金 日 成

自主的な新社会建設におけるインテリの役割
朝鮮統一支持ベネズエラ委員会委員長一行との談話
-1980年8月14日-


 私はきょう、ベネズエラから来られた賓客に会えて非常にうれしく思います。私は、あなた方の我が国訪問を熱烈に歓迎します。

 平壌であなた方とお会いすべきでしたが、そうできず遠いところまでご足労をわずらわして申しわけありません。

 私は、あなた方が朝鮮人民の祖国統一偉業を支持して多くの活動をされたことをよく存じています。私はこれに対して非常に感謝しています。

 朝鮮人民の祖国統一偉業に対するあなた方の支持声援は、決してむだにはならないでしょう。朝鮮人民は、あなた方が望んでいるように必ず祖国を統一し、世界の多くの友人の支持声援にこたえるでしょう。

 あなた方と世界の多くの友人は、朝鮮人民の革命偉業を支持する活動を積極的にくりひろげています。これは、朝鮮人民の革命偉業が極めて正当なものであることを意味しています。私は、あなた方が祖国の統一をめざす朝鮮人民のたたかいを積極的に支持し励ましてくださっているので、朝鮮の統一がさらに早く実現するものと思っています。

 あなた方は、これまで朝鮮人民が教育事業でおさめた成果を高く評価されましたが、我々は教育分野である程度の成果をおさめました。

 解放直後、我が国には大学を出た人がいくらもいませんでした。かつて日本帝国主義者は我が国で植民地支配を実施し、朝鮮人に大学の勉強をさせませんでした。帝国主義者はみな同じですが、特に日本帝国主義者は、非常に悪らつかつ拙劣な方法で植民地支配を行いました。

 日本帝国主義植民地支配の時期に朝鮮人が日本の大学で学ぼうとすれば、姓名を日本式にかえ、多くの金を出さなければなりませんでした。まれに朝鮮人を大学で勉強させる場合でも、日本帝国主義者は法学のようなものを教えるだけで、技術は教えませんでした。かれらは朝鮮人に、朝鮮の文字も学ばせませんでした。そのため、解放前は朝鮮人のほとんどが文盲でした。朝鮮人は字を知らないので、どこかに訴えごとや上訴をしようとしても、代書人が必要でした。

 今、第三世界諸国、新興独立諸国が民族幹部の不足のため、新社会の建設で困難に直面しているように、我が国でも解放直後、最も困難な問題はインテリの不足でした。それで我々は解放直後、数少ないインテリを非常に大切に思い、大事にしました。

 インテリがいなくては、新しい社会を成功裏に建設することも、社会を発展させることもできません。自然を征服するにも科学技術を身につけたインテリが必要であり、経済と文化を発展させるにも知識のあるインテリが必要です。帝国主義者に反対し、手に武器をとって戦うのは困難なことではありますが、比較的単純なことだといえます。しかし、政権を握ったあと、社会を改造し物質的富を創造するたたかいは極めて複雑かつ困難であり、インテリなしには成功裏に進めることができません。

 かつて一部の人は、インテリを動揺する階層だとみなし、かれらの生活の面倒をよくみませんでした。古くからのインテリに対しては、いっとき資本家に奉仕したからといって、信頼しようともしませんでした。

 植民地または半植民地国家でインテリが資本家に奉仕するようになるのは、生活環境上、避けがたいことです。かつて我が国のインテリは、生きんがためにやむをえず資本家に奉仕しました。かれらは資本家に奉仕しはしましたが、日本帝国主義者からひどい民族的差別待遇をうけました。それゆえ、我が国のインテリは反帝意識と民族的革命性をもっていました。それで我々は、インテリが十分、自民族と自国人民に奉仕できるとみなし、かれらを朝鮮労働党に入党させました。

 あなた方もご存じでしょうが、我が党のマークには労働者、農民を象徴するハンマーと鎌とともにインテリを象徴する筆が描かれています。我々は、労働者、農民とともにインテリをも革命の主要原動力とみなしました。我々のこの見解の正当さは、社会主義建設の過程ではっきりと証明されました。

 我々は解放後に多くの新しいインテリを養成しましたが、解放された当初、インテリを養成する大学を創立するのは、極めて困難なことでした。何より学生を教える教員がいませんでした。こうしたときに、南朝鮮のインテリが北半部にやってきました。解放後、我々が祖国と人民のための正しい政策を実施したので、南朝鮮のインテリは我々のところへやってきたのです。かれらは、我々がインテリを大事にし、インテリがその才能を思う存分発揮できるようにあらゆる条件を保障してくれるという便りを聞いて、我々のもとにやってきました。

 我々の総合大学を参観されたでしょうが、あの大学の年のいった教員はほとんどが南朝鮮出身です。我が国の有名な芸術家のなかにも、当時、南朝鮮からやってきた人がたくさんいます。解放直後、南朝鮮の各階層の人士は、朝鮮民族のために働くには北半部に行くべきだと考え、我々を訪ねてきたのです。

 解放直後、我が国では他の国とは正反対の現象が起こりました。ある国では、労働者階級が政権を握ってからはインテリが外国に逃亡する現象が生じましたが、我が国では、多くのインテリが我々のもとにやってきました。こうして、我が国のインテリ隊列は10名程度から100名程度にふえました。

 我々はかれらを元にして大学を創立し、多くのインテリを養成するとともに、国立交響楽団をはじめ、芸術団体も結成しました。古くからのインテリのなかには、私と10回以上会った人も少なくなく、一部のインテリとは数10回も会いました。

 今、我が国の古くからのインテリは、祖国と人民のために献身的に奉仕しています。かれらの出身階級や過去の経歴は問題になりません。古くからのインテリが、地主の息子であろうと、資本家の息子であろうと、それを問題視する必要はありません。かれらが自民族と自国人民に忠実に奉仕しているというのに、出身階級や過去の経歴が何の問題になるでしょうか。古くからのインテリが自民族と自国人民に奉仕できるということは、我が国の実践をつうじて証明されました。

 現在我々は100万のインテリを擁しています。いまでは、我々は民族幹部の不足をきたしてはいません。我が国で解放後に養成した新しいインテリは、みずからを革命化するため積極的に努力しており、人民に忠実に奉仕しています。解放後我々が養成したインテリは、いまでは40代、50代になりましたが、かれらは今が働きざかりで情熱的に仕事にうちこんでおり、創造力を大いに発揮しています。それゆえ、我々は今後、これまで革命と建設でおさめた成果より、さらに大きな成果をおさめることができます。

 我々は、解放後、困難な状況のもとで自己の民族幹部をたくさん養成したことを大きな誇りに思っており、これは、新しい社会の建設で最も重要な目標を達成したことになるとみなしています。

 今、我が国には、インテリが祖国と人民のために自己の創造的才能を思う存分発揮できるあらゆる条件がそろっています。

 我が国のインテリは祖国に奉仕するインテリ、人民に奉仕するインテリです。我が国のインテリは地下資源の開発、工場の管理運営と建設、教育と文学・芸術の発展など、すべての分野で国の発展にためとなる立派な意見をたくさん提出しています。経済と文化を発展させるうえで、他国のものを取り入れるのも重要ですが、より重要なのは、自国の実情にかなったものを新たに多く考案することです。

 我々は今、全社会をインテリ化する方針をうちだし、その実現をめざして努力しています。全社会のインテリ化方針は、全人民の文化・知識水準を大学卒業程度の水準に引き上げようというものです。一部の人は全社会のインテリ化を漠然たるものと考えていますが、そういうものではありません。

 我々はこれまで、ゼロから出発して我が国を今日のように立派に建設しました。したがって、全社会のインテリ化も、決してむずかしいことではありません。現在の100百万のインテリを積極的に立ち上がらせるならば、全人民のインテリ化は十分可能です。

 我々は今、平壌に人民大学習堂を建設しています。我々は今後、人民大学習堂に世界各国の書籍をそろえ、だれもがそこで心ゆくまで学べるようにするつもりです。

 あなたは我が国の教育事業に関して筆をとるといわれましたが、教育問題に関する文章を書くのは非常によいことです。

 今、第三世界諸国でいちばんの懸案となっているのが教育問題です。第2次世界大戦後、多くの国が民族の独立をかちとりました。アフリカやラテンアメリカでも、イギリスやフランスの植民地であった多くの国が独立を達成しました。世界に新たに独立をかちとった国はたくさんありますが、そのほとんどが新社会の建設で、民族幹部の不足のため困難に直面しています。新たに独立を達成した国々は、教育事業を発展させて民族幹部の問題を解決しないことには、国を早急に発展させることができません。もちろん、国際主義の原則に基づいて他の国の人が新興独立諸国に行って援助することもできますが、それは、自国のインテリが自民族のために働くようなわけにはいきません。

 私は昨年、訪朝した136名からなるある国の友好促進代表団に会ったことがあります。かれらは我が国の工場を参観し、工場の主人が朝鮮の労働者、技術者、事務員であり、支配人も朝鮮の大学を出た人であり、工場の管理幹部もすべて朝鮮人であることを知って、非常に驚いたといっていました。その国は領土も広く、人口も多く、資源も豊かな国です。しかしその国では、小さな工場まで外国人が来て運営しているそうです。代表団団長の国会下院議長は私に、どのようにして国をこのように立派に建設することができたのか、と聞きました。それで私はかれに、人々を古い思想から解放する問題が何より重要だ、ヨーロッパ諸国への崇拝思想をなくさなければならない、そして民族幹部を養成して大事にし、かれらを積極的に活用すべきである、自国のものはすべてとるに足らないものと考えて活用せず、外国のものばかり導入してはならない、といいました。かれは、私のいうことが正しいといいました。

 今、第三世界諸国では、民族幹部の養成問題が最も重要な課題となっています。私は、アフリカ諸国の首班をはじめ、訪朝する第三世界諸国の人々に会うと、民族幹部の養成は新社会の建設で最も重要な問題であることを強調し、我が国の教育事業の経験について話して聞かせます。

 昨年、我が国を訪れたアフリカのある国のインテリたちに会ったときにも、あなた方の国はアフリカの大国であり、人口も多く地下資源も豊富だ、自国の民族幹部を養成してこそ、自力で豊富な地下資源を開発して人民の利益にかなうように利用できる、外国の援助をうけてばかりいては国の経済をすみやかに発展させることはできない、といいました。

 第三世界諸国が我々の教育事業における経験を自国の実情にあわせて取り入れるならば、教育事業を早く発展させることができるでしょう。第三世界諸国は、教育事業を発展させて民族幹部の問題を自力で解決することを、新社会建設の重要な原則とすべきだと考えます。

 あなたが教育問題に関する立派な文章を書けば、第三世界諸国の教育発展に大きな助けとなるでしょう。

 あなたがベネズエラの状況についてお話してくださったことに対して感謝します。もちろん我々は、新聞や雑誌をはじめ、各種の出版物を見てはいますが、ベネズエラとラテンアメリカの情勢については、あなたの方がもっとくわしいはずです。今後我々に、ラテンアメリカの情勢についてたびたび知らせてくれるよう望みます。

 あなたが立派な本を出版して送ってくれるなら、私は喜んで読ませていただきます。

 私はまだ、ラテンアメリカの国家元首たちとは多く会っていません。我が国はまだ、ラテンアメリカ諸国との往来が活発でありません。

 今、ラテンアメリカでは、ニカラグアをはじめ、多くの国が自主性を主張しており、多くの人々が自主性について強調しています。私は先日、我が国を訪問したラテンアメリカのある国の内務相に会い、かれと昼食もともにしました。話しあってみると、かれは非常に情熱的で、自主の道に進もうという強い決意をもっていました。自主の道に進むという決意がかたいのはよいことです。国の独立を達成したあとも、他国に束縛されて生きてはなりません。

 あなたは、朝鮮はチュチェ思想を指導指針として困難を克服し、社会主義建設で大きな成果をおさめているといわれましたが、それは正しいお言葉です。我が国はアジアの一隅に位置しており、大国にとりかこまれています。我が国は島国と同じです。こうした状況のもとにあるので、我々は困難にも遭遇します。しかし、朝鮮人民はチュチェ思想で武装しているので、困難を克服する精神が非常に強いのです。

 我々はことし、我が党創立35周年を迎えます。すぐる35年のあいだ、我々の幹部と党員と勤労者は、新社会の建設で多くの困難を体験しました。朝鮮人民はアメリカ帝国主義の侵略に反対する戦いも行い、廃墟の状態で建設もしました。我々は戦後、廃墟をかきわけて最初は平屋を建て、次には2、3階建ての住宅をつくり、今は立派な高層建築物を建設しています。いまでは、我が国の建築技術や設計技術も相当なものです。朝鮮人は建設を速くします。
 朝鮮人民は革命と建設を進める過程で、必ず自主性と創造性をもたなければならないということを切実に感じ、自主性と創造性を発揮するならば、何でもできるという確固たる信念をもつようになりました。

 1つ実例をあげましょう。

 かつて日本が原油を輸入して「高度成長」をはかると喧伝したとき、我が国の一部の学者は、我が国でも経済を早急に発展させるためには、原油を原料とする化学工場と原油を燃料とする火力発電所を建設する方向に進むべきだという意見を提起しました。かれらは、単純に算数的な計算によって、石炭を燃料とする火力発電所よりも、原油を燃料とする火力発電所を建設する方が経済的だと主張しました。原油を燃料とする火力発電所は、石炭を燃料とする火力発電所より建設速度もはやく、建設費も少なくてすむのはたしかです。しかし、原油は我が国で産出されないので、輸入しなければなりません。私は学者たちに、我が国でまだ原油が産出されていない状況のもとで、原油を燃料とする火力発電所を建設して、他国が我々に原油を売ってくれなかったり、原油価格が高騰して原油をスムーズに購入できなくなったときはどうするのか、少々骨がおれ建設費がかさむとしても、我が国に豊富な石炭を燃料とする火力発電所と、我が国に豊かな水力資源を利用する水力発電所を建設する方向に進むべきである、といいました。

 私は、またかれらに、化学工業も我が国の原料をもって発展させるべきである、といいました。我々は現在、我が国に豊富な無煙炭と石灰石でビナロンを生産しています。

 我々が経済を我々の方式で発展させた結果、今、我が国の経済は、世界的な燃料・原料危機や経済変動の影響をうけていません。原油に基づいて工業を発展させた国々では、燃料・原料危機の影響で物価がひきつづき高騰していますが、我が国では国内の燃料と原料に基づいて工業を発展させたので、そうした現象は生じていません。おそらく、世界で物価の上がらないのは我が国だけだと思います。

 我が国の学者たちは、社会主義経済建設の過程をつうじて、我が党のうちだした経済政策が正しいものであることを認識し、それを確固たる信念としてうけとめるようになりました。

 我々は人民経済の主体化を主張しています。日本人もいまでは、原油を燃料とする火力発電所よりも、石炭を燃料とする火力発電所と水力発電所をもっと多く建設する方向に進むべきだといっているそうです。

 我々は今、ことし開かれる我が党第6回大会の報告に提起する1980年代の社会主義経済建設の十大展望目標について討議しています。我々は第6回党大会で、1980年代の末に年間1500万トンの鋼鉄を生産する目標をうちだす考えです。現在は年間数100万トンの鋼鉄しか生産していませんが、1980年代の末に年間1500万トンの鋼鉄を生産するようになれば、人口一人当たりの鋼鉄生産量において世界的に非常に高い水準に達することでしょう。

 我々は1980年代の末に、人口一人当たりの鋼鉄生産量において、発達した国々の水準に到達することを計画しています。私はこの問題について、科学者、技術者と討議を重ねましたが、かれらは、我が国の原料と燃料の状態からしても、年に1500万トンの鋼鉄生産は十分可能だといっています。我々が奮闘するなら、この目標は十分達成することができます。

 我々には、1980年代の未に年間1500万トンの鋼鉄を生産しうる可能性があります。すべての党員と勤労者が我が党のチュチェ思想で武装しており、我々には100万のインテリ大集団がいます。我が国のインテリは、国内の石炭で鉄を生産する科学技術上の問題を立派に解決しました。我々にはまた、豊かな資源があり、解放後建設した機械工業の強固な土台があります。人民大衆の思想が確固たるものであり、自己の民族幹部と豊富な資源、機械工業の強固な土台があるのですから、我々は1500万トンの鋼鉄生産目標を十分達成することができます。

 あなたは、私が工場、企業所や協同農場を足しげく現地指導していることについて話されましたが、私は平壌にだけいるのでなく、地方にたびたび出むいています。私は一つの道に15日ほど滞在して、労働者や農民、技術者と会って話しあい、かれらに党の政策を解説し、その過程で人民から学んでもいます。また必要な場合は、幹部を呼びよせて現地で会議も開きます。こういうふうに活動すれば、主観主義に陥ることがありません。主観主義に陥ると、正しい政策を立てることができません。

 ことし我が国で950万トンの穀物生産目標が達成されそうだといわれましたが、ことしの作柄はじょうじょうといえます。いまの作柄からすれば、ことし、950万トンの穀物を生産することができそうです。

 我が国のヘクタール当たりの穀物収穫高は世界的水準に達しています。我が国では、ヘクタール当たり平均、籾米は7.2トン、トウモロコシは6.3トン生産していますが、これは非常に高い水準といえます。ヘクタール当たりの穀物収穫高がこのように高い水準に達している状況にあって、前年にくらべてヘクタール当たり500キログラムの穀物を増収するというのは、決して容易なことではありません。

  ことしの気温がすこし低かったので、例年に比べて稲の収穫は5日ほど遅れそうです。しかし、稲が未熟になることはなさそうです。

 ことしは世界の多くの国で農作がかんばしくありませんが、我が国では、農業生産に大きな力をそそいだ結果、作柄がじょうじょうです。我が国では、党が直接農業を掌握して指導しています。郡党責任書記や里党書記は、作業服を着て田畑で農民といっしょに仕事をしながら、農業を掌握、指導しています。

 朝鮮人民はラテンアメリカに多くの友人をもっています。我々は特に、あなた方のような立派な友人をもっていることを誇りとし、喜びと考えています。

 我が国とベネズエラは地理的に遠く離れています。両国の距離は遠く離れていても、今後我が国にたびたび来てください。

出典:金日成著作集 35巻

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