金 正 日

朝鮮よ その名を輝かさん
龍南山の頂にて 
−1960年9月1日− 

 龍南山に登ってみると大学の本校舎がいっそう雄壮に見えます。

 龍南山は、実に由緒深い所です。今日、初めて登校して龍南山に登ってみると感無量です。

 わたしは解放後、大学の建設が急ピッチで進められていたころ、金日成同志について母とともにここを訪ねたことがあります。

 あの日、まだ霧が消えやらぬ早朝、母はわたしの手をとり、朝露にすそをぬらしながら龍南山に登りました。当時、ここには低木と草が生い茂っていました。山のふもとには平屋が数軒あり、この前はみな田と畑でした。そのせいか、大学の前の野原はとても広く見えました。

 あの日、母は、以前、山中で戦っていたとき夢に描いた人民の大学が、いま、ここに建設されていると言って顔をほころばせ、お前も早く大きくなってこの大学で学び、お父さんに仕えるようにと言いました。母の言葉には、金日成同志の志を受け継いでいくことを願う革命烈士の切々たる願いと人民の大きな期待がこめられていました。

 今日、こうして大学に来てみなさんと一緒に龍南山に登ってみると、あの時の母の言葉が聞こえてくるようです。

 わたしは、地方で現地指導をおこなっている金日成同志に、今日、総合大学に行くことを伝え、これから大学で多くのことを学んで朝鮮革命の主人になると誓いました。

 朝鮮革命を担う主人になって金日成同志の偉業を代を継いでなし遂げていくことは、時代と革命、祖国と人民に対する我々の崇高な義務です。

 偉大な太陽の国───朝鮮を永遠に輝かせる、これがわたしの揺るぎない信念であり意志です。


  朝陽のぼる 龍南山の頂に立てば
  三千里祖国の山河 胸に迫る
  ここで 金日成同志の思想を学び
  朝鮮革命の 主人となろう
   ああ 朝鮮よ その名を輝かさん

  偉大な金日成同志を 高く仰ぎ
  チュチェの道を 進みゆく
  嵐も荒波も乗り越え
  朝鮮の未来を 築きゆこう
   ああ 朝鮮よ その名をとどろかさん

  世界に輝く 太陽の偉業
  代を継いで なし遂げよう
  チュチェの光 宇宙にみなぎり
  共産主義めざして 進みゆこう
   ああ 朝鮮よ わが祖国よ


 わたしは詩人ではありません。それに、興に駆られてこの詩を詠じたのでもありません。ただ、日ごろ、胸にしまっておいた真情を、意義深いこの日に吐露したにすぎません。

 金日成同志の高い志を心に刻んで朝鮮の名を世界にとどろかせ、永遠に輝かせることは、金日成同志に忠実な革命戦士である我々にとって、最も神聖で栄誉ある課題です。

 我々は大学時代に、祖国の未来を担う革命的人材になるためにしっかり準備し、金日成同志の高い志を実現していかなければなりません。

 みなさんが、この詩『朝鮮よ その名を輝かさん』を歌にしてうたいたいと言ったので、今後、機会をみて節をつけてみることにします。

出典:『金正日選集』増補版1


<参考>朝鮮よ その名を輝かさん

 総書記総書記は、平壌の南山高級中学を終え、1960年9月1日、金日成総合大学に入学した。

 入学式の日、大学のキャンパスに立った総書記は、新しい抱負で大きく胸をふくらましていた。総書記はさっそく教員たちとあいさつを交わし、大学の施設をみてまわった。

 総書記の金日成総合大学の入学とその間の学生生活は、総書記が政治活動家として大成するにいたる秘訣をさぐる意味においても、非常に重要な意義をもっている。

 少なからずの人たちは、高級中学を終えた総書記が外国留学の道をすすむだろうと推測していた。人間が大成するには外国に留学すべきであるというのが、当時の一般的な考え方であったのである。なかでも、大学進学を控えた高級中学のころに総書記が外国旅行を経験していたことを知る人たちは、特にそう思っていた。

 総書記は1959年1月27日、金日成主席に同行したソ連訪問の際、モスクワ総合大学を見学した。そのとき案内者は、大学の歴史や規模、そして、外国留学生たちの修学状況などをつぶさに説明しながら、留学をつよくすすめた。案内者の言葉を丁重に聞いた後、総書記は確固とした口調で、平壌にある金日成総合大学に入学する意志のあることを表明した。

 大学で案内者に語った総書記の言葉のなかには、実に多くの意味が込められている。金日成総合大学で学ぶという決意は、チュチェ思想とその具現である党政策が花開いている祖国の現実にみあった学問をするのだという、透徹したチュチェ意識のあらわれであった。総書記にとって、真の学問と教科書は、他の国にあったのではなく、朝鮮の現実のなかにあったのである。

 当時の朝鮮では、革命と建設がめざましい速度で発展していた。千里馬運動を力強くおし進める過程において、既に都市と農村では、生産関係を社会主義的に改造するという世紀的な課題が成功裏に解決され、社会主義制度が確立されていたし、朝鮮は、自立的民族経済の強固な土台をもつ社会主義工業・農業国へと転変していく最中であった。過去の立ち遅れた朝鮮は、発展した社会主義国としてその威容を世界に誇っていたのである。朝鮮人民は、人間による人間の搾取と貧困の根源を永久にぬぐい去った社会主義制度のもとで、新しい生活を創造するたたかいを繰り広げていた。朝鮮人民の前には、確立された社会主義制度に依拠して社会主義を全面的に発展させるという歴史的な課題が提起されていた。この課題は、チュチェ思想の旗幟のもとでのみ切り開かれる課題であったし、この課題を遂行するための朝鮮人民のたたかいは、そのまま世界的な模範を創造する栄光に満ちたたたかいであった。

 総書記は、何よりも学ばなければならないのは、このような朝鮮の激動する現実であり、その現実のなかで輝かしく具現されているチュチェの哲理であるとみたのである。もちろん、留学も必要なことではあるが、世界中の人々を驚嘆させている偉大な出来事が起っている祖国の現実から離れるということは、総書記にとって何ものをもってしても保障することのできない貴重なものの喪失であり、最も意義のある学生生活の放棄でもあった。

 金日成総合大学で学ぶという決意には、学ぶことに対する総書記の姿勢と立場が明確にあらわれていた。知識のための知識ではなく、朝鮮革命に寄与する学問は朝鮮の現実から出発すべきであるというのが総書記の信条であった。このような信条は、学問を修め、知恵を育み、朝鮮革命のために一生をささげようとする崇高な目的から生まれでるものである。

 大学のキャンパスにはじめて足を踏みいれた日の朝にも、総書記は金日成総合大学で学ぶことは本当に光栄なことであると語っている。

 この日総書記は、教員、学生たちとともに大学の全景を一目で見わたせる龍南山に登った。澄みわたった秋空のもとで華麗にそびえ立つ金日成総合大学の全景は、まさに一幅の絵のようであった。

 総合大学は、祖国の未来を考えて金日成主席が解放直後にみずから建てた科学の殿堂であった。創立は、1946年10月1日である。金済元農民をはじめとする全国の農民が土地改革の恩恵にこたえるべく自発的に献納した米(愛国米と呼んだ)を唯一の財源として創立されたのである。この大学には、主席の新しい祖国建設に向けた遠大な構想と、二度と植民地奴隷の苦しみを味わうまいとする人民の切実な願いがこめられていた。

 金日成主席は1946年9月15日、金日成総合大学開校式でおこなった演説で、日本帝国主義植民地支配当時の日帝の蛮行にふれ、「解放された朝鮮が求める民族幹部を養成」するために総合大学を開校することになったと述べている。

 主席は演説を次のように締めくくっている。

 「朝鮮人民は、政治的、思想的に急速に発展しなければなりません。我々にはまだ、36年にわたったあくどい日本帝国主義思想の残りかすが多分にあります。みなさんは、学園の生活や日常生活で日本帝国主義思想の残りかすを一掃すべきであります。
 みなさんはたゆみなく鍛練を重ね、熱心に学んで祖国と人民にこのうえなく忠実で、先進科学と技術をしっかりと身につけた新しい民主朝鮮の有能な民族幹部にならなければなりません」。

 金正日総書記は、幼いころ、この大学の建設現場を訪れている。いつの間にか10余年の歳月が流れ、今日は、自分が入学することになったのである。

 しばらくして総書記は興奮した面持ちで、ここでこのように眺めていると大学がいっそう雄牡にみえると言い、遠からず新しい現代的な高層校舎が建てば総合大学の眺めはもっとすばらしいものになるだろうと語った。

 胸にこみあげる感慨を静かにおさえ総書記は、低い声で次のように語った。

 「科学の殿堂であるこの大学に入ると、金日成主席の高い志に学んで朝鮮革命の未来に責任を持つ主人になろうという決意がさらに強くなります。私は、大学時代に主席の革命思想をしっかりと体得も朝鮮革命の担い手になる準備をするつもりです」

 総書記は、龍南山の頂をゆっくりと歩きながら、総書記の口から静かな声で即興詩がうたわれた。後日、朝鮮人民が好んでうたうようになった有名な詩「朝鮮よ その名を輝かさん」であった。

 この詩は、単に入学の喜びをうたった詩ではなかった。これは、入学の意義深い日に、三千里祖国の美しい山河を胸に描き、朝鮮革命の主人となってチュチェの革命偉業を代をついでなし遂げることを祖国と人民に誓う信念の詩であった。

 朝鮮の名を永遠に輝かせること、そうすることによって全世界にその栄光をとどろかせ朝鮮民族をもっとも誇りたかい民族とならしめること、これこそが総書記がはやくから胸に秘めていた使命感であったのである。

 使命感に燃え透徹した人であればあるほど祖国と歴史の前で大事をなすとよくいわれるが、歴史意識に燃え真理に忠実な使命感が、いつも人類の歴史発展に多大な寄与をするのは、まさにそのような使命感があらゆる成果の出発点に、大成へと導く推進力となるからである。

 総書記の使命感は、金日成主席の高い志を受け継ぎ祖国と民族の運命と未来を胸に抱き、その永遠の繁栄と幸福のために一生をささげようとする神聖な使命感であった。またそれは、一大転換期を迎えた民族意識を代弁する理念であったし、国家と民族の未来に責任をもとうとする崇高な義務感でもあった。

 大学時期に総書記が学問の研究で並外れた才能を示し、大学生としては前例のない成果を各方面にわたっておさめたという事実も、このような義務感と崇高な使命感にもとづくものであった、といえる。


<参考文献> −1『金日成著作集』2巻 朝鮮・平壌 外国文出版社
 −2『金正日伝』 雄山閣出版株式会社
 −3『偉大な指導者 金正日』上 未來社


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