金日成「朝鮮労働党建設の歴史的経験」


1 党創立のための朝鮮共産主義者の闘争

 我が党は深い歴史的根源をもつ党であります。我が党が創立されたのは1945年ですが、我が国における党創立のためのたたかいは久しい前からおこなわれてきました。朝鮮の共産主義者は、長期間の苦難の闘争をつうじて革命的党創立の強固な基礎をきずき、それにもとづいて我が党を創立しました。

 我が国では、ロシア十月社会主義革命の影響のもとにマルクス・レーニン主義が普及し、労働者階級が積極的に闘争舞台に進出するにつれ、共産主義運動が発展しはじめました。しかし、我が国の初期共産主義運動は重大な弱点と制約性をもっていました。

 初期共産主義運動家は、人民大衆のなかにはいり、かれらを教育し結集して革命闘争にふるいたたせるのではなく、人民大衆とかけはなれて革命になんの役にも立たない空論を弄し、「指導権」争奪のための権力争いに明け暮れました。かれらは事大主義に毒され、自力で党を強固に建設していくのではなく、それぞれ自派が「正統派」であり、真の「マルクス主義派」であるとし、コミンテルンの承認をうけようと奔走しました。そのため、我が国の初期共産主義運動はスムーズな発展路程をたどることができず、陣痛と紆余曲折をへるようになり、1925年に創立された朝鮮共産党は、革命の前衛組織としての機能を満足に果たせなかったばかりか、日本帝国主義の弾圧のもとで自己の存在さえ長く維持することができませんでした。

 朝鮮革命は新しい型の革命的党を要求し、新しい型の革命的党を創立する聖なる偉業は、新しい世代の青年共産主義者に託されることになりました。

 我々新しい世代の青年共産主義者は、初期共産主義運動家のようなやり方では革命はできないという深刻な教訓をくみとり、かれらとは全く異なる新しい革命の道を選択しました。我々は、革命をおこなうためには人民大衆のなかに深くはいり、かれらに依拠してたたかい、自力で我が国の実情に即した党を建設し革命を指導すべきであるということ、そうすればおのずと他国の人々から認められ、共鳴をうけることができるということを確信し、そうした信念のもとにたたかいました。これが、我々新しい世代の青年共産主義者が選択した新しい革命路線であり、革命的党建設の方針でありました。

 我々は、マルクス・レーニン主義を我が国の現実に創造的に適用し、自主的に革命の進路を切り開き、闘争を展開する過程で、新しい革命思想であるチュチェ思想をもつようになりました。チュチェ思想はマルクス・レーニン主義とともに、朝鮮革命の確固たる指導指針となりました。

 我々の手で1926年に結成された打倒帝国主義同盟は、チュチェの革命偉業を勝利へ導くための前衛組織であり、我が国最初の真の共産主義的革命組織でありました。

 打倒帝国主義同盟は、朝鮮の解放と独立をなし遂げ、朝鮮に社会主義・共産主義を建設し、さらには、世界における共産主義の勝利をめざしてたたかうことを綱領としてかかげました。

 打倒帝国主義同盟の結成は、朝鮮革命の新たな出発を告げる歴史的な宣言でありました。「トゥ・ドゥ」(打倒帝国主義同盟の略称)の結成により、朝鮮人民の革命闘争は事大主義、教条主義などあらゆる古い思潮と決別し、自主性の原則にもとづいて前進する新しい時代を迎えるようになり、朝鮮共産主義運動と民族解放運動は正確な闘争目標と戦略・戦術をもって力強く展開されるようになりました。

 打倒帝国主義同盟の結成は、我が国における新しい型の革命的党建設の起点となり、まさに「トゥ・ドゥ」から我が党の栄えある根がはりはじめました。「トゥ・ドゥ」を継承して組織された朝鮮共産主義青年同盟は、革命的党創立をめざすたたかいで重要な役割を果たしました。朝鮮共産主義青年同盟は分派・事大主義者の分裂策動を克服し、革命隊伍の統一団結を実現する闘争を強力に展開する一方、先進的な青年を組織に結集し、鍛えて党創立の根幹に育てあげるとともに、広範な反日大衆団体を統一的に指導し、党創立の強固な大衆的基盤をきずいていきました。

 我々は1930年、歴史的な卡倫会議で主体的な革命路線をうちだし、それにもとづいて武装闘争の準備をととのえる一方、基層党組織結成のための闘争を展開し、新しい世代の青年共産主義者で最初の党組織を結成しました。

 卡倫で結成された最初の党組織は、我が党の栄えある起源となり、その後あいついで組織された党組織の原型となりました。我々は、最初の党組織を母体として早急に党組織を拡大していきました。我々は短期間に、豆満江沿岸をはじめ、広大な地域に数多くの基層党組織を結成し、その組織指導体系を確立しました。党組織がつくられ、その活動が強化された結果、朝鮮の共産主義者は組織的にいっそうかたく団結し、党組織の指導のもとに革命闘争をより積極的に展開するようになりました。

 党創立のためのたたかいは、抗日武装闘争の展開とともにいっそう本格的におし進められました。

 抗日武装闘争は国と民族を救う聖なる解放戦争であると同時に、崇高な共産主義的理念の勝利をめざす最も積極的な闘争であり、労働者階級の革命的党の創立をめざす栄えある闘争でありました。

 抗日武装闘争は、党創立のためのたたかいに決定的な新局面を切り開きました。抗日武装闘争の炎のなかで党創立の組織的根幹を大々的に育成できるようになり、共産主義隊伍の統一団結を確固と実現し、党創立の大衆的基盤を強固にきずきあげることができるようになりました。

 我々は抗日武装隊伍と遊撃区に各級党組織を設け、その機能と役割のたえまない向上をはかる一方、我が国の北部国境一帯と中国東北地方の朝鮮人居住地域に広く党組織を結成しました。我々は、党組織の急速な拡大と武装闘争の強化にともない、各級党組織を統一的に指導し、抗日武装闘争にたいする党の指導を成功裏に実現するため、朝鮮人民革命軍党委員会を結成しました。朝鮮人民革命軍党委員会は部隊内の各政党組織はいうまでもなく、内外の多くの地方に結成され活動する党組織までも統一的に指導しました。

 朝鮮人民革命軍党委員会が統一的指導機能を遂行することによって、各級党組織にたいする整然たる指導体系が確立し、武装闘争と朝鮮革命全般にたいする党の指導が確固と実現しました。すべての党組織が組織的に結集し、朝鮮人民革命軍党委員会の指導のもとに活動するようになりました。

 我々は朝鮮人民革命軍党委員会を中心に、内外のより広大な地域に党組織を拡大していきました。特に、国内の産業中心地や戦略的に重要な農漁村に多くの基層党組織を設け、それにたいする統一的指導を強めました。こうして、党組織が重要産業部門の労働者をはじめ、広範な大衆のなかに深く根をおろし、全国的範囲にわたって党創立準備活動がいっそう活発にくりひろげられるようになりました。

 我々はこのように、抗日革命闘争の全期間にわたって、労働者階級の革命的党創立のためのたたかいをねばり強く展開しました。その過程で、我が国初期共産主義運動の本質的な弱点が克服され、革命的党創立の基盤が強固にきずきあげられました。

 苦難にみちた抗日革命闘争の過程で、党創立の組織的・思想的基礎がきずかれました。

 党創立の組織的・思想的基礎をきずくのは、革命的党建設の根本的要求であります。労働者階級の党を建設する活動は、党創立の組織的・思想的基礎をきずくたたかいからはじまります。組織的・思想的基礎をきずくことなしには、革命的党の創立は不可能であり、たとえ党を創立したとしても、そのような党は革命の参謀部としての役割を満足に果たすことができず、反革命の攻撃によって破滅の運命をまぬがれません。我が国初期共産主義運動の歴史的教訓と国際共産主義運動の経験がこれを実証しています。

 党創立の組織的・思想的基礎をきずくうえで重要なのは、党組織を結成して党組織指導体系を確立し、共産主義中核を育てあげ党の組織的根幹をうちかためることであります。

 先に述べたように、我々は抗日革命闘争の時期、基層党組織をはじめ各級党組織をつくり、それにたいする統一的な組織指導体系を確立しました。我々は党中央を宣布する方法ではなく、十分な準備のもとに、まず党の基層組織から結成し、それを拡大強化する方法で党を創立する方針をうちだし、その実現をめざしてたたかいました。もちろん、中核的な共産主義者を結集して党中央を宣布し、しだいに下級党組織をつくる方法で党を建設することもできます。しかし、我が国の状況では、そのような道を歩むことができませんでした。当時我が国で共産主義者と自称していた者の大部分は他人に頼り、派閥争いと空論をこととしてきた分派事大主義者であったので、かれらに依拠しては革命的党の創立は不可能でした。革命的党を創立するためには、労働者、農民をはじめ、広範な大衆のなかに深く根をおろした基層党組織をつくり、党生活と革命闘争をつうじて、セクト主義と事大主義に毒されていない清新な新しい世代の共産主義者を育てあげるとともに、共産主義隊伍の思想、意志の統一と団結を保障しなければなりませんでした。そこで、我々は基層党組織を先に結成し、しだいに当該の単位と地域の実情に即して上級党組織をつくり、すべての党組織が朝鮮人民革命軍党委員会の統一的な指導のもとに活動するようにしました。

 我々は、抗日革命闘争の時期に多数の共産主義中核を育てあげました。

 共産主義中核とは、革命的世界観が確立し、いかなる難関や逆境にあっても動揺せず、課された革命任務を自立的に立派に遂行できる人をさしていいます。共産主義中核がいてこそ、党の組織的根幹をかため、共産主義隊伍の思想、意志の統一と団結を実現し、党創立の大衆的基盤をかためることができます。

 共産主義中核を育てる最も早くて革命的な道は、人々を抗日武装隊伍に受け入れ、困難な革命闘争の実践のなかで鍛えることでありました。抗日武装隊伍は、人々を不屈の革命家、共産主義中核に育てあげる革命的鍛練の学校でありました。我々は労働者、農民のすぐれた息子、娘を抗日武装隊伍に受け入れ、敵との血みどろの闘争をつうじてたえまなく鍛え、共産主義的革命精神に徹した不屈の革命闘士に、政治的、軍事的に準備された共産主義中核に育てあげました。

 革命的な組織生活は、人々を教育し鍛える強力な手段であります。我々は階級的自覚が高く、闘争のなかで点検された労働者、農民と進歩的な知識人を党組織に受け入れ、組織生活をつうじてたえず教育し、鍛えました。こうして党組織は、多数の人を強い組織性と規律性を身につけたすぐれた共産主義中核に、党の組織的根幹に育てあげました。

 共産主義中核の育成では、反日大衆団体も重要な役割を果たしました。我々は遊撃区と内外の広い地域に各種形態の反日大衆団体をつくり、そこに労働者、農民をはじめ広範な反日大衆を結集し、日本帝国主義に反対する実践闘争のなかで革命的に鍛え、その過程で多くの人を熱烈な共産主義者につくりあげました。

 我々が抗日革命闘争の時期に育てあげた数多くの共産主義中核は、我が党創立の強力な根幹部隊となりました。

 党創立の組織的・思想的基礎をきずくうえで、また重要なのは、共産主義隊伍の純潔と思想、意志の統一をゆるぎなく保障することであります。

 共産主義隊伍の純潔と思想、意志の統一が保たれる基礎のうえでのみ、革命的党を創立し、党の威力を強化することができます。共産主義隊伍の思想、意志の統一と団結は、党の創立と強化発展の根本条件であり、党の不敗の力の源であります。

 我々は抗日革命闘争の時期、共産主義隊伍の純潔を保ち、思想、意志の統一を強化するためねばり強くたたかいました。我々は、朝鮮の初期共産主義運動を破壊した分派分子の犯罪行為を徹底的に暴露し、共産主義者にセクト主義と断固たたかわせるとともに、鉄のような組織規律を確立して革命隊伍内にささいなセクト主義的要素も浸透できないようにしました。また、共産主義者と革命組織のメンバーを朝鮮革命の主体的な路線と戦略・戦術で武装させ、共産主義隊伍の思想の一致と行動の統一を保障しました。

 党創立の組織的・思想的基礎をきずくうえで重要なのは、強固な大衆的基盤をつくることであります。

 大衆的基盤をきずくのは、各階層の広範な大衆のなかに深く根をおろした強力な党を創立するための重要な保証であります。強固な大衆的基盤をもつ党であってこそ必勝不敗の党となることができます。

 党創立の大衆的基盤をきずくためには、大衆を意識化、組織化しなければなりません。人民大衆は革命の主人ではありますが、意識化、組織化されないことには主人としての役割を果たすことも、党の頼もしい政治的基盤となることもできません。

 我々は抗日革命闘争の全期間、大衆を意識化、組織化するため積極的に努力しました。抗日革命闘争の時期、多数の政治工作員を各地に派遣し、大衆政治活動を活発に展開させました。政治工作員は人民のなかに深くはいり、かれらを根気よく教育して革命化し、大衆団体を組織して広範な大衆を組織的に結集しました。我々は労働者、農民をはじめ、各階層の人民を革命闘争に力強く立ち上がらせ、闘争をつうじて鍛えあげました。実践闘争の過程で、各階層の広範な大衆は階級的に自覚した強力な政治的力量に育てられました。

 党創立の大衆的基盤をかためる闘争は、反日民族統一戦線運動と密接に結びついて進められました。1936年5月5日の祖国光復会の創立は、党の大衆的基盤を強化するうえで画期的意義をもつ出来事でした。

 祖国光復会の創立によって、各階層の広範な大衆を祖国光復の旗のもとにかたく結集させることができるようになりました。

 祖国光復会の組織綱は急速に拡大されました。鴨緑江と豆満江沿岸一帯はもちろんのこと、国内深くまで祖国光復会の下部組織が広くつくられました。祖国光復会の下部組織は、各地方の具体的実情に即してさまざまな名称でつくられました。祖国光復会の組織綱が内外の広い地域へ拡大されるにつれ、そのまわりに各階層の広範な大衆がかたく結集し、さらには宗教家まで祖国光復会の組織に参加して反日闘争に力強く立ち上がりました。その結果、各階層の大衆にたいする党の指導を実現するうえに新たな転換がもたらされ、党創立の大衆的基盤がさらに強化されました。

 抗日革命闘争の時期、党創立の組織的・思想的基礎が強固にきずかれた結果、我が国に有利な情勢がつくられれば、いつでも労働者階級の革命的党を創立できる万端の準備がととのいました。

 苦難にみちた抗日革命闘争の過程で、我が党の輝かしい革命伝統が創始されました。

 抗日革命の血みどろのたたかいのなかでチュチェの思想体系が確立され、不滅の革命業績と闘争経験が積みあげられ、革命的活動方法と人民的活動作風が創造されました。抗日の革命伝統には、かぎりなく貴い思想的・精神的財貨と革命の高貴な業績と経験が豊富にもりこまれています。

 抗日の革命伝統は解放後、我が党を創立し強化発展させるうえで強固な元手となり、我が党と革命のゆるぎない歴史的根源となりました。

 我々は、抗日革命闘争の時期にきずかれた党創立の組織的・思想的基礎と輝かしい革命伝統をふまえて、祖国解放後ただちに党を創立する活動に取り組みました。

 解放後、我が国の情勢は複雑をきわめていました。特に、アメリカ帝国主義者の南朝鮮占領によって、我が国の北と南には全く異なる情勢がつくりだされました。北半部では国の主人となった全人民が解放の喜びをいだいて新しい祖国の建設にこぞって立ち上がりましたが、南半部の情勢はそうでありませんでした。南半部ではアメリカ軍政が敷かれ、共産主義者と愛国的人民の革命的進出は過酷な弾圧をうけ、人民の創意によって樹立された人民委員会は強制解散させられました。こうした情勢のもとで、北南朝鮮の共産主義者をすべて結集する統一的な党をただちに創立することは不可能でした。だからといって、統一的な党創立の条件がととのうまで手をこまぬいて待っているわけにもいきませんでした。国の北と南につくられた全く異なる情勢は、北と南で当該地域の特性に即して革命を発展させ、党創立事業を推進させることを求めました。

 我々は、有利な情勢がつくられた北半部で遅滞することなく党を創立することにしました。北半部にいちはやく党を創立してこそ、各地方に組織されて活動する共産党組織を統一的に指導し、共産主義隊伍の組織的・思想的統一を実現することができ、広範な大衆を党のまわりに結集し、建国事業を立派におし進めて北半部を朝鮮革命の強固な基地に変えることができました。

 我々は、長期の抗日革命闘争で鍛えられ育てられた共産主義者を中核とし、内外の各地方で活動していた共産主事者を結集して党を創立することにしました。当時、抗日革命闘争に参加した共産主義者だけで党を創立しようという意見も一部提起されました。抗日革命闘争の過程で育成された共産主義者だけでも党の創立は十分可能でありましたが、我々はそうしませんでした。もし我々がかれらだけで党を創立するならば、ほかの人たちもそれぞれ党を組織しようとするはずであり、そうなれば我が国の共産主義運動は分裂を余儀なくされたはずです。それで、我々は共産主義者をすべて結集して党を創立することにしました。もちろん、各地方で分散的に活動していた一部の共産主義者の場合、組織的鍛練に欠けていることも考えられましたが、抗日革命闘争の過程で鍛えられ、洗練された頼もしい根幹部隊がある以上、かれらを党に受け入れて組織的に結集することは十分可能でありました。

 我々は、抗日革命闘争の時期に育てられた共産主義中核を各地方に派遣し、地方党組織の整備拡大と、分散的に活動していた共産主義者の結集にあたらせるとともに、党創立の準備活動をおし進め、ついに1945年10月10日、強力な党中央指導機関である北朝鮮共産党中央組織委員会を創設し、我が党の創立を全世界に宣言しました。

 我が党の創立は、史上はじめてのチュチェ型の革命的党の誕生であり、労働者階級の革命的党の創立をめざす朝鮮共産主義者の長期にわたる闘争の輝かしい結実でありました。我が党の創立によって、朝鮮革命は強力な戦闘的参謀部をもち、朝鮮人民は党の指導のもとに革命と建設を成功裏に前進させていけるようになりました。



ページのトップ


inserted by FC2 system