金 正 日

わが党を永遠に金日成同志の党に強化し発展させよう
朝鮮労働党中央委員会組織指導部の活動家への談話 
1964年6月20日 

 早朝の庭園の空気は澄みきっていて心地よいです。早朝の空気を吸って疲れがすっかりとれました。

 わたしは金日成同志の現地指導活動を補佐する期間にたまった仕事を処理するため、昨夜執務室で夜を明かしました。わたしが退勤しないので、みなさんも明け方まで退勤できませんでした。

 早朝の空気がよいということは誰でも知っていますが、我々のように早朝の空気を誰よりも先に吸う人は多くないでしょう。早朝の空気は、革命家が他に先んじて吸うのです。わたしの祖父は日本帝国主義と戦うため、いつも朝露を踏み、誰よりも先に早朝の空気を吸いました。

 金日成同志も抗日武装闘争の時期、隊員たちをみな寝かせては祖国解放の構想を練るため、灯心をかき立て夜を明かして朝を迎え、誰よりも先に外に出て朝露を踏み、早朝の空気を吸いました。金日成同志は国が解放された後にも、朝鮮の新しい朝を誰よりも先に迎えました。金日成同志は幼いわたしを連れて早朝庭園を散策しながら意味深い話をしてくれました。その時、金日成同志が聞かせてくれた話は、今もなお忘れられずわたしの胸に留められています。

 党中央委員会の庁舎に空高く翻る党旗は、火の海を突き抜け、厳しい試練の峠を越えてきた勝利と栄光の旗であり、革命の旗です。わが党旗の歴史は、金日成同志が打倒帝国主義同盟を結成し革命の赤旗を掲げた時から始まりました。その時から、わが党はしっかりと根をおろしました。

 わが党の歴史は、赤旗とともに歩んできた最も栄光に満ちた輝かしい歴史です。わが党旗には金日成同志の偉大な革命活動史がそのまま反映されています。

 これからは、我々があの赤旗を高く翻していかなければなりません。革命の前途にいかなる難関と試練が立ちはだかろうと、我々は革命の赤旗を高く掲げ、金日成同志の偉業を達成するためいっそう強くたたかっていかなければなりません。

 金日成同志は、初期革命活動時期の青年共産主義者である金赫、車光秀について感慨深く回想しながら、わたしを党中央委員会で活動させることにしたと言いました。昨日、金日成同志から党中央委員会で活動する任務を受けて感慨無量でもありましたが、党と革命に対して担った責任がさらに重くなったことを感じました。わたしは、金日成同志を立派に補佐し、金日成同志の意志どおりわが党を担っていくことを固く決心しました。

 党中央委員会は、朝鮮革命の最高参謀部であり、我々はまさにここに勤める職業的革命家です。朝鮮革命の最高参謀部で、わが党の創建者であり偉大な指導者である金日成同志を身近に仰ぎ、その革命戦士として活動すること以上の大きな栄誉と誇りはありません。金日成同志の革命戦士としての誇りと自負を胸深く抱く時、我々にとって不可能なことはあり得ません。党中央委員会の活動家は、金日成同志の革命戦士としての誇りと自負を胸深く抱き、自己の革命的本分を尽くすために大いに努力しなければなりません。特に党中央委員会組織指導部の活動家は、誰よりも先に朝露を踏み、早朝の空気も先に吸い、いつどこにあっても忠誠の一路を歩まなければなりません。

 党中央委員会の活動家の最たる本分は、金日成同志に忠誠を尽くすことです。わたしはみなさんとともに金日成同志の活動を補佐する戦士として、金日成同志に忠誠を尽くすために大いに努力するつもりです。わたしの母は、わたしが幼い時いつも、早く大きくなって金日成同志に忠誠を尽くさなければならないと諭したものです。わたしは、今まで母のこの願いを一瞬たりとも忘れておらず、祖国と人民のために一生をささげている金日成同志の労苦を目のあたりにしてもどかしくてなりません。

 金日成同志は、つとに革命の道を踏み出したその日から今日に至るまで、革命の重荷を一身に担ってどんなに苦労したことでしょう。抗日革命闘争の時期と祖国解放戦争(朝鮮戦争)の時期は言うまでもなく、戦後の復興建設の時期を経て今日に至るまで、一日として安らかに休息したことはありません。人民の幸せのために深く気遣い、全人民の祝福を受けるべき誕生日にも農道を歩んでいるではありませんか。わたしは党中央委員会で活動することになったのですから、これから金日成同志により忠誠を尽くし、金日成同志の心配や労苦を軽減するために献身するつもりです。

 金日成同志の懐で育ち、革命の最高参謀部で働く党中央委員会の活動家であるなら、誰であれ金日成同志に忠誠を尽くすため一所懸命努力しなければなりません。党中央委員会の活動家は常に、どうすれば金日成同志をより立派に補佐することができるか、どうすれば金日成同志の思想と意図を確実に実現して仕事の負担を軽減して差し上げることができるかということを思索と実践の出発点とし、ひたすら、その考えに没頭しなければなりません。言いかえれば、党中央委員会の活動家は一にも二にも金日成同志を立派に補佐し、忠誠を尽くさなければなりません。党中央委員会の活動家は、何を一つするにしても金日成同志を先に考え、立派に補佐するために最善を尽くさなければなりません。

 金日成同志を高く仰ぎ、その偉業を達成するためには、わが党を強化しなければなりません。わが党は金日成同志が創立し導く金日成同志の党であり、その思想と指導を実現する政治組織です。わが党は、創立された当初から金日成同志の党です。党中央委員会の活動家は、わが党の根源を明確に知る必要があります。わが党について語る時、金日成同志の尊名と切り離して考えることはできません。わが党は、昨日と今日だけでなく、これからも永遠に変わることなく栄えある金日成同志の党として強化され発展しなければなりません。わが党を永遠に金日成同志の党に強化し発展させること、これがわたしの畢生の課題です。我々は、この栄えある偉業をあくまで達成しなければなりません。

 わが党を永遠に金日成同志の党に強化し発展させるためには、党事業と党活動の基本を定立しなければなりません。わが党の事業と活動において基本となるのは、今、全党に金日成同志の思想体系を確立することです。全党に金日成同志の思想体系を確立することは、わが党の建設と党活動の根本的原則であり、これはわが党が存在し活動する全期間にわたって恒久的に堅持していくべき最も重要な事業です。したがって、すべての党事業と党活動は、金日成同志の思想体系を確立し、金日成同志にいっそう忠誠を尽くし、その教示を貫徹することに集中されなければなりません。

 全党に金日成同志の思想体系を確立するうえで、党中央委員会組織指導部の役割は非常に重要です。

 党の組織活動で基本とすべきことは、徹頭徹尾、金日成同志の教示を無条件に、あくまで実行することです。これは、党の組織活動において終始一貫堅持すべき原則です。金日成同志の教示を実行するための活動を抜きにした党の組織活動はあり得ません。組織指導部は、所轄機関の党組織と活動家がそれぞれの部門や機関に与えられた金日成同志の教示を無条件に実行するようにすることに重点を置いて党の組織活動を展開すべきです。

 そのためには、党中央委員会組織指導部の活動家が金日成同志の教示を自分の血とし肉とし、それを尺度にして所轄機関を指導しなければならず、組織指導部の活動家から金日成同志の教示と党の政策を無条件に受け止め、あくまで貫徹する革命的気風を確立しなければなりません。今、組織指導部の一部の活動家の間に、個々の幹部の指示を受けて金日成同志の教示実行をうやむやにする傾向があらわれていますが、これは、非常に間違った行動です。金日成同志の教示を無条件に、あくまで実行するのは、幹部と党員の第一の義務です。活動家は、ひとえに金日成同志の教示どおり思考し行動しなければなりません。金日成同志の教示は誰もたがえる権利がありません。組織指導部の活動家は、個々の幹部の指示をむやみに受け入れようとせず、それが金日成同志の教示に合うのかどうかを検討し、合っていない時にはそれと強くたたかわなければなりません。

 党の統一団結を強固にしなければなりません。全党が金日成同志を中心に、金日成同志の思想にもとづいて固く団結しなければなりません。わが党は、創立当初から党内にあらわれたセクト主義、修正主義、事大主義などあらゆる反党的・反革命的思想潮流に反対し、主体性を確立するための闘争を絶えず繰り広げて党の統一団結をなし遂げました。こんにち、わが党が統一団結しているからといって、これから先、党内に反党的・反革命的思想潮流が二度とあらわれないという絶対的な保証はありません。我々は金日成同志を中心とし、その思想にもとづく党の思想・意志の統一団結をいっそう磐石のごとく打ち固め、瞳のように守り、党の統一団結を妨げるセクト主義、修正主義などあらゆる異質の思想要素に対しては、例え、それがさ細なものであっても容赦なくたたかい、そのつど徹底的に克服しなければなりません。

 党の活動体系と活動方法を必ず改めなければなりません。

 金日成同志は、すでに、ずっと以前に党の活動体系と活動方法を一つひとつ教え、みずからその模範を示しました。金日成同志は抗日革命闘争の時期、いつも隊員たちとともに生活し、生死、苦楽をともにし、今日も絶え間なく現地指導の道を歩みながら人民の中に入って党の路線と政策を教え、彼らの意見も聞きながら大衆を導いています。ところが今、党中央の活動家は、下部に出向いて党の政策を宣伝し、党員と勤労者をその実行へと奮起させるのではなく、事務室に構えて指示をくだし、統計資料を要求したりし、仕事が円滑に進まなければ追及してばかりいます。党の活動体系と方法において形式主義、公式主義が濃厚です。金日成同志は党活動が順調にいっていないことをいつも気にかけていますが、党活動が順調にいかない主な原因の一つは、活動家が旧来の活動方法に頼っていることです。旧来の活動方法をなくして新しい党の活動体系と活動方法を確立せずには、金日成同志が意図し望むどおり党活動をすることはできません。わたしは最近、どうすれば党活動に残っている古い殻を破って両出発することができるかをいろいろと考えています。すべてを白紙に返し再出発すべきだというのがわたしの意図であり決心です。我々、党活動家は、いちずに金日成同志が創造した党建設の経験、党の活動方法を学び取るべきです。そうしてこそ、朝鮮労働党の活動家としての任務を円滑に果たすことができるのです。党の路線と政策が新たに提示されれば、すべての党活動家が下部に出向いて党員と勤労者にそれを浸透させ、それを実行するための闘争に大衆を立ち上がらせることができるよう、党の活動体系と活動方法を確立しなければなりません。

 党員の党生活を指導することは、組織指導部の基本的使命です。組織指導部が党員の党生活を指導する過程を通じてすべての問題を解決していくのは、部署の位置と使命から提起される重要なことです。組織指導部は、所轄機関に金日成同志の教示を実行させるための活動も党生活に対する指導を通じて推進し、所轄機関の幹部を理解し把握することも党生活に対する指導を通じておこなうべきです。組織指導部の活動家は所轄機関にしばしば出向いてはいても人をよく把握していませんが、それは党生活に対する指導を形式的におおこなっていることを意味します。人を理解し把握できなくては、それを党生活指導とは言えず、空理空論にすぎません。組織指導部の活動家は発生活性対する指導を深め、人を深く理解し把握しなければなりません。

 党員の党生活を指導する組織指導部の活動家は、誰よりも党生活を模範的にしなければなりません。他人の党生活を指導する立場でのみ思考し行動しながら、みずからの党生活に対して要求の度合いを強めなければ、知らぬ間に頭に錆がつき、しまいには組織指導部の活動家としての本分を尽くせなくなります。金日成同志は、党生活においても常に模範を示しています。金日成同志は現地指導を終えて帰ってくれば、その状況を党中央委員会政治委員会で報告し、現地で新たに着目した問題を討議にかけてから党または国家としての対策を立てています。我々は党生活においても、金日成同志の気高い模範に習わなければなりません。

 我々はみなともに手を取り合って、金日成同志が意図し望むどおり党活動を立派におこないましょう。

出典:『金正日選集』増補版2


<参考>金正日総書記は、この著作で「金日成同志は、初期革命活動時期の青年共産主義者である金赫、車光秀について感慨深く回想しながら、わたしを党中央委員会で活動させることにしたと言いました」と述べています。

 金正日総書記の革命活動史は、記録しています。

 1942年2月16日、白頭山密営で誕生。1961年7月22日に朝鮮労働党に入党。1964年、金日成総合大学経済学部政治経済学科を卒業。1964年4月21日、朝鮮労働党中央委員会に着任し、6月19日に朝鮮労働党中央委員会で活動を開始しました。指導員、課長を経て1970年より1973年8月まで副部長をつとめ、1973年9月17日に開催の朝鮮労働党中央委員会第5期第7回総会で党中央委員会書記に選出されました。

 総書記の革命活動史は、生涯の最後の日まで人民大衆第一主義の歴史を記しています。


<注釈>〔1〕金赫(キム・ヒョク 1907・10〜1930・8) 抗日革命闘士。平安北道の農民の家庭に生まれ、亡国の民族の悲しみを身にしみて体験しながら成長した。1927年の夏、中国の吉林で金日成主席に出会って革命の道を踏み出し、金日成主席を革命隊伍の団結の中心として高く仰いだ。また、広範な大衆を金日成主席のまわりに結束するために活躍し、1930年7月、朝鮮革命軍に入隊した。同年8月、政治工作中、遭遇した敵と戦い、3階の建物から身を投じたが死に至らず、投獄され、旅順監獄で獄死した。

〔2〕車光秀(チャ・グァンス 1905・04〜1932・10) 抗日革命闘士。平安北道の貧しい農家に生まれる。日本で苦学をし、大学在学中に亡国の民族の悲しみと苦痛を身にしみて体験する。1927年に中国の吉林で金日成主席に出会って革命の真の道を踏み出し、その後、常に金日成主席の指導に忠実であった。革命組織をかため、反日人民遊撃隊を創建する活動に身を投じた。1930年7月、朝鮮革命軍の結成以来、軍の指揮官の一人として、1932年4月25日、反日人民遊撃隊の創建以来は参謀長として活躍した。1932年10月、小部隊を率いて活動中、遭遇した敵との戦闘で戦死した。

 

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