金 正 日

解放前の進歩的文学について
金日成総合大学学生への談話 
−1961年6月2日− 

 最近、『現代朝鮮文学選集』が相次いで出版されています。この前は第12巻と第15巻が出版されましたが、それらには主に1930年代に創作された短編小説が収録されています。

 みなさんの話題にのぼっている姜敬愛の長編小説『人間問題』は、『現代朝鮮文学選集』の第14巻に収録されています。姜敬愛は、解放前のわが国の進歩的な女流作家です。長編小説『人間問題』は彼女の代表作です。『人間問題』を小説の題名と内容を結び付けて理解しようとしたのはよい試みです。作品の題名には、作家の創作的志向と意図が盛り込まれています。作家は、『人間問題』を発表する前に創作意図を明らかにした文章で、人間生活には数々の問題があるが、大別すると根本的な問題と枝葉の問題に分けることができる、自分は小説で、人間が数千年にわたってたたかってきた根本問題は何であり、それを解決する力と要素をそなえた人間は誰であり、彼らの進むべき道はどこかといったことを解き明かそうとした、と述べています。作家は、この小説できわめて深刻な社会的問題を取り上げ、解明しようとしました。作家が提起した問題を正しく解明するためには、当時のわが国の現実と革命の性格、革命の原動力と対象、闘争課題などについてよく知っていなければなりません。しかし、作家はこれに対する正しい理解を欠いていました。人はその知識に応じて理解し、分析し、受け止めるものです。作品を書く作家の場合も同じです。作品は作家の体験の産物であり、思想の反映です。一編の作品を正しく分析するには、作品を作家の生活体験と世界観の特性、創作の全般的な傾向と結びつけて評価しなければなりません。

 姜敬愛は作男の娘として生まれ、幼いころから貧しい人たちの数々の涙ぐましい生活と悲劇的運命を体験し、目のあたりにしました。彼女は年いってから少しの間学校に通いましたが、女学校時代に秘密読書会に参加したり同盟休校の先頭に立ち、その過程でマルクス・レーニン主義の書籍を多少読みました。彼女は、自分の生活体験と書物から得たマルクス・レーニン主義の知識にもとづき、『人間問題』で設定した問題に解答を与えようとしました。

 『人間問題』は、主人公のチョッチェとソンビの生活と運命を通じて、当時のわが国の労働者、農民の悲惨な境遇と悲劇的運命を幅広く一般化させています。小説は、主人公たちの不幸と苦痛を、地主、資本家階級との鋭い対立の中で描いています。ソンビは気立てのやさしいきれいな娘ですが、地主の家で下働きを強いられ、地主とその女房や娘からありとあらゆるさげすみを受け、その後、地主の家を飛び出し、紡織工場に入った後もひどい苦役にさいなまれたあげく肺結核にかかって死んでしまいます。

 作家は、ソンどの亡骸を前にしたチョッチェの内面を描き、これが人間問題であり、人間はこの問題を解決しなければならないと主張しています。

 小説は沼にまつわる伝説を通じて、こうした人間問題は数千年前から提起されてきた問題であることを強調し、その解決を求める人民の切々たる願いと志向を書きあらわしています。小説はまた、人間生活の根本問題は搾取階級と被搾取階級間の階級的矛盾と対立であり、被搾取・被抑圧人民大衆の不幸と苦痛であることを明らかにしています。小説を読むと、この問題を解決できるのはチョッチェのような労働者階級であるという結論に達します。

 小説は、地主への恨みと呪いが骨髄に徹していながらも団結できず、抵抗を恐れる人々として農民を描いており、これに対して労働者は階級的に目覚めて組織的に結束し、資本家階級に抗するストライキを打つことができる人々として描いています。また、マルクス・レーニン主義の書籍を読んだことのある小ブルジョア出身のインテリを登場させていますが、労働運動に関与して逮捕され、警察の拷問に屈して変節し、ブルジョアジーの懐に飛び込む人物として描いています。こうした描写は、階級の解放をなし遂げ、人間問題を解決できるのは、農民でもインテリでもなく、ただ労働者階級のみであるという思想を強調したものです。

 さらに、人間問題解決の課題をなし遂げるのは、労働者階級であり、彼らが団結して搾取階級に抗してたたかわなければならないという思想を表現していますが、これは3・1蜂起以後、わが国の民族解放運動において指導階級として登場した労働者階級の地位と役割を形象化によって確認したことになります。人間らしく生きようという志向と美しさを胸に秘めた純朴な人々の悲惨な運命を通して、日本帝国主義植民地支配下の矛盾に満ちた実社会への強い批判精神と当時の人民のうっ憤と抵抗意識をリアルに描き、労働者階級の地位と役割を形象化によってある程度確認したところに、この作品の進歩的意義と価値があるのです。

 しかし、この作品には、人間問題を解明するうえで本質的な制約性があります。

 当時、朝鮮人民の運命の問題を解決するうえでの根本問題は、日本帝国主義を追い出して国の独立をなし遂げることでした。ところが、この作品にはそうした思想が反映されていません。労働者階級が人間問題解決の課題を負っていることを形象化によって強調しながら、農民とインテリの問題を十分に取り扱っていないのも、この小説の欠点です。もちろん、小説に登場する否定的人物のインテリはリアルに描かれています。しかし、解放前の進歩的文学についてこの小説が人間問題とそれを解決すべき人たちを明らかにすることを課題に掲げた作品であるという見地からすると、変節したインテリだけを描いたのは問題があります。こうした欠点は、作家が朝鮮革命の性格と原動力を理解しておらず、朝鮮人民の運命問題を主体的立場に立って見ることができなかったことに起因しています。

 『人間問題』の進歩性と制約性は、とりもなおさず、当時のプロレタリア文学の意義であり制約性だと言えます。『人間問題』は、長編小説『故郷』や『黄昏』とともに解放前のプロレタリア文学の代表作の一つです。

 文学史で使われるプロレタリア文学という言葉は、無産者大衆の階級意識を表現した解放前の進歩的文学を意味します。プロレタリア文学と「カップ」文学が同じ対象をさすものだとするのも正しい理解とは言えません。

 「カップ」文学という言葉は、わが国のプロレタリア文学全般をさすのではなく、「カップ」の作家が創作した文学という意味です。「カップ」は、1925年に結成された進歩的で反日的な文学芸術団体であり、正式な名称は朝鮮プロレタリア芸術同盟です。

 「カップ」の作家の作品は、おおよそプロレタリア文学に属すると言えます。しかし、プロレタリア文学には、「カップ」の作家の作品だけが属するのではありません。「カップ」のメンバーが書いたものでなくても、無産者大衆の階級意識を表現した作品はすべてプロレタリア文学に属します。姜敬愛は「カップ」のメンバーではありませんでしたが、彼女の『人間問題』はプロレタリア文学のなかでも指折りの作品です。

 『現代朝鮮文学選集』を読む必要があります。

 文学作品は、生きている人とその生活を描くので、それを読むと当時の時代相を目のあたりに見るように明確に認識することができます。中学時代に読んだ崔曙海の短縮小説『脱出記』や李相和の詩『奪われた野にも春は来るのか』の内容が具体的なディテールまで忘れることなく印象深く残っているのも、これらの作品が1920年代に朝鮮人民が見舞われた受難とうっ憤、抵抗意識をきわめて生々しく、感銘深く描いているからです。

 我々は、解放前の進歩的な文学作品をさらに発掘し、人民、特に育ちゆく新しい世代が広く読めるようにすべきです。

 『現代朝鮮文学選集』に収録されている作品を見ると、ほとんどが「カップ」の作家の作品です。もちろん、解放前の進歩的文学において「カップ」文学が重要な位置を占めているのは確かです。しかし、「カップ」のメンバーでない作家の作品が少なすぎます。「カップ」のメンバーでなく、階級意識を表現した作品を書いた作家が姜敬愛一人のはずがありません。

 プロレタリア文学でない進歩的な文学作品も、羅稲香をはじめ、数人の作品しか収録されていません。

 解放前は、日本の手先と地主、買弁資本家を除いては、各階層のすべての朝鮮人が日本帝国主義の軍靴に踏みにじられ、彼らに憎悪の念と敵がい心を抱いていました。文学は生活の反映なので、この時期に植民地民族の悲しみとうっ憤を吐露し、日本帝国主義侵略者への敵対感情と闘争精神を描いた作品が少なからず創作されたのでしょう。解放前の新聞や雑誌を読んでみると、反日意識がはっきり感じられる作品が目につきます。ところが、こうした作品は、現在、朝鮮文学史でも取り上げられておらず、『現代朝鮮文学選集』にも収録されていません。

 我々は、解放前の進歩的文学を正しく理解しなければなりません。解放前に創作された作品のうち、反日意識、民族自主意識を表現した作品は肯定的に評価すべきです。

 解放前、わが国は日本帝国主義の植民地でした。したがって、当時、朝鮮人民に提起されていた第一義的な最重要課題は、日本帝国主義を追い出して祖国を解放することでした。金日成同志は、朝鮮革命と人民に提起されているこのような課題にもとづき、反日の旗のもとに各階層の広範な大衆を結集するという反日民族統一戦線路線を打ち出しました。そして、日本帝国主義に反対する人なら、資産家、信者を問わずみな受け入れて、祖国解放の正義の道に立たせ、民族主義の軍隊である独立軍とも手を握るようにしました。我々は解放前の文学を評価するうえでも、こうした原則を堅持すべきです。それが誰の作品であれ、反日精神、民族自主意識を表現した作品は、愛国的かつ進歩的であると見るべきです。

 反日精神を表現した作品を多く発掘して出版するとともに、朝鮮文学の発展史も幅広く叙述すべきです。日本帝国主義の言論弾圧が激しかったので、反日精神を表現した作品のなかには、発表されずに原稿のまま残っている作品もあるはずです。我々は、こうした作品も発掘して日の目を見るようにしなければなりません。

 解放前の流行歌も、一概に悪いものとみなすべきではありません。日本帝国主義の植民地支配時代に朝鮮人民が歌っていた流行歌のなかには、国を奪われ、踏みにじられて暮らす朝鮮民族の悲しみとうっ憤を反映した作品が少なくありません。人々を精神的に堕落させる退廃的な流行歌と、消極的でも民族意識の高揚を志向した歌とを厳格に区別し、党性、労働者階級性の原則と歴史主義の原則にもとづいて公正に評価しなければなりません。

 解放前、朝鮮人民の金日成同志への熱い欽慕の念と、金日成同志が導く抗日革命闘争を希望の灯台として仰ぎ見ながら生きていた朝鮮人民の心情が反映された作品もあるはずですから、探してみるべきです。

 解放前、朝鮮人民の間には、神出鬼没の戦法で日本帝国主義侵略者を手玉に取る白頭山の将帥・金日成将軍に関する伝説的な話が広まり、金日成同志が導く抗日革命闘争に関するニュースが当時の主要な日刊新聞に少なからず掲載されました。こうした伝説的な話は進歩的で愛国的な作家の心を打ち、彼らの創作に大きな影響を及ぼしたことでしょう。

 日本帝国主義の悪辣なファッショ的暴圧のなかでも節を曲げず、進歩的で愛国的な作品を書き上げたこと自体が、抗日革命闘争の影響を受けていると言えます。解放前、特に1930年代の進歩的文学の発展は、抗日軍命闘争の革命的影響を抜きにしては考えられません。抗日革命闘争は、労働者、農民をはじめ、各階層の人民の闘争を大きく励まし、その闘争を題材に取り上げた作家に力と勇気を与えました。金日成同志によっで導かれた抗日革命闘争の影響のもとに発展した進歩的文学のなかには、抗日革命闘争に関する内容を盛り込んだ作品もあるはずです。

 もちろん、解放前、日本帝国主義侵略者が金日成同志に導かれる抗日革命闘争の影響が人民に及ぶのを恐れていたため、金日成同志への欽慕の念と抗日革命闘争への称賛の念を表現した作品が公の出版物に発表されるのは事実上不可能なことでした。しかし、作家の胸に湧き立っていたそのような感情が全く表現されなかったはずはありません。

 我々は、解放前に創作された進歩的な文学作品の発掘事業をさらに深化させ、朝鮮人民の金日成同志への熱烈な欽慕の念と、金日成同志によって導かれた抗日革命闘争を反映した作品を積極的に探し出し、朝鮮文学の宝庫をいっそう豊富にすべきです。

出典:『金正日選集』増補版1

<注釈>3・1蜂起 日本帝国主義の植民地支配に抗して、1919年3月1日を期して全国的規模で起こった全民族的な反日蜂起。3・1運動、3・1人民蜂起とも言う。


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