金 日 成

ペルー共和国元首相との談話
−1978年5月24日− 

 私は、あなたが遠路をいとわず、わが国を訪問してくださったことをありがたく思っています。

 あなたのわが国訪問は、我々に対するあつい信頼と友愛のしるしとなります。もし、あなたが我々を信頼していなかったならば、家族を伴い、はるばる大洋を渡ってわが国を訪れることはなかったでしょう。

 あなたのわが国訪問は、朝鮮人民とペルー人民の友好と団結の強化に大いに寄与するでしょう。

 私は、あなたが私と朝鮮人民、そして、わが国に対し高い称賛の言葉を述べてくださったことに恐縮しています。あなたの貴重なお言葉は、社会主義建設と祖国の統一をめざして闘っている朝鮮人民を大いに励ますことでしょう。

 私は、あなたが貴国の大統領閣下のあいさつを伝えてくださったことに対し謝意を表します。帰国されましたら、大統領閣下に私のあいさつを伝えていただきたいと思います。

 あなたにもっと早くお会いすべきでしたが、その間、各国首脳の訪朝があいついだので、会うことができませんでした。今年の4月からいままで6か国の首脳がわが国を訪問しましたが、昨日はルーマニアの大統領が訪朝を終えて帰国しました。明日は、コンゴ人民共和国の大統領がわが国を訪れます。

 ラテンアメリカ諸国のうち、わが国と国交を結んでいるいる国はわずかにすぎません。わが国は現在、ラテンアメリカでキューバとガイアナなど一部の国と国交を結んでいるにすぎません。

 我々は、ラテンアメリカに多くの親友をもちたいと望んでいます。私は、あなたがわが国に対する深い憧憬心をいだき、各面から我々に支持をよせていることに対し心から感謝します。私は、ペルーのあなたのような著名な活動家と親友になれたことを非常にうれしく思います。親友というものは、もともと定められているものではありません。互いに会って親しくなれば親友になるのです。私は、我々がたびたび会って理解を深めるならば、いっそう親しくなれると思います。

 我々は、ペルー政府の実施している自主的な政策を高く評価します。我々は今後も、ペルー人民が自主性を守っていくことを望みます。

 現代は自主性の時代です。いま、世界の多くの国の人民が自主性を求め、自主の道へ進んでいます。

 自主性は、国家と民族の生命です。民族の独立をなし遂げたからといっても、自主性のない国は完全な自主独立国家とはいえません。したがって、国家と民族にとって自主性を守るのは極めて重要なことです。

 自主性を守るためには、帝国主義、植民地主義に反対して闘わなければなりません。帝国主義者は、自主の道を進む国々に対し侵略策動を強めています。

 朝鮮人民は、自主性を守るため帝国主義とあらゆる外部勢力の干渉に反対して闘っています。

 あなたはわが国を発展した国だといわれましたが、わが国はまだ発展した国とはいえません。わが国は、発展途上にある国です。今後、第2次7か年計画が遂行されれば、わが国はほぼ発展した国々の水準に到達することでしょう。

 いま我々が遂行している第2次7か年計画の展望は非常に良好です。第2次7か年計画の基本課題は、人民経済の主体化、現代化、科学化を促進し、社会主義の経済的土台をさらに強化し、人民生活をいちだんと向上させることです。

 人民経済を主体化するということは、自国の原料と技術にもとづいて自国の実情にかなった経済を建設し、発展させるということを意味します。

 我々は、すでに築きあげた強固な自立的民族経済にもとづいて今後、人民経済の主体化をいっそう円滑に実現する考えです。そうしてこそ、他国の支配をうけず、自主的に生きてゆくことができます。

 自立的民族経済を建設することが重要です。政治的独立を守れるか否かは、自立的民族経済を建設するか否かにかかっています。経済は、政治を裏づけます。自立的民族経済の裏づけなしには、国の政治的独立を守りぬくことができません。これは、生活をつうじて検証された一つの真理です。したがって、個々の国が政治的独立を守るためには必ず、自立的民族経済を建設しなければなりません。

 自立的民族経済の建設で重要なのは、国内の原料と燃料にもとづく工業を建設し、発展させることです。

 我々はこれまで工場を一つ建設するにしても、わが国の原料にもとづく工場を建設しました。あなたが咸興で見たビナロン工場も、わが国の原料と技術にもとづいている工場です。あの工場では、わが国に豊富な無煙炭と石灰石をもって、自己の技術でビナロンを生産しています。ビナロンは、わが国の紡織工業の最も安定した原料です。我々は、ビナロンで人民の衣服問題を解決しています。ビナロン工業は、わが国の主体的な工業です。

 かつて、わが国の一部の学者は、原油発電所を建設しようといいました。もちろん、原油発電所は、水力発電所や他の発電所よりも少ない資金で早く建設することができます。しかし、私は当時、彼らの意見に同意しませんでした。それは、わが国でまだ石油が産出されていないためでした。わが国で石油が産出されていない状況のもとで、原油発電所を建設するよりは、わが国に豊富な石炭を燃料とする火力発電所を建設するほうがましです。原油発電所を建設しておいて、他の国から原油を輸入できなくなった場合はどうなるでしょうか。それで私は、そのとき、もう少し時日や資金がかかっても、国内の燃料にもとづく火力発電所を建設すべきだといいました。

 現在、世界的な燃料危機のため、少なからぬ国の経済が停滞状態に陥っていますが、わが国の経済は、世界的な燃料危機にも微動だにせず、安定した発展を遂げています。これは、わが国の主体的工業の優位性を実証するものです。朝鮮人は、朝鮮の地に足をつけて生きるべきであって、よその国に足をつけようとしてはなりません。

 自立的民族経済を建設するということは、けっして門戸を閉ざして他国と経済交流をしないとか、他国の先進技術を導入しないとかいうことを意味するものではありません。自立的民族経済を建設すれば、他国と経済・技術交流をいっそう活発にし、貿易もさらに拡大発展させることができます。

 わが国には鉄鉱石が大量に埋蔵されていますが、それを採掘して他国にそのままで売るより、鋼材を生産して売るとか、銅材で機械をつくって売るほうがさらに有益であるだけでなく、そうすれば他国との貿易もいっそう拡大することができます。

 わが国には無煙炭や石灰石が豊富ですが、それをもって良質のセメントを生産することができます。現在、わが国で年に800万トンのセメントを生産していますが、今後、1200万トン以上生産する予定です。年に1200万トンのセメントが生産されれば、その全量を国内で消費することはできません。それで、我々は今後、消費した残りのセメントで外国との貿易を積極的におこなうつもりです。特に、セメントを第三世界諸国に援助する方向で有無相通じていく考えです。現在、第三世界諸国では、建設をさかんにおこなっているので、セメントをたくさん求めています。

 わが国では、経済分野だけでなく、政治、文化、軍事の各分野の活動がすべてチュチェの要求に即して進められています。

 我々は、すべての人が、朝鮮革命に奉仕する思想と観点をもつよう教育することに力を入れています。そうしてこんにち、朝鮮人民の頭には、チュチェ思想がみなぎっています。

 文化・芸術分野においても主体性が確立されています。

 文化・芸術は、自国の人民に奉仕しなければなりません。朝鮮人民は、民族的形式に社会主義的内容をもりこんだ文化・芸術を求めています。朝鮮人民は、歌劇や歌にしても、外国のものよりわが国のものを好みます。外国の歌劇や歌は、朝鮮人民の思想・感情によくあいません。

 わが国の創作家は、歌を一つつくるにしても、朝鮮人民の志向と要求を反映した歌を創作しています。現在、平壌の各劇場では、朝鮮人民の思想・感情にあった歌劇が公演されています。朝鮮の歌劇は、民族的形式に社会主義的内容をもりこんだ社会主義的芸術作品です。

 軍事分野においても主体性を確立しなければなりません。

 あなたは軍人出身なので、十分ご承知のことと思いますが、軍事分野でも自国の実情に即した戦法をもつべきです。外国の戦法は、自国の実情にあわないし、したがって、そうした戦法では自国を十分に守ることができません。もちろん、外国の戦法を学ぶことも必要です。外国の戦法を学ぶとしても、軍事知識を広め、自国の戦法を発展させるために学ぶべきです。

 例を一つあげましょう。

 ある国では、数百台の戦車を散開隊形で攻撃する戦法を軍人に教えています。平野の多い国では、そうした戦法を用いることができます。しかし、わが国には、数百台もの戦車を走らせる平野がないので、そうした戦法をそのまま適用することは不可能です。

 山の多いわが国では、山を利用できる戦法が必要です。我々は軍人に、外国の戦法を教えるのではなく、わが国の実情に即した戦法を教えています。

 朝鮮人民の生活水準は高いというあなたのお言葉ですが、まだそれほど高いとはいえません。しかし、朝鮮人民は衣食住の心配をしていません。わが国では、子どもがこの世に生まれたそのときから食糧の供給をうける権利をもちます。国家は、子どもが生まれた日から食糧を供給します。国家は、協同農民から米を1キログラム当たり60チョンで買い上げ、労働者、事務員に8チョンで供給しています。

 朝鮮人民は、健全な生活をしています。

 わが国では、祝日には酒を多く売り出しますが、ふだんはあまり売りません。そのかわり、ビールはたくさん販売しています。

 わが国では、社会の全構成員が一定の組織に加わって組織生活をしています。少年団員は少年団で、社労青員は社労青で、職業同盟員は職業同盟で、女性同盟員は女性同盟で、農業勤労者同盟員は農業勤労者同盟で、党員は党組織で組織生活をしています。わが国では、すべての人が組織生活をしているため、酒に酔ってふらつくといったような現象がなく、みな健全な生活をしています。

 日本には朝鮮同胞が60万名も暮らしていますが、そのうち10万名がすでに共和国北半部へ帰国しました。帰国した女性たちは、自分の夫が日本にいたときには酒を飲んでくだをまいたりばくちをしたりしたものだが、祖国へ帰ってからはそうした現象がなくなって、よいといっているそうです。これは、わが国のすべての人が健全な生活をしていることを示しています。

 我々の賢明な指導の秘訣を知りたいとのことですが、指導において重要なのは、人民のなかにはいり、人民のために活動することです。

 私は、いつも人民のなかにいます。人民のなかにはいり、彼らから学びまた彼らを教えています。

 私は、人民の意思を尊重します。私は、党の路線と政策をたてるとき、常に人民の意思十分に聴取してからたてます。

 人民は私に会うと、活動家が党の政策どおりに仕事をしていない問題をはじめ、提起されるすべての問題について率直に語り、何をどうして欲しいという意見も提起します。

 戦後復興建設の時期にあったことを一つ話しましょう。アメリカ帝国主義者は、戦後、朝鮮は100年かかっても立ちあがれないだろうとうそぶきました。戦争中、平壌はまともな家一軒もないほどことごとく破壊されました。我々は戦後、廃墟のうえに平壌市を復興建設しはじめました。

 停戦直後、平壌市を復興するとき、私は平壌市復興委員会委員長をつとめたのですが、建設部門の活動家は街路樹としてプラタナスを植えようとしかしませんでした。ある日、平壌市のある建設現場へ出向いたところ、そこにいた老人が私に「将軍、平壌は昔から『柳京と呼ばれてきたのに、なぜ柳を植えないのですか」といいました。私は老人の話を聞いて、平壌に柳を植えるように指示しました。

 チュチェ農法も、我々が農民のなかにはいって農作について彼らと話しあい、指導する過程で生まれたものです。

 わが党と共和国政府のすべての路線と政策は、人民の意思を反映したものです。

 外国の記者たちは私に、工場や農村にいつも出かけていて、国事の指導はいつするのかと質問しますが、私は彼らに、工場や農村を指導するのが、すなわち国事の指導なのだと答えています。

 わが国の統一問題についてふれるならば、いま世界各国の人民はこぞってわが国の統一を願っています。朝鮮は、必ず統一されなければなりません。朝鮮民族は数千年間、同一の文化と同一の言語をもって暮らしてきた単一民族です。南北朝鮮の全人民は民族の分裂を望んでおらず、ひたすら祖国の統一を望んでいます。ただ、南朝鮮のごく少数の反動層だけが祖国の統一に反対し、民族の分裂を策しています。

 朝鮮問題は政治的見地からして、ドイツ問題とは性格が異なります。

 ドイツは第2次世界大戦を引き起こして敗北した戦敗国です。ドイツ周辺の諸国は、ドイツの統一を望んでいません。

 しかし、わが国は、ドイツのように侵略戦争を引き起こして敗北した戦敗国でもなく、朝鮮が統一されても周辺諸国に侵略の脅威を与えないでしょう。わが国の周辺には、中国、ソ連、日本といった大国がありますが、それらの国は、わが国が統一してもわが国から侵略の脅威をうけることはないでしょう。世界の多くの国の人民と国家元首は、祖国の統一をめざす朝鮮人民の闘いを積極的に支持しています。朝鮮人民は、世界人民の支援のもとに祖国統一の偉業を必ずや実現するでしょう。

 我々のおこなった抗日武装闘争について話して欲しいとのことですが、我々は1932年に反日人民遊撃隊を組織し、15年間、日本帝国主義侵略者に対する武装闘争を展開して国の解放をかちとりました。我々は、武装闘争をおこなう以前にも長いあいだ地下闘争を展開しました。地下闘争の時期から数えれば20余年間、日本帝国主義侵略者と闘ったことになります。我々が抗日武装闘争をおこなったときの隘路と難関は一つや二つではなく、たいへん苦労しました。そのうえ、冬は寒さのためもっと苦労しました。わが国の北部地帯と中国の東北地方の冬は降雪量が多く、非常に寒いところです。

 我々が抗日武装闘争を繰り広げたときには、どこからも援助をうけるところがありませんでした。いま、民族解放闘争をしている国は他の国から援助をうけていますが、当時の事情はいまとは違っていました。当時我々は、武器をはじめ、すべてのものを自力で解決しなければなりませんでした。我々は、日本帝国主義軍隊の武器を奪い取って武装を整えました。

 抗日武装闘争の時期、人民は朝鮮人民革命軍を積極的に援助してくれました。朝鮮人民革命軍の部隊が村落に行くと、そこの農民は、どの牛が「民会」の牛で、どの牛が農民の牛であるかを教えてくれました。朝鮮人民革命軍の隊員は、農民の牛には手をつけず、日本帝国主義の御用団体である「民会」の牛を屠殺して農民と分けあって食べたものです。農民は、朝鮮人民革命軍が村から引きあげると、日本帝国主義者のところへ行って昨晩、朝鮮人民革命軍部隊が村にきて牛を殺したと知らせました。すると、彼らは村に来て見てまわり、どうして農民の牛は一匹も手をつけず、「民会」の牛だけ殺したのかと問いただしました。農民は彼らに、朝鮮人民革命軍の隊員はどの牛が「民会」の牛で、どの牛が農民の牛であるかを知っていたと答えました。このように、農民は日本帝国主義者をまんまとだまして朝鮮人民革命軍を積極的に援助しました。

 人民は、朝鮮人民革命軍の部隊に食糧もたくさん送ってくれました。当時、日本帝国主義は朝鮮人民革命軍の隊員を飢え死にさせようとして、人民の朝鮮人民革命軍部隊に対する食糧援護を厳しく取り締りました。しかし、人民はいろいろな方法で敵の監視を避けながらひきつづき、朝鮮人民革命軍部隊に食糧を送り届けました。人民は、敵の監視が厳しくて食糧を送れない場合には、畑のジャガイモを掘りださず、ツルだけ取り去って掘ったかのように見せかけ、朝鮮人民革命軍部隊にどこそこにジャガイモがあるから掘っていくようにと知らせてくれました。ときには、トウモロコシをとって木の下にうめておき、朝鮮人民革命軍部隊に知らせてくれました。

 このように、朝鮮人民革命軍は、人民に依拠し、彼らの積極的な支援をうけなから日本帝国主義侵略者と戦いました。

 あなたは、平壌は世界で最も美しい都市の一つだといわれましたが、我々は平壌をより立派に建設する考えです。今後、平壌に人民大学習堂を建設し、そこにわが国の書籍ばかりでなく、世界各国の書籍をたくさんそろえておくつもりです。平壌に人民大学習堂を建てれば、必要な大建築はだいたいそろうことになります。そうなれば、平壌は現在よりいっそう美しい都市になるでしょう。

 わが国には、金剛山をはじめ景勝地がたくさんあります。

 わが国の景勝地での休養をかねて、再び訪問してください。
出典:『金日成著作集』33巻 

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