金 日 成

我が国の社会主義は、チュチェの社会主義である
世界各国の元国家元首および政府首班、政治家の平壌訪問団メンバーとの談話
−1994年4月16日−


 私は、世界各国の元国家元首および政府首班、政治家の平壌訪問団のみなさんを熱烈に歓迎します。あなたがたが、複雑な情勢にもかかわらず私の誕生日にさいし遠路をいとわず訪朝してくれたことをありがたく思っています。

 あなたがたの今回の平壌訪問は、我が国の統一と世界の平和に大きく寄与するものと信じます。

 あなたがたのなかには、以前に会ったことのある人もおり、はじめての人もいますが、はじめての人はやがて旧知の間柄となり、以前会ったことのある人はこの機会に旧知としての友情をさらに深めることになるでしょう。

 世界平和首脳評議会の執行局長から、平壌訪問団のみなさんを一人一人紹介していただき感謝します。このたび新たに多くの人と知己になれてうれしく思います。人は、このように対面してつきあう過程で親しくなるものです。

 私は、板門店(パンムンジョム)を通過して平壌を訪問できるようにしてもらいたいというあなたがたの手紙を受け取り、それをたいへん立派なことだと思い、積極的に歓迎しました。しかし、南朝鮮当局者に拒まれて、あなたがたの希望は実現しませんでした。

 あなたがたが板門店を通過して平壌に来たなら、いろいろな面でよかっただろうと思います。平壌−開城(ケソン)間には高速道路が建設されて、板門店から平壌まで来るのに時間もそれほどかかりません。あなたがたが板門店を通過してきたならば、朝鮮民族の分裂の苦しみをもっとよく理解できたはずです。

 朝鮮民族はほぼ半世紀ものあいだ、国土分断の苦しみをなめています。1940年代に北と南に二分された我が国は、1990年代にいたったこんにちまで統一されていません。板門店には、40余年前に立てられた国連旗がいまなおそのままになっています。あなたがたが板門店を通過してきたなら、その国連旗を目にしたはずです。

 訪朝したあるアメリカ人に会ったことがありますが、かれは、帰るときは板門店を経て南朝鮮に行きたいと言うのでした。それで私は、ぜひそうしなさい、そうすれば、あなたは停戦後板門店を通過した初のアメリカ人になるでしょう、あなたがアメリカ人として朝鮮人民がなめている国土分断の苦しみを知るためにも板門店を通過するのがよいでしょう、と話しました。

 あなたがたは、平壌に来るとき板門店を通過できなかったのですから、一度そこに行ってみるのがよいでしょう。

 あなたがたのなかにははじめて訪朝した人もいますが、これからたびたび来るのがよいでしょう。我が国は門戸を閉ざしたことがありません。我が国には、あなたがたに公開できない特別な秘密もありません。秘密があるとすれば、軍事機密だけです。世界のどの国でも軍事機密は公開しないのが通例です。我々も軍事機密は別として、それ以外は公開できないものがありません。あなたがたは我が国のどこにでも自由に行き、写真を撮ってもかまいません。

 いま一部の人は、我が国について悪宣伝をしていますが、我が国には失業者もいなければ浮浪者もおらず、ホームレスもいません。世界で失業者や浮浪者のいない国は、我が国だけではないでしょうか。私はアメリカへ行ったことはありませんが、発達しているというアメリカにも失業者や浮浪者が多く、ホームレスも少なくないようです。訪朝したアメリカのビリー・グラハム牧師に、アメリカには失業者やホームレスがいるのかと聞いてみると、いるとのことでした。いつかは、私がアメリカを訪問することもあるのではないかと思います。私がニューヨークに行って国連総会に参加すれば、それは歴史的な出来事になるだろうとのことでありがたい話ですが、私にはその考えがありません。私がもしアメリカに行くとすれば、それは朝米両国人民間の友好のためです。国連総会には参加せず、ただ狩猟や釣りでもして帰ってくるでしょう。

 我が国の現実はあなたがたがご覧になったとおりです。我々はあなたがたに事実を隠そうとしません。朝鮮人民の生活水準はまだ、裕福といえるほどのものではありませんが、特に豊かな暮らしをする人とそうでない人の区別がなく、すべての人がひとしくなんの心配もない生活をしています。我が国で租税制度がなくなったのは久しい以前のことです。最近、我々は農業第一主義、軽工業第一主義、貿易第一主義の方針をうちだしましたが、以後数年のあいだにこの方針が貫徹されれば、朝鮮人民の生活はさらに向上するでしょう。

 我が国では、金や品物を拾得すれば、それを自分のものにするのではなく、持ち主を探して返します。先日、香港のある女性実業家が訪朝したとき、本人の不注意でホテルで財布を紛失しました。財布には数万ドルの現金が入っていたそうです。彼女はもう戻ってはこないだろうとあきらめていました。ところが、その財布を拾ったホテルの従業員が、彼女を訪ねて来て財布を返してやりました。財布を受け取って深く感動した女性実業家は、こんなことは朝鮮民主主義人民共和国ならではのことだと言ったそうです。

 我が国は、1945年に日本帝国主義の植民地支配から解放されました。解放後、我々が祖国に凱旋して新社会を建設することになって最大の難題の一つとなったのは、技術を身につけた知識人の不足でした。解放前、我が国の北半部地域には大学が一つもなかったので、大学出の知識人がそれほどいませんでした。抗日武装闘争の参加者たちは、射撃術には熟達していましたが、設計図を書いたり工場を動かす技術はありませんでした。全国に手をつくして知識人を探したのですが、医学や法学などを専攻した人は少々いたものの、理科系の大学を出た人は十二名しかいませんでした。つまるところ、理科系の大学を出た知識人は人口70万当たり一人という程度でした。

 私は、新社会を建設するには、まず知識人の問題を解決しなければならず、そのためにはまず大学を設立しなければならないと考えました。当時、一部の人は、大学教員になれる人もいないのに、どうして大学が設立できるのか、我が国ではまだ大学の設立は時期尚早だ、と言いました。しかし、私はどうあっても大学を設立しようと決心し、各地に散らばっていた知識人を探し出し、ソウルにいる知識人まで招いてきて、まず金日成(キムイルソン)総合大学を創立し、その後多数の大学を創立しました。国内の大学で知識人を養成する一方、青年を外国へ留学させて、知識人の問題を解決しました。現在、我が国には大学を卒業した知識人が170万名もいます。これは、知識人が人口11名当たり一名という割合になりますが、軍隊にたとえていえば、大学卒業者が一個分隊に一人ずついることになります。いまでは我々が知識人の富者となりました。

 我が党のマークには、労働者、農民を象徴するバンマーと鎌とともに、知識人を象徴する筆が記されています。党のマークに筆を記した党は我が党しかありません。以前のソ連やほかの国の党のマークには筆が記されていませんでした。我々は、1946年に共産党を大衆的な政党に発展させて朝鮮労働党を創立するとき、党のマークにバンマーと鎌とともに、筆を記しました。我々は、党を労働者、農民のみでなく、知識人も網羅する大衆的な政党に適時に発展させ、正しいインテリ政策を実施したので、解放後、新社会の建設で立派な成果を達成することができました。

 社会主義を建設していたソ連や東欧諸国はことごとく崩壊したのに、我が国が崩壊せず、社会主義の道をゆるぎなく進んでいるのは、我が党が主体的な路線と政策を実施してきたからです。我が党は、すべての路線と政策を朝鮮人民の自主的な要求と我が国の具体的実情に即して立て、それを立派に実行しています。これがほかならぬ主体性であり、朝鮮式であります。我が党はマルクス・レーニン主義を機械的にではなく、創造的に発展させ適用し、チュチェ思想にもとづいて朝鮮式に革命と建設を進めています。いま一部の人は、ソ連や東欧社会主義諸国がことごとく崩壊したので、朝鮮も崩壊するだろうと考えていますが、我々は微動だにしません。我が党は世界に類例のない新しい型の党、チュチェの革命的党であり、我が国の社会主義はチュチェの社会主義です。あなたがたは我が国との友好のために、我が党と朝鮮式の社会主義にたいする正しい認識をもつ必要があると思います。

 今回の平壌訪問団団長の元コスタリカ大統領は、我が国が土地を少しも遊ばせず、すべて利用していることに深い感銘を受けたとのことですが、我が国は山地が多く耕地が限られています。現在、我が国の穀物作付面積は約130万ヘクタールですが、そのうち、水田は約60万ヘクタール、畑は70万ヘクタールです。昨年、東海岸地方の農作で冷害を多少こうむりましたが、人民の食糧供給にはさしさわりがありません。今年は豊作をおさめることができます。

 今年は、私が『我が国における社会主義農村問題にかんするテーゼ』を発表して30周年にあたる年です。この2月に、このテーゼ発表30周年を記念しました。この30年のあいだに、我が国の農村には大きな転換がもたらされました。

 白米の飯に肉汁を食べ、絹の服を着て瓦ぶきの家に住みたいというのが朝鮮人民の世紀的宿望です。我が党は、人民のこの宿望の実現を目標にしてたたかっています。

 朝鮮人民の世紀的宿望をかなえるうえで最も重要なのは、全人民に白米のご飯を供することです。我が国で白米のご飯は、李朝時代に王と王族が食べるご飯だといって、王飯(ワンバプ)、または李飯(リバプ)と呼んでいました。こんにち我々は、全人民に白米のご飯を腹いっぱい食べさせるために努力しています。我が国で人民の食糧問題を十分に解決するためには、穀物を1000万トン以上生産しなければなりません。

 農業生産を増大させるうえで重要なのは、農業の水利化、電化、機械化、化学化を実現することです。特に、重要なのは水利化を実現することです。

 我が国では黄海(ファンヘ)南道の延白(ヨンペク)平野と載寧(チェリョン)平野が大きい平野ですが、載寧平野で産する米が上質なので、李朝時代の王族はその米を食したそうです。延白平野と載寧平野は土地が肥えており、気候も温暖です。しかし、その地方には大きな川がないので、以前は農作に必要な用水を満足に供給することができませんでした。用水が十分に供給できなければ、平野が広く土地が肥えていても農作を立派に営むことはできません。西海(ソヘ)閘門を建設した後、大同(テドン)江の水を黄海南道にまで引く大水路工事をしたので、いまは載寧平野と延白平野にも用水を十分に供給できるようになりました。

 我々は解放直後から水利化に大きな力を入れて、各地に貯水池を建設し、田畑に用水を引く工事をおこないました。大同江だけでも西海閘門をはじめ、いくつもの閘門を建設しましたが、貯水量は数十億トンに達します。我が国では、既に農業の水利化が完成されました。農業の電化、化学化も実現されました。

 農業の機械化も基本的に実現しました。農業の機械化を実現するには、耕地を整理して、すべての田畑を機械で作業できるようにしなければなりません。ところが、耕地整理は取り入れがすんだあとからはじめて翌年の播種期以前のあいだにしなければならないので、容易なことではありません。農業の機械化に必要な機械は、国内生産でまかなっています。農業の機械化は平野地帯では基本的に実現されたので、ここ数年内に山間地帯まで完全に実現することができます。

 あなたがたは平壌と地方の各地を参観して、我が国にたいする西側諸国の報道にデマの多いことがわかったとのことですが、マスコミの活動では公正を期することが極めて重要です。いま西側諸国の新聞、通信、放送は、報道において表面上、客観性を保っていると称していますが、実際は当局者の教唆におどらされています。そのため、多くの場合、事実に反する偽りの報道を流して、人びとを欺瞞し愚弄しています。

 最近、西側諸国のマスコミは、帝国主義者が国際原子力機関を前面に立てて不当な核査察を強要しているのに便乗して、我が国にたいする偽りの報道をつづけています。帝国主義者は、我々が核兵器を製造したとしてそれを公開せよと言っていますが、我々には核兵器がありません。我々は核兵器を製造する必要がありません。核兵器を製造して、同族にたいして使用することもできず、遠い外国にたいして使用しようとしても、運搬手段がありません。我が国は領土が狭いので、核兵器を実験する場所もありません。にもかかわらず、国際原子力機関は、我々に核兵器があると言って、査察を強要しています。我々は核兵器を製造する意思も能力もなく、それを製造する必要もないということを一再ならず明らかにしています。西側諸国の新聞、通信、放送は、ありもしない我が国の「核問題」についてひきつづき偽りの報道を流しているので、我々はもうそれを見ようとも聞こうともしません。

 最近、西側諸国のマスコミは、先般の北南最高位級特使交換のための実務代表の接触のとき、南側の代表が挑発的な態度をとるので、それをとがめた我が方の代表の発言を取りあげ、我々が「好戦分子」だといって騒いでいます。もし、我々がソウルを「火の海」にすれば、同胞が死ぬことになるのに、なんのために、そんなことをするでしょうか。我々はこれまで多くの建設をし、3間、4間の住宅もさらに多く建てて、人民により立派な生活条件を保障しようと努力しています。我々は、戦争が起きてこれまで建設したものがすべて破壊されるのを望みません。朝鮮人民は戦争を望んでいません。戦争を好むのは精神障害者です。

 アメリカのCNNテレビと日本のテレビが昨夕の4.15祝賀行事のニュースを放映したそうですが、我々はそれをありがたく思っています。あなたがたが我が国にたびたび来て、我が国の現実と我々の立場を広く紹介してくれるよう望みます。

 我が国には核兵器がないし、これからも永遠にないでしょう。我々は軍事大国になろうとはしません。我が国は将来統一されても、外国の衛星国にならないでしょう。我が国の周辺にはロシア、中国、日本といった大国がありますが、我々はそのいずれの国の衛星国にもならず、自主、独立、中立の国になるでしょう。以前、オーストリアの元首相が訪朝したときも、私は、今後我が国が統一されれば、オーストリアのように中立国にする考えだ、我々は決して大国の手先にならず、それらの国に利用されもしないだろう、我々は自主、中立、非同盟の国になるだろう、と話しました。

 私の健康と長寿の秘訣はなにかという質問ですが、それは楽天的に生活することです。そして、私が健康であるのは、金正日(キムジョンイル)同志が私の健康によく気を配ってくれているからです。かれは、私が文書をたくさん見ると目が悪くなるからと、文書を録音にして提出しています。そのおかげで私は、文書の内容を吹き込んだテープを執務室で聞いたり、散策しながらも聞いており、車内でも、釣りをしながらも聞きます。文書を録音で聞きながら釣りをしても、別にさしさわりはありません。魚を釣り上げるとき聞きもらしたところがあれば、テープをもどして聞きなおせばよいわけです。そうしているので、私は目を保護しながらも、国内情勢はもちろん世界情勢もよく知っています。

 金正日同志は、私が風邪をひきはしまいかと、風邪が流行するきざしがみえると安全地帯に行くよう勧め、私がすぐ発たないと、関係部署の者に重ねて督促します。私は本当に立派な息子をもっているといえます。金正日同志がこまやかに見守ってくれるので、私は82歳になっても元気にすごしています。私は歩行も正常で、いろいろな運動もしています。これからさらに10年ぐらいは働けそうです。いまでも字を書くときに手の震えはありません。先ごろ、中国から医師が来たのですが、かれから記念サインを要望されました。私は、かれが以前にもサインをもらっていったのに、なぜまた求めるのかと思いながらサインをしました。かれは、我が国に駐在する自国の大使館に行って大使に、普通の人なら、80を越すと字を書くときに手の震えがあるが、金日成主席はそうでないと言ったそうです。

 私はいまも、工場や農村へ行って現地指導をしています。国事全般を指導するには労働者、農民、青年学生をはじめ、各階層の人民大衆のなかに入り、かれらの話を多く聞かなければなりません。そうすれば誤りを犯さずにすみます。執務室で文書を見るだけで問題を処理すると主観主義に陥り、官僚主義をふるうようになります。どんな問題であれ、文書だけで処理するのではなく、人民のなかに入って話し合い、かれらの意見を参酌してこそ正しく解決することができます。

 ソ連と東欧社会主義諸国が崩壊したのは、官僚主義が甚だしく、また、事大主義に陥ったことが原因だといえます。これらの国では党と国家が人民の声に耳を傾けず、官僚主義的にふるまって人民から遊離しました。そのため人民の支持を失い、結局は滅亡しました。国家の指導者は、必ず人民の意思と要求を受け入れ、人民に依拠して活動しなければなりません。あなたがたのなかには、以前大統領や総督、首相を務めた人もいるので、このことは十分わかると思います。東欧社会主義諸国のソ連にたいする事大主義は甚だしいものがありました。これらの国はあたまからソ連のやり方を真似ました。それで、モスクワが雨だと東ドイツの人たちは、ベルリンが雨でなくても雨傘をさして歩くという話まで出たくらいです。東欧社会主義諸国は、このようにあたまからソ連の真似をしたあげく、ソ連が崩壊するとすぐさま崩壊しました。

 自慢ではありませんが、私は官僚主義的にふるまったり、主観主義に陥ったりしません。金正日同志も私に習って官僚主義的にふるまったり、主観主義に陥ったりしません。かれは常に人民のなかに入り、かれらの話を聞いてすべての問題を公正に処理しています。金正日同志が革命と建設を立派に指導しているのは、かれの非凡な指導力と気高い品格と関連しています。金正日同志は、文武と忠孝を兼備した立派な人民の指導者です。それで私は、誕生50周年を迎えたかれのために頌詞を書きました。

 あなたがたは、我々が経済発展のために、ほかの国のように開放政策をとる意向があるかと質問しましたが、我々は現在も開放しています。開放すると宣伝しなくては開放にならないわけではありません。我々は経済分野で外国との合弁、合作を奨励しており、外国人の投資も許し、自由経済貿易地帯も設けています。開放というのは特別なものではありません。外国人が自由に入国して経済活動をできるようにすれば、それが開放です。

 私は、我々の開放の仕方が最も立派なものだと思います。我々は開放するにしても、我々の方式でやっています。私は、外国のやり方をそのまま真似るのがいちばん嫌いです。私はいつも幹部たちに、外国から学ぶべきことがあれば学ぶとしても、うのみにしてはいけない、外国のものはまずかんでみて口に合えば飲みくだし、合わなければ吐きだしてしまうべきだ、口に合わないものを飲みくだしては病気にかかるおそれがある、と教えています。

 革命と建設を正しく進めるには、すべての問題を自己の信念をもって、自国と自国人民の利益に即して解決していかなければなりません。そうすれば、なし遂げられないことはありません。

 アメリカのCNNテレビ放送会社の記者団とNHKの記者団が提起した質問を今朝受け取りました。それには書面で答えるつもりです。

出典:「金日成著作集」44巻


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