが活動の過程で一時過ちを犯したからといってのけものにしたり、遠ざけたりするのではなく、かれらの胸に秘められている党と革命にたいする忠誠心を貴び、一日も早く過ちを是正するよう積極的な援助を与えるべきです。そうしてこそ、人びとが党のふところは限りなく暖かくありがたいものであることを感じ、わが党をいっそう強く信じて慕うようになり、党のふところで生きる誇りと自負をいだいて仕事に励むようになります。

 少々過ちを犯したからといって人びとをむやみに処罰しようとするのも、人の運命にたいして責任をもつ党活動家の姿勢でなく、真の革命家の立場でありません。

 金日成同志は両江道を現地指導したさい、幹部をむやみに罷免していることにたいし強く批判しました。

 人を免職するのは簡単ですが、育てるのは骨がおれます。教育すれば十分仕事のできる人まで、欠陥が少しあるからといって免職してしまっては、結局、働く人がいくらもいなくなるでしょう。人をやたらに処罰し、みだりに免職しては、活動家が萎縮して人の顔色をうかがうようになり、人びとにいろいろと悪影響を及ぼすようになります。

 党活動家は対人関係において、決して実務主義者になってはいけません。実務主義的に仕事をする人を見ると、だいたい道義に欠け、人間性もなく冷淡です。冷淡な人は、対人活動をすることができません。党活動家は、強い革命性とともに、熱い同志愛と人間性をもち、党員と勤労者を心から愛しいたわり、あくまで正しい道へ導いていくために努力しなければなりません。そうしてこそ、わが党が大衆と血縁的に結びついた不敗の党に強化されるのです。

 党活動家が対人活動を正しくおこなえないのは、その水準が低いことと少なからず関係しています。党活動家が対人活動を正しくおこなうためには、多方面にわたる知識の持ち主になるべきです。党活動はさまざまな人間を相手にする活動であるため、水準が低くては対人活動を能動的に進めることができません。

 党活動家は、政治的識見が高く、自然と社会、人間生活にたいする幅広い知識をもち、歌をうたい、詩を詠じ、文芸作品を鑑賞できる能力もそなえていなければなりません。一言でいって、党活動家が相応の役割を果たすためには、博識で情緒豊かな人になるべきです。

 党活動家が、高い政治的・実務的資質と母としての品性を身につけて対人活動をいっそう積極的にくりひろげていくなら党活動には新たな転換がもたらされるでしょう。

出典:「金正日選集」1巻


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