回想記

    『抗日の女傑金正淑』
 
写 真
 
画報
朝鮮の母
金正淑
 

まえがき
 平凡な出来事は歳月の流れとともに記憶が薄らぐが、抗日革命闘争と平和的建設の時期に、抗日の女性英雄金正淑女史とともに活動した私は、60年以上たったいまも女史の多くのエピソードがきのうのことのように思い返されます。

 1930年代の初めに革命の道を踏み出した金正淑女史は、苦難にみちた抗日革命闘争の時期に、豆満江沿岸の遊撃区で抗日児童団員たちを敬愛する金日成同志に限りなく忠実な戦士に育て、朝鮮人民革命軍に入隊してからは、戦友たちに骨肉にまさる愛情を注いだものです。

 女史は特に、抗日聖戦の銃声が響く白頭山密営で、親愛な指導者金正日同志をチュチェ革命偉業の偉大な継承者、未来の太陽として薫陶しました。

 女史は、祖国の解放後、抗日の日々に夢にも忘れなかった故郷と一家親族を訪ねるのを先に延ばし、金日成同志の祖国建設路線を貫くために、人民がいるところであれば、いくら遠く険しい地方にも足を運び、彼らを新しい国づくりに立ちあがらせました。

 実に、金正淑女史は、金日成同志にひたすら忠誠を尽くした抗日の女性英雄でした。

 私は歳月の流れとともにますます強烈になる金正淑女史への思いを書き残したいと久しい前から考えてきました。けれども、私のつたない筆力をもってどう金正淑女史の気高い品格を伝えられようかとためらい、あえてペンをとることができませんでした。このようなもどかしい思いに駆られながら、いつしか私も70のよわいを越えました。

 チュチェ81(1992)年3月13日、金日成同志は私たち抗日革命闘争参加者たちに会って記念写真をとったあと、「みなさんは百歳まで長生きして、孫子を立派に育て、朝鮮人民軍最高司令官金正日同志に忠誠を尽くすようにすべきです」と語りました。

 その年は、金日成同志の誕生80周年にあたりますが、この民族最大の大祝日についで催された朝鮮人民軍創建60周年記念閲兵式に、私は革命の第1世として参加しました。幹部壇にいる金日成同志と金正日同志を仰ぎ見ると、私はそこに金正淑女史がいないことにそぞろ寂しさを覚え、女史への懐かしさで胸が締めつけられるようでした。これが金正淑女史の回想記の執筆へと私をつき動かしたのでした。

 こうして同志たちの力添えのもとに、私は女史の高潔な人となりや革命的信義、愛情についての感動的な話のなかのいくつかを回想記として書きあげることができたのでした。<著者:金玉順>


 (注) チュチェ81(1992)年 朝鮮では、金日成同志の逝去3周忌にあたる1997年7月8日、不滅のチュチェ思想を創始し、朝鮮の革命と建設を勝利へと導いた偉大な領袖金日成同志の革命的生涯と不滅の業績を末永く輝かせ、その革命偉業を継承完遂するため、金日成同志が誕生した1912年を元年とするチュチェ年号を制定した。
 
目  次
1 革命の未来を育んで
出会い/朝鮮の地図を描いて/性格検討会/人民革命政府を樹立する日々に/遊撃隊の病院を訪ねて/長丞の話/反日部隊での演芸隊公演/三道湾の森の中で
2 白頭山密営で
金正日同志の生家の前で/真心こもるつぎはぎのおくるみ/髪にまつわる話/祖国光復会組織の拡大をはかって/全民抗争の準備に取り組んで/「ひまさえあれば学習すべきです」/必勝の信念をいだかせて
3 祖国の解放を早めるために
みずから手本を示して/休息のひとときにも/「川向こうが祖国だと考えましょう」/看護婦の資格を得るために/無線通信訓練の日々に/祝賀の花束を受けるまで/表彰の小型拳銃/真の愛と結婚
4 新しい朝鮮を建設する日々に
変わらぬ親衛戦士の姿勢で/高秣山のこだま/「故郷をおもう歌」/共和国の創建とともに伝えるべき話/女性同盟を大衆政治組織に/高く響き渡った汽笛の音/労働者たちをいちばん大事にし/手動式台車に乗って/機織り娘にも/故郷を目の前にしながら/最初の記者会見/「私も農民の娘です」/子どもたちの教育に深い関心を払い/「大事な祖国のために熱心に学ぼう」/「新しい朝鮮の立派な働き手にならなければならない」/記念サイン/炊事当番に立って
5 建軍偉業を補佐して
「朝鮮革命はまだ終わっていない」として/母となって/閲兵式場で/人民軍の軍人になれと言って/しょい袋に秘められた崇高な志/革命家の遺児たちの慈母/革命家の妻だと言って
6 万民が仰ぐ抗日の女性英雄
明るい微笑/胸像の前で

出典:図書『抗日の女傑金正淑』 朝鮮・外国文出版社 1997年 




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