金 日 成

新興諸国の民族文化を発展させるために
 第1回非同盟およびその他発展途上諸国の教育・文化相会議に参加した各相たちにおこなった演説
−1983年9月27日− 


 昨日についで、きょう再びみなさんにお会いできてたいへんうれしく思います。

 多くの非同盟国の教育・文化相から、私と個別的に会いたいという要請がありました。今回の第1回非同盟およびその他発展途上諸国の教育・文化相会議に参加した代表団が多い関係上、個別的に会うのはむずかしいので、きょうこうして、みな一緒に会うことにしました。みなさんと個別的に会見できず、一緒に会うようになったことを了解していただきたいと思います。私は、きょうのこの合同の集いをもって、みなさんとの会見にかえたいと思います。

 もし、国家元首の親書をたずさえてこられた方がいましたら、副主席か総理、あるいは相に伝えてくださるようお願いします。その他実務上の問題は、関係部門の幹部と具体的に協議することができるでしょう。

 私はみなさんとお会いしたこの機会をかりて、新興諸国の民族文化の発展で提起される若干の問題について述べたいと思います。

 いま、みなさんの参加のもとに進められている第1回非同盟およびその他発展途上諸国の教育・文化相会議は、極めて重要な意義をもっています。私は、みなさんが今回の会議に参加して民族文化の発展で得た立派な経験を大いに分かち合い、新たな決意をかためたことをうれしく思います。

 こんにち新興諸国には、民族文化を発展させるべき重要な課題が提起されています。民族文化を発展させてこそ、かちとった政治的独立を強固にし、自立的民族経済を成功裏に建設することができます。民族文化の建設は、国家の政治的独立と経済的自立を裏打ちする重要な保障であります。

 民族文化の建設で優先させるべき最も重要な課題は、民族教育を発展させることです。

 我が国の経験は、自主独立国家を建設するためには、すべての事業に民族教育を優先させなければならないことを立証しています。民族教育の発展を優先させ、人々を自主性と創造性をもった有力な存在につくりあげ、民族幹部を多数養成するならば、新しい社会の建設で提起されるすべての問題をスムーズに解決することができます。

 新興独立諸国は、まず、財源を確保してから教育事業の発展をはかろうとしてはなりません。それでは、新しい社会の建設が遅れます。新興独立諸国は資金も乏しく経済力も弱いです。だからといって、教育事業を後回しにしようとせず、なんとしてでも教育事業を発展させ多くの民族幹部を養成してこそ、経済建設を順調に進め、短期間内に富強な国を建設することができます。

 現在、新興独立諸国の民族経済の発展と自主独立国家の建設で、最大の難関となっているのは民族幹部の不足です。かつて帝国主義者は、植民地諸国に民族幹部養成の条件を与えませんでした。そのため、帝国主義の植民地支配下から独立を達成した国は、いずれも民族幹部が不足しています。

 解放直後、我が国には大学卒業者がわずかしかいませんでした。

 日本帝国主義の植民地支配当時、我が国には日本帝国大学の分校がソウルに一つあっただけです。そこには、自然科学や技術工学系統の学科は一つもなく、文学や法学など人文科系統の学科があっただけです。

 日本の大学の法科では天皇を擁護する法律を教えましたが、日本帝国主義が滅びてからは、そうした法律を学んだ人はなんの役にも立たなくなりました。文科を出た人も同じでした。民族経済を発展させ、新しい社会を建設しなくてはならない我々が、小説を書いたり詩を吟じたりして時をすごすわけにはいかないではありませんか。

 解放直後、我が国には、長期にわたる抗日武装闘争のなかで鍛えられた革命家、政治幹部がたくさんいました。しかし、かれらは射撃や演説は上手でも、国家の運営や経済管理の仕方は心得ていませんでした。したがって、かれらだけでは新しい祖国の建設は不可能でした。我々には知識を身につけたインテリ、民族技術幹部が切実に必要でした。

 新しい祖国の建設にインテリが切実に必要であったため、我々は朝鮮労働党のマークに象徴されているように、労働者、農民とともにインテリを革命の原動力と規定しました。労働者、農民は革命の基本勢力ですが、かれらもインテリから知識を学ばなければ威力ある革命勢力にはなりえません。我が国の現実は、労働者、農民とともにインテリを革命の原動力と規定して、インテリを新しい祖国の建設に積極的に引き入れた我が党の政策が全面的に正しかったことを示しています。

 我々は解放直後、新しい祖国の建設のため、国内各地に分散していたインテリをみな呼び集めただけでなく、海外に在住していたインテリも帰国させました。我々が北朝鮮で自主独立国家を建設しているというニュースを聞いて、南朝鮮にいたインテリも我々のもとにやってきました。こうして、インテリをみな呼び集めましたが、その数は100名にみたないものでした。そのうち、技術部門のインテリはわずか数名しかいませんでした。

 我々は、わずかばかりのインテリを大事な宝とみなしました。かれらは、日本の大学で学んだ人ではありますが、我々はそれを少しも問題にせず、民族幹部の養成においてかれらをみな親鶏のような「原種」とみなしました。

 我々は、新しい祖国の建設に奮い立ったインテリを元にして総合大学を創設しました。総合大学の創設は、民族幹部養成事業を優先させるという我が党の方針の最初の勝利でした。

 いうまでもなく、我々が総合大学を創設した当初は極めて貧弱なものでした。しかし、始めが半ばというように、当時、そうしてはじめた結果、民族幹部養成事業では大きな成果が達成されました。昨夕の宴席での演説でもふれましたが、我々はすでに120万の民族幹部を養成しました。

 こんにち、我が国では、民族幹部の問題が完全に解決されました。どの分野でも民族幹部の不足は感じていません。我々は自己の民族幹部によって、構想したことはなんでも実現できるようになりました。

 我が国の経験にてらしてみても、新興独立諸国は、民族幹部養成事業を優先的に立派に進めてこそ、政治的独立と経済的自立を保障できるということがわかります。

 我々は、新興諸国が新しい社会の建設を成功裏に進めるためには、すべての事業に教育事業を優先させる原則を堅持すべきであると認めます。

 次に重要なのは、民族幹部養成事業において主体化を実現することです。

 民族幹部の養成において主体化を実現するというのは、自国の革命と人民に忠実に奉仕する役に立つ民族幹部を養成することを意味します。民族幹部養成事業において主体化を実現してこそ、経済建設をはじめ、新しい社会の建設で提起されるすべての問題を自国の実情に即して解決していくことができます。

 我々の経験によれば、民族幹部養成事業における主体化の実現では2つの問題が提起されると思います。

 第1に、帝国主義者によってつくられた植民地的奴隷教育制度の残りかすを一掃することです。帝国主義の植民地的奴隷教育制度は、人民を無知蒙昧にする教育制度であるため、それを存続させては民族幹部を立派に養成することができません。

 第2に、外国のものを機械的に取り入れて教育するのでなく、自国のものを基本にして教育することです。解放後、我々は民族幹部の問題を解決するため、少なからぬ人を外国に留学させました。しかし、かれらが修得してきた技術は、我が国の経済建設にこれといって役に立つものがありませんでした。一部の農業技術者は、耕地の多い国へ行って、播きつけも取り入れも大まかにおこなう農法を学んできましたが、そうした農法は、耕地が限られているため農業生産を高度に集約化しなければならない我が国には適さないものでした。それで我々は、多くの費用をかけて外国で長いあいだ勉強させたかれらを再教育しなくてはなりませんでした。これは、民族幹部の養成において、自国のものを基本にして教育することがいかに重要であるかを如実に示しています。

 最近、我が国では、主体的農法を発展させながら、以前の農業大学用教科書と外国から入手して翻訳出版した農業大学用教科書を主体的農法の要求に即応して改訂しました。

 民族幹部養成事業の主体化を実現したため、我が国では農業も工業も主体的に発展しています。

 ひところ世界各国では、石油化学工業をさかんに発展させました。そうした国では、石油を原料とする化学繊維工場や合成樹脂工場も建設し、原油発電所も建設しました。

 当時、我が国の一部の経済幹部はその影響を受け、我が国の経済を急テンポで発展させるためには石油化学工業を建設すべきだという意見を提起しました。しかし、我が党と共和国政府はそうした意見に賛成しませんでした。我が国では、まだ石油が産出されていません。当時、世界的に石油の価格は高くはありませんでしたが、いつ、その価格が騰貴するかわからない状況のもとで、石油化学工業を発展させるならば、石油価格が上がったときに打撃を受けるようになります。それで、我々は石油化学工業を発展させるのでなく、国内の原料に依拠し我々の方式で化学工業を発展させて、化学繊維と合成樹脂、化学肥料などを生産するようにしました。我々はまた、原油発電所のかわりに、国内の豊富な水力資源を利用して水力発電所を建設する措置を講じました。

 自国の技術、自国の原料に依拠して工業を発展させた結果、世界的に石油価格がはね上がったとき、多くの国が原料難、燃料難のため経済危機に見舞われましたが、我が国はその影響を受けませんでした。多くの国で物価が騰貴しても、我が国では物価が上がらず安定しています。我が国で資本主義経済危機の影響を多少受けたものがあるとすれば、それは国内で生産されない一部の機械設備を輸入しているので、その価格が上がったときに多少の影響を受けたにすぎません。しかし、全般的な経済発展にはなんの支障もありませんでした。

 もし、我々が一部の経済幹部の意見を受け入れて石油化学工業を発展させていたならば、資本主義諸国が経済危機に襲われたとき、我が国もその危機に巻きこまれていたはずです。

 こうした我が国の経験は、自国の原料に依拠して自己の方式どおり工業を発展させるためには、主体的立場にしっかりと立って民族幹部を養成しなければならないことを示しています。

 次に、教育事業を全面的に発展させることが重要です。

 我が国を訪れた外国の人々は、朝鮮ではどういうわけで人民が規律をよく守り、組織性が強く、革命的熱意が高いのか、とたびたび質問しますが、強制的方法や法律によって人々を治めたのでは、かれらに自発的に規律を守らせ、創意的に働かせることができません。人間に自発的な活動をさせるためには、一定の文化水準を所有させなければなりません。したがって、資金が少々かかっても、教育事業を発展させ、人々をみな教育しなければなりません。

 我が国では久しい前から中等義務教育制が実施され、いまでは全般的11年制義務教育が実施されているので、60歳以下の人はすべて中等教育を受けたことになります。

 我が国の人民は大部分が中等教育を受けているので、文化水準は高いといえます。朝鮮人民はみな、党の政策と国家の施策を自発的に受けとめ、定められた規律をよく守り、熱心に働いています。

 我々は近い将来、高等義務教育制を実施して、すべての人を大学卒業水準に到達させる考えです。そのときには、人々はいまよりも規律をもっと自発的に守り、さらに創意を発揮するようになるものと思います。

 育ちゆく新しい世代を系統的に教育することが必要です。

 現在我が国では、350万の幼児が託児所と幼稚園で国家と社会の負担によって養育されており、500万の学生・生徒が人民学校から大学にいたる各級学校で学んでいます。託児所、幼稚園の幼児と学生・生徒を合わせると850万になりますが、これは、我が国の人口の半分が国家と社会の負担で養育され勉強していることを意味します。

 育ちゆく新しい世代を国家と社会の負担で集団的に教育すれば、かれらの資質を速やかに高め、新しい世代の才能を幼いときから十分に伸ばすことができます。最近テレビでも放映されましたが、我が国には4、5歳で英語や独奏の上手な子供がたくさんいます。これは、子供たちを集団的に教育すれば、すぐれた人材をより早く育てることができるということを示しています。

 もちろん、新しい世代をもれなく教育しようとすれば、国家の負担が大きいことは確かです。現在、我が国の国家予算で教育費の占める比重は少なくありません。しかし、我々は、教育事業に投じた金額よりもっと大きな効果をあげています。

 次に民族文化の発展において重要なのは、民族虚無主義と事大主義に反対することです。

 アジア、アフリカ、ラテンアメリカの新興諸国は、悠久な歴史と発達した文化の伝統をもっています。アジア、アフリカ、ラテンアメリカ諸国のなかには、立派な古代文化をもっている国がかなりあります。

 新興諸国が近代にいたって文化的に立ち後れるようになったのは、産業革命を遂行しなかったためです。

 以前、私はある学者から、朝鮮ではなぜ産業革命ができなかったのかという質問を受けたことがあります。そのとき、私はかれに、かつて我が国で産業革命ができなかったのは封建制度があまりにも強かったためだと答えました。

 ヨーロッパ資本主義諸国の影響を受け、日本が「明治維新」後に産業革命をおこなっているとき、我が国でも多くの人が資本主義的改革を企図しました。その他のアジア諸国にもブルジョア革命を主張した人がたくさんいました。しかし、封建支配層の過酷な弾圧により、資本主義的改革を主張した人は殺害され、資本主義的改革運動は失敗に終わりました。

 アジア、アフリカ、ラテンアメリカの多くの国の人民がこんにち立ち後れた状態にあるのは、決して、かれらが「劣等人種」であるからではありません。封建支配層の厳しい弾圧のため、ヨーロッパ資本主義諸国が産業革命をおこなっているときに、それらの国のように産業革命を遂行できなかったので立ち後れるようになったのです。

 こんにち、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ諸国は、民族の解放と独立を達成し、民主的発展の道を歩みはじめました。いま、新興諸国の人民には、自己の才能を十分発揮できる条件がととのっており、民族文化の急速な発展を促す大路が開かれています。

 人民の創造的才能を大いに発揮させ、民族文化を早急に発展させるためには、民族虚無主義を強く排撃し、すべての人に自民族も他民族に劣らず、なんでもできるという民族的自尊心と自負をいだかせなければなりません。

 民族虚無主義を排撃すると同時に、人々の頭に強く巣くっている、大国と発達した国への事大主義と崇拝思想を一掃しなければなりません。いま新興諸国人民の少なからぬ人々に、大国と発達した国にたいする事大主義と崇拝思想があります。

 我が国でも解放直後には、大国や発達した国にたいする崇拝思想がはびこっていました。当時、一部の幹部は、大国や発達した国の力を借りないことにはなにもできないかのように考えていました。他国にたいする事大主義と崇拝思想を一掃しないことには、経済建設の推進も、科学技術の発展も不可能でした。

 我が党と共和国政府は、人民のあいだで民族虚無主義と大国にたいする事大主義、発達した国にたいする崇拝思想を排撃し、民族的自負と創意を高めるたたかいを強力に展開しました。

 事実、いま我が国の労働者、科学者、技術者は、外国でつくられるものはほとんどつくっていますが、これは人民のあいだで民族虚無主義と事大主義、他国にたいする崇拝思想を排撃する闘争を強力に展開した結果、達成された成果です。

 我が国で電気機関車を始めて製作したときのことを一つ話しましょう。

 我が国で始めて電気機関車の製作にとりかかろうとしたとき、ある国の駐朝大使は、朝鮮で電気機関車をつくれるはずがない、天地神明に誓うとまでいいました。しかし、我が国の労働者、科学者、技術者は、事大主義と技術神秘主義を粉砕し、自力で電気機関車を立派につくりだしました。

 我々は、自分の力と技術で電気機関車をつくっただけでなく、鉄道の電化も自力で実現しました。これは、我が国の勤労者の頭から事大主義と他国への崇拝思想が一掃された結果であり、なんでも自力でなし遂げようと決心して取り組めば不可能なことはないということを実証するものです。

 もちろん、我々はまだ人工衛星のようなものはつくれません。我が国で人工衛星をつくれないのは、我々に技術や知識が足りないためではなく、国の経済力が足りないからです。我々はまだ月に行く考えはありません。地上での仕事も多いというのに、月に行くことから先に考える必要はないでしょう。

 我々の経験は、思想闘争を強力に展開して民族虚無主義と事大主義、発達した国にたいする崇拝思想から人々を解放すれば、人民大衆の革命的熱意と創意を大いに発揮させ、民族文化を速やかに発展させることができるということを示しています。

 他国にたいする事大主義と崇拝思想を排撃するのは、決して先進諸国から技術を学ぶことに反対するものではありません。新興諸国は、発達した国々の先進技術を学び、新しい社会の建設に利用すべきです。科学というものは、それを知らないときにはむずかしく神秘なもののように思えますが、学んで知ってみればやさしいものです。したがって、科学と技術を神秘なものと考え、科学技術の発達した国々を崇拝してはなりません。

 次に民族文化の建設において重要な問題は、帝国主義の文化的浸透を徹底的に排撃することです。

 新興諸国は、帝国主義者のまき散らす腐りきった反動的文化を絶対に取り入れてはなりません。帝国主義の反動的文化は、青年を腐敗堕落させる害毒作用をします。青年は新しい社会建設の主力部隊であるのに、かれらが腐敗堕落して働くのをいやがるようでは、新しい社会を建設することはできません。

 帝国主義者は立ち後れた国々の発展を抑止してこそ、支配と搾取をつづけることができるので、そうした国々に腐りきった反動的文化を浸透させるため悪辣に策動するのです。新興諸国は帝国主義者の狡猾な新植民地主義的策動にたいし警戒心を高め、帝国主義の文化的浸透に反対するたたかいを強く展開しなければなりません。

 新興諸国が帝国主義の文化的浸透を成功裏に防ぐためには、自己の民族文化を発展させなければなりません。みなさんはこのたびの会議で、民族文化の建設で得た立派な経験を大いに分かち合ったものと思います。

 私は、すべての新興国が、民族文化の発展のために、より多くの努力を傾ける必要があることをいま一度強調するものです。

 次に、南南協力を実現することが重要です。

 現在、発展途上諸国は100余にのぼります。

 非同盟運動の発生、発展以来すでに20年がすぎました。この間、非同盟諸国は、先進諸国に新国際経済秩序の確立を求めてきました。しかし、20年がすぎたいまになっても、先進諸国は、非同盟諸国、発展途上諸国に新国際経済秩序の「贈り物」をしていません。私は、今後も先進諸国が貧しい国々、発展途上諸国に新国際経済秩序の「贈り物」をするだろうとは思いません。金持ちであるほどもっと大金持ちになりたがるものです。

 1981年、メキシコのカンクンで開かれた南北首脳会議で先進諸国の国家元首たちは、発展途上諸国に新国際経済秩序の「贈り物」をすることはできないと公言しました。

 発展途上諸国の進むべき唯一の道は、南南協力を実現することです。

 では、南南協力の実現は可能でしょうか。私は十分可能だと考えます。

 現在、発展途上諸国のなかには、民族の独立を達成して50年になる国もあれば、40年になる国もあり、30年になる国もあります。発展途上諸国は、いずれも一定の技術と経験をもっています。

 我が国は戦後、廃墟のなかから都市建設をおこなったので建設の経験があり、潅漑工事の経験ももっています。また、我が国には地下資源が無尽蔵に埋蔵されているため、鉱山開発の経験もあります。

 他の国々にも立派な経験や技術が多いと思います。漁業の発達した国もあれば、畜産業の発達した国もあるはずです。かつて、我が国では家禽業がかんばしくありませんでしたが、キューバの同志たちの援助を受けて家禽業を発展させました。

 発展途上諸国が立派な技術を一つずつ提供するとしても、100種の技術を交流することができます。

 技術者も発展途上国同士で交流するのが望ましいと思います。先進国の技術者を一人招くとすれば、ひと月に1000ドル以上支払わなければなりません。かれらは、高級乗用車や休養所を求め、いろいろな要求条件をつけます。それにもかかわらず、かれらは1日数時間しか働こうとしません。しかし、発展途上国同士が技術者を交流すれば、1000ドルでなく200ドルか100ドル程度の報酬を与え、食生活を保障すればすむはずです。

 技術文書なども先進諸国から入手しようとすれば数10万ないし数100万ドルはかかりますが、発展途上諸国のあいだで交流すれば技術文書のコピー代だけを支払えばすむはずです。発展途上諸国のあいだでは、技術文書を無料で提供することもできるでしょう。

 いま先進諸国は、農業分野でかれらがつくった一代雑種の種子を高値で売りつけるために、発展途上諸国に育種法を教えません。しかし、我々は農業分野で育種法を教え合うことができます。

 1981年に朝鮮で、食糧・農業増産にかんする非同盟およびその他発展途上諸国の討論会が開かれましたが、そのとき私は、東西のアフリカから来た農業相たちに、会議でいかに立派な宣言を採択したとしても、それを実現する組織的な対策を講じなければ無意味であり、ただの空文書になってしまうといいました。そして、東アフリカと西アフリカの農業研究所の設立に必要な援助を与えることを約束しました。その後、ギニアとタンザニアに農業研究所を一つずつ設けました。私は、我が国の農業科学者、技術者が、それらの国に派遣されるとき、直接かれらに合い、朝鮮の営農経験を機械的に移すのでなく、ギニアとタンザニアの農業科学者や技術者と力を合わせて、それらの国の実情に適した農法をつくりだすよう強調しました。

 かれらが派遣されてから約2年しかなりませんが、成果は上々です。いまギニアのセクー・トーレ大統領閣下とタンザニアのニエレレ大統領閣下は、朝鮮の農業科学者と技術者に大きな関心を払い、助力を与えています。

 我々の経験は、発展途上諸国の農業科学者、技術者が互いに力を合わせれば、自国の実情にかなった立派な農法を十分つくりだすことができることを示しています。

 農業、保健医療、建設など互いに交流し協力し合える分野から交流と協力を強化し、新経済秩序を確立するならば、発展途上諸国、非同盟諸国は、経済的自立を遂げ、教育と文化も急速に発展させ、先進諸国の世話にならなくても自活できるでしょう。

 発展途上諸国は、先進諸国にたいする崇拝思想を捨て、南南協力を実現するために大いに努力すべきです。

 南南協力の実現は、先進諸国に圧力を加えることにもなります。発展途上諸国が交流と協力を強めて経済的自立を達成し、教育と文化を早急に発展させるならば、現在とは逆に先進諸国が我々を訪ねてくるようになるでしょう。

 教育・文化分野においても発展途上諸国間の交流と協力を立派におこなえば、大きな成果を達成することができます。

 我々は農業科学技術の交流で得た経験からして、教育・文化分野でも十分相互協力の条件をつくりだすことができると考えます。もし農業を基本とする国であれば、力を合わせて農業大学を立派に設立し、共同で農業部門の幹部養成事業に協力することができるでしょう。

 あなたがたが帰国されましたら、国家元首に私のあいさつを伝えてください。

 私は、みなさんの健康と活動での大きな成果を願ってやみません。

 ご清聴を感謝します。

出典:『金日成著作集』38巻


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