金日成『我が国における農村問題解決の経験について』

3 農村における思想革命、技術革命、文化革命について


 農村問題を順調に解決するためには、土地改革の実施と個人農経営の社会主義的改造とともに、思想、技術、文化の各分野で旧社会の遺物を一掃するたたかいを強力に展開しなければなりません。

 農村における旧社会の遺物は、経済と文化、思想と道徳の各分野に残っています。したがって、農村における古い生産関係の改造だけでは、農業生産力を急速に発展させることも、農民に真の自由と豊かな物質・文化生活を十分に保障することもできません。

 農村で思想革命、技術革命、文化革命を強力に展開することは、農村問題解決の成果を裏付ける根本問題の一つです。農村で思想革命をおこなって農民の政治的思想・意識水準を高めないことには、社会・経済改革を成功裏に遂行することも、革命の獲得物をゆるぎなく防衛することもできません。農村で技術革命と文化革命を遂行しなければ、農民を骨のおれる労働から解放することも、かれらの物質的・文化的需要を十分に充足させることもできません。

 我が党は解放後、新しい社会の建設に踏みだした当初から、革命発展の各時期に思想・技術・文化革命を農村問題解決の重要な課題としてうちだし、それを貫徹してきました。

 民主主義革命と社会主義革命の時期における農村問題解決の基本的課題は、土地改革を実施し、個人農経営を協同化することでした。したがって、民主主義革命と社会主義革命の時期には、思想・技術・文化革命が、主として土地改革と農業協同化を順調に保障し、その成果をかためる方向で進められました。

 農業協同化が完成して以後の時期には、思想革命、技術革命、文化革命が農村で遂行すべき基本的革命課題として提起されます。社会主義制度が樹立されたのち、都市にたいする農村の立ち後れは、農業が工業より物質的・技術的土台が貧弱であり、農村住民の文化水準が都市住民より低く、農民の思想・意識が労働者より立ち後れているところにあらわれます。社会主義社会に都市と農村の差、労働者階級と農民の階級的差が残っているのは、まさにこのような農村の思想的・技術的・文化的立ち後れと関連しています。

 したがって我が党は、思想革命、技術革命、文化革命を、社会主義社会で継続すべき革命の中心的内容、農村問題の最終的解決のための基本的革命課題として規定し、思想、技術、文化の三大革命を遂行するため積極的にたたかいました。

 我が党は、『我が国における社会主義農村問題にかんするテーゼ』で社会主義制度樹立以後の農民問題と農業問題を最終的に解決する基本原則と方途を示し、その貫徹へ全党、全国、全人民を奮起させました。こうして思想革命、技術革命、文化革命の遂行で、既に大きな成果が達成され、いまこの三大革命は極めて高い水準で進められています。

 では、我が党が革命発展の各段階で思想革命、技術革命、文化革命をいかに遂行してきたかについて簡単に述べましょう。

 我が党は思想革命、技術革命、文化革命の遂行において、常に思想革命を確固と優先させる方針を堅持してきました。

 農村における思想革命は、農民のあいだに残っている古い思想を一掃し、かれらを先進的な労働者階級の革命思想で武装させる思想改造です。思想改造を正しくおこなって農民を先進的思想で武装させ、かれらの革命的熱意を高めなければ、経営形態の改造も、農業生産力の発展も成功裏に保障することができません。

 解放後、反帝反封建民主主義革命を遂行していた時期、農村における思想革命の基本的課題は、封建思想と日本帝国主義思想の残りかすを一掃し、農民を進歩的な民主主義思想で武装させることでした。

 長いあいだの封建的支配のため封建的な思想と因習が多分に残っているところへ、日本帝国主義侵略者によって、あらゆる反動的な思想が流布されたため、農民のあいだには奴隷的屈従思想と使用人根性などの古い思想が根強く残っていました。封建思想と日本帝国主義思想の残りかすは、農民を民主主義思想で武装させ、新しい祖国の建設に動員するうえで大きな障害となりました。

 過去、朝鮮の農民は、日本帝国主義者と地主の過酷な搾取と抑圧のもとで、血のにじむような生活をしてきました。ところが、一部の農民は思想・意識水準が低く、階級的自覚に欠けていたため、国が解放された後にも地主に同情をよせたり、へつらったりしていました。農民を階級的にめざめさせないことには、地主とのたたかいを正しく進め、土地改革を成功裏に実施することが不可能でした。我が党は、農民に地主の罪状を暴露し、その階級的本性を明確に認識させることによって、かれらが地主とのたたかいに勇敢に立ち上がるようにしました。我々はまた、農民のあいだで日本帝国主義の古い思想の残りかすと退廃的な生活因習を一掃し、かれらを新しい朝鮮の主人としての自覚と建国思想で武装させ、健全な生活気風を確立させることに大きな力をそそぎました。

 農民の思想・意識を改造するうえで、建国思想総動員運動は重要な意義をもちました。建国思想総動員運動は、日本帝国主義思想と封建思想の残りかすを一掃し、勤労者を国の主人としての自覚と建国思想で武装させ、かれらのあいだで革命的気風を確立するための大衆的思想改造運動でした。我々は、農村で建国思想総動員運動を力強くくりひろげ、農民を民主主義思想と愛国主義で武装させ、新しい祖国の建設に力強く奮い起こしました。

 社会主義革命の段階における思想革命の基本的内容は、社会主義教育を強化することでした。

 我が党は、社会主義革命の段階において、農民にたいする思想教育の内容を農業協同化の要求にそって規定し、思想教育を経営形態の改造と密接に結びつけておこないました。

 農業協同化の時期、社会主義教育で最も切実な問題は、階級的教育を強化することでした。個人農経営の協同化は、農村であらゆる搾取の根源を完全に一掃する根本的な社会的変革であるだけに、この時期の階級闘争はいつにもまして深刻かつ複雑に展開されました。このような状況のもとで、農民の階級的自覚を呼び起こさなければ、農業協同化を成功裏に実現することはおろか、既にかちとった革命の獲得物すら守りぬくことができませんでした。

 我が党は農民にたいする階級的教育を強化し、かれらが搾取制度の悪さと社会主義制度のよさを深く認識し、搾取階級と搾取制度を憎み、階級の敵と強くたたかうようにしました。

 社会主義教育で次に重要なのは、農民を集団主義の精神で武装させることでした。

 農業協同組合はすべての人がともに働き、ともに裕福に暮らす、集団主義にもとづく共同経営形態です。それゆえ、協同経営を強化発展させるためには、すべての組合員が個人の利益よりも集団の利益を重んじ、社会と集団のために献身する集団主義の精神で武装しなければなりません。

 我が党は農民を集団主義の精神で武装させるために、集団の利益のなかに個人の利益もあり、共同の財貨のなかに個人の持ち分もあるという正しい認識をもって、組合の共同財産を愛護し、共同労働に誠実に参加し、労働規律を自覚的に守るよう教育することに大きな力を傾けました。

 農村における思想革命は、農業協同化の完成後、より高い水準で積極的に進められました。

 社会主義的改造後の農村における思想革命の基本的課題は、農民を革命化、労働者階級化し、真の共産主義者につくることです。

 農民を革命化、労働者階級化して、古い思想の残りかすを一掃し、労働者階級の革命思想と共産主義思想で武装させるならば、労働者と農民の階級的差をなくして共産主義社会を建設し、農民問題を最終的に解決することができます。

 我が党は、農民を革命化、労働者階級化するため、社会主義・共産主義建設の新たな要請に即して階級的教育を基本とする共産主義教育と社会主義的愛国主義教育をさらに深化させました。特に、農民を我が党のチュチェ思想で武装させ、社会主義・共産主義偉業の完成のために強くたたかい、国家と社会の主人としての高い自覚をもって革命的に働き、生活するようにさせるため大きな力をそそぎました。

 農村で思想革命を力強く進めた結果、農民の思想的・精神的風格には大きな変化が起こりました。いま、農業勤労者は、みな我が党の革命思想で武装し、党と政府のまわりにかたく結集しており、社会主義・共産主義偉業の勝利を早めるため高度の革命的熱意と創意を発揮して働いています。

 農村技術革命は、農業を近代的機械と技術で装備し、農業科学の成果を広く取り入れて農業生産力を発展させ、農民を骨のおれる労働から解放するための革命課題です。

 我が党は、農村技術革命をたんに農業生産力を発展させる経済・技術上の問題としてではなく、農民を骨のおれる労働から解放する社会的・政治的問題として提起し、それを力強く進めてきました。

 農村技術革命の遂行で重要な問題は、技術革命の基本的内容と順序を正しく定めることであります。我が党は、水利化、電化、機械化、化学化を農村技術革命の基本的内容と規定し、水利化を優先させる方針をうちだしました。

 農業生産の特性と我が国の自然・気候条件によって、農村技術革命では水利化を優先させることが求められました。農業は工業とは異なり、自然・気候条件の影響を多分にうけます。生物を対象とする農業は、水なしには生産が保障されません。水は、農業にとって文字どおり生命水です。とりわけ、稲作が大きな比重をしめ、春には日照りがつづき、夏は、しばしば大水に見舞われる我が国の状況で、田畑に潅漑システムを導入して水害と干害を防ぐことは、農業生産を保障するうえで決定的意義をもちます。

 解放前、我が国の総潅漑面積は10万ヘクタールそこそこのもので、水田のほとんどが水利不完全田でした。そのため、農民は天をあおいで農業を営み、水のために苦労しました。土地改革を実施した年の春、各地方の農村に出むいてみたところ、農民は水がなくて一本一本棒で田に穴をあけて苗を押し込み、ひび割れした田に座ってため息をついていました。私はそうした農村風景を見て、農民に土地を分与するだけでは農業問題は解決されず、是非とも水利化が必要であることを痛感しました。

 我々は農業生産に必要な用水の問題を解決するため、潅漑工事を大衆あげての運動としてくりひろげました。こうして、1946年には19か所の潅漑工事が完成し、1948年には国家投資による大規模の平南潅漑工事に着工し、新たに88か所の潅漑工事が進められました。

 農業協同化の時期にも、我々は協同組合の組織と並行して、ひきつづき潅漑工事を力強く進めました。

 我々は水利化をおこなううえで、水田潅漑に基本をおきながら、畑地潅漑や河川整理、砂防工事もおこないました。大規模の潅漑・河川工事と中小規模の潅漑・河川工事を組み合わせておこなう方針をうちだし、大規模の工事は国家資金でおこない、中小規模の工事は国家の技術的援助のもとに、農業協同組合が自力でおこなうようにしました。

 農業の水利化は自然を改造する膨大な事業であるだけに、農民の力だけでは順調にいかず、必ず広範な大衆を動員し、全人民的運動としておこなわなければなりません。我が党は1958年9月、党中央委員会総会で100万ヘクタールの潅漑工事をおこなう雄大な目標をかかげ、全人民をこの闘争に決起させました。当時、労働者階級は、党の呼びかけにこたえて潅漑工事に必要なポンプ、セメント、鋼材などの設備と資材を多く生産して農村に送り、事務員、学生、軍人は労力をもって潅漑工事を支援しました。人民大衆の力と知恵を正しくくみ上げた結果、党中央委員会9月総会後の6か月間に37万ヘクタールの潅漑工事を完了し、数年のあいだに100万ヘクタールの潅漑工事を完遂する奇跡的な成果をあげました。

 我が党はまず水田潅漑を終え、それにもとづいて主な稲作地帯で湛水による被害を防止する対策を講じ、全般的地域で河川整理と植樹造林を広くおこないました。こうして、我が国の水利化は、7か年計画期間に基本的に完成し、農民は干害と水害に見舞われることなく、安全な農業が営めるようになりました。

 水利化の完成によって、我が国の農民が数千年にわたって渇望した用水の問題は完全に解決され、我が国はどの農村にも潅漑用水のあふれる「潅漑の国」となりました。

 農村技術革命で次に重要なのは電化です。

 農村の電化は、農業の水利化と機械化を促進し、農村文化革命を成功裏に保障するための不可欠の条件です。我が国では潅漑施設の大部分が電気動力にたよっているため、電気がなくては水利化の実現は不可能でした。また、電化を実現して農村の里と各農家にもれなく電気を引かなければ、脱穀をはじめ、各種の農作業を機械化し、農民が電灯をともし、放送を聞き、文化的な生活を営むことはできませんでした。

 我が党は、農村の電化に必要な電力問題を解決するために大規模の発電所を建設する一方、中小規模の発電所を全人民的運動で建設する方針を示しました。

 中小規模発電所は多くの資金をかけずに、簡単に短時日で建設することができ、地方に豊富な水力をはじめ、各種の電力資源を有効に利用することができます。中小規模発電所はまた、全国各地に建設できるので、散在している農村里と農家への電力供給にも有利です。

 我々は農村の電化を実現するために、あちこちに散在している農村住宅を1か所に集める措置も講じました。

 我が党の正しい方針と国家の積極的な支援のもとに、我が国における農村電化の課題は、極めて短い期間に立派に完遂されました。

 農村技術革命で、機械化は重要な位置をしめます。

 農業の機械化は、農民を骨のおれる労働から解放し、労働生産性を高めるうえで最も重要な方途であります。農業を機械化すれば、農民の文化・技術水準の向上と思想・意識の改造を立派に実現することができます。

 解放前、朝鮮農村の物質的・技術的土台は非常に立ち後れた状態にありました。農民は、農業機械という言葉さえ知らず、原始的な小農機具によって、しょいこや手労働ですべての農作業をおこないました。そのため、農業生産は発展せず、農業労働は最も骨のおれるものとされていました。

 農民を骨のおれる労働から解放することは、我が党の重要な革命課題の一つでした。しかし、解放後、我々は、日本帝国主義から跛行的な植民地工業を受け継ぎ、それさえも破壊しつくされた状況のもとで、直ちに農村に近代的な農業機械を供給することはできませんでした。また当時、農民の文化・技術水準も近代的な農業機械を扱える程度に達していませんでした。

 我々は解放後、国の状態と農民の技術水準を考慮し、従来の小農機具の改良から着手しました。各地方に小農機具工場を設け、そこで改良小農機具を大量に生産して農村に広く普及しました。

 これとともに、農業機械化のための準備として、主な穀物生産地帯に農業機械賃耕所を設置しました。戦前に平安(ピョンアン)北道の龍川(リョンチョン)、定州(チョンジュ)、平安南道の安州(アンジユ)、黄海(ホワンへ)南道の載寧(チェリョン)、咸鏡(ハムギョン)南道の咸州(ハムジュ)に組織された農業機械賃耕所は、田畑の耕転をおこない、農民に近代的機械化のすばらしさを示すのに大きな作用をしました。

 農業の機械化は、農業協同化の実現にともなって切実な要求として提起されました。

 農業協同化が技術改造に先立っておこなわれた我が国の実情では、機械化を促進せずには、新たに組織された協同経営の優位性を高度に発揮させることも、農業生産をすみやかに発展させることもできませんでした。

 農業協同化の時期には、まだ近代的農業機械を大量に生産供給できない状況下にあって、動力農業機械と畜力農業機械を併用する方針を示し、国家から近代的農業機械を供給する一方、協同組合で中小農業機械を積極的に改良し、畜力農業機械を広く取り入れるようにしました。

 我が国における農業の機械化は、自立的民族経済の基盤がきずかれ、トラクターをはじめ、各種農業機械の大量生産と供給が可能になったときから本格的におし進められました。

 農業の機械化において順序を正しく定め、トラクターなどの農業機械を合理的に配置するのは極めて重要なことでした。稲作が大きな比重をしめ、各地方の自然地理的条件が異なる事情を考慮して、水田の多い平野部からはじめて中間部、山間部へと機械化を拡大し、骨がおれ手間の多くかかる作業からはじめて、しだいにすべての作業を総合的に機械化する方向をとるようにしました。こうして、農業生産における農業機械の効率と利用度を著しく高めました。

 我々は農業の機械化を立派に実現するため、農業機械賃耕所を増設し、その役割を高めることに大きな関心を払いました。

 一部の国では、トラクターなどの農業機械を協同組合に売り渡す方法で農業の機械化をおこないました。しかし、こうした方法は、協同組合の経済的基盤や協同経営の発展展望からみて、また農業機械を利用する技術的側面からみても、我が国の現実には適しませんでした。

 我々はトラクターをはじめ、近代的な農業機械を国営農業機械賃耕所が統一的に掌握し、協同組合の営農作業を保障するようにしました。我々は、農業機械賃耕所がたんに協同組合の農作業を手伝い、料金をとる企業体としてではなく、工業の機械技術と先進的な企業管理方法と生産文化を農村に普及する拠点としての役割を果たすようにしました。こうして、我が国の農業機械賃耕所は、労働者階級の指導的役割を高め、労農同盟を強化するうえで大きな働きをしました。

 農業の機械化で基本となるのは、トラクターなどの農業機械を大量に生産、供給することです。我々は、近代的なトラクター工場とトラック工場、トラクター部品工場とトラクター用農機具工場など、農業の機械化に奉仕する工場を各地に多く建設し、トラクター、トラックの台数の増加にともない運転手を大々的に養成しました。こうして1974年に、農村のトラクター台数を7万〜8万台に到達させるという農村テーゼの課題を立派に実現しました。

 トラクターとともに、我が国の実情に適した各種の新しい農業機械を大量に生産、供給して、田畑の耕転だけでなく、田植え、除草など各種の農作業を機械でおこなえるようにしました。

 現在、我が国で農業の機械化は、新たな段階にはいっています。農業部門に大小の各種トラクターと田植機、コンバインなど、新しい近代的な農業機械をより多く生産、供給し、近い将来、耕地面積100ヘクタール当たりトラクターは8〜10台、トラックは3〜4台ゆきわたらせる目標をかかげて努力しています。

 この課題が遂行されれば、我が国における農業生産の総合的機械化は完全に実現するでしょう。

 農村技術革命では機械化とともに、化学化が極めて重要です。化学化を実現すれば、農業を集約化して穀物生産を大幅に高め、農民の骨のおれる労働を軽減することができます。

 化学化を実現するには、なによりも各種の化学肥料を大量に生産しなければなりません。

 肥料は、農作物にとって食糧にひとしいものです。それゆえ我々は、解放後、日本帝国主義者によって破壊された工場を復旧するときも、戦後の復興建設のときも、まず肥料工場から復旧しました。我が党は、「肥料はすなわち米であり、米はすなわち社会主義である」というスローガンをかかげ、肥料生産に大きな力を入れました。肥料生産をたえず増大させた結果、我が国では既にひさしい前にヘクタール当たり化学肥料の施肥量が1トンに達し、いまではそれを2トン以上に引き上げる目標をかかげてたたかっています。

 また、除草剤など効能の高い各種の農薬を大量に生産、供給し、化学の力で除草作業をおこない、病虫害を防除しています。

 農業の化学化では、科学的施肥方式を確立することが重要です。土壌と作物の特性を考慮せず、施肥をおざなりにしては所期の効果があがりません。

 全国的に土壌調査をおこない、すべての協同農場で筆地別の土壌成分を正確に把握し、それに適した肥料をほどこすようにしました。同時に、作物別の生育段階に適した施肥量と施肥方法を規定し、科学的、技術的に肥料をほどこすようにしました。

 我々は今後、短期間内に農業の総合的機械化と化学化を完成し、すべての農作業を機械と化学の力でおこなって、農民を骨のおれる労働から解放し、農業の工業化、現代化を実現する計画です。まさにこれが、農村の技術革命における我々の目標であります。

 農村問題の解決で次に重要なのは、文化革命を遂行することです。

 農村で文化革命を遂行すれば、農民の文化・技術水準を高めて農業を科学的、技術的に営み、農民を古い生活因習から解放し、農村の文化的立ち後れを一掃することができます。

 農村の文化革命で先決的な課題は、文盲をなくすことでした。

 かつて朝鮮の農民は、日本帝国主義の愚民政策によって、学ぶ権利を奪われ、無知と蒙昧のなかで暮らしてきました。解放直後、我が国の北半部には230余万の成人文盲がいましたが、そのほとんどは農民でした。農村で文盲をなくさないことには、農民を先進的思想で武装させることはもちろん、新しい祖国の建設に積極的に参加させることもできませんでした。

 我が党は文盲退治を農村文化革命の先決的課題として規定し、これを国家の統一的な計画と指導のもとに全人民的運動としてくりひろげるようにしました。

 我々は、中央から地方にいたるまで文盲退治指導委員会を組織し、各地に「ハングル(朝鮮文字)学校」を設け、「人民文化の向上は文盲退治から!」というスローガンをかかげて、全人民を文盲退治運動に立ち上がらせました。

 文盲退治を全人民的運動として強力にくりひろげた結果、1949年3月、ついに農村から文盲を完全になくす歴史的勝利をおさめました。農村で文盲が完全になくなったことは、文化革命での誇らしい成果でした。農村に文盲がいなくなった結果、農民の文化・知識水準を高め、農村の思想革命と技術革命を力強くおし進めることができるようになりました。

 我が党は、日本帝国主義の植民地的奴隷教育制度を一掃し、教育を民主化して、農民の子弟に勉学の道を開いたばかりでなく、働きながら学ぶ教育体系を設け、すべての農村に成人学校をつくり、過去に学べなかった農民が、人民学校修了程度の一般知識を系統的に学べるようにしました。

 我が党はまた、農民の文化水準を高めるため、農村の里と村落に民主宣伝室を設け、それを拠点にして、科学知識の普及をはじめ、各種の文化啓蒙活動を広くおこなうようにしました。こうして、短期間のうちに農民を中世的な無知と蒙昧から脱皮させました。

 農民の一般知識水準と科学技術知識水準を高めることは、個人農経営が協同化され、農業科学と技術が急速に発展するにつれ、さらにさし迫った要求として提起されました。

 発展する現実に即して農民の文化・技術水準を高めずには、農業の機械化、化学化を促進し、農業を科学的、技術的に営むことができませんでした。

 我が党は、農民の文化・技術水準を中学修了程度に高める課題を示し、中学を卒業していないすべての農業勤労者に、勤労者中学校で一般知識と農業技術を学ばせました。同時に、すべての里に農業科学技術知識宣伝室を設け、農民に科学技術知識を系統的に普及するようにしました。

 農村で成人教育と科学技術知識普及活動を強化した結果、過去に学べなかった成人がみな勤労者中学校を卒業し、農民の文化・技術水準は全般的に中学修了程度に達しました。

 我が党は農民の文化・技術水準の向上とともに、有能な農村技術幹部の大量養成にも大きな力をそそぎました。                             

 道ごとに総合的な幹部養成基地をつくる党の方針に従い、各道に農業大学、医科大学、師範大学を設け、地方で農業技術者と保健医療従事者、教育者などの幹部を自力で大量養成するようにしました。こうしてこんにち、我が国の各協同農場には数十名の技術者、専門家がおり、かれらは農村の文化革命、技術革命、思想革命の遂行で中核的な役割を果たしています。

 我が党は農民の文化・技術水準の向上と農村技術幹部の養成で達成した成果を踏まえて、近い将来すべての農民が高等中学修了程度の一般知識と一つ以上の技術を身につける課題をうちだしてたたかっており、ゆくゆくは、すべての農民をインテリ化する遠大な目標をかかげています。

 農村文化革命で次に重要な問題は、農民の生活条件と生活環境を衛生的、文化的に改造することです。

 かつて、朝鮮の農民は極めて不潔で不衛生な環境で生活し、各種の伝染病と疾病のため多くの不幸と苦痛をなめてきました。農村を衛生的、文化的に改造し、伝染病と疾病の根源を一掃せずには、農民に幸せで文化的な生活をさせることができませんでした。

 我が党は農民のあいだで衛生啓蒙活動を強力に進め、農民が衛生観念を高め、家や村を清潔にして生活する気風を確立するようにしました。同時に、農村の衛生施設を改造する活動を大衆的運動としてくりひろげました。

 農村で各種の伝染病を根絶し、風土病などの疾病をなくすために、中央から道、市、郡、里にいたるまで防疫委員会を設置して伝染病とのたたかいを強化し、すべての農村里に診療所または簡易診療所を設置する措置を講じました。特に、戦争の困難な状況下にあっても全般的無料治療制を実施し、かつては病気にかかっても診察さえ満足にうけられなかった農民が、近代的医療サービスの恩恵をうけられるようにしました。

 我が党は国の経済的基盤が強化されるにつれ、農民への医療サービス施設をたえず改善し、第5回党大会では、農村診療所を病院化する方針を示しました。この方針が貫徹され、いまでは農民も都市住民と同じく、いつでも専門医の医療援助をうけられるようになりました。

 農村の文化的環境づくりと農民の生活条件の改善において、農村の水道化は重要な意義をもちます。我が党は、平野部の農民の飲料水難を解決し、水がめを頭にのせて運ぶ仕事から農村婦人を解放するため、農村の水道化を実現する措置を講じました。農村の集落に水道を引く方針が貫徹された結果、こんにち我が国の農村には、長いあいだ農村婦人の重い負担となっていた、水がめを頭にのせて運ぶ現象がなくなり、農民はどこでも飲料水のための苦労をしなくてすむようになりました。

 我が党は農民の生活条件を改善するため、農村でのバス運行の実現に大きな力をそそぎました。こうしてこんにち、我が国の農村は、山村の里にまでバスが通い、農民の生活はより便利になり、都市と農村の連係がさらに強まりました。

 我が党は農民の住宅条件の改善に常に深い関心を払い、国家の負担で農村に多くの近代的な文化住宅を建設しました。こんにち、我が国の農村ではわらぶき小屋が姿を消し、農村のいたるところに、こぢんまりとした文化住宅や託児所、幼稚園、それに浴場、理髪店などの文化厚生施設が建設され、すべての農民が都市に劣らぬ文化的な環境で生活しています。

 我が党は農村での出版物普及活動と放送事業を改善するため、たゆまず努力してきました。こんにち、我が国の農村では、既に有線放送化が完成し、テレビ化が成功裏に進められており、すべての所帯が新聞または雑誌を購読しています。

 農村で文化革命が成功裏に進められた結果、無知と蒙昧に閉ざされていた我が国の農村は、その姿を一新し、暮らしよい社会主義的文化農村に変わりました。



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