青山里の歩み | ||||||||||||||||||||||||
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出典は『青山里の歩み』。朝鮮民主主義人民共和国・外国文出版社、1984年発刊。 | ||||||||||||||||||||||||
<参考>2020年7月6日の朝鮮中央通信は、標題「一生人民とともにいた金日成主席」で、次の記事を配信した。 「人民の中へ!」 これは以民為天の座右の銘を実践に具現するための金日成主席の革命方式を総称する格言であり、主席の全生涯を貫く貴い政治信条である。 主席は、早くも人民のなかに入ることから革命活動を始め、一生、人民を訪ね現地指導の道を歩み続けた。 人民のなかには、哲学があり経済学があり文学もあり、すべてがある、いくら難しくて複雑な課題が提起されても人民大衆の底知れない創造的力と知恵を正しく奮い起こせばすべての問題を成功裏に解決していくことができると教えた。 主席は、いつも人民と苦楽をともにし、人民の要求と利益を絶対的基準にして路線と政策を立てた。 解放直後、複数の農村へ出向いて農民と話を交わす過程に土地に対する彼らの宿望を察した主席は、土地没収の対象と没収および分配の方法などを確定し、それにもとづいて歴史的な土地改革法令を発布した。 戦後の困難な時期、人民と国の重大事もともに相談し、彼らを革命的大高揚へ奮い立たせて社会主義建設の新しい歴史を開いた方がわれらの主席である。 主席は、自立的民族経済建設の路線と社会主義経済建設の基本路線、優れた大衆指導思想、大衆指導方法である青山里(チョンサンリ)精神、青山里方法も、書斎ではなく工場、企業と農漁村を訪れて生産者大衆のなかで練って創造した。 ひたすら、人民の幸福のために主席は解放後から生涯の最後の時期まで2万600余りの単位を現地で指導しながら、57万8000余キロの道程に献身の足跡を刻んだ。 それゆえ、こんにちも朝鮮人民は、歳月が流れるほど募る主席への慕情を込めて「あぜ道を歩くとき」「われらの主席」のような頌歌を潤んだ声で歌っている。 |
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