金 日 成

耕地の地力を高め、農業生産で一大高揚を起こそう
 朝鮮民主主義人民共和国中央人民委員会第9期第3回会議でおこなった演説
−1990年11月30日、12月3日− 


 我が党は、社会主義建設で農業第一主義の方針をうちだし、農業の発展に大きな力をそそいできました。

 社会主義農業の発展のために我が党がうちだした政策と方針はすべて正当なものです。

 最近、我々は、社会主義農村テーゼで示した農村水利化の課題を高い水準で完成する方針をうちだしました。朝鮮人民は、党の方針のもとに昨年と今年、西部地区に800キロに及ぶ水路を新設する膨大な工事を成功裏におこないました。この水路が建設された結果、大同(テドン)江の西海(ソヘ)閘門貯水池の水が黄海北道と黄海南道まで流れ込むようになり、泰川(テチョン)発電所貯水池の水が博川(パクチョン)郡、雲田(ウンジョン)郡、定州(チョンジュ)郡、郭山(クァクサン)郡を経て鴨緑(アムノク)江の水と一つの潅漑綱で連結されるようになりました。これからは、どんな大干ばつがきても、干害をこうむらず、農業を安全に営めるようになりました。

 我々は今年、降雨式畑地潅漑方式を導入する運動も力強く展開しました。今年、農村では、降雨式畑地潅漑を全般的に導入しました。

 これでもう我が国では、農業の水利化が高い水準で完成されたといえます。我が国は、世界的に潅漑が最もととのった国となりました。社会主義農村問題にかんするテーゼで示した農村技術革命の課題は、水利化、電化、機械化、化学化ですが、そのうち最も重要なのは水利化です。農村の水利化の完成は、社会主義農村建設における大きな勝利です。

 昔から、農は国の大本といっています。社会主義を建設するうえでも、農業を立派に営むことが極めて重要です。我々が社会主義を建設する目的は、人民の生活を豊かにするところにあり、そのためには、なによりも農業を立派に営まなければなりません。農業で豊作をおさめてこそ、国のすべてのことがスムーズに進められます。

 朝鮮人民は代をついで、白米のご飯に肉汁を食べ、絹の服を着てかわら家で暮らすことを望んできました。人民のこうした願望を実現するのが、まさに我が党の闘争目標です。人民がひとしく白米のご飯に肉汁を食べ、絹の服を着てかわら家で暮らせるようになれば、それがすなわち社会主義です。それで私は、久しい前に「米はすなわち社会主義である」というスローガンを示したのです。農業を立派に営んで米を大量生産すれば、人民はみな白米のご飯だけでなく肉も十分に食べることができ、人民生活で提起される諸問題をすべて解決することができます。

 我々が、全人民がひとしく白米のご飯に肉汁を食べ、絹の服を着てかわら家で暮らせるようにしようというのは、決して空想でなく、ただのスローガンでもありません。これは十分実現できる目標です。

 社会主義を建設してみたことのない人々が机上で考え出した社会主義建設の理論は、こんにちの現実に合わない場合もあり、実現不可能な場合もあります。しかし、社会主義建設にかんする我が党の路線と政策はすべて、社会主義を建設している我が国の具体的な現実にもとづいて示したものであるため、必ず実現することができます。

 我が国では一定の期間、農業で好成績をあげました。農業を立派に営んで穀物を大量生産したので、そのころは食糧も有り余り、食肉も不足しませんでした。その時期は、農民に毎年300キログラムの食糧を割り当てました。農民に、分配を受けた穀物のうち、家族一人当たり300キログラムは食糧として取っておき、残りは国家に売り渡すようにさせました。農民に食糧を十分に与えたので、かれらはご飯を腹いっぱい食べても食糧が余り、農家ごとに豚をはじめ、家畜をたくさん飼いました。国家では、穀物を数百万トンも備蓄し、畜産業を発展させることもできました。

 道党責任書記を長く務めている人は覚えているはずですが、我々はひところ食肉をたくさん生産したので、郡検閲所在地に食肉加工工場を設ける方式講習をおこない、すべての郡に食肉加工工場を建てさせました。郡機関所在地に食肉加工工場を建て、豚を屠殺して肉や頭、肢端、内臓などをたくさん商店に出したので、人民がたいへん喜んだものです。平壌市では、商店に豚肉や鶏肉、アヒル肉などがたくさん出まわり、卵も住民の需要に応じて売りました。

 今年は少なからぬ協同農場の営農実績がかんばしくありませんでしたが、それは幹部が主体的農法の要求どおりに農業を正しく指導しなかったためです。

 一部の幹部は、今年、雨が多く降り、日照率が低くて営農実績がかんばしくなかったといっていますが、それは口実にすぎません。今年、雨が多く降り日照率が低かったのは事実ですが、農作が不調に終わった根本的原因はそのことではありません。

 今年、竜川(リョンチョン)郡長山(チャンサン)協同農場では、作柄が良好でした。気候条件が不利なのは長山協同農場も他の農場と同じでしたが、この農場ではヘクタール当たり8トン以上の穀物を収穫しました。長山協同農場で不利な気候条件にもかかわらず営農実績をあげたのはほかでもなく、農業を主体的農法の要求どおりに営んだからです。この農場では、主体的農法の要求どおり畑冷床苗を100%導入して苗を丈夫に育てて田植えを適期におこない、草取りも適期におこないました。また、稲の種子も確実でない「平壌33号」ではなく、以前から植えてきた「平壌15号」を植え、ヘクタール当たり800キログラムの窒素肥料をほどこして8トンの籾米を生産しました。

 主体的農法の要求どおり農作を営まなかった協同農場では、穀物を満足に生産できませんでした。

 私は、今年の農作が不振だった原因を明らかにするため、西海岸地区の道党責任書記と道農業経営委員長、営農に熟達した協同農場管理委員長を召致して協議会を開きました。協議会で協同農場管理委員長らの発言を聞いてみると、今年の農作がふるわなかったのはいろいろな原因によります。

 黄海南道の信川(シンチョン)郡、載寧(チェリョン)郡、安岳(アンアク)郡などでは、溜水の被害を受けました。雨が多く降ったとき、大同江の西海閘門貯水池の水を排水しきれず、水位が全般的に高まったところへ、急に何百ミリもの豪雨がきて溜水を抜けなかったため、少なからぬ田畑が水に浸りました。作物の生育期と結実期に田畑が水に浸ると収穫高が落ちます。いったん水が溜まると、すぐ排水しても、作物にしいなが生じて満足に結実しません。

 今年の営農でヘクタール当たりの収量が低かったのは、肥料を十分にはどこせず、種子の選択を誤ったところにも原因があります。今年、多くの協同農場で「平壌33号」を植えて損失をこうむりました。この種子は、多収穫品種であるとはいいますが、多量の肥料を要するのに満足にほどこすことができず、またフィルムが不足して苗を適期に丈夫に育てられなかったため、収穫高が落ちたのです。

 今年は病害虫による被害も少なからず受けました。イネコミズメイガが増え、稲作で被害をこうむりましたが、「平壌33号」はもともと病害虫に弱い品種です。そのため、この品種を植えた農場では被害をこうむりました。7号農場の3作業班と4作業班では、ヘクタール当たり10トンの籾米を生産するといっていましたが、イネコミズメイガの被害を受けて7トンしか生産できませんでした。

 今年の営農実績がふるわなかった最も重要な原因は、田畑の地力を高められなかったところにあります。

 私は今年、農業部門の幹部から報告を受け、咸鏡(ハムギョン)北道と咸鏡南道に出向いてもみましたが、トウモロコシの穀実もよくつき、受精もよくできていました。ところが秋に見ると、ヘクタール当たりの収量が高くありません。それは、1000粒当たりの目方が少ないためだといっていますが、実際は耕地の地力が衰えているからです。

 田畑の地力を高めるのは、主体的農法の重要な要求です。私はすでに久しい前から、田畑に土入れもし、各種微量素肥料もほどこして田畑の地力を高めることを特に強調してきましたが、ここ数年間、農業部門では田畑の地力を高めるために努力しませんでした。耕地の地力を高めず、同じ土地で毎年農作を営むので、ヘクタール当たりの収量が落ちるほかありません。

 我々は、今年の営農から教訓をくみ取るべきです。今年の農業がふるわなかった原因がわかった以上、それを正す積極的な対策を立てなければなりません。

 今後、主体的農法の要求どおり農業を立派に営むためには、耕地の地力を高める運動を積極的にくりひろげ、これとともに溜水と病害虫による被害を防ぐ対策も講じなければなりません。

 なによりもまず、耕地の地力を高める運動を力強く展開すべきです。

 我が国の耕地は、長いあいだ毎年農作物を栽培してきたため、全般的に地力が衰えています。耕地を十分に肥やして地力を高めてこそ、農業生産を高度に集約化し、ヘクタール当たりの穀物収量を高めることができます。

 我が国の耕地面積は、極めて限られています。果樹園を除いて穀類作物を栽培できる面積は150万ヘクタールにもなりません。トウモロコシ畑を70万ヘクタール、水田を60万ヘクタールとみれば、その面積は130万ヘクタールですが、これは食糧問題を解決するうえで我々の命の綱です。

 耕地は限られているのに、人口は毎年増大しています。少ない耕地で農業を営み、全人民にひとしく食糧を供給するというのは容易なことでありません。

 我々は、現在の耕地で農業に精進して全人民にみちたりた食生活をさせなければなりません。もちろん、対外貿易を発展させ、外国から食糧を輸入して需要をみたすこともできますが、それは確実性のないことです。他の国を頼りにしていて、その国が食糧を売ってくれなければ、そのときには方法がありません。食糧は自給自足するのがいちばんです。やがては海面干拓をさらにおこない、段々畑もさらにつくらなければなりませんが、さしあたっては現在の耕地の地力を高めて穀物生産の増大をはかるべきです。

 耕地の地力を高める問題は、いまになってこと新しく提起していることではありません。私は、我が国でトウモロコシを大々的に植え始めた当初から、この問題を強調してきました。

 停戦直後にしても、平安南道ではトウモロコシをあまり栽培せず、粟をたくさん栽培しました。粟は収量が高くない作物です。粟は、ヘクタール当たり0.8〜1トンが限度です。我が国の畑作穀物のうち最も収量の多い作物はトウモロコシです。それで私は戦後、国の厳しい食糧問題を解決するためには、粟のかわりにトウモロコシを多く栽培すべきだと考え、1956年の初めに平安南道价川(ケチョン)郡竜鎮(リョンジン)里へ行って農民と協議したのですが、地元農民は頑として受け付けませんでした。竜鎮里の一部の農民は、畑には粟を植えるべきであって、トウモロコシは出来がよくないといいました。数日後、价川郡党代表者会議に参加したのですが、そこでもトウモロコシの栽培に反対する意見が少なくありませんでした。ところが、その会議で宝富(ポプ)里のある老人が立派な発言をしました。かれは、党に従う私たちが、党からトウモロコシを栽培せよといわれれば栽培すべきであって、なんのために収量の低い粟の栽培にこだわるのか、党の指示どおりにして損をしたことがあるか、トウモロコシを栽培すれば2トンはおろか5トンでも収穫できる、といって、トウモロコシを多く栽培しようという党の要求を積極的に支持しました。私は、いまもかれの発言を忘れていません。

 かれは、党にたいへん忠実な人でした。かれは解放直後、土地改革法令が発表されると、金日成将軍が地主の土地を没収して農民に無償で分け与えてくれるのだから、将軍を信頼して精いっぱい働いてみるといって、貧農たちで農村委員会を組織し、土地改革の先頭に立ちました。かれは戦時中にも前線援護活動に熱心に取り組み、戦後の農業協同化運動の時期にも先頭に立って活動しました。

 私は价川郡党代表者会議を指導するとき、「トウモロコシは畑作の王者である」というスローガンを示しました。そして、平安南道をはじめ、全国の各道でトウモロコシを大々的に栽培するようはからいました。

 トウモロコシ栽培を実践する段になると、坪当たりの株数をどれくらいにするかということをはじめ、いろいろな問題が提起されました。それで私は、坪当たり12株ずつ植えるのがよいと言いました。いまは坪当たり30株まで植えていますが、当時は12株植えるのに反対する人が少なくありませんでした。ある日、平安南道の人民委員長が私を訪ねてきて、トウモロコシを坪当たり12株植えよというのは納得できない、8株にするのが最適だというのでした。それで私は、トウモロコシを坪当たり8株植えては粟を植えるのと大差はないではないか、党が決定したことなのだからそのとおり12株植えるのがよいといいました。かれもその年のトウモロコシ栽培状況を見てからはじめて、坪当たり12株植えるのが適当だといって賛成しました。かれの理論によれば、トウモロコシは地中の栄養素を多く吸収するので、密植すると輪作をしなければならないというのでした。

 平安北道の人民委員長も、我が国で営農実績をあげるには、外国でのように休耕法を導入すべきだといいました。かれは解放前、水原(スウォン)高等農業学校を卒業した人ですが、一時内閣の農業参事を務めた後、平安北道人民委員長になりました。あるとき、かれがソ連に行ってよい農法を学んできたというので、かれに会って何を学んできたかと問うと、ソ連では土地を一年間休耕して次の年に作物を栽培する方法を用いているが、我が国でもそういう方法で農業を営むべきだというのでした。それで私は、耕地が限られている我が国でそういう方法で農業を営んでは人民に食糧を供給することができない、と批判しました。

 トウモロコシの大々的な栽培と関連して意見が少なからず提起されるので、一度はソ連から院士、博士といった農学者を何人か招請し、トウモロコシ栽培の問題について協議してみました。私はかれらに、我が国の一部の幹部はトウモロコシ栽培で成果をあげるには1年おきに休耕をしなければならないといっているが、我が国は耕地が少ないのでソ連のように土地を1年間遊ばせて農業を営むわけにはいかず、毎年輪作をすることもできない、ヘクタール当たりの収量が高いトウモロコシを連続栽培しなければならないのだが、なにか方法がないだろうかと問うと、耕地の地力さえ高めればトウモロコシを毎年栽培しても多収穫をおさめることができるといいました。かれらは、自分たちの国でも自留地では1年おきに休耕をしなくても穀物がよく実るが、それは自留地に堆肥をたくさんほどこし、農家から出る灰やちゅうかい(=厨芥 炊事場から出る、野菜・魚介などのくず)などをまいて地力を高めているからだといいました。私は、かれらのいうことが正しいと思いました。

 耕地の地力を高めながら肥料を十分にほどこせば、輪作をせずトウモロコシを連作しても収穫高を増やすことができるというのは科学的な道理です。

 私がきょう、過去の歴史を改めて長々と話すのは、みなさんに地力を高める問題の重要性をはっきり認識させるためです。みなさんが私と思想的に一致しなければ、耕地の地力を高める事業を党の意図にそって立派に進めることができません。

 耕地の地力を高めるためには土入れをしなければなりません。

 土入れは、耕地の地力を高めるよい方法です。土入れは腐植土の混じった土なら申し分ありませんが、末耕作地の土でもかまいません。未耕作地の土にも作物の生育に必要な各種の微量要素が含まれているので、土入れをすればそれだけ地力が高まります。以前は土入れをよそから土を田畑に運び入れるので、客の土という意味で客土作業といっていましたが、後に私が土入れと呼び改めるようにしました。

 農民は、昔から土入れをしながら農業を営みました。私が幼いころ、祖父は毎年山に登って芝生の土を掘り取って背負い子で運んでは田畑に敷いていました。そして、春、夏、秋と1回ずつ畑の周囲に溝を深く振り、雨が多く降っても畑に水が溜まらないようにしました。当時、農民は、窒素肥料だの、燐酸肥料だの、カリ肥料だのという言葉も知りませんでしたが、田畑に土入れをし、堆肥や灰をほどこして農業を営みました。

 協同農場では以前、一定の期間多少土入れをしていましたが、ここ数年のあいだは一度も土入れをしていません。こうしてみると、農村の幹部や農民には主人としての自覚が足りません。

 私は土入れをすればどんな効果があらわれるかを実物で見せるため、人民軍隊のある部隊に、協同農場がやせ地として放置した斜面畑に土入れをしてトウモロコシを植えるよう指示しました。部隊では、私の指示どおり斜面畑に土入れをしてトウモロコシを植えたところ、今年、大豊作になりました。ヘクタール当たり平均9.5トン、畑によっては12トンまで収穫しました。この部隊に協同農場より多量の化学肥料を供給したわけでもありません。協同農場と同じように窒素肥料をヘクタール当たり800キログラム程度ゆきわたるように供給しました。軍人の営農経験からすると、今年、日照率が低くて農作がふるわなかったというのは論外です。もちろん、日照率が低ければ営農に支障があるのは事実ですが、土入れをして田畑の地力を高めれば、不利な気候条件のもとでも十分ヘクタール当たりの収量を高めることができます。

 土入れはしてもしなくてもかまわないというものではありません。土入れは必ずしなければなりません。我が国において水利化が完成された状況のもとで、土入れをどのようにするかによって、ヘクタール当たりの穀物収量が左右されるでしょう。

 協同農場では土入れで手ぬきをしてはなりません。土入れを科学技術上の要求に即して実質的におこなってこそ、効果があらわれます。

 このたび、農業委員会が烽火協同農場で上入れの方式講習をおこないましたが、これはたいへんよいことだと思います。私も数日前に出かけて見ましたが、土入れの方式講習がうまくいったようです。

 土入れをどのくらいの厚さにするかということですが、厚くするのに越したことはありません。欲をいえば、10センチの厚さにすることです。そのためにはヘクタール当たり1500トンの土を運んで敷かなければなりません。7センチの厚さにしても悪くありません。土入れを7センチの厚さにすれば、「チョンリマ」号トラクターが15センチの深さで耕すので、耕転層の半分を他の土と入れ替えることになります。

 土入れでは、ヘクタール当たり腐植土の混じった山ろくのやわらかい土と川床の泥土は1000トン、未耕作地の土は1500トン敷くことにすべきです。精いっぱい努力して、ヘクタール当たり2000トン敷ければそれに越したことはありません。このように、すべての田畑に土入れをすれば、これまで土入れをしなかった埋め合わせをすることができます。

 土入れは、すべての田畑に無条件おこなう原則で実行すべきです。小区画の畑とか斜面畑だからと、土入れの対象から除外してはなりません。大紅湍(テホンダン)郡総合農場でも土入れをするかという問題が提起されましたが、やや少なめにすることはできても、その農場だからと例外にはなりません。大紅湍郡総合農場では、川床の泥土を掘って畑に敷くべきです。大紅湍郡総合農場でも土入れをすれば、いまよりもっと営農実績をあげることができます。

 新渓(シンゲ)ミル台地では、土入れよりも消石灰をほどこすほうが効果的です。新渓ミル台地は土地が酸性化して、農作物がよく育ちません。新渓ミル台地の畑に消石灰をヘクタール当たり10トンほどこせば、土壌の成分がよくなり、ヘクタール当たりの収量が著しく増えるはずです。

 江原(カンウォン)道では土入れを平野地帯にとどめ、洗浦(セポ)台地と准陽(ヘヤン)、平康(ピョンガン)一帯では、消石灰とカーバイドのかす、苦灰石をヘクタール当たり10トン敷くことにすべきです。

 咸鏡(ハムギョン)南道では、酸性化した土地にカーバイドのかすをヘクタール当たり5〜10トン敷くといっていますが、5トンはあまり少なすぎます。酸性化した土地には、カーバイドのかすを10トン以上敷かなければなりません。

 すべての田畑に土入れをするというのは容易なことでありません。ですから、土入れを1年間で終えようとせず、2年がかりでおこなうべきです。いまからはじめて来年の3月まではトウモロコシ畑を対象にし、来年の秋から1992年の春までのあいだは水田を対象にして土入れを全部終えるべきです。干拓地の水田には土入れをする必要がありません。

 水田の土入れは来年の秋から着手するので、「豊年(プンニョン)」号トラクターを提供し、来年の春には水田を深く起耕すべきです。

 1、2年内にすべての田畑に土入れをすれば、以後はヘクタール当たり8トン以上の穀物を収穫するのは問題ありません。籾米とトウモロコシをヘクタール当たり8トンずつ収穫すれば、60万ヘクタールの水田では480万トンの籾米を生産し、70万ヘクタールの畑では560万トンのトウモロコシを生産することができます。我が国で年に1000万トンの穀物を生産すれば、食糧と家畜用飼料を十分に取っておいても数百万トンの穀物を備蓄することができます。こうなれば、人民に白米のご飯に肉汁を食べさせることができ、人民の生活水準がかつての富裕な中農の水準以上に達し、我々は社会主義の高峰をきわめることになります。

 すべての田畑に土入れをするのは雄大な大自然改造事業であり、人民の生活を豊かにしようという党の遠大な構想を実現するための誇らしい事業です。党と人民大衆が一つにかたく統一団結している我が国でのみ、このように困難かつ膨大な事業を1、2年のあいだになし遂げることができるのです。他の国では、このようなことは考えも及ばないでしょう。

 我が党は、人民の幸せのためにたたかう党であり、幹部の革命的本分は人民に忠実に奉仕することです。

 金正日同志は、人民の生活を豊かにするため、よいことをたくさんしています。金正日同志は、私の誕生80周年までに平壌市の住宅問題を円滑に解決するため、5万所帯の住宅建設を発起し、統一通りの建設を力強く推進しています。年内に3万所帯の住宅骨組みの組立てを終えることができるといっていますが、これはたいへん喜ばしいことです。平壌市に5万所帯の住宅を建設するのは、南朝鮮の人民にもよい影響を与えています。平壌市に5万所帯の住宅が建設されるというニュースが伝わるや、南朝鮮の人民は自分たちにも住宅を建設してくれと当局に要求しているそうです。現在、南朝鮮には自分の家がない人が全人口の半数を占めているそうです。

 すべての幹部は、人民の忠僕としての本分を忘れず、人民のためにより献身的に働かなければなりません。幹部が強く決心して取り組み、土入れ作業を威勢よくやり遂げるべきです。

 土入れ作業を大衆あげての運動として力強く展開すべきです。

 すべての田畑に土入れをするのは極めて膨大な作業なので、協同農場員の力だけでは成功裏におこなうことができません。全党、全民、全軍が、奮起して土入れ作業を力強くおし進めるべきです。

 党では、私がこの会議で結論をくだせば直ちに土入れ作業に全党、全民、全軍を総動員するといっています。土入れ作業には、食糧の供給を受けるすべての人が参加しなければなりません。原料と資材の不足で正常に稼働できない工場、企業所の従業員も動員し、金曜労働の参加者も協同農場に出て、土入れ作業に参加すべきです。人民軍軍人や社会安全員も土入れ作業に動員しなければなりません。

 土入れ作業は、自力更生の原則でおこなうべきです。これまで我々は、自力更生の革命精神をもって多くの困難な仕事をなし遂げ、多くの記念碑的建造物を築きあげました。普通江(ポトンガン)改修工事も自力更生の革命精神でおこない、西海閘門の建設と800キロの水路工事も自力更生の革命精神でなし遂げました。現在、国の燃料油が不足ぎみでトラクターをはじめ、運輸機材を土入れ作業に多く動員できない状況のもとで、幹部は上部から供給してもらえなくても自分の力でやり遂げるという覚悟をもって、人力運搬ででも土を運んで敷くべきです。

 土入れ作業では、郡党責任書記が先頭に立つべきです。

 なにごとにおいても、幹部が率先垂範して大衆を導くことが大切です。解放直後,普通江改修工事のときにも、幹部が背負子を肩にして先頭に立ちました。普通江改修工事は大水から平壌市を守るための大自然改造事業でした。解放前の普通江は、雨期に雨が少し降っても大水になりました。そのため毎年、土城廊(トソンラン)一帯が水害に見舞われ、多くの人が家を失って野天にさらされたり、貴い命を失ったりしました。解放後のある日、土城廊へ行って見ると、人々は掘っ立て小屋のような家でたいへん苦しい生活をしていました。

 私は、平壌市を大水から守らねばならないと考え、1946年5月、普通江改修工事を発起しました。水害を防ぐためには、普通が原をぬっている流れを八谷(パルゴル)橋の方へ回さなければならないのですか、当時、我々にはそういう膨大な工事のできる物質的・技術的手段がありませんでした。我々は、この工事を大衆的運動としておこなうことにしました。私は北朝鮮臨時人民委員会委員長として先頭に立つべきだと思い、シャベルを肩にして工事現場へ出て、初のくわ入れをおこないました。これに励まされた平壌市民は、こぞって立ち上がり、愛国的労働に参加して工事を短期間に完成しました。現在、普通江改修工事標識碑のあるところが、私が工事現場へ行って初のくわ入れをした場所です。普通江改修工事が完成されると、土城廊一帯の住民はあまりのうれしさに万歳を唱えました。1946年の夏は多量の雨が降りましたが、平壌市はなんの被害もこうむりませんでした。当時、我が国に来ていた外国人も、普通江改修工事をしなかったなら今度の長雨のとき水浸しになるところだったといって、我々が普通江改修工事をしたことをたいへん喜びました。かつては人の住めないところといわれていた土城廊が、いまでは、壮麗かつ近代的な街に変わりました。普通江畔には、人民文化宮殿や体育館、清流(チョンリュ)館など近代的な建築物がずらりと立ち並びました。

  郡党責任書記は、解放直後、普通江改修工事のときに幹部と人民が発揮したあの精神で今度の土入れ作業に積極的に参加すべきです。郡党責任書記は、作業着をまとい、ズック靴を履き、大衆の先頭に立って土を運び、組織・政治活動を綿密におこなって、郡内のすべての力を土入れ作業に総動員すべきです。郡党責任書記は、背負い子で土を運ぶ覚悟で今度の土入れ作業に参加すべきだと思います。

 今回の会議で郡党責任書記と道農業経営委員長はそろって、自分の郡と道に課された土入れ作業課題を遂行すると決意しましたが、これは非常によいことだと思います。みなさんは、その決意を必ず実践に移すべきです。

 耕地の地力を高めるためにはまた、微量要素肥料を多くほどこさなければなりません。

 耕地の地力を高めるうえでは、微量要素肥料を多くほどこすことが極めて重要です。籾米とトウモロコシの1000粒当たりの目方が少ないのは、田畑に燐酸、カリ、マグネシウム、珪素の成分とともにマンガン、銅、ホウ素、亜鉛などの微量要素の不足と関係しています。微量要素肥料を田畑に多くはどこせば地力が高まるので、土入れをひきつづきおこなわなくてもすみます。土入れは少なくとも5年に一度はしなければなりませんが、いつまでもそうするわけにはいきません。今後は、微量要素肥料を大量生産して田畑にほどこす方法で、耕地の地力を高めていくべきです。

 政務院では微量要素肥料の供給対策案を作成して提出しましたが、そのとおりに実行するのかよいでしょう。ところが、対策案では硫酸銅が所要量より少ないのが問題です。硫酸銅は農作物の生育において不可欠の微量要素肥料です。来年は硫酸銅を所要量どおり供給できないとしても、その後は十分に供給すべきです。そのためには、硫酸銅の生産を増やす対策を講じなければなりません。工場、企業所では、微量要素肥料の生産計画を間違いなく遂行すべきです。

 微量要素肥料は、営農期に関係なく年中を通して生産し、田畑にほどこすべきです。微量要素肥料は、ほどこした年に農作物が全部吸収するのでなく、地中で持続的に効果をあらわすので、農作物が育たない季節にほどこしても大丈夫です。

 有機質肥料も大量生産して田畑にほどこすべきです。

 微量要素肥料ばかりほどこしては、田畑の地力を高めることができません。田畑の地力を高めるためには、微量要素肥料を多くほどこすとともに、有機質肥料をヘクタール当たり20トンほどこさなければなりません。有機質肥料の問題は、堆肥を生産する方法でも、また土補酸肥料を生産する方法でも解決できます。堆肥も多く生産し、土補酸肥料も量産すべきです。

 協同農場では、堆肥の生産源を最大限に動員して堆肥の生産を極力増やすべきです。

 これからは、稲わらを堆肥の生産に回すべきです。稲わらを刻んで積み上げ、消石灰をふって腐らせれば良質の堆肥になります。60万ヘクタールの水田でヘクタール当たり8トンの籾米を生産すれば、480万トンの稲わらが得られますが、それで堆肥を生産すれば、水田にヘクタール当たり10トン以上ほどこすことができます。稲刈り後、田野で稲わらをもって堆肥をつくるためには、移動式稲脱穀機と稲自脱コンバインをたくさん製作して供給しなければなりません。外国から購入した稲自脱コンバインを見ましたが、悪くありません。だからといって、必要な稲自脱コンバインを全部輸入するわけにはいきません。稲自脱コンバインを生産する合弁工場を設け、そこで生産されるものを国内でも利用し、外国にも売ればよいでしょう。

 土補酸肥料を大量に生産すべきです。

 現在、協同農場の堆肥生産源は限られています。今後、畜産業を発展させて堆肥の生産を増やし、稲わらを全部堆肥の生産に回すとしても、田畑と果樹園に有機質肥料をヘクタール当たり20トンほどこすのは無理です。協同農場で田畑にヘクタール当たり20トンの堆肥をほどこしているといいますが、それは信じられない数字です。田畑と果樹園に有機質肥料を十分にほどこすためには、土補酸肥料を量産しなければなりません。土補酸肥料は格好の有機質肥料です。以前、ある国の技術雑誌を翻訳、録音したものを聞いてみると、石炭は草や木などの有機物質が炭化して形成されたものなので、粉砕し酸化処理してアンモニア水をふりかければ良質の有機質肥料になるという資料がありました。それで科学者に、石炭を利用して肥料をつくる課題を与えました。その後、科学者が褐炭で肥料をつくったのですが、その肥料が土地を肥やす補薬にひとしい肥料という意味で、土補酸肥料と名付けました。土補酸肥料1トンは、良質の堆肥10トンに相当します。したがって、土補酸肥料をヘクタール当たり2トンほどこせば、堆肥を20トンほどこすのと同じです。土補酸肥料がすぐれていることは、すでに実践を通して証明されています。

 すべての田畑に土補酸肥料をヘクタール当たり少なくとも1、2トン以上はほどこすべきです。政務院では、土補強肥料の所要量を正確に見積もって、それを生産、供給する対策を立てるべきです。

 現在の土補酸肥料生産基地を整備、補強し、新たな生産基地をさらに築いて土補酸肥料の大量生産をはかるべきです。

 来年、土補酸肥料を安州(アンジュ)地区炭鉱連合企業所で50万トン、金野(クムヤ)青年炭鉱で15万トン生産すべきです。安州地区炭鉱連合企業所の土補酸肥料生産能力が50万トンであるなら、能力をそれ以上増やさず、生産を正常化すべきです。現在、安州地区炭鉱連合企業所では土補酸肥料を運び出さないため、生産に支障をきたしているとのことですが、早急に輸送対策を立てて土補酸肥料を運搬すべきです。安州地区炭鉱連合企業所で土補酸肥料を50万トン生産すれば、平安南道の需要をみたしても余るでしょう。安州地区炭鉱連合企業所で生産する土補酸肥料を黄海南道に25万トン提供すべきです。咸鏡南道では、金野青年炭鉱で土補酸肥料を15万トン生産できるので、道の需要を自力でみたすことができます。咸鏡北道でも古站(コチャム)炭鉱と他のところで生産するのを合わせれば、約10万トンになるので、土補酸肥料の需要を道自体でみたすことができます。慈江(チャガン)道、両江(リャガン)道のように泥炭のある道は、泥炭で土浦酸肥料を年産すべきです。黄海北道と平安北道で土補酸肥料をどう解決するかが問題ですが、農業部門と当該部門の幹部が集まって土補酸肥料の生産対策を討議してみるべきです。黄海北道では鳳山(ホンサン)褐炭で土補酸肥料をつくることができるはずです。

 すべての田畑の地力を高め、ヘクタール当たり籾米とトウモロコシは8トン以上、ジャガイモは20トン以上生産しようというのが我々の目標です。みなさんは、私の誕生80周年を迎え、よいことをたくさんして私に喜んでもらうといっていますが、すべての田畑の地力を高めて穀物をヘクタール当たり8トン以上生産すれば、それがすなわち私にとって最大の喜びとなります。みなさんは、口先だけで私に喜んでもらおうと言わずに、仕事を立派にして人民に裕福な生活をさせるべきです。私は、白米のご飯に肉汁を食べ、絹の服を着てかわら家で暮らしたいという朝鮮人民の念願が一日も早く実現されることを望んでいます。人民の暮らしが裕福になれば、我が国の社会主義が勝利し、私も長寿が保てます。

 次に、溜水による被害を防ぐ対策をしっかりと立てるべきです。

 ここ数年間、干害を防ぐための水路工事は大々的に進めましたが、溜水による被害を防ぐ対策はこれといって立てられていません。

 一時我々は、溜水排除運動を少なからずおこないました。活動家はしばらくのあいだ溜水排除運動をおこないましたが、最近は投げ出してしまいました。活動に一貫性がなく、これをせよといえばあれを投げ出すといったような仕事の仕方をしては革命はできません。

 溜水による被害を防ぐうえで重要なのは、大同江にある閘門貯水池の用水管理を正しくおこなうことです。

 今年、西海岸地区の一部の道で溜水による被害をこうむったのは、気象条件に合わせて閘門貯水池の水位を調節しなかったことと関係しています。現在、大同江・河川運輸総局が仕事を正しくしていません。我が国では普通、7月から雨期に入ります。ですから、大同江・河川運輸総局は先を見通して雨期前に閘門貯水池の水を抜かなければならないのに、そうしませんでした。閘門貯水池の水を適時に抜かないので、閘門貯水池流域では雨が200ミリ程度降っても田畑が水に浸り、被害を受けるようになります。我々が大同江に、西海閘門をはじめ、いくつもの閘門を建設してあるので、閘門貯水池の水を調節すれば、大水は十分防ぐことができ、大同江流域の田畑が水に浸ることもなくなります。いまは、雨期に揚水機で田畑の溜水を大同江に流そうとしても、閘門貯水池の水位が高いのでそれができません。

 今後、大同江・河川運輸総局は、雨期に入る前に西海閘門と美林(ミリン)閘門、烽火閘門などの閘門貯水池の水をあらかじめ抜くようにすべきです。大同江・河川運輸総局の活動は、政務院総理がじかに掌握して正しく指導するのがよいと思います。

 大同江にある各閘門貯水池の水位を調節するのにともなって、工業用水施設を改造すべきです。

 現在、大同江にある工業用水施設は、閘門貯水池に水をみたさなければ利用できなくなっています。そのため、閘門貯水池の水位を基準水位より1.5メートル低くしようとしても、工場、企業所での工業用水が問題になるというので、それができないありさまです。工業用水施設だけでなく、潅漑用水施設や飲用水施設も同じです。

 工業用水と潅漑用水、飲用水施設を改造しなければ、雨期に閘門貯水池の水位を調節することができず、そうなると、今後も今年と同様、溜水による被害をまぬがれません。道党責任書記は帰り次第、現地に出向いて、閘門貯水池の水が最低水位にあるときにも水を汲み上げて使えるよう、工業用水と潅漑用水、飲用水の取水口を低くする工事を責任をもって手配すべきです。

 溜水排除のための工事も積極的におこなうべきです。多量の雨が降って水がすぐ引かずに溜まるところには場水場を設け、田畑に水が溜まれば適時に取り除けるようにすべきです。

 大同江の閘門貯水池の用水管理問題と溜水排除用揚水機の提供問題は、政務院で討議したとおりに実行すべきです。

 田畑のふちに溝を掘り、湿地帯を改良するのも重要な事業ですから、綿密に手配すべきです。この問題は、農業委員会が独自に討議して対策を立てるべきです。

 次に、野菜温室を多く建設して野菜の問題を円滑に解決すべきです。

 今年は野菜の出来が悪くて、キムチ用野菜を十分に供給できませんでした。平壌市では以前、キムチ用野菜を住民一人当たり100キログラム以上供給し、200キログラムを供給した年もありましたが、今年はそうできませんでした。我が国のことわざに、キムチは半ば食糧というのがありますが、平壌市が野菜の栽培をおろそかにして、市民にキムチを満足に漬けられなくしたのは大きな罪を犯したことになります。

 人民の食生活において野菜は非常に大切です。野菜を多く食べれば、ご飯の量が減り、病気にもかかりません。

 野菜の問題を円滑に解決するためには、キムチ用の野菜を十分に供給するほかに、冬期にも新鮮な野菜が食べられるよう対策を立てなければなりません。いまは一般的に、冬になるとキムチだけ食べ、他の野菜はあまり食べられませんが、それではいけません。野菜温室を建設して各種の新鮮な野菜を大量生産し、10月から翌年の3月までの6か月間、切らさず人民に供給すべきです。

 温室野菜を大量生産すれば、我が国を訪れる外国人にも野菜を十分に供給することができます。いま我が国には外国から観光客が多く来ますが、かれらはトマトやキュウリなどの野菜を求めます。冬期にトマトやキュウリを多く生産すれば、かれらの望みどおりに供給することができます。

 野菜温室を設けて、冬期に各種の新鮮な野菜を生産、供給するのは、幹部がさしあたり実行すべき重要な課題の一つです。

 温室野菜は、三池淵(サムジヨン)の人民軍軍人が上手につくっています。何年度だったか、三池淵へ行ってみると、軍人が野菜を満足に食べていませんでした。それでかれらに、温室を建てて野菜を栽培する課題を与えました。女性区分隊の軍人が先に温室を建てて野菜を栽培しはじめたのですが、そのときから三池淵の軍人は四季を通じて野菜を切らさず食べられるようになりました。かれらは温室野菜の栽培に精を出して、4月15日にはもちろん、金正日同志の誕生日にあたる2月16日にもキュウリやトマトを食べています。三池淵の軍人は、私が訪ねると、キュウリ、トマト、カボチャなどの野菜をたくさん収穫しては自慢しています。かれらは、平壌にまで野菜を送ってくれるほどです。以前は平壌市から三池淵の軍人に野菜を送っていましたが、いまは逆にかれらが平壌市に野菜を送ってくれています。

 私は軍人の経験を生かして野菜温室を建てるよう、三池淵郡の幹部に課題を与えました。いま三池淵郡では温室野菜の栽培を上手にしています。三池淵郡では温室を建て、各種の野菜を生産して郡内の住民と革命戦跡地の参観者に供給しています。

 かつて両江道では、野菜栽培が思うようにいかないので、キャベツやセイヨウアブラナばかり植えていました。両江道ではキムチ用の野菜を吉州(キルチュ)郡から運んでいきましたが、運搬の途中で凍らせたり腐らせたりして、人民に満足に供給できませんでした。それで、平壌から種子を取り寄せて両江道でも野菜をつくるようにしたのですが、いまは両江道の住民も白菜や大根を自力で生産して十分に食べています。

 党では温室野菜の栽培を広く一般化するため、幹部に三池淵の野菜温室を見学させました。ところが、一部の幹部は、三池淵の野菜温室を見学して帰っても、温室野菜を生産する仕事の手配を満足におこなっていません。こうしたことをみると、幹部に党と領袖への忠実性と、人民の忠僕として働く精神が足りないことがわかります。

 我々は、なんとしてでも野菜温室をたくさん設けるべきです。そうして、野菜を夏期には畑でつくり冬期には温室でつくって供給できるようにすべきです。

 冬期は、キュウリ、トマト、シュンギク、チシャ、青トウガラシなどの野菜を一人当たり1日200〜300グラム供給できるようにすべきです。これよりも多く供給できれば望ましいのですが、いまのところそれは無理です。温室野菜を冬期に一人当たり毎日200グラム供給する目標で仕事を手配すべきです。青トウガラシなどは少しずつ食べるものなので、たくさんつくらなくても切らさず供給することができるでしょう。

 温室を建てて野菜を上手につくれば、1ヘクタール当たり一度に50トンは生産できるはずです。野菜畑1ヘクタールでキュウリとトマトが30トン以上生産できるのですから、温室1ヘクタールで50トン生産できない理由はありません。

 野菜温室は、暖房温室も建て、太陽熱を利用する温室も建てるべきです。野菜の苗を育てる温室は暖房をきかし、苗を移植して育てる温室は太陽熱を利用しても大丈夫です。温室をフィルムできちんと覆えば、寒いときにも太陽熱を受けて5〜6度の温度は保てます。野菜温室の温度がときには5〜6度程度に下がることがあっても、チシャ、シュンギク、ホウレンソウ、白菜などの野菜は栽培できます。

 暖房をきかす温室で野菜の苗を育てて太陽熱を利用する温室に移植し、それが十分に育ったら収穫して供給し、再び苗を移植する方法で温室野菜をつくることができます。トマトやキュウリなどは、暖房温室で栽培するのがよいでしょう。

 野菜温室の暖房には、いろいろな熱源を利用することができます。三池淵の人民軍部隊の軍人は、温室にオンドルを導入したり、ペチカ式の暖房装置を取りつけ、生木を焚いて暖房をしています。

 野菜温室の建設を大衆的運動として力強くおし進めるべきです。野菜温室は、平壌市と各道都でも建設し、郡機関所在地でも、工場、企業所や協同農場でも建設すべきです。

 平壌市に野菜温室をたくさん建てるべきです。

 平壌は我が国の首都なのですから、四季を通じてキュウリ、トマト、白菜、タマネギなどいろいろな野菜を切らさず供給すべきです。

 平壌市に野菜温室をたくさん建て、四季を通じて野菜を切らさないようにすべきです。平壌市で10月から翌年の3月までの6か月間、温室野菜を一人当たり1日300グラム供給するためには、5万4000トンの野菜がなければなりません。温室野菜は一人当たり1日200グラム供給するのを標準としたので、その基準からみればこれより少なめに生産しても大丈夫です。

 平壌市で温室野菜を一人当たり1日200グラム供給するためには、1ヘクタールの温室で野菜を一度に30トン以上生産して三毛作をすることにしても、300ヘクタール以上の温室を建てなければなりません。

 平壌市では、野菜温室を江東(カンドン)地区に100ヘクタール、中和(チュンファ)郡に200ヘクタール建設することに見積もっていますが、中和郡に野菜温室を建設すれば、平壌市内に近くて都合はよいでしょうが暖房用の熱源がありません。中和郡には、野菜温室に焚く石炭もなければまきもありません。中和郡に野菜温室を設けて電気暖房をするというのは現実性がありません。野菜温室は、暖房用の熱源のあるところに建設すべきです。

 私の考えでは、江東地区に建設する野菜温室が100ヘクタールというのはあまり少ないようです。江東地区には約200ヘクタールの野菜温室を建設すべきです。江東地区には、野菜温室の暖房に利用できるボタがたくさんあります。野菜温室を暖めるには、発熱量の低い石炭でも大丈夫です。ペチカ式の暖房装置を取りつけ、ボタを焚いて暖めることができます。ペチカ式の暖房装置を取りつけた温室を壁オンドル温室と呼ぶのがよいでしょう。

 壁オンドル温室は、人民軍軍人が最初につくった野菜温室です。軍人は、野菜温室にペチカ式の暖房装置を取りつけて野菜を栽培するかたわら、豚の飼料の煮炊きをして豚も飼育しています。

 平壌市では、東平壌火力発電所を建設する地区にも野菜温室を設けるべきです。平壌市では、東平壌火力発電所から出る廃熱を利用して40ヘクタールの野菜温室を建設することを予定しているそうですが、やや少ない感がします。

 道都にも野菜温室を建設すべきです。

 咸興(ハムフン)市と清津(チョンジン)市、元山(ウォンサン)市、沙里院(サリウォン)市、新義州(シンイジュ)市、南浦(ナンポ)市、海州(ヘジュ)市、開城(ケソン)市など各道都に野菜温室を建設して野菜を大量に生産すべきです。各道では、道都中心部の人口に見合った野菜温室を建設すべきです。

 咸鏡南道では、咸興市に100ヘクタールの野菜温室を建設するくらいでは足りません。温室で三毛作をするとして、1ヘクタールでは野菜を約100トン生産できますが、100ヘクタールの野菜温室で生産するものでは、咸興市民に野菜を一人当たり1日200グラムは供給できません。咸鏡南道では咸興市民に温室野菜を十分に供給できるよう、野菜温室をより多く建設すべきです。

 咸鏡南道には高原(コウォン)炭鉱と金野青年炭鉱にボタがあるそうですが、それらの炭鉱は咸興市から遠くないので、ボタをトラックで運んで野菜温室の暖房用に利用できます。なにもせずに野菜を食べようとせず、ボタを運んで温室野菜を大量生産すべきです。

 海州市、沙里院市、元山市には、黒鉛状無煙炭を暖房に利用する野菜温室を建設すべきです。

 新義州市には熱源がないので、野菜温室を建設するには電気を多少使わなければならないでしょう。新義州市で野菜温室の暖房をどうするかという問題は、さらに討議する必要があります。

 各道では、政務院の提案どおり、野菜温室を無条件建設すべきです。

 郡機関所在地や協同農場でも野菜温室を設けてトマトなどを生産し、託児所や幼稚園、学校、病院に供給すれば申し分ありません。トマトには、各種ビタミンと糖分が含まれているので人体によいです。郡機関所在地や協同農場でも、一人当たり1日200グラムの野菜を供給できるよう、野菜温室を設けるべきです。

 協同農場では、野菜温室を農場単位で二棟くらい建てることもできるし、作業班ごとに一棟ずつ建てることもできます。協同農場では、野菜温室を斜面畑に設けるべきです。耕地を利用せず、山の斜面に建てれば、それに越したことはありません。妙香(ミョヒャン)山にいる軍人は、山の斜面に野菜温室を設けました。

 炭鉱、鉱山と工場、企業所でも野菜温室を建てるべきです。南浦市の工場、企業所では、廃熱を利用して野菜温室を設けることができるはずです。

 全国が動員されて、大衆的な運動として野菜温室を建設する運動を力強くくりひろげるべきです。野菜温室の建設は、今年からはじめて来年の秋までに終わらせ、来年の冬からは温室野菜の供給ができるようにすべきです。

 野菜温室の建設には、国家が多少投資すべきです。野菜温室の建設をすべて自力でせよというわけにはいきません。フィルムなどは国家が供給すべきでしょう。

 野菜温室の建設と関連した具体的な問題は、道党責任書記が帰りしだい協議会を開いて討議、決定するのがよいと思います。

 シイタケを大々的に栽培すべきです。

 シイタケは、人々の健康増進に非常によいものです。シイタケは、各種の薬効があり、味も美味です。

 医科学部門での研究によると、シイタケは、癌細胞の成長を抑えるそうです。我が国のある病院で2羽の兎の体内に癌細胞をひとしく移植したあと、一羽にはシイタケをひきつづき食べさせ、もう一羽にはシイタケを食べさせませんでした。約6か月後にその2羽の兎を検査してみると、シイタケを食べさせなかった兎は癌細胞が体中に広がりましたが、シイタケをひきつづき食べさせた兎は癌細胞が抑えられて広がりませんでした。

 シイタケは、感冒や動脈硬化の予防と治療に効果的であるそうです。先刻『医科学通信』に載った「シイタケの驚異的薬効」という資料が紹介されましたが、その資料にあるように、シイタケをつけた酒が感冒の治療に効果があります。シイタケは、動脈硬化症の予防と治療にも効果があります。動脈硬化症は、主に動脈壁にコレステロールが付着して生じますが、シイタケはコレステロールを分解する作用をします。

 シイタケは、我が国でたいへんよく出来ます。シイタケが人々の健康によいというので、軍人に試験栽培させてみたところ、上出来でした。現在、白頭山地区の軍人は、大きなシイタケ養殖場をつくってシイタケを大量に生産しています。

 シイタケは、栽培も簡単です。シイタケは、クヌギを伐って林の中に立て、そこに胞子をつけて水をかければよいのです。山の斜面に半穴ぐら式の温室をつくり、そこでシイタケを栽培すればもっとよくできます。

 シイタケを大衆的運動として栽培すべきです。野菜温室を建てるのと同じように、山の斜面に半穴ぐらをつくり、胞子を生産して供給すれば、シイタケを多く栽培できるはずです。シイタケは、郡機関所在地でも栽培し、協同農場でも栽培すべきです。

 次に、ガチョウを大々的に飼育すべきです。

 ガチョウは、少量の飼料で食肉をたくさん生産できる格好の家畜です。ガチョウは草食の家畜なので、夏には草原に放し飼いにし、冬は乾いたトウモロコシの茎などを粉砕して与えればよいのです。

 私は久しい前に、鶴山(ハクサン)ガチョウ牧場を設けてガチョウを多く飼うようにはからいましたが、その結果が良好です。これまでの数年間、協同農場で試験的にガチョウを放し飼いにしたところによれば、食肉1キログラムの生産に乾飼料が標準0.7〜0.9キログラムかかったそうです。ガチョウを科学技術的に育てた作業班では、食肉1キログラムの生産に乾飼料が標準0.5〜0.7キログラムしかかからなかったとのことです。

 現在、鶏肉1キログラムの生産に飼料が標準3キログラムほどかかり、豚肉1キログラムの生産に標準4キログラムほどかかりますが、ガチョウ肉1キログラムの生産に飼料が標準0.7〜0.9キログラムかかるのなら、ガチョウで肉を生産するほうが鶏や豚を飼うよりずっと有利です。

 ガチョウ飼育についての全国的な方式講習をおこなったそうですが、それはたいへんよいことです。今後、ガチョウ飼育運動を大々的にくりひろげ、ガチョウ肉を量産すべきです。

 いま人々は、家畜を飼育して食肉を多く生産しようと努力していません。かつて昌城(チャンソン)の人たちの生活が貧しかったので、かれらにどうすればよい暮らしをさせることができるだろうかを考えたあげく、ヤギとガチョウをたくさん飼ってみるようにといいました。昌城郡には農業を営める畑がわずかしかないが、草地は多いので、ヤギやガチョウなどの草食家畜を飼育すれば、食肉を多く生産することができます。それでヤギを送って、家ごとに育てるようにしましたが、頭数をいくらも増やせませんでした。昌城農業専門学校には、ガチョウを贈物として送ってガチョウ飼育運動をせよといいましたが、そのときからほぼ30年も経つこんにちにいたるまで、ガチョウの数をいくらも増やせず、種畜を維持している程度です。

 人民の生活を向上させるためには、家畜を多く飼育しなければなりません。ガチョウやアヒル、ヤギも飼育し、豚も多く飼育すべきです。

 人は幼いときから肉食をしてこそ背が高くなり、体が丈夫になります。我々は、祖国の未来を担っていくかわいい子供に託児所、幼稚園に通うときから食肉と栄養価の高い各種の食べ物をたくさん与え、背を早く伸ばし、体も丈夫に育てるべきです。

 私は、1984年に東欧諸国訪問の途につくとき、金正日同志とともに幹部を集めて会議を開き、子供を託児所、幼稚園のころから国家が受け持って保育している状況のもとで、幼児食品工場を充実させるよう強調しました。そして、外国訪問を終えて帰国後、再び道党責任書記たちに幼児食品の生産を発展させることについて強調しました。両江道へ出向いてはソラ豆を多く栽培し、それで豆乳を生産するよう強調しましたが、それも、みな子供を丈夫に育てるためでした。

 子供を丈夫に育てるためには、畜産業を発展させて食肉と牛乳の生産を増やすとともに、豆乳も大量生産しなければなりません。朝鮮人は、昔から牛乳を飲む習慣がありません。ですから、我々は豆乳を多く生産して子供に供給すべきです。

 各道が、豆乳生産基地を立派に築いて豆乳を多く生産し、託児所、幼稚園に供給すべきです。郡などでは、豆乳の生産に必要な大豆の生産、供給対策を立てるべきです。

 子供と人民に食肉と栄養価の高い各種食料品を円滑に供給するためには、道党責任書記と郡党責任書記が主人としての役割を立派に果たさなければなりません。

 道党責任書記と郡党責任書記は、党が方向を示し方法を教えれば、それに従って、活動を積極的に展開すべきですが、そうしていません。道党責任書記と郡党責任書記は人民委員長を兼任しているので、道と郡の主人であり、人民の忠僕であるにもかかわらず、その役割を十分に果たしておらず、生活力がありません。幹部にどれほど生活力がないかということは、蛋白質飼料の問題を解決するために努力していないところにもあらわれています。私は久しい以前、養鶏工場でミミズを繁殖させて蛋白質飼料の問題を解決することを強調しました。ところが、幹部はそれを満足に実行していません。

 人民軍軍人は、私がなにか課題を与えると、どんなことがあってもやり遂げます。私は、三池淵へ行ったとき、そこの軍人に谷間の寒流を利用して魚を育てる課題を与えました。かれらはイワナのふ化に成功しましたが、ふ化した稚魚がなにを食べて成長するのかわかりませんでした。稚魚は、配合飼料も食べず、どんな餌をやっても食べませんでした。かれらは研究と試験を重ねた結果、イワナの稚魚の飼育法を探し出しました。こうしていまは、毎年多くのイワナを胞胎(ボテ)川と小白水(ソペクス)、小紅湍水(ソホンダンス)、鯉明水(リミョンス)などに放流しています。なにごとであれ、決心して取り組み、懸命に努力すればすべて解決することができます。この世に努力してできないことはありません。

 畜産業の発展で最も重要なのは、蛋白質飼料の問題を解決することです。蛋白質飼料の問題を解決するにはなによりも、農業を立派に営んで穀物生産を増やさなければなりません。農業を立派に営んで穀物を大量生産するのが、飼料問題の解決で基本です。これとともに、ミミズも繁殖させ、いろいろな方法で蛋白質飼料の問題を解決する対策を立てるべきです。魚粉を生産して蛋白質飼料の問題を解決しようとしてはなりません。食肉を得るために魚を粉砕して家畜に与える必要はありません。

 道党責任書記と郡党責任書記は、強い責任感をもって畜産業を発展させ、幼児食品の生産を増大させるため積極的に努力しなければなりません。

 次に、柞蚕を大いに飼育すべきです。

 柞蚕を飼育して繭を量産すれば、人民生活の向上に必要な外貨を少なからず得ることができます。柞蚕糸は家蚕糸に劣りません。現在、柞蚕糸はトン当たり2万7000ドルであり、絹糸をとるときに出る副蚕糸はトン当たり2500ドルだそうです。したがって、柞蚕の繭を1万トン生産するだけでもかなりの外貨が得られます。柞蚕の繭1万トンなら500トンの絹糸と400トンの副蚕糸が得られますが、それを輸出すれば約1400万ドルの外貨を得ることができます。

 柞蚕のさなぎも役に立ちます。柞蚕のさなぎは煎ったり調理して食べることもでき、油をとることもでき、油をとったかすは家畜の飼料に利用できます。以前、私が撫松に住んでいたとき、中国人は蚕のさなぎを煎ってたくさん売っていました。

 人民生活の向上で繭の生産を増大させることが重要なので、私はこれまで家畜とともに柞蚕も大いに飼育するよう強調してきました。ところが、いまだに柞蚕を積極的に飼育しているところが多くありません。これは、幹部が党の方針を実行するため懸命に努力していないことを示しています。幹部は、柞蚕の飼育をないがしろにせず、大衆的運動として積極的にくりひろげるべきです。

 柞蚕の飼育はむずかしいことではありません。柞蚕の保護、飼育についての科学映画を見てわかるように、柞蚕も家蚕のように屋内や仮小屋で飼育することができます。柞蚕を屋内や仮小屋で飼育すればいろいろな面で有利です。柞蚕を山で飼育する場合にはいろいろと困難な問題が提起されますが、屋内で飼育すれば、これといった問題がありません。私は今度、柞蚕の保護、飼育にかんする科学映画を見て、柞蚕も家蚕のように屋内で飼育できるという確固とした結論を得ました。これで柞蚕の飼育法が科学的に実証されたのですから、全国的に柞蚕の飼育を大々的におこなうことを奨励すべきです。

 柞蚕は、どの道でも飼育すべきです。我が国にはクヌギがどこにもあります。クヌギがないか少ない地方では、柳や白樺でも養蚕が可能です。実験の結果によると、柞蚕の飼料としてコウライキヌヤナギを利用すれば、クヌギを利用したときよりも、かえって繭の生産期日を短縮することができ、繭もずっと大きいそうです。

 両江道では、コウライキヌヤナギを利用して養蚕を大々的におこなうことができます。両江道にはコウライキヌヤナギがたくさんあります。両江道には柳が多いので、私は地元の幹部に柳でかごをはじめ、各種の製品を生産して収益を得る課題を与えたこともあります。

 両江道では、コウライキヌヤナギで養蚕を上手にすれば、多額の外貨を獲得して人民生活を向上させることができます。山間地帯の両江道で多額の外貨を獲得できる方途の一つは、養蚕をさかんにすることです。

 私は、両江道の住民の生活を豊かにするよい方途がみつかったので、どんなにうれしいかわかりません。

 両江道では養蚕を積極的におこなうべきです。今後、両江道では、柞蚕の繭を1000トン以上生産すべきです。柞蚕の繭が1000トンなら絹糸50トンとることができ、副蚕糸を40トン得ることができますが、それを輸出すれば約140万ドルの外貨を得ることができます。

 両江道では、コウライキヌヤナギをたくさん植えて蚕の飼料を確保すべきです。コウライキヌヤナギは、白樺より繁殖も早く、生育も速いです。コウライキヌヤナギを川辺に多く植えるべきです。コウライキヌヤナギは生育が速いので、川辺に多く植えれば蚕の飼料を解決するうえでも有益であり、土地の流失を防ぐうえでも有益です。結局一石二鳥ということになります。両江道ではコウライキヌヤナギだけでなく、クヌギもたくさん植えるべきです。他の道でもクヌギやコウライキヌヤナギを植える運動をくりひろげるべきです。

 慈江道でも柞蚕の飼育をさかんにすべきです。いま慈江道では、家蚕のみに偏して柞蚕の飼育をないがしろにしています。耕地の少ない慈江道では、なんとしてでも養蚕などを大いにおこなってよい暮らしをすることを考えるべきです。努力せずに腕をこまぬいていては、いつになってもよい暮らしができません。

 慈江道では、繭を1万トン生産するだけでもよい暮らしができます。1万トンの繭から絹糸をとって輸出すれば大量のトウモロコシを輸入することができます。今後、慈江道で多くの外貨を獲得してトウモロコシを60万トン輸入すれば、数十万トンを家畜の飼料にまわすことができるはずです。そうなれば、食肉を量産して人民に供給することができ、各種の食肉加工品も生産して売ることができます。

 平安南道でも、柞蚕の飼育をさかんにすべきです。

 柞蚕の飼育は、郡機関所在地と炭鉱、鉱山の家庭婦人で作業班を組織しておこなうべきです。協同農場員は柞蚕の飼育に動員せず、現在のように家蚕を飼うようにすべきです。

 柞蚕を大々的に飼育するためには、蚕卵を量産する対策を立てなければなりません。

 いまは、柞蚕を多く飼育しようとしても、蚕卵を十分に供給することができません。各道では、確保ずみの柞蚕の卵で養蚕をおこない、来年に蚕卵を最大限に増やすようにすべきです。今後、蚕卵を増やせば、柞蚕の繭を1万トンはおろか2万トン、3万トンでも生産できるでしょう。

 養蚕を大衆的運動として展開するためには、蚕業にかんする科学研究をさらに強化しなければなりません。

 蚕業部門には、まだ解決を要する科学技術上の問題がたくさんあります。蚕の飼料問題をとってみても、さらに研究し、解決すべきことが残っています。外国では、人工飼料をつくって養蚕を大々的におこなっているそうです。我々は、現在の状態に満足して足踏みしているわけにはいきません。チュチェ思想は、人民大衆の自主的志向に合わせてたえず新しいものを創造していくことを要求します。蚕業部門の科学者、技術者の責任感と役割を高め、広範な大衆の創意を発揮させて養蚕の方法をさらに改善し、良質の飼料をより多く探し出すようにすべきです。

 人民生活を向上させるため、市、郡で外貨獲得運動を強力に展開すべきです。

 我々は、すでに各市、郡に年間の外貨獲得課題を与えました。

 市、郡が、その課題どおり外貨を獲得すれば、それで数千トンの大豆を輸入することができます。市、郡で大豆を数千トン輸入すれば、郡内の住民に規定した1日当たりの基準量どおり食用油を供給しても余ります。大豆さえあれば食用油だけでなく、みそ・しよう油と豆腐もつくって供給できます。食用油をとった豆粕は、立派な蛋白質飼料になります。豆粕をニワトリやアヒルの飼料にまわせば、卵と食肉を量産して人民に供給することもできます。こうすれば、人民の食生活を著しく高めることができます。

 市、郡では、それぞれの市、郡に必要な大豆の輸入に要する外貨を獲得する運動を社会的運動として力強くくりひろげるべきです。市、郡が獲得した外貨は他に使わず、当該市、郡の人民生活の向上にあてるべきです。

 市、郡が外貨獲得の目標を達成するか否かは、市・郡党責任書記が仕事をどのように展開するかにかかっています。市・郡党責任書記は、人民生活に責任をもった主人としての高い自覚をもち、責任をもって仕事にあたるべきです。

 道党責任書記は、道内の子供や住民にキャンディーを供給すべきです。道党責任書記は、穀物加工工場を稼働させてキャンディーを生産する一方、外貨を獲得して砂糖を輸入する対策も立てるべきです。

 人民の生活を向上させるためには、軽工業第一主義の方針を実行して織物と靴の生産を大幅に増やさなければなりません。我が国で綿を多く栽培していない状況のもとで、織物生産を増大させるためにはビナロンとスフを量産しなければなりません。このたび政務院でビナロンとスフなどの化学繊維と靴の生産問題を討議し、来年度の生産計画とその実行対策を立てました。ビナロンとスフなどの化学繊維と靴の生産問題は、政務院の対策案どおり実行するのがよいと思います。

 今回の会議で貿易問題も討議するつもりでしたが、時間の関係で明日、協議会を開いて別途に討議しようと思います。

 いま社会主義諸国が、ほとんど資本主義化し、市場経済を取り入れている状況のもとで、今後はそれらの国とこれまでのような方法で計画的な貿易をすることは不可能になりました。最近、政務院総理が外国を訪問しましたが、その国でも我々との貿易で信用状を発行しようと提起したそうです。貿易で信用状による清算、決済をしようというのは、結局、現金払いでなければ商品をくれないということです。これは、資本主義的貿易方法です。したがって、我々もこれに即応して貿易事業の対策を立てるべきです。

 情勢の変化に応じて貿易事業を発展させるうえで最も重要なのは、対外貿易で信用を得ることです。

 我々は、党の貿易第一主義の方針を実行し、対外貿易で信用を失わないようにすべきです。

 今回の中央人民委員会では、耕地の地力を高める問題をはじめ、多くの重要な問題を討議しました。ですから、中央人民委員会の決定を具体的に作成して下達すべきです。

 中央人民委員会の決定には、耕地の地力を高めるため、1992年まで全国的に田畑の土入れを完了することと、市、郡別の土入れ課題と工場、企業所別の微量要素肥料の生産課題を明確に示すべきです。また、道都に温室を建設し、毎年、温室野菜を生産する量も明示すべきです。郡機関所在地と協同農場に野菜温室を設ける問題は、中央人民委員会の決定に明示する必要がありません。

 溜水排除対策を立てる問題は、政務院の決定として下達すべきです。また、ガチョウの飼育と養蚕、外貨獲得運動などは、社会的運動としてくりひろげるようにするのかよいでしょう。

 今回の中央人民委員会の決定が発表されれば、それに呼応してこぞって奮起し、大衆的運動で耕地の地力を高める運動を力強くくりひろげるべきです。

出典:『金日成著作集』42巻


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