金 日 成

革命戦跡地踏査者の便宜をはかるために
―政務院、両江道の責任幹部協議会でおこなった演説― 
1985年7月25日 

 きょうの協議会では、革命戦跡地踏査者の便宜をはかる問題をはじめ、両江道の事業で提起される若干の問題について述べようと思います。

 両江道には白頭山をはじめ、多くの革命戦跡地があります。両江道には、いずこにも抗日革命闘士の足跡がとどめられており、彼らの気高い革命精神が宿っています。両江道にある革命戦跡地のなかでも、白頭山は、特に重要な位置を占めています。

 白頭山は、朝鮮革命の歴史的根源をもつ革命の聖地です。白頭山は、山容がすこぶる壮大で、古くから朝鮮の名山と呼ばれています。白頭山は、朝鮮人民の大きな誇りであり、朝鮮人なら誰でも登ってみるべき山です。

 白頭山を踏査する人は、たいへんな数に達しています。ちかごろ両江道に来て宿泊する踏査者は、少ないときで日に4100人、多いときは4500人にもなるとのことです。両江道の革命戦跡地に集団的に、または個別的に来る踏査者を全部合わせると、年に約28万に及んでいるそうです。ところが、白頭山に来る踏査者に全うな宿泊、食事条件が提供できず不便な思いをさせています。

 私は数日前、白頭山に登ってみました。多分、7年ぶりではないかと思います。そのとき見ると、多くの踏査者が白頭山に登っていました。それらの踏査者がどこで宿泊してきたのかを確かめてみると、三池淵から出発し、新武城林業村の民家で一泊してきたとのことです。踏査者の宿所が満足にととのっていないので、彼ら自身が不便なのはいうまでもなく、林業村の住民もかなり不便な思いをしているはずです。このようなことを見ると、政務院と両江道の幹部は、人民の忠僕らしく自己の責任を全うしていないようです。

 いま両江道では、革命戦跡地の踏査者にビールやジュースといった清涼飲料、それに魚類や野菜などの副食物も十分に供給していません。

 政務院と両江道では、革命戦跡地の踏査者の便宜をはかり、彼らが何の不便もなく革命戦跡地を踏査できるようにしなければなりません。

 革命戦跡地踏査者の便宜をはかるためには、何よりもまず旅館、浴場、食堂などの公共サービス施設を十分に整えなければなりません。

 いま三池淵には、少年団閣と大学生閣、勤労者閣など、多くの閣が建てられ、革命戦跡地踏査者の便宜がはかられています。しかし、革命戦跡地踏査者のための公共サービス施設を三池淵にのみ整えては、革命戦跡地の踏査を円滑に保障することができません。踏査者が革命戦跡地を十分に踏査できるようにするためには、三池淵から白頭山に登る中間地点にも公共サービス施設を整えなければなりません。三池淵から白頭山までの距離は40キロ以上あるので、踏査者に日帰りで行ってこさせるのは無理です。

 白頭山踏査者にバスを提供して三池淵から白頭山まで行って来させることもできますが、これは感心できることではありません。私は、白頭山に来る外国人はバスに乗せ、国内の人には徒歩で踏査させるのが気にかかって、国内の人にもバスを提供してやろうと考えました。しかし、バスに乗って踏査するより徒歩のほうがよいので、現在のように歩かせることにしました。徒歩で踏査すれば、林の中の道を歩き、携帯してきた昼食をとる楽しみもあり、新鮮な空気を吸いながら野花を見物する面白みもあり、汗を流しながら山道を登り降りするので身体の鍛練にも好適です。外国からの観光客や在日同胞祖国訪問団にはバスを利用させ、国内の人には踏査旅館を立派に建てて提供し、徒歩で踏査させるようにすべきです。

 三池淵から白頭山に登る中間地点の踏査旅館は、林業村がある神武城でなく大学生閣のある無頭峰の周辺に建てるのが理想的です。神武城から白頭山までの距離は24キロなので、踏査者が神武城で1泊して白頭山まで行ってくるとなると骨がおれるでしょう。しかし、踏査旅館を大学生閣のある無頭峰の周辺に建てれば、そこから白頭山までは約16キロですから、日帰りの踏査コースとしては手ごろです。大学生閣のある無頭峰周辺には踏査旅館が建てられる敷地もあります。

 無頭峰周辺に1棟に100人ずつ収容できる踏査旅館を4、5棟建てるべきです。そうすれば、踏査者を一度に400〜500人ずつ収容することができます。

 無頭峰に旅館を5棟建てれば、そのうち4棟は集団的な踏査者に利用させ、1棟は個別的な踏査者に利用させるべきです。個別的な踏査者にもみな旅館を利用させるべきです。

 無頭峰周辺に建てる踏査旅館の名は閣とせず、無頭峰旅館とするのがよいでしょう。新しく建てる無頭峰旅館は大げさなセメントづくりにせず、丸太小屋の建物にすべきです。丸木の皮をはいで丸太小屋を建てれば見栄えがするでしょう。無頭峰周辺には樹木が多いので、丸太小屋を建てるのは問題ありません。

 無頭峰旅館は、オンドルを備えるべきです。白頭山一帯は気温が低いので、オンドルを備えなければ寒くて眠れません。無頭峰旅館にオンドルを備えて火を通せば、踏査者は温かい部屋で背中を暖めながら一晩ぐっすり休んで疲れをほぐすことができます。新しく建てる無頭峰旅館にオンドルを備えるためには、無頭峰周辺にオンドル床になるような石がないので、セメントでオンドル床石をつくらなければなりません。

 無頭峰旅館が建設されれば、敷き布団と毛布、枕をそろえ、一人当たり敷き布団は1枚、毛布は2枚ずつ利用できるようにすべきです。敷き布団と毛布、枕は政務院が供給すべきです。

 無頭峰には、食堂と炊事場も大きく建てなければなりません。無頭峰食堂では、踏査者にぜいたくな食事をとらせる必要はありません。ご飯に味噌汁、1、2種の野菜料理で十分です。

 無頭峰には、浴場もつくらなければなりません。この浴場は、一度に大勢の人が利用できるように大きく建てるべきです。無頭峰に大きな浴場を建てると水が不足するはずですから、50立方メートルほどの水槽をつくり、水を貯えておいて使うようにすべきです。そのためには、セメントが必要でしょう。

 白頭橋付近に食堂を一つ建てるべきです。そうすれば、無頭峰旅館で宿泊した踏査者が早朝に食事をすませて5時ごろ出発し、10時ごろに白頭山に登頂して見学を終え、降りてくる途中そこで昼食ができるのでたいへん便利でしょう。この食堂も無頭峰旅館のように丸太小屋にすべきです。白頭橋付近に食堂を建てるとなると、木材を運搬してくるのに少々骨がおれるでしょうが、それでも建てなければなりません。この食堂は、踏査者が白頭山に登るとき弁当を携帯し、降りてくるときに利用するようにさせればよいので、炊事場をつくる必要はありません。食堂の間どりを広くして踏査者にお湯を供給し、サイダー、ビール、ブルーベリーのジュースなどの清涼飲料と、イワナ、ニジマスの燻製品などを多少販売できるようにすればそれで十分です。

 無頭峰旅館と食堂、浴場の建設は、国家計画に組み入れて早急に着手すべきです。踏査者と地元の住民が不便を感じていることを知った以上、無頭峰旅館と食堂、浴場の建設を引き延ばさず、直ちに着手しなければなりません。これに要する資材は、政務院がすべて供給しなければなりません。政務院は、無頭峰の水槽の建設に必要なセメントも供給すべきです。

 革命戦跡地踏査者の便宜をはかるためにはまた、各種の食料品を十分に供給しなければなりません。

 革命戦跡地に踏査者用の旅館や食堂は立派に建てておきながら、各種の食料品を満足に供給できないようではいけません。政務院と両江道の責任幹部は、革命戦跡地の踏査者に食料品を十分に供給することに深い関心を払うべきです。

 何よりも、革命戦跡地の踏査者にビールとブルーベリーのジュース、ゼリーなどをたくさんつくって供給すべきです。

 両江道には、立派なビールの原料とビール工場があり、ブルーべリーもたくさんできるので、革命戦跡地の踏査者にビールやブルーべリーのジュース、ゼリーなどはいくらでもつくって供給することができます。両江道では、革命戦跡地の踏査者に他の清涼飲料は別としても、ビールやブルーべリーのジュース、ゼリーは切らさずに供給しなければなりません。

 革命戦跡地の踏査者にビールを十分に供給するためには、ビールびんの問題を解決しなければなりません。両江道では立派なビール工場があっても、びんがなくて革命戦跡地の踏査者にビールが満足に供給できないというので、道内にビールびん工場がないからだろうと思いました。ところが、あとで確かめてみると、両江道には合成樹脂びんを年間150万個生産できる工場がありながら、原料不足でびんが円滑に生産されていないとのことでした。政務院は、高圧ポリエチレンを両江道に提供し、合成樹脂びんが生産できるようにしなければなりません。

 革命戦跡地の踏査者にブルーべリーのジュース、ゼリーを切らさず供給するためには、その生産を増やさなければなりません。両江道では、ブルーべリー畑の面積を増やしてその管理を改善し、ブルーベリーのジュース、ゼリーの生産を大幅に増やさなければなりません。ブルーべリーのジュース、ゼリーをおいしくつくってきれいに包装し、革命戦跡地の踏査記念品として販売してやれば、踏査者はそれを家へもっていき、白頭山特産のブルーべリーでつくったジュースとゼリーを味わってきたと自慢し、父や祖父にも味をみてもらうことができます。

 革命戦跡地の踏査者にクマイチゴのジュースもつくって販売すべきです。両江道にはクマイチゴが多いので、それでジュースをつくれば、踏査者に販売することができるでしょう。

 淡水魚も大いに養殖して革命戦跡地の踏査者に供給すべきです。

 両江道でニジマスやイワナなどの淡水魚を大いに養殖するよう1979年から毎年強調してきましたが、いまなお満足すべき状態ではありません。その間、両江道で河川と貯水池にニジマス、イワナ、コグチマスの稚魚をたくさん放流していたなら、いまごろは多くの淡水魚が養殖されてたいした財産家になっているはずです。

 両江道内のある人民軍部隊に淡水魚の試験養殖をさせていますが、たいへんよく育っています。両江道内の河川と貯水池で淡水魚を養殖するのはそれほど難しいことでもありません。ニジマスやイワナの稚魚を河川や貯水池に放流すれば、魚が虫をとって食べるので餌料がいくらもかかりません。こうして、養殖した淡水魚は餌料を与えて養殖したものより美味です。両江道では、道内の河川や貯水池を利用してニジマス、イワナ、コグチマスのような冷水性魚をたくさん養殖することです。

 両江道では淡水魚を大々的に養殖し、革命戦跡地の踏査者だけでなく、道内の住民にも供給すべきです。両江道には養魚技術者もいるのですから、努力さえすれば淡水魚をいくらでも養殖することができます。

 今年、両江道で河川と貯水池に放流した稚魚が約30万尾だというなら少なくありません。両江道では、毎年、河川と貯水池に稚魚をたくさん放流しなければなりません。

 両江道で淡水魚の養殖がさかんになれば、燻製工場を一つ設けて魚の燻製品をつくるようにすべきです。両江道で冷凍工場を建て、冷凍貯蔵した淡水魚で魚の燻製品をつくり、きれいな紙で包装して革命戦跡地の踏査者に販売すればたいへん喜ばれるでしょう。淡水魚を燻製品にして売れば、踏査者がそれをご飯のおかずにしたり、ビールのつまみにすることができます。革命戦跡地の踏査者がコップ1杯のビールを飲むにしても、つまみをそえて飲めるようにすべきです。

 いま両江道のある人民軍部隊では、将校の家族を動員して魚類燻製工場を建てていますが、そういう工場はどこでも容易に建設することができます。ただ木を伐り出して丸太小屋を建て、燻製する設備を備えればよいのです。今後その部隊で魚類燻製工場を完成し魚の燻製品が生産されるようになれば、それをすべて平壌に送って国際ホテルや清流館、玉流館などに供給させる考えです。それゆえ、両江道では、魚類燻製工場を別個に一つ立派に建て、革命戦跡地の踏査者に魚の燻製品を供給しなければなりません。

 革命戦跡地の踏査者に野菜を十分に供給する対策を講じなければなりません。

 両江道で革命戦跡地の踏査者に野菜を十分に供給するためには、野菜温室農場を一つ大がかりにつくらなければなりません。三池淵地区にも温室を建てて野菜を栽培すれば、野菜の問題は十分解決されます。

 いま両江道のある人民軍部隊では、自分の手で温室を建てて野菜を栽培し、野菜を切らさずに食べています。彼らが温室を建てる前までは夏季でも野菜が満足に食べられず、メンタイばかり煮立てて食べていました。6月になってやっと山菜が少し採れるのですが、それもひと月ほどすると、とうが立って食べられませんでした。それで、地元の部隊にビニールフィルムを提供し、温室をつくって野菜を栽培するようはからいました。それ以後、そこの軍人は冬季でも温室で野菜を栽培し、新鮮な野菜を切らさず食べています。

 今回ある女性中隊へ行ってみると、野菜をたくさんつくり、キュウリやカボチャなどいろいろな新鮮な野菜を豊富に貯蔵していました。多分、私が行ったので、野菜をたくさん栽培して十分に食べているのを見せるためにそうしたようです。

 両江道でも前から温室を建てて野菜の栽培に力を入れていたなら、いまは野菜問題を解決し、革命戦跡地の踏査者に十分に供給していることでしょう。両江道では、いまからでも野菜温室農場を計画的につくり、野菜をたくさん栽培して革命戦跡地の踏査者に切らさず供給しなければなりません。

 革命戦跡地の踏査者に野菜を供給するための温室野菜の栽培は、冬季は中止し、4月から苗を育てて夏季だけやっても大丈夫です。4月に暖房をほどこした温室に野菜の種をまき、暖かくなってから暖房をせずにフィルムをかぶせただけの温室に移植してもいろいろな野菜をつくることができます。キャベツなどは4月に種をまいて植え替えれば、三池淵地区でも大きく育てることができます。野菜温室をつくるのは難しいことではありません。温室の床に陽がよくあたるように背面の壁だけを少し高くし、前の壁は低くしてフィルムをかぶせればよいのです。

 野菜温室農場を三池淵付近につくるとよいのですが、そのあたりに野菜温室農場を建てられる敷地がなければ、三池淵から普天堡に行く道の脇につくってもかまいません。

 三池淵でも温室をつくれば、キュウリやカボチャ、トマトなどいろいろな野菜を栽培することができます。暖房をほどこした野菜温室では、冬季でも熱帯地方の野菜までつくることができます。

 野菜温室がつくれるくらいの場所は、神武城方面にもあります。そこにも温室をつくれば、野菜を栽培して革命戦跡地の踏査者にキュウリやトマトなどいろいろな野菜を供給することができます。神武城に温室をつくり、キュウリやトマトなどの野菜を栽培して供給すれば、革命戦跡地の踏査者が山里に来てもキュウリやトマトが食べられると喜ぶでしょう。

 野菜温室農場は、家庭婦人の人手を多く利用してつくるべきです。そうすれば、労働力の問題もスムーズに解決し、勤労者の生活も向上させることができます。

 革命戦跡地の踏査者に食肉を供給する対策も講じるべきです。いますぐ革命戦跡地の踏査者に食肉を十分に供給することはできないとしても、ゆくゆくは十分に供給しなければなりません。そのためには、大紅丹郡総合農場を発展させなければなりません。食肉問題を解決するための対策は、後日、政務院常務会議、両江道党委員会執行委員会、両江道行政・経済指導委員会の連合会議のとき具体的に討議する考えです。

 両江道で革命戦跡地の踏査者にビールやブルーべリーのジュース、ゼリー、それに淡水魚を養殖して魚の燻製品をつくって販売し、温室をつくり野菜をたくさん栽培して十分に供給すれば、彼らからたいへん喜ばれるでしょう。

 幹部が仕事の手配さえ綿密にすれば、革命戦跡地の踏査者への食料品供給は円滑にすることができます。この問題をいっペんに解決するのは無理でしょうが、一つずつ段階別に解決していけば十分解決できるでしょう。政務院と両江道の責任幹部は、革命戦跡地の踏査者に各種の食料品を生産、供給する活動を責任をもっておこなわなければなりません。

 いま少なからぬ幹部はサービス革命について口先ではいろいろといっていますが、実際にはサービス活動の改善に努めていません。一部の幹部は、サービス革命は平壌ですることであって、三池淵地区のような山間地方ではしなくてもよいことのように考えています。両江道には毎年数多くの革命戦跡地踏査者が訪ねてくるのに、宿泊、食事条件を十分に保障せず不便な思いをさせているのを見ると、幹部がサービス革命をしようと考えていないことがわかります。すべての幹部は、サービス革命に対する正しい立場をとり、人民へのサービス活動をさらに改善し、人民の生活に不便がないようにしなければなりません。

 両江道では、いま建設中の温水坪旅館と三池淵国際ホテルの建設を早く終え、恵山にも立派な旅館を一つ建てるべきです。

 普天郡内曲温泉に立派な休養所を一つ建てるべきです。総聯の人たちは、日本に住んでいるせいか、温泉がたいへん好きです。総聯の人たちのなかに内曲温泉に行きたいという人が少なくありません。普天郡内曲里温水坪に建設中の総聯旅館を速やかに完成し、三池淵に建設している国際ホテルも速やかに完工しなければなりません。

 恵山市にも旅館を一つ立派に建てるべきです。

 恵山に行ってきた幹部たちの話によると、市内が暗い感じで、道路も悪いそうです。以前、恵山市に建てられた旅館が一つありますが、それもぱっとしないそうです。恵山市は山間都市だからと、その建設に関心を払わないようではいけません。恵山市には、革命戦跡地の踏査者や外国人が多く訪れています。恵山市をきれいに整えなければ、外国人に悪い印象を与えかねず、国内の人からも、恵山は道路も整理されておらず旅館も満足なものがないといわれるでしょう。両江道にセメントを提供するなり、アスファルトを提供するなりして、恵山市内の道路をきれいに舗装すべきです。都市は道路がきれいであってこそさっぱりするものです。今年は資材の事情で恵山に旅館を建てるのは無理ですが、来年は国家計画に組み込んで一つ立派に建設すべきです。恵山市に旅館を建てるのに必要なセメントは国家が供給すべきです。

 両江道の来年度の銅生産計画を十分に検討すべきです。両江道に来年は銅をいくら生産せよと押しつけてはいけません。両江道の来年の銅生産計画をどれほどにするかを具体的に見積って、後日、政務院常務会議、両江道党委員会執行委員会、両江道行政・経済指導委員会連合会議のときに提起すべきです。

 中小型水力発電機の水車を立派に製作しなければなりません。

 いま、製作しておいた一部の小型水力発電機の水車がよく回転しないそうです。外国から取り寄せた設計を改作してつくった小型水力発電機の水車がよく回転しないというなら、以前、国内で設計した水車を製作するようにしなければなりません。外国の設計どおりつくった小型水力発電機の水車はよく回転せず、その製作に要する資材も節約できないそうです。外国で製作しているからといって、それがすべて発達しているわけではありません。小型水力発電機の水車を国内の設計どおり生産せず、把握されていない外国の設計を取り寄せてつくっているのを見れば、いまなお活動家のなかに事大主義思想が残っていることがわかります。人民軍軍人が建設したある小型水力発電所に行ってみると、そこに備えつけられた小型水力発電機の水車は以前につくられた国産品ですが、たいへんスムーズに稼働しています。外国から設計を取り寄せてつくった小型水力発電機の水車が満足に回転せず、それを製作するのに鋼材の節約にもならないというなら、そんなものはつくる必要がありません。

 これから中小型水力発電所は、ダムを築いて貯水池をつくり、木製の管で水を引いて落差を大きくし、水が落ちる部分にだけ鉄管を利用して建設することにし、林業村や人里離れた所の村には、落差が小さくても発電所を建設しなければなりません。林業村をはじめ、人里離れた村には電線を引いて電気を送るより、落差が小さくても中小型水力発電所を建設し、自分で電力を生産利用させるほうが有利です。

 両江道では今後、中小型水力発電所をいくつくらい建設するかを十分に見積ったうえで、政務院常務会議、両江道党委員会執行委員会、両江道行政・経済指導委員会連合会議を開くとき提起すべきです。

 きょうの協議会に参加した総理と国家計画委員長は、両江道党委員会責任書記とともに踏査旅館を建てる場所も見てまわり、両江道で提起される問題を検討して、解決すべきことはすべて解決してやるべきです。
出典:『金日成著作集』39巻 

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