金 日 成

スウェーデン共産主義者労働党委員長との談話
−1992年6月29日− 
 
 私は、委員長同志と再会できたことをたいへんうれしく思い、あなたの訪朝を熱烈に歓迎します。このたび、あなたが再び訪朝したのは、我々両党間の関係が極めて緊密であることを示しています。

 あなたが貴党の書記長をわが国に送って、私の傘寿を祝ってくださったことに感謝します。貴党の書記長は、わが国を訪問し、世界各国の政党代表たちとともに平壌宣言の作成、発表に積極的に参加しました。

 いまヨーロッパ地域の情勢は複雑を極めていますが、貴党が変わりなく自主的立場を堅持して社会主義を指向していることを高く評価します。こんにちの複雑な情勢下にあっても、国際共産主義運動内に貴党のように正当な旗をかかげて進む革命的党があるということは非常に好ましいことです。我々両党が現在のようにひきつづき自主的立場を堅持していくなら、やがて立派な結実がもたらされるものと思います。

 平壌宣言に指摘されているように、社会主義をめざす諸党は、新しい基礎に立ってかたく団結し、その力で社会主義再建運動を積極的に展開すべきです。帝国主義者は社会主義が壊滅したといっていますが、社会主義は依然として諸国人民の心に生きており、社会主義の再生をめざす新たな動きがあらわれています。我々は現在のようなとさこそ、社会主義をめざす諸党が団結し、いま一度エンジンをかけて力強く前進すべきだと思います。

 社会主義運動の歴史的教訓にてらして、社会主義をめざす闘争において自主性を堅持することは非常に重要です。まして、現代は自主性の時代です。各国の党は、現代の要請に即応して自主性の旗を高くかかげ、確固として社会主義の道を進まなければなりません。

 わが党が歩んできたほぼ50年の歴史は、党活動において自主性を堅持すれば社会主義建設で輝かしい成果を達成することができることを示しています。我々は社会主義建設で大きな成果をおさめましたが、だからといって、ほかの国の党に我々の模範を見習うよう強要しておらず、自分たちのことをこれといって宣伝してもいません。

 社会主義をめざす党は、革命と建設における何らかのモデルを求める必要はないと思います。個々の国の実情は、それぞれ異なります。したがって、各国の実情にひとしく適応する処方というものはなく、またありうるわけもありません。マルクス主義はドグマではなく、創造的学説です。マルクス主義に対する教条主義的な態度には、レーニンも反対し、スターリンも反対しました。我々は、すべての国の党が、それぞれ自主的立場で、自分のやり方で革命と建設を進めるべきだと思います。朝鮮は朝鮮式に革命と建設を進め、スウェーデンはスウェーデン式に革命と建設を進めるべきです。このたび、私の傘寿を祝って訪朝した全連邦ボルシェビキ共産党中央委員会の書記長も、社会主義を自主的に建設する必要性を説きました。彼女は私に、自分たちはレーニン主義とスターリンの思想を復活させると述べました。それは、悪いことではないと考えます。その党が、ロシア人民の望む路線を示せばよいのだと思います。

 革命と建設を自主的に進めるうえで基本となるのは、党を強化することです。革命と建設の成敗は、党をいかに強化するかにかかっています。

 レーニンは、ボルシェビキ党を創建してロシア革命の勝利をかちとり、スターリンもレーニンが創建した党を強化したからファシズムドイツを打ち倒すことができたのです。

 ソ連が崩壊しはじめたのは、現代修正主義者らが執権したときからです。彼らは、党建設の原則を放棄し、党を系統的に弱体化させました。そして最後には、ソ連共産党の指導者たちは「新思考方式」を提唱し、帝国主義者の唱えるコスモポリタニズムを受容しました。コスモポリタニズムとは、世界主義という意味です。アメリカ帝国主義者は、以前からコスモポリタニズムを世界制覇の野望をとげる思想的道具として利用してきました。ソ連共産党は、スターリンが執権していた当時はコスモポリタニズムに断固反対して闘いました。スターリンは、アメリカ帝国主義者がコスモポリタニズムを唱えるや、それが世界制覇の「平和的移行」戦略を実現するためのものであることをいち早く読みとったようです。スターリンの弟子の一人であったジダーノフは、第2次世界大戦後ソ連の文学・芸術分野にコスモポリタニズムの傾向があらわれるや、作家、芸術家と人民のなかに入ってそれに反対して、断固闘うよう強調しました。

 以前のソ連共産党の指導者たちが提唱した「新思考方式」は、投降主義的思考方式です。帝国主義者と闘わず、協調して共存すべきだというのが、彼らの提唱した「新思考方式」の内容でした。帝国主義者と協調して共存しようというのは、結局彼らに投降することです。帝国主義は、決して本性が変わりません。帝国主義は、独占資本主義です。これは、レーニンによって示された命題です。独占資本にもとづく帝国主義と闘わず放置するなら、それは他の国々を侵略し略奪する道へ進むものです。ところが、ソ連共産党の指導者たちが帝国主義者に幻想をいだいて彼らとの協調を説いたため、結局ソ連は、帝国主義者の反社会主義攻勢を防ぎきれず滅びてしまったのです。70年ものあいだ社会主義を建設してきたソ連が、一朝にして崩壊するというのは全く想像しがたいことです。ソ連を滅ぼした社会主義の背信者たちには、共産主義者としての体面はおろか民族的良心もありません。彼らに、いささかなりとも愛国主義精神があったなら、ソ連があのようにまではならなかったでしょう。社会主義の背信者たちは、連邦を解体し、いまはアメリカのいうがままに動いています。

 いまモスクワで治療中の元民主ドイツの指導者ホーネッカーをロシアが金もうけのだしにしようとしているらしいというあなたのお話ですが、たいへん心の痛む話です。わずかばかりのドルに眩惑されて同志を売り渡すというのは論外です。

 最近ホーネッカーは、わが国で病気を治療させてもらいたいといってきました。彼からそんな願いがあったという報告を受けたのは、ある日の明け方でした。金正日同志が午前4時ごろ、私に取り急ぎ知らせたいことがあるといって電話をかけてきたのですが、ホーネッカーが朝鮮で病気の治癒を受けさせてもらいたいという手紙を寄こしたとのことでした。それで私は、考えてみる必要もなかったので即座に、ホーネッカーがわが国に病気を治療しに来るのを歓迎し、治療に必要な条件をすべて保障する旨を本人に知らせるようにと指示しました。私はホーネッカーの要望に同意したのち、彼を迎えるためモスクワへ飛行機まで送りました。ところが、ロシアではホーネッカーを引き渡してくれないので、迎え入れるすべがありませんでした。私は、以前からホーネッカーをよく知っています。彼は私と同年であり、私と彼との関係は親密です。今後彼の運命がどうなるか憂慮されます。国が滅びれば人も数奇な運命をたどることになります。

 東欧社会主義諸国が滅びた原因は、2つだといえます。

 その1つは、それらの国の指導者が事大主義、大国崇拝主義に陥ったところにあります。

 これまで東欧社会主義諸国は、ソ連が「A」といえば「A」と唱和し、「B」といえば「B」といいました。それらの国では、なんでもソ連のするとおりにしました。以前、民主ドイツでは、ソ連への崇拝心が甚だしかったあまり、モスクワが雨だといえばベルリンでは雨が降らなくても雨傘をさして歩くと揶揄されたものですが、これはその国の人民が自分の党指導部の事大主義を批判するアイロニーでした。東欧社会主義諸国は、ソ連を崇拝し、何もかもソ連式にしたので、結局は滅びてしまいました。ソ連は「改革」をするとしても、彼らまで盲目的に「改革」をしなければならない理由はないはずです。

 以前の東欧社会主義諸国がなんでもソ連式をまねたのは、ソ連軍によって国が解放された事情と少なからず関連しています。それらの国の人たちは、自分の力で国の解放をなし遂げることができませんでした。ソ連軍がそれらの国を解放したのち、共産主義運動に参加していた人たちを集めて政権の座につけたので、彼らはソ連を崇拝せざるをえませんでした。

 以前、ソ連は、ほかの社会主義諸国が自分と一緒に合唱しないと悪もの扱いにし、社会主義の原則、国際主義的原則から逸脱していると圧力を加えたものです。

 しかし、我々にはいかなる圧力も効果がありません。以前フルシチョフは私に、朝鮮もセフ(コメコン)に加入すべきだと誘いましたが、私はそれを拒みました。私は彼に、我々がセフに加入しなくても、自力更生して社会主義建設を順調に進めれば、それが国際主義に忠実であることになるのではないか、我々がソ連に経済援助を要請せず自活すれば、それだけソ連の負担を軽減できるではないか、といいました。

 それ以来、ソビエト人は、我々を敬遠するようになりました。以前ソ連では、メーデーや10月社会主義革命の記念日に「偉大な社会主義共同体万歳」というスローガンをかかげたものです。彼らのいう社会主義共同体というのは、セフに加入した社会主義諸国の共同体でした。ですから、わが国のようにセフの構成国に属さない社会主義国は万歳を唱える対象にはなりませんでした。それで,いつかソ連の人たちに、「偉大な社会主義共同体万歳」というスローガンを唱えるのは正しくない、万歳を唱えるなら社会主義諸国万歳と唱えるべきだ、我々はセフに加入していないが社会主義を成功裏に建設している、といってやりました。結局は,事大主義に陥ってセフに加入した東欧社会主義諸国はすべて滅びましたが、自主性を堅持してセフに加入しなかった我々は依然として健在です。

 東欧社会主義諸国が滅びた原因は次に、それらの国の指導者が甚だしい官僚主義に陥ったところにあります。

 社会主義社会では、幹部が官僚主義に陥ってはなりません。資本主義社会では、国家を管理する人と経済を運営する人が別々なので、国家統治者が官僚主義をふるって政治を誤っても営利事業をする人はこれといったさしさわりもなしに営利事業をつづけることができます。ところが、社会主義社会では事情が違います。社会主義社会では、人民大衆が国家主権と生産手段の主人であるので、幹部が常に人民大衆のなかに入って彼らの要求を知り、人民大衆の意思と要求にそって国家を管理し、経済を運営しなければなりません。しかし、かつて東欧社会主義諸国の指導者は、大衆のなかに入らず、執務室の天井やモスクワを見上げて政治をしました。彼らは、人民大衆の意思と現実に合わない自分の主観的な意思が人々に受け入れられないと、官僚主義的に押しつけました。そのため、人民から遊離し、最後には社会主義を滅ぼす重大な結果をまねくことになりました。

 以前の東欧社会主義諸国の指導者のこのような事大主義的、官僚主義的過ちのためにそれらの国の社会主義が滅びたのであって、決して社会主義制度そのものに問題があって、そうなったのではありません。社会主義制度そのものは悪いものではありません。

 いま、社会主義が崩壊し資本主義が復活した国々では、多数の勤労者が失業者になり、その他にも社会経済的に深刻な問題が多く提起されています。東欧諸国の人たちは、自分の国が社会主義を捨てて欧州共同体やNATOに加入すれば裕福になるものと思いましたが、そんな夢はすべて破れてしまいました。東欧のある国の人たちは、社会主義を捨てて資本主義にもどれば、アメリカが多くの援助を提供してくれるものと思ったのですか、いままでアメリカから受けた援助は1億ドルしかならないとのことです。以前のソ連と東欧諸国の人たちはアメリカ式資本主義の苦い味を味わったので、いまでは社会主義を捨てたことを後悔し、社会主義を再生させるといっています。

 ただいまあなたは、我々が国際共産主義運動の再建と発展のために大きな努力を払っているとして高く評価しましたが、我々はすべてのことを我々の方式でやっているだけであって、他意はありません。

 ソ連と東欧諸国で社会主義が挫折して以来、アメリカ帝国主義者は、わが国の社会主義を圧殺しようとあらゆる策動をめぐらしています。彼らは「核開発疑惑」なるものをもちだして騒ぎ立て、我々に対して核兵器を出せと圧力を加えています。すでに何回も明らかにされていることですが、我々には核兵器を生産するほどの技術も資金もありません。我々共産主義者は二枚舌を使いません。ところが、アメリカは我々の話は信じられないといって、不当にも核査察問題を執拗にもちだしてきました。それで我々は、南朝鮮に配備されているアメリカの核兵器から先に撤収することを要求しました。その後、アメリカの公式人物たちが、南朝鮮から核兵器を全部取り払ったと言明したので、我々も国際原子力機関で必要とする査察を受けることにしました。国際原子力機関の重ねての査察がありましたが、問題となることはありませんでした。するとアメリカ帝国主義者は、我々が核兵器をよそに隠しているかもしれないという新たな言いがかりをつけて反共和国騒ぎをつづけています。彼らは、我々がミサイルを生産して輸出しているといい、公海を航行中のわが国の船舶にミサイルが積まれているらしいから船を爆撃すると脅迫しました。それで我々は、爆撃するつもりならせよ、ミサイルではない貨物を積んだ船を爆撃したらただではすまない、わが国を小国と見てあなどってはいけないと敢然と対抗しました。すると、船を爆撃すると大口をたたいたアメリカも、あえて爆撃することができませんでした。彼らは、すでに我々と対戦した経験があるので、我々の実力をよく心得ています。それで、おいそれと我々に襲いかかれないのです。アメリカ帝国主義者が我々に何のかんのといってはしきりにつっかかってくるのは、彼らが公然とは口にしませんが、わが国の社会主義を孤立させ圧殺するためなのです。しかし、彼らがいくら策動しようと、わが国の社会主義を崩すことはできません。

 今後、アメリカ帝国主義者はわが国を経済的に封鎖しようと策動するでしょうが、我々はそれも恐れません。

 いま、わが国は外国の商社との貿易を多くしていますが、アメリカ帝国主義者がそれらの商社をすべて統制するのは不可能でしょう。我々は、外国の商社の要望によって肥料なら肥料、農薬なら農薬、セメントならセメント、鋼材なら鋼材を売り渡し、対外貿易活動の範囲をひきつづき広げています。アメリカの商社も我々との取り引きを望んで訪朝しています。ですから、アメリカ帝国主義者がわが国に対する経済制裁措置をとるとしても恐れることはありません。

 それに、我々はすでに強固な自立的民族経済の土台を築いてあるので、敵のいかなる経済封鎖策動もはねのけて、自活していけます。昔から朝鮮人は、白米の飯に肉汁を食べ、絹の服を着て瓦ぶきの家に住めればそれ以上の望みはないと考えてきました。わが国では、久しい前に人民の食・衣・住の問題が基本的に解決されました。現在、朝鮮人民は満ち足りた生活をしているとはいえませんが、誰もが食・衣・住の心配をせずに暮らしています。

 きのう私は、わが国を訪問中のアメリカ戦略および国際問題研究所の副所長一行と談話を交わしましたが、その席で彼らに、あなたがたの国アメリカは発達した資本主義国で裕福な国だというが、わが国はそれほど裕福ではない、だが、わが国では全人民が格差なくよい暮らしをしている、アメリカでは家がなくて野天で寝る人もいれば、物乞いをして歩く浮浪者もいるが、わが国には平壌でも地方でもどこへ行っても家がなくて道端で寝たり物乞いをする人が一人もいない、そして衣服を満足に着られない人もいないと話しました。あなたが述べたとおり、全人民が食・衣・住の心配をせずにひとしくよい暮らしをしているところに朝鮮式社会主義の優越性があるのです。

 我々は、人民により立派な食・衣・住生活をさせるためにひきつづき努力しています。

 わが国では金正日同志の発起により、私の誕生80周年を迎えて5万所帯の住宅を建設して平壌市民への贈物としました。統一通りに一度行って見れば、そのことがもっとよくわかるでしょう。

 我々は、これから毎年、都市と農村に20万所帯の近代的な住宅を建てて、一間の家に住む人が一人もいないようにする考えです。

 きのうのアメリカ戦略および国際問題研究所副所長一行との談話の席で、随行員の一人が一つ質問したいことがあるといって、朝鮮の貿易対象国であったソ連と東欧社会主義諸国が全部滅びたので、朝鮮では外貨が不足しているはずだが、その問題をどう解決する考えなのかと問いました。それで私は、かつてわが国はソ連との貿易がさかんであったし、東欧社会主義諸国とも広く貿易をした、それらの国との貿易は、わが国の対外貿易において圧倒的な比重を占めていた、わが国は、ソ連からコークス用炭や原油を輸入し、東欧諸国からも必要な原料を輸入してきた、ソ連と東欧社会主義諸国が滅びたので、それらの国との貿易関係が断ち切られた、そのため、わが国に難関がないわけではない、けれども我々は対外貿易で当面の難関を克服する対策を講じている、我々は貿易政策を立て直し、インド、パキスタン、バングラデシュといった国々との貿易を発展させ、特にタイ、マレーシア、フィリピン、インドネシアなど東南アジアの第三世界諸国との貿易を活発にする方向をとっていると答えました。事実、我々は対外貿易で変化した環境に応じて方向を転換しました。現在、わが国の主たる貿易対象国である東南アジア諸国はおよそ農業国なので、肥料、農薬、セメントなどの製品を多く求めています。それで我々は、東南アジア諸国が要望する製品を大量に生産して、それらの国に輸出しています。我々は、発達した資本主義諸国との貿易の道も開くために努力しています。わが国は、契約によって被服の縫製品を一部の資本主義国に輸出していますが、ユーザーからは品質が日本や南朝鮮のものより優秀だという評価を受けています。

 あなたは、発達した資本主義諸国と発展途上諸国間の経済関係に存在する不平等な秩序をうちこわす方途について尋ねましたが、非常に興味ある問題を提起したと思います。いま発達した資本主義諸国は、不平等な国際経済秩序に依拠して、彼らの工業製品を法外な高値で発展途上諸国に売りつけ、原料は安値でそれらの国から略奪しています。こうした不平等な国際経済秩序をうちこわすためには発展途上諸国が自主性を堅持し、国内資源を動員して経済を発展させる一方、集団的自力更生の原則で南南協力を発展させなければなりません。我々は、これ以外に他の道はないと考えます。それゆえ、我々は、今回インドネシアで開催される第10回非同盟諸国首脳会議を極めて重視し、非同盟諸国首脳会議とともに、非同盟諸国の団結と協力を強化するための国際会議をたびたび開催することを主張しているのです。

 あなたは現在、帝国主義者の専横を防ぎ、自主性を守る発展途上諸国の闘争が前進をつづけているとみるべきか、さもなければ退歩しているとみるべきかと問いましたが、私は自主性を守る発展途上諸国の闘争は前進をつづけていると思います。

 いま、アメリカ帝国主義者が、国際舞台でいつにもまして専横を極めているのは事実です。彼らは、発展途上諸国、第三世界諸国が、多元主義、特に複数政党制を実施するよう強要しており、世界銀行の資金を利用するよう圧力を加えています。それで、複数政党制を実施して滅びた国が少なくありません。アフリカのある国では、複数政党制を実施した結果、進歩的な大統領が追いおとされる不正常な事態が発生しました。ですから、発展途上諸国は、政治、経済、文化の各分野で南南協力を積極的に実現しながら、団結した力でアメリカ帝国主義者の専横に反撃を加えなければなりません。もちろん、発展途上諸国がこうするのは容易ならぬことだと思います。しかし、超大国としてのアメリカの地位は長続きしないでしょう。アメリカの立場は、日ましに苦しくなっています。昨日アメリカ人と談話した機会に質問してみると、彼らはいま自分の国が最大の経済危機に見舞われているといいました。アメリカの経済危機は、覇権主義に走るために生じる避けがたい現象です。いま他の国を略奪し搾取する発達した資本主義諸国は、アメリカ、ドイツ、フランス、日本など7、8国しかありませんが、アメリカとドイツ、フランス、日本との矛盾が激化しています。ヨーロッパでは、ドイツとフランスが欧州全域を掌握しようとし、アジアでは日本が盟主になろうとしていますが、アメリカはそれを防ごうともがいています。アメリカが覇権主義を追求しつづけるなら、彼らはますます苦境に陥るようになるでしょう。

 今後、ドイツではファシズムが息を吹き返すおそれがあり、日本では軍国主義が復活するおそれがあります。我々は、これに警戒心を高め、それに反対する国際的な運動を広範に繰り広げるべきだと思います。

 社会主義をめざす党は、革命勢力の拡大強化においてインテリに対する正しい観念をもって、彼らとの活動に力を入れることが重要です。

 インテリは、社会の進歩をもたらし、新しい社会を建設するうえで極めて重要な役割を果たします。社会主義をめざす党は、政権を掌握したのち、軍人と労働者、農民だけでは新しい社会を成功裏に建設することができません。ところが、我々が1945年に祖国を解放したとき、わが国には理科系の大学を出たインテリは12名しかおらず、大学は一つもありませんでした。私と抗日革命闘争をともにした人たちはみな名射手でしたが、自然科学技術の知識は身につけていませんでした。新社会の建設に着手した我々にとっては、科学技術知識を身につけたインテリが切実に必要でした。それで、平壌に金日成総合大学を創立することにしました。いざ大学を創立する段になって問題となったのは教員でした。我々は教員問題を解決するため、南朝鮮から多くのインテリを招き、1946年に金日成総合大学を開校しました。わが党の正しい民族幹部養成政策によって、その後、新しいインテリが多数養成されました。現在我々は、160余万のインテリ大集団をもっています。我々が育てたインテリは、いま社会主義建設の各分野で自己の責任と役割を立派に果たしています。特に、わが国のインテリは、労働者階級の協力のもとに、技術革命の遂行において自己の創意を高く発揮しています。

 わが党のマークには、労働者、農民を象徴するハンマーと鎌とともに、インテリを象徴する筆が描かれています。私が最初、党のマークにハンマーと鎌とともに筆を描くことを提案したとき、反対する人が少なくありませんでした。彼らの論拠は、インテリは社会の中間層で動揺しやすく資本家の味方にもなるし労働者階級の味方にもなるので、彼らを党の構成成分として規定することはできないというのでした。私は彼らに、労働者、農民の力はもちろん強いものだが、インテリをぬきにして労働者、農民の力だけでは新社会を成功裏に建設することはできない、党のマークに労働者、農民を象徴するハンマーと鎌とともにインテリを象徴する筆を描き入れてインテリを革命の側に獲得するのかよいではないか、あなたがたはインテリが資本家の味方にもなり労働者階級の味方にもなる動揺分子だというが、資本主義社会でなら彼らが職を得るために資本家の味方になることもあるだろうが、労働者、農民が主人となった新しい社会では、彼らがありもしない資本家にくみするわけがないではないか、新しい社会ではインテリは、労働者、農民の側にくみするしかない、だから、党のマークに労働者、農民を象徴するハンマーと鎌とともにインテリを象徴する筆を描き入れるべきだと主張しました。事実、歴史的に見ても、数多くのインテリが革命に参加しています。マルクスもインテリであったし、レーニンも労働者ではなくインテリでした。私が、わが党のマークにハンマーと鎌とともに筆を描き入れることにしたのはいたって正当なことでした。以前、毛沢東の秘書だった王炳南が私を訪ねてきたことがありますが、そのとき彼は、党のマークに労働者、農民を象徴するハンマーと鎌とともにインテリを象徴する筆を描き入れた党は朝鮮労働党しかないといいました。

 あなたは、作家、芸術家を社会主義建設にどう参加させたのかと問いましたが、我々は彼らを根気よく教育して社会主義建設に大いに参加させています。

 解放直後、平壌には作家、芸術家がそれほどいませんでした。それで南朝鮮に人を派遣して、作家、芸術家を招いて来させました。わが国で最初の劇映画をつくるとき、南朝鮮からやって来た俳優が少なからず参加しました。私は演出家ではありませんが、わが国ではじめてつくられた劇映画を見てやりました。その映画の主役として出演した俳優のうち、朴学はすでに死去し、兪慶愛、文芸峰はいまなお映画界で活躍しています。いまでは彼らもみな70を超しています。兪慶愛は、いろいろな声色を使って小説をたいへん上手に朗読します。私は、彼女が朗読する小説を録音で聞いています。

 金正日同志は、私が本を多く読むと目が悪くなるといって、小説などは録音して私に届けてくれます。金正日同志は、党中央委員会で活動をはじめた最初のころ、文学・芸術部門の活動を直接指導したのですか、そのときからすでに、革命伝統を固守し立派に継承、発展させるのに寄与する文学・芸術作品をたくさん創作しようというスローガンを示しました。わが国の作家、芸術家は、このスローガンを高くかかげ、革命的な文学・芸術作品をたくさん創作しました。わが国で革命伝統をテーマにした映画や小説が数多く創作されたのも、わが国の文学・芸術が民族的形式に社会主義的内容をもった主体的で革命的な文学・芸術として、人民に健全に奉仕できるようになったのもみな、金正日同志の細心な指導の結果です。

 こんにち、朝鮮人民の思想状態は、極めて立派なものです。労働者、農民の思想状態がよいのはいうまでもなく、インテリと青年学生の思想状態も極めて健全です。ポーランドはいまでこそ社会主義が崩壊してしまいましたが、社会主義時代に大学生が党と政府に反対してたびたびデモをおこないました。そのためだったか、いつかポーランドの指導者が訪朝したとき私にいうことには、錦繍山議事堂の横に金日成総合大学があっては危ないのではないかというのでした。それで私は、わが国ではすぐれた青年を選抜して大学に送るので、大学生の思想状態は人民軍軍人の思想状態に劣らず健全だと説明しました。

 わが国では、領袖、党、大衆が一心団結をなしています。朝鮮人民は、自分の領袖を深く尊敬し、自分の党を心から信頼しており、わが党は人民を限りなくいたわり愛しています。私は人民との親しみをさらに深めるため、いつも彼らのなかに入ります。金正日同志もやはり人民のなかに入ることを喜びとしています。我々は、常に人民のなかに入り、彼らの要求と意思を知り、それを党の政策に反映しています。そのため、人民は党の政策を自分のものとして受け入れています。

 党の決定を人民が自分のものとして受け入れるようにするのは一つの芸術だとおっしゃいましたが、もっともな話だと思います。党の決定を人民が自分のものとして受け入れるようにするのは、一つの芸術であると同時に、党活動の本性だといえます。私はいつも、党活動はすなわち対人活動だといっています。党活動家の使命は、対人活動を正しくおこなうことです。党活動家は、対人活動をせず、人々をみだりにどなりちらす官僚になってはいけません。党活動家は、対人活動を通じて党の政策を大衆に解説、宣伝し、その実行に大衆を立ち上がらせなければなりません。

 対人活動を正しくおこなうためには、党活動の方法をたえず改善しなければなりません。我々は、党活動方法の改善にいつも深い関心を払ってきました。私はずっと以前に、約半月のあいだ平安南道江西郡青山里と江西郡党委員会の活動を現地で指導したことがあります。私は、青山里の農民と話し合いながら里内の実態を具体的に調べ、難問も解決してやりました。そのとき私は、青山里党総会も指導し、江西郡党総会も指導しました。

 私が郡党総会の準備状況を調べてみると、総会に提出する報告を郡党委員長が自分の手で書かず、下部の者に書かせていました。それで、私は郡党総会の報告を郡党委員長に書かせてから、彼の家のオンドル部屋に宿を移して彼に報告の書き方を教えました。彼が草案を書けば、私がそれを見て修正の方向を示して書き直させました。こうする過程で、彼は、郡党総会の報告を自分の手で書けるようになりました。郡党の責任幹部は、自分の報告は自分の手で書くのか当然であって、他人に書かせた報告を代読するのでは報告する意味がありません。郡党の責任幹部が自分の報告を自分の手で書くようになったのは、おそらくこのときからでしょう。私が、江西郡党委員会の活動を指導したとき郡党委員長であった人は、現在も党活動家として働いています。

 わが党では、私が青山里を現地で指導した精神と方法をさしてチョンサンリ精神、チョンサンリ方法と称しています。チョンサンリ精神、チョンサンリ方法が生まれて以来、わが党の活動には大きな前進がもたらされました。

 私が示した政治的な問題であなたがさらに知りたいことがあれば、わが党の中央委員会国際担当書記にいま一度会って話を交わしてください。

 あなたが、私の傘寿を祝い、健康な体でより多くの仕事をすることを望んで、貴国で重要な会議での決定採択のときに限って使う議長小づちを私に贈物するとのことですが、たいへんありがたく思います。

 私はきょう、あなたと数時間にわたって有益な談話を交わしました。意思の疎通するあなたと話を交わすことができてたいへんうれしく思います。私は、あなたが今後たびたび訪朝してくれることを希望します。私は高齢で貴国を訪問することができませんが、あなたは若いのでたびたび来られるでしょう。平壌とベルリン間の航空路が開設されたので、あなたがベルリンまで来れば、そこからはわが国の飛行機で平壌まで来られます。我々がしばしば会って食事でもしなから話し合えれば好都合だと思います。毎年一度ずつわが国に来るのかよいでしょう。

 私は、貴党が今後とも朝鮮人民の闘いに積極的な支持と声援を寄せてくれるよう期待します。
 出典:『金日成著作集』43巻

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