金 正 日

労働者階級の領袖は革命闘争で決定的な役割を果たす
金日成総合大学学生への談話 
−1963年6月12日− 

 みなさんは祖国解放戦争(朝鮮戦争)の勝利の要因について討論した際、金日成同志の賢明な指導が戦争勝利の決定的要因だと述べましたが、的を射た意見だと思います。

 討論の過程で、歴史の発展において人民大衆が決定的な役割を果たすという唯物史観の原理と、金日成同志の賢明な指導が祖国解放戦争の勝利の決定的要因だとする思想との関係をどう見るべきかという問題が提起されました。

 こうした問題が提起されたのは、たぶん領袖を卓越した個人とみなしたからだと思います。マルクス主義唯物史観では、歴史の発展における人民大衆の役割と個人の役割に関する問題を提起し、個人ではなく人民大衆が歴史の発展において決定的な役割を果たすとみなし、領袖の役割を個人の役割の枠内で扱いました。領袖の役割を卓越した個人の役割の枠内で見るのは正しい考察方式とは言えません。それを理解するには、マルクス主義においてこの問題がどのように提起されたかを歴史的に考察する必要があります。この問題については今後学習する機会があると思いますが、問題が提起されたので重点的に述べることにします。

 マルクス主義唯物史観が生まれるまでは、唯物論者たちも社会に対する見解においては観念論から抜け出すことができませんでした。戦闘的唯物論者と呼ばれる18世紀のフランスの唯物論者たちはもとより、マルクス以前の最大の唯物論者であったフォイエルバッハも社会歴史観においては観念論の枠から抜け出せませんでした。彼らは、人間の理性、意志を社会発展の動因と見るにとどまっていました。マルクス主義以前は、個人の趣味、感情、意志が社会発展の根本要因となり、非凡な気質を備えた傑出した個人、英雄によって歴史が創造されると見る主観主義的社会歴史観が支配していました。

 マルクス主義唯物史観は、物質的富の生産方式を社会発展の基礎とみなし、これにもとづき、物質的富の生産者である勤労人民大衆が歴史の発展において決定的な役割を果たし、大衆に奉仕する個人は歴史の発展において肯定的な役割を演じるが、大衆の意思に背く個人は否定的な役割を演じると説きました。そして、観念論の最後の避難所であった社会・歴史の領域から観念論を追放し、社会歴史観を唯物論の軌道に乗せました。

 唯物史観が生まれた後も、ロシアのナロードニキは引き続き「積極的英雄論」と「消極的大衆論」を説き、個人テロ戦術に依拠して、労働運動とマルクス主義を結びつけるうえで否定的な作用を及ぼしました。彼らは、暴悪な君主を暗殺し、善良な君主を即位させれば社会の改革が実現すると妄想しました。

 ロシアにおいてマルクス主義の普及に大きく寄与したプレハーノフは、ナロードニキに反対して歴史発展における個人の役割に関する小冊子を著しました。そのなかで彼は、歴史的必然性が生じれば傑出した個人があらわれるものであり、誰が傑出した個人となるかは偶然が働くと指摘しました。しかしながら、たまたま出現した傑出した個人が歴史の発展において重要な役割を果たすということを強調しました。

 もちろん、こうした思想は、すでにエンゲルスが示していましたが、プレハーノフによって具体的に展開されたのです。この時からマルクス主義の哲学書では、歴史の発展における人民大衆と個人の役割という問題が設定されて解説され、領袖の役割も個人の役割の枠内で扱われました。

 労働者階級の領袖の役割を傑出した個人の役割として考察することには問題点があると思います。労働者階級の領袖以前の傑出した個人については、これまで説明してきたやり方で扱ってもかまいません。彼らは人民大衆の利益の代表者ではなく、ある特定の階級や階層の代表者であり、社会的運動において一時的に先導役を果たしましたが、大衆の要求に即して彼らを導くことができませんでした。封建社会において、農民軍の頭領たちは政権を握ると「易姓革命」をおこなって王朝を交替させるにとどまり、ブルジョア革命の時期の先覚者たちは政権を握ると資本家階級の利益の擁護者になってしまいました。しかし、労働者階級の領袖はこれとは全く違います。

 労働者階級の領袖は、全人民の利益の最高代表者です。労働者階級の利益を擁護することは全人民の利益を擁護することであり、労働者階級の領袖は人民の領袖となるのです。

 領袖は革命闘争において突出した地位を占め、特出した役割を果たします。革命闘争は人民大衆のための事業であり人民大衆自身の事業なので、革命闘争における領袖の地位と役割は、人民大衆との関係における領袖の地位と役割だと言えます。

 領袖は、人民大衆との関係において脳髄の地位を占めます。個々人の脳髄が有機体の生命活動を統一的に管轄する中心であるように、領袖は人民大衆の統一団結の中心、指導の中心です。人民大衆は領袖を中心としてこそ一つの統一体をなすことができるのであり、領袖を戴けない人民大衆は脳髄のない生命体と変わりありません。領袖を中心として団結しなければ人民大衆は四分五裂し、無気力な存在になってしまうでしょう。

 領袖は人民大衆を指導することで、革命闘争で決定的な役割を果たします。領袖は大衆を革命思想で武装させて意識化し、彼らを革命組織に結集して組織化し、正しい戦略戦術的指導によって勝利に導きます。革命闘争における人民大衆の決定的な役割は、領袖の指導によってのみ確実に保障されます。革命闘争における人民大衆の決定的な役割はすなわち領袖の決定的な役割です。

 もちろん、領袖は人民のなかから生まれます。抗日革命闘争の時期、金日成同志が司令官も人民の息子だとして、貧しい農家の庭まで掃いた感動的なエピソードはよく知っているでしょう。こうした意味で領袖は、人民の生んだ真の息子だと言うのです。また、領袖の指導のもとでのみ大衆は、意識化、組織化されて革命の真の主人となり、みずからの運命を正しく切り開くことができるのです。こうした意味で、領袖は人民大衆を革命の真の主人に育て上げる人民の慈父だと言えます。

 こんにち、現代修正主義者は領袖を単なる個人とみなし、領袖への人民大衆の忠誠と信頼を「個人崇拝」だと冒涜しています。これは、領袖と大衆を対立させる荒唐無稽な詭弁です。

 領袖と人民大衆は渾然一体をなしています。領袖への忠誠心は人民大衆のためのものであると同時に、自分自身のためのものです。

 金日成同志に対する朝鮮人民の忠誠心は、その指導のもとでのみみずからの運命を切り開くことができるという確固たる信念にもとづいています。

 抗日革命闘争と祖国解放戦争における朝鮮人民の勝利は、金日成同志の賢明な指導を抜きにしては絶対に考えられません。

 金日成同志は、日本帝国主義者が「大海の一粟」にすぎないとした朝鮮人民革命軍を率いて100万の関東軍を撃破し、創建されてまもない人民軍と人民を導いてアメリカ帝国主義と15の追随国の軍隊を打ち破りました。金日成同志は、偉大な革命思想で人民と人民軍を武装させ、卓越した戦略戦術によって数的にも技術的にも優勢な敵を打ち破ったのです。

 世界の進歩的な人民は、金日成同志を我々の時代の「偉人のなかの偉人」として仰いでおり、1世代に二つの強大な帝国主義を打ち倒した鋼鉄の総帥だとたたえています。

 朝鮮人民は金日成同志を戴いたがゆえに、世界で最も誇り高い人民となり、アジアの一角に社会主義祖国を打ち立てることができたのです。

 わが国で起こった世紀的奇跡と変革は、金日成同志の賢明な指導を抜きにしては考えられません。

 我々は、革命闘争における領袖の地位と役割を深く認識し、常に金日成同志を忠誠をもって高く戴くために極力努力しなければなりません。

出典:『金正日選集』増補版1



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