金 日 成

チュチェ思想を具現するための朝鮮人民のたたかいについて
ペルーアメリカ革命人民同盟代表団との談話
−1983年6月30日、7月1日、5日−


 私は、ペルーアメリカ革命人民同盟代表団の我が国訪問を熱烈に歓迎します。

 遠路をいとわず訪朝されたあなた方に謝意をあらわします。

 あなた方とお会いするのははじめてですが、久しい前からの相互間の政治的見解と立場の類似性からして、旧友に会ったような気持ちです。

 私は、アラン書記長同志をはじめ、貴党の主だった幹部たちとこうして顔なじみになり、両党間に立派な友好関係を結べるようになったことをたいへんうれしく思います。

 我々の今回の対面は、両党間の関係を好ましく発展させ、両党指導者間の親交を厚くする重要な契機となるでしょう。

 私は、我が党中央委員会と全朝鮮人民、そして私自身の名で、あなた方の訪朝をいま一度熱烈に歓迎します。

 アラン書記長同志からいろいろとあたたかいお言葉をいただき、感謝にたえません。

 書記長同志は、人民大衆は自己の運命の主人であり歴史の創造者であり、したがって、ラテンアメリカにおける解放と独立をめざす闘争の主人も、ラテンアメリカの統一をめざす闘争の主人もほかならぬラテンアメリカ人民であると述べましたが、あなた方のそうした見解と信念は非常に立派なものだと思います。私はあなた方の見解を全面的に支持します。

 人民大衆は自己の運命の主人であり、歴史の創造者であります。人民大衆の役割によって歴史が創造され、社会が発展します。人民大衆はいかなる帝国主義もゆうに粉砕して勝利をかちとり、いかなる困難な状況のもとでも自己の志向と要求にそって新しい社会を建設することができます。

 我々は、革命をはじめた当初からこんにちにいたる全期間、人民大衆に依拠してたたかうなら、革命と建設で提起されるいかなる問題をもすべて解決できるという確固たる信念をもち、常に人民大衆の力にしっかりと依拠してたたかってきました。

 かつて我々は、日本帝国主義に抗する武装闘争も人民大衆の力に依拠しておこない、解放後、共和国北半部にたいするアメリカ帝国主義の武力侵攻も人民の力に依拠して撃退し、戦後の復興建設もやはり人民の力に依拠しておこないました。祖国解放戦争(朝鮮戦争)のとき、アメリカ帝国主義者は我が国を廃墟に変えました。戦争が終わるとかれらは、朝鮮はこれから百年たっても立ち直れないだろうとうそぶきました。しかし我々は、領土があり、人民があり、人民政権があり、人民を導く党があるかぎり、廃墟のなかからも十分立ち直れるという信念をもって、戦後の復興建設に取り組みました。アメリカ帝国主義は、百年たっても朝鮮は立ち直れないだろうとうそぶきましたが、我が国はわずか数年のうちに戦争の傷跡をきれいにいやし、戦後20年にもみたない短期間に威力ある社会主義強国に建設されました。戦争が残した廃墟のなかから、我が国がこのように急速に立ち上がることができたのは、まさに人民の強大な力があったからです。

 人民大衆が革命と建設の主人であるという高度の自覚をもって、創造的エネルギーと知恵を余すところなく発揮するなら、不可能というものはありえません。これは、我々が革命闘争と建設事業を指導する過程で得た貴い真理です。

 我々の不十分な経験であっても話してほしいというのでしたら、そうすることにしましょう。

 私は、我々と共通した見解と理念をもつあなた方のような立派な戦友に会えて、たいへんうれしく思います。

 私は、団長同志をはじめ、みなさんがチュチェ思想に全面的な共感を示し、チュチェ思想の勝利をめざす朝鮮人民のたたかいに積極的な支持を寄せてくれたことにたいし、あつく感謝するものです。

 帝国主義者や資本家に依存しては国の自主的な発展は望めない、という団長同志のお話ですが、非常に重要な指摘だと思います。

 いま一部の国の執権者たちは事大主義、技術神秘主義に毒され、自国人民の力、自民族の力を信じようとせず、先進諸国ばかり頼りにしていますが、それでは自主的な新しい社会を建設することができません。

 数年前、アジアのある国の代表団が我が国を訪問したことがあります。かれらが我が国の各地を見てまわったあとで、私が会いました。そのとき代表団の団長は、自分の国では小さな工場もみな外国人によって運営されているが、朝鮮では工場の大小をとわずすべて朝鮮人自身の手で運営されている、これは非常に不思議なことだ、といいました。それで私はかれらに、もともとアジア人は才能のある勤勉な人民だ、手工業製品などはいまでもヨーロッパ人よりずっと上手につくっているが、これはアジア人が立派な才能をもっていることを示している、アジア人が近代にいたって立ち後れるようになったのは産業革命を経ていないためだ、かつてアジア諸国では社会の発展を阻む封建制度が強すぎて、ヨーロッパ諸国が産業革命をおこなっているときにそれができなかった、アジア人が産業革命を先に遂行した国々に追いつくためには、自国人民の力、自民族の力を信じようとせず、他国に依存しようとする思想からまずなくすべきだ、と説明したものです。

 自国人民の力を正しくくみ上げれば、他国の力を借りなくても、自力でなんでもなし遂げることができます。

 我が国では電気機関車も人民の力を奮い起こし、自力で製作しました。我々がはじめて電気機関車の製作にとりかかろうとしたとき、我が国に駐在していたヨーロッパのある国の大使は、朝鮮で電気機関車を製作するのは不可能だから、私の国で生産される電気機関車を輸入して利用する方がよいのではないか、といいました。しかし我々は、自力で電気機関車を製作することにしました。そのとき私は、若い技術者に電気機関車を設計する課題を与えてかれらを励まし、かれらの要請する問題を全部解決してやりました。結局、我々は自力で電気機関車を立派につくりだしました。我が国では、自力で電気機関車を製作して鉄道の電化を大々的におし進めました。

 我々は、この錦繍山(クムスサン)議事堂のような近代的な建築物もすべて、人民の力をくみ上げて自力で建設しました。いま、我が国人民の建築技術は相当なものです。朝鮮人民は戦後、廃墟の上に多くのものを新たに建設したため、その過程で高度の建築術を所有するようになりました。

 我々の経験によれば、他国に依存することなく自力で国の発展をはかるためには、まず多くの民族幹部を養成しなければなりません。

 日本帝国主義植民地支配の後遺症のため、解放直後、我が国には民族幹部が非常に不足していました。大学を出た人は数十名にすぎませんでしたが、それさえも技術関係の大学を出た人はわずかで、法科や文科出身者が大部分でした。日本人は朝鮮人に技術を教えませんでした。そのため、解放後、我が国には工業を管理運営できる人がいませんでした。

 我々は民族幹部養成事業を新しい社会建設の第一義的課題とし、民族幹部の養成に大きな力をそそぎました。

 我々は民族幹部を養成するため、万難を排して総合大学から創設しました。解放直後、我々が総合大学を設立しようとしたとき、一部の人は、なにもない状態で総合大学をどのように建てるのかといいました。しかし、我々は少しも動揺しませんでした。我々は全国各地から教員とインテリを呼びよせ、さらには南半部からもインテリをつれてきました。また、農民が分与を受けた土地から初年度の収穫をして国におさめた愛国米を建設資金にして万景台(マンギョンデ)革命学院と総合大学の校舎を建てました。万景台革命学院は、かつて、私とともに革命闘争をおこなって犠牲になった同志たちの子女を勉強させる学院です。

 我々は総合大学の創設についで、いくつもの大学を設立し、国情が困難を極めていた祖国解放戦争の時期にも民族幹部の養成を中断しませんでした。

 我が党の正しい教育政策により、一つの大学もなかった我が国に、いまでは180余の大学が設立され、解放直後にはわずか数十名にすぎなかった技術者、専門家の隊列が、いまでは120万に増大しています。

 革命闘争と建設事業でインテリは重要な役割を果たします。我々は120万のインテリ大集団を擁しているため、その気になって取り組めば、なんでもやり遂げることができます。

 我々がチュチェ思想を創始して理論的に定義づけた経緯について質問されましたが、それについて簡単に述べようと思います。

 私は革命闘争をはじめた当初から、革命の主人は人民大衆であるとみなし、人民大衆に依拠して自力で革命闘争をおこなうべきであるという思想を明らかにしました。我々はこの思想を指針とし、人民大衆の力に依拠して日本帝国主義者に抗する20年余の困難な闘争をおこない、解放後、新しい祖国の建設とアメリカ帝国主義侵略者に抗する3年間の祖国解放戦争もおこない、戦後の復興建設と社会主義革命もおこないました。我々は、長期にわたる各段階の革命闘争過程を通じてチュチェ思想の正しさを実証しました。

 チュチェ思想を創始し、それを朝鮮革命に具現するための我々のたたかいは、事大主義に反対する闘争と結合して進められました。

 我が国の事大主義は長い歴史的根源をもっています。

 地理的に見て、我が国は大国のあいだに挟まれている半島の国です。我が国の周辺には中国とソ連があり、日本があります。大洋の向こうには、我々の敵国であるアメリカがあります。

 朝鮮民族は悠久な歴史をもつ英知ある民族です。我が国は早くから文化をはじめ、すべてが発達していました。あなた方も我が国の歴史博物館を参観すれば、それがよくわかるはずです。我が国は、山紫水明で資源に富んでいます。それゆえ、我が国の周辺にある大国は久しい前から我が国を垂涎の的とし、自国の影響下に置こうとしました。アメリカも久しい前から朝鮮を侵略する目的で、我が国にキリスト教を伝播させました。

 歴史を振り返ってみると、我が国最後の封建国家であった李朝末期に封建支配層のあいだで多くの事大主義者が生まれました。当時、事大主義者は親清派、親ロ派、親日派に分かれていました。親清派は清国を後ろ楯にして我が国に清国の思想と文化を引き入れようとし、親ロ派はロシアを後ろ楯にしてロシアの勢力を引き入れようとし、親日派は日本を後ろ楯にして日本の勢力を引き入れようとしました。もともと、日本は我が国の文化の影響を受けて発達した国です。ところが、日本が産業革命をおこなって急速な発展を遂げるや、朝鮮人のなかには日本に頼り、その勢力を後ろ楯にしようとする傾向があらわれました。

 他の国々が産業革命をおこなっていたとき、我が国の封建支配層は大国の差し金のもとに党派争いに明け暮れ、国の発展をはかろうとしませんでした。当時、我が国でも開化派がブルジョア改革を実施して産業革命を試みましたが、封建支配層の弾圧により失敗に終わりました。そのため、我が国は発展の道が閉ざされて立ち後れるようになり、それ以来、朝鮮人のあいだには、大国のすることなら頭からなんでもよいものだと思う悪い思想が芽生えるようになりました。

 我が国は結局、事大主義者のために滅びてしまいました。我が国は1910年に日本の完全な植民地となり、36年間も日本帝国主義の植民地支配下にありました。日本帝国主義者は朝鮮を占領し、あくどい植民地政策を実施しました。しかし、朝鮮人民はこれに屈しませんでした。

 朝鮮人民は日本帝国主義の植民地支配に抗して立ち上がり、民族解放闘争を展開しました。しかし、反日闘争隊伍内に派閥が生じ、民族解放闘争に大きな弊害を及ぼしました。

 民族主義者は人民大衆の力に依拠して闘争をおこなおうとはせず、各派に分かれて大国を頼りにしながら、論争に明け暮れました。一部の人は中国を後ろ楯に朝鮮の独立を達成しようとし、また一部の人はソ連を後ろ楯に朝鮮の独立を達成しようとし、また、日本留学帰りの一部の人は日本に幻想をいだき、日本が朝鮮の独立を「贈り物」してくれることを期待していました。また一部の人は、ウィルソンの「民族自決論」を正しいとし、それを崇拝しました。

 反日民族解放闘争をめざした共産主義者たちもやはり各派に分かれ、派閥争いをしながら人民大衆に依拠して革命をおこなおうとしませんでした。かれらはそれぞれ「正統派」を自任して、コミンテルンの承認を得ようと訪ねまわりました。革命は自分の意思によっておこなうものであって、誰かの承認を得ておこなうものではありません。自国の革命を立派におこなえばコミンテルンがおのずと認めるはずなのに、他人の承認を得ようと訪ねまわる必要はないではありませんか。

 私は、我が国における民族主義運動と初期共産主義運動のこうした実態を批判的に見ながら、自国人民の力に依拠してたたかうべきであること、そして自分の問題は自分が責任をもって解決すべきであるということを痛感するようになりました。私がこのような思想をもつようになったのは、父の革命的影響に負うところが大でした。

 私の父は、我が国の反日民族解放運動の先駆者の一人でした。1917年の秋に有名な「105人事件」なるものがありましたが、それは、我が国で民族解放闘争をおこなっていた人たちが一挙に105名も日帝警察に逮捕された事件です。逮捕された人の大部分は朝鮮国民会のメンバーでした。朝鮮国民会の組織者であった私の父も、そのとき逮捕されて1年余り獄中生活をしました。父は出獄後、衰弱した体ではありましたが、民族解放運動をつづけました。日本帝国主義に抗してたたかいをつづけた父は再び日帝警察に逮捕されましたが、護送中に脱走しました。父は、獄中で受けた拷問と脱走のさいに受けた凍傷の後遺症のため、私が14歳であった1926年に世を去りました。

 父は、反日民族解放運動内で派閥争いをしたのでは国の独立を達成することはできず、ただ人民大衆を結集し、その力に依拠してたたかってこそ国の独立を達成できるという思想をもっていました。父は反日民族解放運動の派閥に反対し、団結を主張しました。

 私は父の没後、中国の東北地方で朝鮮の民族主義者が運営していた学校に入って勉強したのですが、その学校の民族主義教育の内容は、私の気に入りませんでした。もともと、その学校は、私の父の指導のもとに独立軍の幹部を養成する目的で設立されたものでした。

 私は革命闘争の新しい道を切り開くことを決心し、その学校の愛国青年たちで打倒帝国主義同盟を結成して革命闘争をはじめました。打倒帝国主義同盟のメンバーはその後、日本帝国主義との闘争で中核的役割を果たしました。

 私は打倒帝国主義同盟を結成したあと、反帝青年同盟、朝鮮共産主義青年同盟をはじめ、多くの共産主義的青年組織を結成しました。

 私が革命闘争をはじめたとき、一部の同志から、モスクワに行ってコミンテルンの運営する大学で学ぶようにと勧められました。かれらは、より多くのことを学んできて革命運動を立派に指導してほしいという意図で私にそういう勧告をしたのですが、私はそれを拒みました。私はモスクワへ行って学ぶよりも、人民のなかに入ってたたかいながら学ぶ方がましだと考え、モスクワへ行きませんでした。私の教師はモスクワや上海にいる人たちではなく、朝鮮人民でありました。

 1932年、私は日本帝国主義に反対する組織的な武装隊伍を結成しましたが、当時、我々には武装闘争の経験がありませんでした。しかし、我々は闘争を通じて経験を積みながら、武装闘争を展開しました。闘争の過程で武装隊伍は成長し、革命家と愛国青年はかたく団結しました。同志たちは私を尊敬し、私は同志たちを愛しました。朝鮮人民革命軍は、このように互いにいたわり愛し合いながら、日本帝国主義者に抗して15年間も困難な武装闘争を展開しました。

 日本帝国主義者と戦ったとき、我々は外国の援助を受けたことがありません。当時、武器などを多少援助してもらおうとしても、くれるところがありませんでした。我々は日本帝国主義者の銃を奪い取って武装し、人民の支援のもとに敵と戦いました。

 日本帝国主義は、朝鮮人民革命軍を掃滅しようと100万の大軍を動員して「討伐」を強化する一方、朝鮮人民革命軍の隊員を飢え死にさせようとあらゆる策動を弄しました。敵は人民を朝鮮人民革命軍部隊に接近できないようにしようと「集団部落」をつくり、その城外に人民が自由に出られないようにしました。かれらは食糧まで城内に持ちこみ、城外に持ち出せないように取り締りました。しかし人民は、さまざまな方法で朝鮮人民革命軍部隊に食糧を送ってくれました。農民は秋に芋畑の収穫を終えたように芋づるを取り払い、その畑を人民革命軍部隊に教えて芋を掘っていかせたり、トウモロコシを取り入れては樹林の中に運んでおき、それを人民革命軍部隊が持っていけるようにしました。労働者、農民だけでなく、インテリをはじめ、国を愛する各階層の人民がこぞって人民革命軍を支援しました。

 私は抗日武装闘争当時、魚が水を離れては生きていけないように、遊撃隊は人民を離れては生きていけないというスローガンを示し、朝鮮人民革命軍の隊員が人民との血縁的なつながりを保つようにしました。朝鮮人民革命軍は人民との結びつきを強め、人民の積極的な支援を受けたがゆえに、日本帝国主義に抗する長期の闘争で勝利することができました。

 我々は抗日革命闘争を通じて、人民の力がいかに威力あるものであるかを明確に知り、人民の力を信じ、人民の力に依拠して革命闘争を展開するならば、必ず勝利することができると確信するようになりました。

 1945年、祖国が解放されるや、我々はただちに党の創立に着手しました。我々は、1945年10月に北朝鮮共産党中央組織委員会を結成して党の創立を世界に告げました。その後、国の新たな情勢と発展する革命の要請に即応して、共産党を勤労人民の大衆的政党に発展させる方針を示し、それを短期間に実現しました。

 解放直後、我が国には鍛えられた共産主義者があまりおらず、労働者階級はまだ歴史が浅く、人民は共産主義にたいする正しい認識をもっていませんでした。日本帝国主義者が長期間、朝鮮人民のあいだで共産主義の悪宣伝をおこなったため、少なからぬ人が共産主義者といえばソ連の手先だと思っていました。

 こうした状況下にあって、党が広範な勤労人民大衆のなかに深く根をおろすためには、鍛えられた共産主義者と労働者階級の先進分子だけでなく、農民と勤労インテリのなかからすぐれた分子を広く受け入れ、共産党を大衆的政党に発展させる必要がありました。それで我々は、1946年に共産党を、勤労者大衆の先進分子をすべて結集できる労働党に発展させました。それ以来こんにちまで、我が党は勤労人民大衆の統一的党としてたえず発展してきました。

 我が党のマークにはバンマーと鎌、筆が描かれていますが、これは我が党を構成している労働者、農民、勤労インテリを象徴しています。

 我々は祖国解放戦争の時期に、教条主義と事大主義に反対し、チュチェ思想の旗を高くかかげなければならないことをいっそう痛感しました。

 解放後、我々は新しい朝鮮を建設するために少なからぬ人を外国に留学させるとともに、外国で活動していた多くの朝鮮人を帰国させましたが、かれらのなかから事大主義と教条主義があらわれました。留学帰りの人も、外国から帰国した人もみな、我々のものより外国のものの方がよいといって、他国のものを機械的に取り入れようとしました。かれらは戦時中、敵との戦いにおいても国内の実情を考慮せず、外国の方式で戦おうといいました。我々はこうした傾向に反対しました。第2次世界大戦のとき、ヨーロッパの広大な平野に数百台の戦車を一挙に繰り出して敵を攻撃した、そのような戦法は我が国の地形条件にあいません。我が国には戦車が多くなかったばかりか、戦車があったとしても、我が国の地形条件では多くの戦車で一挙に敵を攻撃することはできません。我が国は平野が少なく、山が多い国です。

 私は当時、朝鮮人民軍最高司令官として、我々は他国の戦法で戦うべきではなく、朝鮮の地形条件にかなった朝鮮式の戦法で戦うべきであることを強調しました。我々は、抗日武装闘争の時期にあみだした遊撃戦の戦法を正規戦の要求にふさわしく発展させ、我が国の実情にかなった各種の新たな戦法をあみだしました。

 戦争当時、教条主義と事大主義がいかに甚だしかったかを、実例を一つあげて話しましょう。

 私は戦時に人民軍のある休養所に行ったことがありますが、そこには雪におおわれたシベリアの密林に熊がはっている絵がかかっていました。もちろん、それは上手に描かれた絵でした。しかし、その絵は、人民軍軍人の教育には別段意義がありませんでした。私は同行した幹部に、この絵を国際美術展覧会に展示するならいざ知らず、人民軍の休養所にかけたのでは人民軍兵士によい影響を与えることができない、我々はいま他の国で戦争をしているのではなく、まさに我が国でアメリカ帝国主義者に抗して血を流して戦っている、それゆえ絵を一つかけるにしても人民軍兵士を郷土と祖国の一木一草を愛するよう教育するのに必要な絵をかけるべきである、なのにシベリアの密林の中を熊がはっている絵をかけてなんの意味があるのか、我が国には美しい海や景色のよい金剛(クムガン)山、妙香(ミョヒャン)山などがあるのだから、そうした風景画を描いてかければ、人民軍兵士の教育にもよいではないか、といいました。

 将来、世界的範囲で共産主義が勝利したあとも、朝鮮人は朝鮮で暮らすはずであって遠い外国へ行って暮らしはしないでしょう。それゆえ、人民が常に祖国を愛するように教育するのが重要です。まして祖国解放戦争の時期に、人民と軍人が祖国を熱烈に愛するように教育するのは極めて切実な問題として提起されました。

 私は、その休養所から帰ったあと、全党員と人民を我が党の革命思想と愛国主義精神で武装させることを重要な問題として強調しました。

 祖国解放戦争当時、我が党が教条主義と事大主義に反対し、全人民と人民軍軍人を祖国を愛する精神で教育し、我が国の実情に合った各種の戦法をあみだしたため、我々は立ち後れた兵器をもってしても、現代兵器で武装したアメリカ帝国主義者をうちまかすことができたのです。

 我が国で事大主義に反対し主体性を確立する必要性は、戦後になっていっそう切実に提起されました。それで私は1955年、党の宣伝扇動活動家に、思想活動における主体性の確立問題について演説しました。そのとき私は宣伝扇動活動家に、我々はもちろん偏狭な民族主義者になってはならないが、だからといって自国と自民族を忘れてはならず、一幅の絵を描いても朝鮮人民のために描き、一曲の歌をうたっても朝鮮人民に愛唱される歌をうたうべきだといいました。そのときから我々は主体性確立の問題を強くうちだしました。

 戦後、我々は革命と建設の各分野で主体性を確立し、すべての仕事を我々の方式でおこないました。個人農経営の協同化も外国の方式ではなく、我が国の実情に即して我々の方式でおこないました。その結果、我が国における農業協同化運動は短期間に順調におこなわれました。

 私は農業協同化を進めるさい幹部に、外国のよい経験は学ぶべきであるが、それが我が国の実情と朝鮮革命の利益に合致するかどうかを味わってみて「胃」が受け入れれば飲みくだし、そうでなければ吐きすてるべきだといいました。その後も我々は幹部に、外国のもののうち朝鮮人民が求めるものは受け入れ、そうでないものは受け入れてはならず、受け入れる場合にも機械的に模倣すべきではなく、我が国の具体的な実情に合うよう受け入れなければならないと強調しました。我々は、常に幹部と勤労者をこのようにチュチェ思想で教育しました。

 これまで、我々が主体性を確立し、すべての活動を我々の方式でおこなった結果、我が国では万事がうまくいきました。

 我々はこんにちも、チュチェ思想にもとづいてすべての問題を我々の方式で解決しています。工業も主体的に発展させており、建設も主体的に進めています。農業も我が国の実情に即して主体的に発展させています。

 我が国の農業専門家のなかには留学帰りの人が少なくありませんが、我々はかれらが学んできた農法を我が国の現実にそのまま適用しないようにしました。なぜならば、外国の農村と我が国の農村とでは実情が異なるからです。かれらが外国で学んできた農法は、我が国の実情に合いません。実情に合わない農法をそのまま適用しては農業を正しく営むことができません。

 ひところ、我が国の農業大学では外国の農業大学の教科書を翻訳し、それで学生を教えていました。しかし、いまでは主体的農法の要求に即して教科書を新しく編さんし、それで学生を教えています。

 我が国の芸術家の公演を見ればわかることですが、我々は歌も我々の方式でうたっており、歌劇も我々の方式で発展させています。

 もちろん、世界にはチャイコフスキーの作品をはじめ、すぐれた音楽作品が少なくありません。しかし、いかにすぐれた音楽であっても、外国のものは朝鮮人民の情緒にはよく合いません。朝鮮人民は、民族的形式に社会主義的内容をもりこんだ芸術を好みます。我々は、我が国のものを無視し、外国のものを機械的に取り入れようとする傾向と、昔の古いものをそのまま復活させようとする傾向にともに反対しています。我々は、民族的形式に社会主義的内容をもりこんだ文学・芸術を発展させる原則を堅持しています。

 一言でいって、いま我が国では主体的な工業、主体的な農業、主体的な建設、主体的な文学・芸術が急速に発展しています。

 チュチェ思想を指針とすれば万事がうまくいきます。

 チュチェ思想はマルクス主義を機械的に模倣したものではなく、こんにちの現実に即して創造的に発展させたものだという団長同志のお言葉でしたが、正しい指摘だと思います。

 事実、我々はマルクス主義を我が国の現実にそのまま適用したのではありません。マルクス主義を機械的に適用しては革命闘争で勝利をおさめることができません。

 マルクスは、ドイツやイギリスのような発達した資本主義国で活動する過程で、資本主義社会にたいする分析にもとづいて革命理論をうちだしました。マルクスは、ヨーロッパの主な資本主義諸国で革命が連続的に起きるものとみなし、世界的範囲で共産主義が遠からず勝利するものと予言しました。しかし、マルクスとエンゲルスによって『共産党宣言』が発表されてから100年以上の歳月が流れましたが、共産主義が実現した国はまだ一つもありません。イギリスにはいまだに資本主義がそのまま残っています。

 資本家は非常に狡猾です。資本家は、その地位を維持するためにあらゆる術策を弄します。資本家は労働者階級のあいだに労働貴族を育て、かれらをかつぎだして労働運動の隊伍を切り崩そうと策動しています。いま、発達した資本主義諸国で革命が起こらない主な原因の一つはここにあります。

 労働者階級の隊伍が増大しさえすれば革命がおのずと起きるものと見てもならず、また労働者階級だけで革命が遂行できると見てもなりません。かつて、正常な資本主義的発展段階を経ることができず、植民地または半植民地であった国々には労働者階級が少なく、農民と手工業者が人口の絶対多数を占めています。こうした国々では、農民と手工業者まですべて結集してこそ、革命で勝利することができます。

 解放直後、我が国には労働者階級がいくらにもならず、農民が人口の80%を占めていました。それで我々は、労働者階級とともに農民を朝鮮革命の原動力とみなし、かれらを党のまわりに結集しました。一部の国では、インテリを有産階級だとして革命の原動力とみなしませんでしたが、我々は革命闘争においてインテリの果たす重要な役割を認め、かれらを党のまわりに結集しました。いっとき、反党分派分子らは我が党のインテリ政策に反対しました。しかし、我々は反党分派分子らの策動をしりぞけ、終始、党のインテリ政策を貫きました。

 我々は労働者、農民、勤労インテリ、手工業者をすべて結集して革命闘争と建設事業をおこないました。革命と建設で我々がおさめた輝かしい成果は、我が党の方針の正しさを実証しています。

 マルクスの著作には、個々の国での革命の遂行方途までは具体的に記述されていません。個々の国の共産主義者は、自分の頭を働かして自国人民の利益と自国の実情に合った革命の遂行方途を見いださなければなりません。個々の国の実情はその国の党がよく知っています。ペルー革命についてはあなた方が誰よりもよく知っており、朝鮮革命については我々が誰よりもよく知っています。個々の国の革命と建設で提起される理論的・実践的問題にたいしては、その国の党が最も的確な結論をくだすことができます。

 革命の遂行において固定不変の公式といったものはありえません。数学には公式がありますが、革命の遂行には公式がありません。革命の遂行で必ず守るべき公式があるとすれば、それはすべての問題を自分の頭で考え、自力で処理しなければならないということです。これ以外に他の公式はありえません。我々は長期にわたる革命闘争の過程で、こうした結論を得るようになりました。

 マルクス主義と外国の経験に教条主義的な態度でのぞむ人は、真のマルクス主義者ではありません。そういう人は、えせマルクス主義者です。

 かつて我が国にも、えせマルクス主義者がいました。かれらは足は朝鮮の地につけていながら、頭は外国にありました。

 足は自国の地につけ、頭は外国にある人は、いくらマルクス主義者を自称してもただの空論家にすぎません。このような人は革命的な言辞で人民を欺瞞したがるものです。かつて、朝鮮のえせマルクス主義者は、演説するたびに識者ぶって、「ヘゲモニー」だの「プロレタリアート」だの「インテリゲンチア」だのといった、人民には理解できない言葉をむやみに使いました。それで、私はかれらを強く批判しました。

 人民は、空理空論に明け暮れるえせ共産主義者の言葉には耳を傾けず、かれらに従おうとしません。

 あなた方は現在、ペルーの実情に即して大衆組織活動をおこなっているとのことですが、自国の実情に即しておこなえば、万事がうまくいくはずです。私は、あなた方のやり方が正しいと思います。

 つぎに、いま我が党の実施している政策と我が国の実情について述べようと思います。

 我が党は、これまでチュチェ思想を指導指針としてたたかった結果、革命と建設で大きな勝利をおさめました。こんにち、チュチェ思想は朝鮮人民の確固たる信念となっています。

 我々はこのような朝鮮の現実をふまえて、第6回党大会で全社会をチュチェ思想化する課題を示しました。

 全社会をチュチェ思想化するというのは、チュチェ思想を指導指針とし、チュチェ思想を具現して共産主義社会を建設することを意味します。

 共産主義を建設するためには、チュチェ思想の要求どおりに人間と社会を徹底的に改造し、共産主義の思想的要塞と物質的要塞を占領しなければなりません。物質的要塞の占領だけでは共産主義社会を実現することばできません。社会主義・共産主義建設は人間がおこなうものであるため、思想的要塞を占領するたたかいを力強く展開して人々の思想・意識を改造することなしには、物質的要塞を占領することができません。また、物質的要塞を占領するための経済建設を立派に進めてこそ、思想的要塞も成功裏に占領することができます。それゆえ、我々は共産主義建設で思想的要塞と物質的要塞をともに占領する原則を堅持しています。

 共産主義の思想的要塞と物質的要塞を占領するためには、思想革命、技術革命、文化革命を遂行しなければなりません。思想、技術、文化の三大革命を力強く展開して思想的要塞と物質的要塞を占領してこそ、共産主義を建設することができます。

 三大革命で最も重要なのは思想革命です。

 思想革命は、すべての人を教育改造して共産主義的人間につくりあげる革命です。思想革命をおこなうからといって出身階級のよくない人をのけものにしてはなりません。マルクスとエンゲルスが示した共産主義的目標を実現するのは決して簡単なことではありません。共産主義社会は、すべての人が能力に応じて働き、必要に応じて分配を受ける発達した社会です。共産主義社会を建設するためには、出身階級のよい人だけでなく、社会の全構成員を教育改造して共産主義的人間にしなければなりません。

 人々を共産主義的人間につくりあげるためには、かれらを革命化、労働者階級化しなければなりません。

 人は生活が苦しいときには革命をおこなおうとする熱意が高く、懸命に働きますが、生活が豊かになるとしだいに革命的熱意がさめ、誠実に働かない傾向があらわれます。それゆえ、人々が革命闘争をひきつづき立派におこなうようにするためには、かれらのあいだで革命化、労働者階級化のたたかいを力強く展開しなければなりません。

 人々を革命化、労働者階級化するためには、自主的な思想・意識と、一人はみんなのために、みんなは一人のために働き生活する、集団主義精神でかれらを武装させなければなりません。こうして、精神労働に従事する人と肉体労働に従事する人とをとわず、社会の全構成員が祖国と人民のため誠実に働くようにすべきです。

 これまで、我が党が勤労者のあいだでチュチェ思想教育と集団主義教育を強化した結果、こんにち我が国では、すべての勤労者が各自の任務を明確に知り、祖国と人民のために、社会と集団のために誠実に働いています。

 社会の全構成員を革命化、労働者階級化するためには、かれらを一定の組織に参加して生活するようにさせることが重要です。

 組織生活は、人々の思想を改造する強力な手段です。人々は組織生活を通じて集団主義精神と規律性を高め、団結力を強め、革命任務の遂行にたいする自覚をもつようになります。それゆえ、組織生活を強化してこそ、人々を革命化、労働者階級化することができます。

 組織生活には女性も参加させるべきです。夫が妻を教育するのはむずかしいけれども、組織では女性を立派に教育することができます。女性が家庭に閉じこもらず社会に出て働き、組織生活にも参加すれば、そこで批判と教育を受けて革命化、労働者階級化されます。女性が組織生活を通じて教育されれば、夫をもっと尊敬し、生活もさらに凡帳面に営むようになり、結局、家庭がいっそうむつまじくなります。

 組織生活は、児童にも切実に必要です。

 いつか、私がある人民学校へ行ったときのことです。そのとき、9歳のある児童に少年団組織生活をしながら批判されたことがあるかと聞くと、鉛筆を削ってこなかったため先生が教えてくれることをよく書き取ることができず、少年団会議で批判されたと答えました。友だちから批判されたときどういう気持だったかと聞くと、非常に不愉快だったといいました。その子は、先生の批判よりも少年団組織の批判の方がこわい、少年団組織で批判されてからは家で鉛筆を何本も削って学校へ来るようになったといいました。その日、ほかの子とも話してみたところ、ひところ数学の成績が悪かったその子は、少年団組織の助けを受けて優等生になったということでした。少年団組織では、数学が得意な2名の児童に任務を与え、その子の学習を助けるようにしたとのことです。

 いま、我が国では社会の全構成員が一定の組織に参加して組織生活をしています。少年団員は少年団組織で、社労青員は社労青組織で、職業同盟員は職業同盟組織で、女性同盟員は女性同盟組織で、農業勤労者同盟員は農業勤労者同盟組織で、党員は党組織でそれぞれ組織生活をしています。

 このように、我が国では社会の全構成員を不断に教育し、かれらの組織生活を強化する方法で全社会の革命化、労働者階級化を促しています。

 三大革命において、また重要なのは技術革命です。

 技術革命は簡単にいって、資本家と地主の抑圧から解放された勤労者を骨のおれる労働から解放し、生産力を発展させて人民の物質的福祉をたえず増進させるための革命です。

 農村における技術革命の重要な目標は、農業労働と工業労働の差をなくし、農民にも労働者のように一日8時間労働をさせるようにすることです。農民を骨のおれる労働から解放することが重要です。我々は農村技術革命を強力に展開し、農業労働と工業労働の差をなくすことによって、すべての農民が一日8時間働き、8時間学習し、8時間休息するようにしようとしています。

 我々はまた、高熱労働と有害労働をなくし、運搬や貨物の積み下ろしなど骨のおれる作業をらくなものにするため、生産工程の機械化、オートメ化を積極的に実現しています。

 技術革命は長期にわたって遂行すべき革命課題です。我々は技術革命を徹底的に遂行して、精神労働と肉体労働の差をなくす考えです。

 文化革命は三大革命の重要な構成部分です。

 人は高い文化知識を身につけてこそ、より立派に働き、礼儀作法もいっそうよく守るようになります。

 これまで我々は文化革命の遂行に大きな力をそそぎ、文化建設のすべての分野で大きな成果をおさめました。現在、我が国では、託児所と幼稚園で養育されている子供は350万、人民学校から大学にいたる各級学校で勉強している学生・生徒は500万にもなります。託児所と幼稚園で養育される子供と各級学校で勉強する学生・生徒を合わせると850万にもなりますが、これは我が国人口の半分に相当します。我が国には正規の学校で学ぶ学生だけでなく、働きながら学ぶ教育体系に網羅されて学ぶ人も大勢います。それゆえ、世界各国の人々は我が国を指して「教育の国」と呼んでいます。

 我が国には120万の技術者、専門家がいるため、就労者と技術者、専門家の比は7対1にもなります。これは世界的にも非常に高い比率です。

 こんにち、朝鮮人民の文化・知識水準は非常に高いといえます。朝鮮人民は、外国の文化を見てその長短を見分けることができます。人民の文化水準が高いので、我が国には酔いどれもいなければ泥棒もいません。

 いま、文化革命の遂行における我が党の重要な方針は、全人民の文化・知識水準を大学卒業程度の水準に到達させることです。すなわち、全社会のインテリ化を実現することです。全社会のインテリ化の実現は、精神労働と肉体労働の差をなくす重要な条件となります。

 私は、1977年に『社会主義教育にかんするテーゼ』を発表しました。教育テーゼを貫徹して全社会のインテリ化を実現すれば、我が国はさらに速く発展するでしょう。

 あなた方は我が国の教育体系について質問されましたが、我が国には学業を専門とする教育体系とともに、働きながら学ぶ教育体系があります。働きながら学ぶ教育体系には、工場大学もあり、工場高等専門学校もあります。工場大学は大きな工場、企業所にありますが、労働者がその日の仕事を終えてからそこで学びます。

 工場大学は正規の大学と変わりありません。勤労者が毎日、工場で8時間労働を終えたあと、工場大学に行って4時間ずつ学びます。

 工場大学を卒業すれば技師の資格を所有します。工場大学を卒業した人の水準は正規の大学を出た人の水準に決して劣りません。大きな機械工場や化学工場にある工場大学を出た人の水準は、たいへん高いものです。それは、かれらが直接、生産現場で実習をしながら学ぶからです。

 現在、我が国では、経済建設が順調にいっています。

 朝鮮労働党第6回大会では、1980年代の社会主義経済建設の十大展望目標を示しました。我々は、1980年代の末にいたって年間、電力千億KWh、石炭1億2千万トン、鋼鉄千500万トン、非鉄金属150万トン、セメント2千万トン、化学肥料700万トン、織物15億メートル、水産物500万トン、穀物千500万トンを生産し、今後10年間に30万ヘクタールの海面干拓をおこなう予定です。社会主義経済建設の十大展望目標を達成すれば、我が国は経済発展の面で世界の先進国の隊列に堂々と加わることになるでしょう。

 我々には、社会主義経済建設の十大展望目標を十分実現しうる条件がそなわっています。我々には自立的民族経済の強固な土台があります。我が国の自立的民族経済の潜在力は極めて大きいものです。もし、我々に自己の強固な経済的土台がなければ、このような高い展望目標をあえてうちだすことはできないでしょう。

 我々は第6回党大会後、党中央委員会総会で社会主義経済建設の十大展望目標を達成するために一つひとつ対策を講じています。

 我々はまず、党中央委員会総会で海面干拓と新しい土地開墾のための大自然改造事業をおこなう問題を討議し、30万ヘクタールの海面干拓をおこなうたたかいを力強く展開しています。

 我が国には耕地が多くありません。現在、我が国の耕地のうち、果樹園と工芸作物面積、そして高地帯の斜面畑を除けば、安定した農業が営める耕地は150万ヘクタールにしかなりません。昨年我々は、150万ヘクタールの耕地で950万トンの穀物を生産しました。

 こんにち、我が国のヘクタール当たり穀物収穫高は、極めて高い水準に達しています。世界的に、水稲のヘクタール当たり収量は我が国が最上位を占めています。現在、我が国ではヘクタール当たり7.2トンの籾米を生産しています。今後、営農方法をさらに改善すれば、ヘクタール当たりの収量をさらに高めることができます。

 穀物生産を画期的に増大させるためには、営農方法を不断に改善するとともに、耕地面積を拡張しなければなりません。それで、我々は30万ヘクタールの海面干拓をおこなうことにしました。30万ヘクタールの海面干拓をおこなえば、耕地面積がそれだけ増え、我が国の地図が変わるでしょう。

 海面干拓をおこなって得られる耕地は非常に立派な土地です。干拓地の水田で、うまくいけばヘクタール当たり10トンの籾米を収穫することができます。籾米をヘクタール当たり10トンと見れば、30万ヘクタールの干拓地の水田で300万トンの籾米を生産することができます。干拓地をおこして水田にすれば、農作業の機械化にも有利です。

 我が国で30万ヘクタールの海面干拓をおこなうのは、さほど大きな問題ではありません。

 現在、我々は海抜ゼロメートルの線に堤防を築いて海面干拓をおこなっていますが、もし、その界線から水深が2〜3メートルのところまで出て堤防を築けば、30万ヘクタールでなく50万〜60万ヘクタールの海面干拓をおこなうことができます。いま、ある国では海の深さが80メートルのところまでふさいで耕地を得ていますが、それに比べれば水深2〜3メートルのところをふさぐのは、なんでもありません。我々は、第1段階として30万ヘクタールの海面干拓をおこない、経験を積んだあと、さらに多くの海面干拓をおこなおうと計画しています。

 海面干拓をおこなって農地として利用するうえで重要なのは、用水の問題を解決することです。我々は、新しい干拓地の用水問題を解決するために南浦(ナムポ)閘門(現在の西海(ソヘ)閘門)を建設しています。

 南浦閘門は、極めて大規模なものです。おそらく世界的にも、これほど大規模の閘門はないと思います。最近、我が国駐在の外交団のメンバーが南浦閘門建設場を見てまわりましたが、かれらは、このような大規模の閘門は朝鮮でしか建設できないといって驚嘆したそうです。南浦閘門を建設すれば潮水が大同(テドン)江に流れこむのを防ぐことができ、大同江下流は常に満水状態になるので、その水を干拓地の水田に引く計画です。南浦閘門の建設は1985年に完工します。

美林閘門

 我々は、既に大同江に2つの閘門を建設しましたが、その一つは美林(ミリム)閘門で、ほかの一つは烽火(ポンホワ)閘門です。現在、烽火閘門の上流にさらに2つの閘門を建設しています。大同江に5つの閘門が全部建設されれば、大同江に大型船が行き来できるようになるでしょう。

 昨年8月に開かれた朝鮮労働党中央委員会咸興(ハムフン)総会では、150万トンの非鉄金属生産目標を達成する問題を討議しました。現在、我が国の勤労者は党中央委員会咸興総会の決定を高くかかげ、150万トンの非鉄金属生産目標の達成をめざして力強くたたかっています。

 150万トンの非鉄金属生産目標の達成で、咸鏡(ハムギョン)南道と両江(リャンガン)道が重要な役割を果たしています。最近我々は、咸鏡南道に1000万トンの非鉄金属鉱物を処理できる新たな選鉱場を一つ建設しました。今度新たに建設した選鉱場は、世界的にも屈指の大規模選鉱場です。我々はこの選鉱場を自力で1年のあいだに建設しました。いまこの選鉱場は試運転中ですが、スムーズに動いています。我々は、共和国創建35周年を契機にこの選鉱場の操業を開始する予定です。これほど大規模の近代的な選鉱場をわずか1年間で建設したのは、我が国の労働者階級の力と工業の威力が非常に大きいことを示しています。

 非鉄金属は我が国の重要な外貨収入源であります。我々は今後、鉛、亜鉛、鋼、金、銀などの非鉄金属生産を増大させて非鉄金属にたいする国内需要を充足させ、残りは外国に売って外貨を獲得する計画です。

 最近開かれた朝鮮労働党中央委員会第6期第7回総会では、15億メートルの織物生産目標と化学製品生産目標を達成する問題を討議しました。我々はこの総会の決定に従い、今後、化学製品生産目標の達成をめざして大きな力をそそぐようになります。

 化学製品生産目標の達成で重要なのは繊維生産を増大させることです。15億メートルの織物生産目標を達成するためには27万トンの繊維がなければなりません。しかし、耕地面積の少ない我が国では綿の大量栽培ができないため、繊維問題を工業的方法で解決しなければなりません。

 我々は、繊維問題を解決するためにビナロン工業を発展させています。

 ビナロンは、我が国で発明された立派な化学繊維です。ビナロンは綿花よりも丈夫です。ビナロンの基本原料は石灰石と無煙炭ですが、我が国には石灰石も無煙炭もたくさんあります。石灰石と無煙炭は非常に有用で貴重な資源です。石灰石と無煙炭は我が国の宝であるといえます。

 我が国でビナロンを発明した博士は現在、科学院咸興分院の院長をつとめています。かれはもともと南朝鮮の人ですが、解放前に日本に渡ってビナロンの研究をし、解放後南朝鮮に帰ってきました。しかし、アメリカの手先である南朝鮮のソウル「政権」は、アメリカ資本の導入にきゅうきゅうとするだけで、民族工業を発展させようとしませんでした。ビナロンを発明した博士は、ビナロン工業の発展について南朝鮮かいらい当局に何度も提議しましたが、かいらい政府はかれの提議を受け入れませんでした。かれは南朝鮮の民主人士を通じて、共和国北半部に来たいという手紙を我々によこしました。かれは手紙で、南朝鮮「政権」はかいらい政権であり、共和国政権は愛国的な政権であるとし、祖国と人民に奉仕するため、我々を訪ねて共和国北半部に来たいといいました。それで我々は、かれを家族とともにつれてきました。我々は戦争の困難な環境のもとでも十分な研究活動ができるよう、かれにすべての条件をととのえてやりました。研究活動に必要な資金を提供し、実験設備を購入してやり、戦後には中間試験工場も設けてやりました。我々は、ビナロンにたいするかれの研究成果にもとづいて、咸興に近代的な大規模のビナロン工場を建設しました。

 現在我が国には5万トン能力のビナロン工場が一つありますが、今後それよりも大きな10万トン能力のビナロン工場を新設する計画です。

 我が国には葦を原料にして繊維を生産する工場もあります。現在この工場の生産能力は1万トンですが、今後2万トン能力に拡張する計画です。

 今後我が国で27万トンの繊維を生産すれば、15億メートルの織物生産目標を難なく達成することができます。15億メートルの織物を生産すれば、我が国の人口一人当たり83メートルの織物がゆきわたるようになりますが、これは非常に高い水準です。

 我々は我が国科学者の研究成果をふまえて、数万トン能力の大きな合成ゴム工場を建設する予定です。我が国では毎年数万トンのゴムを消費しています。我が国でゴムは、主にコンペヤーのベルトや自動車のタイヤ、各種パッキングなどの製造に使われます。我々はまず数万トン能力の合成ゴム工場を建設してみて、成果が良好であればその生産能力をもっと高めることを予定しています。

 我々は今後、数万トン能力の塩化ビニール生産工程ももう一つ設ける計画です。

 党中央委員会第6期第7回総会の決定に従って、来年度から数十万トン能力の化学肥料工場が新たに建設されます。我々はこの工場も、我々の力と技術で建設する予定です。化学肥料工場の建設は、さほどむずかしいことではありません。化学肥料工場は合成塔とコンプレッサー、それにパイプがあれば建設できます。以前は国内でコンプレッサーを生産できずに輸入していましたが、いまではコンプレッサーも合成塔も国内で製作しています。したがって、化学肥料工場を十分自力で建設することができます。

 我々は1500万トンの鋼鉄生産目標を達成するために努力していますが、展望は非常に明るいといえます。

 我々は来年度からいっそう力強くたたかって、鋼鉄生産を第1段階で1000万トンの水準に引き上げる計画です。これは十分可能です。我が国には鉄鉱石が豊富に埋蔵されています。それに最近我が国の科学者は、国内燃料による製鉄法の研究に成功しました。

 我が国では、いままで外国のコークス用炭を輸入して鉄を生産しています。もし、我々がひきつづきコークス用炭にのみ依存するならば、製鉄工業を大々的に発展させることはできません。それで私は、我が国の科学者に国内燃料による製鉄法を研究するよう再三強調しました。科学者は最初、国内燃料による製鉄は不可能だといって、その研究に積極的に取り組みませんでした。それで、私は科学者に、コークス用炭の豊富な国で先に製鉄工業を発展させたのでコークスを燃料としたのであって、もしコークス用炭のない我が国で産業革命をおこない、先に製鉄工業を発展させていたならば、鉄の生産にコークスは使わなかったはずである、コークスを燃料とする方法のみが唯一の製鉄法ではない、主体的な製鉄法を研究するためにはまず事大主義を一掃すべきである、といいました。その後、科学者は創意を発揮し、国内に無尽蔵な燃料による製鉄法の研究に成功しました。いまでは1500万トンの鋼鉄生産目標を達成できる確固とした展望が開かれたといえます。

 我が国の科学者が開発した製鉄法は、コークスによる製鉄法よりもすぐれています。国内燃料で鉄を生産すれば、コークス用炭を輸入して使うよりも鋼鉄の生産原価を著しく引き下げることができます。科学というものは、知らないときには神秘なもののように思えますが、知ってみれば神秘なものではありません。

 我が国のセメント工業の実情も良好です。我が国には良質のセメント原料が豊富であるため、2000万トンのセメント生産目標は十分達成することができます。

 我が国にどれくらいの規模のセメント工場があるのかという質問でしたが、我が国には近代的な大規模のセメント工場が多く、小規模のセメント工場もたくさんあります。近代的な大規模のセメント工場だけでも毎年良質のセメントを数百万トン生産していますが、そのうち多量のセメントを輸出しています。地方にある小規模のセメント工場で生産されるセメントは地方自体で消費しています。一部の郡では、自力でセメントを生産して農村文化住宅を建設しています。我が国でセメント工場の建設はたいした問題となりません。

 今年、ペルーでは異常気象の影響で漁獲がふるわないそうですが、我が国ではいま、イワシが大量に捕れています。暖流の影響で大量の暖流性魚類が我が国の海域に押し寄せています。

 我々は毎年、数百万トンの魚を捕っていますが、水産業の発展展望も良好です。

 現在の我が国の全般的な状態にてらし、社会主義経済建設の十大展望目標は予定期限内に十分達成できるものと考えます。多分、1988年度には社会主義経済建設の十大展望目標がほとんど実現されるでしょう。

 我々は、1985年までに社会主義経済建設の十大展望目標のうちの重要目標を基本的に達成し、1986年に第7回党大会を開催する考えです。

 あなた方は、朝鮮でも資本主義経済危機の影響を受けているかと質問されましたが、我が国はその影響を受けていません。世界的に資本主義経済危機の影響を受けていない国は、我が国だけではないかと思います。我が国では物価騰貴現象が一度もなく、十年前も現在も物価は依然として安定しています。

 我が国に資本主義経済危機の影響が多少あったとすれば、それは一部の機械設備を輸入して使っているので、世界的に石油価格が騰貴したときに機械設備の価格もはね上がり、その影響を多少受けた程度です。しかし、それは大きな問題ではありませんでした。

 我が国は石油を輸入しているので、石油を大量消費する工業は発展させず、国内の原料に依拠した工業を発展させる方向に進んでいます。

 一部の国では石油を輸入して化学繊維や樹脂製品を生産し、発電所も操業させています。もちろん原油発電所を建設すれば建設費が少なくてすみ、早く建設することができます。かつて石油価格が安かった当時、我が国にも原油発電所を建設しようという人がいました。しかし、私はその意見に賛成しませんでした。原油が産出されない我が国で原油発電所を建設して、なにか異変が起きて石油の輸入が不可能になった場合、多くの工場、企業所が操業を中止せざるをえなくなります。それで、私は原油発電所の建設に反対したのです。

 我々は原油発電所のかわりに、我が国に豊富な水力資源と石炭を利用して電力工業を発展させるようにしました。そのため、世界的に石油価格がいくら騰貴しても、我が国では電力生産に影響を受けることがありません。

 我々が工業の主体化を実現するために努力した結果、我が国の人民経済は世界的な経済変動にもゆるがず、ひきつづき安定した発展を遂げています。

 あなた方は、我が国の農業経験を学びたいといわれましたが、我が国ではいまが農繁期です。既に田植えを終え、いまは除草作業をしています。今年度の我が国の農作物の作柄は全般的に良好です。稲もトウモロコシも作柄は良好です。我が国では久しい前に水利化が完成されたため、日照りがつづいても干害をこうむることなく、農業を安全に営むことができます。

 我が国では、稲とトウモロコシを大々的に栽培しています。

 トウモロコシはすぐれた多収穫作物です。トウモロコシの栽培法は、各国の自然地理的条件が異なるため同じではないでしょう。自国の具体的な実情に即して栄養ポット仮植法による栽培をおこなうこともできるし、直播きの方法で栽培することもできます。

 我が国ではトウモロコシの直播きをしていません。我が国の気候条件にてらして、トウモロコシの直播きをする場合は早生の品種を選定すべきですが、そうすればヘクタール当たりの収量が落ちます。それで、我が国では栄養ポット仮植法でトウモロコシを栽培しています。こうすれば実りがよいので多収穫をおさめることができます。

 トウモロコシの栄養ポット仮植法は直播きに比べ人手が多くかかるように思えますが、実際はそうでありません。栄養ポット仮植法は直播きより除草作業を1、2度少なくしてもかまわないので、人手がそれほど余計にはかかりません。

 トウモロコシの収量を上げるためには、一代雑種を植えつけて坪当たり株数を増やし、肥料を適切にほどこし、畑潅漑もおこなわなければなりません。トウモロコシは多量の肥料と水分を必要とする作物です。普通、畑の水分を60〜65%必要とし、穂が出るときには80〜85%を必要とします。穂が出るときに水分が十分に保障されれば大きな実がつきます。

 私は元来、農業専門家でも工業専門家でもありません。しかし、社会主義建設を指導するために、営農方法を学び、工業についても学ばざるをえなかったのです。自分が知らなくては人を指導することができません。人民はいつも正確な指導を要求します。人民の要求に応じて指導を的確におこなえば、かれらはたえず新しいものを創造します。人民が私を信頼して国家主席に選挙したのですから、私は当然、人民のために忠実に働き、人民を正しく導くために努力しなければならないのです。

 あなた方は、私がたびたび現地指導をおこなっていることについていろいろと話されましたが、人民を正しく指導するためには現実に浸透しなければなりません。現実に浸透せず事務室に閉じこもっていたのでは、主観主義と官僚主義に陥りかねません。主観主義と官僚主義は政権党内で最も戒めるべき有害な活動作風です。主観主義は官僚主義を生みだすもとです。

 私はいつも幹部たちに、革命と建設の指導で最も危険なのは主観主義と官僚主義だと強調しています。

 主観主義に陥らないようにするためには、労働者、農民、インテリをはじめ、人民大衆のなかに入って、かれらの声に耳を傾けなければなりません。人民大衆のなかに入ってその声に耳を傾ければ、人民の要求にかなった路線と政策を立てることができます。人民のなかに入ってかれらの声を聞けば、多くのことを知ることができます。

 私は抗日武装闘争を展開した当時も、常に人民革命軍部隊に出向いて隊員の声に耳を傾け、解放後も各階層人民の声を聞くために工場や農村、漁村にしばしば出向きましたし、いまでもそうしています。

 つぎに、南朝鮮の現状と我が国の統一問題について簡単に述べようと思います。

 南朝鮮は独立国家ではなく、アメリカの完全な植民地です。アメリカ人が南朝鮮を独立国家だといっているのは偽りです。アメリカは38年間も武力で南朝鮮を占領し、そこで主人のように振舞っています。

 現在、アメリカは南朝鮮に4万余のアメリカ軍を駐留させており、南朝鮮かいらい軍の統帥権を握っています。アメリカ帝国主義は、南朝鮮駐留アメリカ軍と南朝鮮かいらい軍を「韓米連合軍」といっていますが、「韓米連合軍」の司令官はアメリカ人です。南朝鮮で「大統領」を任免するのもやはりアメリカ人です。アメリカ帝国主義者は、かいらい政権の「大統領」の座を占めた者が気に入らなくなると射殺し、後釜をすえます。

 アメリカ帝国主義は南朝鮮に駐留している自国の軍隊に偽装をこらすため、かつてはそれを「国連軍」といいました。これまで朝鮮人民と世界の進歩的人民が南朝鮮を占領しているアメリカ軍から「国連軍」の帽子をぬがせ、かれらを撤退させるたたかいを力強く展開してきた結果、数年前の国連総会では、南朝鮮にあった「国連軍」司令部を解体し、南朝鮮からいっさいの外国軍を撤退させる決議が採択されました。しかし、アメリカはありもしない北からの「南侵の脅威」を口実に、南朝鮮にたいする軍事的占領をつづけようと策動しています。アメリカの議会では、北朝鮮の軍事力が南朝鮮の軍事力よりも強大なため「南侵」の危険があると喧伝していますが、これは世界の人民を欺くためです。

 我々は「南侵」する意思がないということを、既に再三明らかにしてきました。今回あなた方も訪朝して目のあたりにしたはずですが、我々は多くのものを建設し、現在も建設をつづけています。我々は既に建設したものを戦争をして破壊する考えはありません。朝鮮人民は戦争ではなく平和を求めています。

 朝鮮の北と南の軍事力を比べてみても、我々に「南侵」の意思がないということがはっきりとわかります。現在、南朝鮮には4万余のアメリカ軍と70余万の南朝鮮かいらい軍がおり、1000余の核兵器が配備されています。しかし、我が人民軍は南朝鮮かいらい軍の半分にしかなりません。軍事装備の面でも、南朝鮮に駐留しているアメリカ軍と南朝鮮かいらい軍は近代的なアメリカ製の兵器で武装していますが、我が人民軍は国産の兵器で武装しています。

 これらの事実は、アメリカ当局者のいう「南侵の脅威」説がなんの根拠もないこじつけであり、全くのうそであることを実証しています。

 アメリカ帝国主義者は朝鮮の統一を望んでいません。かれらは、ドイツが東ドイツと西ドイツに分裂しているように、朝鮮も「二つの朝鮮」に分裂させようと策動しており、これを合理化するための宣伝攻勢をくりひろげています。しかし、我が国には「二つの朝鮮」として分裂を持続させるべき条件はなにもありません。

 政治的に考察するとき、朝鮮問題はドイツ問題とは性格が異なります。ドイツは第2次世界大戦を起こして敗北した戦敗国です。しかし、我が国は侵略戦争を起こした国でもなければ戦敗国でもありません。朝鮮は第2次世界大戦が終わるまで日本帝国主義の植民地であったし、朝鮮人民は反日民族解放闘争をねばり強くくりひろげました。朝鮮が統一されても、他国を侵略したり周辺諸国に脅威を与えたりはしないでしょう。統一された我が国の脅威を受ける国はありません。中国やソ連も我が国の脅威を受けないだろうし、日本も我が国の脅威を受けることはないでしょう。

 歴史的に考察しても、我が国が「二つの朝鮮」に分裂しなければならない条件はありません。朝鮮民族は同じ血筋を受け継ぎ、同じ文化と同じ言語をもって数千年のあいだ同じ国土で生活してきた単一民族です。それゆえ、朝鮮民族は絶対に二つに分裂してはなりません。

 我々はアメリカ帝国主義の「二つの朝鮮」策動を阻止、破綻させ、国の統一を一日も早く実現するため、第6回党大会で新たな祖国統一方案をうちだしました。

 我が党の第6回大会で新たにうちだした祖国統一方案は、朝鮮の北と南に現存する社会制度をそのまま存続させる基礎のうえで、北と南が同等に参加する民族統一政府を組織し、そのもとで北と南が同等の権限と義務を担い、それぞれ地域自治制を実施する連邦共和国を創立する方法で祖国を統一しようというものです。

 我々は第6回党大会で、高麗(コリョ)民主連邦共和国創立方案と統一国家が実行すべき十大施政方針を示し、高麗民主連邦共和国は中立国となるべきであることを明らかにしました。言いかえれば、高麗民主連邦共和国はいかなる国の衛星国にもならず、いかなる外部勢力にも依存しない完全な自主独立国、非同盟国になるべきであるということを明らかにしました。統一後の朝鮮がいかなる国の衛星国にもならないというのは、中国やソ連の衛星国にもならず、アメリカや日本の衛星国にもならないということを意味します。大国に取り囲まれている我が国は、統一されたあと、中立国となるのが最も理想的です。

 我々が北と南の連邦制を実施して祖国の統一を早める方案を示してからも既に20余年がすぎ、第6回党大会で高麗民主連邦共和国を創立して国を統一するという新たな祖国統一方案をうちだしてからも3年近くになろうとしています。しかし、いまだに我が国の統一は実現されていません。

 我々はどうあっても、我が国が「二つの朝鮮」に分裂するのを防ぎ、祖国を統一しなければなりません。もし、我々が祖国を統一できず、次代に分裂した祖国を譲り渡すならば、歴史と次代にたいし罪を犯すことになるでしょう。

 朝鮮の統一を実現するうえで提起される重要な問題は、停戦協定を平和協定にかえ、アメリカ帝国主義者が南朝鮮から撤退することです。アメリカ人が我々と平和協定を締結し、南朝鮮から撤退すれば、朝鮮人民は自力で国を平和的に統一することができます。それゆえ、我々は停戦協定を平和協定にかえる問題をもって協商することをアメリカに数次にわたって提議しました。しかしアメリカ当局者は、いまだに我々の協商提議に応じていません。

 アメリカ帝国主義者は我が国を「二つの朝鮮」にしようと策動をつづけていますが、それは無駄なことです。全朝鮮人民は、アメリカ帝国主義の「二つの朝鮮」策動を阻止、破綻させ、祖国の統一を達成するために力強くたたかっています.

 南朝鮮の統一革命党と民主的党派、大学生をはじめ青年学生、労働者、農民、民主人士は、こぞって国の平和的統一を願い、我々の祖国統一方案を積極的に支持しています。南朝鮮で祖国統一に反対する者は、軍事ファッショ独裁「政権」に居座っている連中だけです。かれらは、アメリカ帝国主義者に育てられたアメリカの手先であります。

 いま、南朝鮮人民はしだいに目覚めつつあります。南朝鮮人民と民主人士はアメリカ帝国主義の従属から抜けだし、自主的に生きることを望んでおり、かいらい政権のファッショ的弾圧に反対しています。特に、南朝鮮の青年学生と人民のあいだにチュチェ思想が広く普及されるようになってから、かれらの民族自主意識と反米感情は急激に高まっています。

 以前は南朝鮮の青年学生がアメリカ人の欺瞞宣伝のため、共和国北半部にたいし誤った認識をもっていましたが、いまでは我が共和国が自主性を堅持しており、共和国政権こそ全朝鮮民族に奉仕する真の人民の政権であることを認識するようになりました。

 南朝鮮の青年学生と人民は、我が共和国に反対するのではなく、アメリカと南朝鮮の軍事ファッショ「政権」に反対してたたかっています。南朝鮮人民が反米反ファッショ闘争に立ちあがると、そのたびにアメリカ帝国主義者が弾圧に乗り出します。1980年5月、南朝鮮の光州(コワンジユ)で起こった大規模な人民蜂起を弾圧したのもアメリカ帝国主義者です。当時の「韓米連合軍」司令官ウィッカムは南朝鮮かいらい軍をかりたて、蜂起に決起した愛国的人民と青年学生に野獣じみた弾圧を加えさせました。

 いかにアメリカ帝国主義とその手先が弾圧を強化しても、南朝鮮人民と青年学生の闘争はひきつづき力強く展開されています。近ごろ、南朝鮮青年学生の闘争は毎日のように起きています。今後、南朝鮮人民の自覚がさらに高まれば、アメリカ帝国主義者とその手先はもちこたえられなくなるでしょう。

 世界の友人と進歩的人民の積極的な支持声援は、朝鮮人民の祖国統一偉業を実現するうえで極めて重要な意義をもちます。いま平壌(ピョンヤン)では、反帝・親善・平和のための世界ジャーナリスト大会が開かれていますが、大会参加者は一致して朝鮮の統一を支持しています。

 我々は、第6回党大会で示した新たな祖国統一方案にしたがって、分裂した祖国の統一をめざしてひきつづき力強くたたかうでありましょう。

 もちろん、アメリカ帝国主義者が南朝鮮を占領し、「二つの朝鮮」策動を執拗にくりひろげている状況のもとで、朝鮮の統一を達成するには少々時間がかかるでしょう。しかし、祖国の自主的平和統一をめざす南北朝鮮の全人民の闘争は日を追って強化されており、アメリカの「二つの朝鮮」策動を阻止、破綻させるための世界の進歩的人民の闘争もいっそう力強く展開されています。朝鮮人民は世界各国人民の積極的な支持声援のもとに、必ずや祖国統一の偉業を達成するでありましょう。

 つぎに国際情勢について述べようと思います。

 現国際情勢は複雑を極めています。

 現在、資本主義諸国、特に先進資本主義諸国は、燃料危機、原料危機など深刻な経済危機に見舞われています。アメリカと日本、ヨーロッパの先進資本主義諸国が直面している経済危機は長期間つづいています。深刻な経済危機により、資本主義諸国では失業者が増え、人民の生活はますます苦しくなっています。現在アメリカには失業者が非常に多いとのことです。日本でも物価がひきつづきはね上がり、失業者が増えているといいます。

 歴史的に考察すれば、資本主義諸国が経済危機に直面するたびに世界的範囲で争奪戦がくりひろげられ、世界大戦が起こりました。第1次世界大戦にしても、また第2次世界大戦にしても、その勃発の原因となったのは資本主義諸国の経済危機でした。帝国主義者は経済危機に直面するたびに、それからの活路を侵略戦争に求めようとします。

 いま、アメリカのレーガン政府は長期にわたる深刻な経済危機から脱するため、国際緊張を激化させる対決政策を実施しています。帝国主義者の策動により、国際情勢は極度に緊張しており、世界の各地域では平和と安全が攪乱され、新たな世界大戦勃発の危険が日一日と増大しています。新たな世界大戦勃発の危険性はヨーロッパにもあり、中近東やアジア、南部アフリカにもあります。しかし、現情勢は第1次世界大戦や第2次世界大戦が起こった当時とは違います。

 第2次世界大戦後、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの数多くの国々が、帝国主義の植民地支配から抜けだして民族の独立を達成しました。イギリスの植民地支配から抜けだして民族の独立を達成した国も多く、フランス、イタリア、オランダ、ポルトガルの植民地支配から抜けだして民族の独立を達成した国も少なくありません。これが第2次世界大戦勃発当時の国際情勢との相違点だといえます。

 私が既に述べたことですが、現国際情勢は全世界における自主化の実現を切実に求めています。

 全世界を自主化するというのは簡単にいって、世界のすべての国がいかなる列強や支配主義勢力にも従属したり服従することなく、徹底した自主の通を進むことを意味します。現状にてらして、全世界の自主化を実現するうえには多くの難問があるでしょう。しかし、全世界の自主化を実現することなしには、新たな世界大戦を未然に防ぐことができません。列強は、かれら同士で戦争をしようとはしません。もし、列強間に戦争が起こったとしても、個々の国が帝国主義者や大国の指揮棒に従ったり、ある一方に加担したりせず、自主性を堅持するならば、その戦争は気のぬけた戦争になり、長くつづきもしないでしょう。大国に追随する国がなければ、列強もそのうち力がつきて戦争を中止するでしょう。

 全世界の自主化で重要なのは、先進諸国が集中しているヨーロッパの自主化を実現することです。

 現在、ヨーロッパでは中性子兵器の製造とその配備に反対し、核戦争に反対する反戦・反核平和運動が力強く展開されています。近年、フランスをはじめ、ヨーロッパ諸国では社会党、社会民主党があいついで政権を握りましたが、これもやはり注目すべき出来事です。

 私は、我が国を訪問したヨーロッパ諸国の社会党や社会民主党の幹部に会い、かれらにヨーロッパの自主化問題について述べました。かれらは、みな、ヨーロッパの自主化が切実に必要であることを認めています。

 ヨーロッパ諸国の社会党や社会民主党は政権を握ったあと、一連の国際問題でアメリカと見解を異にしており、アメリカの政策に盲従していませんが、これは非常によいことだと思います。

 我々はヨーロッパの徹底した自主化を望みます。言いかえれば、ヨーロッパ諸国が列強に追随して戦争政策を実施する道へ進むのではなく、戦争に反対し自主的な政策を実施する道へ進むよう望みます。

 ヨーロッパの資本主義諸国が自主的な政策を実施し、新しい国際経済秩序を確立しようとする発展途上諸国、第三世界諸国の要求に応ずるならば、なおさら結構なことです。ヨーロッパの資本主義諸国が発展途上諸国、第三世界諸国とともに積極的に努力して公正な新しい国際経済秩序を確立するならば、現在の経済危機を容易に克服し、自立的民族経済を建設するためにたたかっている発展途上諸国、第三世界諸国にも大きな援助を与えることができるでしょう。

 全世界の自主化を実現するうえでまた重要なのは、第三世界諸国を自主化することです。

 いま、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの新興独立諸国人民のあいだでは、自主性を求める声がいつにもまして力強くわき起こっています。私はアジア、アフリカ諸国の国家元首をはじめ、多くの人に会いましたが、かれらもみな自主の道に進むことを望んでいます。

 ラテンアメリカの情勢については、あなた方がよくご存知のことと思いますが、私の見たところでは、フォークランド事件を契機にラテンアメリカの多くの国で反米機運が高まり、自主的に進もうとする傾向が強まったようです。我々は、ラテンアメリカのすべての国が自主の道へ進むことを望みます。ラテンアメリカ諸国の自主化が実現すれば、その地域でのアメリカの孤立は免れないでしょう。我が国のことわざに“独不将軍”というのがありますが、これは一人では大将になれないという意味です。アメリカも単独ではどうすることもできません。

 第三世界諸国が自主化の道を進むためには、経済革命をおこなって自立的民族経済を建設しなければなりません。

 第三世界諸国が自立的民族経済を建設して経済的自立を実現しないことには、既にかちとった政治的独立を守ることができません。経済的に自立していない国は、たとえ、大統領がおり、国会があるとしても、事実上完全な自主独立国家とはみなせません。経済的解放、経済的自立をなし遂げず、大国に経済的に従属すれば、政治的にも大国に支配され、国際舞台において発言権を失うようになります。経済的に大国に従属した国は、大国の言いなりになるしかありません。そうしなければ大国からいろいろと圧力を受けます。

 現在、少なからぬ第三世界諸国には、政治的独立を裏打ちするだけの経済力がありません。これがいちばん問題です。我々は、第三世界諸国が自立的民族経済を建設して経済的自立を実現しなければ、帝国主義者が残した立ち後れと貧困、飢餓と病魔から人民を解放し、既にかちとった政治的独立を守ることができないと認めます。

 第三世界諸国が経済的自立を実現するうえで、当面して解決すべき最も重要な問題は、農業を発展させて食糧を自給自足することです。

 あなた方は、ラテンアメリカの多くの国が必要な食糧の大部分をアメリカから輸入している実情なので、これらの国がアメリカの経済的従属から抜けだすためには、まず農業問題を解決しなければならないと言われましたが、それは正しい考えだと思います。いまアメリカは、ラテンアメリカ諸国が農業発展のために投資することを故意に妨げ、アメリカの穀物を買わせる政策をとっています。

 第三世界諸国は農業を発展させて食糧問題を解決してこそ、帝国主義者の経済的従属から抜けだし、人民を飢餓と貧困から解放することができます。

 数年前、アフリカのある国の大統領が我が国を訪問したのですが、かれは私に、人民を飢餓と貧困から解放する方途について尋ねました。私はかれに、「米は、すなわち社会主義である」というスローガンをかかげて農業を発展させ、食糧問題を完全に解決した我が国の経験を紹介しました。

 発展途上諸国、第三世界諸国が自立的民族経済を建設して経済的自立を達成するためには、南南協力を実現する必要があります。

 第三世界諸国は帝国主義者、先進諸国に期待をかけることなく、互いに力を合わせて生きる道を切り開くべきです。帝国主義者は、決して第三世界諸国に経済的解放をもたらしてくれはしないでしょう。

 これまで発展途上諸国は新しい国際経済秩序の樹立を求めましたが、先進諸国はそれに応じませんでした。

 数年前、メキシコのカンクンで22か国南北首脳会議がおこなわれましたが、その会議は不公平な旧国際経済秩序を維持しようとする先進資本主義諸国の誤った立場と態度のため、なんの成果も得られませんでした。非同盟諸国首脳会議でも新しい国際経済秩序の樹立問題が何回も討議されましたが、会議で採択された宣言はたんなる宣言にとどまり、これといって実行に移されたものはありません。

 チトーの存命中、かれは85歳の高齢で我が国を訪れました。そのとき私は、かれと非同盟運動の強化発展問題について語り合い、先進諸国は発展途上諸国に新しい国際経済秩序をもたらしてくれはしないであろう、したがって、非同盟諸国間の交流と協力を発展させるべきである、そうすれば先進諸国は新しい国際経済秩序を樹立しようとする発展途上諸国の要求に応じるかもしれないということを話しました。

 最近、ニューデリーで開かれた第7回非同盟諸国首脳会議でも、我が国の代表団団長は、非同盟諸国が中心となって南南首脳会議を開き、南南協力を活発におこなうための実際的な措置を講じることを主張しました。我々は今後も南南協力を実現するためひきつづき努力するでしょう。

 我々は南南協力を十分実現できるものと考えています。第三世界諸国は民族の独立を達成し、新しい社会の建設をはじめてからだいたい数十年を経ているので、どの国でも1、2種以上のすぐれた技術と経験をもっており、ある程度の経済的基盤も築かれています。第三世界諸国が、既に築きあげた経済的基盤にもとづいて経済協力を強化し、互いにすぐれた経験と技術を交流するならば、先進諸国の助けをかりなくても経済をすみやかに発展させることができます。

 発展途上諸国、第三世界諸国はなによりもまず、農業分野で交流と協力を実現することができるでしょう。

 農業を発展させるには、さほど高度の技術を必要としません。第三世界諸国の技術を互いに交流すれば、農業の発展で多くの問題が解決されます。

 いまアメリカをはじめ先進資本主義諸国は、発展途上諸国にトウモロコシの一代雑種の種子を高い値段で売りつけていますが、発展途上諸国が互いに交流すれば、かれらからそんな高いものを買ってこなくてもすむはずです。我が国ではトウモロコシの一代雑種の種子を自力でつくりだして栽培していますが、我々はその技術をほかの国に教えることができます。発展途上諸国がこのように農業分野で交流し協力すれば、農業を発展させて食糧を自給自足することができます。

 第三世界諸国は工業分野でも協力し合うことができます。工業分野では、人民生活の向上において緊切な意義をもつ軽工業から相互協力を強化する必要があると考えます。水産業の分野でも第三世界諸国同士が協力し交流し合えるでしょう。

 技術者も第三世界諸国同士で交流するのが悪くありません。現在、第三世界諸国が先進資本主義国の技術者を一人招くなら、1か月に1000ドル以上の報酬と立派な家や乗用車を提供し、毎年休暇も与えなければなりません。しかし、第三世界諸国同士で技術者を交流すれば、1か月に100〜200ドルほど支払い、食事を提供する程度ですむはずです。

 いま我が国の農業技術者や専門家が、ギニアやタンザニアなどアフリカ諸国に数十名ずつ出向いて、農業や農業技術幹部養成事業を助けていますが、かれらはみなその国の人たちと同じレベルの給食条件を要請している程度です。

 技術文書なども第三世界諸国同士で交流すればよいでしょう。第三世界諸国が先進資本主義国から潅漑工事や機械の設計図などを購入しようとすれば、多額のカネを支払わなければなりませんが、第三世界諸国同士で技術文書を交流すればカネをあまりかけなくてもすむでしょう。

 第三世界諸国は経済分野だけでなく、教育分野でも協力し合うことができます。学校も共同で建設し、教育方法にかんする経験も分かち合い、民族幹部養成事業でも協力し合うことができます。

 第三世界諸国は保健医療分野においても、製薬技術などいろいろな技術と経験を交流することができます。第三世界諸国が保健医療分野で協力と交流を実現すれば、人民をよりすみやかに病魔から解放することができるでしょう。

 我が国ではチュチェ思想を具現して、政治において自主性を実現し、経済において自立を達成したばかりでなく、国防において自衛を実現しました。我々の経験によれば、完全な自主独立国家を建設するうえで、政治的自主性を実現し、経済的自立を達成するとともに、自衛的な国防力をそなえることが極めて重要です。

 第三世界諸国は、自衛的な国防力をそなえるうえでも互いに協力する必要があります。

 いま、兵器は言い値で買わされています。先進諸国は兵器を輸出して暴利をむさぼっています。アメリカをはじめ、一部の発達した国は、小さい国が兵器を売ってくれるように頼むと、快く応じないばかりでなく、それに応じる場合でも法外な代価を支払わせながら恩着せがましく振舞っています。第三世界諸国が力を合わせて自力で兵器を生産すれば、先進諸国から金塊と引き換えに兵器を受け取りながらも、帽子をとって頭を下げなければならないようなことがなくなるでしょう。

 我々はこれまで軍需工業を発展させ、国防に必要な兵器をかなり生産しました。我々の経験は、小さな国であっても国防力の強化に必要な兵器を十分自力で生産できることを示しています。

 我が国だけでなく、ほかの国にも兵器生産の経験はあります。第三世界諸国のなかには、兵器生産の経験をもっている国がたくさんあります。第三世界諸国が協力し合えば、高度の技術を要する現代兵器はともかく、必要な通常兵器などは立派に生産することができるでしょう。将来、全世界の自主化が実現すれば、現代兵器などは不必要になるでしょう。

 我々は、自主的に進もうとする第三世界諸国人民の闘争を常に援助するでしょう。

 我が国の全般的状況と国際情勢については、この程度にとどめておきたいと思います。

 書記長同志を団長とする貴党代表団のこのたびの我が国訪問は、両党間の関係をさらに緊密にし、両国人民間の友好関係を強化するのに大きく寄与するでしょう。

 私は、貴党が書記長同志の指導のもとに、ペルーを自主的な人民の国に建設するたたかいで必ず勝利をおさめるものと確信します。

 私はラテンアメリカのペルーに、あなた方のような立派な戦友をもつようになったことをたいへんうれしく思います。我々はお互いに同志として、戦友として、また親友としてかたく手を取り合って、両国人民と世界のすべての被抑圧人民のために、新たな世界大戦を防ぎ、全世界の自主化を実現するためにともにたたかっていきましょう。

 私は今後、両党間の関係をさらに緊密にし、頻繁に行き来することを希望します。

 あなた方が、また我が国を訪問してくださるよう望みます。

出典:「金日成著作集」38巻


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